先月10月26日のことだが、「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌-」にいってきた。東京の国立博物館・平成館で、12月4日まで開催されている。
日時: 2011年10月25日~12月4日(途中、前期と後期で作品の入れ替えあり)
場所: 国立博物館・平成館(東京・上野)
主催: 国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援: 文化庁
特別協力: 知恩院、増上寺、西本願寺、東本願寺その他
今回の展覧会に足を運ぶのは、美術ファンというよりも浄土系の在家信者とその周辺の人たちが多いのではないだろうか。
同じく仏教信仰の対象でありながら、美術性の強い密教系の仏像や仏画などが、仏教のワクを超えて一般人の関心を大きく引きつけるのとは事情がやや異なるのではないかと思われる。
ちょっと古いが 2000年度の文部科学省のデータでは、浄土宗と浄土真宗など浄土系各派をあわせると 19,500,000人(≑ 1,950万人)になる。日蓮系の 1,700万人を抜いて、日本では最大の勢力を誇る宗派である。この計算が正しければ、日本人の 6人に1人はなんらかの形で浄土系の信徒ということになる。
もちろん、わたしのように浄土宗の周辺に生まれながらも、とくに活動をしていない者も多数いるだろう。だが、法然や親鸞は、一般でも気にはなるという人も少なくないのではないだろうか。
とくに親鸞にかんしては、知識人や文化人の多くがとりあげてきたし、近年では作家の五木寛之による『他力』などのベストセラーも影響が大きい。
一般的な知名度では、親鸞、法然、一遍の順番ではなかろうか。
■日本仏教史における法然の意味
だが、法然上人(1133~1212年)が専修念仏(せんじゅねんぶつ)を広めることで、日本ではじめて仏教を一般民衆の手に届くものにしたことは、まさに「日本仏教史における革命」としかいいようがない。
浄土真宗の「宗祖」である弟子の親鸞聖人(1173~1262年)もまた、法然が道なき道を切り開いていなければ、けっして念仏の道には進まなかったであろう。
念仏が身分や男性の性別に関係なく平等に受容されるようになったからこそ、これにつよい危機感を感じた日蓮宗の「宗祖」日蓮聖人も、アンチの立場から獅子奮迅の念仏反対運動を行ったことを知らねばならないのである。
そして、法然、親鸞、日蓮という、いわゆる「鎌倉新仏教」の「宗祖」はいずれも、比叡山で学んだ学僧であったということにも注意しておきたい。
その先陣を切って、道なき道を切り開いた法然上人はまさに開拓者。日本仏教史上において、それほど意義ある存在なのだ。
■今年2011年は「法然上人800年大遠忌」であり、「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもある
ことしは「法然上人800年大遠忌」である。1212年に法然上人が入寂(にゅうじゃく)されてから800年。考えてみれば、すいぶん昔の話ではある。
だが、ちょうどその「法然上人800年大遠忌」の年の3月11日、日本と日本人は、大地震と大津波、そして原発事故という未曾有の大災害に見舞われた。その後も台風による大洪水被害など、つぎからつぎへと自然災害に見舞われており、地震活動もまた「活動期」に入ったとさえ言われている状態だ。
「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもあるという認識をわたしはもっている。「法然上人800年大遠忌」が「3-11」と重なったのはたんなる偶然とは片付けにくい。大いなる「警告」であると受け止めるべきであろう。
なんせ、3万人にも近い人たちが、大津波に飲み込まれて亡くなっているのである。この事実を受け止め、深く認識することなしに法然上人を論じるのはナンセンスではないだろうか。
だからこそ、800年という時間を超えて、法然上人が生きた「末法の世」と重ね合わせながら、法然上人の生涯を考える機会にもしたいものだとつよく思うのである。
今回の企画は、「3-11」など予想だにしないころから始まったのだと思うが、まさにドンピシャのタイミングとなったというべきである。
■法然上人80歳!親鸞聖人90歳!-ともに厳しい法難を体験しながら長寿を全うした理由はなんだろう?
今回の展覧会でつよく印象に残ったのは、法然と親鸞は40歳の年齢差のある師弟関係なのだが、それぞれ80歳と90歳という当時としても、もちろん現在であっても長寿を全うしたことだ。これがひじょうにつよく印象に残った。
法然上人は、晩年のなんと 75歳(!)で土佐に流され(・・結局は讃岐になった)、同じ年、親鸞は 35歳で佐渡に流されている。許されて京都に戻ったのは法然上人79歳。長命であっただけでなく、使命感のつよい人は念仏の呼吸法によって、意識も肉体も強靱であったのだろう。
法然上人の生涯は、絵巻物として残されており、今回の展覧会でも閲覧することができる。
■わたしの推奨する見所
まずはなんといっても、国宝の「早来迎」だろう。これは前期(10月25日~11月13日)だけの展示なので、ぜひ見逃さないでほしい。
わたしはこれを勝手に阿弥陀如来の急降下爆撃(笑)といっているのだが、「お迎え」は突然予期せず、しかしながら確実にやってくるので安心せよ!ということをじつにわかりやすく語った絵解きなのだ。
人間にとって、生物である以上、死は絶対に免れ得ないだけでなく、しかもいきなり突然やってくることさえある。まさにカトリック世界でいわれてきた標語メメント・モリ(死を忘れるな)である。
しかし、そうであっても、阿弥陀如来は必ずどんな時でも、どんな人でも分け隔てなく救済してくれるのである。そう考えれば、安心して生きることができるではないか。
安心して死ぬことができるということは、安心して生きることができるということなのだ。そんな教えなのではないかと勝手に解釈しているのだ。
もちろん「早来迎」は、美術品としてもすぐれている。スピード感、躍動感にあふれたダイナミックな構図。この来迎図はまことにもって国宝にふさわしい!
「山越えの阿弥陀如来」。これもまたよい。当麻寺(たいまでら)にあるものと同じ構図。折口信夫が小説『死者の書』を書くキッカケになったのも「山越えの阿弥陀如来」だ。西方浄土は日が沈む方向、日本人の他界観をよく示した図像である。
そして言うまでもなく「国宝・法然上人絵伝」。絵巻物である。ぜひご覧になっていただきたい。
美術品ではないが、阿弥陀如来像のなかにはいっていた「4万6千名の署名」はスゴイ!驚異的である! 必見である。
法然上人没後一年目にあわせて、弟子たちによって追慕の意味で作成された阿弥陀如来像。1974年に滋賀のお寺で発見された際に、仏像の胎内から経文のほかに「4万6千名の署名」が収められていたというのだ。
展覧会では、画像や映像などさまざまな手法を駆使してその全体像をみせてくれるのだが、まさに圧巻。またまた、法然上人の日本仏教史においてもつ意味をあらためて再確認させられるのである。
浄土系には縁のない一般の方々も、ぜひ一度は見に行くことを勧めたい。日本仏教史、日本史の学習のためにも、また「3-11」後の「末法の世」を行く抜く知恵を学び取るためにも。
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善光寺御開帳 2009 体験記
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「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?・・既成教団への失望感を、率直な気持ちとしてつづった
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書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
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・・カトリック中世ではよく知られていた標語「死を忘れるな」にからめて書いた生きる意味について
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