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2013年12月19日木曜日

書評『新渡戸稲造ものがたり ― 真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)― 人のため世の中のために尽くした生涯



東京・銀座に教文館という本屋がある。一階と二階は一般書籍を扱っているが、三階はキリスト教の専門書店になっている。もともとはそちらが出発点であり業務の中心である。

わたしはたまに教文館の三階にいってみるのだが、あるとき中高一貫のミッションスクールの受験案内特集コーナーがあり、そのなかの恵泉女学園のコーナーかその近くだったと思うが、この『新渡戸稲造ものがたり』が平積みになっていた。

取り上げてパラパラとページをめくってみると、写真がひじょうに多く、内容もしっかり書きこまれているようであった。「ジュニア・ノンフィクション」と銘打ってあるが、大人でも十分読める内容と思われた。

新渡戸稲造の伝記はすでに太田雄三氏の『太平洋の橋としての新渡戸稲造』(みすず書房、1986)をはるか昔、アメリカ留学する前であったからすでに四半世紀以上前に読んだことがあるのだが、あらためて新渡戸稲造の生涯を振り返ってみたいと思い、買って帰ることにした。

一冊の本の出会いというのは、こういう形のときもある。リアル書店にもときには足を運ぶ必要があるというのはこういうことだ。人との出会いもまた。

新渡戸稲造というと『武士道』の一冊だけで語られがちだが、じつはそれだけではない。あまりにも多方面にひろがるマルチな活躍をした人なので、目次を紹介するのがいいだろう。本書の目次がそのまま新渡戸稲造の年譜になっているからだ。

目 次

1. 幼少時代-1862年(誕生))~1870年(8歳)
2. 東京-1871年(9歳)~1876年(14歳)
3. 札幌農学校-1877年(15歳)~1881年(19歳)
4. 東京大学/アメリカ留学-1882年(20歳)~1886年(24歳)
5. ドイツ留学/結婚-1887年(25歳)~1890年(28歳)
6. 札幌農学校教授/遠友夜学校-1891年(29歳)~1897年(35歳)
7. 世界的な名著『武士道』-1898年(36歳)~1900年(38歳)
8. 台湾の砂糖産業と植民地政策-1901年(39歳)~1905年(43歳)
9. 第一高等学校の校長-1906年(44歳)~1913年(51歳)
10. 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長-1914年(52歳)~1918年(56歳)
11. 国際連盟事務次長-1919年(57歳)~1926年(64歳)
12. 平和の使徒として-1929年(65歳)~1933年(71歳)
13. 没後 稲造が遺したもの

まさに絵にかいたような「国際人」である。かつて五千円札に肖像画が採用されたことによって新渡戸稲造が「復活」したのだが、現在は女性を採用ということで樋口一葉になっている。それでも、新渡戸稲造がふたたび知られるキッカケになったことは間違いない。

その証拠に、英文で発表された『武士道』(Bushido)が現在でも世界中で読まれているだけでなく、日本でも誰もが知るタイトルとして新渡戸稲造の名前と結び付いた。これはたいへん喜ばしいことだ。


(裏表紙には『BUSHIDO』(1900年)の初版本)


本書にもくわしく書かれているが、押さえておきたいのは、クエーカー派のキリスト教徒であった新渡戸稲造が、日本の武士道を西洋のキリスト教と倫理という点においては同等であると言明していることである。

専門の植民政策(・・現在は国際経済学)の直弟子であり、しかも内村鑑三の無教会主義の影響を受けたキリスト教徒でもあった矢内原忠雄が訳した訳文が岩波文庫として現在も発行されているが、格調高いものの訳文が古臭いのが残念。とはいえ、カーライルの影響を受けた原文の英語もこれまたやや古風である。

いわゆる「英語名人世代」はその時代のみが生み出した稀有な存在であったわけだが、新渡戸稲造のほかに札幌農学校で同窓であった内村鑑三、そして横浜生まれの岡倉天心は、それぞれ英語の文体がまったく異なるのは面白いので、関心のある人はネットで検索して英文を比較してみるといいだろう。

国際連盟事務次長4人のうち、ただ一人の非欧州人としては抜擢されたのは、英語力や学識だけではなく、きわめて実際的な手腕を前提としたものであったことは特筆してよいのではないだろうか。ちなみに、国際連盟に日本から派遣された人に民俗学者の柳田國男がいるが、かれはもともと農商務省(・・現在の農林水産省+経済産業省)の役人であった。

新渡戸稲造は日本の女子教育に多大な貢献を行った人としても記憶されるべきだろう。自分自身もそのメンバーであったクエーカー(=フレンド派)が日本につくった普連土学園、津田梅子の女子英学塾(・・のちの津田塾大学)、東京女子大学、そして先に名前を出したが弟子の河井道(かわい・みち)が創立した恵泉女学園などなど。いずれもキリスト教精神にもとづき「人格」を重視した教育を根幹に据えたものである。

ことし2013年夏に日本でも公開された映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)の原作は『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎)であるが、日本側の主人公が河井道である。映画のなかではずいぶんデフォルメされてしまっているのが残念であるが・・・。

本書は、「真の国際人」として生きた新渡戸稲造の全体像を知るのために、ひじょうによくまとまった伝記である。「江戸、明治、大正、昭和」をかけぬけた新渡戸稲造は、最後は満洲事変後の日本の立場を国際世論に説明するための遊説中にカナダで斃れたのであった。

それにしてもじつに多岐な分野にわたって、求められるまま人のため社会のため、国のため、そして「太平洋のかけ橋」として尽くした新渡戸稲造の生涯逆境につぐ逆境を乗り越えた人生を圧縮して250ページの本にしているが、いかに手がかかっている作品となっているかは読んでいてよくわかる。

「ジュニア・ノンフィクション」の一冊として出版された本であるが、すでにジュニアではない大人でも十分に読んで得るところの多い伝記である。ぜひ手にとって読んでほしいと思う。


画像をクリック!


目 次

はじめに
1. 幼少時代-1862年(誕生))~1870年(8歳)
2. 東京-1871年(9歳)~1876年(14歳)
3. 札幌農学校-1877年(15歳)~1881年(19歳)
4. 東京大学/アメリカ留学-1882年(20歳)~1886年(24歳)
5. ドイツ留学/結婚-1887年(25歳)~1890年(28歳)
6. 札幌農学校教授/遠友夜学校-1891年(29歳)~1897年(35歳)
7. 世界的な名著『武士道』-1898年(36歳)~1900年(38歳)
8. 台湾の砂糖産業と植民地政策-1901年(39歳)~1905年(43歳)
9. 第一高等学校の校長-1906年(44歳)~1913年(51歳)
10. 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長-1914年(52歳)~1918年(56歳)
11. 国際連盟事務次長-1919年(57歳)~1926年(64歳)
12. 平和の使徒として-1929年(65歳)~1933年(71歳)
13. 没後 稲造が遺したもの
感謝のことば-あとがきにかえて
年表
新渡戸稲造博士の主な著作
新渡戸稲造博士と関わった主な人々
参考資料
写真協力・写真もくじ
記念館紹介

著者プロフィール

柴崎由紀(しばざき・ゆき)
成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科卒業後、アメリカ・コロラド大学ボールダー校でB.A.取得(International Affairs)。スイスの金融機関、国際コミュニケーシヨン会社を経て、現在、銀の鈴社で企画・編集(非常勤)、フリーランスで取材・執筆活動中。「文藝春秋特別版」(平成18年8月臨時増刊号)などに外国人インタビュー記事を寄稿。鎌倉ペンクラブ会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

・・詳細な目次がある 

新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて(著者のブログ)



PS   新渡戸稲造と「修養」

新渡戸稲造も一般人向けに数多く「修養書」を書いている。現代風にいえば「自己啓発書」であるが、『逆境を越えてゆく者へ』(新渡戸稲造、実業之日本社=編集、実業之日本社、2011)もまた、「教養」の根底に「自己修養」があることを気がつかせてくれる良書である。

目 次
第1章  境を越えてゆく者へ(『修養』第十章より)
第2章 人生の危機は順境で起こる(『修養』第十一章より)
第3章 決心を継続していくということ(『修養』第四章より)
第4章 四つの力を貯蓄する(『修養』第八章より)
第5章 臆病を克服する工夫(『自警』第五章より)
第6章 人生の決勝点(『自警』第十一章より)

中村天風もいいが、新渡戸稲造も捨てがたい。むしろより一般向けであるといえるかもしれない。新渡戸稲造の生涯は逆境につぐ逆境、しかしそれを乗り越えた人生だ。



<ブログ内関連記事>

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・「原作は『陛下をお救いなさいまし』(Save the Emperor)。河井道(かわい・みち)という女性は、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒。恵泉女学園を創設した教育家でもある」

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・肥田春充もまた日本型キリスト教の人脈に連なる人

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場に立つが「実学」と「実践」の重要性を説いた講演である

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・新渡戸稲造も一般人向けに数多く「修養書」を書いている。現代風にいえば「自己啓発書」であるが、「教養」の根底に「修養」があることを気がつかせてくれる良書である

書評『民俗学・台湾・国際連盟 ー 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)-「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消

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2010年2月4日木曜日

岡倉天心の世界的影響力 ― 人を動かすコトバのチカラについて

      
    
 岡倉天心について書いておきたいことがある。これほど誤解されている人物もほかにはいないのではないかと思えるからだ。

 岡倉天心(1863-1913)は、本名は岡倉覚三(Okakura Kakuzo、いわゆる明治初期の「英語名人世代」の人である。英語は横浜で直接外国人から学んだが、一方で漢文もよくし、著作はもっぱら英語で行っていた。

 美術行政にかかわる文部省の役人としてキャリアを開始した人だ。美術行政の担い手であり、近代日本で「制度としての美術」を確立したことに大きな功績がある。

 また、「日本画」というコンセプトを創りだしプロデュースした美術批評家でもあり、はじめて「日本美術史」をまとめた歴史家でもある。文部官僚として自分が設立した東京美術学校の校長から追われた後、在野の民間人として「日本美術院」を旗揚げし、横山大観や菱田春草などの日本画家を育成したことで著名である。

 ボストン美術館から招聘されて東洋美術部門の主任として渡米、滞米中の英文著作 The Book of Tea(茶の本)を出版、当時のベストセラーになっている。いや、現在にいたるまでロングセラーである。

また、米国だけでなくインド、とくにベンガルには深く関わったことは、インドの詩聖タゴールとの交友だけでなく、宝石の声なる人プリヤンバダ・デーヴィーとの秘めた恋など、人間臭い側面もしっておくべきだろう。

 「知の人」ではあったが、何よりも「情の人」、であった。


岡倉天心といえば、なんといっても「アジアは一つ」(Asia is One)というコトバが有名だ。このコトバは日本美術史にかんする英文著作『東洋の理想』(The ideal of the East with Special Reference to the Art of Japan, 1903)の冒頭のコトバである。

 私はこの Asia is One というコトバを米国で生活した二年間で、心の底から実感した。一言でいえば、アジア人としての覚醒を経験した、ということになろうか。

 人はよく、日本を離れて米国にいくと、日本が良く見えるという。自分の場合はそうではなく、アジア人としての覚醒であったのは、日本にいたときからもともと日本人としての自覚を強くもった人間だったからだ。大学の卒論で「ユダヤ史」などをやったからだろう。このテーマを扱うと、自分のなかの民族意識について自覚的にならざるをえない。

 幸いなことに私がいった大学院は理工系ということもあって日本人比率が小さく、いたのは韓国人、台湾人、中国人(米国国籍の華人を含む)を中心に香港人、マレーシア(大半が華人)、日系人(ハワイ出身とか日本語がしゃべれないブラジルの人間もいる)、タイ人、フィリピン人といった具合であった。ヒンドゥー教徒のインド人、シーク教徒のインド人、イスラームのパキスタン人も多いが、東南アジア人も含めた東アジア人とはかなり異なる。それでも、やはり彼らは広い意味のアジア人である。

 彼らとの交友をつうじて、アジア人としての自己を発見アジア人としての自覚に目覚めたのは、何よりも留学生を通じて多くのアジア人とつきあったことが大きい。「アジアは一つ」ではない!と得意げに主張する人も少なからずいるが、地球全体のなかでみれば、やはりアジア性というものが存在するといわざるを得ない。多様のなかの統一、それが「アジアは一つ」ということの意味である。



 滞米中、岡倉天心ゆかりのボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston)のミュージアム・ショップで、The Book of Tea を購入した。当時でUS$2.95、Dover Publication から出版されているペーパーバックである。

 研究者によれば、同書は米国人によるネイティブ・チェックもしてもらっているとのことだが、英語を母語としない人が書いたとは思えない、流れるように美しい英語で、同じく「英語名人世代」の内村鑑三のゴツゴツした文体とも、新渡戸稲造の装飾過剰な文体とも、まったく異なるものだ。

 The Book of Tea(1906) は、現在でも英語から世界各国語に翻訳されてロングセラーを続けている。日本人が英語で書いた本ではもっとも売れた本ではないだろうか。

 日本では『茶の本』と題して、日本語訳ばかりが何度も訳者を替え、版を替え出版されているが、原文はあくまでも英語である!ということを強調すべきである。岡倉天心は、世界の読者に向けて、あえて最初から英語で書いたのである。

 
 ところで、先に紹介した『醜い日本の私』(中島義道、新潮文庫、2009)第2章「欲望自然主義」には、「世間」についてこういうことが書かれている。

 むしろ、それは、前後左右から自分を突き刺す他人(世間)の視線を気にかけた欲望の実現であって、それこそこの国では自然な欲望追求の仕方なのだ。
 日本的自我は、はじめからそして。徹底徹尾他人の視線のもとにある。ハイデガーの言葉をもじれば、まさにそれは「世間=内=存在」である。・・(後略)・・ (*引用は、同書P.84 太字は引用者=さとう)

 これだけ見ればなかなか鋭い指摘なのだが、ここで哲学者ハイデガーのコトバを持ち出すのは、あまり意味のないことなのである。なぜかというと、ハイデガーは、日本語に訳された表現では、人間存在のことを「世界内存在」というコトバを使って表現しているが、ハイデガーはこのコトバを岡倉天心の『茶の本』からパクったらしいのだ。

 美学を専攻する哲学者・今道友信は、イスラーム神秘哲学の世界的権威であった井筒俊彦との対談でこういうことを述べている。

井筒 そういえば、ハイデガーと禅なんかを比較する人はずいぶん多いですね。あれどうお考えになりますか。
今道 ハイデガーというのは例のダス・イン・デア・ヴェルト・ザインにしても独創ではありません。1890年代に出た岡倉覚三の英文の『茶の本』の「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのが最初に1908年かに独訳されたときにダス・イン・デア・ヴェルト・ザインと訳されましてね、独訳の『茶の本』はインゼル叢書にあって第一次大戦前後のベストセラーです。彼はそれを伊藤吉之助から貰い、あの語をそのまま取って黙っていたり、リヒャルト・ヴィルヘルムの訳した荘子や老子の書物から取った言葉を黙って知らん顔しているというところがありますしね、だからハイデガーを本当に研究しょうと思ったらハイデガ-のソースを考える必要がある。たしかに後期フッサールがあるでしょう・・・・
井筒 そうですね。
今道 それからもう一つはグノーシス、そしてまた、東洋の言葉ですね、テルミノロギーとしては東洋が多い。だから「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのは荘子の「処世」の訳なんですから、それを「世界内存在」なんてまた変に訳さないで、処世という言葉にもどしてくるぐらいのそれこそ思想史的なフレキシビリティーがないと、読んだってハイデガーはわからないことはたしかだと思いますね。
(出典:『叡知の台座-井筒俊彦対談集-』(岩波書店、1986)所収 Ⅱ 東西の哲学 P.122)


 ハイデガーは、岡倉覚三(天心)の英文著作『茶の本』(The Book of Tea)にある being in the world のドイツ語訳  das 》in-der-Welt-sein《  をそのまま黙って借用し、あたかも自分の独創であるかのように表現していた、ということらしいのだ。

 だから、「世界内存在」などと、もったいぶって訳された日本語表現は、実は「処世」であり、つまるところ「世間」のことにほかならない。

 岡倉天心が、どういう文脈でこのコトバを使っているのか、検証しておこう。

III. Taoism and Zennism 

But the chief contribution of Taoism to Asiatic life has been in the realm of aesthetics. Chinese historians have always spoken of Taoism as the "art of being in the world," for it deals with the present--ourselves.
(出典:The Book of Tea by Kakuzo Okakura)
http://www.sacred-texts.com/bud/tea.htm

 "art of being in the world,"、つまり道教でいう「処世」術のことなんですね。

 岡倉天心の「処世」が、ハイデガーの「世界内存在」に、そして中島義道の「世間=内=存在」にと変化しているわけだが、なんのことはない、「世間」のことをまわりくどくいっているだけなのである。


*****


 さて冒頭で触れた、「アジアは一つ」(Asia is One)に戻ろう。

 このコトバは、第二次世界大戦中、「大東亜共栄圏」の思想的根拠とされたと、いまでも一部の人からやり玉に挙げられているが、第一次大戦前に亡くなっていた岡倉天心の発想ではないし、もちろん岡倉天心の本意がそこにあったわけではない。しかしながら、このコトバが日本内外のアジア主義者たちを鼓舞してきたことまでは否定できない。

 たとえば、武力によるインド独立の道を選んだチャンドラ・ボースもベンガルの人であり、そういったアジア主義者の系譜のなかにあるといっていいだろう。

 先に引いた哲学者・井筒俊彦は、岡倉天心のコトバを引いて、イスラームのことを「騎馬の儒教」*と言っていたという。弟子でイスラーム哲学研究者の五十嵐一が著書のなかでそう書いている。五十嵐氏は、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳し、イランのアヤトッラー・ホメイニ師による「死刑命令」のファトワーに従ったバングラデシュ人に、筑波大学のキャンパスで刺殺されている。

 イラン王立アカデミー教授であった井筒俊彦が、1979年の「イラン革命」勃発後は日本に帰国し、西アジアのイスラームまで含めた、広義の「東洋哲学」を構想して日本語の著作として発表したのは、岡倉天心の「アジアは一つ」という発想が根底にあったと考えるべきであろう。


「騎馬の儒教」という表現は、『東洋の理想』(The Ideals of the East, 1903)に登場する。原文では "Confucianism on horseback" とある。このフレーズを含む一文は、"Islam itself may be described as Confucianism on horseback, sword in hand. となっている。実際に生活全般を律するイスラームの教えは儒教に近いことは『ハディース』の章句を見るとよくわかる。ブログ記事の「害に対して害で応じるな」と、ムハンマドは言った-『40のハディース-アッラーの使徒ムハンマドの言行録』より を参照。(2025年10月12日 記す)

 
*****


 しかしこのコトバ Asia is One は、アジア主義者を鼓舞しただけではない。あるヨーロッパ人の心を大きく動かしたのである。

 そのヨーロパ人とは、リヒャルト・クーデンドーフ=カレルギー伯爵。欧州共同体構想の生みの親である。伯爵の母は、よく知られているように、日本人・青山光子である。いわゆるミツコ(Mitsouko)、のことだ。ゲランの香水の名前として知られている。

 リヒャルトが提唱した「汎ヨーロッパ主義」(Paneuropa)とは、アジアが一つなのに、なぜ欧州が一つになれないことがあろうか、国家どうしが争うのではなく、「欧州は一つ」(Europe is One)になるべきなのだ、という主張である。

 第一次世界大戦後崩壊したハプスブルク帝国、すなわちオーストリア=ハンガリー帝国へのノスタルジーが念頭にあったようだ。また、彼が提唱した友愛精神(Brüderlichkeit)は、まわりまわって現在の日本の首相にも影響を与えている。

 ちなみに、シンガポール攻略作戦の総大将で、休戦交渉においてシンガポール駐在英軍司令官に Surrender ? Yes or No ? と迫ったといわれる山下奉文陸軍大将は、実はドイツ語畑出身で、オーストリア大使館兼ハンガリー公使館附武官としてウィーンに駐在中、晩年のクーデンホーフ=カレルギー光子に会ったらしい。余談ではあるが、ふと思い出したので書いておいた。


 日本人だけでなく、ハイデガーやクーデンホーフ=カレルギー伯爵といった欧州人も動かしてきた思想の源泉が岡倉天心にある。この事実はほとんど知られないままになっているが、コトバ自体のもつ喚起力においてはメガトン級のものがあるといっていいだろう。

 これほどさように、コトバのもつチカラには大きなものがあるのだ。



画像をクリック!


P.S. 茨城県の五浦(いづら)にあった、岡倉天心ゆかりの六角堂が「東北関東大震災」(2011年3月11日)による大津波で跡形もなく流されてしまった、という報道をみた。結局、一度も訪れることもなく・・・残念である。もちろん、大震災と大津波の犠牲者の方々のことを考えれば、文化財の流出など取るに取らぬものであるといっていいのかもしれない。

●参考サイト> 岡倉天心と五浦の地


PS2 映画 『天心』-岡倉天心と六角堂の復興支援の日本映画が作製公開された。

映画 『天心』公式サイト

復興支援映画 「天心」 公式ブログ

(2013年12月19日 記す)


<ブログ内関連記事>

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた
・・当然のことながら岡倉天心とボストンの知的世界との関係についても触れてある。幕末以来、ボストンと岡倉天心の生まれた横浜とは貿易をつうじて密接な関係がある

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・
・・タゴールにもかわいがられたベンガル出身の世界的経済学者アマルティヤ・セン博士

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった
・・イランから「脱出」した前後の哲学者・井筒俊彦について

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-求められるまま、人のために尽くした生涯
・・「英語名人世代」の一人が新渡戸稲造

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・内村鑑三もまた「英語名人世代」の一人

(2013年12月19日 追加)


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