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2009年12月11日金曜日

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ




 リリアーナ・カヴァーニ監督はフランチェスコ映画を合計2本製作しているようだが、1966年に撮影した1本目の作品 Francesco d'Assisi は反教会的だと避難され不評だったらしい。

 2本目が先日紹介した『フランチェスコ』(1989年)だが、23年後に新しい構想で作りなおしたことになる。
 
 この23年間に一本きわめて風変りな宗教映画、というより輪廻転生がテーマの映画を製作している。それが『ミラレパ』(1973年)である。同じ年にはかの名作『愛の嵐』が製作されているのは面白い。ずいぶん雰囲気の異なる内容だからだ。

 『ミラレパ』は日本でも公開されたようで、日本でビデオ化されているが、現時点ではどの国でもDVD化もされず、忘れ去られた(?)作品となっているようだ。

 脚本は、『愛の嵐』と同じく、脚本家イタロ・モスカーティと組んで書いているのは興味深い。両者に共通するテーマがあるのだろうか。

 YouTube に映画がアップされている。音声はイタリア語、ただし字幕なし。

 
 映画の構成は、チベット語で書かれた「聖者ミラレパ伝」をイタリア語に翻訳するという作業に没頭するイタリア人の若手チベット学者が、チベット人のミラレパになってその半生を追体験するという形をとっている。映画をみる立場からいえば、ミラレパが輪廻転生してイタリア人研究者に憑依した、と表現できるかもしれない。

 そういう構図によって、ヒッピー・ムーブメントが背景にある、ゼッフィレッリの『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)とはやや違う文脈ではあるが、1970年代初頭の反近代主義、反西欧主義のなかでの、精神世界ブーム、東洋ブームの濃厚な雰囲気の中で作成された作品とはいえるだろう。

 ミラレパとは、チベット仏教のカギュ派の創始者とされる、11世紀チベットに実在したヨギ(ヨーガ修行者)のことである。フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけて生きたカトリック修行者。

 そもそもカヴァーナ監督はなぜミラレパを題材にした映画なんか作ったのか?

 まずは、フランチェスコとミラレパの共通点と相違点を考えてみよう。

 フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけてのイタリア人である。
 ミラレパは、11世紀から12世紀にかけてのチベット人である。
 共通する点は、隠者としての修行、についてであろう。
 フランチェスコは、説教という実践的活動を行ったと同時に、隠者的に観想生活を送ることを夢想しており、つねに揺れ動いている。
 ミラレパは、黒魔術師としての自分の実存に恐れをなし、仏教の示す正しい道を修行したいとして師であるマルパについて長年修行を積んだ。
 ともに、着るものには頓着せず、所有せずに・・・・
 
 こうして比較してみると、浮かび上がってくるのは、"東洋の隠者のような"フランチェスコ、である。

 先に紹介したデンマークの詩人ヨルゲンセンの本には、『即興詩人』でイタリアを書いたアンデルセンと同様、北欧の人らしい、外部からの視点による、きわめて唯物的な指摘があって面白い。

寂しい山間の人里離れた孤独な生活は、兄弟たちに強い印象を与えたので、彼らは永久にここにとまって厳しい禁欲の生活をし、他の人間を忘れたらどうかと、議論したほどだった。イタリアの山岳地帯を知っている人なら、この誘惑を理解するのは、そう困難ではないだろう。イタリアの山の性格には、どことなく隠者のための自然の洞窟や避難所を作っている。気候は、時には予想外に冬らしくなるものの、厳しすぎることはない。食物は信じがたいほど少なくてすむ・・(後略)・・ (P.107)

 イタリアは石灰岩地質が無数の洞窟を作り出し、隠者のためには格好の引きこもり場所を提供してきた。同じくチベットも洞窟での瞑想修行がさかんであったことは、ミラレパの生涯を描いた作品にはかならずでてくることからもそれがわかる。

 フランチェスコは、40日間の断食と瞑想において、キリストの聖痕スティグマを自らの身体の上に出現させる。
 ミレレパは、その師であるマルパの指示による瞑想修行を行い、マルパのもとから卒業したのちの瞑想修行において、空中浮遊を行い、自由に空を飛ぶ。

 また、これはとくに中世に多くみられるが、いわゆる「予知夢」という共通性がある。現代人でも、南方熊楠のように、脳力が異常に高まったときには「予知夢」によって、いわゆる夢のお告げで未発見の菌類を発見したりもしている。

 そして、フランチェスコとミラレパの両者に、在家信者(=平信徒)の重要性

 修行者といっても彼らのような存在はむしろ稀有であり、職業をもったふつうの人にとっては、そもそもフランチェスコやミラレパのような厳しい修業は不可能なので、在家信者という形がもっとも多かったのだろう。
 
 ユング派の心理学者である河合隼雄は、日本にも長く滞在したカトリック司祭のヨゼフ・ピタウ師との対談『聖地アッシジの対話-聖フランチェスコと明恵上人-』(藤原書店、2005)で、フランチェスコと明恵上人(みょうえしょうにん)を対比して論じている。明恵上人とは鎌倉時代前期、12世紀の人、華厳宗の学僧で、生涯にわたって自ら見た夢を 「夢の記」と題して世界的にも珍しい記録として残されている。

 河合隼雄は名著 『明恵、夢を生きる』(京都松柏社、1987 現在は講談社+α文庫 1995)で明恵上人をとりあげ、一般的にも広く脚光を浴びるようになったが、それ以前から白洲正子も、澁澤達彦も、明恵上人に言及しているのは面白い。河合隼雄は後年、明恵上人を機縁にして、白洲正子と交友関係にあり、対談も残している。

 河合隼雄は、とりわけ「予知夢」に関しての共通性が、明恵上人とフランチェスコにある、と強調している。

 ただ私としては、フランチェスコとの比較対象は、明恵上人よりもミラレパのほうが面白い。実際に比較してみてそう思った。ただ、ミラレパの場合は、師であるマルパからの伝承という側面があるので、直観に導かれた、純粋なスピリチュアリティ追求のフランチェスコとは異なることは指摘しておかねばならない。マルパはインドで仏道修行してチベットに戻ってきた人である。

 ミラレパの伝記としては、エヴァ・ヴァン・ダム(Eva Van Dam)による全ページカラーのマンガ本 MAGIC LIFE OF MILAREPA が実に面白い。日本語版英語オリジナル版も絶版状態なのが残念だ。いずれは再版されるであろうが。

 それにしても、フランチェスコも、明恵上人も、ミラレパも、11世紀から13世紀にかけての人であるのが面白い。全世界的なスピリチュアリティのリバイバル期にあたるのであろう。

 そして20世紀後半から再びスピリチュアリティのリバイバルが始まっている。

 もともとキリスト教も、教父時代は砂漠での瞑想修行が行われていたのであり、これが後のカトリックおける修道院の原型になっている。大乗仏教も同じく僧院においての瞑想修行が行われるようになった。ともに英語では Monastery というコトバで表現されることもある。

 原点は、ともに隠者としての瞑想修行である。

 そう、ここまでいうなら、やはりシッダールタ王子のことを考えなくてはなるまい。
 シッダールタ王子とは、ブッダ・シャキャムニ(仏陀釈尊)そのひとのことである。

 シッダールタ王子の生涯に思いを馳せる・・・・






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 すでに今年の6月初めには書き上げていた原稿ですが、アップする機会を逸しているうちにだいぶ時間が経過してしまいました。この機会に少し手を入れてみました。
 前回の投稿からずいぶん時間があいてしまったので、目次を掲載しておきます。

<目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 

 なお、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)の書評を、bk1 および amzon.co.jp に投稿してあります。内容は「フランチェスコ(3)」ですでに書いているものを書評向けに書き直したものです。


 とりあえず以上で、フランチェスコの話は終わりとします。

 "資本主義のオルタナティブ"としてのカトリック実践思想の一つとして、アッシジのフランチェスコをケーススタディとして取り上げたと考えていただいてもかまいません。


<朗報!>
ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD フランチェスコ-ノーカット完全版-、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)



<アッシジのフランチェスコ 総目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 


PS 読みやすくするために改行を増やし、語句の一部を修正した。 (2014年8月21日 記す) 
PS2 あらたに<総目次>を挿入し、映画『ミラレパ』のリンクを作成し直した。(2022年2月20日 記す)



<関連サイト>

Milarepa - Eva van Dam paintings (エヴァ・ヴァン・ダムの公式サイトにおけるミラレパのイラスト集)

THE MAGIC LIFE OF MILAREPA TIBET'S GREAT YOGI Highlights from the Life of Milarepa(エヴァ・ヴァン・ダムによるミラレパのハイライト集)



<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)   


「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)  

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009 
       
"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)-修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・・真言宗の密教寺院で行ったわたし自身の断食体験記

書評 『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)
・・最初の700日目とその後の300日目にはさまれた、生まれ変わりのための激しくも厳しい、9日間の断食・断水・不眠・不臥の苦行についても語られる

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性

(2014年8月21日 情報追加)


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2009年8月29日土曜日

書評『河合隼雄 心理療法家の誕生』(大塚信一、トランスビュー、2009)― メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・ 



メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・

 編集者という、著作家にとっての伴走者が、本来まとっている黒衣を脱いで著作成立の舞台裏を明かしてくれた四部作の最後が完結した。

 本書『河合隼雄    心理療法家の誕生』(大塚信一、トランスビュー、2009)の著者は、岩波書店の元社長であるが、経営者としての立場よりも、編集者の立場としての回想録である。

 四部作は、全体の回想を皮切りに、文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄と、新しい時代の「岩波文化人」を形成した、知の変革者三人との出会いと伴走の記録である。

 本書は、その中でも特に私が心待ちにしていたものであった。

 いわゆる「岩波文化人」とは、岩波書店の創業者である岩波茂雄が、戦前の旧制高校の人脈をフルに活用して形成した、哲学・思想を中心とした文化人の山脈のことである。「●●講座」という形の出版物によって権威としての知を確立し、長く君臨してきた。

 1963年に岩波書店に入社した著者は、硬直したアカデミズムの象徴ともいうべき「岩波文化」的なものを否定することを、編集者としての自らの使命とした人である。

 その活動のなかで、山口昌男、中村雄二郎、河合隼雄といった、新時代の知的旗手ともなるべき人たちと協力し、優れた書物を世に送り出してきた、いわば変革の仕掛け人である。ここに名前を出した人たちは、結果として「新・岩波文化人」といってもいい存在となったことはいうまでもない。

 強烈な個性の持ち主であった創業者の死後、守成の状態にあった出版社において、著者である大塚氏は過去の遺産としての伝統を否定し、伝統を再創造するという行為をつうじて、経済学者シュンペーターのいう"創造的破壊"を成し遂げたことになる。

 『河合隼雄 心理療法家の誕生』は、まさにメイキングものといってよい内容である。

 伝記的内容については、著者自身が聞き手となってとりまとめた回想録『未来への記憶 上下』(岩波新書、2001)と、河合隼雄が自らを語った『深層意識への道』(岩波書店、2004)をベースにしている。これらの本をすでに読んだ人にとっては、すでに知っている話が何度もでてくるので物足りないかもしれない。しかし、編集者としての著者がさまざま形で自伝的内容を補っており、異なる視点から河合隼雄の人生の軌跡を読むことが可能になる。

 丹波篠山(ささやま)に生まれた一人の日本人が、電気、数学を学んで高校の数学教師となり、研究テーマとしてロールシャッハテストに打ち込んだ結果アメリカに留学、そこでユング派の心理学と出会い、さらにはスイスのユング研究所で3年間格闘、日本に戻ってからは箱庭療法はじめ、臨床家として心理療法の普及に精力的に従事しつつ、数々の著作でもって、日本人とは何かということを考えるためのヒントを与え続けてくれた、何かに導かれるようにして"アレンジされた"河合隼雄という人生

 "臨床の知"、"実践的知"、表現方法にはいろいろあるだろうが、新たな知のスタイルとして河合隼雄が実践してきた人生の軌跡は、ビジネスマンの私も大きな影響を受けてきた。

 人生というものは、実に不可思議なものだ。著者とともに河合隼雄の人生を振り返ることで、あらためて大きな感慨を覚えている。

 たまにはゆっくり本を読むのもいいものだ。


画像をクリック!



bk1書評「メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・」 投稿掲載(2009年8月25日)

*再録にあたって、一部字句の修正と書名の誤りを訂正した。




<書評への付記>

 文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄、これらの人たちが中心となった、『叢書 文化の現在』(岩波書店)は、図書館で借りて大学時代から読んできた。

 背後にあってプロデューサー的役割を演じてきたのが大塚信一氏であったことは、数年前まで知らなかった。優秀な編集者の存在なくして、このような事業は成立しえないことを、もっと認識しなければならなかったのである。われながら、まったくもってうかつなことだ。


「新・岩波文化人」の特性

 いずれも、ストレートに脇目もふらずにアカデミックな道に進んで、象牙の塔で純粋培養されてきた人たちではない

 山口昌男(1931-)は東大文学部国史学科を卒業して、私立高校の日本史の教師から出発した人。日本史の授業では黒板いっぱいに得意のマンガを描いて、生徒を引きつけていたという。

 中村雄二郎(1925-)は、東大文学部卒業後、文化放送(TBSラジオ)で番組製作のプロデューサーをしていた人。激務で過労のため失明寸前までいったらしい。

 河合隼雄(1928-2007)は、京大理学部数学科を卒業して、私立高校の数学教師から出発した人。熱血教師だったらしい。

 実社会経験が、隠し味というわけではないが、その学問にはプラクティカルな匂いがあり、著述もあくまでも軽やかなスタイルが身上。重々しく権威的なものとは、まさに対極に位置したといえる。

 いずれも西洋社会とは正面から対峙しているが、単なる輸入学問を越えて、日本人が日本人という主体的な立場から構築した学問は、旧来の講壇アカデミズムとは一線を画し、その後の学問のあり方の流れを作り出したことは大きな功績である。

 実際、もはや単なる翻訳紹介が学問とはいえないことはこの国では自明のはずなのだが、学者の実績には、外国書の日本語訳がカウントされても、自著が外国語に翻訳されても業績にはカウントされないらしい。旧態依然の文部科学省の動脈硬化的対応である。嘆かわしや。

 サル学や日本的経営のように、日本に研究フィールドがある分野では、世界的な研究分野に成長している。観察の場が手近なところにあるというのは圧倒的に有利である。

 ちなみにサル学は河合隼雄の兄である河合雅雄が開拓者の一人。アフリカのゴリラの生態研究で著名である。犬山のモンキーセンター所長など歴任した、日本のサル学を世界的レベルに引き上げた功労者である。


岩波書店で行われた「天皇制」をめぐる山口昌男と網野善彦の活字化されるこののなかった対話

 文化人類学者の山口昌男と日本中世史の網野善彦の「天皇制」をめぐる有料のライブ対論を大学時代に聞きに行ったことがある。東京神田神保町の岩波書店の2階か3階だったと思うが、立ち見が出るほど満員だった。

 西洋中世史のゼミナールに属しながらも、自分自身を西洋人にはまったくアイデンティファイできない私は、どちらかというと文化人類学的な思考方法には大きく惹かれていたし、1980年代初頭にいわゆるニューアカ(・・ニューアカデミズムの略称)とよばれた浅田彰や中沢新一の出現を準備したともいえる山口昌男の『知の遠近法』(岩波書店、1979)は、大学一年のときからベッドの枕もとのミニ書棚において、寝る前にしょっちゅう読んでいたものである。

 同書には山口昌男がフランスの雑誌「エスプリ」にフランス語で発表した天皇制にかんする論文の、著者自身による日本語訳が収録されている。基本的に文化としての天皇制を論じている。山口昌男も網野善彦も二人とも東大文学部国史学科卒という点は共通していた。"国史"という位置づけは、部外者から見ると限りなく閉鎖的な印象を受けるが、二人ともその枠は完全にはみ出ていた。 

 同時期に網野善彦もフル稼働の状況で、次々と斬新な仮説を提示しては、日本中世史を塗り替える仕事を推進していた。

 網野善彦はなんといっても死ぬまで筋金入りの共産主義者で天皇制反対論者、のちに秋篠宮が網野氏の作品を愛読していると知って、非常に困惑したらしいというエピソードがある。晩年になってからはビジネスマンの読者が増えたことを網野氏はどう考えていたのだろうか? アニメーターの宮崎駿が大きな影響を受けて『もののけ姫』を製作したことはご存じの通り。宮崎駿はもともと共産党シンパである。

 こんな二人の対談なので、期待されないはずがなかったのである。ところが、内容については詳しくは覚えていない。というのは、対談内容は「日本図書新聞」に掲載されるとその場で発表があったからだ。しかし、結局活字になることはなかった。だが理由はそれだけではなかったようだ。

 対談のあった翌週のゼミで、阿部謹也先生からは「君もいたんですね」と声をかけられた。目ざとくも見つけられていたのであった。右翼の妨害を考えるとあの対談は実行すること自体が大変だったのだ、というのが網野善彦とも親しかった阿部先生の話であった。1980年代半ばのことである。

 当時はまだまだ「ウヨク」が乱暴な存在だったのだ。平成になってから、日本国憲法を遵守するという天皇陛下のお言葉で「ウヨク」は一気にトーンダウン、ソ連の崩壊後「サヨク」がチカラを失ってからは張り合いをなくし、存在意義そのものがなくなっていったように思う。

 現在では考えられないほど、「天皇制」というテーマには、まだまだ濃厚な政治性がまとわりついていたのである。


哲学者・中村雄二郎の「臨床の知」

 中村雄二郎は、『臨床の知とは何か』(岩波新書、1992)を熟読し大きな影響を受けた。自分がビジネスマンとして日々取り組んでいることを、理論的に裏付けてくれる思いがしていたものである。

 中村雄二郎はライブは見てない。TV番組では見た記憶はあるが。


河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレ
 
 河合隼雄の話は一度だけライブで聞いたことがある。京都の国際会館で開催された「文化の多様性」で、当時文化庁長官を務めていた頃で、晩年といっってもいい時期である。

 2004年(平成16年)平成16年11月7日(日曜日)、フランスの思想家ジャック・アタリ(元フランソワ・ミッテラン大統領顧問、元欧州復興銀行総裁)の講演のあと、韓国のイ・オリョン(『縮みの思考』著者)との日本語による対談をライブで、しかも最前列のかぶりつきで(!)楽しませていただいた。この時は来賓として秋篠宮殿下夫妻がこられていたが、ご夫妻からは虚礼を廃する要請があり、着席のままお迎えしたのは記憶に残っている。

 対談の途中で、河合隼雄は小用に立ったのだがが、「年寄りの特権(?)」とかいって笑いをとっていたが、聴衆に不快感を味あわせないという、ちょっとした心遣いは見事であった。

 河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレは、場をなごませる雰囲気を作り出していた。とくに難しい話をするとき、厳しい話をするとき、関西弁はクッションとして働いてくれるものである。関東人はそれをさして、ヘラヘラして真面目さに欠けるなどと頭ごなしに非難することがあるが、あんたら全然わかってへんのや。

 逆にいうと、関東人は、あたりの柔らかい関西弁にダマされとんのとちゃうか?

 関西人は、実際はものすごくストレートな表現が多いのに、関東ではそれに気づいていない人が多いようにも思える。

 関西人が海外で活躍しているのは当然やな。ズバズバとダイレクトに、ストレートな表現そのままで、海外とわたりあっていけるからな~。英語で話している限り、英語に関西弁はでてこないけど、発想は英語にシンクロしとるな~。

 ちなみに、タイのバンコクでも非公式な統計だが、某大阪人いわく、バンコク在住の日本人の7割は関西人なり(!?)と。ほんまかいな? 情報ソースは何やねん? と丹波篠山、もとい丹後舞鶴生まれの私は突っ込んだが、感覚的には私も同意見。

 しかし私なんかは、ストレート・トークを関東で、しかも東京弁でやってしまうことが多いのが問題なんやろな、と反省にもつかぬ反省。

 反省ならサルでもできるわい、と突っ込みの声・・・空耳か?




PS 読みやすくするために改行を増やし、重要事項は太字ゴチックで強調、リンク先を再確認した。誤字脱字以外には本文に手入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>を追加した。 (2014年2月21日 記す)。
               



<ブログ内関連記事>

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(2014年2月21日 項目新設)


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