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2017年11月29日水曜日

書評『なぜ私たちは生きているのか ― シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』(平凡社新書、2017)― 人間存在の「個別性」と「一回性」という観点に立ち「見えないもの」を見る感受性を研ぎ澄ます



2017年11月の新刊 『なぜ私たちは生きているのか-シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話-』(平凡社新書、2017)という本を読んでみた。

副題にあるとおり、シュタイナー人智学の日本での第一人者である高橋巌氏とキリスト教神学(・・より正確にいえばプロテスタント神学)の佐藤優氏との3回の対話である。この組み合わせが面白いと思って読んだのだが、自分にとっての主たる関心はシュタイナーであって、キリスト教神学の方は副次的なものだ。

年齢からいったらはるかに先輩にあたる高橋巌氏が、同時代人として読書をつうじて親しみを感じてきたという佐藤優氏に教えを請うようなスタイルになっている。ホストが主催するセミナーにゲストを呼んで対話を行った記録を編集したこともあるのだろうが、やや違和感を感じないではない。

逆にいえば、高橋氏の謙虚な姿勢の現れといえるだろうが、本来的にグノーシス的な傾向のあるシュタイナー人智学への佐藤優の歩み寄りによって対話が成り立っている、という面もあるように思われた。

正直いって、この本を読んでも本書のタイトルである「なぜ私たちは生きているのか」という問いに対する直接的な答えは得られないだろう。そのためには、「見えないもの」に対する感受性を研ぎ澄まさなければならないことが両者に共通する結論であろうか。

「見えないもの」は「神」と呼んでもいいし、それ以外の表現でもいい。ただし、「なぜ私たちは生きているのか」という能動態の問いではなく、「なぜ生かされているのか」という受動態の問いの方が日本人にはしっくりくるような気がする。タイトルは編集者がつけるものだから対話者の意向かどうかはわからないが。

人間存在の、時間と空間における「個別性」と「一回性」という観点に立つ点は両者に共通している。また、ともに「道の途上」にあるという求道者性も共通している。

ともに抽象的な議論はしないという点には共感を感じる。これはキリスト教であろうが、シュタイナー人智学であろうが、仏教であろうが、その他の宗教であれ重要なことだ。

わたくし個人の感想としては、本書で論じられている「国家・資本・宗教」のうち、「宗教」は面白いと思ったが、「国家」と「資本」に関しては、違和感を感じる内容もあったと正直に書いておく。この両者はともに「経済人」ではないからだろう。とくに佐藤優氏の発言は牽強附会なものが多いのは相変わらずだ。

ともにドイツ思想の圧倒的影響下にある人たちだ。 プロテスタント神学はドイツ思想、マルクスもドイツ思想である。シュタイナーはドイツロマン派の流れのなかにある。その意味では、対話者はまったく無縁の立場というわけでもない。

シュタイナー人智学やキリスト教神学といったテーマに関心のある人にとっては読む意味のある本だと思うが、内容については是々非々の評価を下せばよい。

現在の日本では佐藤優氏のほうがはるかに知名度が高いので、本書を手に取る人は圧倒的にそちらからのアプローチが多いと思うが、この本で初めて高橋巌氏について知ることになる人にとっては、ある意味では「シュタイナー入門」の「入門」になるかもしれない。





目 次

はじめに(佐藤優)
  
 I 国家-一人ひとりの時間と空間の共同体
 道半ばを歩く者として
 見えるものと見えないもの
 キリスト教はオカルト?
 ぎりぎりのところで神と出会う
 普遍主義では世界宗教になりえない
 ドイツのキリスト教とナチス
 見えない世界を言語化する
 時間と空間は溶けるのか
 人は形而上学から逃れられない
 日米安保と北方領土問題
 個人と国家と社会
 国家における性の二重構造
 社会の力を強化する
 日本の教育と子どもの未来
 フィクションの力で他者を想像する
II 資本-お金と働くこと
 資本主義の男性原理と女性原理
 お金がすべて?
 プロテスタンティズムと資本主義は関係ない
 現象をとらえる宗教学的手法と内在論理をつかむ神学的手法
 日本文化とキリスト教の女性原理
 生活のなかに植え付けられた資本主義
 労働力の商品化
 見えるお金が見えない心を縛る
 不安定な社会だからこそ必要とされるもの
III 宗教-善と悪のはざまで
 現代人は悪に鈍感
 善と悪のはざまで生きる
 悪はどこから入りどこから去っていくのか
 破壊的な悪の力を包むには
 人間の努力を重視するグノーシス
 意志の力を超えて働く縁と召命
 音楽や本との出会いも召命
 悪は人間の言葉から生まれる
 人間関係のなかにいる神と悪
 愛をリアルに感じるためには
 なぜ私たちは生きているのか

おわりに(高橋巖)


著者プロフィール
佐藤優(さとう・まさる)1960年生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、2009年最高裁で執行猶予付有罪が確定し失職。2014年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。2005年発表の『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『自壊する帝国』(新潮社、大宅壮一ノンフィクション賞)など多数。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


高橋巖(たかはし・いわお)東京・代々木生まれ。ミュンヘンでドイツ・ロマン派美学を学ぶなか、ルドルフ・シュタイナーの著書と出会う。73年まで慶應義塾大学で美学と西洋美術史を担当。その後シュタイナーとその思想である人智学の研究、翻訳を行う。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

■シュタイナー関連

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

シュタイナー研究家の西川隆範氏による仏教書は、教団や教派とは関係のないフリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教を志向する

子安美知子氏の「シュタイナー教育」関連本をまとめて読んで「シュタイナー教育」について考えてみる


■プロテスタント神学関連

書評 『聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか-』(中村うさぎ/ 佐藤優、文藝春秋、2011)-キリスト教の立場からみたポスト「3-11」論

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要


■宗教学関連

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む


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2017年10月22日日曜日

書評『日本教の社会学』(山本七平/小室直樹、ビジネス社、2016 単行本初版 1981)―「日本教」というキーワードで日本社会をあざやかに分析した濃密かつ濃厚で骨太な議論



晴耕雨読というわけではないが、台風接近中の土曜日は読書に専念。2017年10月22日(日)は衆議院総選挙の投開票日だが、季節外れの超大型台風が日本列島を直撃している。

昨年末に購入したが未読だった『日本教の社会学 ― 戦後日本は民主主義国家にあらず-』(ビジネス社、2016)を読む。

この本は、規格はずれの「知の超人」であった小室直樹氏と、おなじく在野の骨太の思想家であった山本七平氏の共同作業による共著。1981年に出版された本だが、長らく絶版となっていたものが昨年ようやく復刊されたものだ。

山本七平が提示した「日本教」というキーワードを、小室直樹が社会科学の観点から現実分析のツールとして鍛え上げた試みである。

「神学」という観点からみた「日本教」の分析はきわめて知的刺激に富んでいる。教義(ドグマ)、救済儀礼(サクラメント)、神議論(テオディツェー)。いずれも聞き慣れない用語だが、有効な分析概念だ。キリスト教徒で聖書関係の出版社を経営していた山本七平と、超人的ともいえる学者・小室直樹の対談形式だが、濃厚で濃密な内容で飽きが来ない。

「日本教」というのは、日本人が暗黙のうちに従わざるを得ない「見えない宗教」のようなものだ。仏教だろうが、キリスト教だろうが、結局は日本流に改造されてしまう理由がそこに求められる。マルクス主義もまた同様だ。

この観点から分析すると、近代以降の日本社会は「戦前」も「戦後」も基本的に変化していないとわかる。いままさに総選挙の最中だが、日本社会はほとんど何も変わっていないのだなと思わざるを得ない。だが逆にいえば、日本社会の基本的構造とメカニズムが理解するには、これ以上ないといっていいほどの分析ツールになっていると思う。

本書のなかで、なんといってもいちばん興味深いのは最終章である「第9章 日本資本主義精神の基盤-崎門(きもん)の学」で詳細に取り上げられている浅見絅斎(あさみ・けいさい)の思想だ。
  
浅見絅斎は、17世紀後半から18世紀にかけて生きた儒学者で独創的な思想家だが、その圧倒的影響が「明治維新革命」につながったとする議論。なぜか現在では、ほぼ完全に忘れ去られて顧みられることのない思想家だが、その「(政治的)正統性」にかんする議論が「尊皇思想」を生み出した点は、大いに注目しなくてはいけないだろう。

小室直樹と山本七平の両氏は、1980年代には当時の「知的ビジネスマン」(・・あえてマンと書いておく)に多大な影響力のあった人たちだが、すでに亡くなってから久しい。したがって、1981年に出版された本書の内容も、出版当時の時事的話題など部分的には古くなっている点は否定できないが、それでも内容的には現在でも十二分に説得力がある。

山本七平氏は、日本人を無意識に動かしている「空気」について最初に指摘した人として現在でも記憶されているだろう。さらに「日本教」という概念を提示した点も記憶されるべきだろう。

骨太な議論が好きな人には、ぜひ薦めたい本だ。


(画像をクリック!)


目 次

まえがき(小室直樹)
第1部 日本社会の戦前、戦後
 第1章 戦後日本は民主主義国家ではない
 第2章 戦前日本は軍国主義国家ではない
第2部 神学としての日本教
 第3章 宗教へのコメント
 第4章 日本教の教義(ドグマ)
 第5章 日本教の救済儀礼(サクラメント)-自然、人間、本心、実情、純粋、序列、結婚
 第6章 日本教における神議論(テオディツェー)
 第7章 日本教ファンダメンタリズム
第3部 現代日本社会の成立と日本教の倫理(エティーク)
 第8章 日本資本主義の精神
 第9章 日本資本主義の基盤-崎門(きもん)の学
「まとめ」-あとがきにかえて(山本七平)



著者プロフィール

山本七平(やまもと・しちへい)
1921年東京生まれ。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。以後、「日本人論」で社会に大きな影響を与えてきた。その日本文化と社会を分析する独自の論考は「山本学」と称される。評論家。山本書店店主。1991年逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


小室直樹(こむろ・なおき)
1932年東京生まれ。京都大学理学部数学科卒業。大阪大学大学院経済学研究科、東京大学大学院法学政治学研究科修了(東京大学法学博士)。この間、フルブライト留学生として、ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学各大学院で研究生活を送る。2010年逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<ブログ内関連記事>

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・山本七平といえば「空気」

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む
・・これぞ本当の「知の巨人」であった小室直樹

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・「著者は、集英社インターナショナル社長時代に、小室直樹には『痛快!憲法学』、『日本人のための憲法原論』や『日本人のためのイスラム原論』など書かせた編集者」

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

『雨夜譚(あまよがたり)-渋沢栄一自伝-』(長幸男校注、岩波文庫、1984)を購入してから30年目に読んでみた-"日本資本主義の父" ・渋沢栄一は現実主義者でありながら本質的に「革命家」であった
・・本書の「まとめ」で、日本の近代資本主義を用意した「勤労のエトス」と「町人的合理性」、そして「下級武士のエトス」を合わせ持っていた具体的人物として渋沢栄一を取り上げている

『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!


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2015年8月26日水曜日

『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』(沓掛良彦/横山安由美訳、岩波文庫、2009)― 岩波文庫らしからぬタイトルで新訳された西欧中世の古典を読む



アベラールとエロイーズというのは、男女の名前の組み合わせのことだ。カップルであったが、ある事件のために引裂かれたカップルである。そしてその後、両者のあいだにかわされた往復書簡によって永遠に記憶されることとなった。

『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』(岩波文庫、2009)は、かつて 『アベラールとエロイーズ 愛と修道の手紙』(畠中尚志訳、岩波文庫、1939)として訳出されていた11通の往復書簡のうち、「愛の手紙」5通を取り出して新訳されたものである。70年ぶりの新訳だけに日本語の訳文も新鮮で読みやすい。

アベラールは高名な神学者で哲学者。知性と美貌を兼ね備えたエロイーズはその弟子で愛人、男子を出産し、のちには妻になった女性。ともに 11世紀フランスの実在の人物である。

『愛の往復書簡』なんていうと、なんだか小説家・渡辺淳一の作品のタイトルのようだ(笑)。とくに第一書簡「厄災の記-アベラールから友人への慰めの手紙」の内容は、設定を現代に変えて、キリスト教神学と哲学の話題を抜いてしまえば、そのまま通用してもおかしくないだろう。

『失楽園』だって不倫小説のタイトルになってしまうぐらいだからね。原作の『失楽園』はミルトン作の17世紀英文学の古典。アダムとイブが主人公の、楽園喪失をテーマにしたキリスト教文学なのだが・・


(『薔薇物語』の手書き本に描かれたアベラールとエロイーズ wiikipediaより)


『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』の第一書簡「厄災の記」は、端的にいえば、出世街道の真っ只中にあった男、すなわちアベラールが、相手の女性(=エロイーズ)の父親の指示によって寝込みを襲撃され、男性機能を停止させられた事件のことである。一言でいってしまえば、法に頼らずに私的制裁として相手男性の「去勢」が実行された事件ということだ。

だが、これでは現代日本でもつい先日発生したばかりの事件に酷似している、というだけに終わってしまうかもしれない。さすがに岩波文庫から出版されている「古典」であるから、「岩波文庫解説」から内容紹介を引用しておこう。

世にも名高い恋の顛末──アベラールの自伝「厄災の記」が語る神学者の栄光と蹉跌,運命の出会いと去勢事件,修道士への転身と教会の迫害.神に身を献げた男に,出産と秘密結婚をへて今や「神なき修道女」となったエロイーズがなおも綴る想いとは? 中世古典の白眉から名高い手紙を新訳.男の最期を伝える資料を付す.

「不幸で不名誉な事件」が起こったのは、アベラールが38歳頃の壮年で、まさに男として油が乗ってきた頃である。エロイーズとの年齢差は22歳。家庭教師先で先生と生徒の関係であったのだが・・・。

中世のキリスト教神学者は結婚を許されないので、結婚を秘密にし露見しないようにしたのだが、男のずるさを感じないわけではない。だが、じっさいはその逆で、エロイーズのほうが結婚を望まなかったようだ。これは本文を読むとわかる。

「事件のてんまつ」については、アベラール自身に語ってもらうのがいいだろう。第一書簡「厄災の記-アベラールから友人への慰めの手紙」から該当箇所を引用してみよう。


エロイーズの親族と彼らに近しい人々は、私が彼らをまんまと欺いて、厄介払いをしようとして彼女を修道女にしたものと思ったのでした。そこで彼らは怒り狂って、私に対する復讐を企てました。ある晩のこと、私が自宅の奥まった部屋で静かに眠っておりましたときに、カネを握らせて私の召使の一人を買収し、残酷きわまりない、この上なく恥ずべき復讐を私に加えて、世人を驚愕させたのです。つまりは彼らは、彼らの不満を買った行為を私がなした、私の体の一部を切断したのでした。犯人はただちに逃走しましたが、そのうちの二人は捕らえられて、眼をくりぬかれ、性器を切り取られました。二人のうちの一人は、今申しました召使で、私の身辺に使えていた男ですが、カネに目がくらんで、私を裏切ったのです。(P.39)

キリスト教哲学者の中で最も偉大であったかのオリゲネスも、女性たちにも宗教教育をほどこそうとするにあたって、こういう疑惑を身辺から一掃するために、自分の体に手を下したと、『教会史』第6巻に出ています。
この点に関しましては、神の御慈悲はオリゲネスの場合よりも、私により穏やかなところをお見せになったと思っておりました。オリゲネスのしたことは思慮を欠く行為だと思われていますし、それによって小さからぬ罪を犯したものとされます。私の場合は、それを行った他人が罪をかぶっているのであって、私を同じ罪から解放するためになされたことは、ごく短い時間にとっさになされたので、苦痛も少なかったのです。犯人たちが私に手を下したとき、私は熟睡していましたので、ほとんど苦痛を感じませんでした。・・後略・・ (*太字ゴチックは引用者=さとう (P.81~82)


本文には具体的な描写はないが、訳者注には「睾丸が切り取られたのである」、とある。ブタの去勢を業とする者たちが雇われたそうだ。肉をやわらかくするための去勢は、牧畜文明圏では普通に行われている。「去勢」は西欧中世でも当然のことながら行われていたわけだ。

引用文には、「熟睡中だったので、ほとんど痛みは感じなかった」とあるが、それ以上の具体的な記述はない。もしそうだとすれば、そうとうに深い完全熟睡状態だったということになるが・・・。

わたしはこの新訳を読むまで、アベラールは局部全体を含めた「完全去勢」されたと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。初期近代の美声を誇った歌手のカストラートたちと同じである。アベラールは、自分の強い意思でみずから去勢した神学者オリゲネスについて言及しているが、オリゲネスの場合も同様なのだろう。ちなみに『教会史』とは、かの有名なエウセビオスによるものだ。

アベラールについてのエピソードは、中央公論社版『世界の歴史』の別巻の「小辞典」を、たまたま中学生の頃に読んだときに知ったものだ。その猟奇的な事件は、それ以来アタマにこびりついたことはいうまでもない。そもそもエロイーズという女性名に感じるものがあるだけでなく(・・エロイーズのつづりは Heroise でありエロとはまったく関係ない。念のため)、男には去勢恐怖というものがあるからだろう。フロイトだっただろうか? 

そんなこともあって、岩波文庫旧版の『アベラールとエロイーズ 愛と修道の手紙』を、中世史への関心とからめて、30年以上前の大学2年の頃に読んだのだが、正直いって「愛の手紙」はさておき、「修道の手紙」はまったくもってつまらなかった。書簡の内容が、神学論のウェイトが高まるにつれて、面白みがなくなるのは仕方がない。その意味では、「愛の手紙」だけを訳出した今回の新訳は正解である。

なんせ、アベラール(1079~1142)は中世哲学史においては「唯名論」(=ノミナリズム)の創始者である。「オッカムのかみそり」で有名なフランシスコ会士のウィリアム・オッカムはその流れのなかにあり、英米派の哲学は「唯名論」の傾向が強いことを考えれば、アベラールについて知っておくことに損はない。「唯名論」の対概念は「実在論」である。

猟奇的な事件への関心が動機であっても、まったくかまわない。ぜひ 『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』を読んでみることを薦めたい。

エピソードを中心に、人物について知ってから、その学説について知るというのは、けっして遠回りではない。


(画像をクリック!)



PS アベラールの学説については、『普遍論争-近代の源流としての』(山内志朗、平凡社ライブッラリー、2008)を参照。中世哲学についての入門書として有用。


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<ブログ内関連記事>

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?
・・中世に誕生し、特権的地位をおっていた大学という制度。パリ大学は神学の分野ではぬきんでた存在であった

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・沓掛良彦氏によるラテン語からの新訳

「雛罌粟(コクリコ)の花の咲く季節」に世を去った渡辺淳一氏のご冥福を祈ります(2014年5月)

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典


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2013年5月26日日曜日

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む ―「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要




ふとしたキッカケから、買ったままほったらかしにしていた『はじめての宗教論』二部作を思い立って読んでみました。

『はじめての宗教論 右巻-見えない世界の逆襲』(佐藤優、NHK生活人新書、2009)。
『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)

結論から先にいえば、『右巻』はじつに面白い。ぜひ読むことを薦めたいと思います。『左巻』も面白いですが、おのずから読者を選ぶ本だといっていいでしょう。

「見えない世界」の認識の重要性を理解し、自己啓発やマルチ販売などの「宗教と名乗らない宗教」への免疫をつけることができるために、『右巻』だけでも読むべきだと思います。

著者は元外交官でインテリジェンスの専門家。いわゆる「国策捜査」というコトバを一般語にした人ですね。最高裁では結局のところ勝てませんでしたが。


■プロテスタント神学の立場による「見えない世界」へのアプローチ

しかも著者は、同志社大学神学部卒という異色の経歴をもっています。プロテスタントのなかでも、もっとも厳格なカルヴァン派。いわゆる予定説。あらかじめ救済されることがわかっているので、投獄されても苦ではなかったようです。

そんな著者がプロテスタント神学の立場から書いたキリスト教神学入門。宗教学者ではなく神学研究者の立場から書いた本ということに意味があり、差別化されているわけです。

わたしも含めて一般読者は「神学」の本などめったに読むものではありませんので、その意味でも著者の存在は貴重なものがあるといえましょう。

「神学」といえば、高校世界史の授業で耳にしたこともあるでしょう。「哲学は神学の婢(はしため)」トというフレーズに登場する神学です。カトリックが支配的であったヨーロッパ中世の神学者のコトバです。

ここでいう哲学とは狭い意味の哲学ではなく、いわゆるリベラルアーツとして総称される七自由学芸のことをさしています。具体的にいえば、文法学・修辞学・論理学の3学、それから算術・幾何・天文学・音楽の4科のことを指しています。

中世においてはリベラルアーツの基礎のうえに、神学あるいは医学、法学という「実学」が学ばれました。現在でも欧米の総合大学は神学部からはじまったものが少なくありません。

神学といえば「虚学」というイメージがつよいかもしれません。しかし神学は「実学」でもありました。そのわけはキリスト教の聖職者養成のための学問であるからです。

神学は「見えない世界」にアプローチするための学問であり、諸学の頂点に位置づけられていたということにキリスト教世界の構造を知ることができます。

近代化を西洋近代化という形で体験することになった日本は、当然のことながら西洋キリスト教文明の圧倒的な影響のもとにあります。

しかし、著者が述べるように、「コルプス・クリスティアヌム」(Corpus Christianum)、すなわち、「ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統 × ギリシア古典哲学 × ローマ法」が混在一体となった西洋のキリスト教共同体から、キリスト教だけを抜いて導入したのが日本近代でありました。

西欧におけてはキリスト教の神が位置するところに、国家神道をもってそれに代替させたのが近代日本です。敗戦後はその国家神道が否定された結果、空洞のまま放置されて現在に至っています。

明治以降の近代日本にはキリスト教的なものは充満していますが、もっぱら風俗として受容されたにとどまり、ましてや神学なる学問が学問の世界で正当な位置づけをもっているのは、神学部をもっているキリスト教系の大学の一部に限定されます。そのため、一般の日本人には神学とは神学論争というフレーズで揶揄する以外につかわれることはありません。

とはいえ、キリスト教の神学的思考法の枠組みくらいはアタマで理解しておいたほうがいいということでしょう。キリスト教神学の枠組みをとおして「見えない世界」を見るというアプローチは重要ですし、キリスト教がバックボーンにある西洋文明を理解しておかないと、ヨーロッパもアメリカも理解することができません。


■『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』

 『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)は、「近代」とは何であったのか、その限界を考えるためには面白い本です。

近代になって前面にでてきたナショナリズムは、キリスト教が後退したことによって優勢となった「宗教」であること、そしてその端緒をつくったのが18世紀ドイツの神学者シュライエルマッハーの思想であることにあります。

著者はこう書いています。

初期の著作『宗教論』(1799年)で「宗教の本質は直観と感情である」と定義し、晩年の著作『キリスト教信仰』(1821~22年、第二版1830年)では「宗教の本質は絶対依存の感情である」と定義したのです。その結果、神は天上ではなく、各人の心の中にいることになりました。神を「見えない世界」にうまく隠すことに成功したと言っていいかもしれません。・・(中略)・・自らの心の中に絶対的存在を認めることで、人間の自己絶対化の危険性が生じたわけです。・・(中略)・・近代とはナショナリズムの時代です。ナショナリズムの台頭を背景に、心の中の絶対者の位置にはネイション(民族)が忍び込んでくる。ここに、国家・民族という大義の前に人が身を投げ出す構えができあがってしまいました。(P.13~14) *太字ゴチックは引用者=わたし

近代世界においてはキリスト教から外部絶対者としての神が背景に退き、その結果として強化されたナショナリズムが第一次世界大戦という惨事を招くことになったわけです。第一次大戦後に登場したのがカール・バルトの神学である、と書かれています。

哲学者ニーチェが「神の死亡宣告」をした以降、キリスト教が後退したという理解が一般的ですが、プロテスタント神学の立場からは、それとは異なる観点から説明がなされるのが興味深いですね。

このテーマであれば、『ナショナリズムの起源をシュライエルマッハー神学で解く』とでも題して別個の書籍にしたほうがよかったかもしれません。

ですからキリスト教徒ではない一般読者にとっては、かならずしも問題意識を共有するわけではないので、プロテスタント神学入門である『左巻』はあまり面白くないかもしれません。あくまでもそういうものの見方もあるといったた程度で問題ないでしょう。読むのは『右巻』だけで十分だと思います。

とはいえ、『右巻』と『左巻』は別々に読んでも意味がわかるようにしてあると著者は言っていますが、『右巻』に書いてあることを前提にしないと理解しにくいと思います。


■外部性、すなわち「見えない世界」を認識することが必要だ

「見えない世界」を認識することの重要性、その方法について、プロテスタント神学の立場から考察したものです。

「見える世界」がすべてだと思い込むのは傲岸不遜(ごうがんふそん)であり、「見えない世界」の逆襲を受けてしまうためでありますね。これは「3-11」で日本人が、大津波や原発事故による放射能汚染で痛烈に体験したことであります。

「見える世界」だけで捉えていたのでは足をすくわれます。「見えない世界」を感じ取り、読み解くチカラは絶対に必要なのです。

そのためのアプローチとしてキリスト教神学が役に立つというのが著者の立場です。とはいえ、キリスト教徒ではない一般読者が神学まで勉強する必要はない。神学的思考法の枠組みがわかればそれで十分でしょう。また、その立場には立たない人は、それぞれ異なるアプローチを探求すべきことを示唆してくれている本だといってよいかと思います。

わたしもこの本を読んでアタマのなかがかなり整理できました。きわめて読みやすく、アタマに入りやすい本です。騙されたと思って、ぜひ読んでみるといいでしょう。



『はじめての宗教論 右巻-見えない世界の逆襲』(佐藤優、NHK生活人新書、2009)
目 次

序章 「見える世界」と「見えない世界」-なぜ、宗教について考えるのか?
第1章 宗教と政治-神話はいかに作られるのか?
第2章 聖書の正しい読み方-何のために神学を学ぶのか?
第3章 プネウマとプシュケー-キリスト教は霊魂をどう捉えたのか?
第4章 キリスト教と国家-啓示とは何か?
第5章 人間と原罪-現代人に要請される倫理とは?
第6章 宗教と類型-日本人にとって神学とは何か?
ブックガイド
あとがき


『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)
目 次

序章 キリスト教神学は役に立つ-危機の時代を見通す知
第1章 近代とともにキリスト教はどう変わったのか?
第2章 宗教はなぜナショナリズムと結びつくのか?
第3章 キリスト教神学入門(1)-知の全体像をつかむために
第4章 キリスト教神学入門(2)-近代の内在的論理を読みとく
第5章 宗教は「戦争の世紀」にどう対峙したのか?
第6章 神は悪に責任があるのか?- 危機の時代の倫理
ブックガイド
あとがき

著者プロフィール  
佐藤 優(さとう・まさる)1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了。著書に『国家の罠』(新潮社、毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮社、新潮ドキュメント賞と大宅壮一ノンフィクション賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

書評 『聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか-』(中村うさぎ/ 佐藤優、文藝春秋、2011)-キリスト教の立場からみたポスト「3-11」論
・・こちらを先に読んだほうがいいかもしれない。わたしは結果としてそうなったが、「3-11」は日本人にとてはまさにカイロス的時間の強烈な体験として刻みこまれることになった。以下、該当箇所を再録しておく。

「時間には二種類あるという論点だ。それは、クロノス と カイロス という二種類の時間についてである。ともにギリシア語で時間をあらわすコトバだが、クロノスは一般につかう時間の意味。時系列で連続している物理的な時間のことである。
 一方、カイロスはエピソードによって切断され時間のことである。エピソードとエピソードのなかにつなげられた時間のこと。
 日本人の歴史認識も、その意味ではカイロス的であるといえる。「戦前」と「戦後」といった時代区分は、大東亜戦争というカイロス的時間によって分断されたもの。
 その意味では、「3-11」によって、あらたな時代認識が発生したのは当然のことなわけだ」

本の紹介 『交渉術』(佐藤 優、文藝春秋、2009)


■キリスト教とキリスト教神学

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
・・ハーバード大学神学大学院について

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに


■神なき時代にキリスト教世界に生まれた全体主義

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・「第4章の「キリスト教の失敗」については、全体のなかではちょっと異質な感じのする章である。背景となる文脈はいまひとつ読みにくいということがある。・・(中略)・・知的エリートたちが「経済人」モデルの問題点を解決するためにキリスト教倫理に戻ってきたのに対し、一般大衆は慣習以上の関心をキリスト教に対しては抱いていなかったということが指摘されているのだ。つまり、キリスト教はすでにヨーロッパにおいて熱情を失っていたことであり、そのために宗教的な熱情をともなう「全体主義」に引き寄せられたという分析だ」

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・日本人の若手宗教学者による必読書


■プネウマ(息・気・霊)

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・プネウマ(息、気、霊)について

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・キリスト教徒・山本七平の「空気」はプネウマの訳語である

(2014年8月14日 情報追加)


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