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2021年2月28日日曜日

書評『パステルナーク事件と戦後日本 ー「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)ー 1958年の日本の知識階層の精神風景を丹念に跡づけた好著

 

 先日のことだが、『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)という本を読んで、たいへん充実した読後感を抱いた。  1958年の「パステルナーク事件」という知られざる事件にまつわる日本の知識階層の精神風景を描いたものだ。 

パステルナークはソ連時代に生きたロシアの詩人。ロシア革命とその後に続いた内戦を舞台にしたヒューマン・ドラマの映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年)の原作者である(*現在に至るまで原作を読む機会がないのが残念だ。映画のほうはなんども繰り返し見ているのだが・・)
 



そのパステルナークが心血を注いで完成させたものの、当時のソ連では出版できなかった大河小説『ドクトルジバゴ』が、1957年にイタリアで出版されたことに始まるのが「パステルナーク事件」(1958年)だ。 当時すでに「ハンガリー動乱(あるいは革命)」(1956年)によって、ソ連と共産主義への支持に陰りが見え始めていた時期である。 

1958年度のノーベル文学賞が、パステルナークに授与されることが発表され詩人が受諾したにもかかわらず、わずか1週間で辞退するに至った。ソ連の体制側からの激しい誹謗中傷と圧力がかかったからである。ロシアにとどまりたかった詩人は、受賞を断念することを余儀なくされた。本書の記述を読めば、それはもう、すさまじいの一言に尽きる。これが第3章までの内容だ。 

このうような「パステルナーク事件」について、世界中の文学者たちから「表現の自由」を守れとして大きな非難が起こったのだが、日本のペンクラブではかならずしもそうではなかった。 

日本国内と日本以外では、温度差の違いと要約できるもの以上のものがあったこと、「1958年の日本の知識階層の精神風景」を綿密に描き出したのがこの著作である。 

戦前の挫折した社会主義運動という屈折した前史をもつ、この特殊ともいえる「1958年の日本の知識階層の精神風景」をあぶり出すことになったのが、日本ペンクラブの外国人会員であった米国人の日本文学研究者で『源氏物語』の英訳者である)エドワード・サイデンステッカーによる異議申し立てであり、ちょうどその頃に来日した著作家のアーサー・ケストラーであった。 

1958年は、「反米ナショナリズム」が燃えさかった「60年安保」の前夜であり、当時の日本ではアメリカの大衆文化が圧倒的な影響力をもちながらも、同時に反米意識がかなり強く存在した時代だ。そんな時代に、米国人からの異議申し立てに対して左翼的傾向の強い文学者たちが、どのような反応を示したかというと、現在では想像するのも難しい。 

さらにいえば、もともと熱心な共産党員であったが、その後共産党と縁を切った経験をもつケストラーにとって、日本の文学者たちの姿勢は当然容認できるようなものではなかったのである。ケストラーの『真昼の暗黒』(1940年)は、そんなソ連の体制を徹底批判して世界的ベストセラーになっている。 

冷戦時代のソ連、そして日本。獲得形質は遺伝するとしてソ連で公認されていたルイセンコ学説をめぐる興亡。せっかく著作家ケストラーとルイセンコ学説の双方を別個に取り上げながら、ケストラーの『サンバガエルの謎』(1971年)に触れなかったのは、画竜点睛を欠くというか、ちょっと残念だったような気もする。だが、こんな内容を400ページのボリュームでまとめたこの著作は、じつに充実した内容で読みごたえがあった。 


驚いたことに、著者の陶山幾朗氏は、なんと『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』の出版直前に78歳で急逝されていたらしい。「刊行への経緯」に記されている。だから。この本が文字通りの遺作となったことになる。 

それにしても、素晴らしい内容の著作を残していただいたものである。万人向けの本でないが、このテーマに関心のある人は、読んでけっして損のない本であると言っておきたい。 


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目 次
序章 発端-1958年10月23日
第1章 祝福から迫害へ-1958年10月23日~11月6日
第2章 「事件」前史-1956~58年
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー
第5章 「文士」と政治-高見順(1)
第6章 「怖れ」と「美化」と-高見順(2)
第7章 「モスクワ芸術座」という事件
第8章 《害虫》のポリティクス
第9章  “ワルプルギスの夜” の闇
第10章 『真昼の暗黒』の来日-アーサー・ケストラー(1)
第11章 「目に見えぬ文字」への道程-アーサー・ケストラー(2)
第12章 “勝利” の儀式?-第3回ソビエト作家大会(1)
第13章 クレムリン宮殿の中野重治-第3回ソビエト作家大会(2)
第14章 「事件」の終わり-かくて人びとは去り…
補遺
わが国メディアに現れた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967)
「パステルナーク事件」関連年表
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣
あとがき
刊行までの経緯


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年生まれ。1965年早稲田大学第一文学部卒。著書に『シベリアの思想家ー内村剛介とソルジェニーツィン』(風琳堂)、『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)、『現代思潮社という閃光』(現代思潮社)、編集『内村剛介著作集』全七巻(恵雅堂出版)。 雑誌『VAV』同人。 2018年11月2日 急逝(78歳)。



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2017年10月9日月曜日

映画『ドリーム』(2016年、米国)を見てきた(2017年10月9日)ー 米ソ冷戦時代の熾烈な宇宙開発競争という「非常時」のなか、「知られざる黒人女性たち」が突破口を開いた!


映画 『ドリーム』(2016年、米国)をTOHOシネマズで見てきた(2017年10月9日)。原題は、Hidden Figures(=知られざる人たち)

米ソ冷戦時代の熾烈な宇宙開発競争という「非常時」のなか、NASA(アメリカ航空宇宙局)の有人宇宙ロケット打ち上げミッションを支えた「知られざる黒人女性たち」の実話にもとづいた作品だ(Based on the true events)。

日本語版の『ドリーム』というのは、ちょっといただけない。日本語でいえば、「縁の下の力持ち」というべきであろう。


■「人種の壁」と「男女の壁」に風穴を開けた黒人女性たち

映画の舞台である NASAのラングレー研究所は、南部のヴァージニア州にある。

 「公民権法」(1964年)が施行される前のアメリカ南部では、「人種隔離政策」(=セグレゲーション)が公然と実施されていた。黒人は公然と差別されていたのだ。

「ホワイト」(=白人)と「カラード」(=有色人種)で完全に区分されていたのはバスの座席だけではない。トイレも、図書館も、その他すべての公共施設が厳密に「区分」されていた。する側の白人からみたら「区分」であっても、される側の黒人にとっては「差別」以外の何物でもないという現実。

NASAの開発プロジェクトもまた、白人男性の科学者やエンジニアが支配的地位にある世界。そんな状況のなか、ロケットの軌道計算に従事していた黒人女性たちが、「人種の壁」と「男女の壁」に突破口を開くことに成功したのはなぜか?

1961年当時の冷戦時代の米国は、宇宙開発競争でソ連に遅れをとっていたのだ。「地球は青かった」という名セリフをクチにしたのはソ連のガガーリン大佐である。

追い詰められるNASAの開発陣。そんな「非常時」ともいうべき状況においては、モノを言うのは実力だ。人種の違いも男女の違いも関係ない。結果を出すことで実力が認められていったのだ。

コメディタッチのヒューマンドラマだが、最後まで見たらかならず感動するのは間違いない。いい映画だった。



■「プログレス」(=進歩)の時代がもたらしたもの

1960年代というプログレス(=進歩)の時代、飛躍的に進歩したのはテクノロジーだけでない。人種差別と男女差別にかんしても進歩が実現した。

「冷戦」とはいえ、まさに「有事」であり「非常時」であったからこそ、開発競争において背に腹は代えられなかったのだ。そんな状況であったからこそ、白人男性が支配する科学技術の世界で、黒人女性科学者とエンジニアたちの道が開かれたのであった。チャンスをつかんだのである。

「私には夢がある」(I have a dream)と語ったキング牧師のような活動家たちだけが「黒人解放」を推進したのではない。この映画の主人公たちのような「知られざる人物たち」がいたのだ。

個人的な話になるが、わが母校のレンセラー工科大学(RPI)の現在の学長のシャーリー・アン・ジャクスンは黒人女性の科学者だ。MITで博士号を取得した米国初の黒人女性で、物理学での博士号取得は黒人女性では米国で二番目に当たる。RPIの学長職で黒人女性は初めてのことになる。2014年には、オバマ前大統領から「アメリカ国家科学賞」(National Medal of Science)を授与されている。

シャーリー・ジャクスン氏は1946年生まれ。この映画の主人公たちがNASAでミッションに従事していた頃はまだ15歳だったことになる。彼女たちが切り開いた道に続いていった世代の人だ。

そういう自分にとっては、この映画が描いている世界は、じつに感慨深いのである。





■「プログレス」は諸刃の剣

映画のなかでケビン・コスナー演じる開発部長が口にするセリフに、「プログレスは諸刃の剣」(Progress is double-edged sword)というものがある。「進歩」は人類社会にベネフィットをもたらす、一方、技術の陳腐化をもたらし、仕事がなくしてしまうことにもつながる。

追い込まれた宇宙開発プロジェクトの開発責任者は、IBMのメインフレームコンピュータを導入することで、一気に計算時間を短縮することにする。だがこのために、「縁の下の力持ち」であった黒人女性たちが従事していた計算係という職業があっというまにお払い箱になってしまう。

そんな状況を見越して、職場でプログラムの勉強会を開始する先見の明をもった黒人女性のリーダーシップも印象に残る。

技術の進歩は現在でも止まることなく続いている。だがそれを「プログレス」とは言わなくなったような気もする。「プログレス」といいうと、資本主義であれ社会主義であれ、あの時代のバズワードであった。ソ連的な響きでもあり、アメリカ的な響きでもあった。

ともに未来志向の人工国家であったソ連と米国。この二大超大国が熾烈な競争を行っていた時代こそ、プログレスといえるようなプログレスが存在したのではないか?

退歩や後退といった側面さえ見られなくない2010年代の現在からみると、1960年代はきわめて多くの問題を抱えながらも、希望に満ちた時代であった気がしなくもないのである。

その意味では日本語版のタイトル『ドリーム』は、あながち的外れではないのかもしれない。過ぎ去った過去の時代に生きた人たちを描くのにあたって。






<関連サイト>

映画『ドリーム』 公式サイト(日本版)

映画『ドリーム』は、ついにNASAの「隠れたヒーロー」を描き出すことに成功した (WIRED日本版、2017年9月28日)

The Remarkable Career of Shirley Ann Jackson(MIT Technology Review, December 19, 2017)
・・RPIのシャーリー・アン・ジャクソン学長はこの映画Hidden Figures(=知られざる人たち)の後続世代の黒人女性エンジニア・彼女のまた多様性をもたらしたパイオニアの一人。Shirley Ann Jackson worked to help bring about more diversity at MIT, where she was the first African-American woman to earn a doctorate. She then applied her mix of vision and pragmatism in the lab, in Washington, and at the helm of a major research university.

(2017年12月23日 情報追加)


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冷戦構造と航空宇宙開発の劇的な進歩

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・・非暴力主義のキング牧師

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・・「南部のバイブルベルトに生まれ育ち、黒人音楽と白人音楽を一身において融合したという、音楽の分野でエルヴィスがアメリカ文化でやり遂げたこと」


■非常時が促進した女性の社会進出

「昭和の働く女性-夢と希望と困難と-」(昭和館・東京九段下)は、見る価値ある企画展-「昭和」に限定されているのがちょっと残念だが・・
・・戦争と社会進出


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2013年10月3日木曜日

『レッド・オクトーバーを追え!』のトム・クランシーが死去(2013年10月2日)ー いまから21年前にMBAを取得したRPIの卒業スピーチはトム・クランシーだった



映画 『レッド・オクトーバーを追え!』の原作者のアメリカの作家トム・クランシーが死去。10月2日のことだという。享年66歳、死因が公表されていないが、ずいぶん早い死だな、と。 http://www.cnn.co.jp/showbiz/35037965.html

いまをさかのぼること21年前の1992年、アメリカのRPI(=レンセラー工科大学)でMOT(=技術経営)を専攻、無事MBAを取得して卒業したのだが、そのときの卒業スピーチ(Commencement address)がトム・クランシーによるものだった。トム・クランシーは45歳、わたしは29歳。二人とも若かった(笑)

ソ連が崩壊したのはその前年の1991年12月冷戦構造を前提にしたスパイ小説やサスペンスはもはやあり得ないのでは?と言われていた頃だ。英国映画の『007シリーズ』もその当時は、将来どうなるのかとたいへん懸念されていたのだった。

ソ連が崩壊して「仮想敵国」が消え去ったあと、アメリカは次の仮想敵国を探し求めていたのだが、ターゲットにされていたのが日本だったのである! 1980年代後半には「半導体戦争」が日米間にあり、戦争前夜のような感さえあったのだ。

湾岸戦争(・・アメリカでは The Gulf War と呼んでいたが)に、日本は憲法上の制約から軍隊を送りこまずカネで解決しようとしているとして、国際的に非難を浴びていたのだ。在米日本人としてはずいぶんたいへんな状態だったのだ。

アフガンでソ連と戦ったムジャヒディン(=イスラーム戦士)たちは、ウサマ・ビンラディンも含めじつはアメリカの CIA の息がかかった存在だったのだが、まだアメリカには牙をむいていなかった。「9-11テロ」は2001年のことである。

1992年当時、アメリカでもっとも話題になっていた作家はトム・クランシーよりも、いまは亡きマイケル・クライトンであった。

『ライジング・サン』(Rising Sun)という日本企業を扱った小説は、1993年に映画化されショーン・コネリーが主演を演じていたが、原作の小説には日本にかんする記述には事実誤認が散見されていた。在米日本人としては、まことに残念なことであった。

おなじくショーン・コネリー主演の『レッド・オクトーバーを追え』(1990年)は、トム・クランシーの原作の映画化(冒頭の写真)。むかしなつかしソ連の原子力潜水艦。冷戦時代もいまはむかし。昭和は遠くなりにけり、だ。


卒業スピーチというと、スタンフォード大学のスティーブ・ジョブズのものが有名だが、母校の卒業式のスピーチというものは、誰がしゃべってかは記憶にあっても、内容までは覚えていないものだ。

大学院ではトム・クランシーだったのは彼が著名人だったからだが、日本の大学学部のときの祝辞はだれだったのか記憶にすらない。ということは著名人ではなかったということか?

わたしの父親は神戸大学の卒業だが、卒業スピーチは出光佐三が「士魂商才」の話をしていたという。そのような著名人だと記憶に残るのだろうか。

(wikipedia よりトム・クランシー近影)

トム・クランシーは映画『レッド・オクトーバーを追え』を見ただけで、じつは小説はぜんぜん読んでいない。

「卒業スピーチでナマのトム・クランシーを見て話を聞いた」ということを、日本に帰国後だいぶたってから大学時代の同級生にしたら、たいへんうらやましがられたことを思い出した。彼女は、トム・クランシーの大ファンでほとんど読みつくしていたのだという。まあ、世の中なんてそんなものか。

正直なところ、わたしとしてはトム・クランシーではなく、その前年に招待されて卒業スピーチを行ったピーター・ユベロスのほうが、ほんとうは話を聞きたかった。

ピーター・ユベロスは1984年のロサンゼルス・オリンピックをスポンサーを一業種一社に限定するという卓抜なマーケティング手法によって商業的に大成功させた立役者で、スポーうビジネスの世界では著名な辣腕ビジネスマンだったからだ。ロサンゼルス大会の開会式のシーンなどいまでも記憶に残っている人も少なくないだろう。

いま書いていて気がついたが、『レッド・オクトーバーを追え!』の原作者がオクトーバー(=10月)に死去。なにやら偶然にしては因縁のある話だ。さきに引き合いに出したマイケル・クライトンは66歳で亡くなっている。人気作家は寿命を縮める職業なのかもしれない。

ながながと書いてしまったが、トム・クランシー氏のご冥福を祈ります。合掌。



<付記>

wikipedia で Tom Clancy の項目をみると以下の記述があった。

Clancy received an honorary doctorate in humane letters and delivered the commencement address at Rensselaer Polytechnic Institute in 1992, and has since worked a reference to the school into many of his main works.

なるほど、卒業スピーチをして人文学で名誉博士号を授与されたあとで卒業スピーチをしたのだったというわけか。すかり忘れていた。人間の記憶の限界だ。
工科大学は軍との関係も深くROTCも設置されているのでトム・クランシーなら適任だろう。1991年は The Gulf War (第一次湾岸戦争)が勃発し、キャンパスからも空軍所属の学生たちが出征していったものだった。幸い戦死者は出なかったが。


<付記 その2>

トム・クランシーは1994年には、『日米開戦』(Debt of Honor)なる小説を発表していたようだ。wikipedia日本版によれば以下のような内容らしい。

・・「日米開戦(にちべいかいせん、原題:Debt of Honor)とは、アメリカ合衆国の小説家であるトム・クランシーによるジャック・ライアン・シリーズのひとつである。 日本の経済的支配者(財閥)が日本政府を動かしてアメリカ合衆国に対し軍事的挑戦をする内容である。この小説が出版された1994年には、日米間で貿易摩擦による日本に対するアメリカの不信感が強く存在していた時期である。このことが、現実とは異なる核武装国家として描かれ、アメリカに対する「敵国」として日本が名指しされたといえる・・(中略)・・この小説の結末は、ジャンボジェット機を議会議事堂に突入させる描写であったが、後に発生したアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)における旅客機による自爆テロ攻撃に類似していた」

あの当時の仮想敵国は日本であったのだ。






<関連サイト>

映画 『レッド・オクトーバーを追え』(The Hunt for Red October) Trailer
・・1990年制作のアメリカ映画。そのとき、まだソ連は崩壊していなかった!

映画 『ライジング・サン』(Rising Sun) official trailer HD
・・1993年制作のアメリカ映画。原作はマイケル・クライトン。主演はショーン・コネリー


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(2014年5月12日、8月4日 情報追加)


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2010年2月10日水曜日

書評『ランド - 世界を支配した研究所』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋、2008)ー 第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション





 第二次大戦の勝利国となった米国が、1940年代から1950年代にかけて世界の覇権国となっていった絶頂期に、その理論的フレームワークをつくりあげたのが、米国空軍のシンクタンクとして出発した民間の非営利組織「ランド・コーポレーション」(RAND Corporation)であった。

 RAND とは、Research ANd Development(研究開発)の頭字語をとったもの。知識産業としてのシンクタンクの原型ともいってよい。

 実質的に国防研究を主要分野として受託研究を行ってきたこのシンクタンクは、理系の研究者にとっては思う存分に研究のできるパラダイスであった。本書『ランド - 世界を支配した研究所』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋、2008)には、全米から集まってきた最優秀の頭脳の群像が、これでもか、これでもかと描かれている。

 「ゲーム理論」、「合理的選択論」、「システム分析」いずれも人間行動を数式と方程式で理解しようとした、「合理性の兵士」(Soldiers of Reason)たちの産物であった。彼らは、研究分野における、米国のベスト・アンド・ブライテストたちであったといえよう。

 そして彼らはまた「合理性の使徒」でもあった。20世紀後半の社会科学がこれら米国発の「合理性」理論の圧倒的影響下にあることは、日本についてもいうまでもない。
 
 「ランド」に集まったのは理系研究者だけではない。

 1972年にノーベル経済学賞を受賞した、米国を代表する経済学者ケネス・アローに代表される「合理的選択論」は、経済学だけでなく、戦後アメリカをアメリカたらしめたエッセンスといってもよい。ランド時代のアローの業績は、本書によればいまだに機密解除されていない(!)という。冷戦時代の米国の国防戦略に直接関与していたのである。




 1994年にノーベル経済学賞を受賞した数学者ジョン・ナッシュをモデルにしたハリウッド映画『ビューティフル・マインド』そのものの世界である。

 この映画では、「非協力ゲーム」の研究で知られる数学者として、暗号解読研究に携わることになったナッシュが、次第に妄想の世界に入り込んで精神を病んでいったことが描かれている。核兵器にかんする機密漏洩を懸念して軍関係者に監視されていた、末期がんで死の床にあった天才フォン・ノイマンは例外ではなかったのである。ランドでの研究の性格の一端を示したものといえるだろう。

 米国による世界支配構造の根底にある「合理性」とはいったい何か、それが生まれてきた背景も含めて、さまざまな天才たちの群像をつうじて描く、必読のノンフィクションである。



<初出情報>

■bk1書評「第二次大戦後の米国を設計した「ランド・コーポレーション」の実態を余すところなく描き切ったノンフィクション」投稿掲載(2010年2月3日)

(*再録にあたって字句の一部を修正)


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<書評への付記>

シンクタンクについての随想

 私はこの本を一昨年バンコクに持ち込んで読んだ。アメリカについて書かれた本を日本語訳で海外で読む、これもなかなか面白い経験であった。内容は実に面白い。

 読んで損はない本なので、せっかくなので書評に仕立て直して紹介することとした。

 「ランド・コーポレーション」はアメリカ空軍(・・正確にいうと、設立当時は組織として独立する以前の陸軍航空隊であった)の肝いりで設立された研究所であり、基本的に組織として独立した空軍に貢献することを期待して予算がついたのであった。設立をめぐる状況の経緯は本書に書かれているが、なかなか利害関係者間の駆け引きが面白い。

 書評にも書いたとおりシンクタンク(thinktank)の原型である。いまでは知識産業というが、むかしは頭脳集団とか頭脳産業とかいっていたような記憶もある。

 本書にもでてくる、一世を風靡した未来学者ハーマン・カーンの名前を覚えている人もいまやもう少ないだろう。


 日本のシンクタンクの原型は、理系のものとしては戦前、大河内正敏が率いた理化学研究所(理研)があるが、これは研究の成果を商業化して資金を回収する、ベンチャービジネス的な研究所であった。

 社会科学系では、戦前の満洲における植民地経営の中心にあった南満洲鉄道株式会社(満鉄)の、いわゆる満鉄調査部が原型であったといえる。これについては、いずれ戦前のユダヤ研究とのからみで書くことにしたい。ほかには大原社会問題研究所などがあった。


 戦後日本では、本格的なシンクタンクは、野村證券が設立母体となった野村総合研究所(野村総研)が初めてであり、1997年の金融危機で銀行証券が大規模に統廃合されていくまでは、金融機関の付属機関が大半であった。ちなみに私は長銀総研に籍を置いていたことがあるが、野村総研はいまではシンクタンクというよりも、システム会社といったほうが適切である。

 旧財閥系でいえば住友財閥(・・のちに三井財閥と合体)を主体とした日本総研、三菱財閥の三菱総研などが有名である。三菱総研の牧野昇なんていう名前はもう覚えている人は少ないかもしれないが、かつては知的生産といえばスター級の人であった。


 かつて日本のシンクタンクは金融機関のヒモつきで、米国のシンクタンクのように独立系がないのは問題だ、などといわれていたものだが、実態としてはアメリカの場合も、政策研究分野では政党のヒモ付きが当たり前であり、研究して立案した政策を実行に移すことを前提にするのであれば、当然といえば当然の話である。

 経済学者の野口悠紀夫がまだ大蔵省(・・現在の財務省)に在籍しながら博士号取得のためにイェール大学に留学した際の副産物として、『シンクタンク』(東洋経済新報社、1970)という本があって、その当時の米国のシンクタンクについての最新報告として貴重である。とうの昔に絶版ではあるが。


 知識産業というものは、コンサルティングであれ、シンクタンクであれ、会計事務所や法律事務所であれ、基本的に高度サービス業であり、目に見えないものを、顧客(クライアント)から注文を受託してとってソリューションを提供する事業形態である。この点が、大学における研究と違うのだとかつてはいわれたものだが、日本でも米国同様に予算は自分でぶんどってくるもの、ということが常識となってゆくだろう。

 ランド・コーポレーションの場合は、空軍の予算による軍事にかんする受託調査研究が多かったようだが、その副産物としてさまざまな「合理性」理論が生まれてきた。

 顧客(クライント)の存在する研究は、研究成果そのものは守秘義務の関係上、公開はできないのが前提だが、研究の副産物は研究者自身の頭脳に蓄積されるし、抽象的な形でエッセンスを公開することは条件によっては許可されることもある。 

 こうして公開された研究が、ランドを有名にした「合理性」にかんする各種の理論であり、米国だ
けでなく世界中に大きな影響を与えたのである。


 「ゲーム理論」「合理的選択論」「システム分析」といった具体的な理論については、さまざまな本が出版されているので、詳細はそちらにゆずる。

 いずれも戦後の米国を、世界の中心たらしめた理論の数々である。こういった理論がもたらした結果の是非についても、とくにここでは書かないが、ある意味では経済だけでなく、経営学においてもこういった合理性理論が前提となってきたのは否定できない。

 こうした合理性一点張りの体系に修正を迫ったのが、1970年代前半におけるベトナム戦争における敗戦であり、1980年代の日本企業による大攻勢による米国経済の苦境であった。とくに後者については、これは1990年から2年間、M.B.A.コースに在籍していた私の実感である。

 検証を行ったわけではないが、生産管理だけでなく、人事管理(HRM)や応用研究を中心とした研究開発(R&D)も、1990年代のはじめに日本を徹底研究した結果、大きく書き換えられた分野であることは確かである。私はその渦中にいたので、こういうことをいうわけである。


 書評にも名前が出てくるノーベル経済学賞受賞のケネス・アローが、1990年代は「複雑系」(complexities)を研究するサンタフェ研究所(Santa Fe Institute)の設立者の一人となったことは、合理性を超える方向を志向していることを示しているといってよいだろう。

 そもそも人間というものは、合理的な存在であろうか? 経済学が前提としてきた合理的な人間モデルはいまや大幅に揺らいでいる。行動経済学など、心理学を踏まえた経済学が主流に来るのも、遠い将来ではないだろう。 

 大学時代、歴史学を専攻した私からみれば、人間行動というものは合理的に振る舞おうとしていながら、結果としてはさまざまな制約条件のなか、非合理な選択をしがちだ、という認識がある。

 まさに人間が行動主体として創り上げられる歴史というものは、必然性の働く世界ではなく、偶然性を負組み込んだ複雑系の世界そのものである、と。



ランド・コーポレーションと「合理性」にかかわる映画作品の紹介


◆数学者ジョン・ナッシュをモデルにした2001年制作のハリウッド映画 『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind)トレーラーはこちら。主演はラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー。

◆ランド・コーポレーションもそのモデルのひとつといわれる、核戦争をテーマにしたスタンリー・キューブリック監督の1964年の傑作 『博士の異常な愛情』(Dr. Strangelove or How I learned to Stop Worrying and Love the Bomb)トレーラーはこちら。英国の俳優ピーター・セラーズによる一人3役の怪演が記憶に焼き付いている。

◆ベトナム戦争を指導した国防長官ロバート・マクナマラの回想録をもとにした2003年製作のドキュメンタリー映画 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国国防長官の告白』(The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara)トレーラーはこちら。いわゆるベスト・アンド・ブライテストの一人であったボブ・マクナマラは、ハーバード・ビジネススクール(HBS)でM.B.A.を取得、戦時中は陸軍航空隊で日本への戦略爆撃の数値解析に従事、戦後は HBS で統計学の教鞭をとったのち、フォード社長を経て、国防長官としてベトナム戦争を指導した「合理性の使徒」。しかし、ベトナム戦争にける敗戦は「合理性信仰」崩壊の序曲となった。必見の映画。



PS 読みやすくするために改行を増やし、写真も追加し大判にした。あらたに<ブログ内関連記事>を加えた。 (2014年5月2日)



<ブログ内関連記事>

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・現在注目すべきは先端分野に積極的に取り組んでビジネス化を推進しているグーグルの研究所であろう。「科学者の楽園」であるようだ

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

書評 『「科学技術大国」中国の真実』(伊佐進一、講談社現代新書、2010)-中国の科学技術を国家レベルと企業レベルで概観する好レポート

(2014年5月2日 項目新設)


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