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2023年11月16日木曜日

書評『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)― 「ユダヤ人という発明」がいかに行われてきたか、批判を恐れぬユダヤ系イスラエル人の歴史家が挑んだ「イスラエル神話解体全書」

 

2023年10月7日の 「10・7」が起きなかったら、おそらく『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)は積ん読のまま、さらに何年も過ぎ去ることになっていただろう。

ガザのパレスチナ自治区から越境し、イスラエルに仕掛けてきた武装組織ハマスの凄惨なテロ事件。このテロ攻撃でイスラエル側には1,400人の死者、そして詳細はあからないが多数の負傷者が発生しただけでなく、拉致されていまだに人質になっている240名がいる。そのなかには外国人も含まれる。

最初は、無条件でイスラエルを支持する声が世界中で上がっていた。このテロ攻撃の衝撃の大きさを考えれば当然だろう。

だが、「ハマスを殲滅する」という声高な叫びのもと、ガザ側の巻き添え被害の民間人の死者はすでに1万人を超え、地上作戦も開始され、ハマスの地下トンネルに対する攻撃も行われている。

ガザ側の死者が増大し1万人を超え、イスラエル側の死者をはるかに超えただけでなく、戦争がさらにエスカレートするにつれ、パレスチナ支持のデモが世界各地で拡大している。当然といえば当然だろう。

米国ではユダヤ系の若者でさえ、イスラエル批判のデモを行っている人たちもいる。"Not in Our Name": 400 Arrested at Jewish-Led Sit-in at NYC's Grand Central Demanding Gaza Ceasefire(YouTube 2023年10月31日)などの動画を見るとよい。その事実を知ったとき、わたしのなかでもなにかが変わり始めた。

現在のイスラエルのやっていることはおかしいのではないかイスラエルとユダヤ人は不可分の存在ではなくなっている、いやそもそもユダヤ人が無条件でイスラエルを支持しているわけではないのではないか、と。そんな疑問がわいてきたのだ。

時代は変化しているのである。人びとの考えに変化がでてきても当然ではないか、と。

となると、イスラエルという「国家の起源」について考えなくてはならなくなる。「民族国家」(ネーション・ステート)であるイスラエルが規定しているユダヤ人とはそもそもいかなる存在かについて考えなくてはならなくなる。

さまざまな疑問があらためて湧き出てくるのを感じてきたのである。


■「ユダヤ人」は「発明」された概念である

ユダヤ人の起源が、パレスチナの地だけではないことは、すでに「常識」だといっていいだろう。

なぜなら、ユダヤ人として十把一絡げにくくることが不可能なほど、出身地の地域性を反映して大きく異なっている人たちの集団であることは自明だからだ。テュルク系の「ハザール王国」の話など、聞いたことのある人も少なくないはずだ。ユダヤ人は人種概念ではない。

というわけで、この機会を利用して、積ん読になって5年以上もたっていた『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)を読むことにした。なにごともタイミングというものが重要だ。どの本には、読むのに適した時期というものがある。

批判を恐れぬユダヤ系イスラエル人で、テルアビブ大学の歴史学の教授が挑んだ力作である。日本語版は文庫版で600ページを超える大冊なので、さすがに一気読みというわけにはいかない。

日本語版は「ユダヤ人の起源」となっているが、英語版のタイトル The Invention of the Jewish People にしたがえば、「ユダヤ人という発明」とするべきだろう。それは過去のある時点から始まった「発明」であるからだ。

この本はわたしなりに言い換えれば、「イスラエル神話解体全書」とでもいうべき内容の本である。もともとヘブライ語で書かれ、2008年にイスラエルで出版されたのだという。


(イスラエルで出版されたヘブライ語版 Wikipediaより


著者自身が2010年の単行本出版時に寄せた「日本語版への序文」によれば、イスラエルで出版された当時、電波メディアでも活字メディアでも積極的に取り上げられ、一般読者層からは強い関心をもって受け止められたという。

この事実から、ほかならぬユダヤ系イスラエル人自身が強い関心をもっているテーマだということがわかる。

ところが、専門家である歴史家たちからは、過剰なまでにネガティブな反応や著者に対する攻撃を引き起こしたのだという。「建国神話」という神聖なるタブー領域を侵犯しているからだ。

「ユダヤ人の起源は聖書の地」であるという前提が崩れると、民族離散(ディアスポラ)から2000年後に「父祖の地」に「帰還」したという「神話」が崩壊してしまう。「ユダヤ人国家」であるイスラエルの存立基盤が崩壊しかねないのだ。

リアクションの大きさから、この「歴史家」の立ち位置がわかる。あえて分類すれば「左派」というこのになるのだろう。神話を歴史とみなす「右派」と比較すれば、立ち位置はおのずから明らかである。

わたし自身は左派ではなく、政治的なリベラル派ではないが、著者のような歴史家こそ、本来の意味の歴史家だと思うのである。とはいえ、イスラエルもまた「御用学者」が幅をきかせているのだろう。過去を異なる視点で読み変えることこそ、歴史学の本来のミッションであるはずなのだが・・。

日本語版はフランス語版からの翻訳だが、著者自身フランスで学んだ歴史学者でフランス語にも堪能なことからフランス語版も監修しているはうだ。英語版よりフランス語版のほうが、論理展開が緻密だと監訳者が書いている。


(フランス語版 Comment le peuple juif fut invente


■ロシアで生まれた「シオニズム」というイデオロギー

そもそもユダヤ人は歴史的思考が希薄であった。この点はインド人とおなじである。旧約聖書のヘブルびとは古代文明の担い手であったが、ヘロトドスを生み出した古代ギリシア人や司馬遷を生み出した古代中国人とは違う。

そんなユダヤ人だが、知識階層が「ユダヤ人の歴史」に取り組みはじめたのは「近代」になってからのことだ。その動きは、まずドイツから始まり、その流れはロシアに拡がっていった。ここ2世紀の話に過ぎない。

中東欧からロシアにかけて居住していた、いわゆるアシュケナージ系のユダヤ人のなかから生まれてきたのが「シオニズム」という思想である。

ロシア帝国はユダヤ人に居住地域を定め、移動に制限をかけていた。英語では "Pale" という。アシュケナージ系ユダヤ人は限定された領域で人口爆発状態となっており、反ユダヤ主義が「ポグロム」という暴力的な形で激化したのがこの地域のことであった。現在のロシアやウクライナである。

中欧のハプスブルク帝国、すなわちオーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれたユダヤ系のジャーナリストのテオドール・ヘルツルが提唱したのが「シオニズム」の始まりだ。ヘルツルの夢は、「ユダヤ人国家」の樹立であった。

「シオニズム」は、「ユダヤ人国家」(Jewish state)という「ユートピア」を実現するために生み出されたイデオロギーである。

父祖の地である「シオン」(Zion)への帰還がその主張の根本にあるので、最終的に「シオニズム」と命名されたわけだ。そんなシオニストの夢が実現したのがイスラエルである。イスラエルが「イデオロギー国家」であるとは、そういうことだ。

ところが、その「シオニズム」は、「キャピタリズム」(=資本主義)や「コミュニズム」(=共産主義)と同様に、あくまでも「イズム」としての「主義」であり「イデオロギー」であって、ユダヤ人なら自動的に支持するイデオロギーではない

よくよく考えてみれば、これは当然の話である。おそらく、現在イスラエルに居住する一般のユダヤ系イスラエル人であっても状況はおなじだろう。「イズム」というものは、意識的に選択するものであって、生まれながらに身につけているものではない。教育を受けても主義者になるとは限らない

現在の日本に住む「日系日本人」の多くが、神社では柏手を打ち、皇室はリスペクトしながらも「天皇主義者」ではないのとおなじことだ。ビジネスパーソンだからといって「キャピタリスト」というわけではない。

つまり、日常生活に忙しい世俗的な一般人にとっては、「イズム」や「イデオロギー」にこだわる理由などまったくない。なんらかのイデオロギーを主張する右派も左派も、日本人のマジョリティではない。

ただし、シオニズムの担い手は、建国後から「労働シオニスト」とよばれた社会主義の左派であったが、オスロ合意に反発する右派によってラビン首相が暗殺された1995年以降は、「宗教シオニスト」とよばれる右派に移行している

現在のネタニヤフ首相の祖父は、当時はロシア帝国に属していたリトアニア生まれで、1920年代にパレスチナに移民してきた人である。ヘルツルの思想に共鳴した筋金入りのシオニストであった。


■「神話」を歴史とみなすことの問題性

日本で出版されている「ユダヤ史」にかんする本は、そのほぼすべてが絵に描いたようなナラティブで構成されている。

「旧約聖書」の時代から始まって、「ディアスポラ」という「民族離散」後の2000年を経て、イスラエル建国によって父祖の地に戻ったというストーリーが骨格になっている。

極端な場合は、ディアスポラ以降の歴史がまったく言及されないまま、旧約聖書時代からいきなり20世紀のナチスドイツによる絶滅収容所の話が登場し、ホロコーストから生き延びたユダヤ人たちは「民族として生き残るためには自分たちの国を持たねばならない」として、イスラエル建国に至ったというストーリー展開となる。

もちろん、これはあまりにも単純化されたナラティブであり、しかも正確さを欠いている。間違いも含んでいる。

もしかすると、旧約聖書とイスラエルがダイレクトに結びつけるのは、なにか意図的な仕掛けがあるのではないか? そういう疑問をもつことは重要だ。

だからこそ、「イスラエル建国」の「前史」を知らなくてはならないのだ。

「シオニズム」というイデオロギーが生まれてきた背景と、「民族」(=ネーション)としての「ユダヤ民族」という概念と「ユダヤ史」が生まれてきた経緯、そして「聖書の地」以外で生きてきたユダヤ人の実態とその歴史を知らなくてはいけないのである。


英語版


本書は、まず「はじめに」で、著者自身とその親族、関係者の多様で複雑なアイデンティティが事例として紹介される。一口に「ユダヤ人」といっても、いかに多様なバックグランドをもった人たちあるか、具体的に理解されることになる。

本書で精緻に検証される前提して、「第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等」では、「ネーション」と「ナショナリズム」についての理論的考察が行われる。これについては後述の「補論」を参考にされたい。

「第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った」では、旧約聖書の「神話」が歴史とされてきた背景について、「第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗」と「第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて」では、知られざるユダヤ史の実相についての解明が行われる。

最終章の「第5章 区別 ー イスラエルにおけるアイデンティティ政策」では、「ユダヤ人国家」としての「イスラエル建国」に先立って行われた、「ユダヤ人」の定義をめぐって行われた、ナチスドイツの人種理論を想起させるような「生物学的」、つまり「遺伝学的」な論争について検証が行われる。

この精緻な検証作業によって明らかにされたのが、ユダヤ民族の神話と起源は「近代」の創作物であるということだ。「ユダヤ人」という概念は、ここ2世紀の産物に過ぎないのである。「神話」といっても差し支えないだろう。

「第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った」で重要なのは、「第3次中東戦争」(1967年)の結果、東エルサレムを領有するに至ったイスラエルだが、その後行われた考古学の調査によって「意図せざる結果」が生み出されてしまったことだ。

つまり、エルサレム周辺には、ユダヤ人が集住していたような痕跡、物的証拠は発見されなかったのである。「神話」は考古学によって否定されたのである。旧約聖書の神話を根拠としていたイスラエルの根拠が崩れ去ったのである。

「聖地」はあくまでも「聖地」であって、信者が尊崇する地であり巡礼の目的地ではあっても、集住する地域ではないのである。

これは考えてみれば当然のことだろう。キリスト教徒にとっても、イスラーム信者にとっても、聖地としてのエルサレムは、あくまでも巡礼地である。

このように考えていくと、「ガザに原爆を投下せよ」などという勇ましく響くが、非現実的で言語道断な放言をする国会議員の存在に端的に現れているように、「極右派」が必要以上に過激な主張をする理由もわかってくる。

「聖地」にユダヤ人が集住していたという「神話」が、考古学を初めとする学術研究によって史実ではないと否定されているからこそ、その主張にはムリがあるとうすうすと感じながらも「イデオロギー」にしがみつかざるを得ないのだ。「極右派」は、心理的に追い詰められているのである。

どうしても「アパルトヘイト」にしがみついていた、南アフリカの「白人至上主義」のことを想起してしまう。


■ユダヤ教はかつて熱心な「布教活動」を行っていた!

おそらく「ユダヤ人の起源」というテーマで関心が集中するのは、「第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗」と「第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて」で詳細に検証されている事実についてであろう。

現在は「民族宗教」として積極的な布教活動など行わないユダヤ教だが、かつては熱心な「布教活動」が行われていたのだ。ユダヤ教から分離し、それを否定することで誕生したキリスト教に対抗して布教活動が行われたのである。

驚きの事実である。布教活動によって改宗した人たちの子孫が現在のユダヤ人の大半を占めているのであって、ディアスポラによって離散した人たちの子孫ではないのだ。これもまた「ユダヤ民族神話」の破壊以外のなにものでもない。

アーサ-・ケストラーの著作で有名になった「ハザール王国」だけではないのだ。アラビア半島南端のイエメンでも、紅海を挟んで対岸にあるエチオピアでも、アフリカ北部マグリブのベルベル人もみな、布教活動によって改宗してユダヤ教徒になったのである。

パレスチナの地を含むレバント(=東地中海)の周辺についても、移住者だけでなく改宗者も少なくないと考えるべきであろう。

7世紀のイスラームの誕生後には、中東を発信源にアフリカ北部、さらにはイベリア半島までイスラーム化されていったが、その地域にはユダヤ教の信仰を守り続けた人たちもいたわけだ。

それが「セファルディム」とは異なる、「ミズラヒ」とよばれるユダヤ教徒である。

1492年のイベリア半島から追放され、アフリカ北部やオスマン帝国に難民として移住したユダヤ人教徒がセファルディムとされるが、かれらと関係なく、そのはるか以前から中東からアフリカ北部に居住していたユダヤ教徒もいたのである。

セファルディムはラディーノとよばれるスペイン語系のことばを母語とししゃべり、ミズラヒは出身地の言語であるアラビア語やペルシア語を母語としてきた人たちだ。ア

ラビア語をつかって生きてきたミズラヒは、むしろアラブ系ユダヤ人、あるいはユダヤ系アラブ人というべきなのかもしれない。


■パレスチナ人も聖書時代のユダヤ人の末裔?

つまるところ、おなじユダヤ系イスラエル人といっても、肌の色も容貌も大きく異なるだけでなく、ユダヤ教を信仰してきたという1点を除けば、生活習慣もまったく異なる存在なのである。

もちろん、信仰の濃淡にも違いがあるだけでなく、信仰は形だけでまったく世俗的な生き方をしている人も多い。

さらにいえば、父祖の地とされる「シオン」は、ユダヤ教徒の専有物ではない。

パレスチナの地が7世紀以降にイスラーム化され、ユダヤ教からイスラームに改宗したのが現在のパレスチナ人である。その考え方にたつと、ユダヤ人とパレスチナ人は、宗教が異なるだけで祖先が共通ということになる。

イスラエル建国の父であるベン・グリオンなども、最初はそう考えていたようだ。だが、パレスチナの入植地で勃発した「アラブ人蜂起」(1929年)を機にその考えは放棄したらしい。ユダヤ人とパレスチナ人が共存する国家像は、イスラエル建国前に消滅してしまったのである。


■日本の先例を踏まえれば「神話」解体後の国家像再建は可能だ

本書は600ページを超える大冊であり、取り上げられた事項と文献はきわめて多岐にわたっている。

ある程度までユダヤ史につうじている人なら目にしたことも、耳にしたこともある固有名詞であっても、ユダヤ史の知識を欠いている大半の読者にとっては、読んでもまったく頭に残らないかもしれない。

この本に書いてあることがすべてただしいかどうかについては、部分的に揚げ足をとったり、否定することはそれほどむずかしいことではないだろう。だが、全編について再検証する作業は、けっして容易なことではない

とはいえ、全体としてみれば、大筋ではそのとおりだろうと納得するものがある。「ユダヤ民族」という概念は、近代に生み出されたものであり、旧約聖書の時代からつづいているものではないということだ。

日本だってその事情はおなじである。日本人という概念は、江戸時代中期以降の記紀神話の解読作業をつうじて国学を中心に形成されてきたものだ。

「平田国学」がその一端となって、天皇を統合のシンボルとした万世一系の天皇という「統合のシンボル」をもつ「建国神話」が作り上げられたわけだが、日本人が「ネーション」として確立されたのは、あくまでも日清戦争と日露戦争をつうじてのことであった。「外敵」の存在が「求心力」を生み出したわけである。

島国とはいえ、きわめて多様な自然環境によって育まれた、大いに異なる地域特性をもつ人びとが、共通語としての近代日本語、義務教育と徴兵制を体験することで、はじめてネーションとしての日本国民(あるいは日本民族)がつくりだされたのである。

「建国神話」もさることながら、具体的な制度と仕組みがそれを可能としたのである。

イスラエルにおいても、旧約聖書にもとづく「建国神話」がもちだされたが、中東欧をはじめ世界各地から集まってきた雑多なバックグランドをもつ人びとをまとめるための「統合のシンボル」が必要だったことは、明治維新時点の日本とおなじであった。

「外敵」の存在がイスラエルにおいて求心力を生み出したことは言うまでもない。4次にわたる中東戦争である。

共通語としての近代ヘブライ語と義務教育、徴兵制といった具体的な制度と仕組みをつうじて「イスラエル人としてのアイデンティティ」が形成されてきた。「建国神話」じたい色あせてきた現在でも、イスラエル国民はすでに確立したものとなっている。

******

問題は、「ユダヤ人国家」という理念が強調されて、少数派のパレスチナ人の存在が二等市民扱いとなっていることである。

『イスラエル神話解体全書』ともいうべき本書だが、2008年の出版から15年たって現在にいたるまで、イスラエルの国家像を見直す機運にまでは至っていないようだ。

状況としてはむしろユダヤ系の右傾化が進行している状況だが、「神話解体後」もイスラエルが国家として存続しつづけるためには、「神話抜きの国家像」を模索すべきであろう。今回の「2023年イスラエル・ハマス戦争」がそのきっかけとなることを願う。

日本人もまた、大東亜戦争の敗戦後に歴史から「神話」を追放することによって再生したのである。きわめて大きな代償を払うことになったが、明治維新から70年後のことであった。


『ユダヤ人の起源』のような本が発禁とならないだけ、イスラエル社会にはまだ自由が存在する余地があると言っていいのかもしれない。少なくとも占領地、すなわち植民地を除いた地域では。


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目 次 
日本語版への序文
監訳者まえがき
文庫版への訳者まえがき
はじめに ー 記憶の堆積と向かい合って
 変動さなかのアイデンティティと約束の地
 受け継がれてきた記憶と「対抗歴史」 
第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等
 「用語の検討」ー プープル(民族)とエトニー(種族) 
 ネイション ー 閉じ込め、境界を定める
 イデオロギーからアイデンティティへ
 種族的な神話から市民的な想像域(イマジネール)へ
 ネイションの「君主」としての知識人 
第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った
 ユダヤ人の時間の素描
 「神話=史」としての旧約聖書
 人種とネイション
 歴史学者間の論争
 原ネイション的な視線 ー「東洋」の見方
 種族主義的な段階 ー「西洋」の見方
 『シオン』誌における歴史記述のはじまり
 政治と考古学
 大地は反逆する
 隠喩としての聖書 
第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗
 紀元七〇年
 追放なき離郷 ー 不分明な地域における歴史
 わが意に反して移住した「ユダの民」
 「国の民のうち多くの人がユダヤ人になった」
 ハスモン朝は隣人たちにユダヤ教を押しつけた
 ヘレニズム世界からメソポタミアへ
 ローマ帝国におけるユダヤ教の布教活動
 "ラビのユダヤ教" の世界における改宗
 ユダの住民の「悲しき」運命について
 「その国の民」の記憶と忘却 
第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて
 「幸福のアラビア」ー ヒムヤル王国のユダヤ教への改宗
 フェニキア人とベルベル人 ー 謎の女王カーヒナ
 ユダヤ教のカガンか? 奇妙な帝国が東方に興った
 ハザール人とユダヤ教 ー 一つの愛の物語 
 ハザール人の過去をめぐる近代の研究
 謎 ー 東欧のユダヤ人の起源
第5章 区別 ー イスラエルにおけるアイデンティティ政策
 シオニズムと遺伝
 「科学的な」あやつり人形と人種差別的な人形つかい
 「種族」国家の建設
 「ユダヤ人の民主主義国家」ー 撞着誤報か?
  グローバル化時代の種族主義
謝辞
原著注

著者プロフィール
シュロモー・サンド(Shlomo Sand)
1946年にオーストリアのリンツで生まれる。その後、両親とともにイスラエルに移住。テルアビブ大学とパリの社会科学高等研究院で歴史を学ぶ。1984年よりテルアビブ大学にて現代ヨーロッパ史を教える。現在、テルアビブ大学名誉教授。専門領域は、フランスのインテレクチュアル・ヒストリー、20世紀の政治史、映画と歴史、ネイションとナショナリズムなど。フランス語・英語・ヘブライ語で多数の著書と論文を発表している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

監訳者プロフィール
高橋武智(たかはし・たけとも)
1957年東京大学文学部仏文科卒。同大学院で18世紀フランスの啓蒙文学・思想を専攻。1965~67年、フランス政府給費留学生として、パリ大学(ソルボンヌ)に留学。大学闘争さなかの1970年に、立教大学助教授を依願退職。(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)

訳者プロフィール
佐々木康之(ささき・やすゆき)
1935年生まれ。元立命館大学文学部教授、フランス語担当
(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)

木村高子(きむら・たかこ)
仏語・英語翻訳家。フランス国ストラスブール大学歴史学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)



■補論 「ユダヤ民族」(ネーション)という「発明」

「ネーション・ステート」(nation state)という概念がある。英国やフランスを筆頭に、その後に誕生したドイツやイタリア、そして米国や日本もみな「ネーション・ステート」であるとされている。

このあとにつづいて生まれてきた韓国やベトナムも「ネーション・ステート」であるといっていいだろう。

「ネーション・ステート」は、一般的に「国民国家」と日本語訳されている。日本語では「国民」と「民族」は別のことばで表現された異なる概念だと理解されているが、英語でもフランス語でも nation は、国民と民族の両方の意味をもっており、ことさら区別されることはない。

イスラエルもまた「ネーション・ステート」として建国された国だ。実際は、イスラエルに国民はユダヤ系だけの国でないが、理念としては「ユダヤ人国家」なのである。その点は先住民や帰化した人たちを抱えている日本も、程度の違いはあってもおなじである。

イスラエルに即して考えてみると、「ネーション・ステート」を「国民国家」と訳すことに疑問がわいてくる。なぜななら、イスラエルはシオニズムというイデオロギーにもとづいて、「ユダヤ民族」の国家として建国されたからだ。つまり、国家が成立してはじめて「国民」が誕生するわけだが、イスラエルの場合は国民が成立する前に「民族」が前提とされていたのである。

したがって、「ネーション・ステート」は「民族国家」と訳したほうが適切ではないだろうか。「ネーション」(nation)の派生形が「ナショナリズム」(nationalism)である。ナショナリズムもまたイデオロギーである。

日本語版でも、この「ネーション」の取り扱いには苦慮したようで、「国民」とも「民族」ともせず、「ネーション」のまま通すことにしたとしている。本書を読んでいて違和感を感じるかもしれないが、その理由をしっておくべきだろう。

この「ネーション」と「ナショナリズム」についての理論的な考察が「第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等」で詳細に行われている。

「ネーションとナショナリズム」(Nations and Nationalism)というタイトルが代表作の文化人類学者アーネスト・ゲルナー(・・日本語訳のタイトルは『民族とナショナリズム』)や、「ネーション」とは「想像の共同体」(Imagined Community)であると喝破した政治学者のベネディクト・アンダーソンや、日本ではあまり知られていないが重要なリア・グリーンフェルトなどの議論を踏まえたものだ。

「ユダヤ人の起源」を早く知りたいと焦っている人は読まなくても問題はないが、読めば得るものは多いだろう。取り上げられている著者は、いずれもナショナリズムを論じるに当たっての「常識」とされているものである。 


<関連サイト>

・・Arab Jews (Arabic: اليهود العرب al-Yahūd al-ʿArab; Hebrew: יהודים ערבים Yehudim `Aravim) is a term for Jews living in or originating from the Arab world. The term is politically contested, often by Zionists or by Jews with roots in the Arab world who prefer to be identified as Mizrahi Jews. Many left or were expelled from Arab countries in the decades following the founding of Israel in 1948, and took up residence in Israel, Western Europe, the United States and Latin America.

・・Mizrahi Jews (Hebrew: יהודי המִזְרָח), also known as Mizrahim (מִזְרָחִים) or Mizrachi (מִזְרָחִי) and alternatively referred to as Oriental Jews or Edot HaMizrach (עֲדוֹת-הַמִּזְרָח, lit. 'Communities of the East'), are a grouping of Jewish communities comprising those who remained in the Land of Israel and those who existed in diaspora throughout and around the Middle East and North Africa (MENA) from biblical times into the modern era.



・・「私は歴史学者なので知っているが、困ったことに歴史は過去を変えたいという思いを掻き立てる。だが、それはしょせんかなわぬ夢だ。過去は救いようがない。未来に焦点を合わせよう。古傷は癒やし、新たな傷害の原因にさせてはならない」(ユヴァル・ノア・ハラリ)

ヨーロッパのユダヤ人は古代イスラエル人の子孫ではなく、トルコ系ハザール人?「ハザール人」とはいったい何者なのか?(橘玲、ダイヤモンド・オンライン、2023年12月14日)

(2023年11月21日、12月14日 情報追加)


<ブログ内関連記事>



・・未来社会にかんする想像力を鍛えるためにSFを読む必要がある


■ロシア帝国とアシュケナージ系ユダヤ人



・・帝政ロシア時代の末期の革命運動には、サヴィンコフの同志として多数のユダヤ人が男女を問わず積極的に参加していた。


■「ネーション」と「ナショナリズム」

・・ナショナリズムの起源について


・・●戦前・戦中:「神の国」そして「聖戦」、●戦後:(「戦前・戦中」を密教化した)「密教体制」としてとらえる歴史観。とはいえ、対外的な拡張主義を放棄した「戦後」は、「戦前・戦中」と異なるのもまた事実。歴史を連続と捉えるか、断絶と捉えるか議論がわかれるところ



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2017年12月17日日曜日

映画 『否定と肯定』(2016年、英国)を見てきた(2017年12月17日)-「ホロコースト否定論者」とユダヤ人歴史家が法廷対決。歴史は法廷で裁けるか?


昨日(2017年12月17日)のことだが、映画 「否定と肯定」 (2016年、英国)を見てきた。ホロコースト研究の歴史学者と「ホロコースト否定論者」との法廷対決を描いたドラマだ。歴史学徒のはしくれの私としては、見ないわけにはいかないという気にさせられたから見てきた。

米国の大学で教鞭をとるユダヤ系の女性歴史学者デボラ・リプスタット(・・字幕ではリプシュタットとなっているが、アメリカ人なので英語の発音リプスタットが正しい)が、「ホロコースト否定論者」である英国の在野の歴史研究者アーヴィングに名誉毀損で告訴された。アーヴィングは、リプスタットの著書で批判されたことを根に持っていたのだ。


英国人の「歴史捏造者」アーヴィングは、歴史家リプスタットとその著書を出版した出版社ペンギン・ブックスを名誉毀損で訴えるが、原告側に立証責任のない英国での裁判を選択する。英米法としてひとくくりにされがだが、英国と米国では相違点があるのだ。

米国人歴史家は訴訟に対して受けて立つことにする。ダイアナ妃の離婚裁判で勝訴を勝ち取った凄腕の弁護士チームとのタッグを組んで、被告側で「ホロコースト否定論者」の論拠を崩すことを裁判の目的とする。


法廷戦術としては、あえて陪審裁判ではなく判事一人の裁判を選択。きわめて複雑で研究に時間を要する「歴史的事実」がテーマになる以上、陪審制がふさわしくないと判断したためだ。英米法では、法廷弁護士(バリスター)と事務弁護士(ソリシタ-)は分業制である。

しかも、法廷闘争だが、当事者の被告(=リプスタット教授)には一言もしゃべらさない、ホロコーストのサバイバーにも証人として出廷させないという作戦を採用。原告の「歴史捏造者」がつけ込む隙を与えないためだ。はたして、この戦術は吉と出るのか、凶と出るのか?

裁判で負ければ、ホロコーストの存在自体が法廷で否定されかねない。ユダヤ人の歴史そのものが危険にさらされかねない。きわめてリスキーな賭けでもあったのだ。

はたして「歴史」は法廷で裁けるのか? いや、そもそも「歴史」にかんして裁判でシロクロ決着つけるこのの是非は? 

そして、いかなる判決が下されることになるのか?


原題は Denial(否定)。ホロコーストの「否定」。実話にもとづいた法廷ドラマである。原作は、リプスタット教授自身が裁判の経緯を書いた『否定と肯定-ホロコーストの真実をめぐる闘い-』(山本やよい訳、ハーパーBOOKS、2017)である。

リプスタット教授を演じるレイチェル・ヴァイスは英国出身の女優。ユダヤ系ハンガリー人の家系で、両親はナチスの迫害を逃れて英国に亡命したという。その意味では、ユダヤ人としての歴史への向き合い方は、彼女自身のものであるのかもしれない。

重厚な内容の硬派な内容の映画。12月8日の公開だが、なんとTOHOシネマズでの上映期間は2週間だけで21日には上映終了と知って、急遽駆け込みで見ることにしたのは正解だった。

ロードショー上映には間に合わなかったとしても、DVDあるいはネット配信等で視聴すべき映画だ。


PS 好評のためだろうか、TOHOシネマズの上映期間が12月29日まで延長されたようだ。(2017年12月23日 記す)





<関連サイト>

映画 「否定と肯定」 (2016年、)公式サイト

Deborah Lipstadt
https://en.wikipedia.org/wiki/Deborah_Lipstadt


<ブログ内関連記事>

書評 『裁判官と歴史家』(カルロ・ギンズブルク、上村忠男・堤康徳訳、ちくま学芸文庫、2012)-初期近代の「異端審問」の元資料を読み込んできた歴史家よる比較論
・・歴史家と裁判官の類似点と相違点について考えるヒントが得られる

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・ユダヤ人哲学者アーレントは、イスラエルでアイヒマン裁判を傍聴

書評 『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』(シュロモ・ヴェネツィア、鳥取絹子訳、河出書房新社、2008)-体験者のみが語ることのできる第一級の貴重な証言

映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・
・・アウシュヴィッツで犠牲になったには、もっぱらハンガリー系とギリシア系ユダヤ人であった

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・アウシュヴィッツのサバイバーであったイタリア人作家プリーモ・レーヴィは自殺してしまった

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・ユダヤ人とホロコーストがからむ法廷もののハリウッド映画 

(2017年12月21日 情報追加)



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2016年4月29日金曜日

「イフ」を語れる歴史家はホンモノだ!-歴史家・大石慎三郎氏による江戸時代の「改革」ものを読む


「歴史にイフはない」というよく知られたフレーズがある。だが、このフレーズにこだわって禁欲的になりすぎるのは、あまり生産的ではないと思う。

たしかに、時間の流れというものは、未来からやってきた時間が現在を通過したその瞬間に過去になっていくので不可逆であるのだが、「もしかしたらありえたかもしれない可能性」について考えることはきわめて意味のあることではないだろうか。

なぜなら、歴史というものには必然性はないし、あたかもブラウン運動のように、個々の事象が玉突き現象のような形でランダムウォークする複雑な動きの軌跡と捉えるべきだと考えているからだ。それは複雑系でいう「カオス」であり、確率論が支配する世界だといってもいい。

マイブームというわけでもないが、ここのところ江戸時代関連のものばかり読んでいる。そのなかでも、日本経済史の大石慎三郎氏の著作はきわめつけに面白い。

『徳川吉宗と江戸の改革』(大石慎三郎、講談社学術文庫、1995)『田沼意次の時代』(大石慎三郎、岩波現代文庫、2001)『将軍と側用人の政治 新書・江戸時代①』(大石慎三郎、講談社現代新書、1995)と続けて読んでみたが、それぞれ重複しているものも多いとはいえ、ひじょうに新鮮な印象を受けている。

とくに興味深いのは田沼意次(たぬま・おきつぐ 1719~1788)の取り上げ方。賄賂政治家としていまだに糾弾されつづけている田沼意次だが、経済関連の官僚政治家としての構想力の大きさと実行力には目を見張るばかりだ。

田沼意次が実行した政策は、間接税としての流通税の導入、国内通貨統一(・・江戸時代は金銀複本位制だった)、北方開拓とロシア貿易、印旛沼干拓などあるが、スケールの大きさと先見性にはあらためて驚かされる。しかしながら、失脚によって政策の多くが中途で挫折したのはきわめて残念なことだ。通貨統一は明治4年(1872年)の「円」の誕生によってようやく完結、印旛沼干拓工事はなんと「戦後」の昭和21年(1946年)まで再開されなかったのだ。

田沼意次にまつわる悪評は、ほぼすべてが「抵抗勢力」をバックにつけて登場した松平定信によるものだと考えられている。まことにもって「男の嫉妬」は恐ろしい限りだが、田沼意次が失脚することなく政策が完全に実行されていれば、一世紀以上早く「近代化」していた可能性があるという大石氏の見解にはうなづかされるのである。近代化が全面的な西欧化ではなかった可能性もあったかもしれない

「もし田沼意次が失脚していなければ・・・」について考えることはじつに面白い。そのようなことを書いている大石氏のことをさして、「イフを語れる歴史家はホンモノだ」と、わたしがいうのはそういうことだ。

歴史というものが直線的に進むものではなく、行きつ戻りつしながらジグザグに進んでいくものだ。これを十分に理解していれば、今後の日本についても過度の悲観論や楽観論をもつことが無意味なことも理解されることだろう。

わかっているつもりでいながら、じつは多くの人にとってよくわかってないのが江戸時代。もちろん、わたしも例外ではないが、だからこそ江戸時代について知ること、考えることは面白い。




著者プロフィール

大石慎三郎(おおいし・しんざぶろう)
1923年~2004。日本の歴史学者。専門は近世日本史。東京大学文学部国史学科卒業。学習院大学名誉教授。徳川林政史研究所長、愛媛県歴史文化博物館館長を歴任。近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後、享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。著書多数。(wikipediaの記述に加筆)



<ブログ内関連記事>

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)」

If Your Cat Could Talk 「あなたのネコがしゃべれたら・・・

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

書評 『龍馬史』(磯田道史、文春文庫、2013 単行本初版 2010)-この本は文句なしに面白い!

書評 『歴史人口学で見た日本』(速水融、文春新書、2001)-「徹底的に一般庶民の観察に基礎をおいたボトムアップの歴史学」の醍醐味を語る一冊

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方
・・「市場経済」と「資本主義」はイコールではない。封建社会がゆっくりと崩壊して資本主義社会が出現した点において、西欧社会と共通しているのは日本だけである、とブローデルは指摘している。江戸時代は、時代とともに市場経済が社会の隅々にまで浸透し、個人のチカラが増大した時代であった。



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2014年11月30日日曜日

書評『裁判官と歴史家』(カルロ・ギンズブルク、上村忠男・堤康徳訳、ちくま学芸文庫、2012)ー 初期近代の「異端審問」の元資料を読み込んできた歴史家よる比較論



歴史家と裁判官は、資料をもとに事実関係を明らかにする職業であるという点では共通するものがある。
  
裁判官は公平無私との原則があるので、特定の立場から自分たちに有利に事を進める検察官や弁護士とは違う、とはよくいわれることだ。だが、じっさいには裁判官の公平無私という立場はタテマエの場合は少なくない。神ならぬ人間である以上、バイアスがかかるのは当然だし、100%公正な判断など下せるわけがない。

歴史家も公平無私という立場で事実に向かい合い、史実にかんするジャッジを行っているとみなされがちだ。この点において裁判官(=ジャッジ)と同じだと思われている。だが、裁判官と同様、じつはかならずしもそうではないことが多い。生きている時代やその本人の思想傾向によるバイアスが生じるのは当然といえば当然だ。

裁判官と歴史家には共通点もあるが、根本的な違いがある。

事実関係を明らかにして解釈し下し判断を示すことは共通していても、歴史家は判断材料を提供することはできるが、他者の人生を左右する意志決定まで踏み込むことはない。あくまでも間接的な仕方で影響を与えるのみだ。

一方、裁判官が下した結論は判決という形で、被告人という他者の人生に多大なる影響を与える。裁判官と歴史家の違いは、影響力が直接的か間接的かという違いであるが、裁判官の権力の根源は、司法制度という制度の枠組みのなかで担保されている。

そう考えていくと、裁判官は検察官や弁護士とそう大きくかけ離れた存在ではないし、歴史家もまた裁判官と対比されるだけでなく、検察官や弁護士と対比して考えることも不可能ではない。


初期近代の「異端審問」の元史料を読み込んできた歴史家よる比較論

これくらいの対比であれば、なにも 『裁判官と歴史家』(Il giudice e lo storico)なるタイトルの本を読むまでもないだろう。

だが、本書を読む意味があるのは、歴史家の親友が巻き込まれた20世紀後半の裁判事件を徹底的に検証する作業をつうじて、裁判官と歴史家の共通点と相違点を考察している点にある。

しかも、著者のカルロ・ギンズブルクは、ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)という歴史学方法論を開拓し、魅力的な歴史書を発表してきた現代イタリアを代表する歴史家だ。わたしも異端審問記録を徹底的に読み込んだ成果である、『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像-』『ベナンダンティ-16~17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼-』など、初期近代のヨーロッパを生き生きと描いた作品には魅了されてきた。

親友が被告となった裁判記録を解読した感想として、歴史家としての出発時点から読み込んできた17世紀から18世紀という初期近代の異端審問記録との類似性に言及しているのは、その意味では当然といえば当然なのである。

裁判をつうじて歴史が形成される、あるいは歴史が捏造されていくプロセスを、20世紀後半の裁判記録に読み取っているのである。


(イタリア語2006年新版カバー 著者の親友アドリアーノ・ソフリ)


イタリア現代史というコンテクスト

裁判が扱っているイタリア現代史は、ドイツや日本と共通する点が多い。1960年代から1970年代にかけて激しい政治対立がテロリズムにまで発展した、いわゆる急進派の新左翼による極左テロである。

歴史家の親友は新左翼の活動家であったが、その後は足を洗っていた。だが、事件から16年後に突然出現した「告発者」の「自白」によって、警視殺害事件の黒幕とされ、裁判に巻き込まれることになる。

本書執筆のそもそもの動機の第一は、親友の無実を晴らしたいという歴史家の「個人的動機」である。

日本人読者にとっては縁のない話であるし、よほどイタリア好きか、イタリア現代史に深い関心をもっている人でなければ、極左組織「赤い旅団」による1978年のモロ元首相誘拐暗殺事件に代表される極左テロ事件の詳細については、それほどつよい関心はないだろう。わたしも、もちろん同様だ。そもそも、わたしは左翼にも新左翼にもなんの共感も感じない。

イタリアの司法制度や、警察と憲兵(=カラビニエーレ)の違いなど、日本の制度とは大きく異なる点も多いので、ディテールを理解するのはやっかいだ。イタリアの政治は複雑怪奇で・・・ その点は日本でも京都など伝統ある地域と似たようなものだ。

そもそも日本の現実でさえ理解するのがむずかしいのに、ましてやイタリアの状況を正確に理解することなど専門家でもなければ困難であるし、また関心もないだろう。

歴史家の親友が「冤罪」なのかどうかも、わたしには判断しかねるし、それほど関心があるわけではない。



■「歴史学方法論」の考察として読む

歴史家の個人的な動機が個人的なものであったとしても、この動機が本書誕生のキッカケとなっただけでなく、この事件の解読をつうじて著者自身の歴史学方法論にかかわる考察が展開されているので読む価値があるのだ。

その意味では、「2. 裁判官と歴史家」、「6. 歴史的実験としての裁判」、「18. ふたたび裁判官と歴史家について」という3つの章が面白い。わたしが面白いと思った点をいくつか紹介しておこう。

まずは、「2. 裁判官と歴史家」では、古代ギリシアに出現した歴史(=ヒストリア)というジャンルは、「医学」と「法学」(・・とくに法定陳述としての「弁論術」)が交叉する地点で構成されるという指摘が興味深い。歴史の陳述においては、人物を生き生きと表象する能力が求められていたのであり、歴史学と証拠物件を扱う古物研究とは18世紀後半まで、それぞれ相互に独立していたのだという。

「6. 歴史的実験としての裁判」では、資料に語らせるためには、明確な見取り図と作業仮説が必要だという歴史家リュシアン・フェーヴルの文章を引用しながら、司法関係者と同様、歴史家においても「適切な質問を提出して訊問する能力」が必要なことが指摘される。

「18. ふたたび裁判官と歴史家について」においては、そもそも「歴史」と「人物伝」は古代ギリシア以来、異なるジャンルとして発展してきたことを指摘し、世界史と一体化した英雄を扱った「政治史」から、「事件史」を経て、隠蔽されてしまった次元を示唆するために開発された歴史学の技法としての「社会史」に至る推移について語っている。

社会史においては、欠落した事実を推測するためのコンテクストが重要である。アイリーン・パウアーとナタリー・デイヴィスという、世代の異なる英米の女性歴史家の詳細な対比が具体的で興味深い。前者は、英国中世史を題材にした『中世に生きる人々』、後者はフランス近世史を題材にした『帰ってきたマルタン・ゲール-16世紀フランスのにせ亭主騒動』が代表作である。



裁判官が歴史家となることの危険性

歴史家が裁判官になる時代は終わっていると著者はいう。それは倫理的な意味でそうあるべきという主張のようにも聞こえるが、歴史家の役割が変化したことが背景にあるのだろう。つまり歴史家の社会的役割が大幅に減少したということだ。

むしろ、裁判官が歴史家となる危険のほうが大きいかもしれない。裁判の判決をつうじて実質的に歴史が形成されるからだ。あるいは冤罪判決がひっくり返らないまま、歴史が捏造されるといっても差し支えないケースも少なくない。最高裁までいって判決が下されると、もはや司法制度の枠組みのなかでの「歴史書き換え」は困難になる。

17世紀の異端審問と同様、後世の歴史家があらたなコンテクストのもので、史料の「読み換え」をつうじてはじめて可能となることだ。いや、じっさいにはそのような「読み換え」すら起こらないことのほうが圧倒的に多いというべきか。

「歴史家は理解、裁判官は判決」を行うという著者の指摘は、まさにそのとおりだ。現実世界においての歴史家のチカラには限界がある。人々のパーセプションを変えるのは、きわめて困難な課題なのである。

本書が提起しているテーマに「告発者の自白」というものがある。

複数の証言をもとに事実関係を明らかにすることよりも、自白の内容を重視する傾向は、著者が批判している親友の裁判だけでなく、17世紀の異端審問にも見られるものだ。魔女のサバト、空中飛行を見たという告発や証言、魔女とされた人の自白。

自白と証言は似て非なるものだが、日本の裁判制度では、自白が過度に強調されている。いわゆる「被疑者泥を吐かせ」てえられた自白を重視する傾向である。

現代のイタリアにおいても、自白に見られる心理的動機が重視される傾向がなくもないことを著者は指摘しているが、自白と証言の関係については考えなくてはならない問題が多い。

著者は、古代ギリシアにおいて歴史が医学と法学の交叉する点に出現したと指摘しているが、医学と法学のまさに核心にある因果関係の議論には深く突っ込んでいない。

この点をさらに深掘りすると、さらに面白い議論になるのではないかと個人的に考えている。


 
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目 次

新版へのまえがき
序文
 1. 窓から舞い落ちた死体-十六年後の告発
 2. 裁判官と歴史家
 3. 予審判事ロンバルディの報告
 4. 裁判長ミナーレの追及
 5. 殺害指示
 6. 歴史学的実験としての裁判
 7. 謎の十七日間
 8. 憲兵たちの証言
 9. 闇に包まれた夜の面談
 10. ヴィンチェンツィ司祭の証言
 11. いつ始まったのか
 12. 記録からもれた面談
 13. マリーノの動揺
 14. 陰謀はあったのか
 15. 目撃証言
 16. 第三の説明
 17. ミナーレ裁判長と異端審問官
 18. ふたたび裁判官と歴史家について
 19. 結論
後記
新版へのあとがき
年譜
訳者あとがき
ちくま文芸文庫版への訳者あとがき
原注


著者プロフィール

カルロ・ギンズブルグ(Carlo Ginzburug)
1939年生まれ。イタリアの歴史家。ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)の創始者。ボローニャ大学教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授、ピサ高等師範学校教授などを歴任。著書に『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像』『歴史を逆なでに読む『糸と痕跡』など。(出版社サイトより)




<ブログ内関連記事>

左派による世界的な「革命幻想」の時代

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・ドイツ赤軍を描いたドイツ映画

「航空科学博物館」(成田空港)にいってきた(2013年12月)-三里塚という名の土地に刻まれた歴史を知る
・・成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」についても紹介しておいた

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論


イタリア現代史

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・ギンズブルクと同じくイタリア北部トリーノに生まれ育ったユダヤ人であるプリーモ・レーヴィは、ギンズブルクの20歳年長

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・イタリア政治経済の複雑怪奇さが集約的にあらわれているのがバチカン銀行

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集


あたらしい歴史学としての「社会史」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著


証言と自白の違い

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点
・・「証人が、その事態について、感情の上で同意か不同意かを、日本語は見事に表現してしまう。そうしないためには、日本語ならざる日本語、つまり官庁式答弁をするほかはない。他方、現実のその事態がどんなものかについては、ややいい加減で済む。だから、われわれは伝統的に自白を重視する。これは言語の特性だから、しかたがない。日本語は、使用者の心理状態と、ことばとの間の関節が固いのである」  告発者の「自白」と心理的動機の関係について考察するヒントになる


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2013年7月11日木曜日

「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」(若松英輔氏)」を聴いてきた(2013年7月11日)

(書斎における上原専禄 Wikipediaより)


「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」に参加してきた。講演会の概要は以下のとおりである。

演題:「如水会講演会 元一橋大学学長「上原専禄先生の死生観」
講師:若松英輔氏(文芸評論家・シナジー・カンパニー・ジャパン代表)
日時:2013年7月11日(木)13時~14時半
場所:如水会館 3階 「桜の間」

如水会とは一橋大学の同窓会で、日本資本主義の父である渋澤栄一の命名になるもの。この講演会は如水会員むけに如水会が企画したもので、会場は東京神田一ツ橋の如水会館である。

講演会の開催が平日の13時から14時半までという時間帯のためでもあるだろう、参加されていた方の大半はすでに第一線をリタイアされた東京商大およびその後身である一橋大学の卒業生で、しかも上原専禄ゼミナール出身の方が多かったようだ。

この講演会については、阿部謹也ゼミの同期から教えてもらって開催を知った。この時間帯では、比較的時間の自由がきくひとでなければ参加はむずかしいだろう。

『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也)というロングセラーの名著を読んだひとならご存知だろうが、歴史学者の阿部謹也は上原専禄ゼミの出身である。

『自分のなかに歴史をよむ』で紹介されている「それをやらなければ生きてゆけないと思われるようなテーマ」、「わかるとは変わること」などの名言によって、現在でもかろうじて上原専禄という名前が知られているに過ぎないかもしれない。

上原専禄(1899~1975)が一橋大学の学長であったのは、敗戦後の1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)にかけてのことである。当時は、戦時中に改称された東京産業大学であり、学長在籍中の1947年にふたたび東京商科大学に名称が戻り、1949年には一橋大学と名称変更があり現在に至っている。

ご年配の方であれば、上原専禄といえば日教組という連想をおもちかもしれない。戦後日本で「平和運動」の担い手の知識人の一人であったので、どうしてもその印象がつよいのだろう。

だが、配偶者を医療過誤によって亡くされたことがキッカケになって、学長退任後も在籍していた一橋大学を定年前に退官し、いっさいの公職から身を引いて世間から姿を消し、京都に娘さんと隠棲して「共闘」していたことを知る人は少ない。しかも、その死が明らかになったのは死後3年8カ月もたってからのことだった。

愛妻の死が西洋史の研究者として生きてきた歴史家・上原専禄の思想を180度変えたのである。そして、近代が終わったいまの日本で必要なのは、晩年の上原専禄の思想なのである。

ここからが、今回の講演会のテーマ 「上原専禄先生の死生観」ということになる。

講演者の若松英輔氏(1968年生まれ)は文芸評論家で、薬草を扱うシナジー・カンパニー・ジャパンの代表取締役として経営者でもある。このブログでもすでに取り上げた 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)の著者でもある。

若松氏は、上原専禄の晩年の著書である『死者・生者-日蓮認識への発想と視点-』(未来社,1970)を世紀を超えて生き続ける書としたうえで、インタビューをもとにした 「過ぎ行かぬ時間」という文章にこそ、上原専禄のすべてがそこに表現されているという。わたしもまったく同感だ。

講演内容はいずれ活字になるだろう。ここではそのかわりに、すでに活字になっている若松氏が書かれた上原専禄とのかかわりについて文章を引用させていただくことにしたい。


若松英輔さんエッセイ 「魂にふれる 死者がひらく、生者の生き方」

『死者・生者-日蓮認識への発想と視点』(未来社)を初めて手にしたのは、たしか20歳のころだったと思う。場所ははっきり覚えている。当時、早稲田の穴八幡神社で行われていた古書市だった。価格は500円。金額まで覚えているのは買うかどうかを迷ったことも覚えているからである。阿部謹也の本で名前を知っただけで、上原がどんな人物かの知識はまったくなく、この本が私にもたらす出来事など、まったく知る由もなかった。

 この本こそ、近代日本における死者論の古典である。あるとき上原は妻利子(としこ)を病で喪う。このとき彼は、自身が経験したのは愛妻の死ではなく、新生した一個の死者との遭遇だったと書いた。上原は妻の死という個の出来事を徹底して深化させる。上原専禄は現代を代表する西洋史の研究者であり、狭義の意味における「宗教」に依存しない日蓮の衣鉢をつぐ信仰者でもあった。学問と信仰が真実の意味で彼の中で結合したのは、妻の死後である以後、彼の生は、「生ける死者」である妻利子との「共存し共生し共闘する」日々となった。彼はそれまでの学業を根源から問い直し、未開の形而上的世界を開示しようとした。しかし、彼もまた、道なかばにして病に倒れた。その道程は著作集の編纂というかたちをとって、娘上原弘江によって継承される。ここに並んでいるのは、私が手にした初版に丁寧な校訂を加え、新生した『死者・生者』(上原専禄著作集 16巻)である。

 それぞれの書架には「一等地」がある。もっとも強く惹かれる本あるいは、衝撃を受けた本などが自ずとそこに集まってくる。『死者・生者』は、いつもその場所にあった。だが、他の本と違ったのは、通読されないにもかかわらず、いつもその位置を占め続けたことである。ページを開かずとも、すでに「影響」される本がある。何か奇妙に聞こえるかもしれないが、ほかに表現しえない強いつながりを感じさせる書物が確かに存在する。私にとって上原専禄の『死者・生者』はそうした一冊だった。

 何度ページをめくったかわからない。そのたびごとに書物と向き合う準備ができていないことを知らされ、ある抵抗を感じてきた。この本とじっくりと対峙したのは、別離を経験し、私にとっての「死者」を身近に感じるようになってからである。それまで幾度となく、接近を拒みつづけてきた一巻だったが、このときは違った。そこに刻まれた言葉は悲しみとは何であるかを経験しなくてはならかなった私を温かく包んでくれた。死は存在しない。存在するのは死者だけである、そうした素直な告白が、絶望の淵にあった私を救ってくれたのだった。

(出典:【じんぶんや第81講】若松英輔選「魂にふれる 死者がひらく、生者の生き方」
http://www.kinokuniya.co.jp/contents/pc/20120623100032.html )


妻の死が「過ぎ行かぬ時間」として感じられるようになった歴史家に、劇的な認識の転換が訪れたのである。その認識をコトバにして語ったのが「過ぎ行かぬ時間」(1970)というインタビュー記録である。


(筆者蔵の 「過ぎ行かぬ時間」 右は上原専禄の肖像写真)


若松氏もまた妻の死という「個的な経験」によって、おなじく妻の死という「個的な経験」を出発点にした『死者・生者』に再会し、邂逅したのだという。

「個的な経験」がすべての出発点である。これは社会科学としての歴史学もそのひとつであるとされてきた、客観性を重視した科学とは異なるアプローチかもしれない。だが、化学者で哲学者でもあったマイケル・ポラニーも「個人知」(personal knowledge)の重要性について指摘していることは明記しておいたほうがいいかもしれない。

若松氏は現在執筆中という『イエス伝』を引き合いにだされながら、パウロの回心もまた「個的な経験」であったこと、その「個的な経験」を出発点としてキリスト教が無数の人々に受け入れられていった事実に言及する。

そして、上原専禄にとっての日蓮は、パウロにとってのキリストではなかったか、と。

上原専禄という「生者」にとっての亡妻・利子(としこ)という「死者」は、「共存・共生・共闘」の関係であった。「生者」から「死者」へのコミュニケーションとして始まった回向(えこう)は、時を過ぎゆくうちに「死者」から「生者」への回向となる。

呼びかけに対する応答、この関係を「対話」というのであれば、まさに「生者」から「死者」、そして「死者」から「生者」への呼びかけに対する応答が「対話」として成り立つのである。

いま生きている「生者」だけを問題にするのではなく、「死者」もまたともにあるものとして考え、感じ、そしてともに「生きる」こと。

若松氏は、水俣について書かれた石牟礼道子の名著 『苦海浄土』が1969年に出版されたことに講演で注意を促していた。 『苦海浄土』もまた死者たちの声なき声をすくいあげて結晶させた文学作品である。

既存の宗教団体ではすくいとられることのない「死者」たちの声。「死者」たちとのコミュニケーション回路をどう開くか、その問題意識において、石牟礼道子と上原専禄に通じ合うものがあったもではないか。

個的な信念と学問研究上の見解が一致すべきこと。言行一致といっていいかもしれないが、これが日本人にはなかなかできないのは、阿部謹也先生がいうように学問が「世間」のなかで行われているためだろうか。

この講演会では、もっぱら上原専禄晩年の思想について語られたものであり、上原専禄の全体像について語られたわけではない。そのため、一部のみ取り上げたという批判はあるかもしれないが、現在に生きるわれわれにとって大きな意味をもつのは晩年の思想であるという点は若松氏には同感する。

この講演会の内容はいずれ活字化されるだろうが、ここに記したのはあくまでもわたしという個人のフィルターを通した受け取り方であり「個的な経験」にもとづくものだ。誤解や誤読はご容赦いただきたい。



わたしにとって上原専禄はその声も聴いたことのない存在ではあるが・・・

若松英輔氏のひそみにならえば、わたしが 『死者・生者』を初めてにしたのは18歳のときであった。一橋大学図書館の小平分館(当時)二階の開架式スペースであったその本は白い表紙のやや大型の造本であった。

上原専禄の名前は、前期課程で講義をとっていたビザンツ史の渡辺金一教授(1924~2011)の授業で知った。おなじ図書館には上原専禄の処女作である『独逸中世史研究』(1942年)が何冊も入っていた。はじめて西洋史を原資料に基づいて研究した記念碑的著作であるが、戦前の古風な文体で、しかも難解な論文ばかりなのでとっつきにくいものだったことを覚えている。

だから、なぜ西洋中世史の研究者が日蓮なのか? 西洋史と日蓮がなかなか結びつかなかったのが正直なところだ。

そもそも日蓮関連の家に生まれたわけではないわたしにとって、日蓮はひじょうにとっつきにくい存在であったし、正直なところ現在でもそうである。

中学時代に、蒙古襲来を予言した日蓮の『立正安国論』の存在を知り、驚きとともに多大な関心をもったのだがそれ以上は踏み込みたいとは思わないまま現在にいたっている。上原専禄の最晩年のライフワークが日蓮上人を世界史に位置づけるという壮大なテーマ『日蓮とその時代』であったが、その死によって未完成に終わったのは残念なことだ。

もうずいぶん以前、すくなくとも20数年以上前のことだが、あるとき神田神保町の古書店で上原専禄最後の著書である 『クレタの壺-世界史像形成への試読』(創元社、1974)を入手し、「五 本を読む・切手を読む」と題された読書歴をつうじた自伝を読んで、上原専禄における日蓮の意味を知ることができた。上原専禄は10歳の頃から養父のもとで『法華経』を読み込んできた人なのだ。




そしていつどこで入手したのか記憶がないのだが、『人文科学への道 著者に聞くⅡ』(未来社編集部編、未来社、1972)に収録されていた上原専禄のインタビュー記録 「過ぎゆかぬ時間」は、いったい何度くりかえし読んできたことか。

わたしもこの 「過ぎゆかぬ時間」を繰り返し読み込むことが、上原専禄の晩年の思想を読み解くうえでもっとも重要だという若松氏の考えに賛同する。

そんな読書体験をつうじて、わたしにとってもまた上原専禄はその肉声も聴いたことのない「死者」という存在ではあるが、けっして遠い人ではないと思ってきた。

塩野七生の評伝によれば、マキャヴェッリは深夜に書物のなかの古人、すなわち「死者」と語り合うことによって、みずからの内面で「対話」を成立させてきたという。そしてそれがなによりも慰めであり、思索の源泉であったのだと。

マキャヴェッリならずとも、誰もがみずからの内面で「死者」と「対話」を行っているのではないだろうか。

たとえ「死者」であっても、現世では長く会ってないだけであって、生きているか死んでいるかは、あまり関係ないように思える。わたしはいまでも、ときどき寝ているときの夢の中ですでに「死者」となっている親友と対話を交わすことはしばしばある。だが不思議とはまったく思わない。

身近に「死者」をもたない人などいない。そして自分もまたいずれ死ぬ存在である。そしてそう思うことこにこそ、宗教教団とは関係のない、ほんとうの宗教が再生するキッカケがあるではなかろうか。

「3-11」に際してなにも発言することのなかった既成の仏教教団に激しく失望を感じたことは、すでにこのブログでも書いたとおりだ。

だが、同じようなことを感じていた若松氏が「死者」について書き続けていることは、わたしだけでなく日本人にとっての救いではないだろうか。『魂にふれる-大震災と、生きている死者』(トランスビュー、2012)などの若松氏の著作を読んで、わたしはそう思うのである。

『魂にふれる』に収録されている「非愛の扉を開く」で、若松氏は上原専禄について本格的に取り上げているので、ぜひお読みいただきたいと思う。

『上原専禄著作集』は残念ながら未完のまま中断している。若松氏も絶賛している『死者・生者』も現在では入手はきわめて困難だ。「死生観」の観点から若松氏の解説をつけて復刊していただくことを望みたい。

そして、多くの人がその人なりの「読み」を行ってほしいものだと思う。


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Introduction to Hitotsubashi University (YouTube 大学案内 英語)

書評 『魂にふれる-大震災と、生きている死者-』( [著]若松英輔 [評者]横尾忠則(美術家) [掲載]2012年04月29日 ブック・アサヒ・コム 朝日新聞)



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