八幡の葛飾八幡宮からはじめた「市川文学散歩」、荷風ゆかりの地を散策したあとは、京成電車で市川真間駅まで移動し、真間の手児奈を偲んで万葉に遊んだあとは、ひたすら江戸川にむけて西に歩きつづける。
■国府台はひときわ高い、江戸川に面した崖のうえにある高台
葛飾から真間の一帯が、もともと入江で葦(あし)や菅(すげ)が生い茂る湿地帯であったことは、さきにみたとおりだが、その湿地帯を見下ろす台地は国府台(こうのだい)と呼ばれている。
国府台は、ここに下総の国の国府(こくふ)が置かれていたためだという。おそらく古代においては、国府台は湿地帯のなかに浮かぶ岬のようなものだったのであろう。つまり、埋め立てや開拓によって生まれた土地ではなく、もとからあった土地だということだ。
そういう岬の突端のような場所に神社仏閣が建っているという指摘を行ったのは、東京について「アースダイバー」を行った宗教学者の中沢新一だが、江戸川の東岸についても、それはあてはまるといってよいだろう。書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み を参照されたい。
市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く で触れたように、真間(まま)というのは、「崖の裁り落した処を言ふ地名」だと折口信夫は書いていることから考えると、国府台の台地もまた、国府台と呼ばれる以前は、一般的に真間と言われていたのだろう。たしかに切り通しの崖のような地形である。
手児奈霊堂から、真間山弘法寺の急な石段を登るとそこは国府台である。いまそこには千葉商科大学のキャンパスがあるが、そこにははみでるかのような巨樹がある。すごいパワー! 巨象が、、コンクリートをぶちこわして出てくるような迫力。日本人が古代以来、巨樹に神を見てきたが、神とは自然の生命力そのものだとあらためて実感する。
その台地を西にむかってしばらく歩いて行くと、国府台城跡という崖にいたるのである。
真間の手児奈が身を投げたのがどこかはわからないが、国府台城跡の崖から飛び降りたと考えるのが自然かもしれない。
この写真は江戸川から上流にむけて撮影したものだが、古墳のようにこんもりと茂った台地が国府台である。ここに国府台城跡がある。古戦場でもあった。
『江戸名所図絵』の最後、巻の七は江戸川の対岸にも及んでおり、船橋までカバーされているのだが、その途中の市川についてもくわしく触れられている。江戸の庶民にとっても、ちょっと足を伸ばせば訪れることのできる土地であるからだろう。
『江戸名所図絵』には「国府台断崖之図」という挿絵が挿入されている。これは崖のうえから下流ん向きに描かれた絵図だ。現代人と同じように、江戸時代の人も似たようなもので、崖から下をのぞいている。
歌川広重もまた、『名所江戸百景』のなかで同じ場所を描いている。構図は基本的に同じである、
絵だからかなり誇張しているが、それでも国府台が切り立った崖であることは確かだ。むかしから名所だったのである。
ただし、現在ではこんもろと茂った森となっているので、江戸時代のように崖の上から見下ろすという楽しみはないのが残念だ。もっと整備して展望台をつくると面白いと思うのだが。
■国府台城跡の上流に矢切の渡しがある
江戸川の西岸は東京都で、かなり広い河川敷となっており、野球や各種のスポーツが楽しまれる場所となっているが、江戸川の東岸は崖がそのまま川に面したような地形で西岸とはまったく異なる景観となっている。
国府台城跡から2kmほど上流には、かの有名な「矢切の渡し」がある。文学好きなら、伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台となった土地だというべきだろう。だが、それほど川幅が広くはないので、泳いで渡れないわけでもなさそうな気がするのだが・・。
今回は、ここに到達するまで2万歩近く歩いていたので、水際で一息いれると癒される思いがした。水のもつチカラはきわめて大きい。
国府台城跡は現在は里見公園となっているが、この矢印の方向をすこし上がったところに「羅漢井」という井戸がある。
この「羅漢井」もまた『江戸名所図絵』には挿絵が挿入されてることからみると、かなり有名なものだったようだ。
葛飾、真間、国府台と歩いてきたが、この一帯はよほど水に縁のある土地柄のようである。
■国府台からは東京の下町が見下ろせる
江戸幕府を開いてから、徳川氏はここに立っていた城をわざわざ壊させ、国府台には城を造らせなかったという。その理由は、国府台城址に立ってみればよくわかる。
標高海抜30mと決して断崖絶壁というわけでもないのだが、東京の下町がゼロメートル地帯も含んだ低地であるため、国府台からは見下ろせてしまうわけだ。
国府台からみると江戸川対岸の東京下町は丸見え。スカイツリーがそびえ立っているのは当然ですが、それ以外の建築物も丸見えだ。
なるほど、国府台は戦略的要衝であったか、と納得した次第。現在、この地には和洋女子大学や千葉商科大学が立地している。
国府台城跡は現在は里見公園となっており、北原白秋の旧宅である「紫煙草舎」も移築され再現されている。文学散歩の最後にはふさわしい地であるといえよう。
このあとは、京成線の国府台駅まで歩き、電車にのって帰宅した。国府台駅と江戸川駅を結ぶ鉄橋は見事な眺めである。この鉄橋は、東京に住んでいた頃、海外出張で成田空港に移動するスカイライナーでなんども通った鉄橋である。
むかしは川をつかった水運が中心であったが、現代は鉄道やクルマが中心だ。鉄橋で結ばれているいまは、矢切の渡しは観光資源以外の何物でもない。江戸川では、モータースキーを楽しみながら水しぶきをあげている人もいる。
さて、以上で「市川文学散歩」を終わりにしたいと思う。かなり独断と偏見に満ちたわたくし流の散歩ではあるが、荷風散人の散歩をたどったものでもあり、万葉の古代から現代まで、わずかな時間でたどった小旅行でもある。
いまは、ようやく長年の懸案事項を達成できた思いで一杯だ。再訪がいつになるかはわからないが。 (終わり)
<関連サイト>
江戸川の絵葉書 主に鴻之台(国府台)の風景
・・レトロな絵はがきで国府台近辺の江戸川をみるサイト
<ブログ内関連記事>
市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風
市川文学散歩 ②-真間手児奈(ままのてこな)ゆかりのを歩く
市川文学散歩 ③-国府台(こうのだい)城跡から江戸川の対岸を見る
書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み
地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある
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