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2010年7月17日土曜日

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (6) 断食三日目は、成田山祇園会の山車と市川海老蔵丈夫妻の結婚奉告参詣





 「成田山祇園会」は、ちょうど断食三日目となった7月9日(金)からが本番であった。
 豪華絢爛な山車(だし)が成田山新勝寺のまわりの参道を練り歩き、全部で10台の山車が大本堂前に終結するのだ。これは壮観である。

 しかもこの日は、市川海老蔵夫妻の結婚奉告参詣の当日でもある。昨日、念入りにリハーサルが行われていたことは、ここに書いたとおりだ。待ちに待っていたこの日がやっとやってきた。

 境内の参籠堂に寝泊まりしていた私は、まさに「現場」にいたわけだから、この件にかんする情報量はかなり多い。事前に「現場」で得た情報も、当日に「現場」で得た情報もある。
 大本堂までは、参籠堂から歩けば2~3分でいける。ただし、急な上り坂の階段を上がらなければならないは、だるくて重いカラダには苦行(?)となっているのだが・・・


断食三日目の午前中にカラダが軽くなってきたことに気がついた

 三日目も、朝5時からのの掃除のお勤めと朝護摩に参加してからいったん参籠堂に戻り、10時前まで2時間ほど寝たら、カラダのだるさがとれてきた。三日目になったら、カラダがずいぶんラクになってきたことに気がついた。
 やはり何事も、「三日・三月・三年」か。すくなくとも「三日坊主」にはなった。というわけだ。

 朝護摩のあと境内を歩いていると絵馬のコーナーがある。なんとはなしに絵馬を見ていると、タイ語で書かれたものが多いことに気がつく。成田にはいったことはないが、在日タイ人のためのタイ仏教の立派な寺院もあると聞いている。たしかに、参拝客でタイ語をしゃべりながら家族連れが少なくないのは確かである。
 大本堂内の撮影ビデオ禁止表示も、英語と中文とタイ語である。タイの仏教寺院とは似ても似つかぬ成田山新勝寺、なぜタイ人に人気なのだろうか。



 三日目すぎたら、もしかしら一週間なんて楽勝かも!、なんて思って見たりもする。

 水さえ飲んでれば満腹状態で腹は減らないし、しかもカラダが軽い。うん、人間は水さえ飲んでいれば、そう簡単には死なないものなのだな、と強く思った。 


断食参籠修行者についての統計データ

 書架にでんと座っていた、箱入りの大型本で気になっていたものを引っ張り出してみた。
 『新修 成田山史』(新勝寺編、大本堂建立記念開帳奉修事務局、1968)という、700ページ以上ある非売品の大著である。
 この本の「第三篇 信仰と霊験」の「第一章 断食参籠」(P.455-476)に、いろいろ興味深いことが書かれているので、すこしだけだが抜粋して紹介しておこう。

 ●男子参籠堂が昭和39年(1964年)に新造されたこと・・ちょうど東京オリンピックの年だ。
 ●昔は、六泊七日が一般的だった。
 ●昭和2年時点では、初日と二日目は飲水はなんと厳禁で、三日目からごく少量の水を飲んでよいということになっていた(!)という。しかも水行(みずぎょう)が一日二回。いまから考えると荒行というか、誤った医学知識に基づいていたというか、とても真似できない。

 昭和20年(1945年)から昭和40年(1965年)までの20年間だけだが、断食参籠修行者数のデータが掲載されている。これをみるとだいたいの傾向がつかめるので、参考のためにこの本から抜き書きしたデータを Excel で整理しておいたので、ここに掲載しておこう(下記の画像をクリックすると拡大します)。 



 1948年(昭和23年)をピークにして減少傾向にあるが、私が滞在していた2010年現在の感覚からいうと、下げ止まりして低位安定状態といったところだろうか。
 断食参籠修行者が、男子参籠者については一週間につき平均2人~3人だとすれば一ヶ月で8人~12人、年間では96~144人、女子のほうがやや多いのかなという印象からみて、年間合計200人台といった感じだろうか。
 データが公表されている1965年まででみると、男子が女子の3倍以上になっているが、最近の写経ブームなどのスピリチュアルのトレンドを引っ張っているのが女性、とくに若い女性であることを考えれば、女子のほうが男子より多いのではないかと推測される。
 まあこれ以上、調査する気はないが、『新修 成田山史』に記載の情報によれば、一番多いのが20歳台で、以後30歳台、40歳台、50歳台と続いている。
 現在は初日から2リットルの水を飲めるので、昔に比べたらだいぶハードルが下がっている。成田山新勝寺で断食参籠修行するブームは静かに拡がりつつあるのかもしれない。


いよいよ市川海老蔵夫妻の結婚奉告参詣

 市川海老蔵夫妻の結婚奉告参詣は12時半からだということがわかった。これは境内にいる者にとってのアドバンテージである。
 ちょっと早めにいって様子をみてくるか、というわけで10時半から散歩にでる。
 三日目でカラダが軽くなってきているので気分は上々(?)である。

 なんせ祇園会だから祭である。露店がなんと参籠堂の真ん前まで張りだしてきている。こんな状況で断食参籠修行するというのもいかがなものかとも思うが、意外なことにいくらいい匂いを嗅いでも空腹感は感じないのが不思議である。
 「心頭滅却すれば火もまた涼し」とうそぶいた快川和尚とは違って、ぜんぜん腹が減らないのだから、やせ我慢しているわけではないのだ。護摩の際の巨大和太鼓の響きはずしんと腹から全身に響くのだが、匂いでは腹には響かない。インパクトの大きさと質的な違いがありすぎるのか。とはいえ匂いの嗅ぎ分けはできる。ウナギを焼く匂いが境内の外から空気にのって流れてくる。

 山門の前の表参道を、いなせな男をのせた山車(だし)が練り歩く。いいねえ、祭は! 
 心もうきうきするのだが、いかんせん境内からは一歩もでることができないのだ。ぐっと我慢の子であった。

 カラダが軽いと、急な石の階段を上がるのも苦ではない。
 大本堂前にいくと、一番のりの山車がやってきた。こんな豪勢な山車が、女子のお稚児さんの提灯行列に扇動されて、次から次へと大本堂前に終結し始める。まさに豪華絢爛、京都の祇園会には勝てないとはいえ、成田山の祇園会もなかなかのものである。



 海老蔵夫妻の結婚奉告参詣は12時半だということは確定しているので、11時半のいまいったん参籠堂に戻って水を飲まなきゃと思ったのだが、すでに警察と民間警備会社によって入場制限と移動制限がはじまって身動き出来なくなってしまった。
 水が飲めないのは困ったことだが、仕方ないのでそのまま大本堂前にとどまる。

 12時半といってたのは、大本堂前ではなく信徒会館の出発時間であった。ああまたさらに時間延長か、少しノドがかわいてきたな。しかし一番いい場所はテレビ関係者に占拠されて、一般客は遠見するしかできない。
 13時、いよいよ海老蔵夫妻が大本堂前に到着だ。赤い大きな唐傘をさして先導者に導かれて、海老蔵夫妻が練り歩いてくる。そのまま大本堂に入る。お不動様に結婚奉告するため護摩に参加するのだ。急いで大本堂に回り込んだら、ものすごい人数、まもなく護摩堂の扉が閉められ、野次馬は完全にシャットアウトされた。



 護摩が終わると海老蔵夫妻がでてきて、巨大絵馬に揮毫し、お祝いの言葉と海老蔵と真央さんの挨拶。海老蔵も少し緊張しているのか、ちょっと初々しい(?)感じもあったが、いい声しているねえ。声につやがあるというか、セクシーな肉声だ。真央ちゃんはいつもどおりのアニメ声。



 参詣が終わると、再び練り歩きで大本堂前から下がって行く。先回りして境内の表参道に面した光輪閣の前で待機していると、予想どおり海老蔵夫妻がやってきた。
 シャッター・チャーンス!おかげで近距離から、いいツーショットが撮れました。近くで見ると真央ちゃんは可愛いねえ、というのが耳に入ってくる皆さんの感想でありました。



 市川團十郎宗家と成田山新勝寺は、屋号が「成田屋」というように切って見切れない密接な関係にある。
 初代が参詣して二代目を授かったこと、とくに七代は断食参籠修行を行ったことは、成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日) (4) 間奏曲-過去の断食参籠修行体験者たち に書いておいたとおり。
 だから、遠くない将来のいつか、市川團十郎を襲名することになるであろう海老蔵が、成田山に参詣にくる意味も大きい。

 成田山でもらった「智光」という、成田山だより雑誌の2010年7月号は、市川海老蔵丈夫妻の結婚奉告特集であるが、それによれば、海老蔵も成田山新勝寺で水行、百八回の礼拝、書道巡拝といった修行もしているし、山伏姿で大峰山入峰(にゅうぶ)修行も体験している。
 成田山新勝寺がもともと修験道と密接な関係にあることの一端がここにでている。



 断食から戻って、ネットでニュース検索したら、この日はなんと2万人(!)の人出があったという。いやいやすさまじいまでの混雑でありました。
 今月7月29日の結婚披露宴も、成田山新勝寺の本尊である不動明王がホテルに勧請(かんじょう)され、「御本尊不動明王出開帳御宝前結婚式」として執り行われるらしい。その際に、この日の映像も使われることだろう。日テレで中継か、特集番組やるのかな?


祭のあと、いやまだまだ祭の最中だ

 三日目は祇園会も本格的に、夜の10時近くまで 参拝客が絶えない。
 賑やかな声、屋台の出店から漂ってくる匂い。




 ただし、出店をみても匂いを嗅いでも、満腹感のみ感じて、空腹感はまったく感じない。単純に食べた気持ちにならないのだ。出店で売っているのが揚げ物とか炒め物が多くて、油ものを胃が受け付けないカラダになっていたのかもしれない。
 口内炎が完治しないまま断食に入ったが、食べないので刺激物が口に入ることがないせいか、とくに気にならない。もっとも栄養とってないから、いっこうに完治しないのであるが。
 
 さらに、書架にあった本を読んで過ごす。カラダが軽くなってだるさが取れたので、小型のソフトカバーの本を手に持って読むのも苦痛でなくなる。  

 『灌頂』(智山伝法選書8、2001)は興味深い。灌頂(かんじょう)とは密教における師匠から弟子への免許皆伝のような儀式のことだが、頭頂に水を灌(そそ)ぐという象徴的な行為をともなう。これはインド密教から日本やチベットに伝わったものだが、一方では東南アジアの王位継承の儀式にも伝わっている。
 後醍醐天皇の意味や、東南アジアのクメールやタイの王権について考えるヒントが得ることができる。

 『真言祖師行状記』(伊原照蓮、成田山選書、1998)で、成田山開山の祖師・寛朝大僧正の話を読む。朝敵となった平将門の乱を鎮定するため、鎮護国家の役割をになった真言僧が不動尊を勧請して調伏に成功、しかし京に戻らずに、成田の地にいついて成田不動尊を建立したのであると。
 
 水がうまい。
 この日は、5,425歩を歩いた。


いままでの人生でもっともうまかった食事の記憶をたどってみる

 消灯してからしばらくは、断食があけたら何を食べるかいろいろ考えていた。
 これも食べたい、あれも食べたいというのではなく、断食後どのように胃を慣らしていくかのシミュレーションである。先にも書いたが、脂っこいものを食べたいという欲望はこの時点では消えていた。

 まずは、翌朝の重湯。これはこの時点では最高の楽しみだ。

 そんなこと考えながら思い出したのが、高野山の宿坊でいただいた精進料理熊野本宮の宿坊でいただいた和食であったのは面白い。

 高野山の精進料理はお坊さんが料理したもので、炊き合わせなどの野菜の煮物、とくに胡麻豆腐などは絶品だ。そのときは般若湯とかいってビールも大瓶1本をつけた。

 また、熊野本宮の宿坊で食べたご飯のうまかったこと。おそらく、いままでの人生の中ではベストテンに入る。なんといっても米粒が一つ一つ立っているような、まさに銀舎利(ぎんしゃり)、これに味噌汁とつけあわせの野菜の煮物にお漬け物、メインは熊野灘でとれたマグロの刺身・・・。
 コメは熊野本宮に奉納される特別な水田でつくられたもの、マグロは熊野灘、野菜もまた・・・、まさに海のものと山のものが出会う、「地産地消」を地でゆく絶品料理であった。いや「身土不二」(しんどふじ)というべきであろう。いまふうにスローフードといってもいいが、ここは古風に「身土不二」といっておきたい。

 断食期間中に思い出した料理が、熊野本宮の宿坊の夕食であった、というのは我ながら面白いと思った。人間はうまいものを食った記憶だけは、脳内に深く刻み込まれて、時折その記憶が再生されるのだろう。
 吉野で食べた吉野葛の葛菓子・・なんだかんだいって、料理は和食、それにデザートは和菓子に限るのだ。

 また梅雨時で雨が降っているので涼しい。
 参籠堂にはエアコンはもちろん、扇風機もないので、梅雨が明けて本格的な夏になったらとても耐えられないのではないだろうか。なんせ団扇(うちわ)しかないのだ。

 敷きっぱなしの万年床、なんだか布団が固くなってきてすでに煎餅(せんべい)布団状態である。寝ると腰が痛い。
 ふだんは固いベッドで寝ているが、畳で寝るのは久々だ。ここに四日以上いるのは考えものだな。空腹は問題ないとしても、背中と腰が痛くなってきた。

 さて、いよいよ明日は掃除のお勤めと朝護摩に参加したあとは、待ちに待った重湯である。
 この重湯を食べるために、二泊三日ではなく三泊四日に変更したのだ。


(7)に続く




<関連サイト>

100 Women 2016: Kokoro - the cancer blog gripping Japan 23 November 2016 (BBC、November 24, 2016)
・・断食参籠中の成田山新勝寺で見かけてから6年たつ。ガンの闘病をブログにつづることを決意し、多くの人に感動を与えている小林麻央氏。BBCが選ぶ「100人の女性2016」に選ばれた。BBCに寄稿した文章の英語版がサイトに掲載されている。

(2016年11月24日 項目新設 )