ことし2023年の10月7日に起こったイスラエルへの「サプライズ・アタック」。
パレスチナ自治区のガザから、テロリストのハマスの武装組織による、陸海空の本格的な攻撃で1,400人を超える民間人の死者と多数の負傷者、そして外国人をふくむ250人をこえる人たちが拉致され、いまだに人質のままとなっている。
当然に予測されたことながら、イスラエルが「ハマス殲滅」を目的に掲げて攻撃を開始した。連日の空爆で、ガザ地区ではすでに8,000人を超える死者がでている。そのほとんどが巻き添えになった民間人だ。あまりにも非対称的である。
イスラエル軍は、ガザ北部の住民に対して北部から南部に避難するよう呼びかけていたが、水やガス、電気といったインフラが止められた状態で、ガザ住民の苦しみは増すばかりだ。
すでにイスラエル軍の地上作戦は開始されている。
■今回の軍事行動は「レバノン侵攻」のインパクトをはるかに上回る
わたしにとっては、今回のイスラエルの軍事行動は、20歳のときにリアルタイムで知った「レバノン侵攻」と同じくらい、いやそれ以上にネガティブなインパクトを感じている。
おそらく、いま20歳前後の若い人なら、その感覚は理解できるのではないだろうか。イスラエル軍の行動に、倫理的(エシカル)な観点からいって賛同するはずがないのは、Z世代の若者なら当然だろう。
日本ではPLOとパレスチナ支持が当たり前だった1980年代当時、イスラエルはあしざまに語られることが多かった。長年にわたって戒厳令下にあり、しかも「光州事件」(1980年)のあった韓国と同様である。
それにもかかわらず、わたしはイスラエルには多大な関心を抱いて、基本的には支持してきた。
日本では当たり前のように語られていた言説を超える魅力が、イスラエルにはあったからだ。ただし、わたしはキリスト教徒ではない。それとはまったく異なる関心からである。たとえば、「独創性」という観点から糸川英夫博士はイスラエルに大いに注目していた。
さて、今回の事件、いやすでに「イスラエル・ハマス戦争」(Israel Hamas War)となっている戦争の発端となったテロ事件が発生してから、さまざまなリアクションがイスラエルの国内外からわきあがっている。
忘れられていた「パレスチナ問題」があらためてクローズアップされただけでなく、この事件で可視化されたことはじつに多い。
そのひとつが、アメリカのユダヤ系市民によるガザ攻撃への反対運動だ。リベラル左派のユダヤ系の人たちを中心に、ワシントンの議事堂に座り込みの抗議が行われ、逮捕者も出しているという。
ユダヤ系米国人のゆるぎないイスラエル支持という「常識」は、すでに過去の話となっているのではないか? そんな疑問がわいてきた。
米国がイスラエルを支持することには変わりないが、その意味合いが変化している。しかも、イスラエルを強力に支持する米国は、内政は分断状態にあり、衰退プロセスに入っている。
イスラエルも建国75年を過ぎ、かつての輝かしい理想は完全に希薄化してしまっている。未来志向ですらなくなり、ネタニヤフ政権のもとで民主主義が後退し、権威主義国家しつつある。
■「古い常識」を捨てなくてはならないと痛感
今回の悲劇的なキブツ襲撃と虐殺事件が発生しなかったら、これほど多くのタイ人の農業労働者がキブツで働いていたなんてまったく知らなかった。タイ人ワーカーたち多数がハマスに殺害され、拉致されて人質となっているのだ。
「湾岸戦争」後の1992年に米国からイスラエルに旅した際には、ミニツアーに参加してキブツを訪問して一泊しているが、それからもう30年もたっているのだ。イスラエル社会が様変わりしていても、まったく不思議ではない。1992年当時は、建国からまだ50年もたっていなかった。
2000年代になってからは、それ以外の地域にコミットしていたため、イスラエルにかんして集中的に考えることも、あまりなくなっていたが、イスラエルのことはそれなりに知っているつもりだった。
ただし、ことし2023年の最高裁の権限を弱める司法制度改革を強行したネタニヤフ首相に反対する、イスラエルの大規模なデモには注目していた。
とはいえ、1990年代までの「古い常識」をもとに、ときどき目にする断片的な情報で組み立てられたイスラエル像のままでいいのか? そんな疑問から、あらためてイスラエルについての概説書を読んでみることにした。
まず手始めに読んでみたのは、『イスラエルを知るための62章【第2版】(エリア・スタディーズ)』(立山良司編著、明石書店、2018)である。
2012年に初版のでた本書は、2018年に第2版がでている。このインターバルなら、そろそろ第3版がでてもおかしくないが、今回の事態を受けて大改訂する必要がでてくるかもしれない。それは待ってられないので、この第2版を読むことにした次第だ。
最初のページから最後のページまで、隅から隅までじっくり読んでみて思うのは、自分がイスラエルにかんしてもっていた「常識」は捨て去る必要を痛感したことだ。知識のアップデートの必要を痛感したことだ。
「目次」を掲げておこう。このように幅広い側面から、それぞれ専門家によって書かれた凝縮された文章を読むことで、イスラエルのあらたな全体像が見えてくる。
はじめにⅠ イスラエルという国 (第1章・第2章 コラム1)Ⅱ 歴史(第3章~第9章 コラム2~4)Ⅲ イスラエル歳時記(第10章~第16章 コラム5、6)Ⅳ 多様な言語と社会(第17章~第23章 コラム7)Ⅴ 政治と安全保障(第24章~第34章 コラム8、9)Ⅵ 経済発展の光と影(第35章~第40章 コラム10)Ⅶ 文化・芸術・若者(第41章~第47章 コラム11~13)Ⅷ 外交(第48章~第54章)Ⅸ 中東和平問題とイスラエル(第55章~第61章)第62章 <終章>イスラエルはどこに向かうのか ーー 輝かしい成長と根源的ジレンマイスラエルを知るための文献・情報ガイド
イスラエルは、あくまでもイスラエルそのものとしてとらえないと、見誤ってしまう。どういうことかというと、どうしても「イスラエルとユダヤ人をほぼイコールで考えてしまう思考のクセ」に気がつかなくてはならない、ということだ。
イスラエルは、シオニズムというユダヤ民族主義運動から生まれた「イデオロギー国家」であるが、建国の当初から「ユダヤ国家」というのは、あくまでも願望であって、実態ではなかったのである。
現在でもイスラエルの人口900万人のうち、非ユダヤ系が2割を占めているのである。事実としてはもちろん知っていたが、その意味をあらためて深く考える必要があると感じる。
イスラエル社会の変化は、とくに「宗教シオニズム」の増大と、「超正統派」(ハレディーム)の人口増加にあきらかである。
かつての主流派であり、支配者層であった世俗的で社会主義的な「労働シオニズム」が大幅に後退しているのに対して、宗教的なシオニズムが前面にでている現状。これは軍隊においても大きな変化をもたらしているという。社会の右傾化が進み、以前よりもはるかに強硬な姿勢になりがちな理由がそこにあるかもしれない。
詳細まで触れるつもりはないが、先にもふれたが、タイ人農業ワーカーの存在抜きには成り立たなくなっているイスラエル農業の現状、フィリピン人看護師抜きには成り立たない状況、社会主義経済による停滞は新自由主義への転換で克服したが、一方では経済格差を生み出している現状など、イスラエル社会の変化は本書によって知ることができた。
また、今回のテロ事件にかんしては、インドがイスラエルを全面的に支持しているが、これは同じくイスラームのテロ攻撃に苦しむ点において共通するものがあることが背景にある。イスラエルの武器輸出先の4割がインドであることも、本書ではじめて知った。
イスラエルとインドの密接な関係は、インド側からは見えにくい。インドはロシアとの関係だけではないのである。イスラエルのような「小国」から見ると、「大国」インドの真の姿が見えてくるのだ。
■イスラエルはそのすぐれた側面と負の側面の両方を見なくてはならない
そんなイスラエルだが、近年、ようやく日本のビジネス界からイスラエルのハイテク産業、とくにセキュリティを中心としたIT分野に関心が集まるようになってきていた。
イスラエルにかんしては、ビジネス関連本が多数出版されている。イスラエルへの投資を促すセミナーも多数開催されてきた。
だが、とくにビジネスパーソンにとっては、イスラエルという国が、ポジティブな面からのみ語られるようになっていた現状で、イスラエルの生存にとって根源的問題であるはずの「パレスチナ問題」が急浮上し、残酷なカタチで可視化されたことになる。
ものごとはポジティブとネガティブの両方、正負の両面から見ないといけないことが痛感されることになったのではないだろうか。
今回の戦争でイスラエルへのコミットを再考する企業もでてくるだろうが、イスラエルのビジネス界からも戦争拡大への反対の声がでていることも知っておく必要があるだろう。イスラエル全体のレピュテーションを大幅に低下させることになっているからだ。
戦争で利するのは兵器産業など一部の業界だけであり、とくに長期化した戦争はビジネス環境の明らかな阻害要因となる。
すでにイスラエルに出入りする国際便はストップしている。36万人の予備役動員は、人口900万人の国内では市民生活に不便をもたらしている。ITエンジニアも動員されている。農業を支えてきたタイ人ワーカーたちも、タイ政府が飛ばした帰国便で帰国してしまった者も少なくない。
今回の戦争も長期化は避けられないだろう。ハマス殲滅なんて、そもそも不可能である。ガザの一般市民の犠牲が増えれば増えるほど、イスラエルの国際的孤立は深まるばかりだ。
だからこそ、「イスラエルとは、そもそもそういう国なのであり、そんな国であるからこそ現在のハイテク産業が発展してきた」のである。この言説の背後にある事実をしっかり見つめたうえで、イスラエルについて考え、つきあっていく必要がある。
そのためにも、『イスラエルを知るための62章』は、読むべき本であることは間違いない。
編著者プロフィール立山良司(たてやま・りょうじ)1947年東京生まれ。日本の国際政治学者、防衛大学校名誉教授。専門は中東現代政治。 早稲田大学政治経済学部卒。在イスラエル日本大使館専門調査員、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)職員、財団法人中東経済研究所研究主幹などを経て、1997年防衛大学校総合安全保障研究科・国際関係学科教授などを歴任。2013年定年退官、名誉教授。日本エネルギー経済研究所客員研究員。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに Wikipedia情報で加筆)。
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■イスラエル社会
■宗教都市エルサレムと世俗都市テルアビブ
Pen (ペン) 2012年 3/1号(阪急コミュニケーションズ)の「特集:エルサレム」は、日本人のための最新のイスラエル入門ガイドになっている
■2000年以前のイスラエル
全国民にガスマスクを配布せよ!-湾岸戦争(1991年)の際、イラクからのミサイル攻撃の脅威にさらされていたイスラエルは国民にガスマスクを無償配布した
映画『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)をみた(2009年12月6日)
・・1982年の「レバノン侵攻」を体験した新兵たちは、わたしとまったくおなじ20歳だった
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・・1972年のミュンヘン・オリンピック事件
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
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