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2011年11月8日火曜日

書評『法然・愚に還る喜び ー 死を超えて生きる』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)ー 現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本


■現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本

 『法然・愚に還る喜び ー 死を超えて生きる』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)は、法然を、現代に生きるわれわれのものにするための試みである。「思想の革命家」であった法然を全角度から捉えた本である。

 「宗祖」として祭り上げられ、教団のなかに閉じ込められてき法然。

 戦後日本において多くの作家や知識人がとりあげてきた親鸞や道元、そして大衆的な日蓮と違って、鎌倉新仏教を代表する人物でありながら、取り上げられることの少ない法然。

 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての「末法の世」に法然が出現しなければ、その後に続いた親鸞も、念仏には真っ向から反対する立場を貫いた日蓮の意味もわからないことに、そろそろ気がつくべきではないだろうか。

 法然を日本仏教史における「思想の革命家」とみなす著者は、異色の経歴の比較宗教学者である。キリスト教に憧れながらも、13歳で禅寺に飛び込んでから20年間どっぷりと禅仏教の修行にあけくれ、寺に見切りをつけて飛び出した後に舞い込んだ奇縁から、ハーバード大学神学院の修士課程でキリスト教神学を専攻することとなり、博士論文のテーマでは英語世界ではあまり論じられてこなかった法然を「選択」したという人だ。

 法然を「選択」した著者はまさに慧眼の持ち主であった。いや著者が法然を「選択」したのではなく、何かに導かれるようにして法然によて著者が「選択」されたというべきであろうか。いまや、町田宗鳳氏によって、法然はその本来の意味をふたたび見いだされつつあるといってよい。

 なによりも著者が、法然を「宗祖」とする浄土宗内部の人ではないということの意味が大きい。何事であれ、あたらしい動きや革新は内部からではなく、つねに周縁や辺境から起こってくるものだが、法然がまさにそうであったのだ。京都ではなく岡山の美作(みまさか)で武士の子として生まれた法然。当時はまた、支配層が貴族から武家へとシフトする時代の一大転換期であった。

 本書には大胆な推論も多く、過激と受け取られかねない内容も多く含んでいるが、徹底的に法然を読み尽くした土台を基礎に、自らの体験もあわせて論じる著者の姿勢に魅力を感じるのは、けっしてわたしだけではないだろう。仏教学のみならず、比較宗教学やユング心理学にかんする深い知見もまた、現代に生きる日本人にとって、法然の意味を感じ取ることを可能にしている。

 本書はもともと2009年に放送された「NHKこころの時代」の放送用テキストとして執筆されたものを土台にしているという。視聴者に向かって語りかける語り口をそのまま活かした、抹香臭さの一切ない、読みやすいが中身のひじょうに濃い一冊である。

 法然をありのままで見つめ、法然の生き様から学び、実践しようという姿勢が一貫している本書を、「3-11」後という「末法の世」に生きる日本人として、ぜひ一読することを薦めたい。

 本書は、日本語を読めるすべての人に開かれた一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本」投稿掲載(2011年11月7日)
■amazon書評「現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本」投稿掲載(2011年11月7日)





目 次

はじめに
 凡例・参考文献
序章 仏教思想の改革家・法然
 「思想の革命家」だった法然
 恐るべきイメージ力
 「否定的記憶」を消すということ
 鎌倉仏教という時代思潮
第一章 怨霊と地獄と末法の時代
 氾濫する死
 都をさまよう怨霊たち
 密教僧の活躍
 脚色されていく死の現実
 希望のもてない末法の世
 跋扈する僧兵たちの横暴
 中世ヨーロッパと酷似する宗教事情
第二章 法然の原風景をたどる
 武家に生まれて
 延暦寺を覆う暗雲
 「山から街へ」がもつ意味
 最良の友との出会い
 「死にいたる病」にかかった人々
第三章 「救い」の発見
 「山の念仏」の実践
 阿弥陀仏との出会い
 さまざまな神秘体験との比較
 「真身の仏」を見るということ
 念仏という意識変容体験
第四章 念仏とは何か
 観相から口称へ
 『一枚起請文』の重み
 声において仏と出会う
 「声の力」を科学する
 西田哲学と念仏
 「救いの大地」としての人間の死
 闇を光に変えてしまった法然
第五章 現実を超える力
 底なき源信の不安
 地獄を見なかった法然
 現実を乗り越える力何が人の心を打つのか
第六章 悪とは何か、善とは何か
 因果応報ということ
 法然に始まる悪人正機説
 人間性の中のアンチコスモス
 近代的自我の目覚め
 逆説的救済論の衝撃
 法然の運命を決めた「選択集」
第七章 専修念仏の衝撃
 ついに始まった信者の暴走
 手に汗握る迫害のドラマ
 建永の法難きたる
 人々を酔わしめた六時礼賛念仏
 なぜ法然は自戒にこだわったのか
 信仰か道徳か
第八章 法然と女性たち
 「解放の神学」としての専修念仏
 本音で語り合う
 遊女との出会い
 尼将軍・北条政子
 式子内親王の面影びと
 言葉の力、信じる力
第九章 法然の革新性と普遍性
 「信・謗ともに常の人に越えたり」
 上皇や殿上人との交わり
 武士と念仏
 配流で深まった専修念仏の奥行き
 法然と親鸞の違い
 両性具有の人
 善人と悪人
終章 死生観としての法然浄土教
 「生かされて、今ここにいいる」
 タダの人の美学
 「痴聖人」となった法然
 制約の中で発見する自由
 法然を超えられるか
 新しい文明のアラダイムを求めて
 日々新たに、絶望から希望へ
おわりに


著者プロフィール

町田宗鳳(まちだ・そうほう)

1950年、京都市生まれ。14歳で出家。20年間、京都・臨済宗大徳寺で修行。34歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学神学部で神学修士号、ペンシルベニア大学東洋学部で博士号取得。1990年からプリンストン大学東洋学部助教授、国立シンガポール大学日本研究学科准教授、東京外国語大学教授を経て、広島大学大学院総合科学研究科教授。環境平和学プロジェクト研究センター所長。オスロ国際平和研究所客員研究員。研究分野は、比較宗教学、比較文明論、生命倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 これぐらい大胆に捉えなければ、法然の意味は現代人にはわからないだろう、という内容と言ってよい。

 浄土真宗の門徒である宗教学者・阿満利麿が先鞭をつけたあたらしい法然像は、禅寺20年の体験をもつ宗教学者・町田宗鳳によって、さらに浄土系の枠組みを超えて日本人全体のものとなったといえるだろう。

 キリスト教の世界も知り、しかも禅仏教の世界にどっぷり浸かっていた人であるので、浄土宗や浄土真宗の護教論からは無縁の立場からの法然論である。

 わたしは一度、少人数の講座で町田宗鳳氏の話を直接聞いたことがある。それ以来、この異色の宗教学者に魅せられてしまった。なにより禅寺で鍛えられた声がすばらしい。本書における「念仏」という「声のもつチカラ」にかんする文章はじつに説得力がある。
 
 その後、著書も何冊も読み、とくに米国での留学経験いついては共感すことも多く、現在ではもっとも注目する宗教学者と捉えている。ハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事 ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992 を参考にされたい。

 なぜ法然は「南無阿弥陀仏」という六字の称名?を発見したのか?著者は、みずからの体験や宗教学者としての知見をフルに活かして解読を試みていいる。念仏のまえに存在した瞑想における観仏、ビジョンとしての、イメージとしての極楽浄土。

 詳しくはぜひ本文を直接お読みいただきたい。あらたな発見になんども出くわし、新鮮なおどろきをなんども味わうことになるだろう。まさに現代人にとっての法然論なのである。



<ブログ内関連記事>

■法然上人と念仏関連

善光寺御開帳 2009 体験記
・・善光寺は宗派には関係ないが、とはいえ天台宗と浄土宗が中心になって管理運営している。極楽浄土を願い庶民信仰のお寺である

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?・・既成教団への失望感を、率直な気持ちとしてつづった

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)
・・編集工学の大家による「編集」を切り口にした斬新な法然論。第三部の特別対談 松岡正剛×町田宗鳳 「3-11と法然」はぜひ読むべき

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・『南無阿弥陀仏』という著書をもち、「妙好人」を讃えていた柳宗悦は、法然や親鸞のそのさきの一遍上人を見つめていた

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992・・町田宗鳳氏が修士号を取得したハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す
・・カトリック中世ではよく知られていた標語「死を忘れるな」にからめて書いた生きる意味について


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2011年11月6日日曜日

「法然と親鸞 ゆかりの名宝 ー 法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた


 先月10月26日のことだが、「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌-」にいってきた。東京の国立博物館・平成館で、12月4日まで開催されている。

日時: 2011年10月25日~12月4日(途中、前期と後期で作品の入れ替えあり)
場所: 国立博物館・平成館(東京・上野)
主催: 国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援: 文化庁
特別協力: 知恩院、増上寺、西本願寺、東本願寺その他




 今回の展覧会に足を運ぶのは、美術ファンというよりも浄土系の在家信者とその周辺の人たちが多いのではないだろうか。

 同じく仏教信仰の対象でありながら、美術性の強い密教系の仏像や仏画などが、仏教のワクを超えて一般人の関心を大きく引きつけるのとは事情がやや異なるのではないかと思われる。

 ちょっと古いが 2000年度の文部科学省のデータでは、浄土宗と浄土真宗など浄土系各派をあわせると 19,500,000人(≑ 1,950万人)になる。日蓮系の 1,700万人を抜いて、日本では最大の勢力を誇る宗派である。この計算が正しければ、日本人の 6人に1人はなんらかの形で浄土系の信徒ということになる。

 もちろん、わたしのように浄土宗の周辺に生まれながらも、とくに活動をしていない者も多数いるだろう。だが、法然や親鸞は、一般でも気にはなるという人も少なくないのではないだろうか。



 とくに親鸞にかんしては、知識人や文化人の多くがとりあげてきたし、近年では作家の五木寛之による『他力』などのベストセラーも影響が大きい。

 一般的な知名度では、親鸞、法然、一遍の順番ではなかろうか。


■日本仏教史における法然の意味

 だが、法然上人(1133~1212年)が専修念仏(せんじゅねんぶつ)を広めることで、日本ではじめて仏教を一般民衆の手に届くものにしたことは、まさに「日本仏教史における革命」としかいいようがない。

 浄土真宗の「宗祖」である弟子の親鸞聖人(1173~1262年)もまた、法然が道なき道を切り開いていなければ、けっして念仏の道には進まなかったであろう。

 念仏が身分や男性の性別に関係なく平等に受容されるようになったからこそ、これにつよい危機感を感じた日蓮宗の「宗祖」日蓮聖人も、アンチの立場から獅子奮迅の念仏反対運動を行ったことを知らねばならないのである。

 そして、法然、親鸞、日蓮という、いわゆる「鎌倉新仏教」の「宗祖」はいずれも、比叡山で学んだ学僧であったということにも注意しておきたい。

 その先陣を切って、道なき道を切り開いた法然上人はまさに開拓者。日本仏教史上において、それほど意義ある存在なのだ。


■今年2011年は「法然上人800年大遠忌」であり、「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもある

 ことしは「法然上人800年大遠忌」である。1212年に法然上人が入寂(にゅうじゃく)されてから800年。考えてみれば、すいぶん昔の話ではある。

 だが、ちょうどその「法然上人800年大遠忌」の年の3月11日、日本と日本人は、大地震と大津波、そして原発事故という未曾有の大災害に見舞われた。その後も台風による大洪水被害など、つぎからつぎへと自然災害に見舞われており、地震活動もまた「活動期」に入ったとさえ言われている状態だ。

 「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもあるという認識をわたしはもっている。「法然上人800年大遠忌」が「3-11」と重なったのはたんなる偶然とは片付けにくい。大いなる「警告」であると受け止めるべきであろう。

 なんせ、3万人にも近い人たちが、大津波に飲み込まれて亡くなっているのである。この事実を受け止め、深く認識することなしに法然上人を論じるのはナンセンスではないだろうか。

 だからこそ、800年という時間を超えて、法然上人が生きた「末法の世」と重ね合わせながら、法然上人の生涯を考える機会にもしたいものだとつよく思うのである。
 
 今回の企画は、「3-11」など予想だにしないころから始まったのだと思うが、まさにドンピシャのタイミングとなったというべきである。



■法然上人80歳!親鸞聖人90歳!-ともに厳しい法難を体験しながら長寿を全うした理由はなんだろう?

 今回の展覧会でつよく印象に残ったのは、法然と親鸞は40歳の年齢差のある師弟関係なのだが、それぞれ80歳と90歳という当時としても、もちろん現在であっても長寿を全うしたことだ。これがひじょうにつよく印象に残った。

 法然上人は、晩年のなんと 75歳(!)で土佐に流され(・・結局は讃岐になった)、同じ年、親鸞は 35歳で佐渡に流されている。許されて京都に戻ったのは法然上人79歳。長命であっただけでなく、使命感のつよい人は念仏の呼吸法によって、意識も肉体も強靱であったのだろう。

 法然上人の生涯は、絵巻物として残されており、今回の展覧会でも閲覧することができる。




■わたしの推奨する見所

 まずはなんといっても、国宝の「早来迎」だろう。これは前期(10月25日~11月13日)だけの展示なので、ぜひ見逃さないでほしい。


 わたしはこれを勝手に阿弥陀如来の急降下爆撃(笑)といっているのだが、「お迎え」は突然予期せず、しかしながら確実にやってくるので安心せよ!ということをじつにわかりやすく語った絵解きなのだ。

 人間にとって、生物である以上、死は絶対に免れ得ないだけでなく、しかもいきなり突然やってくることさえある。まさにカトリック世界でいわれてきた標語メメント・モリ(死を忘れるな)である。

 しかし、そうであっても、阿弥陀如来は必ずどんな時でも、どんな人でも分け隔てなく救済してくれるのである。そう考えれば、安心して生きることができるではないか。

 安心して死ぬことができるということは、安心して生きることができるということなのだ。そんな教えなのではないかと勝手に解釈しているのだ。

 もちろん「早来迎」は、美術品としてもすぐれている。スピード感、躍動感にあふれたダイナミックな構図。この来迎図はまことにもって国宝にふさわしい!

 「山越えの阿弥陀如来」。これもまたよい。当麻寺(たいまでら)にあるものと同じ構図。折口信夫が小説『死者の書』を書くキッカケになったのも「山越えの阿弥陀如来」だ。西方浄土は日が沈む方向、日本人の他界観をよく示した図像である。

 そして言うまでもなく「国宝・法然上人絵伝」。絵巻物である。ぜひご覧になっていただきたい。

 美術品ではないが、阿弥陀如来像のなかにはいっていた「4万6千名の署名」はスゴイ!驚異的である! 必見である。

 法然上人没後一年目にあわせて、弟子たちによって追慕の意味で作成された阿弥陀如来像。1974年に滋賀のお寺で発見された際に、仏像の胎内から経文のほかに「4万6千名の署名」が収められていたというのだ。

 展覧会では、画像や映像などさまざまな手法を駆使してその全体像をみせてくれるのだが、まさに圧巻。またまた、法然上人の日本仏教史においてもつ意味をあらためて再確認させられるのである。


 浄土系には縁のない一般の方々も、ぜひ一度は見に行くことを勧めたい。日本仏教史、日本史の学習のためにも、また「3-11」後の「末法の世」を行く抜く知恵を学び取るためにも。





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・・善光寺は宗派には関係ないが、とはいえ天台宗と浄土宗が中心になって管理運営している。極楽浄土を願い庶民信仰のお寺である

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『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す
・・カトリック中世ではよく知られていた標語「死を忘れるな」にからめて書いた生きる意味について


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