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2025年4月13日日曜日

『神と人と言葉と ― 評伝・立花隆』(武田徹、中央公論新社、2024)を読み、そのあと積ん読のままだった『サピエンスの未来 ― 伝説の東大講義』(立花隆、講談社現代新書、2021)を読んで「知の探索者」の生涯の軌跡を知り「人類の未来」について考える

 


ジャーナリストの立花隆が亡くなってから4年、猫ビルとその膨大な蔵書も処分されてしまったが、その人がいかなる人であったかについての説明は、現時点ではまだ必要はないだろう。 

文理にまたがる膨大なノンフィクションを残した作家であり、NHKスペシャルなどへの出演によって最先端の科学技術の啓蒙をおこなった「知の案内人」でもあった。 

マスコミや出版社によって「知の巨人」とラベリングされたその人は、晩年には「知の虚人」などと揶揄され、毀誉褒貶あいなかばする存在となってしまった。 

立花隆本人がその「称号」を拒否することがなかったからであり、自業自得といってしまえばその通りなのだが、「知の巨人」なるブランドが正当な評価を遠ざけてしまてっているような気がしないでもない。 

その意味でも、おなじくジャーナリストで作家でもある武田徹氏による『神と人と言葉と ー 評伝・立花隆』は、戦後日本を生きた立花隆というジャーナリストの全体像を知るうえで有用な評伝であった。  

タイトルの『神と人と言葉と』にあるように、無教会派のキリスト教徒の両親のもとで育った立花隆は、その影響圏から脱しようとしたものの、スピリチュアルなものへの関心をつよく持ち続けた人であったことがわかる。 

ジャーナリストの仕事は、基本的に「ファクトとロジック」が基盤となるものだが、著者によれば、ウィトゲンシュタインの影響を受けている立花隆は、ウィトゲンシュタインのいう「語り得ぬもの」について、その「語りうる限界」をひたすら拡張しようと試みたのであった。

外に向かっては宇宙空間へと限界を拡張し内側に向かっては人間のインナースペース(内宇宙)に知的関心が向かったというわけだ。

 そんな立花隆が、いわゆるニューサイエンスに大いに心を惹かれたのも当然のことだったのだろう。

一歩間違えばエセ科学になりかねない分野ではあるが、『宇宙からの帰還』や『臨死体験』など、現在でも読むに値する作品は、そんな立花隆にとっては、大いに意味のあった仕事だと納得させられる。 


(画像をクリック!) 


目 次 
まえがき ーー 立花隆は苦手だった
1 北京の聖家族 
2 焼け跡の知的欠食児 
3 二十歳のころの反核運動 
4 現代詩と神秘哲学 
5 ヤクザと言語哲学 ― 週刊誌記者時代 
6 『論理哲学論考』の磁力圏 ―「田中角栄研究」 
7 ジャーナリズム+αへ ―『宇宙からの帰還』 
8 もうひとつの調査報道 ―『脳死』 
9 相転移と踏み止まり ―『脳死体験』 
10 東大教授になったジャーナリスト
 11 「立花先生、かなりヘンですよ」 
12 ニュー・サイエンスと「知の巨人」
 13 「あの世で会おう」―『武満徹・音楽創造への旅』 
14 回帰と和解のとき
あとがき ーー 立花隆版『論理哲学論考』
創作と現実の間 ―(対談)大江健三郎×立花隆
参考文献

著者プロフィール
武田徹(たけだ・とおる)
1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部教授。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。著書に『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞受賞)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■『立花隆が読み解くテイヤール・ド・シャルダンが示した人類の未来』

さて『サピエンスの未来 ー 伝説の東大講義』(立花隆、講談社現代新書、2021)だが、1996年に東大で学生向けに行われた講義録に大幅に手を入れて雑誌に発表したものの、生前には単行本化されることがなかった作品だ。 

まさに文理融合の立花隆ワールドそのものであり、大いに満喫しながら最後まで読んだ。集大成ともいうべき内容であるが、末尾がちょっと尻切れトンボなのは、雑誌連載のまま著者自身による単行本化がさなされなかったからであろう。 

『サピエンスの未来』というタイトルは、編集担当者がつけたものだろうが、『立花隆が読み解く、テイヤール・ド・シャルダンが示した人類の未来』とでもしたほうが、内容的には正確だろう。


(テイヤール・ド・シャルダン 1955年に撮影 Wikipediaより)


テイヤール・ド・シャルダン(1881~1955)は、20世紀前半に生きたフランスの古生物学者でイエズス会士。北京原人の発見で有名で、進化論にもとづいて人類(ホモ・サピエンス)の壮大な未来図を考察した独自の思想家でもあった。 

日本ではテイヤールと略していうことが多いが、シャルダンまでが名字であり、ファストネームはピエールである。

そんなテイヤールの独自な概念である、「複雑化=意識の法則」、「精神圏」(ヌースフィア)、「オメガ・ポイント」、「超人間」、「超進化」などの解説を行いながら、1998年時点での科学技術の状況を踏まえて立花隆がテイヤール思想を読み解いた内容になっている。

人類の未来とはSF的であるが、SFを超えた思考が必要になる。それは科学的思考を踏まえた神学的思考である。




立花隆が冒頭で述べているように、この本のメッセージは「すべてを進化の相の下に見よ」というフレーズに集約される。

「進化の相」のもとにおいては、物質と精神は二元的に対立するものではなく、相互に影響し合いながら万物が進化していくのである。 

そして進化の頂点にあるとされる人類(ホモ・サピエンス)もまた、進化のプロセスのなかにある。

物質である脳の発達が精神の発達を推進し、「放散」と「収斂」という「進化の弁証法」のもとに、さらなる高度な発達をしていくことになる。 そしてその行き着く先は「超人間」(・・ただしニーチェのいう「超人」とは異なり、超進化した人類の集合体)であり、「オメガ・ポイント」という一点に収斂していく。

ちなみに、本書には説明がないが、「オメガ」(Ω)とはギリシア文字の最後に来るものだ。英語なら「ゼット」(Z)というべきもの。「最初から最後まで」を意味する「アルファからオメガまで」という表現があるが、ギリシア語で書かれた新約聖書をベースにしたキリスト教ならではのフレーズである。

テイヤール・ド・シャルダンの議論について関心のある人は、ぜひ直接本書を読んでみてほしい。立花隆による解釈を経たものであるが、知的好奇心が大いに満足されるはずだ。 

進化論の立場に立つ科学者であったテイヤール・ド・シャルダンは、超越的な神には否定的であった。そのためローマ教皇庁から生前は出版を禁止されていた。とはいえ最後の最後までキリスト教徒であり、その未来像にキリスト教的なテイストがあることは否定できない。

おそらく、そうだからこそ立花隆にとっては、大いに共感するものがあったのだろう。キリスト教的なるものから脱しようとした立花隆であったが、その発想の根底にキリスト教なるものがあったことは、『神と人と言葉と ー 評伝・立花隆』(武田徹)にあるとおりだ。

本書『サピエンスの未来』は、立花隆の集大成となる著作として読むのもよし、あるいはテイヤール・ド・シャルダンの思想を知るために読むのもよい。 百万年スケールで考えた人類の未来のひとつの見取り図である。

現在の日本ではいまだ広く知られているわけではないテイヤール・ド・シャルダンについての解説として読み、その思想的背景のひとつである「ロシア宇宙主義」について関心を深めるきっかけになることであろう。 



画像をクリック!) 


目 次 
解説 不安な時代の地の羅針盤(緑慎也)
はじめに
第1章 すべてを進化の相の下に見る 
第2章 進化の複数のメカニズム 
第3章 全体の眺望を得る 
第4章 人間の位置をつかむ 
第5章 人類進化の歴史 
第6章 複雑化の果てに意識は生まれる 
第7章 人類の共同思考の始まり 
第8章 進化論とキリスト教の「調和」 
第9章 「超人間」とは誰か
第10章  「ホモ・プログレッシヴス」が未来を拓く 
第11章 終末の切迫と人類の大分岐 
第12章 全人類の共同事業 

著者プロフィール
立花隆(たちばな・たかし)
1940年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、文藝春秋入社。1966年退社し、東京大学文学部哲学科に学士入学。その後ジャーナリストとして活躍。1974年、『文藝春秋』誌に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。1979年、『日本共産党の研究』で第一回講談社ノンフィクション賞受賞。1983年、第31回菊池寛賞、1998年、第一回司馬遼太郎賞を受賞。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2023年12月21日木曜日

書評『古代の鉄と神々』(真弓常忠、ちくま学術文庫、2018 初版1985年)― 稲作と鉄器がセットになった弥生時代以降の古代史は「文理融合」の観点から「砂鉄以前」と「砂鉄以後」で考えることが必要だ

(文庫版カバーに「褐鉄鉱」)


『古代の鉄と神々』(真弓常忠、ちくま学術文庫、2018 初版1985年)という本は、リアル書店の店頭で「発見」した本だ。

棚差しになっているタイトルが目に飛び込んできて手に取った。おお、こんな本があったのか、と。それまでまったく知らなかったのだ。

購入後しばらく寝かせたままにしていたが、いまこのタイミングで読むことにしたのは、『大地の五億年』という本を読んでいて、その第1章「土の来た道:逆境を乗り越えた植物たち」に、水中で育つイネ科の植物においては、根っこの周りに赤さびが発生するといいうことが書かれていたからだ。

これを「高師小僧」(たかし・こぞう)というらしい。愛知県豊橋市でよく見られるらしい。はじめて知った。


(イネ科の植物の根に形成される赤さび 『大地の五億年』第1章より)


そいえば、『古代の鉄と神々』という本があったな。稲作と鉄はセットで語られることが多いが、農耕と農具という組み合わせ以外にも、稲と鉄にはなにか重要な関係があるのかもしれないな、と。

そう思って文庫本を取り出してきたら、カバーのウラに書かれた書籍紹介の文章には、こう書かれている。


葦や茅の根の周辺では、鉄バクテリアの作用により褐鉄鉱の団塊が作られることがある。俗に「高師小僧」と呼ばれるこの団塊から、鉄を製錬する技術が弥生時代に存在した―。腐食しやすいために考古学的資料として姿を現さないその褐鉄鉱の痕跡を、著者は神話や祭祀のなかに見出していく。(・・後略・・)


そうか、稲作と鉄の関係は、意外と深いものがあるのかもしれない。自然科学の知見が古代史の解明につながっているのかもしれない。そう思って、つづけて読むことにしたのだ。なお、『古代の鉄と神々』は、『大地の五億年』の参考文献にはでていない。



■弥生時代における「稲作と鉄の関係」は二段階にわける必要がある

稲作と鉄器がセットになって、いわゆる弥生人が渡来人として日本にもたらしたといいうのが教科書的な「常識」だ。つまりイネも農具としての鉄器も輸入品なのだ、と。

ところが、鉄器は日本国内でも製造されていた。いわゆる「たたら」による製鉄である。日本で豊富に産出する「砂鉄」を使用したものだ。

しかも、砂鉄がつかわれるようになる以前は、「褐鉄鉱」がつかわれていた。これが本書のキモである。

褐鉄鉱(limonite)とは鉄酸化物のかたまりのことだ。イネ科の植物の水中の根っこの周りに形成されるものである。さきにでてきた「高師小僧」はその代表例である。




(褐鉄鉱 Wikipediaより)


『大地の五億年』の記述によれば、イネだけでなく、アシやヨシ、カヤなどのイネ科の植物が水中に根を張っていても窒息しないのは、地上から根っこに酸素を送るシステムがあるからなのだ、という。通気できる根っこである。


(『大地の五億年』第1章より)


その酸素が土のなかの鉄と反応して、鉄酸化物の被膜ができあがる。鉄バクテリアの作用である。それが「高師小僧」であり、内部が空洞になっているのはそのためだ。イネ科の茎が枯れて腐敗し、バクテリアによって分解され消え去ったあとに酸化化合物が残された。


(高師小僧 Wikipediaより)


つまり、稲作と鉄器がセットになった弥生時代以降の古代史を「砂鉄以前」と「砂鉄以後」で考えることが必要なわけだ。

「砂鉄以前」は、自然に生成する褐鉄鉱をつかった製鉄技術によるものであった。「砂鉄以後」はいうまでもなく、砂鉄をつかった「たたら」による製鉄技術である。時代的にいえば、前者は弥生時代前期、後者は弥生時代後期となる。

鉄製の農具は武器にもなる。農業による富の蓄積が戦争の原因となったされることが多いが、それだけが原因ではない。鉄器こそカギだ。だからこそ、支配者は鉄器を確保するために、あらたな技術をもった集団を朝鮮半島から誘致した。神功皇后の新羅遠征の背景である。

「砂鉄以前」と「砂鉄以後」では、技術の担い手が異なるのである。あたらしい技術が、古い技術を陳腐化させ、駆逐していったのである。


(砂鉄 iron sand  Wikipediaより)


「砂鉄」をつかったあたらしい製鉄技術は、あとからやってきた韓鍛冶(からかじ)とよばれる渡来人の集団がもってきたものだ。技術は人について、人とといっしょに移動する。現代でもノウハウは人についている。古代であればなおさらであろう。

技術の担い手は、倭鍛冶(やまとかじ)であれ韓鍛冶(からかじ)であれ、いずれも渡来人であるが、かれらが祀る神々は異なり、あらたな神々が古い神々にとって代わることになった。というよりも、古い神々は新しい神々によって飲み込まれたといってもいいし、あるいは上書きされたといったほうがいいのかもしれない。

とはいっても、古い神々の記憶が、完全に消え去ったわけではない。新旧の神々が習合して一体化したケースでは痕跡が残っているし、棲み分けすることになったケースでは古い神々はそのまま生き続けてきた。

神道学者で古代祭祀の研究を専門としている著者は、自然に生成する褐鉄鉱の存在を知って、長年にわたって疑問に思っていた、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)国」というフレーズの意味が解けたと述べている。目から鱗が落ちる思いをしたのだという。

「イネ科の植物である葦(アシ)が豊かに生える原が、稲(イネ)も豊かに実る国」であるとは、褐鉄鉱、すなわち「スズ」がなる原で農具となる鉄器の原料を採集することができるので、稲作を行うには適した土地であることを意味している、というわけだ。だから、内部に空洞のある「スズ」を鳴らすのである。

自然に形成される褐鉄鉱は、早くても7~8年、通常は10年以上かかるので、鉄を生き物、つまりモノと捉えていた弥生前期の人びとは、褐鉄鉱が育つのを願う祭祀として「鐸」(サナギ)をつかったのだとする。鐸(サナギ)は、「高師小僧」も模したものだ。いわゆる「類感呪術」である。

銅鐸が大量に出土するのはそのためだ。本来は鉄でつくっていた鐸(サナギ)だが、鉄はすぐに腐食してぼろぼろになってしまうので、考古学のブツとしてはほとんど残っていないにすぎない。代替品としての銅鐸が残っているのである。鉄器は考古学的物証主義の盲点というべきだろう。

著者の推論を図式的にわたしなりに整理すると、以下のようになるだろう。用語は補ってあるので著者のものそのままではない。


弥生時代前期「スズ」(=褐鉄鉱)による製鉄:海人族の水平軸。海の彼方に光る太陽(沖縄だとニライカナイ)。倭鍛冶(やまとかじ)
弥生後期から古墳時代へ。「砂鉄」による製鉄:(大陸シャマン的な天孫降臨の)垂直軸。空の上から照らす太陽。韓鍛冶(からかじ)


どうやら、縄文人と渡来人の混血である弥生人を「前期弥生人」だとすれば、古墳時代につながる「後期弥生人」とは別のカテゴリーで捉えたほうがいいのかもしれない。

神武天皇をささえていたのは「新技術」であり、「神武東遷」の伝説と稲作、鉄器、太陽神信仰の関係が明らかになる。「太陽と鉄」などというと、わたしは三島由紀夫のエッセイのタイトルを想起してしまうが、あながち的外れなものではないのかもしれない。

稲作と鉄器、そして太陽神の信仰。これらは「中央構造線」沿いに分布していることも著者は指摘している。天体観測と測量技術だけでなく、稲作と鉄器製造技術との関連を意識することが重要なようだ。


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■文系の立場から自然科学や技術の知見を取り入れた「文理融合」の成果

古代祭祀の研究を専門とする神道学者が、文献学や考古学の成果をフルに活かして挑んだ「稲作文明の鉄的要素」の解明。『古代の鉄と神々』はそんな本である。

伊勢の神宮皇學館名誉教授で、大坂の住吉大社名誉宮司、東京の神社本庁教学顧問などという肩書きを目にすると、なんだ神職の著者が書いた本か、古くさいのではないかなんて印象をもってしまう。

ところが、本書を読みすすめていると、著者の旺盛な探求精神と実証精神、周辺分野の知見も貪欲に取り入れる姿勢、しかも実地踏査を行い実感も大事にする姿勢などを知ると、感嘆の念を禁じ得ないものを感じるようになる。

日本古代史の研究は、歴史学と考古学の範囲内だけでなく、自然科学的知見も活かすことが必要なことは言うまでもなく、著者の専門である「祭祀学」という観点も不可欠であると実感する。なぜなら「祭祀」とは、始原の姿を繰り返し再現することで、原初の姿を現在に伝えているものだからだ。

著者が本書で展開した学説が、現在ではどこまで定説となっているのか、専門外のわたしには判断しかねるが、この本はほんとうに面白い学問というものがいかに面白いか、実地に示して説得力がある。

ある意味では、文系の学問が自然科学や技術の知見も取り入れた本書もまた、「文理融合」の成果というべきであろう。文系からのアプローチ、理系からのアプローチと違いはあっても「文理融合」こそ、本来あるべき姿である。

その意味でも、『古代の鉄と神々』は隠れた名著であるというべきではないだろうか。





目 次
増補改訂によせて(1997年)
はしがき(1985年)
はじめに ー 稲つくりと鉄
1 鉄穴(かなな)の神
2 鈴(すず)と鐸(さなぎ)
3 鉄輪(かなわ)と藤枝(ふじえだ)
4 銅鐸・銅剣・銅矛と産鉄地
5 倭鍛冶(やまとかじ)と韓鍛冶(からかじ)の神々
6 五十鈴川の鉄
7 紀ノ川と鉄
8 太陽の道と鉄
9 修験道と鉄
10 犬と狩
11 蛇と百足(むかで)ー 鉄と銅
むすび ー 豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)
文庫版あとがき(2018年)
解説(上垣内憲一)


著者プロフィール
真弓常忠(まゆみ・つねただ)
1923年(大正12年)、大阪市生まれ。旧制官立神宮皇學館大学に学び、住吉大社禰宜、皇學館大学教授を経て、八坂神社宮司、住吉大社宮司、現在、皇學館大学名誉教授、住吉大社名誉宮司、神社本庁教学顧問。著書に『日本古代祭祀の研究』『日本古代祭祀と鉄』『大嘗祭の世界』(以上学生社)、『神道の世界』『神道祭祀』(以上朱鷺書房)、『古代祭祀の構造と発達』『祭祀と歴史と文化』『真弓常忠著作選集(全4巻)』(以上臨川書店)などがある。2019年(平成31年)96歳で没。(出版社の書籍サイトより)



<補論>

褐鉄鉱(Limonite)
団塊状で内部に空洞のあるものを鳴石、壷石といい、豆状のものを豆鉄鉱という。板状のものは鬼板といわれ、直角に交わる頁岩の節理に褐鉄鉱が沈殿したものは香合石とよばれている。また、長野県武石村で産出される黄鉄鉱仮晶のものを武石または升石という。愛知県豊橋市の高師原で多く産出される天然記念物の高師小僧も植物の根に吸着した褐鉄鉱の集合体である。


<関連サイト>




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・・出雲大社。出雲で大量に出土した銅鐸。これらはなにを意味しているのか?

・・イネ科の植物の水中の根っこの周りにできる酸化鉄




・・真弓常忠氏によれば、サルタヒコはもともと海神であり、海の精霊ともいうべき性格をもっていたとする。海人族の神である。そう考えると、船橋には海神という地名があり、船橋に猿田彦神社がある意味を再考する必要がありそうだ


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2023年12月20日水曜日

書評『大地の五億年 ー せめぎあう土と生き物たち』(藤井一至、ヤマケイ文庫、2022 初版2015年)ー 微生物と植物と動物、そして人間がせめぎあいながら織りなしてきた5億年の歴史を一気通貫で読ませる「文理融合」の成果

 

『大地の五億年 ー せめぎあう土と生き物たち』(藤井一至、ヤマケイ文庫、2022を読了。2015年に初版がでた新書本の増補新版だという。帯に推薦のことばを寄せている池内紀氏はすでにいまは亡い。

土にかんする本でありながら、ベストセラーになっているのだということは、最近になってから知った。土についての本を読むのは、『土の科学 - いのちを育むパワーの秘密』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)を読んで以来だ。

面白いという話を聞いたので、読んでみたいと思った次第。実際、読んでみて面白かった。途中から一気に読み終えた。掲載されている写真がほぼすべてカラーという文庫版にしては豪華版である。

地球が誕生してから46億年、土が生まれてからまだ5億年しかたっていない。

その土がいかなるものであり、いかにして土がつくられてきたか、世界中を20年以上にわたって調査しまくってきた土壌学者の著者が、その豊富な知見ともてる雑学のすべてをぶち込んで書かれた渾身の1冊である。これほど「文理融合」が徹底した本もめずらしい。その7年後の増補新版だ。

土壌は地質学であり、微生物学でもあり、植物学でもあり、動物学でもあり、生態学であもあり、化学でもあり、地球環境問題でもある。


(図0-0 5億年の生物と土の共進化。植物が土を生み、土が動植物を育む)


地球史の46億年にくらべたら、土が生まれてからの5億年というのは短く感じられるが、その5億年のあいだに、生物と土が共進化してきたのである。植物が土を生み、土が動植物を育むという関係だ。

その土を利用して人間が農業をはじめたのは、1万年前のことである。

1万年前といえば、日本では縄文時代にあたるが、ずいぶん昔の話のようでありながら、それほど昔の話ではないことが実感される。

土壌の性質に応じて、人間はその土壌に適合した作物を栽培し、人口を増やしてきた。メソポタミアのような乾燥地帯では小麦が、日本のように雨の多い地域では稲が栽培されてきた。

雨が多いと土壌が酸性になりがちなので、乾燥地帯とはまた違った対応が必要になる。水が豊富だからこそ稲作が適合しているのである。水があればそれでよいというわけではない

微生物と植物、そして動物と人間が織りなしてきた土の5億年。この自然環境のなかで繰り広げられてきた循環に大きな変化が生じ始めたのが、産業革命以降のことだ。生産性向上のために肥料を大量使用し、しかも100年前には化学肥料の誕生によって、さらに劇的に変化した。


足下の大地は土であるが、農業のための土は、たんあんる土ではない。土壌である。土は英語でいえば earth であり dirt であるが、 土壌は soil である。土壌は、微生物と植物、そして動物が「せめぎあう共生関係」によってつくられてきたものだ。

その土壌を人間は利用してきたわけだが、人間もその循環構造の一部だという意識をもつことが、脱近代に生きるわれわれにとって大事なことなのだと、あらためて感じている。母親から生まれ、死ねば土に還るのが人間だ。微生物によって分解されて土に還る。その土で育った植物を食べ・・・。




人間だけが特権的立場にあるというマインドセットは、無意識レベルなのでなかなか捨てるのがむずかしい。とはいえ、人間もまた環境の一部だということは意識しておきおたい。もちろん、人間だからこそできることがあるので、意識的な取り組みも必要だと痛感している。

それにしても、土というテーマでこれだけの本は、なかなかないのではないか。まさに「文理融合」の成果というべきだが、土壌学という地味な学問に光をあてることに成功したという点においては、著者の努力は大いに報われたというべきだろう。

それにしても、地球史の46億年、土ができてから5億年、農業がはじまってから1万年、化学肥料が登場してから100年。その時間の長さと、現在に近くなればなるほどスピードが速くなっていること、いやあまりにも速すぎることに驚きを禁じ得ない。

いちど壊してしまった土壌は、そうかんたんに原状回復することはない。そのことは何度強調しても強調しすぎることはない。誰もがこのことを意識すべきなのだ。




目 次 
まえがき
プロローグ 足元に広がる世界
 生き物が土を生んだ
 旅をはじめる前に
第1章 土の来た道:逆境を乗り越えた植物たち
 地球に土ができるまで
 大陸移動とシダの森
 樹木とキノコの出会い
 ジュラシック・ソイル
 砂上の熱帯雨林
 氷の世界の森と土
 奇跡の島国・日本
第2章 土が育む動物たち:微生物から恐竜まで
 栄養分をかき集める生き物たち
 腸内細菌の活躍
 土と生き物をつなぐ森のエキス・溶存有機物
 栄養分のキャッチボール
第3章 人と土の1万年
 土に適応したヒト
 水と栄養分のトレードオフ
 古代文明の栄枯盛衰は土次第
 酸性土壌と生きるには
 田んぼによる酸性土壌の克服
 里山とフン尿のリサイクル
 人口増加と土壌酸性化を加速させたハーバー・ボッシュ法
第4章 土のこれから
 土を変えたエネルギー革命
 木材を輸入する森林大国・日本
 窒素まみれの日本
 ポテトチップスの代償味の好みが土を変える
 納豆ごはんと水田土壌
 土が照らす未来
 適応と破滅の境界線
あとがき
文庫版あとがき
参考文献



著者プロフィール
藤井一至(ふじい・かずみち) 
土の研究者。1981年富山県生まれ。 2009年京都大学農学研究科博士課程修了。京都大学博士研究員、 日本学術振興会特別研究員を経て、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。 専門は土壌学、生態学。 インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、さらに日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究している。 第1回日本生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞受賞。『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)で河合隼雄賞受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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・・「土壌は、もっぱら農業や園芸の対象であるが、同時に地質学でもあり、微生物学でもあり、植物学でもあり、動物学でもあり、化学でもあり、地球環境問題でもある」




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2022年1月7日金曜日

書評『宇宙災害 ー 太陽と共に生きるということ』(片岡龍峰、化学同人DOJIN選書、2016)ー 太陽系の惑星に生きる地球人は、太陽の圧倒的影響を受ける「宇宙環境」に生きているのだ

 

『宇宙災害-太陽と共に生きるということ(DOJIN選書)』(片岡龍峰、化学同人、2016)を読んだ。1976年生まれの宇宙空間物理学の専門家が書いた教養書である。 

太陽系の惑星に生きる地球人は、太陽の圧倒的影響を受ける「宇宙環境」に生きているのだということを、つねに意識していなくてはならないと、あらためて考えさせられる。

「宇宙災害」とは、本書に付録としてつけられた「用語集」によれば、以下のようになる。

太陽フレア、太陽プロトン、コロナ質量放出といった宇宙環境の大きな変動が地球へ作用することで生じる、経済、社会、国家の安全に必要不可欠な電力、健康、交通などへの重大な悪影響のこと」である。 付け加えれば、通信途絶、衛星墜落、宇宙デブリ事故、隕石落下、オゾン層破壊、放射能被ばく、世界停電なども「宇宙災害」に含まれる。 

「あとがき」にも記されているが、米国はオバマ政権時代の2016年10月13日に大統領令で「宇宙災害」に取り組むことを表明ている。その後、トランプ大統領時代には「宇宙軍」が創設されていることは記憶にあたらしい。 

著者の整理に従えば、宇宙から攻めてくるのが、宇宙塵、紫外線、宇宙線地球サイドで受けて立つのが、地球の大気、地磁気、そして太陽風。地球は太陽系の惑星であり、そのメリットとデメリットの両面を考えなくてはならないのだ。 

この本は、「宇宙災害」のそれぞれについて解説したうえで、「宇宙天気予報」や「宇宙利用」について、著者の研究歴を踏まえて、豊富な図表とともに、マンガやSF映画の話題をたくさんからめて語っている。高校生が読むと、宇宙への意欲がかき立てられるだろう。もちろん元高校生も同様だ。 

最後の章では、文理融合の観点から、過去の「宇宙災害」について研究する方向を示していて興味深い。「3・11」後に活発してきた過去の大地震や大津波の研究だけでなく、オーロラなどについても藤原定家の日記の記述など、歴史学との共同研究が進展中なのだ。 

個人的には、もっと早く読んでおけばよかったなと思う。太陽黒点が観察されず、太陽活動が異常なまでに停滞していた17世紀の「マウンダー極小期」にかんする使える図表が掲載されていたからだ。拙著『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』にぜひ引用したかったところだ。 

副題にある「太陽と共に生きるということ」を日々意識して生きるべきなのだ。

恒星の太陽は、惑星の地球に恵みをもたらしてくれる慈愛に満ちた存在だが、一方では災害をもたらす荒ぶる神という存在でもある。両義的な存在なのだ。

太陽と地球の関係は、太陽が消滅しない限り、続いていくのである。 


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目 次
はじめに 
第1章 宇宙災害
 通信途絶
 衛星墜落
 デブリ事故
 隕石落下
 オゾン層破壊
 放射線被ばく
 世界停電
第2章 大地から太陽系の果てまで
 第一の槍:宇宙塵
 第二の槍:紫外線
 第三の槍:宇宙線
 第一の盾:大気
 第二の盾:地磁気
 第三の盾:太陽風
 オーロラと三つの盾
 放射線帯の電子
 磁気嵐の陽子
 太陽の心拍
第3章 宇宙天気予報
 太陽に邪魔された実験
 宇宙天気予報の現場へ
 宇宙の寒冷前線と台風
 地下の水に守られた日本
 オーロラと日本の間に
 太陽の爆発に次ぐ爆発 パイロットの被ばく
 電子の集中豪雨
第4章 宇宙と生命
 動物と磁場
 マウンダー極小期と魔女狩り
 大量絶滅
 宇宙線雲仮説
 星雲の冬
第5章 宇宙利用
 宇宙就活
 スペースデブリの撃墜
 月面基地
 アポロの教訓
 テラフォーミング
  塵の悪魔
 伊達政宗の羅針盤
  将来の宇宙災害に向けて
 あとがき
 さらにくわしく知りたい人へ
用語集


著者プロフィール
片岡龍峰(かたおか・りゅうほう)
1976年、宮城県仙台市生まれ。 2004年、東北大学大学院理学研究科博士課程修了。博士(理学)。 情報通信研究機構、NASAゴダード宇宙飛行センター、名古屋大学太陽地球環境研究所で学振特別研究員、 理化学研究所基礎科学特別研究員、東京工業大学理学研究流動機構特任助教を経て、 現在、国立極地研究所准教授。 専門は、宇宙空間物理学。 2015年、文部科学大臣表彰 若手科学者賞受賞。 著書に『オーロラ! 』(岩波書店)がある。


<関連サイト>

・・奇しくもおなじことを考えていた投資家が、しかもおなじ日に「宇宙天気予報」の話を書いていたことを後から知った(2022年1月12日 記す)


(項目新設 2022年1月12日)


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