先日、ひさびさに古巣の大手町(東京)で途中下車したのだが、地下鉄から地上にでて驚いたのが「将門首塚」の変わり様だ。
「将門」とは平将門のことだ。関東で反乱を起こして独立王国を樹立しようとした10世紀の人物だが、最終的に討伐されることになる。斬られた首が京都から関東まで飛んできて落下したのが、大手町の「首塚」とされている。
「将門首塚」は、都内ではというよりも、日本では有数のパワースポットだが、かつてはビルとビルの狭間にあって、暗くてじめじめして、それはもうおどろおどろしい雰囲気が充満していた。なんといっても怨霊なのだ。祟り神なのだ。
その「将門首塚」の隣には、かつて長銀の本社ビルがあった。いまは亡き日本長期信用銀行である。長銀は日比谷に本社ビルを移転したあと、しばらくして「金融危機」のさなかに破綻し国有化された。1998年のことだ。
「将門首塚」に後ろ足で砂を掛けるように立ち去ったため、長銀には祟りがあったのだろう。非科学的といわれるかもしれないが、長銀関係者であったわたしは、いまでもそう思っている。
その後、長銀ビルは消費者金融のプロミスの手に渡り、さらにビルは解体されて、「OTEMACHI ONE」(大手町ワン)いうビルがあらた建設されたわけだ。
東京メトロのジャンクションである大手町駅で乗り換えすることはあっても、地上に出ることはあまりないので知らなかったが、まさか「OTEMACHI ONE」(大手町ワン)が、「将門首塚」をバックに建設されたとは知らなかった。
しかも、あの暗くておどろおどろしい雰囲気をかもしだしていた「将門首塚」が、オープンスペースになっているではないか!
(Wikipediaより)
首塚が置かれた場所に変化はないが、印象がまったく違う。さわやかとまではいわないが、オープンスペースだから雰囲気が明るい。
怨霊といえば天神様こと菅原道真公や、義人・佐倉宗吾がまずあたまに浮かぶが、マイナスの祟り神が転じてプラスの守り神になることは、日本に限らずよくあることだ。それだけパワーに充ち満ちているからである。パワースポットなのである。
将門様も、祟り神から守り神へと大きく性格を転じていくのであれば、これはじつにありがたいことである。 もともと前近代においては周囲にビルなどなかったのだから、本来の姿に戻ったというべきかもしれない。
とはいっても、そもそもが怨霊なので、もちろん参拝する際には敬意をもって接していただきたく思う。
なんといっても、千年たっても(!)、そのパワーに衰えはないのだから。
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