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2010年10月30日土曜日

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる




 月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版)の「アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革かそれとも日本システムからの退出か 1986-2010」の献本が、「R+ レビュープラス」から届いたので、目をとおしてみた。


このアンソロジーの構成

 ではまず、論文タイトルと筆者、そして論文のサマリーと論文発表時点の筆者略歴をじっくり読んでみよう。「日本的制度」を軸にして、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表された論文、とくに米国人による諸論考を集成したアンソロジーになっている。

 収録された論文は、1986年から2010年までの約25年間をカバーしている。これは元号でいえば、ほぼ「平成」の歴史そのものである。

 「昭和」の後期が、高度成長と盤石な「日本的システム」による「世界の一等国」としての確立の歴史であったとすれば、「平成」の歴史とは、安定していた「日本的制度」に揺らぎが生じ、アイデンティティを巡ってもがき苦しむ年月であるということもできようか。

 とりあえず、ここでは論文タイトルと筆者名を、雑誌掲載順に並べて紹介しておこう。なお、( )内の年月と肩書きは、論文発表時点のものである。


第一章  制度改革、それともシステムから退出するか?

「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)

「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)

「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)


第二章 日本的制度とは何か

「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)

「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)

「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)

「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)


第三章 変化する国内・国際環境に日本は適応できるか

「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)

「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)

「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)

「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)

「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)



タイムラインに沿って、日米関係の枠組みのなかで「日本問題」を考えてみる

 先にも書いたように、このアンソロジーは、「フォーリン・アフェアーズ」編集部によるテーマ別の整理がされている。

 私は、このアンソロジーは、全体が「日本的制度」問題関連の論文集と捉えているので、一つの読み方として、論文発表時点のタイムラインにあわせて読んでみたいと思う。その時々の外部環境を前提に読んだほうが、理解しやすいと思うからだ。

 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」という文脈でみれば、これは端的にいって、日米関係における日本の位置づけをめぐる議論ということになる。

 「平成」の歴史そのものとオーバーラップするこの25年間とは、日米関係における日本と米国の力関係の変化が徐々に変化していった歴史である。この時期は、私見では、3つに分類することができる。

 第1期は、1980年代後半は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に褒め殺されていることにも気がつかずにユーフォリアに浸りきっていた陶酔の時代

 第2期は、日本にとっては、1991年のバブル崩壊後の「失われた20年」。この期間は、米国はクリントン政権のもと、金融と IT を中心としたイノベーションで経済力を回復し、日米逆転状況となる。力関係の逆転状況において、「日本的制度」が徹底的に批判され、米国政府による「日本改造計画」が着々と実行されていった時代。この後、米政権は共和党のブッシュ・ジュニアに移るが、日本の小泉政権との蜜月のもと、前政権の政策はさらに露骨に実行されていった。「日本的制度」の堀り崩しが
 安全保障面では、ソ連崩壊によって冷戦構造が崩壊したあと、米国は次なる仮想敵を求めて模索していた時代である。2001年の「9-11テロ」が発生することによって、イスラーム過激派が仮想敵と決定されるまでは、日本が仮想敵とされていた時代もあったのだ。

 第3期は、2008年の「リーマンショック」に端を発する、米国経済復活を支えていた金融資本主義に大きな欠陥があることが判明して以後と米国経済の弱体化の時代
 しかしこの時期は、日米関係だけをみていれば、米国が日本の失敗を徹底分析する時代であるが、中国の政治経済両面における台頭というファクターが無視できないものとして浮上してくる。この文脈においては、日本も米国も、ともに弱体化しつつあることが、それ以前の時期とは大いに異なる状況だ。
 「日本的制度」をめぐる議論は、日米関係という二者関係のなかだけで論じることはもはや不可能である。日中関係、米中関係、日米関係は、日中米というトライアングルのなかで見ていかなければもはや意味をなさない。
 これ以前の時代がそうでなかったわけではもちろんないが、政治と経済が不可分の実態である以上、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」的な、政治経済という視点でものをみることは、従来にまして重要性を増してくるだろう。

 以上みてきた、3つの時代区分は、私なりに整理するとこんな感じになる。

1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け
2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧
3. 「リーマンショク」後の弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭


 このようにタイムラインで並べ替えてみると、「日本的制度」にかんする議論とは、日本国内からでてきた議論というよりも、「日本異質論」に始まった、日本の外側から指摘が始まった議論であるということがわかる。
 バブル期に自身満々であった日本は、こういった議論にはまったく耳を貸さなかったが、バブル崩壊後、長引くデフレ状況のなか、外部からの批判に対して自己改革できないもどかしさに、鬱積(うっせき)が蓄積していった時期でもある。

 以下、アンソロジーに収録された論文をざっと見ておきたい。米国が日本をどう見ていたのか、どんような圧力をかけようとしていたのか、時系列で振り返ると歴史的経緯がよく把握できる。


1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け

 まず、「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)について。いまから、すでに24年前の論文である。
 この論文によって、「日本異質論者」として登場したのが、オランダ人ジャーナリストのカレル・ファン・ウォルファレンであった。1989年に出版された著書 『The Enigma of Japanese Power 』は私も当時読んだが、「だからどうした、日本は成功しているのだ」という根拠なき自信(?)に充ち満ちていた当時の日本であった。この主著の日本語訳は、現在では『日本 権力構造の謎 上下』(篠原勝訳、ハヤカワ文庫NF、1994)として読むことができる。
 「日本的制度」に切り込む姿勢を見せたこの論文を再録していることは、歴史的記念碑としての意味はあるだろう。ただし、時代背景を正確に再現しながら読むことが必要だろう。


2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧

 このアンソロジー集ではもっともボリュームが大きいのが、1990年の「バブル経済」崩壊後から、2008年までのあいだの20年間弱に発表された 7本の論文である。

 テーマは、世界に恐れられた日本のイメージが消え去り、「成功のワナ」に捉えられた日本が、自らの改革を躊躇していた状況。そしてこれに、いらだちを強め圧力をかけ続けていた米国。
 仮想敵であったソ連が1991年に崩壊したあと、冷戦崩壊後いまだ米国にとっての仮想敵が絞り切れていなかったが、9-11でイスラーム過激派にフォーカスが合わされるまでは、日本が仮想敵として想定されていたことも思い出すべきだろう。

 私は、1990年から1992年にかけて米国の工科大学の大学院に留学していたが、ある教授からの依頼で日本の競争力分析プロジェクトの手伝いをさせられたが、この時代の「日本的制度」改造論は、すでに入念に準備されていたことを理解している。

 「日本叩き」、「スーパー301条」、「日米構造協議」、こういったキーワードがこの時期を象徴的に示している。


 「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)は、いま再びブームになっているドラッカーによるものである。日本熟知する「社会生態学者」による論考は、「日本的制度」の転換期の状況をよく指摘している。

 「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)は、1998年に始まる不良債権問題の決壊前夜の、非金融業の国際的ブランドをもつ製造業動きをマルチナショナル企業化への動きとして肯定的に論じている。

 「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)は、2010年の現在すでに顕在化している問題について、かなり早い時期に指摘を行っている。経済的な基盤の変化が外交安全保障に与える影響について。

 「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)は、1997年のアジア金融危機を予言的に警告していた経済学者による論考。1998年には拓銀(北海道拓殖銀行)と山一証券破綻、この論文がでたあと長銀(日本長期信用銀行)と日債銀(日本債券信用銀行)が破綻したことを思い出すべきだろう。日本国内でも「昭和恐慌」の振り返りがさかんに行われていた。

 「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)は、日本でも話題になった、ジョン・ダワーの『敗戦を抱きしめて』(岩波書店、2001 原著出版は 1999年3月)の書評の形をとった論考。あくまでも占領軍であった米国の立場からみた「日本的制度」論である。

 「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)は、このアンソロジーのなかでは唯一の非米国人による論考。著者はオーストラリア人である。2000年7月当時の首相は、自民党の小渕首相が倒れたあとの不透明な経緯で就任した森首相。この時代背景のもとに読むと、アクチュアルな姿勢が感じ取れる。

 「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)は、経済学者ハーシュマンの有名な「発言か退出か」というフレームワークをもとに議論を展開している。本アンオロジーの表紙にも記されている、Foreign Affairs Essays on Japan: Voice or Exit from the System ? の "voice or exit" である。この論考の呼びかけに応じるかのように実現した、2009年の「政権交代」は、日本国内からでてきた「発言」(voice)であったのだが、この国民の発言(声)に十分に応えることのできない民主党政権は・・・

 「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)は、過去の成功を創り出した「1940年代体制」(・・この表現自体は経済学者・野口悠紀夫のものだろう)という「成功のワナ」に捕らわれたまま身動きのできない日本への、投資銀行のエコノミストとしてアジア各地で過ごしてきた執筆者からみた正確な見取り図はバランスのとれたもので、2010年の現時点から読んでも説得力がある。


3. 弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭

 2008年の「リーマンショック」によって、米国経済自体の脆弱化が明らかになってきており、この前の時代のような、米国による一方的な対日圧力という構図が成立しなくなってきた時期である。

 そして、2009年は周知のとおり、「政権交代」によって民主党が政権を握り、自民党政権が野に下った年である。以後、現在にいたるまで、台頭する中国をめぐって日米関係が漂流していることは、とくに安全保障面において大きな問題を引き起こしている。

 米国に次ぐナンバーツーの一からの転落傾向の始まっていた日本は米国にとってどのように写っているのだろうか。


 「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)の原題は、The Perils of Apology(謝罪の禍い)、Jennifer Lind, Sorry State: Apologies in International Politics, Cornell Univ. Press, 2008(日本語未訳)の抜粋。近隣諸国への「謝罪」外交について、1950年代の西ドイツ(当時)が採用した「アデナウナー・モデル」の有効性と日本への応用を論じている。「謝罪」と「謝罪を否定する(国内の)反動」の中間路線である。政治経済が密接にからみあう現代世界に生きる日本人にとっても、日中関係を考えるうえで、賛否両論が当然あろうが読む価値のある論文といえよう。

 「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)は、米国は日本の「失われた20年」の失敗原因を的確に学んだかにかんする論争である。日本人の目からみれば、米国の経済バブル崩壊はデジャヴュー(既視感)のある現象だが、ともに弱体化の道をすすむ日米両国をめぐる論争といってしまうと言い過ぎだろうか。

 「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)は、近著『ライシャワーの昭和史』(森山尚美訳、講談社、2009)の著者であり、駐日大使時代の特別補佐官として、ライシャワー博士の側近として過ごしてきた日本通である。漂流する「日米安保条約」体制を、日本の立場もよく踏まえたうえでバランスのとれた論述を行っている。このような人を一人でも増やすことが、同盟国である日米双方にとって必要なことをあらてめて感じるのである。


 以上、あえて編集部によるテーマ分類のワクを外して、論文発表のタイムライン順に内容を概観してみた。


アンソロジーを読む意味とは

 そもそも「論文」(essay)とは何のために執筆され、発表されるのか、その意味をこのアンソロジーをよむうえで考えておきたい。

 「論文」とはそもそも、ある特定のテーマに対して論を立て、その論を展開して主張を行い、論文を読んだ者になんらかの形でアクションを起こすべく仕向けるために執筆されるものである。

 したがって、すでに「論文」発表後の結末を知っている現在から、過去に執筆された「論文」を読むとき、なにかしら強い違和感を感じることもあるのは、「フォリン・アフェアーズ・リポート」に登場した諸論文の性格によるものであろう。

 その意味では、アンソロジーとは、投資銀行で使う意味とは異なるが、Tombstone のようなものであるのかもしれない。その心は、その後の展開を知っている立場からみれば、論点をハズしている論文もあるが、発表時点においてはそれなりに意味や影響力をもった論文であるということだ。だから、「記念碑」の意味で Tombstone といってみた。

 基本的に「フォーリン・アフェアーズ」掲載の論文は、米国の利害をなんらかの意味で反映したものだとみてよい。しかし、この米国の見解だけを見ていたのでは公平とはいえまい。

 たとえば、関岡英之という論者がいる。米国による「日本改造計画」に警鐘を鳴らしている論客である。その著書 『拒否できない日本-アメリカの日本改造計画が進んでいる-』(文春新書、2004)『奪われる日本』(講談社現代新書、2006)の二冊をつうじて米国の戦略性について逆照射した論考を発表しているが、こういった本を読んでみることも、インパーシャルな視点を身につけるためにも必要だといえるだろう。

 今回、1986年から2010年までの約25年にわたって「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表されてきた、「日本的制度」をめぐる論文のアンソロジーを通観してみて、「自分史」を振り返る機会ももつことができた。私は1985年に大学を卒業してから約25年間、ビジネスマンとして過ごしてきた人間である。

 そのときどきの批判や悲観論、さまざまな見解が示されているが、日本も米国も25年間のあいだ、国家として続いてきたわけである。外部環境の激変のなか、今後の日本、そして日米関係がどう変化していくのか、今後も思索を行ううえで、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の意義は大きなものがある。


終わりに

 なお最後になるが、「R+ レビュープラス」担当者によれば、「今回は過去にFARをレビューして頂いたことのある方の中から、編集長自らこの方にレビューを書いて頂きたいという方を直接選んで頂きました」ということでの指名である。

 たいへん名誉なことであるので、よろこんでお受けすることにした。

 こういう機会を与えていただいた「R+ レビュープラス」と月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の双方に、この場を借りて感謝の意を表したい。





<参考サイト>

フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010
・・「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の公式サイト


<ブログ内関連記事>

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)・・マンガ家・石ノ森章太郎による『マンガ 日本経済入門』(日本経済新聞社、1986)の英語版 JAPAN Inc.: Introduction to Japanese Economics (Comic Book、1988) を題材に・・・







(2012年7月3日発売の拙著です)











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