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2011年11月9日水曜日

書評『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(梅原猛 / 町田宗鳳、新潮社、2011)― ビジュアルを楽しみながら知識も得ることのできるすぐれた「法然入門」


 今年2011年は、法然上人八百回忌の年にあたる。その意味では、本書は企画本といってよい。
    
 『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(梅原猛 / 町田宗鳳、新潮社、2011)は、全体的にビジュアルを楽しみながら、知識も得ることのできるすぐれた「法然入門」となっている一冊である。

 本書のタイトルは、『仏教入門 法然の「ゆるし」』とあるが、これは正確には「法然から入る仏教入門」というべきだろう。「仏教」と一口に言っても、原始仏教から密教まであまりにも幅が広すぎるからだ。

 むしろ、今年10月から12月まで国立博物館で開催中の「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 のよきガイドブックとして活用すべき本だろう。

 出品目録を中心とした公式カタログは、国立博物館のミュージアムショップで販売しているが、法然と親鸞の合冊であり、しかもあまりにも大部なので購入はためらうものがある。

 本書はハンディなつくりで、展覧会にも出品されている国宝「法然上人絵伝」をカラー図版で見せてくれるところに最大の特徴がある。絵伝に従いながら法然上人の生涯をたどることができる。これは混雑している会場ではなかなかできにくいことだ。

 そして、「日本最大の思想的革命家は法然である」と喝破した梅原猛の特別寄稿「死の教師、法然」で、法然の借り物でない、自分で考え出した思想の秘密を理解し、同じく「思想の革命家」であることを主張してきた町田宗鳳が、わかりやすいQ&A方式で、法然の思想が現代の日本人にとってもつ意味を解説する。

 法然が生まれた土地である岡山の美作(みまさか)と京都に、法然の足跡をたどる写真紀行も、事前のシミュレーションとして活用できる。

 今年はまた、奇しくも「親鸞聖人七百五十回忌」の年でもある。

 同じく企画本として、梅原猛との浄土真宗僧侶との共著で『仏教入門 親鸞の「迷い」(とんぼの本)』(梅原猛 / 釈徹宗、新潮社、2011)が出版されているので、親鸞への興味が強い人はそちらもあわせて読むとよいだろう。

 「親鸞の思想、それは凄まじいまでの悪の自覚である」と喝破した梅原猛の親鸞論や、梅原猛が校注したた『歎異抄』(講談社文庫、現在は講談社学術文庫)は、わたしもむかし読んだものだ。『歎異抄』は有名な本だから。

 梅原猛は、親鸞だけでなく法然についても、『法然 一五歳の闇』(角川ソフィア文庫)と『法然の哀しみ』(小学館文庫)の二冊を書いている。その事実からわかるよに、じつは親鸞よりも法然のほうにつよい思い入れがあるようだ。

 わたし自身といえば、浄土宗の周辺に生まれたということや、個人的な好みもあって、人間としてはある程度「ええかげん」さを認める寛容な法然のほうにより強く惹かれるものがある。あまりにも「近代的」で「合理的」すぎる親鸞より、法然のほうが思想家としてははるかに過激だったのであるが。

 本書は最初に書いたように「仏教入門」と銘打たれていても、あくまでも「法然をつうじた仏教入門」であり、「ザ・仏教入門」ではない。

 わたしは、法然は日本仏教においては空海と並んで重要な人物であると考えているが、仏教はもっと広いコンテクストで捉えたいのだ。上座仏教からチベット仏教まで、幅広く。


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目 次

法然の言葉(町田宗鳳監修&解説の5選)
1. 法然の生涯-「万民救済」に生きた日本仏教の革命家(林田康順・浄土宗僧侶)
2. 法然の思想-リアリストの革新性とは(町田宗鳳)
3. 死の教師、法然(梅原猛)
4. 法然への旅-美作と京都に上人の足跡を辿る(編集部)
法然への旅 マップ(=二十五霊場と由緒寺院を掲載したマップ)
法然年表
参考文献

<関連サイト>

『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(新潮社ウェブサイト)
・・「編集者のことば」などが読める


<ブログ内関連記事>

■法然上人と念仏関連

善光寺御開帳 2009 体験記
・・善光寺は宗派には関係ないが、とはいえ天台宗と浄土宗が中心になって管理運営している。極楽浄土を願い庶民信仰のお寺である

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?・・既成教団への失望感を、率直な気持ちとしてつづった

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)
・・編集工学の大家による「編集」を切り口にした斬新な法然論。第三部の特別対談 松岡正剛×町田宗鳳 「3-11と法然」はぜひ読むべき

書評 『法然・愚に還る喜び-死を超えて生きる-』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・『南無阿弥陀仏』という著書をもち、「妙好人」を讃えていた柳宗悦は、法然や親鸞のそのさきの一遍上人を見つめていた

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992・・町田宗鳳氏が修士号を取得したハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す
・・カトリック中世ではよく知られていた標語「死を忘れるな」にからめて書いた生きる意味について

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく


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2011年11月8日火曜日

書評『法然・愚に還る喜び ー 死を超えて生きる』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)ー 現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本


■現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本

 『法然・愚に還る喜び ー 死を超えて生きる』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)は、法然を、現代に生きるわれわれのものにするための試みである。「思想の革命家」であった法然を全角度から捉えた本である。

 「宗祖」として祭り上げられ、教団のなかに閉じ込められてき法然。

 戦後日本において多くの作家や知識人がとりあげてきた親鸞や道元、そして大衆的な日蓮と違って、鎌倉新仏教を代表する人物でありながら、取り上げられることの少ない法然。

 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての「末法の世」に法然が出現しなければ、その後に続いた親鸞も、念仏には真っ向から反対する立場を貫いた日蓮の意味もわからないことに、そろそろ気がつくべきではないだろうか。

 法然を日本仏教史における「思想の革命家」とみなす著者は、異色の経歴の比較宗教学者である。キリスト教に憧れながらも、13歳で禅寺に飛び込んでから20年間どっぷりと禅仏教の修行にあけくれ、寺に見切りをつけて飛び出した後に舞い込んだ奇縁から、ハーバード大学神学院の修士課程でキリスト教神学を専攻することとなり、博士論文のテーマでは英語世界ではあまり論じられてこなかった法然を「選択」したという人だ。

 法然を「選択」した著者はまさに慧眼の持ち主であった。いや著者が法然を「選択」したのではなく、何かに導かれるようにして法然によて著者が「選択」されたというべきであろうか。いまや、町田宗鳳氏によって、法然はその本来の意味をふたたび見いだされつつあるといってよい。

 なによりも著者が、法然を「宗祖」とする浄土宗内部の人ではないということの意味が大きい。何事であれ、あたらしい動きや革新は内部からではなく、つねに周縁や辺境から起こってくるものだが、法然がまさにそうであったのだ。京都ではなく岡山の美作(みまさか)で武士の子として生まれた法然。当時はまた、支配層が貴族から武家へとシフトする時代の一大転換期であった。

 本書には大胆な推論も多く、過激と受け取られかねない内容も多く含んでいるが、徹底的に法然を読み尽くした土台を基礎に、自らの体験もあわせて論じる著者の姿勢に魅力を感じるのは、けっしてわたしだけではないだろう。仏教学のみならず、比較宗教学やユング心理学にかんする深い知見もまた、現代に生きる日本人にとって、法然の意味を感じ取ることを可能にしている。

 本書はもともと2009年に放送された「NHKこころの時代」の放送用テキストとして執筆されたものを土台にしているという。視聴者に向かって語りかける語り口をそのまま活かした、抹香臭さの一切ない、読みやすいが中身のひじょうに濃い一冊である。

 法然をありのままで見つめ、法然の生き様から学び、実践しようという姿勢が一貫している本書を、「3-11」後という「末法の世」に生きる日本人として、ぜひ一読することを薦めたい。

 本書は、日本語を読めるすべての人に開かれた一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本」投稿掲載(2011年11月7日)
■amazon書評「現代に生きる日本人が法然の意味を感じ取るための新たな視点を提供してくれる本」投稿掲載(2011年11月7日)





目 次

はじめに
 凡例・参考文献
序章 仏教思想の改革家・法然
 「思想の革命家」だった法然
 恐るべきイメージ力
 「否定的記憶」を消すということ
 鎌倉仏教という時代思潮
第一章 怨霊と地獄と末法の時代
 氾濫する死
 都をさまよう怨霊たち
 密教僧の活躍
 脚色されていく死の現実
 希望のもてない末法の世
 跋扈する僧兵たちの横暴
 中世ヨーロッパと酷似する宗教事情
第二章 法然の原風景をたどる
 武家に生まれて
 延暦寺を覆う暗雲
 「山から街へ」がもつ意味
 最良の友との出会い
 「死にいたる病」にかかった人々
第三章 「救い」の発見
 「山の念仏」の実践
 阿弥陀仏との出会い
 さまざまな神秘体験との比較
 「真身の仏」を見るということ
 念仏という意識変容体験
第四章 念仏とは何か
 観相から口称へ
 『一枚起請文』の重み
 声において仏と出会う
 「声の力」を科学する
 西田哲学と念仏
 「救いの大地」としての人間の死
 闇を光に変えてしまった法然
第五章 現実を超える力
 底なき源信の不安
 地獄を見なかった法然
 現実を乗り越える力何が人の心を打つのか
第六章 悪とは何か、善とは何か
 因果応報ということ
 法然に始まる悪人正機説
 人間性の中のアンチコスモス
 近代的自我の目覚め
 逆説的救済論の衝撃
 法然の運命を決めた「選択集」
第七章 専修念仏の衝撃
 ついに始まった信者の暴走
 手に汗握る迫害のドラマ
 建永の法難きたる
 人々を酔わしめた六時礼賛念仏
 なぜ法然は自戒にこだわったのか
 信仰か道徳か
第八章 法然と女性たち
 「解放の神学」としての専修念仏
 本音で語り合う
 遊女との出会い
 尼将軍・北条政子
 式子内親王の面影びと
 言葉の力、信じる力
第九章 法然の革新性と普遍性
 「信・謗ともに常の人に越えたり」
 上皇や殿上人との交わり
 武士と念仏
 配流で深まった専修念仏の奥行き
 法然と親鸞の違い
 両性具有の人
 善人と悪人
終章 死生観としての法然浄土教
 「生かされて、今ここにいいる」
 タダの人の美学
 「痴聖人」となった法然
 制約の中で発見する自由
 法然を超えられるか
 新しい文明のアラダイムを求めて
 日々新たに、絶望から希望へ
おわりに


著者プロフィール

町田宗鳳(まちだ・そうほう)

1950年、京都市生まれ。14歳で出家。20年間、京都・臨済宗大徳寺で修行。34歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学神学部で神学修士号、ペンシルベニア大学東洋学部で博士号取得。1990年からプリンストン大学東洋学部助教授、国立シンガポール大学日本研究学科准教授、東京外国語大学教授を経て、広島大学大学院総合科学研究科教授。環境平和学プロジェクト研究センター所長。オスロ国際平和研究所客員研究員。研究分野は、比較宗教学、比較文明論、生命倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 これぐらい大胆に捉えなければ、法然の意味は現代人にはわからないだろう、という内容と言ってよい。

 浄土真宗の門徒である宗教学者・阿満利麿が先鞭をつけたあたらしい法然像は、禅寺20年の体験をもつ宗教学者・町田宗鳳によって、さらに浄土系の枠組みを超えて日本人全体のものとなったといえるだろう。

 キリスト教の世界も知り、しかも禅仏教の世界にどっぷり浸かっていた人であるので、浄土宗や浄土真宗の護教論からは無縁の立場からの法然論である。

 わたしは一度、少人数の講座で町田宗鳳氏の話を直接聞いたことがある。それ以来、この異色の宗教学者に魅せられてしまった。なにより禅寺で鍛えられた声がすばらしい。本書における「念仏」という「声のもつチカラ」にかんする文章はじつに説得力がある。
 
 その後、著書も何冊も読み、とくに米国での留学経験いついては共感すことも多く、現在ではもっとも注目する宗教学者と捉えている。ハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事 ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992 を参考にされたい。

 なぜ法然は「南無阿弥陀仏」という六字の称名?を発見したのか?著者は、みずからの体験や宗教学者としての知見をフルに活かして解読を試みていいる。念仏のまえに存在した瞑想における観仏、ビジョンとしての、イメージとしての極楽浄土。

 詳しくはぜひ本文を直接お読みいただきたい。あらたな発見になんども出くわし、新鮮なおどろきをなんども味わうことになるだろう。まさに現代人にとっての法然論なのである。



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「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?・・既成教団への失望感を、率直な気持ちとしてつづった

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)
・・編集工学の大家による「編集」を切り口にした斬新な法然論。第三部の特別対談 松岡正剛×町田宗鳳 「3-11と法然」はぜひ読むべき

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書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992・・町田宗鳳氏が修士号を取得したハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す
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2011年11月7日月曜日

書評『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)― 法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?


■法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?

 法然は、「念仏」と「南無阿弥陀仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかから、いかに抽出し「選択」することになったのか?

 法然の日本仏教史における意味についてすこしでも関心がある人なら、すくなくとも一度は疑問に思ったことがある問いではないだろうか。

 本書『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)は、編集工学の大家が「編集」というキーワードによって、その謎を解き明かす試みに着手したものだ。こういう読み方もあるのか、というおどろきも感じる法然論である。

 法然の「方法論」を解明することによって、法然を理解するための「補助線」が引かれたことになったといっていいだろう。空海や良寛といった日本仏教を代表する人物をとりあげてきた松岡正剛にとっても、法然はあらたな分野の開拓にもなったようだ。

 本書は「編集論」として読むのもよいが、やはり「法然論」として読むべきものである。とはいえ、「編集」という概念によって法然を解説することには、大きな違和感を感じる人も少なくないのではないだろうか?「編集」という知性の営みと、信仰との接点をどこに求めるかが問題になるからだ。

 その意味では、第三部の異色の比較宗教学者・町田宗鳳氏との「特別対談」は必読である。この対談を読んだことで、「3-11」の意味を主体的に受け止めた法然論、仏教論がやっと出てきたのかという安心感をわたしは覚えている。法然を「思想の革命家」とみなす町田宗鳳氏の発言は、「3-11」後を生きる日本人が法然を考えるための道しるべとなるに違いない。

 法然の主著 『選択本願念仏集』 は、じつは法然による口述筆記を弟子たちがまとめた編集物で、自ら書き下ろしたものではない。この重要性が第一部で指摘されているが、本書もまたほぼ全編が「語り」を編集した本であり、「法然の方法論」を実践した内容にもなっているといえようか。第二部の「絵伝と写真が語る法然ドラマ」もまた、国宝絵巻「法然上人行状絵図」を掲載したカラーページをつうじて、法然をぐっと身近なものに引きつけてくれることだろう。

 「3-11」後に生きる日本人にとっての「法然入門」としても本書を推奨したい。



(画像をクリック!)


<初出情報>

■bk1書評「法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?」投稿掲載(2011年11月7日)
■amazon書評「法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?」投稿掲載(2011年11月7日)


目 次

第一部 法然の選択思想をよむ
 忘れられた仏教者
   六字名号の謎
   宗教は「編集」されてきた
   法然に吹く風
 専修念仏への道
   父の遺言
   浄土思想との出会い
   末法を生きる
   法然の読書法
   専修念仏の確信
   山から町へ
   乱想の凡夫として
 法然のパサージュ
   兼実の「仰せ」
   「選択」とは何か
   法然のブラウザー
   リテラシーとオラリティ
 「選択」の波紋
   南都北嶺の逆襲
   浄土でつながる
   多重な相互選択
   親鸞と光也 

第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ(カラーでみる国宝絵巻「法然上人行状絵図」)

第三部 特別対談 松岡正剛×町田宗鳳 「3-11と法然」

  大震災を経て
  辺境から生まれる希望
  仏教の土着化
  日本仏教の系譜
  仏教とイメージ
  法然の引き算
  仏教を再統合する
  「悪人」とは誰か
  仏教における死

あとがき


著者プロフィール

松岡正剛(まつおか・せいごう)

1944年、京都市生まれ。早稲田大学仏文科出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を経て、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。1971年に伝説の雑誌『遊』を創刊。日本文化、経済文化、デザイン、文字文化、生命科学など多方面の研究成果を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し、私塾「連塾」を中心に独自の日本論を展開。一方、2000年にはウェブ上でイシス編集学校と壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」をスタート(本データは『松岡正剛の書棚-松丸本舗の挑戦-』(松岡正剛、平凡社、2010)刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 浄土真宗門徒の宗教学者・阿満利麿、臨済宗の禅僧 20年の体験をもつ宗教学者・町田宗鳳ら、京都生まれの仏教者たちによる、浄土宗の外部からの法然論が面白い。松岡正剛もまた京都生まれである。

 口述筆記による語りを編集したという、法然の主著『選択本願念仏集』。おそらく法然が繰り返し、さまざまな人たちを相手に語ってきたことが、アタマのなかで何度も何度も繰り返し反芻されることによって熟成した思想が文字となったのであろう。法然のパトロンであった前関白・九條兼実の求めによってはじめてまとめられることになったという、他律的な動機もまたよい。

 法然はあえて自ら筆を執ることなく、口述筆記という形を意識的に「選択」していたのではないかという松岡氏の指摘もまた、おそらく正しいのだろう。

 口述筆記による論文執筆といえば、思い浮かぶのは国文学者で民俗学者であった折口信夫である。偶然であろうが、筆名を釋超空としていた折口信夫は、大阪の門徒の家に生まれた人である。中将姫伝説で有名な当麻寺(たいまでら)の「山越えの阿弥陀如来像」に想を得て創作した『死者の書』は、古代日本人の死相観を小説化したものだ。

 これはたんなる連想といえば、連想に過ぎないのであるが、古代からあった日本人の他界観が浄土仏教の西方浄土観と合体したところに「山越えの阿弥陀如来像」があることを考えれば、「法然なかりせば」という気持ちになるのも自然なことではあるまいか。


(山越えの阿弥陀如来像)


<ブログ内関連記事>

■松岡正剛関連

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)


■法然上人と念仏関連

善光寺御開帳 2009 体験記
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書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

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2011年11月6日日曜日

「法然と親鸞 ゆかりの名宝 ー 法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた


 先月10月26日のことだが、「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌-」にいってきた。東京の国立博物館・平成館で、12月4日まで開催されている。

日時: 2011年10月25日~12月4日(途中、前期と後期で作品の入れ替えあり)
場所: 国立博物館・平成館(東京・上野)
主催: 国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援: 文化庁
特別協力: 知恩院、増上寺、西本願寺、東本願寺その他




 今回の展覧会に足を運ぶのは、美術ファンというよりも浄土系の在家信者とその周辺の人たちが多いのではないだろうか。

 同じく仏教信仰の対象でありながら、美術性の強い密教系の仏像や仏画などが、仏教のワクを超えて一般人の関心を大きく引きつけるのとは事情がやや異なるのではないかと思われる。

 ちょっと古いが 2000年度の文部科学省のデータでは、浄土宗と浄土真宗など浄土系各派をあわせると 19,500,000人(≑ 1,950万人)になる。日蓮系の 1,700万人を抜いて、日本では最大の勢力を誇る宗派である。この計算が正しければ、日本人の 6人に1人はなんらかの形で浄土系の信徒ということになる。

 もちろん、わたしのように浄土宗の周辺に生まれながらも、とくに活動をしていない者も多数いるだろう。だが、法然や親鸞は、一般でも気にはなるという人も少なくないのではないだろうか。



 とくに親鸞にかんしては、知識人や文化人の多くがとりあげてきたし、近年では作家の五木寛之による『他力』などのベストセラーも影響が大きい。

 一般的な知名度では、親鸞、法然、一遍の順番ではなかろうか。


■日本仏教史における法然の意味

 だが、法然上人(1133~1212年)が専修念仏(せんじゅねんぶつ)を広めることで、日本ではじめて仏教を一般民衆の手に届くものにしたことは、まさに「日本仏教史における革命」としかいいようがない。

 浄土真宗の「宗祖」である弟子の親鸞聖人(1173~1262年)もまた、法然が道なき道を切り開いていなければ、けっして念仏の道には進まなかったであろう。

 念仏が身分や男性の性別に関係なく平等に受容されるようになったからこそ、これにつよい危機感を感じた日蓮宗の「宗祖」日蓮聖人も、アンチの立場から獅子奮迅の念仏反対運動を行ったことを知らねばならないのである。

 そして、法然、親鸞、日蓮という、いわゆる「鎌倉新仏教」の「宗祖」はいずれも、比叡山で学んだ学僧であったということにも注意しておきたい。

 その先陣を切って、道なき道を切り開いた法然上人はまさに開拓者。日本仏教史上において、それほど意義ある存在なのだ。


■今年2011年は「法然上人800年大遠忌」であり、「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもある

 ことしは「法然上人800年大遠忌」である。1212年に法然上人が入寂(にゅうじゃく)されてから800年。考えてみれば、すいぶん昔の話ではある。

 だが、ちょうどその「法然上人800年大遠忌」の年の3月11日、日本と日本人は、大地震と大津波、そして原発事故という未曾有の大災害に見舞われた。その後も台風による大洪水被害など、つぎからつぎへと自然災害に見舞われており、地震活動もまた「活動期」に入ったとさえ言われている状態だ。

 「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもあるという認識をわたしはもっている。「法然上人800年大遠忌」が「3-11」と重なったのはたんなる偶然とは片付けにくい。大いなる「警告」であると受け止めるべきであろう。

 なんせ、3万人にも近い人たちが、大津波に飲み込まれて亡くなっているのである。この事実を受け止め、深く認識することなしに法然上人を論じるのはナンセンスではないだろうか。

 だからこそ、800年という時間を超えて、法然上人が生きた「末法の世」と重ね合わせながら、法然上人の生涯を考える機会にもしたいものだとつよく思うのである。
 
 今回の企画は、「3-11」など予想だにしないころから始まったのだと思うが、まさにドンピシャのタイミングとなったというべきである。



■法然上人80歳!親鸞聖人90歳!-ともに厳しい法難を体験しながら長寿を全うした理由はなんだろう?

 今回の展覧会でつよく印象に残ったのは、法然と親鸞は40歳の年齢差のある師弟関係なのだが、それぞれ80歳と90歳という当時としても、もちろん現在であっても長寿を全うしたことだ。これがひじょうにつよく印象に残った。

 法然上人は、晩年のなんと 75歳(!)で土佐に流され(・・結局は讃岐になった)、同じ年、親鸞は 35歳で佐渡に流されている。許されて京都に戻ったのは法然上人79歳。長命であっただけでなく、使命感のつよい人は念仏の呼吸法によって、意識も肉体も強靱であったのだろう。

 法然上人の生涯は、絵巻物として残されており、今回の展覧会でも閲覧することができる。




■わたしの推奨する見所

 まずはなんといっても、国宝の「早来迎」だろう。これは前期(10月25日~11月13日)だけの展示なので、ぜひ見逃さないでほしい。


 わたしはこれを勝手に阿弥陀如来の急降下爆撃(笑)といっているのだが、「お迎え」は突然予期せず、しかしながら確実にやってくるので安心せよ!ということをじつにわかりやすく語った絵解きなのだ。

 人間にとって、生物である以上、死は絶対に免れ得ないだけでなく、しかもいきなり突然やってくることさえある。まさにカトリック世界でいわれてきた標語メメント・モリ(死を忘れるな)である。

 しかし、そうであっても、阿弥陀如来は必ずどんな時でも、どんな人でも分け隔てなく救済してくれるのである。そう考えれば、安心して生きることができるではないか。

 安心して死ぬことができるということは、安心して生きることができるということなのだ。そんな教えなのではないかと勝手に解釈しているのだ。

 もちろん「早来迎」は、美術品としてもすぐれている。スピード感、躍動感にあふれたダイナミックな構図。この来迎図はまことにもって国宝にふさわしい!

 「山越えの阿弥陀如来」。これもまたよい。当麻寺(たいまでら)にあるものと同じ構図。折口信夫が小説『死者の書』を書くキッカケになったのも「山越えの阿弥陀如来」だ。西方浄土は日が沈む方向、日本人の他界観をよく示した図像である。

 そして言うまでもなく「国宝・法然上人絵伝」。絵巻物である。ぜひご覧になっていただきたい。

 美術品ではないが、阿弥陀如来像のなかにはいっていた「4万6千名の署名」はスゴイ!驚異的である! 必見である。

 法然上人没後一年目にあわせて、弟子たちによって追慕の意味で作成された阿弥陀如来像。1974年に滋賀のお寺で発見された際に、仏像の胎内から経文のほかに「4万6千名の署名」が収められていたというのだ。

 展覧会では、画像や映像などさまざまな手法を駆使してその全体像をみせてくれるのだが、まさに圧巻。またまた、法然上人の日本仏教史においてもつ意味をあらためて再確認させられるのである。


 浄土系には縁のない一般の方々も、ぜひ一度は見に行くことを勧めたい。日本仏教史、日本史の学習のためにも、また「3-11」後の「末法の世」を行く抜く知恵を学び取るためにも。





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