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2025年2月7日金曜日

書評『ヤンキーと地元 ― 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(打越正行、ちくま文庫、2024)―「つかえない内部観察者」という立ち位置による「参与観察」の成果

 


10年にわたって底辺に生きる若者たちとともに行動をともにし、「参与観察」というフィールドワークによって調査を行ってきた社会学者による、読み応えのある渾身の一冊だ。 

この本の存在を知ったのは、じつは著者の訃報をネットニュースで知ってからだ。 昨年2024年12月9日に45歳で急逝した著者。さっそく検索して本書の存在を知った。 

しばらく品切れになっていが、入手したのは12月25日付けの第3刷。だが、2024年11月10日が初版の本書には、著者の死去についてはなにも記されていない。「追記」が必要だと思うのだが・・・ 

ここに記されているのは、2007年から10年間に及ぶ「つかえない内部観察者」という立場による究極の「参与観察」の記録。寝食をともにし、行動をともにしてこそ見えてくるものがある。その記録としてのエスノグラフィー(民族誌)である。 

食えない人文系の研究者である著者は、クラウドファンディングによる支援で、単行本としてまとめ上げることができた。本書は著者にとっては研究の区切りとなるものであり、文字通り代表作となった(・・なってしまった、と言うべきか)。 

登場人物は、著者以外は匿名にしてあるが、リアルな人間の顔の見える、読み応えのある私的ノンフィクションとして読むことも可能だ。 

著者は、文庫版に収録された「補論 パシリとしての生き様に学ぶ」で、「参与観察における調査者の立場」2軸マトリクスで4つに分類している。

関係性としての「部外者/内部者」をヨコ軸に有用性としての「つかえる/つかえない」をタテ軸にした4象限である。以下に示した③と④がいわゆる「参与観察」である。


①つかえない部外者
②つかえる部外者
③つかえる内部関係者
④つかえない内部関係者 


調査対象の内部に入り込む「参与観察」においては、「内部関係者」となることが求められるわけだが、「つかえる」か「つかえない」という違いが、意外と大きな意味をもってくることが、著者自身の「パシリ」としての立ち位置の記録から見えてくる。 それは「寄り添う」などという美辞麗句で表現されるものではない。

著者自身の「自分史」から、おのずと見いだされてきた立ち位置。これは著者独自の希有なものだと言わざるを得ないが、同時に、誰にでもその人なりの立ち位置というものがあることも示唆している。著者とおなじであるハズがないのだから。


(先行する社会学者の佐藤郁哉氏による『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社、1984)は、カメラマンという属性によって「参与観察」した成果)


結論めいたものがいっさい記されていない本書だが、間違いなく言えるのは、2007年から10年にかけての、「地元」に生きる沖縄の若者たちの、声にならない声を拾い上げ、記録として残されたことだ。 

読者としては、安直な要約で済ませてしまうのではなく。あくまでもその記録を記録として受け取るべきなのだろう。 

●この記録は沖縄固有のものなのか、それとも日本社会全体に共通するものでもあるのか? ●少子化が進むなか、沖縄の現場労働における外国人労働者の状況は?  

などなど、そんな問いの数々が誘発されるのは、この本に記された内容が、それだけリアルなものだからなのだ。 


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目 次
はじめに 
第1章 暴走族少年らとの出会い 
第2章 地元の建設会社 
第3章 性風俗店を経営する 
第4章 地元を見切る 
第5章 アジトの仲間、そして家族 
補論 パシリとしての生き様に学ぶ ー その後の『ヤンキーと地元』 
解説 打越正行という希望(岸政彦) 
初出一覧 
調査実施一覧 
生活史インタビュー・実施記録 
参考文献

著者プロフィール
打越正行(うちこし・まさゆき)
1979年生まれ。社会学者。2016年、首都大学東京人文科学研究科にて博士号(社会学)を取得。文庫版出版当時、和光大学現代人間学部専任講師、特定非営利活動法人社会理論・動態研究所研究員。2024年12月9日に45歳で急逝。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆修正)


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2022年6月23日木曜日

書評『ANTHRO VISION(アンスロ・ビジョン)人類学的思考で視るビジネスと世界』(ジリアン・テット、土方奈美訳、日本経済新聞出版社、2022)―「見えないもの」を視る、「聞こえない声」を聞くための思考のフレームワークとは

 


たいへん面白い本だった。知的ビジネスパーソンのためのビジネス書というべきだろう。昨年2021年に原書から出版されるのを知って、ぜひ読みたいと思っていた。そうこうしているうちに、ことしの1月に日本語訳がでたので、翻訳版で読むことにした。 

帯には、「なぜ経済学やビッグデータ分析は問題解決に失敗するのか。」という問いが書かれている。その問いに対する著者の答えが「ANTHRO VISION」すなわち「人類学的思考」である。 

「ANTHRO」とは「Anthropo-logy」(人類学)の略称であるが、もともとはギリシア語で「人間」を意味する「Anthropo」からきている。「Anthropo-cene」は「人新世」、「Anthropo-sophy」は「人智学」である。 データの背後にある「人間」を見よ、というメッセージでもある。

全体を「俯瞰」する「鳥の目」だけでなく、個別具体的な事象を「観察」する「虫の目」の必要性である。この両者が必要なのだ。 

「アウトサイダー(=外部観察者)であって、かつインサイダー(=中の人)」である。あるいは、「インサイダーでありながら、アウトサイダーとして距離をとって見る」という視点でもある。 

「相異なる2つの視点」を持ち合わせることなのだ。 


(英国版の副題は、How Anthropology Can Explain Business and Life)


人類学の博士号をもつ著者は金融ジャーナリストとして長銀破綻を本にしている

著者は、英国のFT(フィナンシャル・タイムズ)の記者で、現在はFT米国版の編集委員会委員長を務めている。30年の経験をもつベテラン・ジャーナリストである。 

そんな著者がこのような本を書いたのは、ケンブリッジ大学で「社会人類学*」で博士号(Ph.D)を取得した人でもあるからだ。

ソ連崩壊前、中央アジアのタジキスタンでのフィールドワークがその出発点にある。 小さな村に3年暮らして、社会主義政権下のムスリムたちの婚姻慣習を観察して博士論文を書き上げた。そんなバックグラウンドの持ち主なのである。

*英国では「社会人類学」、米国では「文化人類学」という。先日亡くなった中根千枝博士は「社会人類学者」を名乗っていた。

この本は、人類学者として出発した著者の半自叙伝といった形をとっているが、読者もまた著者とともに、この30年間の激変を振り返ることにもなる。 

ソ連崩壊とグローバリゼーション、リーマンショックなどの金融危機、インターネットが社会基盤となってスマホとSNSが普及、地球環境問題が待ったなしの状態となり、パンデミックにも襲われた。ビジネスと社会をめぐるコンテクストの変化はすさまじい。

そんななかでも、「第10章 モラルマネー-サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由」は読み応えがある。ソ連崩壊によって東西問題が終わり、環境問題の観点から南北問題が浮上したのが1990年代のことだ。持続可能性(サステイナビリティ)が中心テーマとなってきた。 

著者の名前を知ったのは、2003年に出版された『Saving the Sun: A Wall Street Gamble to Rescue Japan from Its Trillion-Dollar Meltdown』というノンフィクションを読んでからである。 


 

その後、『セイビング・ザ・サン-リップルウッドと新生銀行の誕生』というタイトルで翻訳されたこの本は、バブル経済崩壊後の日本の金融危機を、長銀(いまは亡き日本長期信用銀行。R.I.P.)を中心に描いたものだ。著者は、FT記者として5年間日本に駐在経験をもっている。  

そう考えると、著者は金融ビジネスを中心に日本社会をフィールドワークしていたこのになるわけだ。ただし、その時点では著者は人類学者としてのバックグラウンドは公にしていなかった。


■「異文化マネジメント」と重なる問題意識

「第2章 カーゴカルト-インテルとネスレの異文化体験」には、ネスレ日本の「キットカット」の事例が登場する。「きっと勝つど」である。この事例は、日本のビジネスパーソンにとってはなじみ深いものであろう。 

この例でもわかるように、著者のいう「人類学的思考」は、ある意味では「異文化コミュニケーション」や「異文化マネジメント」と重なり合う部分がある。

「第5章 企業内対立ーなぜGMの会議は紛糾したのか」などは、その最たるものだ。

「会議」の意味づけがことなる出身者があつまった合弁企業における事例だが、おなじ会社のなかでもよく経験するコミュニケーションギャップである。 部門による違いは、ときにコミュニケーションを阻害する要因になりかねない。


(米国版の副題は、A New Way to See in Business and Life)


■欧米企業では人類学者を多用している!

読んでいて驚かされたのは、米国を中心とした欧米企業では人類学者を雇用しているケースがじつに多いという事実だ。 

「見えないものを視る、聞こえない声を聞くため」に人類学の専門教育を受けた研究者を雇用しているのである。ハイテク企業の設計者やエンジニアの直線的思考の盲点を補うための手段だという。 

日本企業でも、かなり昔から顧客を知るため、現場レベルでさまざまな手法を工夫し実践してきたが、さすがに人類学で博士号を取得した研究者を雇用する習慣はないようだ。 

欧米社会と日本社会では、「博士号」という「学位」の意味合いと位置づけが異なるためだろう。これじたいが社会学や人類学の研究テーマになりうることだ。「センスメーキング」のテーマでもある。 

個人的には、1980年代の社会科学系の大学で学生時代を送ったわたしは、当時流行していた「ニューアカ」(・・ニューアカデミズムの略。中心にいたのは浅田彰や中沢新一)の影響もあって、文化人類学者の山口昌男の本を中心に、人類学関連の本はかなり読んできた。専攻は社会人類学にするか、社会言語学にするか迷ったくらいだ。最終的に社会史(歴史学)にしたのではあったが。 

大学卒業後は、自分自身は研究者ではないので論文は書かないが、マインドセットとしては、ビジネス社会をフィールドワークしてきたつもりだ。「インサイダー」でありながら「アウトサイダー」の視点をもちながら。

そんなこともあって、本書に登場する人類学者の名前や人類学の専門タームにはなじみがあって、大いに楽しみながら読んだのだが、おそらく一般のビジネスパーソンにとっては、はじめて聞く名前や概念ばかりだろう。 

分が知らない「未知」の遭遇は、それじたいが「異化」効果をもたらすものだ。とはいえ、人類学的思考をビジネスと社会を理解するためのツールとして、使いこなすには不親切というべきではないか。 

日本語版には「人名解説」や「用語解説」を付加価値としてつけるべきだったのではないか。日本語訳がこなれた訳文になっているのに、もったいないことだ。


■「データ分析と人類学」の組み合わせも必要に

スティーブン・ジョブズの「テクノロジーとリベラルアーツの接点」が重要だというフレーズは、もっぱら製品開発にかんするものだが、変化のスピードが激しい「VUCAの時代」には、ビジネスと社会を理解するためには、著者がいうように「データ分析と人類学」の組み合わせも必要となる。 

もちろん、かならずしも「人類学」でなくてもいい。著者もまた、広い意味での「社会科学」として、「社会学」や「人類学」、「エスノグラフィー」をあげている。個々の人間を見ることが必要であり、「人間と人間の関係性」を見る視点が重要なのだ。 

ビジネスもまた、広いコンテクスト(=文脈)に位置づけて考える必要がある。社会のなかの一つの構成要素として存在しているからだ。 

「応用人類学」ともいうべき本書を読んで、ビジネスを異なる視点で見る習慣を身につけるキッカケにしてほしいものである。 

と、ここまで書いて、わたしの著者デビュー作『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)のテーマがまさにそれであったことに、あとから気がついた。自分が実践してきたことは、ジリアン・テット氏の主張とまったくおなじではないか!



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目 次
まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス 
第1部 「未知なるもの」を身近なものへ 
 第1章 カルチャーショック-そもそも人類学とは何か
 第2章 カーゴカルト-インテルとネスレの異文化体験
 第3章 感染症-なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
第2部 「身近なもの」を未知なるものへ
 第4章 金融危機-なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
 第5章 企業内対立-なぜGMの会議は紛糾したのか
 第6章 おかしな西洋人-なぜドッグフードや保育園におカネを払うのか
第3部 社会的沈黙に耳を澄ます
 第7章 「Bigly」-トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
 第8章 ケンブリッジ・アナリティカ-なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
 第9章 リモートワーク-なぜオフィスが必要なのか
 第10章 モラルマネー-サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
結び アマゾンから Amazon へ―誰もが人類学者の視点を身につけたら
あとがき 人類学者への手紙
謝辞
参考文献
原註


著者プロフィール
ジリアン・テット(Gillian Tett)
ケンブリッジ大学にてPh.D.取得(社会人類学専攻)。1993年から “フィナンシャル・タイムズ” 紙にて記者として活躍、ソ連崩壊時には中央アジア諸国を取材した。1997年から2003年まで同紙東京支局長。その後、英国に戻り同紙の名物コラム「LEXコラム」の副責任者。現在はFT紙アメリカ版の編集長であり、FT紙有数のコラムニストでもある。2007年には金融ジャーナリストの最高の栄誉「ウィンコット賞」を、2008年には「ブリティッシュ・ビジネス・ジャーナリスト・オブ・ジ・イヤー賞」を、また2009年には『愚者の黄金―大暴走を生んだ金融技術』で「フィナンシャル・ブック・オブ・ジ・イヤー賞」を、金融危機の報道でイギリス新聞協会の「ジャーナリスト・オブ・ジ・イヤー賞」を受賞している。そのほか、ベストセラーになった『サイロ・エフェクト』がある。(各種資料をもとに編集)。


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・・日本でも大企業から取り組みが始まっている


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2021年1月26日火曜日

書評『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子、文春新書、2021)― 認知症になっても「在宅ひとり死」は可能!

 


この本は、やさしく書かれているがデータを駆使した社会学の本でもある。自分の生き方そのものを研究テーマにしているわけだ。現在72歳の社会学者である上野氏は、「孤独死」という表現には違和感を示して、「在宅ひとり死」を提唱している。

わたくし事であるが、昨年2020年4月に父が亡くなってから、母も「おひとりさま」となったわけだが、その後も住み慣れた自宅で過ごしている。息子である自分は同居していない。お互いそれがいちばんいいと思っている。現在のところ認知上の問題はなさそうだ。 




母は、最後は介護施設に移るといっているのだが、上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」シリーズの最新の本を読むと、かならずしも最期を施設で迎える必要はなさそうだ。しかも、認知症になっても在宅死は問題ないのだと。 

というのは、著者によれば、介護保険制度20年の歴史で、ずいぶん現場には経験が蓄積されているからだ。しかも、かつては「ぼけ」といっていた認知症は誰もがなる可能性が高い。それだけでなく、施設に入ったことで、かえって症状を悪化させるケースも多い。

誰だって住み慣れた自宅にいたいというのが本望だろう。誰が、なにも好き好んで年取ってから、あらたな人間関係の構築が必要な施設に移りたいと思うのだろうか。施設内での虐待のニュースも報道で耳にすることも多いではないか。

現時点では、まだ自分自身の問題ではない(と思って)いても、人間は間違いなく100%死ぬのであるから、いずれこの問題にはきちんと対応しなくてはならなくなる。

誰が言ったか忘れたが、「よく死ぬことは、よく生きることである」からだ。 だからこそ、こういう本を読むことは、生きるうえで重要な「教養」となる。平均寿命の長い女性は言うまでもなく、男性も自分事として読むことを薦めたい。 



目 次
はじめに
第1章 「おひとりさま」で悪いか?
第2章 死へのタブーがなくなった
第3章 施設はもういらない
第4章 「孤独死」なんて怖くない
第5章 認知症になったら
第6章 認知症になってよい社会へ
第7章 死の自己決定は可能か?
第8章 介護保険が危ない
おわりに

著者プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクショネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で、40年間、教育と研究に従事。著書に『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『サヨナラ、学校化社会』など多数。母親の育児問題、独身女性の介護問題など、日本が抱える諸問題に対して話題作を出している。


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2021年1月19日火曜日

『100分で名著 ブルデュー ディスタンクシオン』(NHK出版、2020)はいいテキスト。 社会学は身も蓋もない学問だ。されど・・



『100分で名著 ブルデュー ディスタンクシオン』(NHK出版、2020)はおすすめだ。現代フランスを代表する社会学者ピエール・ブルデュー(1930~2002)の主著『ディスタンクシオン』を取り上げている。

昨年2020年12月の放送だったらしいが、知らなかった。だが、このテキストはじつによくできているのでお薦めだ。  

私も社会学部の卒業なので、ひととおり社会学はやっている。だが、かつて1980年代までは王座にあったドイツ社会学の巨人マックス・ウェーバーや、あるいは主流ではないがフランス社会学の祖デュルケームの時代とは違って現在はアメリカ社会学が主流だし、東大で教鞭を執っていた社会学者・上野千鶴子氏の弟子たちが大活躍しているので、かつてとはずいぶん印象の違うものになっている。 

ここに取り上げられているブルデューはフランスの社会学者。難解でもって鳴るので、下手したらフランス現代思想と一緒くたにされかねない。私自身もホンネを言えば敬遠してきた。

だが、とくに教育社会学の分野では、その「ハビトゥス論」と「文化資本論」が大きく取り上げられていることくらいは、比較的知られていることではないだろうか。 

このテキストの執筆者の岸政彦氏(立命館大学教授)のことは、まったく知らなかったが、彼の「自分史」を踏まえた記述は読ませるし、ブルデュー社会学を自家薬籠中のものとして「生活史」のナラティブを聞き取るフィールドワークの社会学を実践する、その姿勢には共感を覚える。 

というのは、ブルデューを神格化するのではなく、その分析手法と生き方を、自分の研究者としての姿勢のガイディング・プリンシプルとしていることがうかがわれるからだ。日本の研究者としては珍しいかもしれない。いまだに「ウェーバー研究者」なるものが存在するのが当たり前な日本の社会学の世界では。

社会学者ピエール・ブルデューと主著『ディスタンクシオン』について知りたければ、まずはこのテキストを読むのがいい。私も、いずれ原著を手に取ってみたいと思う。 

「安直な幻想に逃げず、現実を直視するための社会学」というコピーがいい。そう、社会学という学問は「身も蓋もない学問」なのだ。だが、それで終わりではないのである。


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<ブログ内関連記事>

・・ブルデュー社会学をつかいこなした教育社会学

・・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り上げている









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