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2015年7月12日日曜日

書評『精神分析の都 ー ブエノス・アイレス幻視(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)ー 南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である


アルゼンチンといえばタンゴ、元大統領夫人をミュージカル化した『エビータ』、「神の手」でアルゼンチンをワールドカップで優勝に導いたサッカー選手マラドーナ、「世界の穀倉地帯」で放牧にたずさわる牧童ガウチョといったイメージだろうか。

現在なら、欧州以外でははじめて選出された現在のローマ教皇フランシスコ一世ををそれに加えるべきかもしれない。フランシスコ教皇の本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ、イタリア系移民の家族に生まれたカトリックである。マラドーナもまた、イタリア系移民の家族に生まれた人だ。

『母を尋ねて三千里』という物語は、イタリアの国民作家デ・アミーチスの『クオレ』のなかに挿入されているものだが、貧しかったイタリアからアルゼンチンに出稼ぎにでかけた人が多かった時代の作品である。そのアルゼンチンは、現在では累積債務に苦しむ経済となってしまっている。

だが、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスには、「精神分析の都」という側面もあることを教えてくれるのが『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)である。わたしはこの本の存在を、 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)で知った。

1987年から3年間ブエノスアイレスに滞在していた著者によれば、南米のブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」なのだという。精神分析といえばフロイト。フロイトはいうまでもなくユダヤ系である。ニューヨークは、一名ジューヨークと呼ばれるほどユダヤ系人口の多い都市である。イタリア系の多いアルゼンチンであるが、ユダヤ系人口が多いことは意外と知られていない。

統計数字でみておこう。ユダヤ系人口がもっとも多いのはイスラエルであるのは当然のことして、アルゼンチンもまた多いことは注目に値する。アルゼンチンは、ユダヤ系人口が世界で7番目(!)に多い18万人を数えている。

1. イスラエル 5,309,000
2. アメリカ 5,275,000

3. フランス 492,000
4. カナダ 373,000
5. イギリス 297,000
6. ロシア 228,000
7. アルゼンチン 184,000
8. ドイツ 118,000
9. ブラジル 96,000
10. オーストラリア 88,831
(出所:wikipedia項目「ユダヤ人」日本語版 2015年7月現在)

スペインの植民地であったアルゼンチンは、カトリックのイタリア系移民が多数派だが、ロシアにおける迫害から逃れてきた移民を中心としたユダヤ系市民は首都のブエノスアイレスに集中している。ブエノスアイレスのイスラエル大使館が自爆テロの標的になったのは1992年のことだ。

アルゼンチン出身のユダヤ人でもっとも著名なのは、ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムであろう。ロシア出身のユダヤ系移民の両親のもとにブエノスアイレスで生まれた。

ピアニストのマルタ・アルゲリッチも母方の祖父母がロシアからのユダヤ系移民である。ユダヤ系の音楽家は世界中に多いが、アルゼンチンもまたその一翼を担っている。

さて、本書の主題である「精神分析の都」に触れておこう。

著者は、精神分析は、ユダヤ人が西欧文明のなかで「同化」するなかで体験してきた葛藤を克服するために開発されたものだとしている。南米のアルゼンチンもまた西欧文明の延長線上にあるが、西欧そのものではない。この点が重要だ。

旧大陸での精神分析への文化上の抵抗は、新大陸ではあまり見られなかった。とくにニューヨークやブエノスアイレスのように、種々雑多な人種が次から次へと移民してきたような雑居地域では、ユダヤ人だけでなく非ユダヤ人までもが精神分析を喜んで受けるという事態が起こったのである。それは、伝統のない自由な新世界には旧社会の偏見がなかったから、ということではない。むしろ、移民やその子孫たちが、旧世界の伝統から離脱した一方で、新世界にも馴染めぬ宙ぶらりんの人間となったこと、その宙ぶらりんの状態が彼らをして言い知れぬ孤独と不安に陥らせた、ということによるのである。精神分析は、そういう社会と伝統を喪失した不安定な個人に、一種の自己構築作業を施すことで、心的安定を与える役目を果たしてきたのである。(P.11)

この文章にすべてが言い尽くされている。アルゼンチンの日系人について、精神分析を受けたなら日系人もユダヤ人のようにアルゼンチンで活躍できるのにと著者は書いているが、ひじょうに示唆的な発言である。

本書では著者自身による精神分析体験についても具体的に紹介されているが、著者は精神分析の効能について、「言語化」というキーワードで説明している。

著者によれば、精神分析とは、無意識を意識レベルに引き上げて、それを言語化することで意識に統合する作業である。それは言語化されていない深層意識(・・井筒俊彦的にいえば「言語アーラヤ識」とでもいうべきか)にうごめく想念を、言語化することによって、意識化することである。

この作業は、見たくないこと、考えたくないことを意識化させる行為であり、できれば避けたいと思うのが人間のさがである。しかしながら、この作業を行わない限り、宙ぶらりん状態がえんえんとつづくことになり、精神的な不安は解消されないのである。

アルゼンチンの日系人だけでなく、日本本国に生きている日本人もまた、「無意識の言語化」を避ける傾向がきわめて強い。自分のことをキチンと見つめようとしない日本人、反省しない日本人、敗因分析をしない日本人、失敗経験から学ばない日本人。思い当たるところは多々あるではないか。

フロイトが開発した精神分析には、もちろん限界があるが、たとえ精神分析そのものを体験しなくても、見たくないものを見ること、考えたくないことを考えること、無意識レベルを言語化し意識化することは、振幅の激しい経済社会に生きる現代人にとっは、精神的な安定をたもつうえで重要であることは否定できない。

こうした考察をつづった本書を読んでいると、理論から出発するのではなく、実体験を「言語化」す著者の姿勢におおいに共感するとともに、アルゼンチンについて複眼的に見る視点を与えてくれる貴重な一冊であるという感想ももつ。

どれだけ読まれた本であるか知らないが、このまま埋もれてしまうには惜しい本だ。タイトルにもう一工夫があったらよかったのに、と思うのだが。


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目 次

Ⅰ 精神分析の都ブエノス・アイレス
Ⅱ ディヴァン(長椅子)からの思索
Ⅲ ブエノス・アイレス絵画幻想
Ⅳ 哲学者集団BAAB
Ⅴ 五年後のいま
あとがき

著者プロフィール

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。1980年東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭を執った後、現在福岡大学人文学部教授。専攻は比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

Museo de la Deuda Argentina (The Museum of Foreign Debt)
・・ブエノスアイレス大学構内にある「債務博物館」。経済変動の激しいアルゼンチンでは、1827年のデフォルト(=債務不履行)以来、累積債務問題が国民を苦しめている。こうした経済状況が精神的ストレスを生んでいることもある

(2015年7月18日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

書評 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)-ユダヤ系フランス人にとっての「西欧近代」と日本人にとっての「西欧近代」
・・『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-』の著者による本

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える
・・本ブログ記事を執筆後に出版されたもの。ただし、この本には『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-』への言及はいっさいない


アルゼンチン関連

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
・・欧州以外からはじめて選出された新教皇フランシスコ一世は、アルゼンチンのイエズス会出身者

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る
・・ブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯であったパラグアイで成功したイエズス会ミッション

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本
・・英国文化の影響のつよいアルゼンチンではポロは国技となっている

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・ユダヤ人虐殺の責任者であるアイヒマンは、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの情報機関モサドによって拘束されイスラエルに連行された

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・エンデに大きな影響を与えた「忘れられた経済思想家」のシルビオ・ゲゼルは、アルゼンチンに渡って実業家として成功したドイツ移民で、景気変動の激しいなかで破産もせず生き残った人である


ユダヤ関連

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・この本の著者も、日本語に堪能な日本在住ユダヤ人

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ
・・ウィーン出身のユダヤ系小説家が夢見たブラジルの未来

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである
・・アルゼンチンのユダヤ人の多くは、迫害を逃れてロシアから移民してきた人たち

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えている。民族の「精神分析」というアプローチが興味深い

(2015年7月17日、11月12日・15日 情報追加)


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書評『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)― ユダヤ系フランス人にとっての「西欧近代」と日本人にとっての「西欧近代」



1999年に購入してすでに読んでいたが、内容をすっかり忘れ去っていた本を再読すると、これがものすごく面白い。再読した現在(*)のわたしの関心とジャストフィットしているからだろう。

『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)の著者のメッセージは、以下の一文に尽きるだろう。

二つの民族の共通性を挙げるなら ・・(中略)・・ 私の考えでは少なくともひとつあります。それは、ユダヤ人も日本人も長いあいだ伝統的な共同体生活をしてきたのだが、急に西欧近代社会と接することになり、そこで「近代化」の葛藤を経験してきたということです。この近代における運命の共通性は、知れば知るほど私たちの現在を知ることに役立つし、私たちの今後を考える指針にもなり得ると思います。
ゲットーの共同生活から近代社会に出ていったユダヤ人たちの状況は、鎖国状態から西欧文明との出会いを通じて近代化を強いられた日本人の状況に比することができる。したがって、西欧世界との葛藤から生まれた近代ユダヤ思想は、少なからず似たような道を歩んできた日本人にとって、意味があると思うのです。(P.15~16)

集中居住地域とされていたゲットーから解放され、19世紀初頭から遅れて西欧社会に入ってきたユダヤ人は、自分たちの「伝統」を守るため、西欧社会との「同化」をどう実行し、しかしそのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、ホロコーストという悲劇に巻き込まれることとなる。

いわゆる「鎖国」が実現した「パックス・トクガワーナ」で平和を享受していた日本人は、19世紀後半から西欧社会に参入し、「上からの近代化」によって西欧社会との「同化」を実行するが、そのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、原爆投下という悲劇に巻き込まれることになる。

こうした大きな悲劇がユダヤ人と日本人に起こったということは、ある意味では両方とも共通の近代をあゆんできたということから理解できます。両民族とも西欧近代の文明そのもののに挑戦したがために、「出る釘は打たれる」の論理で罰せられたのです。(P.187)

もちろん、これは単純化した図式的理解ではあるが、おなじく「非西欧民族」が西欧近代化を通じてたどった軌跡として、比較するに値することだ。

本書は、『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)とシンプルなタイトルだが、聖書やタルムードなどから「ユダヤ的思考」を抽出するといったタイプの本ではない。

アルゼンチンでユダヤ人とユダヤ思考に出会ったことによって救われたという著者が、フランス系ユダヤ人の思考の軌跡を追っていくいことで、おなじく「近代化」を体験してきたユダヤ人の体験と思想から、日本と日本人について考察した内容のものだ。

その意味では、「ユダヤ人にとっての「近代」 日本人にとっての「近代」といったような副題をつけたほうが、読者には親切だったのではないだろうか。さらにいえば、「フランス系ユダヤ人にとっての「西欧近代」といったほうが、より正確に内容を表現したものとなる。

たとえば、哲学者アンリ・ベルグソンが、かなり早くから日本で受容された理由と、それでもなお読みこめていない理由の記述が興味深い。ドイツのユダヤ系の哲学者フッサールと同時代人であったベルグソンについては、国際連盟をつじて深いかかわりのあった新渡戸稲造についての言及がないのは残念だが。

そして社会学者エミール・デュルケーム。『自殺論』というフランス社会学の古典的名著の著者であるデュルケームは、ユダヤ教の聖職者であるラビの家系に生まれながら、ラビの人生を選択しなかった人だ。デュルケーム社会学のエッセンスは、既存の秩序が崩壊する際に出現するアノミー状態(=規範なき状態)の考察にあるが、彼の出自を考えれば納得するものがある。

ちなみに、日本にも大きな影響を与えてきた社会学者で人類学者のマルセル・モースや、歴史学者のマルク・ブロックは、デュルケームの親類にあたる人たちだ。いずれもドイツとフランスの境界にあるアルザス地方の出身である。

このほか取り上げられているユダヤ系フランス人の思想家は、レヴィ=ブリュエルやレヴィ=ストロース、シモーヌ・ヴェイユなど多数あるが、いずれも「近代西欧」の震源地であるフランスにおいて、現実と格闘しながら生きて考えつづけたユダヤ人である。

フランス革命という「近代化」の震源地となったフランスと、「フランス革命」の影響を受けながらも国家統一までの道のりが長く、かなり遅れて「近代化」が始まったドイツとでは、そのなかで生きたユダヤ人にとってもおのずから意味合いが異なっていることにも気づかされることだろう。人は環境の影響をつよく受ける生き物でもあるからだ。

その意味では、本書では取り上げられることのない、アメリカという普遍文明(?)で全面的に開花した「普遍志向のユダヤ人」についての思考はまた別途なされるべきものだろう。アメリカ文明(・・とくに北米のアメリカ合衆国)は西欧文明の延長線上にあるとはいえ、欧州と米国の違いはかなり大きい。著者自身は南米アルゼンチンでの体験を別途詳細に語っている

西欧近代との関係において、合わせ鏡のような関係にある日本人とユダヤ人。本書では、もっぱら共通性についてさまざまな事例をつうじて論じられているが、もちろんこの両者には大きな差異がある。

共通性と相違性の両者から、日本人とユダヤ人の比較を考えてみることは、日本人が21世紀以降に生きていくうえで不可欠なことだという著者の論旨には全面的に賛成である。



(*注)  2013年に書き始めた文章である。2015年のいま、再編集しながら書き直した。


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目 次

第1章 「考える心」とは何か
第2章 共通の記憶を求めて
第3章 近代の病
第4章 神話的論理の可能性
第5章 文明人の中の原始人
第6章 「社会」の発見と創造
第7章 悲劇からの再生
あとがき


著者プロフィール

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。1980年東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭を執った後、現在福岡大学人文学部教授。専攻は比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である


フランス系ユダヤ人と「西欧近代」

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画
・・スラブ系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスのアーチスト。ベルグソンもまたポーランド系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスの哲学者

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・日本びいきの人類学者レヴィ=ストロースも、日本に多大なる影響を与えてきた人

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?
・・おなじフランス系思想をベースにしたものであっても、内田樹の『私家版 ユダヤ文化論』より『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁)のほうがはるかに面白く感じられる。それは問題意識のあり方の違いであろう


ドイツ系ユダヤ人と「西欧近代」

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・「西欧人でありながらユダヤ人であることに悩みつづけた著者は、ハンブルクの著名な銀行家ヴァールブルク家の長男に生まれながら家督相続を拒否し、さらにはユダヤ教からも遠ざかるのですが、いくら自分の意識のなかでユダヤ性を遠ざけても、自分を見る周囲の目にはユダヤ人でしかないという矛盾を感ぜずにはいられないのでした。こうした自己認識と他者認識のズレが繊細な精神をもつ著者を、最終的に精神の病に追い込んだようです。
ドイツ人という西欧人であるはずの自分のなかに棲むユダヤというオリエント性、それは「魔術からの解放」されたはずの近代人の「合理性」のなかにひそむ古代人の「非合理性」を発見せざるをえないことのキッカケになったのかもしれません。
近代西欧世界に生きてききたユダヤ人の宿命、これは強いられた開国によって近代化=西欧化の世界に生きることになった日本人と共通する問題かもしれません。しかし、みずからの内なる古代性を発見するのに、日本人の場合は北米のインディアン(=ネイティブ・アメリカン)を見る必要はなかったといっていいでしょう。なぜなら、近代日本においてもそこらじゅうに古代日本が転がっているからです。これは21世紀の現在でも変わりません。」

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」
・・フランス革命以降の啓蒙精神のなか、ドイツに「同化」したユダヤ人」が、20世紀になってから「同化」を捨て、父祖の宗教であるユダヤ教にアイデンティティを見いだす自己探求の旅の思索は、日本人にとっても無縁ではない、いやむしろ共感さえ覚えるのである

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・ベルリンの主任ラビを務め、第二次大戦後アメリカに移住したレオ・ベックが説く「ユダヤ教の本質」は、じつによく日本(教)と似ていることに驚かされる


日本人と「西欧近代」

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」 基本的な問題関心のあり方に 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)と共通するものがある

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・とくに津田梅子は帰国した時点でほぼ完全に日本語を忘れていたのである

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法
・・「津和野の人 森倫太郎」として死んだ鴎外にとっては西欧近代は上半身にしか過ぎなかったのか?

詩人・佐藤春夫が、おなじく詩人・永井荷風を描いた評伝  『小説 永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)を読む
・・永井荷風にとっての「西欧近代」とは「個」に徹底的にこおだわることであった

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
・・近代化する日本との相克に身を引きちぎられる思いをしていた

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは
・・非西欧人としての日本人の実存

(2015年7月17日 情報追加)


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2015年7月9日木曜日

書評『こんにちは、ユダヤ人です』(ロジャー・パルバース/四方田犬彦、河出ブックス、2015)ー ユダヤ人について知ることは日本人の多様性についての認識を豊かにしてくれる


『こんにちは、ユダヤ人です』という、なんだかえらく軽いノリのタイトルだが、ひじょうに中身の濃い一冊だ。読み応えのある一冊である。

ロジャー・パルバース氏は、ニューヨーク生まれで、オーストラリア国籍を取得した「ユダヤ人」である。対談相手の四方田犬彦氏は、大量の著書をもつ博覧強記の人。世界中を旅して滞在して、現地感覚も豊富に持ち合わせている人。その滞在先の一つがイスラエルである。この二人は知り合ってから34年の友人だという。

日本人向けの英語関連本を大量に執筆しているパルバース氏だが、この対談では最初から最後まで日本語で行っている。日本で暮らし、日本語も堪能な小説家のリービ英雄、プロデューサーのデイブ・スペクター、ロック評論家のピーター・バラカンや数学者で大道芸人のピーター・フランクルなど日本で活躍するユダヤ人は多数いるが、みずからユダヤ人と名乗っていない人も多い。

パルバース氏は、みずからのルーツについて、東欧からアメリカに移住した家族の歴史をナラティブ(=語り)として語っている。だからこそ、この本は面白い。「自分史」として両親の家族の歴史を語ることは、民族全体について語ることにもつながるからだ。

パルバース氏が、単数形の「アイデンティティ」ではなく、複数形の「アイデンティティーズ」にこだわっているのは、ステレオタイプな見方をされたくないためだろう。じっさい、どんな人間も単一のアイデンティティで成立していることなどありはしない。小説家の平野啓一郎氏が、 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)で展開している「分人」という概念も、人格は複数の要素によって構成されていることを主張しているのであり、複数形の「アイデンティティーズ」と共通するものがあるといっていいだろう。

この本が面白いのは、パルバース氏の語りだけでなく、対談相手の四方田氏もまた博覧強記の人であることもある。とくに映画や芸能関係の話題は豊富というよりも膨大であり、ユダヤ人を広いパースペクティブとコンテクストのなかに位置づけることに貢献している。この本に登場するユダヤ人の名前をすべて知っている人は、よほどのユダヤ通でもない限り、まずいないだろう。

とはいえ、話題の領域が膨大であるがゆえに、四方田氏の発言には、やや雑な発言が目につくのは仕方がない。初めて目にする固有名詞については、読者がネット検索して確認すればよい。この対談本は教科書ではないので、多様なものの見方の一つくらいに受け取っておくべきだろう。

本書のメッセージで重要なものに、「イスラエル人=ユダヤ人ではない」、というものがある。パルバース氏自身の立ち位置でもある。ユダヤ系米国人のスピルバーグ監督もまた、イスラエル建国に肯定的な『シンドラーのリスト』と、イスラエルのモサドの情報活動に批判的な『ミュンヘン』のあいだで揺れ動いている。

国家成立後のイスラエル人は、その他の地域に生きるディスポーラ(=離散)のユダヤ人とは異なる存在になっている。イスラエル以外のユダヤ人はマイノリティとして存在するので「見えにくい存在」であるのに対して、イスラエルにおいてはユダヤ人はマジョリティである。この違いは大きい。「イスラエル建国は、ユダヤ史の曲がり角」という認識はただしい。

「日本人はイスラエルについては知っているが、ユダヤ人全般についての知識は増えていない」というパルバース氏の問題意識には耳を傾ける必要があるだろう。多様な言説があふれながらも、具体的なユダヤ人との接触がない日本人は、少なくとも知識レベルを増やす必要はある。

対談のなかで、これぞユダヤ的だとパルバース氏が引き合いに出している「センメルヴェイスの手」のエピソードにも注目したい。偉い人のいうことを鵜呑みにするのではなく、身近なことにらの疑問をもち、あらたな発見をする。これは「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)の発想と同じである。

アメリカ出身にせよ、ロシア出身にせよ、世俗的なユダヤ人は世俗的な日本人によく似ているという印象を受けるのはわたしだけではないと思う。伝統文化を完全に否定するわけではないが、伝統の重圧からは脱出している存在。

ユダヤ性というエスニシティに徹底的にこだわって生きるか、ユダヤ性というエスニシティを出さずに同化する生き方を選ぶか、それは個々人の生き方にかんする戦略の問題だ。これはユダヤ人に限らず、普遍的なものといっていいだろう。

だが、まだまだ日本人にはダイバーシティ(=多様性)が欠けているのではないだろうか? 日本人の認識に欠けているものを補ってくれるのが、ユダヤ人という存在ではないだろうか。「ユダヤ人がいることで世界は豊かになる」のである。

話題のテーマが文化面に片寄りすぎている点にやや不満があるが、ぜひ膨大な固有名詞の海のなかで溺れながら、ユダヤ的思考法のエッセンスをつかみ取ってほしいと思う。





目 次 

1 私はユダヤ人としてどう育ったか
2 イスラエルはユダヤ人を代表できるか
3 ユダヤ人はアメリカにどう受け入れられたか
4 言語でも、信仰でも、国籍でもなく、ユダヤ人
あとがき
 「遠くにある敷居」-四方田犬彦の世界(ロジャー・パルバース)
 30年目の対談(四方田犬彦)


著者プロフィール

ロジャー・パルバース(Roger Pulvers)
1944年ニューヨーク生まれ。ベトナム戦争への批判からアメリカを離れ、1976年、オーストラリア国籍を取得。オーストラリア国立大学、東京工業大学などで教える。小説・エッセイの執筆、宮沢賢治、井上ひさしなどの英訳、劇作・演出など多様に活動。野間文芸翻訳賞を受賞 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

四方田犬彦(よもた・いぬひこ)
1953年大阪生まれ。建国大学(ソウル)、コロンビア大学、ボローニャ大学、明治学院大学、テルアヴィヴ大学などで教える。サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、芸術選奨などを受賞。著書は130冊を越える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<参考> 本書に登場する話題のいくつかについて

●森鷗外の『舞姫』

四方田氏は「仕立屋」とあればわかるだろうと発言している。
舞姫のテキストをチェックしてみると、舞姫エリスの父親の名前はエルンスト・ワイゲルトとある。おそらく Ernst Weigert というつづりだろう。この名字はユダヤ人のものだ。つまりドイツ系ユダヤ人ということになる。
鷗外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』の主人公のアヌンツィアータ(=受胎告知)という名前をもちながら「猶太をとめ」となっていたことを想起する

ジューイッシュ・アクセント(Jewish accent)

ジューイッシュ・アクセントは、日本語でいえば大阪弁のようなものか。イディッシュなまりの英語だと、社会的タブーを無視した批判的トークも受け入れられやすいというアメリカ社会の土壌。タブーなきユダヤ系コメディアンの一人にスタンダップ・コメディアンのサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)がいる。アメリカを理解するために、これは知って損はない情報。

●ローレン・バコールがユダヤ系であることは知っていたが、ヘディ・ラマールという女優も、ウィーン出身のユダヤ系であることも知らなかった



<ブログ内関連記事>

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介
・・イスラエルに批判的なスタンスだが、読みではある

書評 『イスラエルとユダヤ人に関するノート』(佐藤優、ミルトス、2015)-プロテスタント神学 × インテリジェンスという独自のポジションから読み解く
・・「聖書の大地であるイスラエルへの特別の思いを語るプロテスタント神学者であるという立ち位置」からくるバイアスは考慮に入れて読む必要がある。イスラエル熱愛派というべきか

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである
・・ロシア系ユダヤ人について知る

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・この本の著者も、日本語に堪能な日本在住ユダヤ人

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・博覧強記の四方田氏は映画史が専門


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2010年1月27日水曜日

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)ー 25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

    

(ドイツで発行されたレオ・ベックの切手 wikipediaより)


以前にブログに書いたことだが、私は大学時代に歴史学を専攻し、西洋中世史の分野で卒業論文を執筆して卒業した。いまから25年前のことである。

 卒論のタイトルは、『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』。この論文では、ユダヤ人信用業者、ひらたくいえば金貸しの実態について扱ったものだ。

 1985年当時は日本語でずばりこの問題を扱った単行本も論文もなく、えらく苦労させられたが、たまたまフランスの社会経済史の専門学術誌「アナール」(Annales. Histoire, Sciences Sociales・・いわゆる「アナール派」である)に格好な論文が掲載されていたのを発見し、このフランス語の論文をもとに、卒業論文をまとめあげたのであった。13世紀南フランスの事例をもとにしたものである。

 400字詰め原稿用紙で250枚という長編になってしまい、一冊に製本できず、二分冊となったしまった。卒業論分はすべて製本して図書館に保存される決まりになっている大学なので、いまでも図書館に架蔵されているはずである(・・確かめたことはない)。



 なぜ卒論でユダヤ人をテーマに取り上げたのか? 

 基本的に阿部謹也ゼミナール(阿部ゼミ)では、卒論のテーマは何でもよい、とされており、選択の自由が完全に学生に任されている点が非常に魅力的であった反面、自分で考えて、最終的に結論を出さなくてはならないというのは、実に厳しい要求であったような気もする。

 われらが恩師であった阿部謹也教授は、「そのテーマを選ばなければ生きていけないテーマを選ぶことです」と、さらにその先生であった上原専禄教授からいわれたという。このアネクドートはわれわれも口頭で聴かされたものであるが、『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也、ちくまプリマーブックス、1988)という名著にも書かれているので、よく知られていることだろう。現在は、ちくま文庫からも出ている(2007年)。この本には、上原専禄ゼミで哲学者の三木清について書いた学生の話もでてくる。活字になっていない面白い話は他にもあるので、また機会があれば書いてみたいと思う。

 しかし阿部先生ならずとも、「そのテーマを選ばなければ生きていけない」なんてテーマがあるはずはない。一年間考えに考えた末、私は「ユダヤ人」をテーマに取り上げることにした。中世西洋史のゼミナールなので、せっかくなので中世ヨーロッパにこだわることにした。

 卒論指導に際して、何冊か先生の蔵書を貸していただいたが、コピーをとって夏休みに辞書を片手に読んでみた。そのうちの一冊が L.K. Little, Religious Poverty and the Profit Economy in Medieval Europe というタイトルのハードカバーであった。

 ところどころに先生自身がした、鉛筆による線引きと書き込みが多数なされており、「あ~、学者というのはこういう風に本を読むのか~」という感想をもった。ある意味では、大学院生でもないのに実地教育を受けたような気もする。

 その本は、タイトルを日本語にすると、『中世ヨーロッパにおける清貧と営利経済』とでもなるのだろうか。卒論執筆には、Chapter 3. The Jews in Christian Europe(キリスト教ヨーロッパにおけるユダヤ人) と Chapter 10. Scholastic social thought(スコラ派の社会思想)が役にたった。同書のペーパーバック版は現在でも入手可能のロングセラーである。


 なぜ卒論でユダヤ人をテーマに取り上げたのか?  

 理由はいくつかある。間違いなくあったのは、ユダヤ人がヨーロッパのキリスト教世界のなかではつねに「少数派」(マイノリティ)であった、という事実への共感とでもいったものである。

 私自身は日本人としては多数派に属するはずであるが、なぜかある時期から周囲に馴染めず、つねに違和感を感じている、というタイプの人間となっていた。高校時代くらいからだろうか。

 その当時はうまく表現できなかったが、その後に阿部謹也先生による「世間論がでて、昔から日本にも同じような思いを抱いて、周囲からスタンスを取ることによって精神の安定を得てきた人たちがいるのだ、と知った。

 大学時代から、読んでいた折口信夫(国文学者・民俗学者)の文庫版全集に収録されていた、若き日の「日記」に、こういう一節をみつけて非常に同感を覚えていた。「・・・また、同化せられざる悲しみを覚えに行くに過ぎないのだらう。」

 いま手元にないので確認できないのだが、折口が同じ日記のなかで「ちょうずんぴーぷる」なんて表現をひらがなで書いているのも興味深い。Chosen People とはユダヤ人についてしばしばいわれる「選民」のことである。

 キリスト教への違和感が、マイノリティであるユダヤ人への共感を感じたのは不思議ではない。ユダヤ人の歴史に決めてからも、さらにテーマを絞り込むのに時間がかかった。迫害を逃れてスペインのコルドバからモロッコ経由で移動し、最終的にエジプトのカイロに落ち着いたマイモニデス(=モゼス・ベン・マイモン)について書こうかなどとも考えた。

 最終的に、中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活としたのは、就職活動にも有利になるかもしれない、などという不埒(ふらち)なものがあったことも否定しない。この話題をしたとき、銀行の就職面接では受けが悪くなかったのは事実である。結局、銀行そのものには就職しなかったが、これは結果としては良かった。人間万事塞翁が馬、である。

 同時期に受講した「華僑問題特別講義」も、大いにインスパイアしてくれたものである。自らが台湾・客家(はっか)出身である、立教大学の戴国煇(たい・くおふぇい)教授のこの授業は、東洋のユダヤ人とすらいわれた「客家」の立場からの講義は、私としては大いに得るものがあった。後に東南アジアのタイに深く関わった際にも大いに役立ったことはいうまでもない。



 さて、資料収集にあたって大いに役だったのが、たまたま見つけた、『増補 ユダヤ人論考-日本における論議の追跡-』(宮沢正典、新泉社、1982)という本だった。

 1877年(明治10年)から1981年(昭和56年)まで、日本で出版されたユダヤ関連文献を、すべて網羅した資料編がことのほか有用で、のちにさらなる増補版もでている。定価2,500円もする高い本だったが、実に価値の高い本だ。

 この資料編をみていて気がついたのは、1935年(昭和10年)から1943年(昭和18年)にかけて、満鉄調査部(南満洲鉄道調査部)からユダヤ問題関連の調査資料が大量に発行されていた事実であった。

 『タルムード研究資料』(昭和18年)、アルトゥール・ルッピンの『猶太人社会の研究』(昭和14年)など多数あり、大学図書館で図書カードを繰っては探しだし、片っ端から借り出してみた。その多くが、満鉄から東京商科大学(当時)に直接寄贈されたもので、いずれも「マル秘」か「取扱注意」の赤い印が押されていた。
 

 そんななかの一冊が、『猶太教』 (南満州鉄道株式会社・調査部特別調査班、大連、昭和18年3月)である。「猶太」と書いて「ユダヤ」と読む。

 大学図書館にあったのか、それとも国会図書館で借りてみたのか正確な記憶がないのだが、最初の部分を読んでみて、非常に共感を覚えてコピーを取った。

 その後、当時普及の始まったワープロに打ち込んだみた。フロッピーディスクはすでにないが、先日資料を整理していたら、クリアファイルに挟まったプリントアウトがでてきた。

 あらためて、ここに転載しておきたい。なぜユダヤ人で卒論を書いたのか、その答えの一つになるからだ。


 『猶太教』は、「第一部 ユダヤ教概説」(B.D.コーホン) 「第二部 ユダヤ教の本質」(レオ・ベック)の二篇を合本したものであり、引用は後者の「第1章 ユダヤ教の性格 第1節・統一と発展」(P.102-103)から抜き書きしたものである。

 これはむしろ当然の結果であった。何となればユダヤ人を取囲む現実は、疑う余なき程明白に物語った。冷酷な現実によって打ち建てられ、それに新しき迫害や圧迫の一つが環を加えた長き証しの連鎖からは、それと同じ数の打ち消し難い結論が生まれ来る。

 しかもそれらの結論は、ユダヤ教の指向に反するごとくでさえあった。とにかく、古(いにし)えの預言者たちによって約束されたものと、それぞれの新時代が肯定せんとしたとこのものとの間に生じた矛盾は強き緊張を生み、それがユダヤ人をして、ただ自らの殻の中に引龍ることを許さなかった。

 踏みひしがれた人や喧嘩に負けた犬は、自然自らを頼りとするに至る。さもなくば滅亡あるのみであろう。しかし、彼が世界の真中に立っている限り、自分自身をのみ知り、かつ眺めるために、閉込められた自己自身の観念にのみ生きるは不可能である。これができるのは権威の嗣子(しし)にのみ許された特権である。

 更にユダヤ人は常に少数者であった。少数者はとかく思索に耽りがちであるが、これが彼等の不運が与えた賜物(たまもの)である。彼等は闘争と思索とによってしばしば真理の認識を新にさせられた。

 その意識は支配者やこれを囲繞(いにょう)する多数者にとっては、権力や社会的成功によって容易に確証せられるところのものである。

 多数者の確信は所有の重みを有するが、少数者の確信は探求してやまぬ溌剌(はつらつ)たる精力を有する。この内的活動はユダヤ教の内に浸み渡った。それ自体で完成し、満足している世界の平静さはユダヤ教には見られないところのものである。

 自己を信ずるという事は、ユダヤ教にとっては当然のこととして約束せられたのではなく、実に絶えず繰り返されたる要求として、またすべての望みをかけた目標として存在した。

 而(しか)して外的生活が極限されればされる程、人生の義務に関するの確信がいよいよ熱心に求められ獲得されねばならなかった。

(* 太字の強調、漢字の読みは引用者が行ったもの。OCRで読み取った原稿はバグつぶしに意外と時間がかかる・・・)



 『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック)の原本は、Leo Baeck, 》Das Wesen des Judentums《, 1936. だが、この本が満洲国の大連で昭和18年(1943年)3月に出版されたとき、著者であるレオ・ベックはすでに強制収容所の一つであるテレージエンシュタットに送られていたのだった! 1943年1月(!)、70歳のときであった。 

 この事実は、今回あらためてレオ・ベック(Leo Beack)について調べてみて初めて知ったことである。まさかそんなことがあろうとは、さすがに満鉄調査部関係者も知らなかっただろうし、1984年に卒業論文を書いていた当時の私も、とくに考えてもいなかった。

 これは、『二十世紀のユダヤ思想家』(サイモン・ベック編、鵜沼秀夫訳、ミルトス、1996)「第5章レオ・ベック」(執筆ヘンリー・ウォルター・ブラン)に詳細が書かれており、はじめて知ることができた。なお同書は、米国のユダヤ人向けの本で1963年に出版されている。


 この本によれば、しかもレオ・ベックは強制収容所のテレージエンシュタットを生きのびたのである!

 『二十世紀のユダヤ思想家』によって、レオ・ベックの生涯を簡単に振り返っておこう。なお、レオ・ベックの肖像写真は同書カバーの左下にある(写真参照)。

 1873年ドイツ北部のプロイセン王国ポーゼン州のリサに代々ラビ(ユダヤ教律法学者)の家系に生まれた。本人も社会人人生をラビとして過ごした人である。

 代表的著作である『ユダヤ教の本質』は初版が1905年にでており、ドイツだけでなく英語に翻訳されて、ユダヤ人のあいだでは広く読まれたという。ベルリンのラビに任命され、偉大な学者との評判を得る。

 第一次大戦ではドイツ軍の従軍ラビに任命され、ドイツ敗戦までその任にあった。戦後は、ベルリンのラビに戻り、カイザーリンク伯の「叡智学園」に招かれ、ユダヤ教についての講義も行っている。


 ナチズムの台頭する時代にあって、1935年のニュルンベルク法施行に際しては、ナチスを恐れずに批判し、特別の祈祷文をつくって全ドイツのユダヤ人コミュニティで、新年祭の礼拝式に説教壇から読み上げさせている。このため、たびたびゲシュタポから召喚され、何度も拘引されている。

  周囲から亡命を何度勧められても断ったという。「ユダヤ人と一緒に留まって彼らの苦しみを和らげることがラビとしての道徳的義務であると考える」といっていたという。

 しかしついに、1943年1月、70歳前に強制収容所のテレージエンシュタットに移送される。ユダヤ人の扱いが人間的であると示すためのショーケースの役割を担わされたのである。

 ドイツ敗戦により、2年後の1945年に解放されたベックは、ユダヤ教の中心はドイツから米国に移ったという考えのもと、米国への招致に応じ客員教授として講義をもち、80歳のときには市民権を得ていた英国に移住、1956年に83歳で英国で没した。

 思想・教説・行動が完全に一致し、外部の圧力に対しては不死身であった、と評されている。日本的にいえば、陽明学で言う「知行合一」の人だった、ということができようか。

*****


 最後に、レオ・ベックの考えていた「ユダヤ教の本質」について、『二十世紀のユダヤ思想家』の担当執筆者による要約を紹介しておく。
 
 ベックにとってユダヤ教の本質とは、正義と愛をとおして悪から人類を贖う(あがなう)ようにとの神の命令(戒め)である。・・(中略)・・ユダヤ教は個人の宗教よりも民族と共同体の宗教、即ち「律法のまわりの垣」として捉えられると考えた。・・(中略)・・
 ベックの見解では、ユダヤ教をキリスト教から区別する基本的な原理は教理がないことである。(P.188-189)


 「ユダヤ教は民族と共同体の宗教」であり、「ユダヤ教には教理がない」という指摘は実に重要である。

 民族宗教で教理がない、といえば基本的には日本の神道(しんとう)と同じではないか。

 さらに、「ユダヤ教の独自性」については、私が書き抜きを作っていなかった箇所について、『二十世紀のユダヤ思想家』からレオ・ベック自身による文章を孫引きしておく。英訳からの重訳のようだが。

 ユダヤ教に主要な形式は、体系よりもむしろ方法を生み出す哲学、探求の宗教哲学のそれであった。原理は常に結果よりも重要であった。表現の様式には常に寛大であり無頓着ですらある。中心にあるべきものはその理念であった。・・(中略)・・教理という支柱をもたないことがユダヤ教の性格そのもののなかにあり、それはまたその歴史的発展の本質的な結果でもある。・・(中略)・・それは絶えず思考する労働を義務づけられた宗教であった。(P.189 )(*太字ゴチックは引用者=さとう)


 もうひとつ執筆者が書いていることで、日本人からみて面白い指摘があるので引用しておく。

 近代の聖書批判を論破するにあたって、ベックが強調した他の重要な要素はユダヤ人の宗教の独創性である。関わりをもった外国文明の多くの異なった要素を吸収するユダヤ人の天与の才は、しばしば創造性の欠如の証拠として引き合いに出されてきた。しかし厳密にユダヤ教の伝統を見るならば、正にその逆である。ユダヤ教はこれらの外国の影響をそれ自身の伝統の中に取り入れ、それらに全くユダヤ的な性格を与えた。あらゆる概念はユダヤ人特定の言葉に改鋳(かいちゅう)され、完全にそれらの言葉に適応し改鋳できる理念だけが、永続するユダヤ的遺産の一部となった。(P.189) (*太字ゴチックは引用者=さとう)


 ユダヤ人が「創造性の欠如」? いやしかしその逆である、と。

 どうだろう、文中の「ユダヤ」をすべて「日本」に置き換えることが可能ではないだろうか。面白いと思うのは私だけだろうか。

 やはりユダヤ人と日本人は、かなり大きな共通性をもっているのである。

 相違点は、徹底性の度合いだけかもしれない。この点については、昨日書いた、本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)を参考にしてほしい。

 ユダヤ人と日本人は、「律法」に対する態度を軸にしてみれば、対極の位置にあるといってよい。ユダヤ人は「律法」に過度にこだわり、日本人は「律法」についてはあまりにも無意識な態度に終始してきた。だから合わせ鏡のような存在なのである。

 ユダヤ教でも、神道でも、神の像はつくられないあくまでも不可視の存在である。


 なお、国策会社であった南満洲鉄道株式会社の調査部(いわゆる満鉄調査部)が、なぜユダヤ関係の報告書を翻訳ふくめて大連(満洲国)で多数出版しているのか、この理由についてはまた機会をあらためて、後日書いてみることとしたい。

 あまりにも面白い話なのだが、このためには「満鉄」そのものと「フグ計画」(Fugu Planについて知っておく必要がある。

 キーパーソンの一人は、小辻節三(=小辻誠祐 a.k.a. Abaraham S. Kotsuji)である。


*****


PS この記事を書いてから3年以上たってようやく課題の一つに決着をつけた。小辻節三(こつじ・せつぞう)については、書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える という記事を2013年4月に執筆しブログにアップしたのでご参照いただきたい。(2013年11月22日 記す)

PS2 読みやすくするために改行を増やした。またレオ・ベックの肖像画をあらたに記事の冒頭に挿入した。(2013年12月19日 記す)

PS3 『猶太教』 (南満州鉄道株式会社・調査部特別調査班、大連、昭和18年3月)は、すでに著作権が切れているので、ネットから国会図書館デジタルアーカイブで読むことができるhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041150 

B・D・コーホンの『猶太教概説』(Beryl D. Cohon, Introduction to Judaism)レオ・ベックの『猶太教の本質』(Leo Baeck, Das Wesen des Judentums)の二書を合本して翻訳したと例言にある。翻訳は外部に委嘱したとある。例言には記されていないが、翻訳に携わったのが小辻節三であることは言うまでもない。(2018年7月28日 記す)



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