「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2025 禁無断転載!



ラベル 知識人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 知識人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年2月28日日曜日

書評『パステルナーク事件と戦後日本 ー「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)ー 1958年の日本の知識階層の精神風景を丹念に跡づけた好著

 

 先日のことだが、『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)という本を読んで、たいへん充実した読後感を抱いた。  1958年の「パステルナーク事件」という知られざる事件にまつわる日本の知識階層の精神風景を描いたものだ。 

パステルナークはソ連時代に生きたロシアの詩人。ロシア革命とその後に続いた内戦を舞台にしたヒューマン・ドラマの映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年)の原作者である(*現在に至るまで原作を読む機会がないのが残念だ。映画のほうはなんども繰り返し見ているのだが・・)
 



そのパステルナークが心血を注いで完成させたものの、当時のソ連では出版できなかった大河小説『ドクトルジバゴ』が、1957年にイタリアで出版されたことに始まるのが「パステルナーク事件」(1958年)だ。 当時すでに「ハンガリー動乱(あるいは革命)」(1956年)によって、ソ連と共産主義への支持に陰りが見え始めていた時期である。 

1958年度のノーベル文学賞が、パステルナークに授与されることが発表され詩人が受諾したにもかかわらず、わずか1週間で辞退するに至った。ソ連の体制側からの激しい誹謗中傷と圧力がかかったからである。ロシアにとどまりたかった詩人は、受賞を断念することを余儀なくされた。本書の記述を読めば、それはもう、すさまじいの一言に尽きる。これが第3章までの内容だ。 

このうような「パステルナーク事件」について、世界中の文学者たちから「表現の自由」を守れとして大きな非難が起こったのだが、日本のペンクラブではかならずしもそうではなかった。 

日本国内と日本以外では、温度差の違いと要約できるもの以上のものがあったこと、「1958年の日本の知識階層の精神風景」を綿密に描き出したのがこの著作である。 

戦前の挫折した社会主義運動という屈折した前史をもつ、この特殊ともいえる「1958年の日本の知識階層の精神風景」をあぶり出すことになったのが、日本ペンクラブの外国人会員であった米国人の日本文学研究者で『源氏物語』の英訳者である)エドワード・サイデンステッカーによる異議申し立てであり、ちょうどその頃に来日した著作家のアーサー・ケストラーであった。 

1958年は、「反米ナショナリズム」が燃えさかった「60年安保」の前夜であり、当時の日本ではアメリカの大衆文化が圧倒的な影響力をもちながらも、同時に反米意識がかなり強く存在した時代だ。そんな時代に、米国人からの異議申し立てに対して左翼的傾向の強い文学者たちが、どのような反応を示したかというと、現在では想像するのも難しい。 

さらにいえば、もともと熱心な共産党員であったが、その後共産党と縁を切った経験をもつケストラーにとって、日本の文学者たちの姿勢は当然容認できるようなものではなかったのである。ケストラーの『真昼の暗黒』(1940年)は、そんなソ連の体制を徹底批判して世界的ベストセラーになっている。 

冷戦時代のソ連、そして日本。獲得形質は遺伝するとしてソ連で公認されていたルイセンコ学説をめぐる興亡。せっかく著作家ケストラーとルイセンコ学説の双方を別個に取り上げながら、ケストラーの『サンバガエルの謎』(1971年)に触れなかったのは、画竜点睛を欠くというか、ちょっと残念だったような気もする。だが、こんな内容を400ページのボリュームでまとめたこの著作は、じつに充実した内容で読みごたえがあった。 


驚いたことに、著者の陶山幾朗氏は、なんと『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』の出版直前に78歳で急逝されていたらしい。「刊行への経緯」に記されている。だから。この本が文字通りの遺作となったことになる。 

それにしても、素晴らしい内容の著作を残していただいたものである。万人向けの本でないが、このテーマに関心のある人は、読んでけっして損のない本であると言っておきたい。 


画像をクリック!


目 次
序章 発端-1958年10月23日
第1章 祝福から迫害へ-1958年10月23日~11月6日
第2章 「事件」前史-1956~58年
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー
第5章 「文士」と政治-高見順(1)
第6章 「怖れ」と「美化」と-高見順(2)
第7章 「モスクワ芸術座」という事件
第8章 《害虫》のポリティクス
第9章  “ワルプルギスの夜” の闇
第10章 『真昼の暗黒』の来日-アーサー・ケストラー(1)
第11章 「目に見えぬ文字」への道程-アーサー・ケストラー(2)
第12章 “勝利” の儀式?-第3回ソビエト作家大会(1)
第13章 クレムリン宮殿の中野重治-第3回ソビエト作家大会(2)
第14章 「事件」の終わり-かくて人びとは去り…
補遺
わが国メディアに現れた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967)
「パステルナーク事件」関連年表
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣
あとがき
刊行までの経緯


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年生まれ。1965年早稲田大学第一文学部卒。著書に『シベリアの思想家ー内村剛介とソルジェニーツィン』(風琳堂)、『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)、『現代思潮社という閃光』(現代思潮社)、編集『内村剛介著作集』全七巻(恵雅堂出版)。 雑誌『VAV』同人。 2018年11月2日 急逝(78歳)。



(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2012年11月25日日曜日

書評『戦前のラジオ放送と松下幸之助 ー 宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの』(坂本慎一、PHP研究所、2011)ー 仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!



『戦前のラジオ放送と松下幸之助 ー 宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの』(坂本慎一、PHP研究所、2011)は、「宗教系ラジオ知識人」が日本の実業思想に与えた影響をさぐった、じつに興味深い研究成果である。

「経営の神様」といわれた松下幸之助翁は、自らの実業体験をもとに経営思想を語り、戦後PHPを立ちあげ、経営思想を超えた思想についても自分のコトバで多弁に語ってきた人だ。PHP とは、Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)の略である。

こんな松下幸之助が、じつは戦前の尋常小学校は中退し、商工学校の夜間部も「文字を書くのが苦手」で挫折。本などまったく読まない人であったことを知れば、みなさんはどう思われるだろうか。いったいどこで、どうやって思想を語るためのコトバを手に入れたのか、と。

本書によれば、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前には、「仏教系ラジオ知識人」と呼ばれる人たちがいて、一般大衆に大きな影響力をもっていたのであるという。しかも、戦前においてはJOAK(・・現在のNHKラジオ第一放送)の一局しか存在しなかったのだ。

現代にも通じる経営哲学を説いていた幸之助翁は、じつは若き日にラジオ放送を聞くことによってみずからの「引き出し」を増やしていたようなのだ。目でみた視覚情報よりも、耳から聞いた聴覚情報である。

「素直な心」や「会社で勤勉に働くことは仏道修行そのもの」といった新仏教運動の思想を耳から聴いていた若き日の松下幸之助は、経営という実践活動にたずさわりながら、ラジオ放送の内容に触発されて、自らの経営思想を創り上げたらしい。

その松下幸之助の思想は、本で読んだ知識ではなく、耳から聞いて練り上げた「声の思想」であったというべきかもしれない。


新仏教運動の思想は、松下幸之助を代表とする実業家たちの言動をつうじて、戦後にも継承され、高度成長のバックボーンになったのである。この忘れられた事実を掘り起こしたことは本書の大きな成果であるといっていい。

新仏教運動やそれをひきついだ形になる真理運動といった、現在では忘れ去られた感のある一般大衆にむけた思想運動の担い手であった、友松圓諦(ともまつ・えんたい)や高神覚昇(たかがみ・かくしょう)といった「仏教系ラジオ知識人」の存在にふたたび脚光があたるキッカケになったことは喜ばしいことだ。

角川文庫から出版されてロングセラーを続けている『般若心経講義』(高神覚昇、角川文庫 1952、初版 1947)や、講談社学術文庫にも収録されている『法句経講義』(友松圓諦、講談社学術文庫、1981、初版1933)といった名著は、みな昭和9年(1933年)前後に、ラジオの教養番組として全国にむけて放送された法話だったのである。

浄土宗出身の友松圓諦が真理運動の代表者だとすれば、真言宗の高神覚昇はナンバー2であった。しかも、高神覚昇は西田幾多郎の弟子であったことも本書では明らかにされている。しかしながら、友松圓諦も高神覚昇もアカデミズム正統派ではない、傍流の学僧たちであった。

新仏教運動の流れをくむ真理運動のポイントは、仏教の個別の宗派にこだわらず、行動重視の実践活動であった。ある意味では、ラジオという当時では最新のテクノロジーをフル活用した説教師であり、しかもその域を超えた啓蒙思想家であったといえるだろう。

「仏教系ラジオ知識人」の存在がいかに大きかったか、すでにインターネット時代に生きるわれわれは想像しにくいのであるが、講演会などのライブや YouTube による拡散よりも、はるかに大きな影響を国民全体に与えていたことはわかる。

繰り返しになるが、戦前においてラジオは唯一のマスメディアであり、しかもJOAK一局しかないかったからだ。この点については、著者による 『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008)においてすでに触れている。大東亜戦争の突入したのは。ラジオによって増幅された国民の声であったことも指摘されている。

本書は、きわめて意義の高い独創的な研究である。ビジネスの世界にいるわたしのような人間にも、きわめて興味深く読み進めることができた。今後のさらなる解明を大いに期待したい。


 
画像をクリック!

目 次

序論
 本書が取り上げる問題-松下幸之助は "誰" から学んだのか
 日本経済思想史からの出発
 実業家の思想研究に存在する問題点
 松下幸之助の実業思想を研究する
 「新仏教」という思想

第一章 「新仏教運動」からのアプローチ

Ⅰ. 明治・大正期における「新仏教運動」の概要
Ⅱ. 松下幸之助と新仏教運動の具体的接点
Ⅲ. 松下幸之助と新仏教運動の類似性
Ⅳ. PHP運動と新仏教運動の相違点
小括
次章への展望

第二章 宗教系ラジオ知識人・高嶋米峰と松下幸之助

Ⅰ. ラジオ放送の開始-昭和三年頃まで
Ⅱ. ラジオ放送の展開と受信機の発達
Ⅲ. 松下電器の躍進と高嶋米峰の活躍
Ⅳ. 松下幸之助がラジオから受けた影響
小括
次章への展望

第三章 宗教系ラジオ知識人・友松圓諦と松下幸之助

Ⅰ. 青少年期の友松圓諦
Ⅱ. 友松圓諦と真理運動の展開
Ⅲ. PHP運動、新仏教運動、真理運動の比較
Ⅳ. 真理運動の戦争肯定
小括
次章への展望

第四章 宗教系ラジオ知識人・高神覚昇と松下幸之助-西田幾多郎と共に

Ⅰ. 高神覚昇の称賛
Ⅱ. 松下幸之助と西田哲学
Ⅲ. 高神覚昇と松下幸之助の人間観
小括
次章への展望

補章 河野省三の神道思想と松下幸之助

Ⅰ. 河野省三の事績と思想
Ⅱ. 松下幸之助の思想との比較
Ⅲ. 松下幸之助との相違点
小括
結論

本書の到達点
 松下幸之助の思想研究における今後の課題
 「ラジオの思想」の重要性
 声の思想史の可能性

あとがき
索引


著者プロフィール

坂本慎一(さかもと・しんいち)
1971年、福岡県生まれ。1994年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1997年、京都大学大学院人間・環境学研究科(人間環境学専攻、人間社会論講座、経済システム論)修士課程修了。2000年、大阪市立大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。博士(経済学)。慶應義塾大学図書館非常勤研究調査員を経て、2004年4月、PHP総合研究所(現PHP研究所)入社。現在、経営理念研究本部松下理念研究部主任研究員。専門は日本経済思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

英文般若心経(Heart Sutra)


<ブログ内関連記事>

書評 『知的唯仏論-マンガから地の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談
・・「唯仏論」という表現は、すでに仏教系ラジオ知識人の高神覚昇が1947年に使用している

松下幸之助の 「理念経営」 の原点- 「使命」を知った日のこと

永続事業の条件は、「経営能力」と「経営理念」のかけ算である

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!
・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

NHK連続ドラマ小説 『花子とアン』 のモデル村岡花子もまた「英語で身を立てた女性」のロールモデル
・・「ラジオのおばさん」として全国民に親しまれていた児童文学者・村岡花子は、戦後になってから『赤毛のアン』の翻訳で有名になる

(2014年8月19日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2012年6月5日火曜日

書評『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)ー 教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

1942年生まれで1961年に大学に入学した教育社会学者が、「自分史」を戦後史に位置づける試みである。

この試みによって、著者は、「左翼にあらざればインテリにあらず」という「革新幻想」の時代を、立体的に浮かび上がらせることに成功したといえよう。

本書は、「革命幻想」をまき散らした左翼知識人たちを俎上に乗せた知識人論である。そしてまた、高度成長によって「革命幻想」がいかに変容し、衰退していったかを論じた大衆社会論でもある。

索引を含めると540ページを越える大冊だが、着眼点が面白く文章もうまいので、良質なノンフィクション作品を読むような感覚で、最後まで読みとおすことができる。

本書は、社会学の方法論で歴史が分析されているが、教育社会学、歴史社会学、知識社会学、ネットワークの社会学、大学史、教育史、メディア論、人口統計学など、じつに多岐にわたった学問分野によってカバーされた内容になっている。

だが、学者が書いたものにかかわらず、キーワードやコンセプトがキャッチーなことも特徴だ。

「革新幻想」、「悔恨共同体」、「無念共同体」、『世界』の時代、「旭丘中学校事件」など、目次を見るだけでもなんだろうと引き寄せられるのを感じるのではないだろうか。

また、詳細なデータ分析をもとにした記述は、常識とは異なる結果を見せてくれるものであり、意外な印象を読者に与えてくれるだろう。時代を知る手がかりになるエピソードや文学作品などの豊富な引用がまた、本書を読ませる一冊としているといっていい。

それにしても、「革新幻想」の時代とは、いまから振り返ると、なんと異常な「空気」が充満していた時代であったことかと思わざるをえない。

著者は、丸山眞男など有名な「進歩派」学者たちだけでなく、教育学の世界を牛耳っていた左翼学者たちの発言や行動を取り上げているが、かれらの言動をいま読むとほとんど理解不能である。

著者がインサイダーとして熟知していた教育学部の内情についての記述を読むと、この世界を知らないわたしには、はじめて知る事実も多く、なんと不思議な学部なのだろうかという印象を抱かされたのであった。

わたし自身は1962年生まれで1981年に大学に入学した人間なので、著者とは年齢がちょうど20年違う。したがって、「革新幻想」が変容した時代の末期しか知らないのだが、本書を読むことで、なぜそのような時代の空気ができあがり、それが大学キャンパスにおいて長く尾を引いていたのかを知ることができた。たいへん興味深く感じている。

大学を卒業して実社会で働き始めると、ビジネス界はすでに著者のいう「実務家型知識人」の時代であった。大学という実社会とは切り放された空間においてのみ、「幻想」が「幻想」のまま再生産され続けていたことをあたらためて再確認することができた。

1960年代までの「革新幻想」の時代は、すでに過ぎ去った過去の異様な時代であり、いまになってはどうでもいいように思えなくもない。

だが、「大衆」という「見えない権力」によって監視される状態がいまの時代である以上、大衆人とは「革新知識人が啓蒙し創出しようとした大衆(市民)の鬼子(大衆エゴイズム)」(P.310)の担い手になっているという著者の指摘を読むと、「革新幻想」の影響は、けっして過ぎ去った過去ではないのだと思わされるのである。

「戦後日本」を知るうえで必読書といっていい。


■amazon書評「教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論」 投稿掲載(2012年4月5日)

*再録にあたって、加筆修正しました。




目 次          
はじめに-自分史としての戦後史
Ⅰ章 悔恨共同体と無念共同体
-1. 三島由紀夫が描いた都知事選
-2. 北一輝の弟
-3. 有田八郎と北昤吉(きた・れいきち)
Ⅱ章 『世界』の時代
-1. 民主社会党と雑誌『自由』の不運
-2. どれだけ読まれていたか
-3. 『世界』のアップ・アンド・ダウン
-4. 小春日和
Ⅲ章 進歩的教育学者たち
-1. 牙城・東大教育学部
-2. 教育社会学者との確執
-3. どこかおかしい教育学
-4. 知識人の欲望と教育学支配
Ⅳ章 旭丘中学校事件
-1. 北小路昴と北小路敏
-2. 「おい、おっさん、早く書かんか」
-3. 皇国少年と平和・民主少年
Ⅴ章 福田恆存の論文と戯曲の波紋
-1. 福田恆存と清水幾太郎
-2. 「解ってたまるか!」
-3. 進歩的文化人をめぐる攻防
Ⅵ章 小田実・ベ平連・全共闘
-1. 颯爽たるデビュー
-2. 小田実とベ平連
-3. 歴史のなかで見る全共闘
Ⅶ章 知識人界の変容
-1. 大学解体論と大学教授叩き
-2. 知識人概念の拡散
-3. 保守系オピニオン誌の擡頭
終章 革新幻想の帰趨
-1. 石原洋次郎の時代
-2. 草の根革新幻想
-3. 大衆モダニズムの帰結
あとがき
主要参考文献
人名索引


著者プロフィール
竹内 洋(たけうち・よう)
1942年(昭和17年)、新潟県に生まれる。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、関西大学人間健康学部教授、京都大学名誉教授。専攻、歴史社会学、教育社会学。主な著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、日経・経済図書文化賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

「3-11」をすでに経験した現在から振り返ると、「戦後史」はソ連崩壊以前と以後で区分できるだろう。

前半の戦後史が、著者のいう「革新幻想」の時代だが、さらに細分化すれば、以下のように三つに区分できる。
    
① 共産党がリードした「革命」幻想の1950年代前半まで
② 社会党がリードした「革新」幻想の1960年代後半まで
 学生運動が終結し、「革命幻想」が崩壊した時代

1962年生まれで1981年に大学に入学した「新人類世代」のわたしは、1942年生まれで1961年に大学に入学した著者とはちょうど20歳違うので、大学キャンパスの風景にかんしては共有するイメージはほとんどない。

1981年当時はバブル前夜で、キャンパスはレジャーランド化していた。大学の先輩にあたる、田中康夫の『なんとなくクリスタル』(1980年刊行)の時代である。

キャンパスには、いまだ、「革新幻想」の残存が残っていたような記憶がある。ただそれは「革命幻想のさらにそのなれの果てといった残骸であった。実学の府である一橋大学では、そもそも左翼的なものは否定はされないものの、あまり人気がなかったのも確かなことだ。

浅田彰や中沢新一に代表される「ニューアカ」ブームという、人文系学問や知識人が最後の光芒を放って消えていった頃だから、本書を読んでその前史はそういうものだったのかと納得することしきり。ちなみに「ニューアカ」知識人たちは基本的に左翼である。ニューアカは、ニュー・アカデミズムの略であったが、同時に「赤」でもあったわけだ。

その当時は、先日亡くなった吉本隆明がコムデギャルソンを着て女性誌のグラビアに登場するといった時代であった。本書を読むことで、「大衆インテリ」の時代に、なぜ吉本隆明が読まれたかの意味も、いまになってようやく知ることができる。

糸井重里などコピーライターがもてはやされていた時代でもあった。糸井重里は学生運動崩れであることは、あとから知った。1980年代前半は、バブル前夜の大衆資本主義時代になっていたのだ。

すでにソ連崩壊から20年、かつて「革新幻想」が充満していた「空気」があったといっても、ピンとこない。ましてや敗戦後からの10年間の共産党幻想も、そんな時代があったということじたい、まったく想像を越えている。

結局、高度成長時代に入って、どうでもよくなってしまったということなのだが、そうした生活人の意識と大学生の意識のタイムラグが、革新幻想を残存させたのだと理解できる。

そのギャップがなくなって、高度成長の恩恵をうけた子どもたちがキャンパスにくる時代になると、急速に「革新幻想」は消えてゆくこととなる。1991年の「ソ連崩壊」後にものごころついた世代には、まったく意味不明な世界であろう

すでに「近代=西洋化」の時代が終わった日本では、いわゆる進歩的知識人や、かれらがもてはやした学問が色あせた存在になっているのは当然だ。あえて声高に語るまでもあるまい。もはや人気のかけらもないということに過ぎない。丸山眞男、大塚久雄、川島武宜などの東大系の進歩派学者の影響もほぼ消え去ったといってよいであろう。

1942年に新潟県に生まれた著者は、生まれ故郷の佐渡島と大学時代以降過ごしてきた京都を軸に自分史を語っているが、佐渡島を導入につかった記述はじつにうまい。佐渡は北一輝の生まれ故郷であり、その弟の北昤吉(きた・れいきち)という政治家がいたからだ。

京都はいうまでもなく、革新知事が長期間にわたって行政府の長として君臨した大学都市である。著者が大学時代、左翼学生たちから右翼だとレッテルを貼られたのも当然だろう。しかし、これは京都大学だけではなかったことが本書を読むとよく理解できる。

小田実は左翼イメージの強い人だっただけに、市民運動に本格参加する前の前半生は意外な感じもした。これは左傾化してから以降の小田実しか知らなかったわたしには収穫であった。

わたしとしては、わたしもその一人である(?)実務家型知識人をもうすこしくわしく取り上げてほしかった思いがある。

1980年代以降に活躍した実務型知識人たちは、ビジネスに軸足を置いた人たちであった。技術系の牧野昇や唐津一、元マルクスボーイが銀行で鍛えられた竹内宏、同じ長銀の日下公人、英字紙記者出身の竹村賢一など。学者としては、高坂正堯だけではなく、梅棹忠夫もぜひ取り上げてほしかったと思う。

また、比較文学の島田謹二による広瀬武夫、秋山真之の再評価についても、この機会に振り返っておきたい。司馬遼太郎の『坂の上の雲』によって、いまではすっかり国民的英雄の座を確保している実務型知識人である軍人たちだが、先鞭をつけたのは島田謹二による評伝文学である。

著者の専門は教育社会学だが、大きなくくりでは教育学部のなかに属している。教育学部の性格というものがその渦中にいた著者自身によって説明されるのだが、「進歩的教育学者」たちの姿は、このレベルの低さには、開いた口がふさがらないほどのひどさである。

目次に即して、各章の感想を一言づつ書いておきたい。

Ⅰ章「悔恨共同体」と「無念共同体」 ⇒ この時代についてはまったく知らないので勉強になった
Ⅱ章『世界』の時代   ⇒ 岩波書店の戦後、である
Ⅲ章 進歩的教育学者たち ⇒ これはひどいの一言しかない教育学と教育学部
Ⅳ章 旭丘中学校事件 ⇒ 時代の雰囲気と教師たちと生徒たちの意識のズレという実態
Ⅴ章 福田恆存の論文と戯曲の波紋 ⇒ 演劇もまた「革新幻想」の支配する世界であった
Ⅵ章 小田実・ベ平連・全共闘 ⇒ まさに1960年代!
Ⅶ章 知識人界の変容 ⇒ もともと日本では知識人の敷居が低いので、尊敬と軽蔑のまとになりやすい知識人
終章 革新幻想の帰趨 ⇒ 「世間」の崩壊?

著者による『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1999)、『教養主義の没落-変わりゆくエリート学生文化-』(中公新書、2003)と『丸山眞男の時代-大学・知識人・ジャーナリズム-』(中公新書、2005)とあわせ読むと、重複している部分はあるもののつよく実感できる。戦後は戦前の反動であり、戦後の知識人とは左翼そのものであったから。

すでに以前の著作からであるが、著者の竹内洋氏は、「戦後」を「戦後」としてのみ描くのではなく、「戦前」からの連続として捉えているところに、大きな特色がある。

本書もまた「戦後」をタイトルに掲げながらも、すでに1930年代に発生していた問題が、戦争によって中断されたために、戦後になってから時間差をおいて起こるべくして起こった「大学解体論」を取り上げていることもその一例である。

きわめて「戦後」的な現象も、「戦前」の蒸し返しに過ぎない、あるいはタイムラグをおいて再燃したということも多々あるわけなのだ。

「戦後日本」と「戦前日本」とを、行きつ戻りつする論述スタイル。歴史は同じままでは繰り返さないが、同じパターンで繰り返すことが著者の思考にはあるのだろう。

本書は、ある程度まで、教育社会学に限らず社会学の素養があると、さらに楽しんで読めるだろう。とくにブルデュー社会学を徹底的に使いこなした分析は、読む者のアタマの整理になる。



<ブログ内関連記事>

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)
・・東大教育学部出身で教鞭をとっていた「ベストティーチャー」の教育社会学者による本

書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)・・この本の第7章がまさに「革新幻想」の時代=高度成長期

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・唯物史観が支配してきた「戦後歴史学」が誤った封建制概念をまきちらした

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)
・・唯物史観が支配してきた「戦後歴史学」のなかで、それとはまったく関係なくなされた論述

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・「全共闘」時代の1969年、高坂正堯教授の研究室が破壊された

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end