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2013年10月13日日曜日

書評『「くにたち大学町」の誕生 ― 後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから』(長内敏之、けやき出版、2013)― 一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる



国立にある国立大学が一橋大学である。最初の国立は「くにたち」と読む。両隣の国分寺と立川から一字づつとって国立と命名されたのは、そこがもともと未開発の雑木林であったからだ。

その一橋大学を中核(コア)にした市街地が「くにたち大学町」である。

一橋大学(当時は東京商科大学)が、神田一ツ橋から国立(くにたち)に移転したのは、1923年(大正12年)の関東大震災でキャンパスが被災したからである。キャンパス拡充と震災復興の目的でまとまった土地を確保するには東京都心部ではもはや不可能で、東京西郊に求めざるを得なかったのであった。

『「くにたち大学町」の誕生 ー 後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから』は、国立市民である著者が、「くにたち大学町」の誕生の経緯を、満鉄総裁であった後藤新平、東京商科大学校長であった佐野善作、民間デベロッパーであった堤康次郎との関わりから、知られざる歴史をさぐった好読み物である。本書の存在はネット書店アマゾンからのレコメンドで知った。

「くにたち大学町」と堤康次郎のかかわりについては、比較的有名な事実なので知っている人も少なくないだろう。現在は東京都知事をつとめる作家の猪瀬直樹氏の1980年代の著作、『ミカドの肖像』『土地の神話』をつうじて、デベロッパーとしての堤康次郎の剛腕ぶりについてはよく知られるようになったと思うが、その大きなキッカケをつかんだのがこの「くにたち大学町」の開発であったことが本書でくわしく知ることができる。

本書を読んでいてなによりも驚くのは、国立駅前のロータリーと大学通り緑地帯の土地すべてが、いまだに株式会社プリンスホテルの所有地だということだ。プリンスホテルは『ミカドの肖像』の主要テーマそのものだが、プリンスホテルの所有地になる前は箱根土地、そしてコクドの所有あったという。

この事実は、一橋大学卒業生のわたしも、いまのいままでまったく知らなかった。国立市民にとっての共有地のような並木通りが私有地だったとは! いまさらほかに転用のしようはないと思うが、そんなところにもいまだに堤康次郎の息がかかったままだとはなんというべきか・・・

(JR国立駅ホームからみた「くにたち大学町」 ロータリーの先が大学通り)


「大学町」の計画そのものは、当時の東京商科大学学長の佐野善作のつよい意向が働いていたという。堤康次郎の役割は構想そのものというよりも、大学の郊外移転にともなう大規模土地開発をビジネスチャンスと捉えた商才にこそあったとういうべきだろう。

しかもその背後に大きな影を表しているのが後藤新平なのだ。

関東大震災後の震災復興にあたって、帝都大改造計画のマスタープランを提示したのが後藤新平だが、その構想は「大風呂敷」だとして一部が実現するのみで終わってしまったことは、「3-11」後の平成の後藤新平待望論の際にふたたび知られるようになったのではないだろうか。

『「大学町」誕生』の著者・木本十根氏は、「「国立大学町」は、堤に託された「大風呂敷」の切れ端、だったのかもしれない」(同書 P.58)と述べているが、そういう形で後藤新平がかかわっていたというのは、また大きな驚きである。

佐野善作も後藤新平も、ともに留学体験をもち海外事情に明るかった人たちである。彼らの「大学町」構想にヨーロッパやアメリカの大学町がモデルにあったことは容易に想像できることだ。

しかも、「くにたち大学町」はなんと満洲国の首都・新京(=長春)にそっくりである。鉄道駅から垂直に中央道が走り、ロータリーから放射状に延びる道路。新京(=長春)の都市計画は初代満鉄総裁の後藤新平の指示によるものだ。

後藤新平は、専門の衛生学の観点から都市計画にはおおいに関心をもち、みずから研究するとともに、部下にも研究させていた人である。その後藤の念頭にはベルリンのウンター・デン・リンデン大通りやパリのシャンゼリゼ通りがあったのは間違いないと著者は見ている。わたしも同感だ。


 (写真の左右方向がベルリンの「ウンター・デン・リンデン」通り 筆者撮影)

それにしても、「くにたち大学町」が満洲とつながっている可能性が大きいというのも驚きではないか! 在学中には考えもしなかったことだが、言われてみればそのとおりだなと納得するばかりだ。

しかし、「くにたち大学町」は「大学町」であるがゆえに、第二次大戦末期にも米軍の空襲対象からはずれたようである。満洲とのかかわりは知られないままでよかったのかもしれない。

かならずしも著者の推測が資料的に裏付けされているわけではないが、国立市民や一橋大学の関係者だけでなく、満洲やその他の事項に関心のある人は一読をすすめたい好著である。

東京の地方出版からでている本だが、アマゾンでも購入できることを付け加えておこう。


画像をクリック!

目 次 

はじめに
第1章 「くにたち大学町」と後藤新平
第2章 「大学町」を考えたのは誰か
第3章 『国立市史』の謎
第4章 「くにたち大学町」のまちづくりの独創性
第5章 国立駅舎の謎と設計者の謎
第6章 中島陟(のぼる)による「くにたち大学町」の魅力
第7章 佐野善作、堤康次郎、藤田謙一をめぐって
あとがき
資料

著者プロフィール

長内敏之(おさない・としゆき)
1954年12月4日北海道釧路市で書店の長男として生まれる。 北星学園大学経済学部で学ぶ。札幌で就職。1982年3月から転勤で東京勤務になり国立市に住む。1987年から1996年まで国立市学童保育連絡協議会、事務局長、副会長、会長を歴任。1989年から1996年、「くにたち秋の市民まつり」副実行委員長。1995年から地域自治会国立市三和会役員、2007年から現在まで国立市三和会会長。自治体問題研究会会員。 共著に『エライコッチャてんてこまい─学童父母会奮戦記』(くにたち市学童連絡協議会30年史編集委員会) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS ベルリンの「ウンター・デン・リンデン」通りの写真を挿入した。(2016年10月25日 記す)

PS2 できたばかりの国立駅前

倉庫内を整理中にたまたま目にした『新版 大東京案内 下』(今和次郎編纂、ちくま学芸文庫、2001)に、東京商科大学の記事と国立駅前の写真が挿入されていた。オリジナル版は1926年(昭和元年)の出版。関東大震災(1923年)後に、神田一ツ橋から国立に移転。



(2025年1月20日 記す)





<関連サイト>

国立の達人:一橋大学:佐野善作 (一橋新聞のサイト)
・・初の生え抜き校長となった佐野善作。専門は会計学と経済学

国立「三角屋根の駅舎」復活までの長い道のり 解体保存の部材使い復元、2020年完成めざす(東洋経済オンライン、2017年5月16日)

(2017年5月16日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『「大学町」出現-近代都市計画の錬金術-』(木方十根、河出ブックス、2010)-1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?
・・第一章で「くにたち大学町」が「大学町」の代表例として取り上げられている


書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないことを願う
・・後藤新平について

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・いまから約30年前、卒論を書くにあたって一橋大学付属図書館の蔵書を調べ上げたのだが、ユダや関連では満鉄調査部から寄贈された図書がかなり所蔵されていた。在学中は「くにたち大学町」じたいが満洲の新京の都市計画との類似性があるとは考えもしなかった。一橋大学(=東京商科大学)と満洲の縁は不思議な奇縁というべきか

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・一橋大学の校章は東京商科大学時代一貫して「ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇」。ヘルメスはマーキュリーともいう商売の神。CCは Commercial College の略

東南アジアでも普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ぜひ日本にも導入すべきだ!
・・JR国立駅前から放射状にのびる道路網の中心にあるロータリーは「ラウンドアバウト交差点」のバリエーションと考えることもできる

写真集 『妖怪の棲む杜 国立市 一橋大学』(伊藤龍也、現代書館、2016)で、ロマネスク風建築にちりばめられた建築家・伊東忠太の「かわいい怪物たち」を楽しむ

(2014年2月17日、2017年9月30日 情報追加)


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2013年10月12日土曜日

書評『「大学町」出現 ー 近代都市計画の錬金術』(木方十根、河出ブックス、2010) ー1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?


「城下町」や「門前町」が前近代社会、すなわち土地を基本単位にした地方分権制であった近世封建制の時代に形成されてきたものであれば、「大学町」や「企業城下町」は近代の産物である。


大学町とは、東京や京阪、名古屋などの大都市郊外に形成された、大学を中核(コア)にして開発された市街地のことである。都心部でまとまった土地が確保できなくなった大学が、郊外に土地を求めて土地交換等によって確保し、移転したことによって誕生したものだ。

そのさきがけとして、大学町のプロトタイプとなったのが東京西郊の「くにたち大学町」(東京都国立市)である。国立と書いて「くにたち」と読むのだが、それは両隣の国分寺と立川に挟まれた未開発の雑木林であったためである。

「くにたち大学町」の中核となるのが一橋大学である。当時は東京商科大学という名称であったが、1923年の関東大震災で都心部のキャンパスが被災したため、震災復興とキャンパス移転を同時に実現すべく移転が実行された。大学町そのものとしては理路整然としているが、キャンパス内の建物の配置がかならすしもそうではないのは、「復興事業的色彩が濃厚」なためだったと著者は指摘している。

このように大学町形成の背景にあったのは1923年(大正12年)の関東大震災があったのだが、それだけではなく、1920年代の「大学昇格運動」があったことも重要である。むしろ後者の流れのなかで、大震災がまったなしの状況として拍車をかけたというべきだろう。

1918年(大正7年)の「大学令」で、東京商科大学、東京工業大学など官立単科大学が誕生1920年には慶應義塾大学、早稲田大学を皮切りに私立大学がぞくぞくと誕生している。1920年は大正時代のまっただなかであるが、普通選挙や労働運動など大衆時代の幕開けであり、高等教育へのニーズがひじょうに高まった時期でもある。

面白いのは、大都市とはいっても東京と大阪、そして名古屋では大学町形成の主体とプロセスが異なることだ。

東京は、民間デベロッパーのビジネスとして宅地分譲と一体型の開発が行われたのに対し、阪神では鉄道会社がミッションスクールを誘致して大学を育成しながら大学町のブランディングを重視した姿勢、大阪は大阪商大(現在の大阪市立大学)が大阪市の都市計画の一環として計画されたのだと著者は整理している。

大学町は学園都市ともいうが、東京の東急沿線に形成された大学町は学園都市というべきかもしれない。田園都市との類比を想起するからだ。

わたし自身、アメリカでもヨーロッパでも、大学都市は多く歩き回ってみたが、大学という制度が誕生したヨーロッパでは、大学はキャンパスに集中しておらず、大学町に分散しているのが当たり前だ。その意味では日本の大学キャンパスはアメリカ型のキャンパスを小規模に再現したといえるかもしれないという感想をもつ。

著者によれば、図書館のタワーの前に広場がある一橋大学や関西学院大学はアメリカ的な意味でのキャンパスの正統だという(P.119)。慶應の日吉キャンパスのように並木道があるのは日本型なのだと。

本書が出版されたのは2010年であり、東日本大震災(2011年3月11日)の前である。大震災の復興事業の一環として大学キャンパスの郊外移転が実行されたことは、「3-11」後の現時点では興味深く感じる。

博士論文をベースにしたものだけに、記述は精緻なものとなっており、やや読みにくいのは否めないが、郊外キャンパスから大学と都市開発を考える視点が面白いので一読の価値はあると言っておこう。




目 次

はじめに
序章 「大学町」の成立背景
第1章 「国立大学町」はいかにつくられたか
第2章 沿線開発と大学町
第3章 大学町の展開とキャンパス・デザイン
第4章 大学をわが村へ-組合による郊外開発と大学町
第5章 近代都市計画の理想とキャンパス
終章 近代都市計画の錬金術
あとがき
参考文献・図版出典

著者プロフィール

木方十根(きかた・じゅんね)
1968年岐阜県生まれ。名古屋大学卒業後、東京藝術大学大学院、名古屋大学助手を経て、鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。専門は、建築・都市計画史。2004年度日本都市計画学会論文奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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城下町と門前町




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