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2024年3月26日火曜日

書評『剣術修行の廻国旅日記』(永井義男、朝日文庫、2023)― 剣豪小説ファンをがっかりさせるであろう「歴史のリアル」だが「幕末武士の青春記」として読むと面白い

 

電車での移動中に文庫本を読む人も少なくなったが、スキマ時間ならいざ知らず、スマホばかり見ていても飽きることもある。

スマホでダウンロード済みの電子書籍を読むこともあるが、それはなにも持ち合わせていないときに限られる。だから、ちょっと長めの移動の際には文庫本を持参することにしている。

そんな移動中に読んで面白かったのが、『剣術修行の廻国日記』(永井義男、朝日文庫、2023)という本だ。2013年にでた朝日選書版の改訂新版である。  

「武者修行」のリアルを実在の武士の日記をもとに再構成した読み物だ。面白い内容である。とはいえ、剣豪小説ファンをがっかりさせる内容である(笑) 道場破りや、斬った張ったの世界はそこにはない。「歴史のリアル」とはそういうものだ。 

武士の名は牟田文之助、佐賀藩鍋島家の家臣である。23歳で「鉄人流」という二刀流の免許皆伝を受け、藩の許可を得て翌年から2年間の「武者修行」の旅にでる。その記録が『諸国廻暦日録』と題して残されているという。1853年から1855年にかけての2年間の旅の記録である。

江戸時代後期から幕末にかけての19世紀前半には、このような武士が全国各地にたくさんいて、それぞれ「武者修行」の旅にでていたらしい。武者修行のシステムができあがっていたこともわかる。そんな同好の武士たちとの交流も全国各地でさかんにおこなわれていたことがわかる。 

武者修行の旅は佐賀に始まり、各藩の道場や剣術師範の私塾をめぐって、山陽道を東海道へてを江戸に。江戸では藩邸に滞在、そこからまた旅にでて東北をめぐって、ふたたび江戸に戻る。帰途は中山道経由で、こんどは四国をめぐり、最後は九州に戻って2年間の武者修行の旅を佐賀で終える。 

剣豪小説ファンをがっかりさせるというのは、以下のようなことが事実だったからだ。 

武者修行にはいわゆる「道場破り」なるものは存在しなかったこと、手合わせは防具をつけ竹刀による稽古の形をとっていたこと(・・剣道の原型は江戸時代後期には完成していた)、審判による勝敗の決定もなされていなかったこと、などなどだ。

武者修行とは、剣術をつうじての交流というべきものであったわけだ。 この時代には、剣術は武士だけでなく、農民など各層にも拡がっていた。剣術は数少ない熱中できる娯楽だったからだろう。

それにしても、交通手段がもっぱら徒歩で、しかも地方では娯楽が少なかった時代、他藩の藩士との交流が大いに歓迎されていた事実が興味深い。激動期直前の「幕末武士の青春記」ともいうべきか。

稽古が終わったあとは、ほとんど毎日のように、なにかと理由をつくっては飲んで大いに盛り上がっている。方言の地域差の大きかった時代だが、武士は武家ことばを共通語として会話して交流していたのである。 

黒船が来航した1853年から2年間の、明治維新を迎える前夜の記録であるが、この時点ですでに昌平黌を頂点とした儒学だけでなく、剣術をつうじた武士たちの水平的で全国的なネットワークが形成されていたことがわかる。次の時代は、人的交流という形ですでに始まっていたのだな、と。 

全国を歩いて交流を行ったとはいえ、吉田松陰や高山彦九郎のような有名な思想家ではない。無名に近い武士が残した記録から見えてくるものが興味深い。

訪れたその土地土地での感想なども面白かった。自分にかかわりのあってよく知っている土地にかんしては、変な文飾がないだけに素直な感想であるのがいい。

二刀流の達人であった牟田文之助であったが、幕末の激動期に剣術の時代はすでに終わっていた。生まれた時代は、本人には選べないとはいえ、はたして本人はどう思っていたのだろうか。

おそらく人生の絶頂期は、20歳台前半の武者修行の2年間だったようだ。だからこそ、この青春期は現代人が読んでも面白いのである。


(画像をクリック!)



目 次
はじめに 
序章 牟田文之助の出立 
 表1 牟田文之助の旅程 
第1章 剣術の稽古の変遷と隆盛 
 表2 訪れた道場の規模 
第2章 武者修行の仕組みと手続き 
第3章 出発から江戸到着まで 
第4章 江戸での交友と体験 
第5章 他藩士との旅 
第6章 二度目の江戸 
第7章 帰国の途へ 
第8章 最後の旅 
おわりに 
 表3 他流試合をした道場一覧 
引用・参考文献
 

著者プロフィール
永井義男(ながい・よしお) 
1949年生まれ。作家。東京外国語大学卒業。1997年『算学奇人伝』で第6回開高健賞を受賞し、本格的な作家活動に入る。江戸をテーマにした著書多数。



<ブログ内関連記事>

・・新撰組の近藤勇は中流上層の農民出身で剣術修行、土方歳三は豪農出身で剣術修行

・・渋沢栄一は豪農出身で、儒学と剣術を修行。

・・尊皇派の志士であった相楽総三は郷士で大富豪の息子。平田派国学と剣術を修行

・・高山彦九郎は豪農出身。尊皇派として全国を廻国し幕府の追われて久留米で自刃

・・江戸時代後期の19世紀前半には、幕府の昌平坂学問所を頂点とした儒学研鑽が全国の藩校で行われていた


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2013年9月23日月曜日

書評『川崎尚之助と八重 ー 一途に生きた男の生涯-』(あさくら ゆう、知道出版、2012)ー 幕末を生きた知られざる男の「名誉回復」は2011年から始まった!


川崎尚之助(かわさき・しょうのすけ)、この名前を昨年(2012年)の段階で知っていた人はいったいどれだけいたのだろうか? もちろんわたしもまったく知らなかった。

NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島八重の初婚の相手であった川崎尚之助。蘭学者で砲術家。会津藩と運命をともにした男。

この男のことを誰も知らなかったのは仕方ない。大河ドラマで取り上げられるまでは事実関係もほとんど明らかになっていなかったからだ。

しかも、本書の著者あさくら氏によれば、ドラマ化が発表されるまで、この男のことはほとんど知られることもなかっただけでなく、「逃げた男」という汚名を帯びた虚像が捏造されまかりとおっていたのである。

本書は、その知られざる川崎尚之助を徹底的に調べ上げ、名誉回復を実現した在野の歴史研究家の入魂の一冊である。

著者による徹底調査は、大河ドラマのテーマが発表された2011年に開始された。


■川崎尚之助は但馬国の出石藩の出身

会津藩士となって旧会津藩と運命をともにした川崎尚之助(1836~1875)は、但馬国の出石(いずし)の出身である。出石は、現在は兵庫県豊岡市に編入されている内陸の土地である。

出石(いずし)といえば関西では蕎麦(そば)と結びつく。いわゆる「出石の蕎麦」である。18世紀初頭、信州上田から移封された仙石家が持ち込んだものだという。つまり痩せた土地であったということだ。

だが、啓蒙思想家で法学者であった加藤弘之をはじめ、明治新政府に有為の人材を送り込んだことでわかるように、出石藩は学問をきわめて重視した土地柄であった。そんななかからでてきたのが川崎尚之助であったことが本書を読むとよくわかる。

川崎家はお家騒動の余波を受けて苦杯をなめた出石藩士であった。川崎尚之助が蘭学と砲術研究で身を立て、蘭学塾で同窓であった山本覚馬の誘いにおうじて会津に行ったのは、故郷に戻ったところで浮かばれることがない悟っていたためのようだ。

必要とされる場所で、必要としてくれる人のためにナレッジワーカー(=知識労働者)として働く喜び。それは人脈(=人的ネットワーク)によって実現した道でもあった。

ついでだが、但馬の方言は関西アクセントではない。東京アクセントにきわめて近い。だからドラマでの川崎尚之助のしゃべり方はおかしくないのである。

(Googleマップで地理的な位置を知る:Aで示したのが出石)


■川崎尚之助は「手形詐欺事件」に巻き込まれていた!

川崎尚之助が会津藩士に取り立てられ、山本八重と夫婦になったことはドラマにも再現されているが、会津戦争後については、ドラマでは詳しく語っていないことと、事実を脚色している点があることが本書を読むとよくわかる。

ドラマでは詳しく語っていないこととは、まずは会津藩士に取り立てられた理由。

「禁門の変」で京都の治安維持にあたっていた会津藩の大砲隊が大活躍した。その際ぜひ砲術専門家の川崎尚之助を京都に招聘したいという要請がでてきたが、藩士ではないので実現しなかったのである。これが伏線となって会津藩士への途が開かれたのだ、と。

会津戦争における敗戦後、旧会津藩の移封先である下北半島にともに渡った川崎尚之助だが、川崎尚之助が巻き込まれた外国商人との訴訟の中身についてもドラマでは詳しく触れられていない。

川崎尚之助は、先物取引にかかわる「手形詐欺事件」に巻き込まれていたのだ!

旧会津藩士たちの多くが下北半島で飢餓に苦しんでいたことは、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971) にも書き記されていることだが、川崎尚之助は藩士たちとその家族の飢餓を救うため、幕末から開港地として外国貿易が盛んであった津軽海峡の対岸の函館で、食糧であるコメの調達に奔走していたのである。

そのために考案したのが商品先物取引。斗南でその年に収穫予定の大豆「先物」(さきもの)と、輸入された外米である広東(カントン)米の「現物」を交換する取引を函館在住のデンマーク商人と結ぶことに成功する。

だが川崎尚之助は、仲介役として仲間にした日本人商人にだまされ「手形詐欺事件」に巻き込まれることになる。そしてまた当然のことながら寒冷地での慣れない農作業による大豆の収穫は、実現しないで終わる。

不平等条約状態の日本であったが、オランダ語に精通していた蘭学者の彼は手形詐欺事件では勝訴を勝ち取る。だが、先物取引の清算(=クリアリング)にかんしてはデンマーク商人との訴訟は継続され、1875年(明治7年)東京で肺病をこじらせ困窮死することでやっと終結することになった。罪を一身に背負った生涯であったのだ。

礼節を重んじ、アタマの切れるインテリであったが、インチキ日本商人にだまされたことを恥に思っていたのでもあるのだろう。だが、命をかけて最後まで訴訟を戦い抜いた姿勢はすばらしい。

ドラマには登場しないが、川崎尚之助と行動をともにしたのが旧会津藩士の柴太一郎(しば・たいちろう)である。

柴太一郎はかの柴五郎の長兄で、先に言及した 『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971) にも登場する。柴五郎の『遺書』には、長兄・太一郎が外国人との訴訟にかかわっていたことは記されていても、川崎尚之助にかんしてはいっさい言及がない。当時10歳であった柴五郎の記憶に残る人ではなかったのかもしれない。この点については著者のあさくら氏はまったく触れていない。

事実を脚色している点とは、ドラマでは八重は東京で川崎尚之助に会ったという設定になっているが、その事実はなかったと著者は断言していることだ(P.222)。どうやらこれが小説家の創作内容をドラマにふさわしいという理由で採用したと推測される。

基本的に史実に忠実なドラマであるだけに、こういう事実を曲げた個所があるのはじつに残念なことだ。


■「一途に生きた男」

「資料発掘の鬼」と自称する著者が、ドラマ『八重の桜』に際して関心をもつに至った川崎尚之助。一年半の徹底的な調査でようやくあきらかになってきた成果が本書である。

著者は川崎尚之助のことを、「一途の男」と評している。本書を最後まで読むと、この評価がまさに適切であることが納得される。

この「一途さ」ゆえ、山本覚馬の知遇をえて会津まで行ったわけであり、会津藩士に取り立てられたのであり、会津藩への恩を深く感じていたからこそ会津戦争を戦ったのちも下北半島まで同行したわけであり、旧藩士たちの窮乏を救うために先物取引にかかわったわけであり、妻である八重に迷惑をかけまいと訴訟のことは知らせず、罪を一身に背負って言い訳をせず最後は困窮のうちに死ぬこととなった。

そういう「一途に生きた男」の生涯を発掘し、名誉回復に貢献できたことは著者冥利につきるものだし、また読者としてもじつによろこばしい。歴史に大きな足跡を記した人物ではないが、幕末を駆け抜けたこういう男もいたのだと知ることに意味があるのだ。

ただ残念なことに、どのような容貌であったのか肖像画も写真も残っていないようなので本書にも収録されていない。もし残っていれば、ドラマであらたにつくられた虚像との落差が明らかになるかもしれない。

川崎尚之助にかんする調査は本書の出版後もつづいているようである。新島八重のことを、「NHKはジャンヌダルクと捏造した」(はじめに)と言い切る「資料発掘の鬼」には、さらなる事実解明に期待したい。



(参考) 柴 太一郎について

柴太一郎(しば-たいちろう 1839-1923) 幕末-明治時代の武士,官吏。 天保(てんぽう)10年生まれ。柴四朗,柴五郎の兄。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。藩主松平容保(かたもり)の京都守護職就任にしたがって京都におもむく。軍事奉行添役として鳥羽・伏見の戦いに出陣し,のち長岡,会津に転戦。戦後,斗南(となみ)(青森県)に移住し,同藩の創立につくすが,糧米の代金事件に連座し入獄。のち会津にかえり,大沼・南会津郡長。大正12年4月28日死去。85歳。名は盛道。通称ははじめ秀次。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)





目 次

はじめに
序章 「逃げた男」から「一途の男」へ
第1章 出石藩
第2章 出石藩川崎家
第3章 蘭学修業
第4章 会津藩
第5章 会津藩山本家と結婚
第6章 京都守護職
第7章 戊辰戦争
第8章 会津戦争へ
第9章 会津城下の激戦
第10章 会津藩解体
第11章 戦後の会津
第12章 斗南
第13章 函館
第14章 八重、米沢から京都へ
第15章 終焉
あとがき
本書によせて(川崎修)
解説 北垣宗治
参考文献


著者プロフィール

あさくら ゆう
歴史研究家。東京都台東区出身。新選組研究同人、三十一人会副会長、茨城地方史研究会、咸臨丸子孫の会会員。主に幕末維新期の人物史を執筆 今回の「川崎尚之助と八重」(知道出版)で新島研究論文賞を受賞 豊岡市より感謝状を授与される(各種データより作成)。



<関連記事>

新島八重と同志社 第16回 新島八重と川崎尚之助 ~会津に尽くした生涯~(あさくらゆう)
・・本書の内容が簡潔に要約されている


<ブログ内関連記事>

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!



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2011年2月14日月曜日

書評『アラブ諸国の情報統制 ― インターネット・コントロールの政治学』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)― インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学




■インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学■

 「インターネットは民主化を促進する」という命題がある。

 この米国発の楽観的な命題は、とくに検証されたわけでもないが日本でも広く受け入れられている。チュニジアから始まって中東の大国エジプトにも波及した「民主化革命」においても、インターネットのチカラを礼賛する見解が多くクチにされたのは、当然といえば当然であろう。

 しかし、この見解はあまりにもナイーブなのではないか? 本書に目を通した人ならかならずやそう思うに違いない。なぜなら、著者の表現を使えば、これは「インターネットの中身をブラックボックス化」した議論であるからだ。

 本書は、中東アラブ諸国に特徴的な、非民主主義的で権威主義的な「独裁政治」を成り立たせてきた情報統制の実態とメカニズムについて、グローバル経済のなかでそれぞれの国家が置かれている政治経済状況とインターネット技術との関係から、フィールドワークも踏まえてその考察したものである。

 インターネットにおける情報統制は、新聞・ラジオ・テレビといった伝統的なマスメディアにおける情報統制と共通するものがあるというと、日本や先進国の状況しか知らないと不思議に思うかもしれない。

 1996年に中東湾岸諸国のカタールで始まった「アルジャズィーラ」などの衛星放送は、簡単に国境を越えてしまうので、国家レベルでの情報統制が難しいのは当然だ。だが、グローバル経済の流れのなか、2000年以降に中東で本格的に普及が始まったインターネットは衛星放送よりも新しいメディアなのに、なぜ国家レベルでの情報統制が可能なのか?

 「インターネットの情報統制」のキーワードは、プロキシサーバと情報通信のツリー構造ネットワークである。情報通信ネットワークは一国単位でネットワークが構築されている。もし国外との通信の出入り口を一つに絞り込み、その運営を政権の息のかかった独占企業体の通信企業にまかせ、しかもそこにフィルタリングを目的としたプロキシサーバを設置すれば・・・。

 答えはもう明らかだろう。アラブ諸国では一部の例外を除いて、ほぼすべてこのパターンでインターネットの情報統制を行っているのだ。インターネット情報の一元的管理による、情報制限、情報検閲、そして情報モニタリング、特定のコンテンツの排除などさまざまな手段で情報統制を行っている。
 イスラームと情報統制は関係あるのか、それともないのかなどのテーマも含めて、詳しい議論は本文に直接あたってほしい。

 「チュニジア革命」と「エジプト革命」においても、ツイッターやフェイスブックなどの SNS 果たした役割を過大評価しないことが必要かもしれない。本書によれば、チュニジアは完全な情報統制国家、エジプトはプロキシサーバを設置していないものの、「見かけ上オープンなネットワーク」をもった情報統制国家であることがわかる。

 情報統制を行っている独裁国家で、いかに SNS を使った情報交換やデモ参加への促しが可能であったのか? おそらく今後、革命のプロセスがだんだんと明らかになっていくものと思われるが、現時点ではインターネットが果たした役割については、限定的に受け取るべきではないだろうか?。

 また「民主革命」が成就したあとも、典型的なインフラ産業である情報通信ネットワークが一夜にして変化することは考えにくい。2006年のクーデター後のタイで、軍事政権下の暫定政権が行っていた「インターネットの情報統制」を現地で体験した私には、そう思えてならないのだ。本書は、「民主化」後について考えるヒントも多く提供してくれるといってよい。

 本書は博士論文をベースにした研究書なので、全体的に繰り返しが多くて、やや冗長な面も感じなくもないが、本書で展開されている議論にかんしては、きわめて重要な視点を提供してくれたことを大いに評価したい。

 アラブ諸国の状況だけでなく、アジアの状況についてもきわめて示唆するところが大きいからだ。そういった観点から読むことも可能だろう。



<初出情報>

■bk1書評「インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学」投稿掲載(2011年2月14日)
■amazon書評「インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学」投稿掲載(2011年2月14日)



(画像をクリック!)


目 次

序章 インターネット時代の非民主主義国家
第1章 情報化の波に直面するアラブ諸国
第2章 情報統制のパターン
第3章 コード層でのインターネット・コントロール
第4章 物理層でのインターネット・コントロール
第5章 インターネット・コントロール政策をみる視点
第6章 インターネット・コントロール志向型情報統制国家
第7章 インターネット・コントロール放棄型情報統制国家
第8章 アラブ諸国のインターネット・コントロール政策
終章 グローバル化とアラブ諸国
あとがき
註
参考文献
索引


著者プロフィール

山本達也(やまもと・たつや)

名古屋商科大学外国語学部専任講師。1975年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。シリア国立アレッポ大学学術交流日本センター主幹・客員研究員、慶應義塾大学COE研究員(RA)などを経て現職。専攻は、国際関係論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

■企業レベルでは、セキュリティの観点からフィルタリング目的で普通に導入されているプロキシサーバ

 企業レベルでは、セキュリティの観点からフィルタリング目的で普通に導入されているプロキシサーバ(proxy server)。これを、情報通信の出入り口を一元化した通信会社内に設置して、すべての報通信を監視するという方法論、これはけっして突飛な発想でも、技術的に困難な課題でもない。

 子どもに見せたくない悪質な内容のサイトをブロックする目的でも使用される。

 もちろん、私はインターネット・セキュリティの専門家ではないので、技術の詳細については語る資格はないが、目的と手段という観点から考えてみれば、誰にでもわかる話だろう。企業レベルのセキュリティ対策を、国家レベルで実施したという話である。
 
 国家レベルのセュリティ対策には、米国企業も関与していると言われている。


■アジア諸国へのインプリケーションを考えてみる

 本書は、アラブ諸国をケーススタディの対象としているが、その他多くの「情報統制国家」を考えるのに非常に示唆的な内容だ。著者自身は、数行触れただけで、具体的な言及はしていないので、私の理解している限りのことを書いておこう。

 とくにアジアでは、中国、ベトナム、北朝鮮といった「社会主義国」だけでなく、ミャンマーでも、タイ、シンガポールでも同様である。

 たとえば、2006年クーデター後のタイ王国。民政移管までの期間、軍事政権下の暫定政権において「インターネットの情報統制」が行われていた。

 これを現地で実体験していたので、2008年に本書が出版されたとき、大いに知的好奇心を刺激されて購入したのである。クーデター前にタイ政府に協力したことのある日本人の専門家から、タイのインターネット情報統制の仕組みについて話を聞いていたので、ピンときたというわけだ。

 仕組みは、アラブ諸国と同じである。ツリー構造ネットワークによって、タイ国外との情報の出入り口は一元化されている。

 タイの軍政当局は、ある特定のキーワードをリストアップして、無差別にフィルタリングをかけていた(・・現在も程度の違いはあれ、フィルタリングはかけているようだ)。このため、問題ないのに表示できないサイトがでてきてクレームをつけても、問答無用で退けられたというウワサを聞いている。真偽のほどは確かではない。軍政当局はフィルタリング対象のリストは、当然のことながら公開していなかった。

 民政移管までの重要な政治課題であった「憲法改正」を、国民投票(レファレンダム)において僅差でかろうじて乗り切ったのち、軍政下の暫定政権は、かけこみで「治安維持法」を成立させている。

 タイでは、YouTube が遮断されていたことも記憶に新しいだろう。一般に「自由の国」と目されているタイも、一皮むけばこのような「情報統制国家」としての本質が現れてくる。

 タイでは現在でもプリント・メディアに発禁措置が取られることが多々ある。主に海外雑誌についてであるので、輸入禁止という措置である。The Economist が何度か輸入禁止になっている。

 タイを例に出したが、中国はいうまでもなく、ベトナムや北朝鮮といった「社会主義国」だけでなく、シンガポール、ミャンマー・・など、どの国も似たり寄ったりであろう。違いがあるとすれば、程度の差だけである。

 本書では、ドバイの例が興味深い。ドバイ首長国はアラブ首長国連邦(UAE:United Arab Emirates)を構成する首長国だが、「情報統制」を行っている UAE全体の情報通信政策とはまったく別個に、ドバイ内のフリーゾーンでは完全に自由な情報流通を認めている。IT分野の研究開発においては、情報流通の自由が確保されていないとだめだということを、ドバイ政府はトップレベルで理解しているためである、という。

 著者はこの状態を指して「ダブルスタンダード」といっているが、アジアの現状に則して考えてみれば、これは中国政府が採用している「一国二制度」に該当するといっていいだろう。中国国内は完全に情報統制が行われているが、自治政府のある香港では、原則として自由な情報流通が確保されている。中国本土から撤退したグーグルは、現在は香港で運営している。

 ベトナムや北朝鮮、そしてミャンマーでも初期投資額の小さなIT産業にはチカラを入れており、これらの国では特区のなかではかなりの程度の自由を認めているようだ。

 ざっとこのように、アジアでもアラブ諸国と同様、「インターネットの情報統制」は行われているのが常識と考えるべきであろう。



* なお、この書評(初出)は投稿先の bk1 でも紹介していただいている(2011年2月18日に記す)。
 bk1 書評ポータルにて紹介 2011年2月18日 「国際情勢にお詳しい“サトケン”さんの『アラブ諸国の情報統制』の書評がいつもながらとても参考になりました。ありがとうございます。」



<関連サイト>

「エジプト革命」でソーシャルメディアが果たした役割とは?(「現代ビジネス」2011年02月16日(水)市川裕康)

「NHKスペシャル ネットが革命を起こした-アラブ・若者たちの攻防-」(2011年2月20日放送)
・・面白い番組だった。フェイスブックを舞台にした、若者中心の反政府運動グループと、エジプト内務省との激しい攻防戦。アノニマス(匿名)と名乗る謎のハッカー集団による、エジプト政府への全世界からのハッキング攻撃。ネットの世界で起こっていたことのおおよそは、この番組で描かれていたとみていいのか私には判断できない。
 革命は成就し、そして革命は乗っ取られた。革命という名の破壊は成功し、革命後の再建という仕事は老練な大人たちによって牛耳(ぎゅうじ)られることになる。そして再び「情報統制」が静かに復活することであろう。映画 『アラビアのロレンス』のラストシーンを思い出す。

エジプトにおける「ICT革命」のメカニズムとその含意(山本達也)
・・当局の規制をかいくぐったフェイスブックを利用した「スマート・モブ」(smart mob)についての、本書の著者自身による時評。「スマートモブ」が「創発」(emergence)現象と結びつくことによって生じた「民衆のパワー」。「弱いつながり」が民衆の不満のうねりと同調した。ただし、SNSをめぐる「情報統制」の詳細にかんする論述はない。(2011年3月4日)
 


<ブログ内関連記事>

■中東関連

書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)

本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける

書評 『エジプト革命-軍とムスリム同胞団、そして若者たち-』(鈴木恵美、中公新書、2013)-「革命」から3年、その意味を内在的に理解するために

書評 『地獄のドバイ-高級リゾート地で見た悪夢-』(峯山政宏、彩図社、2008)・・外国人には「人権」は保証されていないドバイ


■インターネットと情報統制

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.12 を読む-特集テーマは「The World Ahead」 と 「インド、パキスタン、アフガンを考える」
・・「インターネットは自由も統制も促進する-政治的諸刃の剣としてのインターネット-」(イアン・ブレマー)論文は、インターネット・テクノロジーは「さまざまな野心や欲望を満たす手段でしかなく、そうした欲望の多くは、民主主義とは何の関係もない」と、インターネット楽観論にクギをさす。米国人だけではなく、日本人も心しておくべき重要な指摘である。世界には民主主義を国是とする国家だけでなく、権威主義的で抑圧的な政策をとりながらインターネットを活用して世論をコントロールしている国家もある。「インターネットと相互接続権力の台頭」(エリック・シュミット Google CEO、ジャレド・コーエン Google Ideas Director)論文も注目。」(同記事に書いた文章から抜粋)。

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「権威主義政治体制のもとにおいては、なによりも国内問題を意識し、体制維持のための財源が必要だからだ。王政のもとにおいては臣民、それ以外の政治体制のもとにおいての一般民衆、かれらをすくなくとも経済的に満足させておけば、体制転換という誘惑を回避させることができる」

書評 『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)-国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目
・・「情報統制」を行っていない自由諸国でも「情報監視」は日常的に行われている

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで 「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる

Google が中国から撤退!?(その3)・・グーグルが中国に進出しながら、のちに撤退した理由は何か?

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

『動員の革命』(津田大介)と 『中東民衆の真実』(田原 牧)で、SNS とリアル世界の「つながり」を考える

(2016年7月21日 情報追加)


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2010年8月14日土曜日

書評『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)― 共通のアイデンティティによって結ばれた「見えないネットワーク」に生きる人たち





■日本で「ムスリム」として生きる人たちのこと■

『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)は、現代イラン研究を専門とする著者が、日本在住のムスリムについて、綿密なフィールドワークに基づいてまとめあげた、たいへん読みでのある一冊である。

 「ムスリム」という共通のアイデンティティによって結ばれた、「見えないネットワーク」についての報告を読み進めていくうち、こういう世界がすでに日本のなかにあるのだと、なんだか眼を開かれていく思いがした。出版されすぐに入手していたので、もっと早く読んでおけばよかった。

 日本在住のムスリムは本書の推計によれば、2003年時点で7万人強だという。著者が予測したように、現在ではすでに10万人近いのかもしれない。
 日本では個人の属性として宗教が把握されるわけではない。

また、ムスリムは日本の「檀家制度」のような形でモスクに帰属するのではないので、日本在住外国人の宗教も特定できないのである。実数を把握するのは容易ではないようだ。

 その多くが仕事と職場の関係から関東に集中しているとのことだが、現在では日本で経済基盤を築き、定住する者も増えているという。こうした定住者と結婚しムスリムに改宗した日本人女性も少なからずいるようだ。もちろん、婚姻とは関係なく、個人の意思でムスリムに改宗する日本人もいる。

 実に50カ国以上から来たムスリムが在住する日本では、ムスリムという共通のアイデンティティがあっても、出身地の違いや、イスラーム法の解釈などによて、かなりの多様性があるようだ。もちろん、個人個人の考え方も育った環境によって大いに違いがあろう。言われてみればそのとおりなのだが、十把一絡げにムスリムと捉えてはいたのでは、見えてこないものも多いのだ。

 ムスリムの生活について書くことは、イスラームが生活全般を律する行動規範を定めた宗教体系である以上、誕生から結婚、そして死と埋葬に至るまでのすべての局面に触れざるをえないことになる。

 もちろん生きているあいだに重要なことは、礼拝の場であるモスクの確保と、イスラーム法に準拠したハラール食品の確保、そして断食についてである。そして定住第二世代の教育の問題も大きい。

 それにしても、出版時点の2003年でこれほど多くのモスクが日本にあるとはちょっとした驚きである(注:2010年時点で全国で59)。ムスリムたちによる寄付で不動産を取得し、モスクに改装して使用しているとのことで、著者はその多くを実地検分している。

 本書では、日本人女性がムスリム男性と結婚する際に必要となる改宗と、日本でムスリムとしての生活規範を遵守することの困難さについても触れられている。男女を区分する生活習慣のあるムスリム世界ならではのものであるが、こうした面への視点は著者が女性であることも預かって大きいだろう。

 日系ブラジル人をはじめとした在住日系人についてはいろいろレポートもあるが、ムスリムについては話題になることはそれほど多くはない。

 著者が指摘するように、日本社会は「同化を強いる傾向や異質なものを排除する傾向が強い反面、宗教的なものに対しては比較的寛容で無頓着」(序章 P.23)という不思議な特性がある。

 この日本社会の一員として生きるムスリムたちの「見えないネットワーク」を知ることは、日本について考えるうえで、すでに無視できない重要な要素になっている。

 ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「日本で「ムスリム」として生きる人たちのこと」投稿掲載(2010年8月14日)
■amazon書評「日本で「ムスリム」として生きる人たちのこと」投稿掲載(2010年8月14日)


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目 次
序章 モスクのある風景 
1章 外国人ムスリムの増加 
2章 日本で働く・学ぶ 
3章 故郷の事情 
4章 祈りの場を求めて 
5章 宗教行事 
6章 ムスリムとして生きる 
7章 日本社会とイスラーム

著者プロフィール
桜井啓子(さくらい・けいこ)
学習院女子大学教授。1982年、上智大学文学部卒業。1991年、同大学外国語学研究科国際関係論専攻博士課程修了。博士(国際関係論)。明治学院大学国際平和研究所研究員、学習院女子大学助教授を経て、現在に至る。専攻は比較社会学、地域研究(イラン)。著書に『現代イラン-神の国の変貌-』(岩波新書、2001年、第13回アジア太平洋賞特別賞)などがある。



<関連サイト>

日本にあるモスクのリストについては下記サイトなど参照

 国内主要礼拝所(マスジド)と団体(イスラム便利帳)

 全国モスクリスト

イスラミク サークル オフ ジャパン
・・パキスタン人有志が1992年に結成した団体。日本語でイスラームの紹介(本書で取り上げられているもの)



<関連サイト>

増え続ける日本のムスリム-彼らは何を思い、何を大切にして暮らしているのか?(佐藤兼永)
・・「日経ビジネスオンライン」の連載(2011年8月9日~)(追補)


<ブログ内関連記事>

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても。

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加

書評 『ハビビな人々-アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法-』(中山茂大、文藝春秋社、2010)

「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記
・・東京ジャーミイの写真を掲載してある


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