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2024年4月5日金曜日

教訓:晩節を汚す勿れ! ー 政治家に転身した経済史家・川勝平太氏の「不適切発言」に思ったこと(2024年4月4日)

 


静岡県知事の川勝平太氏(75)が、みずからの「不適切発言」ゆえに「任期半ばの6月に辞職すると表明」したのは一昨日(4月2日)のことだ。

農業や畜産業は「知性」がないという発言。これまでも失言を繰り返してきた人だが、今回のあからさまな「職業差別発言」に情状酌量の余地はない無意識のうちに、本心が露呈してしまったのだろう。

自分の発言がどう受け取られるかに鈍感で、コミュニケーション不全状態を招いていることにかんする自覚を欠いている。

失言で有名な麻生太郎氏(83)と同様、日頃から思っていることがついつい口に出てしまったのである。そう受け止めるのが自然である。

川勝氏による反対のための反対から、完工が遅れに遅れているリニア新幹線の是非については、ここでは問わないことにする。個人的には、異常に長いトンネル内での事故が怖いので、たとえ完成してもリニアに乗車することはないだろう。従来型の新幹線で十分だ。


■学者から政治家に転身したものの・・・

「晩節を汚す勿れ!」。これが川勝問題の焦点であると、わたしは個人的に考える。

川勝平太氏の「経済史家」としての業績は賞賛に値するものがある。すくなくとも、わたしはそう思ってきた。

16世紀から17世紀にかけて、西からはオランダとイングランド、東からは日本が東南アジアに進出、そこで「資本主義」が生まれたというのが、川勝氏の「文明の海洋史観」である。

言うまでもなく、梅棹忠夫の「文明の生態史観」を踏まえて、さらにその先を行こうとしたものだ。

上掲の写真は、マイライブラリーから取り出してきた川勝本の数冊であるが、川勝氏の学者としての全盛期は、1990年代後半のことであった。

NHKの教育番組「NHK人間講座」に出演したときの川勝氏は、滑舌もよく朗々とした語りでハツラツとしており、学者らしからぬものがあった。

京都出身でありながら早稲田の政経に進学したことにもあるように、もともと政治家に憧れを抱いていたのであろう。当時の書き物からも、それはうかがわれる。

とはいえ、学者としての業績と名声は、静岡県知事としての失敗と悪名によって帳消しになりかねない。いや、台無しになってしまったというべきか。

75歳にもなりながら、人間を磨き切れていなかったということか。自らを律し切れていなかったということか。

長年にわたる「先生稼業」がその人の本性となり、自分以外はみんなバカ、あるいは「できの悪い生徒」くらいにしか思ってなかったのかもしれない。

学問上の業績と人格は切り離して考えるべき、という議論もあろう。是々非々である。だが、日本という風土においては、それは成り立たない。政治家の「先生」はさておき、学者としての「先生」は文字通りの「教師」であり、政治家以上に強い倫理観が求められるからだ。

政治家とうまく付き合い、政治家をつかいこなして、「民族学博物館」をつくるという夢を実現した梅棹忠夫を超えることはできなかったのである。川勝氏は、後世にどう評価されることになるのだろうか?

心すべきは「晩節を汚す勿れ」の一言に尽きる。これが川勝問題から得られる最大の教訓だ。他山の石としなくてはならない

政治家や経済人だけでない、学者や研究者、その他すべての職業につてもそうだが、肝に銘じておかねばならない。引き際の美学が必要である。なんせ「人生100年時代」なのだから。


PS 4月10日に辞職届を出すとのことだが・・・

さすがに6月は遅すぎるという批判には対応したということか。2ヶ月間前倒しで4月10日に辞職届を出すという。どうも、それは表向きの理由のような気がしてならない。まったく信用されていないから。 (2024年4月8日記す)

 

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2021年12月21日火曜日

書評『黒船前後・志士と経済 他16編』(服部之総、岩波文庫、1981)― 幕末維新史を経済を切り口にしたこの本は、古い本だが面白い



『黒船前後・志士と経済 他16編』(服部之総、岩波文庫、1981)を読んだ。この本は古い本だが面白い。語り口が平易で、知的好奇心を満足させてくれる内容だ。
 
マルクス主義経済史家による幕末維新史関連エッセイ。なんていうと敬遠したくなるかもしれないが、内容はいたって面白い。テーマと切り口の鮮やかさと、細部に至るまで探求して止まないオタク的ともいうべき研究魔の精神が活かされているからだろう。 

戦前から戦後にかけて、ざまざまな雑誌に執筆された歴史エッセイを1冊に再編集したものだ。編者の奈良本辰也氏が解説も書いている。 

解説でも触れられているが、服部之総(1901~1956)は、戦前戦中のマルクス主義者受難時代には、縁あって花王石鹸で社史編纂に従事し、その功績もあって取締役となり、大陸担当重役として上海に渡り、アジアビジネスを経験している。単なる学者ではなく、ナマの経済と経営を知っていた人でもあるのだ。 

タイトルにもなっているエッセイ「黒船前後」は、「開国」の迫った米国艦隊の黒船が来日する前後の、船舶の技術史と産業史的観点からの読み物。 

帆船時代から蒸気船時代へのシフトと、蒸気船時代であるがゆえに必要とした石炭補給基地。当時の米国が日本に求めていたのはそれであり、つまり対中貿易推進のためのロジスティクスの観点から日本列島へのアクセスを確保したかったのだ。 (*当時はまだフィリピンはスペイン領であり、ペリー艦隊も太平洋を航海してきたのではない)。

日本列島をロジスティクス基地とみる戦略眼は、現在に至るまで変わらない。大東亜戦争で日本を軍事的に屈服させたのちは、よりその色彩が明確になっただけだ。この件は、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』にも記述してあるとおりだ。

 「志士と経済」こそ、このエッセイ集の白眉だろう。幕末の変革を担った志士たちの経済的バックグラウンドがなにであったかを示した内容だ。

このエッセイの中心となるのは、安政の大獄に連座し獄中死した儒者・梅田雲浜(うめだ・うんぴん)の経済活動だ。長州と大和を結ぶダイレクトな交易ネットワークを中心とした経済活動は、志士たちの交流ネットワークとしても機能していたという話だ。極貧の貧乏儒者の生活から、京都での華やかな生活を享受した実業家への転身。あまりにもコントラストが鮮やかだ。


(梅田雲浜 wikipediaより)


志士というと、一般に下級武士というイメージが強いが、渋沢栄一がそうであったように豪農層や豪商層出身者もすくなくない幕藩体制という既存の枠組みのなかでの経済活動に限界を痛感していたかれらが、生業から離れて志士になった理由がそこにある。あらたな政治経済体制を熱望していたのだ。 

これに対して、おなじく豪農層出身の尊皇攘夷派でありながら、最後の最後まで幕府に忠義を尽くした近藤勇や土方歳三など、新撰組の隊士たちとの意識の違いに注目すべきであろう、というのが「新撰組」で語られている内容だ。 

著者の服部之総がマルクス主義者で、しかも講座派であったことから、明治維新はブルジョア革命であったとする図式的な傾向がチラチラしていなくもないが、テーマと切り口はじつに面白く、かつ斬新である。現時点で読んでも、なるほどと思わされるものがある。 

このほか、個人レベルで大量生産システムを仕組み化していた「蓮月焼」の大田垣蓮月や、政治的な旗印を明確にしないで生き延びた近代インテリとしての福澤諭吉、財政問題と通貨レートからみた幕末の金(ゴールド)流出事情や、維新の負け組による北海道入植など、なかなか面白い内容のエッセイが精選されている。 

すでに著作権が切れているので、個々のエッセイはネット上で無料で読めるが、バラバラの単発エッセイではなく、こうやって1冊にまとまった形で読むのもいい。経済という切り口で読み解く幕末維新史のはしりとして、古典的価値があるといっていいだろう。


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2016年4月29日金曜日

「イフ」を語れる歴史家はホンモノだ!-歴史家・大石慎三郎氏による江戸時代の「改革」ものを読む


「歴史にイフはない」というよく知られたフレーズがある。だが、このフレーズにこだわって禁欲的になりすぎるのは、あまり生産的ではないと思う。

たしかに、時間の流れというものは、未来からやってきた時間が現在を通過したその瞬間に過去になっていくので不可逆であるのだが、「もしかしたらありえたかもしれない可能性」について考えることはきわめて意味のあることではないだろうか。

なぜなら、歴史というものには必然性はないし、あたかもブラウン運動のように、個々の事象が玉突き現象のような形でランダムウォークする複雑な動きの軌跡と捉えるべきだと考えているからだ。それは複雑系でいう「カオス」であり、確率論が支配する世界だといってもいい。

マイブームというわけでもないが、ここのところ江戸時代関連のものばかり読んでいる。そのなかでも、日本経済史の大石慎三郎氏の著作はきわめつけに面白い。

『徳川吉宗と江戸の改革』(大石慎三郎、講談社学術文庫、1995)『田沼意次の時代』(大石慎三郎、岩波現代文庫、2001)『将軍と側用人の政治 新書・江戸時代①』(大石慎三郎、講談社現代新書、1995)と続けて読んでみたが、それぞれ重複しているものも多いとはいえ、ひじょうに新鮮な印象を受けている。

とくに興味深いのは田沼意次(たぬま・おきつぐ 1719~1788)の取り上げ方。賄賂政治家としていまだに糾弾されつづけている田沼意次だが、経済関連の官僚政治家としての構想力の大きさと実行力には目を見張るばかりだ。

田沼意次が実行した政策は、間接税としての流通税の導入、国内通貨統一(・・江戸時代は金銀複本位制だった)、北方開拓とロシア貿易、印旛沼干拓などあるが、スケールの大きさと先見性にはあらためて驚かされる。しかしながら、失脚によって政策の多くが中途で挫折したのはきわめて残念なことだ。通貨統一は明治4年(1872年)の「円」の誕生によってようやく完結、印旛沼干拓工事はなんと「戦後」の昭和21年(1946年)まで再開されなかったのだ。

田沼意次にまつわる悪評は、ほぼすべてが「抵抗勢力」をバックにつけて登場した松平定信によるものだと考えられている。まことにもって「男の嫉妬」は恐ろしい限りだが、田沼意次が失脚することなく政策が完全に実行されていれば、一世紀以上早く「近代化」していた可能性があるという大石氏の見解にはうなづかされるのである。近代化が全面的な西欧化ではなかった可能性もあったかもしれない

「もし田沼意次が失脚していなければ・・・」について考えることはじつに面白い。そのようなことを書いている大石氏のことをさして、「イフを語れる歴史家はホンモノだ」と、わたしがいうのはそういうことだ。

歴史というものが直線的に進むものではなく、行きつ戻りつしながらジグザグに進んでいくものだ。これを十分に理解していれば、今後の日本についても過度の悲観論や楽観論をもつことが無意味なことも理解されることだろう。

わかっているつもりでいながら、じつは多くの人にとってよくわかってないのが江戸時代。もちろん、わたしも例外ではないが、だからこそ江戸時代について知ること、考えることは面白い。




著者プロフィール

大石慎三郎(おおいし・しんざぶろう)
1923年~2004。日本の歴史学者。専門は近世日本史。東京大学文学部国史学科卒業。学習院大学名誉教授。徳川林政史研究所長、愛媛県歴史文化博物館館長を歴任。近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後、享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。著書多数。(wikipediaの記述に加筆)



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What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)」

If Your Cat Could Talk 「あなたのネコがしゃべれたら・・・

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

書評 『龍馬史』(磯田道史、文春文庫、2013 単行本初版 2010)-この本は文句なしに面白い!

書評 『歴史人口学で見た日本』(速水融、文春新書、2001)-「徹底的に一般庶民の観察に基礎をおいたボトムアップの歴史学」の醍醐味を語る一冊

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方
・・「市場経済」と「資本主義」はイコールではない。封建社会がゆっくりと崩壊して資本主義社会が出現した点において、西欧社会と共通しているのは日本だけである、とブローデルは指摘している。江戸時代は、時代とともに市場経済が社会の隅々にまで浸透し、個人のチカラが増大した時代であった。



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2014年4月7日月曜日

書評『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)― 出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史



日本でも観光地としてはもちろん、テーマとしても人気の高いヴェネツィアだが、活字印刷による出版がビジネスとして花開いたヴェネツィアを描いたこの歴史ノンフィクション作品は、ヴェネツィアをみる新たな視点を提供してくれる。ヴェネツィア共和国は、出版ビジネスの中心であったのだ。

『そのとき、本が生まれた』という日本語版タイトルの巧みさに引きつけられて読み始めたが、じつはヴェネツィア共和国の歴史なのだとわかり、「うれしい誤算」を喜びながら最後まで読んだ。なぜなら、わたしは本好きではあるが、それに劣らず旅好きであり、しかもヴェネツィア好きでもあるからだ。

これまでヴェネツィアは二度訪問している。最初はウィーンから直通夜行列車で、二度目はスロヴェニアの首都リュブリャーナから直通列車で入った。ともにかつてのハプスブルク帝国ゆかりの地であるが、駅から一歩出て目に飛び込んできた運河に驚いた初回は、とくに強く印象に刻まれている。
    
イタリア語の原題は、L'alba dei Libri. Quando Venezia ha fatto leggere il mondo (2012)。つい最近でたばかりの本である。直訳すれば、『本の夜明け:ヴェネツィアが世界を読んだとき』とでもなろうか。著者はヴェネツィア(Venezia)生まれ。ヴェネツィア大学で地元のヴェネト(Veneto)地方の歴史を専攻した週刊誌ニュース責任者。その意味では地方史あるいは地域史でもあるわけだ。




なぜ15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国に出版ビジネスが確立し、欧州の一大中心地となったのか? そしてどんなタイトルの本が出版され、ヴェネツィア共和国内、そしてで欧州全土で流通し、さらには地中海世界やその他の輸出されていたのか? 知的好奇心を大いに刺激してくれる内容である。


「16世紀メディア革命」の担い手はヴェネツィアであった

本書は、活字印刷による出版業の産業史であり、情報史であり文化史でもある。書籍、出版、印刷業、情報、貿易、商業史、経済史、産業史、文化史、ヴェネツィア、経済覇権、メディア革命と、さまざまな観点からカレイドスコープのようにヴェネツィアの黄金時代を振り返る。

ヴェネツィアには、豊富な資本、商業ネットワーク、そして世界各国から人とモノが集まる港湾都市ならではの言論の自由があった。出版が成功するための要素が揃っていたのだ。出版ビジネスは、その本質において印刷機と金属活字への固定資産投資をともなう印刷業であり、かつ商品としての知識と情報を商う情報産業でもあった。どうやらこの時代には分業モデルは存在しなかったようだ。

ヴェネツィアで出版ビジネスが繁盛したのは、ヴェネツィアが海洋国家で貿易を中心とした商業国家であったことが大きい。つまり、海運と海軍力を必要とする国家であり、文字通り海外に雄飛するという進取の気性というマインドセットと「実学」が背景にあったことが大きい。

だからヴェネツィアで出版された本は、現在の日本と同様に実用書が多いというのも十分にうなづける話である。本書にはトピックとしての聖書印刷やヘブライ語のタルムードやアラビア語のコーラン印刷の話もでてくるが、出版点数が多かったのは軍事関係、医学書に美容書、料理本、そして楽譜といった実用書であった。

活版印刷の発明とメディア革命というと、どうしても15世紀ドイツのグーテンベルクの名前ばかりがでてくる。だが、実際に印刷を印刷業として、そしてその発展形である出版業として確立し、ヨーロッパ世界で覇権を握ったのは16世紀、すなわち近世(=初期近世)に入ってからのヴェツィア共和国である。だから「16世紀メディア革命」はヴェネツィアが担い手であり、その中心地であったというほうが正確なのだ。


「東方への窓」であった海港都市国家ヴェネツィア

ヴェネツィアというと、現在の日本では観光地以外で話題になるのは、「ヴェネツィア国際映画祭」「ヴェネツィア・ビエンナーレ」といった文化面でのイベントであろう。北野武監督など日本人も含めたアジア人アーチストが受賞することも多いこれらのイベントは、ヴェネツィアが「東方への窓」であった時代をほうふつさせるものがある。

欧州における経済と文明の中心が南部から北部にシフトし、海洋国家ヴェネツィアは英国に取って代わられるが、全盛期には欧州大陸内では中東欧、地中海ではクレタ島を領有し、商業ネットワークはオスマン・トルコやコーカサスまで及んでいたのである。

1453年のコンスタンティノープル陥落による東ローマ帝国(=ビザンツ帝国)滅亡により、ギリシア語をつかう知識人たちがヴェネツィアに亡命してきたが、ヴェネツィアの後背地にあるパドヴァ大学を活性化し、その結果ルネサンスで復興したギリシア・ラテンの古典が印刷出版される。1492年のレコンキスタによってスペインから追放されたユダヤ人はヴェネツィアに定住し、その地でヘブライ語の聖書とタルムードを印刷出版する。アラビア語の活字でコーランを印刷し輸出しようとしていた(!)というのも興味深い。

だが、教皇庁のおひざ元ローマで1542年にはじまった「異端審問」はヴェネツィアにも及び、禁書リストの作成と焚書も行われたのは、一時的とはいえヴェネツィアの出版ビジネスには打撃となったようだ。

アドリア海をはさんだ対岸のバルカン半島のセルビア人はセルビア語の、コーカサスのアルメニア人はアルメニア語の宗教文書をヴェネツィアで出版し、世界に散らばるエスニックコミュニティ向けに輸出していた。なんと1792年からソ連崩壊の1992年まで200年にわたり、ヴェネツィアがアルメニア語出版の中心地だった(!)のである。

本書は、ヴェネツィア好きの日本人読者向けに書かれたものではないので、やたら登場する日本人になじみのない固有名詞がわずらわしいかもしれない。イタリア人の名前は長ったらしいのだ。また、数字が異様にまで細かいので、文化史というよりも商業史としての要素もつよい。

本好きだが小説など文学作品しか読まないような人はすこし面食らうかもしれない。本書に登場するのはピエトロ・アレティーノのポルノ作品だけだから(笑)

だが、本が好きなら、しかもヴェネツィアが好きなら、もう言うことはない一冊である。翻訳もこなれていて読みやすい。


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目 次

第1章 本の都、ヴェネツィア
第2章 出版界のミケランジェロ、アルド・マヌーツィオ
第3章 世界初のタルムード
第4章 消えたコーラン
第5章 アルメニア語とギリシャ語
第6章 東方の風
第7章 世界と戦争
第8章 楽譜の出版
第9章 体のケア-医学、美容術、美食学
第10章 ピエトロ・アレティーノと作家の誕生
第11章 衰退、最後の役割、終焉
訳者あとがき

参考文献

 
著者プロフィール

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ(Alessandro Marzo Magno)
ヴェネツィア生まれ。ヴェネツィア大学でヴェネト史を専攻。週刊誌『ディアーリオ』の海外ニュース担当責任者として活躍中。おもな著書に、La guerra dei dieci anni. Jugoslavia 1991-2001 (10年戦争・ユーゴスラビア1991-2001)、Atene 1687. Venezia, i turchi e la distruzione del Partenone(アテネ 1687 ヴェネツィア、オスマントルコ、パルテノンの破壊)などがある。現在ミラノ在住(出版社サイトより)。

訳者プロフィール

清水由貴子(しみず・ゆきこ)
東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業。翻訳家。おもな訳書に、セルヴェンティ、サバン『パスタの歴史』(原書房)、カッリージ『六人目の少女』(早川書房)、ウェイクフィールド『早送りの人生 愛につつまれた最後の日々』(ソフトバンククリエイティブ)、シャーウィン『ドリーム・チーム  佐々木、イチロー、長谷川のマリナーズ2002』(朝日新聞出版)などがある(出版社サイトより)。


<ブログ内関連記事>

本についての本

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

書評 『脳を創る読書-なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか-』(酒井邦嘉、実業之日本社、2011)-「紙の本」と「電子書籍」については、うまい使い分けを考えたい

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!


水の都ベニス(=ヴェネツィア)

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)


ヴェネツィアにおける出版物と「16世紀メディア革命」

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・「異端審問」によって焚書となったエラスムスの『痴愚神礼讃』

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!
・・ヴェネツィア人マルコー・ポーロの『東方見聞録』(・・しかも、ヴェネツィア1626年バージョン)が東洋文庫に所蔵されている。写真あり

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?


人類史におけるヴェネツィア共和国

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと
・・アメリカを代表する歴史学者マクニールのヴェネツィア史

盧溝橋事件(1937年7月7日)から77年-北京の盧溝橋が別名マルコポーロ橋ということを知るとものの見方が変わってくるはずだ
・・13世紀のヴェネツィア人マルコ・ポーロ

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう
・・当時ヴェネツィア共和国領であったクレタ島生まれのエル・グレコ

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・オスマントルコとの交易拠点であったヴェネツィア

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する


「東方への窓」であったヴェネツィア

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・クレタ島は長期にわたってヴェネツィア共和国領であった。その時代に生まれてスペインのトレドで活躍したのが画家のエル・グレコ(=ギリシア人)である

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・レバント(東地中海)のキリスト教とイスラーム

(2014年7月14日 情報追加)


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2013年4月20日土曜日

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない


超長期で経済分析をすすめている異端の民間エコノミストと、国家と資本主義の関係について考察してきた気鋭の政治哲学者との刺激的な対話です。

帯には、「近代資本主義の崩壊が始まる」とありますが、「近代資本主義」が崩壊過程にあるのはたしかですが、資本主義じたいが崩壊するるわけではないのでお間違えないよう。世の中によくあるオカルト系ではありません。

エコノミスト水野和夫氏の大著 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)は、このブログでも紹介しましたが、ある程度の経済学の素養と西洋近代史の素養がないと読み切れない大著なので、なかなかチャレンジしにくいのではと思います。 

そんな人のためには、この新書本をぜひすすめたいと思います。対談本で238ページなので、読みとおすことは可能でしょう。

「近代資本主義500年の歴史」はいまや終わり、大転換期にあるという認識が必要なことを、豊富な経済データと濃密な議論で展開した読みでのある新書本です。

中世世界が崩壊して近代世界に移行した500年前の大転換期--いわゆる大航海時代のことですね--との対比で現在の状況をわかりやすく解説しています。

日本の超低金利状態は、500年前のイタリアの都市国家ジェノヴァの低金利以来のものなのです。これを「利子率革命」というのですが、すでに低金利は経済成長のとまった先進国全般に拡大しています。低利で調達された資本は先進国ではなく、成長余地の大きな新興国に流れるのは当然なことです。実体経済の成長は新興国で、金融経済は先進国でというわけです。

500年前のスペイン(=ハプスブルク帝国)とイタリア(=ジェノヴァ共和国)の関係が、現在のアメリカと日本の関係になぞらえて説明されているところなど、経済覇権国と資本提供者の組み合わせという意味ではじつに卓抜です。

この対談ではヘゲモニー論を軸に、軍事力を背景にした経済覇権と国家の関係について考察した内容になっています。こういう議論に慣れていない人は新鮮な印象を受けることでしょう。

水野氏は、「歴史の峠」に立っているという認識を」という「あとがき」でこう言っています。

このような時代の転換期において、近代資本主義の枠内だけの道具では、問題を解決することは不可能だろう。デフレという問題ひとつをとっても、おカネを刷れば一挙解決といった処方箋は、グローバル化した経済を見誤っている典型のように思われる。(*太字ゴチックは引用者=わたし による)

わたしはこの発言に賛成です。水野氏はこういうことを発言しているので、いわゆる「リフレ派」からはボロクソに批判されています。

つい先日、あたらしい総裁のもと日銀が「異次元の金融緩和」を断行しましたが、経済史を含めた西洋史を大学学部で専攻したわたしには、水野氏の発言こそまっとうに思われます。もしかすると政策決定者には隠されたべつの意図があるのかもしれませんが。

とはいっても、政策決定者ではない一日本国民には、経済政策も金融政策もコントロール不能な「外部環境」です。ですから、すでに始まっているバブル生成と崩壊を見据えたうえで、自らの行動を決めなくてはならないでしょう。そのときに備えた研究が必要なことは言うまでもありません。

しかし、その解答まではこの本には書かれていません。あるべき枠組みについての議論はあっても、自分とその関係者がサバイバルするための方法については、自分で考えて自分で実行していくしかありませんね。

いずれにせよ、まずは、「近代500年の近代資本主義」が崩壊するプロセスにあるいま、既存の枠組みのなかで設計された経済金融政策はもはや機能しないことに気がつかねばならないのです。





目 次

はじめに 市場経済だけで資本主義を語るエコノミストたちへ
第1章 先進国の超えられない壁
第2章 資本主義の歴史とヘゲモニーのゆくえ
第3章 資本主義の根源へ
第4章 バブルのしくみと日本の先行性-日米関係の政治経済学-
第5章 日本はいかに生き抜くべきか-極限時代の処方箋-
対談を終えて
 「歴史の峠」に立っているという認識を(水野和夫)
 経済学的常識への挑戦(萱野稔人)
参考文献

著者プロフィール 

水野 和夫(みずの かずお)
1953年生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。元三菱UFJ モルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。早稲田大学大学院修士課程経済 研究科修了。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』など(出版社サイトより)。
 

萱野稔人(かやの・としひと)
1970年生まれ。津田塾大学国際関係学科准教授。哲学博士。パリ第十大学大学院博士課程哲学科修了。著書に『国家とはなにか』など。(出版社サイトより)。



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書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

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書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書




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2012年12月29日土曜日

書評『終わりなき危機 ー 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)ー 西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない


もはや資本主義にフロンティアはない! いま日本でミャンマーが最後のフロンティアとして喧伝(けんでん)されてるのはそのためだ。

もはやアメリカも自国内にフロンティアは存在しない! アメリカは自国の低所得者層を収奪したあげく金融破綻を引き起こしている。2008年のリーマンショックとは、低所得者向けの不動産ローン債券にむかったマネー暴走がもたらしたものであった。

そう、つまり近代資本主義がすでに行き詰まっているのだ。

これが利子率が低下したままになっている真の原因だ。著者はこの資本主義にとってのフロンティア状態をさして「世界史の終わり」が近付いているという。政治思想家のカール・シュミットに従った表現である。

この状態をさして経済史では「利子率革命」というが、日本でこの1998年続いているこの低金利という事態は、じつにヴェネツィアとライバル関係にあったイタリアの都市国家ジェノヴァ共和国以来の出来事なのだ。

ジェノヴァ共和国では、11年間(1611-1621)にわたった「利子率革命」が進行していた。そして同時期には西欧では「価格革命」が進行していた。つまるところ、その当時、もはやこれといった投資先がなくなっていたため、低金利状態が長く続いていたのである。つまり400年前もデフレ状態だったのである。

同様の状態にある日本も低金利状態はすでに14年以上続いており、著者の水野和夫氏は「21世紀の利子率革命」と名づけるべきだという。さらには金融危機後のアメリカも欧州も低金利政策を採用し、この政策が短期間に終わる見込みはまったくたっていない。この意味からいっても、いま世界経済は大転換期にあることは間違いない。

著者はこの状態をさいて近代初期の「長い16世紀」と、近代終焉後の「長い21世紀」として対比させて、「危機の予兆」「反転攻勢」「旧体制の危機」というダイナミズムを論じているが、問題は500年前とはちがって、21世紀の資本主義にはもはやフロンティアは存在しないことにある。存在しているとしても、開発されつくすのもそう遠い先ではない。

著者は、まえがきでこう書いている。

書名を『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』としたのは、ブルクハルトのいう「歴史における危機」は未だ中間点を過ぎたあたりで、これからも続く可能性が高いからである。危機が終わるのは数十年先であろう。(* 太字ゴチックは引用者=わたし)

本書は、現在の未曾有の世界的危機がなにを意味しているのか、16世紀以降の「500年単位の歴史」を近代欧米資本主義の歴史として徹底的に分析し、資本主義が主導したグローバリゼーションの興亡を詳細にみていくことによって、日本の立ち位置がどこにあるのかを考える500ページを超える大著である。

では、グローバリゼーションについて、近代西洋資本主義の流れにそって歴史的に振り返っておこう。


グローバリゼーションは与件ではない。資本主義が必要としたのだ

16世紀からはじまったポルトガルとスペインが主導した「大航海時代」は、実はイタリアのジェノヴァ商人とユダヤ商人が背景では主導権を握っていた大規模な投機経済である。これが大航海時代という「第一次グローバリゼーション」の波であり、その波は日本にまで押し寄せた。ちょうど戦国時代末期の頃である。

大航海時代の覇者ポルトガルが衰退し、覇権を握ったのはスペインであるが、その後オランダ、そして英国が勝利を収め、海洋帝国としてのグローバル・ネットワーク(=大英帝国)を築き上げていく。そのプロセスのなかで「産業革命」という「第二次グローバリゼーション」が始まる。

ここにあげたポルトガル、スペイン、オランダ、英国はみな植民地収奪によって富を蓄積したのである。一度も覇権国となったことはないものの、フランスもまたそのなかに含めるべきであろう。

米国の文明史家エマニュエル・ウォーラスティンのいう「近代世界システム」はこのプロセスのなかでを形成されていった。中心国が周辺国を従属化し、収奪することによって資本主義が進展するというプロセスである。中心国の資本主義にとっては周辺国が広大なフロンティアとして広がっていたわけだ。

その最後尾として、明治維新以降の近代日本がその流れに参加することになる。日本は第一次グローバリゼーションに巻き込まれたものの、その後はみずから離脱して西洋とは異なる歴史を歩んで三世紀に及ぶ空前絶後の平和時代を享受する。しかし、第二次グローバリゼーションの波には抗しきれず、積極的に巻き込まれることによってプレイヤーとして、植民地化されずに生き残る道を選択した。

世界の覇権国となった海洋帝国である大英帝国を受け継いだのが米国であるが、「海の時代」の覇者であった米国のパワーが衰退に転じたのは 1974年である。この年に粗鋼生産はピークを打っていることが著者によって示されている。前年の1973年に米国はベトナムに敗れ、膨張主義はストップをかけられた。いわゆるニクソン・ショックによって金とドルの交換が停止されたことは、覇権国としてのアメリカの衰退化を象徴した出来事であった。

そして、「第三次グローバリゼーション」は、ベルリンの壁が崩壊した1989年からはじまった。1992年にはソ連が崩壊し、旧東欧諸国が資本主義のとってのフロンティアとして登場したことも大きい。その前から暴走がはじまったマネー資本主義が2008年にはクラッシュしたものの、いまだにストップがかかることなく続いている。

つまり、グローバリゼーションは自然発生したものではない近代西洋資本主義が生き残るためのフロンティアを求めての運動であったということなのだ。


「海の時代」からふたたび「陸の時代」へ転換?

資本主義は、空間差と時間差を利用してその差異を縮小していく運動であるというのは名著 『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房、1985 現在はちくま文庫)における岩井克人教授の説明だが、空間差を利用した資本主義は、もはや地理的な意味でのフロンティアがほぼ消滅したことで終わりに近付いているのである。

時間差にかんしても、インターネットの普及でリアルタイムでのビジネスが可能となった結果、いちじるしく差異が縮小してしまっている。パワーの中心は中国やインドなどいわゆる古い「新興国」に移転する流れは止めようがない。これが現在の状態である。

資本主義にとっての最後のフロンティアは内陸部にしかない。残されたフロンティアはアフリカ大陸とユーラシア大陸奥地。さすがに宇宙への拡大は、まだまだ技術レベルがそこまで達していないので、かなり将来的なものとなるだろう。あるいは想定には入れるべきではないかもしれない。

いま進行しているのが「海の時代」からふたたび「陸の時代」へ転換しているというのが著者の見立てである。陸海空を制した米国も、「9-11」以降はもはや空の安全だけでなく海の安全も完全に確保できないことが、2001年9月11日に明らかになってしまった。

「海の時代」のプレイヤーである日本もまたピークアウトしているだけでなく、安全保障を米国に依存してきただけに苦しい局面に立たされているのである。

ものづくり日本は製品の高度化で、金融立国にシフトした米国はレバレッジをつかうという「高さ」をつかった立体(=三次元)勝負を行ったが、日本のものづくりも米国の金融もともに敗退を喫したのである。


日本と日本人は「長い21世紀」をどう生きていくか

ビジネスパーソンにとってもっとも関心が高いのは、この苦境からいつどのようにして脱出できるのか、今後の世界経済はどういう方向に向かっていくのか、そのなかで日本と日本人はどう生きていけばいいのかということだろう。

著者は、この500年の歴史については、手を変え品を変え何度も何度も語っているのだが、ではこれからどうなるのかについてはほとんど語っていない。ビジョナリーではないエコノミストの著者にそれを期待するのは無理があるかもしれない。その点については、 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)を参照するべきだろう。

少なくとも本書から読み取れるのは、ユーラシア内陸国家のフロンティアも、21世紀で開拓されつくされる可能性が高いということだ。そう考えると、ほんとうに「陸の時代」といえるのか疑問を感じざるを得ない。そうだとしても長期的な話ではないというべきではないか。

地政学的なポジションからいって日本がユーラシア大陸に深入りすることがいかに危険な企てであるかは、第二次大戦での敗退によって痛いほど味わっているはずだ。日本という国家そのものが衰退する潮流にあるとはいえ「海洋国家」である以上、取り得る選択肢はおのずから限定されることを認識しなくてはなるまい。

同じ内容が何度も何度もでてくるのは、正直いって冗長であるという感は免れない。注をほぼすべてカットして本文を2/3程度に圧縮したら、もっと読みやすい本になったであろう。学術書ではないがぜひ索引をつけてほしかった。

そのような欠点はあるものの、エコノミストとして証券会社という資本主義の最前線にいた著者が書いた本書はじつに読み応えのある本である。膨大なページ数にめげず、時間をつくってぜひガップリと四つに取り組んでほしいと思う。



 

目 次

まえがき
第1章 陸と海のたたかい-地理的・物的空間と電子・金融空間
 1. 9・11、9・15、そして3・11の意味するもの-近代の終焉
 2. 何のための、誰のための景気回復か
 3. 21世紀は海の国に対する陸の国のたたかいの世紀
第2章 成長神話と米国幻想-「成長」自身が「収縮」をもたらす
 1. 1974年になにが起きたのか
 2. 「過剰」な近代
 3. 日本が手本にしたのは、日本に10年遅れの米国
 4. 米「資本の帝国」 VS. EU「理念の帝国」
第3章 ヨーロッパ史と世界史の融合は可能か-「長い16世紀」を超える21世紀の衝撃
 1. 21世紀のグローバリゼーションは過去とどこが違うのか
 2. 賃金下落をもたらす「利潤革命」
 3. 今、世界は「長い21世紀」のどのあたりにいるのか
 4. 普遍化のヨーロッパ史 VS. 多様性の世界史
第4章 「技術進歩教」神話の崩壊とヨーロッパ史の終わり-「膨張」のヨーロッパ史と「定常」の日本史
 1. 新興国インフレと先進国デフレ
 2. 欧米近代資本主義の「全地球化」の矛盾と限界
 3. 「永久革命」の終わりと止まらない蒐集
 4. 3・11原発事故の衝撃-「近代の自己敗北」と「歴史における危機」
あとがき
注記
参考文献

著者プロフィール

水野和夫(みずの・かずお)
埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。1953年生まれ。1977年早稲田大学政治経済学部卒業。1980年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(国際証券、三菱証券、三菱UFJ証券を経て、現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。1998年金融市場調査部長、2000年執行役員、2002年理事・チーフエコノミスト、2005年参与・チーフエコノミスト。2010年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券退社。著書に、『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、2007)、『金融大崩壊』(日本放送出版協会、2008)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!

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