電車での移動中に文庫本を読む人も少なくなったが、スキマ時間ならいざ知らず、スマホばかり見ていても飽きることもある。
スマホでダウンロード済みの電子書籍を読むこともあるが、それはなにも持ち合わせていないときに限られる。だから、ちょっと長めの移動の際には文庫本を持参することにしている。
そんな移動中に読んで面白かったのが、『剣術修行の廻国日記』(永井義男、朝日文庫、2023)という本だ。2013年にでた朝日選書版の改訂新版である。
「武者修行」のリアルを実在の武士の日記をもとに再構成した読み物だ。面白い内容である。とはいえ、剣豪小説ファンをがっかりさせる内容である(笑) 道場破りや、斬った張ったの世界はそこにはない。「歴史のリアル」とはそういうものだ。
武士の名は牟田文之助、佐賀藩鍋島家の家臣である。23歳で「鉄人流」という二刀流の免許皆伝を受け、藩の許可を得て翌年から2年間の「武者修行」の旅にでる。その記録が『諸国廻暦日録』と題して残されているという。1853年から1855年にかけての2年間の旅の記録である。
江戸時代後期から幕末にかけての19世紀前半には、このような武士が全国各地にたくさんいて、それぞれ「武者修行」の旅にでていたらしい。武者修行のシステムができあがっていたこともわかる。そんな同好の武士たちとの交流も全国各地でさかんにおこなわれていたことがわかる。
武者修行の旅は佐賀に始まり、各藩の道場や剣術師範の私塾をめぐって、山陽道を東海道へてを江戸に。江戸では藩邸に滞在、そこからまた旅にでて東北をめぐって、ふたたび江戸に戻る。帰途は中山道経由で、こんどは四国をめぐり、最後は九州に戻って2年間の武者修行の旅を佐賀で終える。
剣豪小説ファンをがっかりさせるというのは、以下のようなことが事実だったからだ。
武者修行にはいわゆる「道場破り」なるものは存在しなかったこと、手合わせは防具をつけ竹刀による稽古の形をとっていたこと(・・剣道の原型は江戸時代後期には完成していた)、審判による勝敗の決定もなされていなかったこと、などなどだ。
武者修行とは、剣術をつうじての交流というべきものであったわけだ。 この時代には、剣術は武士だけでなく、農民など各層にも拡がっていた。剣術は数少ない熱中できる娯楽だったからだろう。
それにしても、交通手段がもっぱら徒歩で、しかも地方では娯楽が少なかった時代、他藩の藩士との交流が大いに歓迎されていた事実が興味深い。激動期直前の「幕末武士の青春記」ともいうべきか。
稽古が終わったあとは、ほとんど毎日のように、なにかと理由をつくっては飲んで大いに盛り上がっている。方言の地域差の大きかった時代だが、武士は武家ことばを共通語として会話して交流していたのである。
黒船が来航した1853年から2年間の、明治維新を迎える前夜の記録であるが、この時点ですでに昌平黌を頂点とした儒学だけでなく、剣術をつうじた武士たちの水平的で全国的なネットワークが形成されていたことがわかる。次の時代は、人的交流という形ですでに始まっていたのだな、と。
全国を歩いて交流を行ったとはいえ、吉田松陰や高山彦九郎のような有名な思想家ではない。無名に近い武士が残した記録から見えてくるものが興味深い。
訪れたその土地土地での感想なども面白かった。自分にかかわりのあってよく知っている土地にかんしては、変な文飾がないだけに素直な感想であるのがいい。
二刀流の達人であった牟田文之助であったが、幕末の激動期に剣術の時代はすでに終わっていた。生まれた時代は、本人には選べないとはいえ、はたして本人はどう思っていたのだろうか。
おそらく人生の絶頂期は、20歳台前半の武者修行の2年間だったようだ。だからこそ、この青春期は現代人が読んでも面白いのである。
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目 次はじめに序章 牟田文之助の出立表1 牟田文之助の旅程第1章 剣術の稽古の変遷と隆盛表2 訪れた道場の規模第2章 武者修行の仕組みと手続き第3章 出発から江戸到着まで第4章 江戸での交友と体験第5章 他藩士との旅第6章 二度目の江戸第7章 帰国の途へ第8章 最後の旅おわりに表3 他流試合をした道場一覧引用・参考文献
著者プロフィール永井義男(ながい・よしお)1949年生まれ。作家。東京外国語大学卒業。1997年『算学奇人伝』で第6回開高健賞を受賞し、本格的な作家活動に入る。江戸をテーマにした著書多数。
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・・新撰組の近藤勇は中流上層の農民出身で剣術修行、土方歳三は豪農出身で剣術修行
・・渋沢栄一は豪農出身で、儒学と剣術を修行。
・・尊皇派の志士であった相楽総三は郷士で大富豪の息子。平田派国学と剣術を修行
・・高山彦九郎は豪農出身。尊皇派として全国を廻国し幕府の追われて久留米で自刃
・・江戸時代後期の19世紀前半には、幕府の昌平坂学問所を頂点とした儒学研鑽が全国の藩校で行われていた
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