■「不動明王の慈悲の怒り」を現したダライ・ラマは、実に新鮮な印象を与える■
先日(2010年6月27日)、はじめてダライ・ラマ法王の来日セミナーに参加してきた。「ダライラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた
人生は一期一会、この機会を逃したらスケジュールがとれない可能性があると思って参加申し込みをしたのだが、やはりなんといってもライブは違うと思ったのであった。
現代に生きるわれわれの悩み、苦しみにダイレクトに向き合い、対機説法を行うダライ・ラマ。現在の日本仏教には欠如したこの姿勢が、全世界でこれだけ多くの人たちの気持ちを引きつけているのだろうと、あらためて納得した次第だ。
セミナー出席の翌日この本を読んでみて、さらにダライ・ラマの気迫に圧倒されることとなった。つねに温顔を絶やさず、ジョークを連発するダライ・ラマとは違うダライ・ラマの姿をそこに見たからだ。
本書は、文化人類学者で、「癒し」ブームをつくった張本人であり、近年は日本仏教を活性化するための実践的活動もしている上田紀行氏が、ダライ・ラマ亡命先の本拠地であるインドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマと直接英語で交わした、三日間にわたる、実に中身の濃い、激しくも熱い内容の対話を日本語化したものである。
日本語で再現された対話は、実に臨場感に充ち満ちたもので、対話のテーマは実に多岐に及んでいる。目次を紹介しておこう。
序章 ダラムサラへの道
第1章 仏教は役にたつのか
幕間-やさしきレフティスト
第2章 慈悲をもって怒れ
幕間-驚きと高揚のなかで
第3章 愛と執着
幕間-好奇心旺盛な観音菩薩
第4章 目覚めよ日本仏教!
対談を終えて
本書のなかでも、私がもっとも強い印象を受けたのは、ダライ・ラマの「不動明王の慈悲の怒り」に触れた第2章である。
「二つの怒り-慈悲をもって怒れ」という小見出しがつけられた箇所で熱く語るダライ・ラマは、まさに不動明王になりかわって、慈悲の心にもとづいた怒りは必要なのだ、社会的な不正を座視していてはいけないのだと、毅然として言い放っている。
もちろん怒る姿だけではない。この対話でもダライ・ラマの爆笑というシーンが何度もでてくる。カラダ全体で喜怒哀楽を表すダライ・ラマに、あらたて感銘する思いを感じた。
対話者で著者の上田紀行氏によれば、ダライ・ラマの側も仏教について中身の濃い対話をする日本人を切望していたという。
体制化し、形骸化した感もなくはない日本仏教、とくに組織上層部にいる僧侶たちには失望することが多いだけでなく、チベット人社会においてすら、近代化の波のなかで、日本が抱えているのと同じ問題に見舞われる可能性があると、ダライ・ラマは憂慮されているのである。
現在は、『ダライ・ラマとの対話』(上田紀行、講談社文庫、2010)とタイトルを改めて、文庫本で入手可能。私は、3年前に買ったまま読んでなかったNHKブッックス版で読んだのだが、元のタイトルのほうが、日本仏教に対して問題意識を覚醒させるうえで適切だと思うのだが、いかがだろうか。
とはいえ、「リーマンショク」後、資本原理主義の問題が顕在化した現在、本書が文庫化されて再び登場した意味は実に大きい。ぜひこの本を読んで、ダライ・ラマの激しくも熱い思いに触れ、より良く生きるための智慧を学びたいものである。
<初出情報>
■bk1書評「不動明王の「慈悲の怒り」を現したダライ・ラマに、実に新鮮な印象を受けた」投稿掲載(2010年8月4日)
■amazon書評「不動明王の「慈悲の怒り」を現したダライ・ラマに、実に新鮮な印象を受けた」投稿掲載(2010年8月4日)
*再録にあたって加筆修正を行った。
著者プロフィール
上田紀行(うえだ・のりゆき)
1958年東京都生まれ。東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。東京工業大学大学院准教授(社会理工学研究科価値システム専攻)。1980年代のスリランカでの「悪魔祓い」のフィールドワークの後、「癒し」の観点をいち早く提示する。2005年には米スタンフォード大学仏教学研究所客員研究員として、「仏教は今日的問いにいかに答え得るか」(全20回)を講義する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<書評への付記>
■「癒し」だけではダメなのだ。「慈悲の怒り」が必要だ!
文化人理学者の上田紀行氏は、「癒し」というコトバを治療用語から、精神面のヒーリングの意味として、一般語にした人である。これはきわめて初期の著作、『覚醒のネットワーク』(かたつむり社、1989)で展開されている。この本は、学問的著作というよりは、自己啓発系的な色彩がなくもない。
ただ本人は、この「癒し」というコトバがあまりにも一人歩きしたことに違和感と責任を強く感じ、以後使用しないようにしているという。
著者がスリランカでフィールドワークした記録、『スリランカの悪魔払い』(講談社文庫、2010 初版単行本 1990)は実に面白い本である。著者にとって、「癒し」という発想を得た源泉がここにある。紹介文をそのま引用しておこう。
スリランカでは、「孤独な人に悪魔は憑く」と言う。そして実際、病の人が出たら、村人総出で「悪魔祓い」の儀式を行い、治してしまう。著者は、そこに「癒し」の原点を見た。「癒されたい」人から、自ら「癒されていく」社会へ。孤独に陥りがちな現代日本人に、社会や人とのつながり、その重要性を問いかける。
スリランカのマジョリティであるシンハラ族は上座仏教を信仰しており、スリランカはいわば仏教国といってよいが、同時にこのような「悪魔祓い」を共存させている。スリランカを知る上でも、この本は必読書である。
だが、「癒し」だけでは、世の中の問題がすべて解決するわけではない。
その意味で、本書は、ダライ・ラマの「慈悲の怒り」に触れており、「癒し」だけでは何も解決しないのだ、ということを強く主張した本になっている。
「慈悲」は英語では compassion というが、このコトバのなかには passion というコトバが含まれている。「慈悲」の根底には「情熱」がなくてはならないのだ。
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チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
(2012年7月3日発売の拙著です)
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