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2021年11月18日木曜日

書評『80's エイティーズ ある80年代の物語』(橘玲、太田出版、2018)ー1959年生まれの元「宝島」編集長による「80年代体験」の活字化

 
『80's エイティーズ ある80年代の物語』(橘玲、太田出版、2018)を読んだ。ベストセラー作家の1980年代の「記憶のなかの物語」。  

元「宝島」編集長は1959年生まれ1962年生まれのわたしとは3年しか違わないので同時代人といっていいと思うが、10代後半から20代前半における3年間の違いはかなり大きなものもある。 

「人生はほぼ20歳までの経験で決まってしまう」という英国の作家の発言もある。この本もまた、同時代体験の捉え方の共通点と相違点を興味深く感じながら読んだ。 

著者は、「80年代」は「1995年に終わった」としているが、この点にかんしてはまったく同感だ。 

1995年は、阪神大震災に始まりオウム事件を体験した年だ。大地震動の時代が始まり、精神世界が前面に浮上してきた年だ。前者はバブル時代の余波への終止符後者はバブル時代の鬼子として。 

たまたま学生時代(1980年代前半)の大学ゼミの写真をさがしてほしいという友人からの依頼を受けて作業していたら、前回の地震で本棚から落ちて転がり落ちていた『80's』というタイトルの本が目に入った。買っていたことすら忘れていたのだった。 

不思議な偶然に驚きながら、さっそく読んでみた。偶然の一致(=シンクロニシティ)は夢のなかだけでなく、現実(うつつ)のなかでも起きることなのだな、と。 

著者は、あとがきの末尾をこう結んでいる。「振り返ってみれば、バカな頃がいちばん面白かった。だけど、ひとはいつまでもバカではいられない。そういうことなのだろう」 。この実感には、大いにうなづくものを感じる。

1980年代とは、そんな時代だった。 




<ブログ内関連記事>

・・「20歳までにその人の人生の大まかなところは決まってしまうと言ったのは、私の記憶ではたしか『長距離走者の孤独』を書いた英国の作家アラン・シリトーのことだったようだ」





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2021年3月20日土曜日

書評『統一教会と私 ― 挫折、幻滅、そして希望。』(仲正昌樹、論創社、2020)― 同世代の人物の「自分史」が興味深い

 

『統一教会と私-挫折、幻滅、そして希望。』(仲正昌樹、論創社、2020)を読んだ。ドイツ思想を中心にした思想史研究者の自分史ともいうべき回想録。昨年12月にでた新刊だ。  

18歳の大学入学とほぼ同時に統一教会に入会し、20歳台に11年半に及ぶ入信生活を送ったのち脱会して研究者の道に進む。その間の体験と苦労、その後の人生にもつきまとう偏見と差別につい冷静に分析した記録

ただし、自分ですべてを書き下ろしたのではないという。担当編集者に著者の専門を踏まえた質問をしてもらい、その問いに答える形で語ったものを編集して再構成してもらったものだ。 

自分で自分を語るとどうしても主観的な性格が強くなりすぎるので、自己弁護や自己韜晦、あるいは逆に自己否定になるのを防ぐためにそうしたようだが、他者の視点が入っていることはポジティブに働いているといっていいだろう。 

とはいえ、担当編集者が引き出した著者の「自分史」は、「中の人」であった著者ならではのリアルな描写が読ませるのだ。


■なぜ私はこの本を読んだのか-異質なキャンパスライフを送った同世代への関心

この本を読んだ理由はいくつかある。まず、新興宗教の体験手記はさまざまあるが、統一教会の信者だった人の記録があまりないこと。先日のことだが、著者による思想家としてのドラッカーについて書いた本を興味深く読んだことがある。

しかも、1963年2月生まれの著者と私とは同学年(*私は1962年12月生まれ)であることも大きい。著者の「自分史」を読むことは、私にとっては「同時代体験」を一部でも追体験することになるからだ。 

著者の仲正氏は広島県呉市出身で、1981年に地元の県立高校から現役で東大理科一類に合格後、しばらくしてキャンパスで「原理研」に勧誘されて、そのまま統一教会の入信生活に入っている。 

いまはもまったくそんな状況ではないだろうが、1981年当時、キャンパスでは「原理研」の存在は大きかった。ましてや「原理」といえば、「統一教会」という恐ろしい新興宗教で、悪の代名詞のように語られていたものだった。霊感商法や、桜田淳子で有名になった集団結婚がメディアをつうじて一般化する前でも、すでにそうだったのだ。 

私が入学した一橋大学の前期課程は、東京都小平市にある小平キャンパスであったが、そのすぐ近くにも原理研の学生が共同生活を行う「ホーム」があった。 

というのは、私の知り合いにも原理研に入ったいた者がいて、なんとか脱会させようと説得したこともあったから、そのからみで知っていたのだ。(*だが、この本を読んでから、それはまったく無意味なことであるだけでなく、本人にとってはまったくもって余計なお世話だったのだな、と感じるようになった)。 

地方出身の著者は、東大の駒場寮が「左翼の巣窟」であることを知らずに入寮してしまい、そこから脱出するために、原理研の誘いに応じてついていってしまったようだ。著者の場合は大学には合格したものの、優秀な同級生の存在に自信を喪失し、自分の居場所を求めていたことが動機だったようだ。 日本の最高峰である東大の場合、よくある話なのだろう。

私も前期課程の2年間は寮生活を体験しているが、幸いなことに一橋の場合は、東大とは違って、キャンパスも学生寮も、左翼や新左翼に牛耳られてはいなかった。早稲田や法政のような(京大もそうだったようだ)立て看だらけのキャンパスでもなかった。 

当時は「五月病」というものがよくいわれており、受験を終えて大学に入学して開放感を味わったものの、方向性を見失って無気力に陥ってしまう学生が少なくなかった。 

たしかに、こういう状態に陥ってしまうと、なかなかそんな無気力状態から抜けられなくなるものだ。だから、多くの学生は「居場所」を求めて、なんらかの部活やサークルなどに所属するようになる。あるいは弁護士や会計士などの資格試験を目指して勉強会に入り、禁欲的な生活を送る者もいる。いずれにせよ「居場所」を見つけることで精神的な「安心感」を得ることになる。

東大生の著者の場合は、原理研に入って「居場所」を見つけたようであり、それはそれで良かったのではないかという印象を受けた。

著者自身も、自分自身の体験をことさら否定したりはしない。過去は過去として変えようがないだけでなく、その組織のなかで本人なりの自己成長を遂げているからである。ただし、最終的に脱会しており、その後は無縁となっている。 

私の場合は、そもそもが文化系サークル嫌いでカネもないので、学生寮に住みながら体育会合気道部に入部し、ほとんど寮と道場の往復で過ごしていた。キャンパス内からまったく出ない日がほとんどであった。朝昼晩の三食はすべて寮で食べていた。寮は当時は4人部屋であった。 

一橋大学の場合は、「クラチャン」(*クラスチャンピオンシップの略)というボートレースがあって新入生が全員参加することになっている。これを機会に体育会に入部する学生が少なくない。財界がうるさく言う前は、クラブ活動が学生生活の中核にあった。

同時期に大学に入学しても、じつに「特異な大学生活」を送っていた者がいたことを知るのは興味深い世の中の出来事は共通していても、誰にとっても自分の身の回りの生活は大きく異なるのである。


■「世代論」には意味がある

それでも、著者と私は、同時代、同世代の人間なのだなと感じるものがある「世代論」には意味があるわけだ。

思想や宗教、そして「1980年代という時代」について考えてみたい人には、興味深い内容の本になっている。1980年代後半はいわゆる「バブル時代」であったが、そんな時代にあっても、著者のような生き方をしていた人もいたわけなのだ。とはいえ、冷戦構造の崩壊が著者自身の人生にも転換を迫ることになった。 

文章も平易でわかりやすい。著者に対しては好き嫌いがあるだろうが、そんな人もいるのだと思って読めばよいのではないだろうか。万人向けの本でないが、関心のある人には一読を薦めたいと思う。
 

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目 次
序章 消せない記憶 
第1章 広島県呉市 
第2章 統一教会との出会い
第3章 原理研究会と左翼
第4章 信仰の日々
第5章 疑念のはじまり
第6章 脱会
第7章 宗教を考える
終章 体験としての統一教会
あとがき


著者プロフィール
仲正昌樹(なかまさ・まさき)
1963年広島生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は、『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。著書に『集中講義! 日本の現代思想』、『集中講義! アメリカ現代思想』(以上、NHKブックス)、『今こそアーレントを読み直す』、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』(以上、講談社現代新書)、『〈戦後思想〉入門講義』、『マルクス入門講義』(以上、作品社)ほか多数。


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2019年1月4日金曜日

書評『裕次郎』(本村凌二、講談社、2017)― 古代ローマ史の専門家が書いた「自分史」としての「戦後現代史」



年末にヒマができたので『裕次郎』(本村凌二、講談社、2017)を読んだ。ヘアカットの順番待ちしているあいだに一気読み。 


著者の本村凌二氏は東京大学名誉教授で専門は古代ローマ史。「裕次郎」とは、言うまでもなく石原裕次郎のこと。本村氏は、裕次郎の曲ならカラオケで100曲は歌えるという大ファンらしい。 


石原裕次郎は、すでに亡くなってから30年になるが、まさに戦後の「昭和30年代」そのものといってもよい存在であった。だからこの本は、古代ローマ史の専門家が書いた激動の「戦後現代史」の本といえる。といっても、古代ローマの話はいっさいでてこない。


著者の独断と偏見でセレクトした石原裕次郎主演の映画10本について、著者自身の「自分史」とかさねあわせた現代史エッセイともいうべき内容だ。 


石原裕次郎といえば、私の世代にとっては、すでに映画の人ではなくTVドラマの「太陽に吠えろ」や「西部警察」のボスであったが、うちの母親が熱烈なファンだったこともあって、私も裕次郎の曲ならいくつか空(そら)で歌えるまで覚えてしまった(笑) 読み終わったこの本は、母親にあげることにした。ちなみに母親は戦中派だ。 


だが、歌は知っていても、その歌が主題歌とされた映画の内容までは知らなかったので、同時代体験をしていない私にとっても興味深い内容だった。 


本村凌二氏は、大学の先輩にあたる人だ。裕次郎は慶応出身だが、兄の慎太郎もまた大学の大先輩。1947年生まれの団塊世代の著者の「自分史」としては中学時代が中心で、大学時代の回想がほとんどないのがちょっと残念ではある。 


敗戦後の日本が高度成長をとげるまでは、こんな時代だったのだということを知るには、こういうアプローチがあってもいい。著者も、「歴史はまず現代史から学ぶのがいい」と「あとがき」で書いている。







著者プロフィール 
本村凌二(もとむら・りょうじ) 
早稲田大学国際教養学部特任教授、東京大学名誉教授。博士(文学)。1947年、熊本県に生まれる。1973年、一橋大学社会学部卒業。1980年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、現職。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。近著に、『ローマ帝国人物列伝』、『愛欲のローマ史』、『競馬の世界史』、『教養としての「世界史」の読み方』、『英語で読む高校世界史』(翻訳監修)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


目 次 
はじめに 
第1章 兄弟が贈った日本版ヌーベルバーグ-『狂った果実』  
第2章 夜霧にむせぶ哀愁の叙情詩-『俺は待ってるぜ』  
第3章 すれ違う母と子の物語-『嵐を呼ぶ男』  
第4章 やってはならないこと-『赤い波止場』  
第5章 死によって打ち砕かれるもの-『世界を賭ける恋』  
第6章 「性の自由」なる風潮へのアンチテーゼ-『憎いあンちくしょう』  
第7章 必死に耐えながらも傷ついてゆく男の宿命-『太陽への脱出』  
第8章 恐ろしいほどの時代の感受性-『赤いハンカチ』  
第9章 ミステリアスな叙情詩の最高傑作-『帰らざる波止場』  
第10章 揺れ動く現実世界に巻き込まれた男と女の悲哀-『夜霧よ今夜も有難う』  
エピローグ


<ブログ内関連記事>

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む

書評 『「夢の超特急」、走る!-新幹線を作った男たち-』(碇 義朗、文春文庫、2007 単行本初版 1993)-新幹線開発という巨大プロジェクトの全体像を人物中心に描いた傑作ノンフィクション


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2015年7月9日木曜日

書評『こんにちは、ユダヤ人です』(ロジャー・パルバース/四方田犬彦、河出ブックス、2015)ー ユダヤ人について知ることは日本人の多様性についての認識を豊かにしてくれる


『こんにちは、ユダヤ人です』という、なんだかえらく軽いノリのタイトルだが、ひじょうに中身の濃い一冊だ。読み応えのある一冊である。

ロジャー・パルバース氏は、ニューヨーク生まれで、オーストラリア国籍を取得した「ユダヤ人」である。対談相手の四方田犬彦氏は、大量の著書をもつ博覧強記の人。世界中を旅して滞在して、現地感覚も豊富に持ち合わせている人。その滞在先の一つがイスラエルである。この二人は知り合ってから34年の友人だという。

日本人向けの英語関連本を大量に執筆しているパルバース氏だが、この対談では最初から最後まで日本語で行っている。日本で暮らし、日本語も堪能な小説家のリービ英雄、プロデューサーのデイブ・スペクター、ロック評論家のピーター・バラカンや数学者で大道芸人のピーター・フランクルなど日本で活躍するユダヤ人は多数いるが、みずからユダヤ人と名乗っていない人も多い。

パルバース氏は、みずからのルーツについて、東欧からアメリカに移住した家族の歴史をナラティブ(=語り)として語っている。だからこそ、この本は面白い。「自分史」として両親の家族の歴史を語ることは、民族全体について語ることにもつながるからだ。

パルバース氏が、単数形の「アイデンティティ」ではなく、複数形の「アイデンティティーズ」にこだわっているのは、ステレオタイプな見方をされたくないためだろう。じっさい、どんな人間も単一のアイデンティティで成立していることなどありはしない。小説家の平野啓一郎氏が、 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)で展開している「分人」という概念も、人格は複数の要素によって構成されていることを主張しているのであり、複数形の「アイデンティティーズ」と共通するものがあるといっていいだろう。

この本が面白いのは、パルバース氏の語りだけでなく、対談相手の四方田氏もまた博覧強記の人であることもある。とくに映画や芸能関係の話題は豊富というよりも膨大であり、ユダヤ人を広いパースペクティブとコンテクストのなかに位置づけることに貢献している。この本に登場するユダヤ人の名前をすべて知っている人は、よほどのユダヤ通でもない限り、まずいないだろう。

とはいえ、話題の領域が膨大であるがゆえに、四方田氏の発言には、やや雑な発言が目につくのは仕方がない。初めて目にする固有名詞については、読者がネット検索して確認すればよい。この対談本は教科書ではないので、多様なものの見方の一つくらいに受け取っておくべきだろう。

本書のメッセージで重要なものに、「イスラエル人=ユダヤ人ではない」、というものがある。パルバース氏自身の立ち位置でもある。ユダヤ系米国人のスピルバーグ監督もまた、イスラエル建国に肯定的な『シンドラーのリスト』と、イスラエルのモサドの情報活動に批判的な『ミュンヘン』のあいだで揺れ動いている。

国家成立後のイスラエル人は、その他の地域に生きるディスポーラ(=離散)のユダヤ人とは異なる存在になっている。イスラエル以外のユダヤ人はマイノリティとして存在するので「見えにくい存在」であるのに対して、イスラエルにおいてはユダヤ人はマジョリティである。この違いは大きい。「イスラエル建国は、ユダヤ史の曲がり角」という認識はただしい。

「日本人はイスラエルについては知っているが、ユダヤ人全般についての知識は増えていない」というパルバース氏の問題意識には耳を傾ける必要があるだろう。多様な言説があふれながらも、具体的なユダヤ人との接触がない日本人は、少なくとも知識レベルを増やす必要はある。

対談のなかで、これぞユダヤ的だとパルバース氏が引き合いに出している「センメルヴェイスの手」のエピソードにも注目したい。偉い人のいうことを鵜呑みにするのではなく、身近なことにらの疑問をもち、あらたな発見をする。これは「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)の発想と同じである。

アメリカ出身にせよ、ロシア出身にせよ、世俗的なユダヤ人は世俗的な日本人によく似ているという印象を受けるのはわたしだけではないと思う。伝統文化を完全に否定するわけではないが、伝統の重圧からは脱出している存在。

ユダヤ性というエスニシティに徹底的にこだわって生きるか、ユダヤ性というエスニシティを出さずに同化する生き方を選ぶか、それは個々人の生き方にかんする戦略の問題だ。これはユダヤ人に限らず、普遍的なものといっていいだろう。

だが、まだまだ日本人にはダイバーシティ(=多様性)が欠けているのではないだろうか? 日本人の認識に欠けているものを補ってくれるのが、ユダヤ人という存在ではないだろうか。「ユダヤ人がいることで世界は豊かになる」のである。

話題のテーマが文化面に片寄りすぎている点にやや不満があるが、ぜひ膨大な固有名詞の海のなかで溺れながら、ユダヤ的思考法のエッセンスをつかみ取ってほしいと思う。





目 次 

1 私はユダヤ人としてどう育ったか
2 イスラエルはユダヤ人を代表できるか
3 ユダヤ人はアメリカにどう受け入れられたか
4 言語でも、信仰でも、国籍でもなく、ユダヤ人
あとがき
 「遠くにある敷居」-四方田犬彦の世界(ロジャー・パルバース)
 30年目の対談(四方田犬彦)


著者プロフィール

ロジャー・パルバース(Roger Pulvers)
1944年ニューヨーク生まれ。ベトナム戦争への批判からアメリカを離れ、1976年、オーストラリア国籍を取得。オーストラリア国立大学、東京工業大学などで教える。小説・エッセイの執筆、宮沢賢治、井上ひさしなどの英訳、劇作・演出など多様に活動。野間文芸翻訳賞を受賞 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

四方田犬彦(よもた・いぬひこ)
1953年大阪生まれ。建国大学(ソウル)、コロンビア大学、ボローニャ大学、明治学院大学、テルアヴィヴ大学などで教える。サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、芸術選奨などを受賞。著書は130冊を越える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<参考> 本書に登場する話題のいくつかについて

●森鷗外の『舞姫』

四方田氏は「仕立屋」とあればわかるだろうと発言している。
舞姫のテキストをチェックしてみると、舞姫エリスの父親の名前はエルンスト・ワイゲルトとある。おそらく Ernst Weigert というつづりだろう。この名字はユダヤ人のものだ。つまりドイツ系ユダヤ人ということになる。
鷗外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』の主人公のアヌンツィアータ(=受胎告知)という名前をもちながら「猶太をとめ」となっていたことを想起する

ジューイッシュ・アクセント(Jewish accent)

ジューイッシュ・アクセントは、日本語でいえば大阪弁のようなものか。イディッシュなまりの英語だと、社会的タブーを無視した批判的トークも受け入れられやすいというアメリカ社会の土壌。タブーなきユダヤ系コメディアンの一人にスタンダップ・コメディアンのサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)がいる。アメリカを理解するために、これは知って損はない情報。

●ローレン・バコールがユダヤ系であることは知っていたが、ヘディ・ラマールという女優も、ウィーン出身のユダヤ系であることも知らなかった



<ブログ内関連記事>

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介
・・イスラエルに批判的なスタンスだが、読みではある

書評 『イスラエルとユダヤ人に関するノート』(佐藤優、ミルトス、2015)-プロテスタント神学 × インテリジェンスという独自のポジションから読み解く
・・「聖書の大地であるイスラエルへの特別の思いを語るプロテスタント神学者であるという立ち位置」からくるバイアスは考慮に入れて読む必要がある。イスラエル熱愛派というべきか

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである
・・ロシア系ユダヤ人について知る

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・この本の著者も、日本語に堪能な日本在住ユダヤ人

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・博覧強記の四方田氏は映画史が専門


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2015年4月15日水曜日

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる


ヤマザキマリ氏はマンガ家。古代ローマの浴場設計の専門家がお風呂文化の現代日本にタイムスリップするというSF的設定の『テルマエ・ロマエ』で一気にブレイクした。

映画化もされたこの作品がこれがキッカケになって、ヤマザキマリ氏が劇的な人生を送ってきた、かなり「変わった人」であることがだんだんとわかってきた。ここでいう「変わった人」というのは、わたし流の最高のほめコトバである。

『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)は、人生の折々に読んできた本と、ボーダーレスな移動をつうじて形成された人生についてみずからを語ったものだ。

自分語りによる「自分史」でもある。「メイキング・オブ・ヤマザキマリ」である。本と旅が血肉をつくりあげる。

ヤマザキマリ氏は1967年生まれ、わたしより5歳若いが、共通する経験と時代感覚をもちながらも、日本の現実への「違和感」の質的な違いが感じられて面白い。

というのも、ヤマザキマリ氏はなんと14歳でヨーロッパを一ヶ月間を一人旅し、その旅で知り合った老人がキッカケとなって美術を学ぶために17歳でイタリアのフィレンツェに留学。アーチスト志望の学生にはお決まりの、どん底のビンボー生活を異国で体験している人だからだ。日本の同時代人とは、かなり異質の体験である。

平凡な人生とはほど遠い経験のなかで出会った数々の本、そして地球サイズでの移動のなかで出会った人びと。みずからの経験のもつ意味を言語化しようとした内容であり、それを可能としたのは読書経験だけでなく、濃密な人間関係のなかでの激しい議論をつうじて磨かれたアウトプット能力であることが、この本を読んでいるとよくわかる。

軽いタッチでつづられているので読み飛ばしてしまうかもしれないが、わたしはこの本のメッセージの一つに、「知識」と「教養」の違いというテーマがあるように思う。

「教養」というと、人の知らないことを知っているとか、古今東西の古典の名文句など、「高級」(?)なイメージをもっている人も少なくないだろうが、人生のもっともつらい時期に自分を支えてくれた本やコトバなど、自分の血肉となったものこそ、ほんとうに自分の身についた「教養」といえるのである。

たんなる「知識」ならインターネット上に無限に増殖しつづけているが、それは「教養」ではない。自分の血肉となっていてこそ、「教養」といえるのである。

拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』には、「いい男になるための条件」としての「本を読み旅をすること」について書いておいたが、ヤマザキマリ氏の人生そのものが生きた事例とでもいった内容だ。

ヤマザキマリ氏の「男っぷり」には脱帽だが、その吹っ切れ方は、男というよりも、やっぱり女だなあと思う。人生最悪のときの出産と、この子だけは絶対に守らなければという思いが吹っ切らせた覚悟の強さ。そこらへんは、男にはない、女の強さというべきだろう。

この本はぜひ拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』の「副読本」に指定したい内容だ。もしこちらが先に出版されていたら、この本から引用したくなっていたと思う。

男女を問わず、とくに若い人には推薦してあげてほしい本だ。






目 次

はじめに
第1章 野性の子
第2章 ヴィオラ奏者の娘
第3章 欧州ひとり旅
第4章 留学
第5章 出会い
第6章 SF愛
第7章 出産
第8章 帰国後
第9章 シリアにて
第10章 1960年代
第11章 つながり
第12章 現住所・地球


著者プロフィール

ヤマザキマリ
1967年、東京都生まれ、北海道育ち。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの美術学校で油絵と美術史などを学ぶ。97年、漫画家としてデビュー。その後、イタリア人の比較文学研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカで暮らし、現在はイタリアに在住。2010年、古代ローマが舞台の漫画『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で手塚治虫文化賞短編賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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(2015年8月22日 情報追加)


 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


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