■断食参籠修行の朝は早い
さて二日目の朝である。
とくに目覚ましも、サイレンがなるわけでなもなく、起床ラッパが吹かれるわけでもなく、起きろ~と布団をはがされるわけでもない。同宿者のおじさんがゴソゴソしていたので目が覚めたら、すでに5時10分前だった。
集合時間はきまっているが、軍隊ではないし、部活の合宿でもない。成田山新勝寺は真言宗(密教)のお寺であり、禅寺みたいな厳しさはない。これは特筆すべき点だろう。
それにしても前日ネコのようにグダグダ、ダラダラ、寝ては起き、また寝ては起きしていながらも、よくまた夜も寝られたものだと思う。1万歩以上も歩いていたから健康な疲れか、それともまだ布団が煎餅状態になっていなかったから眠れたのか。
しかしそうはいっても朝の集合5時まで10分もない、急いで顔を洗って身支度をととのえてから集合場所にいく。といっても、集合場所は男子参籠堂の前である。
早朝5時に集合(・・冬期は5時半)して掃除のお勤めがあるのだが、その際に「水分摂取確認表」を持参して、世話係にチェックしてもらい捺印をしてもらうことになっている。ちゃんと前日に湯飲み茶碗20杯(=2リットル)以上の水を摂取したかどうか厳しくチェックされるのだ。ちなみに世話係はお坊さんではなく、通いで勤務している俗人である。
まあ、私は水を飲むと腹が減らなくなっているので、苦もなく達成していたが。
朝の掃除は10分ほどで終わる。お墓掃除、落ち葉を拾う。掃除が終わったら、朝護摩に参加するようにと世話係から促される。
朝の掃除のお勤めで、女子参籠者が二人いることを知った。同時に断食参籠修行に励んでいたのは、男女会わせて合計4人である。女子参籠者のうちの一人は初参加でいきなり六泊七日の断食だという。恐れ入りました。
もちろん男子参籠堂と女子参籠堂は別の建物で、朝の集合時間以外はまったく何の接点もない。
またこの日の10時、昨日の入堂時にしなかった掃除をするため呼ばれたが、そのとき女性がさらにもう一人参加していたことを知った。
このときの掃除で、隣接の修法道場にある阿字観(=密教瞑想法)の道場をみることができた。今回は、祇園会ということで阿字観の座禅が体験できなかったのは残念だった。祇園会でお坊さんたちがみな忙しくて指導できないらしいのだ。
また男子参籠堂の二階の修法道場にも上がるができた。見事な不動明王が祭られたその部屋は、修験僧が寝泊まりして修行する部屋である。
■「南無大師遍照金剛」-空海は日本が生んだ最大にして最高の「超天才」で「超人」であったのだと、あらためて思った
書架にあった『南無大師遍照金剛』(渡辺照宏、成田山選書、1976)を午後に読了。昨日からの続きである。
「南無大師遍照金剛」とは四国のお遍路さんが唱えるものだが、私はまだお遍路は実行していないものの、高野山は3回行っているし、もちろん京都の東寺にもいっており、空海の存在を知らないわけではない。司馬遼太郎の『空海の風景』(中央公論社)もずいぶん以前に読んでいる。
つい最近もまた、断食参籠修行に入る前に、ひさびさに松岡正剛の『空海の夢』(春秋社)を引っ張り出してきて、酒ではないが、チビチビなめるように読んでいた。
著者は真言宗であるためか、天台宗の伝教大師最澄と比較して、空海をベタ褒めするきらいがなくはないが、弘法大師空海が「日本が生んだ超天才で超人であったこと」は確かであり、この本を読んで、この事実にあらためて感じ入った次第だ。
当時の最高学府に学びながら、学問を捨てて自分探し(?)のためにふたすら自然のなかで修行に励んだ空海。空と海で空海、というのがダイナミックではないか。そしてたしかなものを掴んだ空海は再び学問の道に戻り・・・
高校時代、この著者によるかつてのロングセラー『外国語の学び方』(岩波新書、1962)を愛読してきたので、よけいに親近感をもつということもある。この本には英語だけでなく、第二外国語として独仏に加えてスペイン語、ロシア語にアラビア語、さらにはラテン語・ギリシア語からサンスクリット語入門までついていた。いちばん最後がいかにも仏教学者らしい。
こういう実践的でかつ内容の深くて濃い本はなかなかないので、岩波書店にはぜひ復刊してもらいたいものだ。
成田山新勝寺の境内で、成田山の修験道の家に生まれた多言語をあやつる仏教学者の空海の本を読むというのは、これまた「ご当地読書」の記憶として刻み込まれるだろう。毎朝、護摩に参加し、五感で密教の雰囲気を感じ取っている日々のなかでの読書体験である。本は読む場所を選ぶ、そんな気もしないわけではない。
キーワードは「身・口・意」、この三拍子がすべて実現しているのが密教である、と。禅も念仏もその他もろもろの要素をみなそのなかに含んだ全体的世界。
ちなみに、この本のなかに、戦国時代にカトリックの宣教師がはじめて日本にきたとき、密教の護摩をさして「悪魔のミサ」だ(!)と叫んだという話が書かれていた。
■隣接する修法道場にて写経を初体験
生まれて初めて「写経」を初体験することにした。断食参籠修行者はで無料(フリー)で隣接の修法道場で写経体験できるのだ。この日の朝、女子参籠者の一人が写経をやるといっていたので、私も便乗することにした。13時からである。
「写経」はまったくの初体験だったので、事前に部屋でノートに「般若心経」を全文ボールペンで書き写してみた。般若心経も最初のフレーズと最後のマントラしか覚えていない私は、全部目で追ってみるのも久々だ。漢字で300文字もない般若心経だが、これを筆で書くのかと思うと・・・
やはり私にとっては、文机の前に正座しての写経は、正直いって苦行以外の何者でもなかった。そうじゃなくても、断食で全身にチカラが入らない状態である。境内にある一般向けの写経教室で2,000円払って、イスに座って筆ペンでやればよかったのだったろうか・・・
まったくの初体験、下敷きに書かれた文字を半紙のうえからなぞるだけなのだが、墨汁とはいえ硯と筆を使うのは中学校以来(?)、あちゃあ、もうお恥ずかしいの一言に尽きるヘタクソな写経になってしまい大汗、一緒に写経をやった女性は一字一字丁寧に写経していたようだ。
通常は1時間のところを私は30分くらいで済ませて、そのあと10分くらい何度も般若心経を読み返してから奉納する。筆と硯を洗い、次の写経者のためにセットし直してから早々と退散。トホホな体験であった。
■明日(7月9日)は祇園会、しかも海老蔵夫妻の結婚奉告参詣の日
成田の祇園会(ぎおんえ)。京都の町衆ではない私は、「祇園会」はまだナマを見たことないのが残念だが、全国各地のいわゆる小京都には祇園会がある。しかし果たして成田が小京都なのかどうか。
ここ成田山でも、祇園会は山車(だし)が境内に10台も繰り出す豪勢な祭礼のようだが、山車がでるのは明日からのようだ。本日は、明日の海老蔵夫妻の結婚奉告参詣のリハーサルが入念に行われていた
日テレのTVクルーがやけに多い。ははあ、そういえば結婚前の旧姓・小林麻央アナウンサーは日テレだったか。7月29日の結婚式の取材と会わせて特集番組をつくるのだろう。
となると、明日は境内が大混雑でお守りを買うどころではないだろうと思ったので、普通のお守り(800円)と、不動明王の剣をかたどった魔除けお守り(2,000円)を勝っておいた。
最終日にはさらに追加して「勝守り」(500円)も買った。新「勝」寺の「勝つ」は、朝敵とされた平将門調伏が出発点なのだ。この点、神田明神とは正反対のポジションに立つわけなので、むかし大手町に勤務していたとき、三井物産ビルと長銀(当時)ビルの狭間にひっそりとたたずむ将門首塚にはよくお参りをしていた私にとっては、ちょっと複雑な気持ちなのだが・・・
■祇園会のさなかに断食参籠修行するということ
俗なるもののすぐ隣で断食参籠修行というのも面白い。俗なるものとは、ズバリいって祭にはつきものの露店の存在である。境内のなかに露店が密集して店を出している。
しかし、二日目も空腹は感じない。屋台から漂う匂いにとくに感じない。油っこい匂いはうけつけないカラダになっているようだ。
別に人間ができているというわけではなく、とくに何も感じないのだ。
二日目だが、カラダは空腹感はまったく感じない。
しかし、単調な生活が続くので飽きてくる。テレビなし、ラジオなし、新聞なし、携帯電話なし、パソコンなし・・・のないない尽くし。あるのは時間と本と散歩できる境内だけ。
たまたま成田山のメインイベントである祇園会と重なったから、変化にとんだ経験を現地で迎えることができてよかったが、これがなんでもない時期だったら耐えられるのだろうか・・・。
まあ、これが「情報遮断」生活というものだ。しかし、境内のなかはとくに風光明媚でもなく、リラクゼーションのスペースでもなく、ただ一言、何もないのだ。
ものを考えるには最高(?)の環境かもしれない。なんせメールも読まないから、雑情報に煩わされることがないは有り難い。
水がうまい。
最初は、成田山と銘のはいった白地の湯飲み茶碗で飲む水は、なんだか仏様に供えた水を飲むみたいでなんだか変な感じだったのだが、慣れれば平気になる。
しかし、なんだかさらにチカラがでなくなっている。
初日よりカラダがだるい。カラダが重い。万年床に横になってしまうと、起き上がるのが億劫になる。
本を手にもって読むのが面倒になってくる。大型本を机のうえに見開きでおいて眺めるのが一番ラクだ。
畳の生活からほど遠い私には、参籠堂にいることじたいがすでに非日常である。これは昔の人とは一番ちがう点だろう。
思考能力も低下しているようだ。アタマの栄養となる糖分をとらないからか。
水を飲めば腹が一杯になるが、塩をなめることもできないのはつらい。
本日も午後3時の護摩にでる。境内から外には出れないが、護摩に参加していると、なんだかありがたい気分になってくる。これこそ Buddhist Fasting Session のありがたみだろう。
せっかくなので、護摩木1本500円也にサインペンで「事業繁栄」と記して奉納、護摩で焚いてもらうことにした。筆書きではないのでホッとする。
参籠堂に戻って、『成田山不動霊験記-市川團十郎と名優たち-』(旭寿山、成田山選書、1981)にざっと目をとおす。これもまた「ご当地読書」だな。
『曼荼羅のみかた-パターン認識(岩波グラフィックス)』(石田尚豊、岩波書店、1984)。この本は実に重宝だ。一冊ほしいなと思った。断食参籠修行後、ネット古書店に注文しておいた。
■ふたたび西式(にししき)健康法-「二食主義健康法-朝食無用論-」
書架には、『二食主義健康法-朝食無用論-』(西勝造、西会本部、増補新版 1990 初版 1970)という本もあった。どうやら、過去の参籠修行者が置いていったものらしい。この本は、昭和2年初版の復刻版だ。
この本によれば、断食明けを意味する break-fast はもともと朝食ではなく、昼飯をさしていたらしい。また、イタリアは一日一食だと報告されている。昭和2年当時のイタリアはまだ貧しかったのか、肉や魚もあまり食べられていないと書いてあった。実際の見聞録であるのでウソではないのだろう。
一日三食はきわめて近代の現象だ、人間の身体は一日三食に慣れていないのだと、西勝造はこの本のなかで説得力をもって主張している。そりゃあ考えてみればそうだ。
「朝食は20世紀の神話」なんて表現がされているが、なんだかナチの御用理論家アルフレート・ローゼンベルクの著書のタイトルのようだな、なんて思ってみたりもする。
力士は朝食はなし、昼と夜のみ、と書いてある。
Only dull people are brilliant at breakfast.
A clean fast is better than a dirty breakfast.
英語にはこんな警句もあるんですね。たいへん興味深いのでノートに抜き書きしておきました。はじめて知りました。
断食参籠修行から戻ってきて以来、私は「二食主義健康法」を実践しているが、体調はスコブルよい。朝起きてから昼食まで、胃腸は休ませてあげないといけないのだ。
朝食の席でガンガン会議をやるという米国流のパワー・ブレックファストなど、ナンセンスの極みである。内蔵やられて早死にするのが落ちであろう。
■なんだかんだいいながら二日目も過ぎようとしている
18時にお寺の鐘をつく音が響き渡る。そう、いまは境内にいるのだ。18時以降は参籠堂の外には出られない。
また梅雨時で雨が降っているので涼しい。
参籠堂にはエアコンはもちろん、扇風機もないので、梅雨が明けて本格的な夏になったらとても耐えられないのではないだろうか。なんせ団扇(うちわ)しかないのだ。断食参籠修行者は水行(みずぎょう)も禁止されているし。
ベストシーズンは春か秋なんだろうな。
ああ、水がうまい。なんだか実感こもっているなあ。
同宿者のスシ職人のおじさんが、きょうは五日目でカラダが軽くなったという。あとは七日目までいかに食べたい誘惑と戦うかといっている。
二日目の私は、まだまだカラダが重い。食べたいという欲望はとくに感じない。
鼻の頭から油がでていることに気がついた。カラダが浄化されて、老廃物がカラダから排出されてきたのだろうか? デトックス効果??
ヒゲをそる。昨日の朝そって以来だ。電気カミソリが嫌いな私はいつも安全カミソリでひげを剃るのだが、お湯がない状況ではヒゲをそるのも気楽じゃない。
タオルを水にぬらしてカラダを拭く。参籠堂には、もちろんシャワーなんて洒落たものはない。断食参籠修行では、現在は水行(みずぎょう)が禁止されているので、修行と称して水を浴びることもできないのだ。
中山法華経寺(日蓮宗)の荒行を終えた法師たちが、髪の毛伸ばし放題、満面のひげ面ででてくるイメージが印象として強かったためか、ヒゲは剃ってはいけないのかと思い込んでいたのだが、世話係の人から身だしなみは整えよといわれていたのである。
夜中の遅くまで、祇園会の祭り囃子が聞こえてくる。なんせ参籠堂のすぐ近くまで露店の出店がいるのだ!
22時は消灯の時間だが、カラダがだるいので21時には万年床に横になる。断食参籠修行終了後の食事計画について考えていた。まずお粥それもお湯の多い二分粥から五分粥へ・・・
この日は、境内を5,050歩を歩いた。
(6)に続く。明日はいよいよ海老蔵夫妻の結婚奉告参詣だ。楽しみだなあ、ワクワクしてくるなあ。
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