先日のことだが、『霊能一代』というタイトルの、伏見稲荷のオダイ(=お代)よばれる霊能者の日本人女性の一代記を読んだ。
ついでだからもう1冊読んでおくことにした。こちらもおなじく伏見稲荷のオダイである。それも、前者が活動した京都から福知山に至る地域よりも、さらに濃厚な「宗教地帯」である奈良県の農村から大阪府の天王寺にかけて活動した人だ。
『神と人のはざまに生きる ー 近代都市の女性巫者』(アンヌ・ブッシイ、東京大学出版会、2009)というのが、その本のタイトルである。
昨年入手したこの本は、出版されたときに購入しておかなかったのが裏目にでてしまった。ようやく昨年2023年になってから第2刷(!)がでたので、万難を排して購入した。入手不能状態が、なんと14年間もつづいていたのだ。
著者は、フランス人女性で日本研究者。日本語に堪能で、長年にわたって日本で研究をつづけてきた人。1992年の初版がでた原文はフランス語で、Les oracles de Shirataka ou La sibylle d'Ôsaka : Vie d'une femme spécialiste de la possession dans le Japon du XXe siècle である。
日本語なら『シラタカのお告げ、あるいは大阪の巫女 ー 20世紀日本に生きたある女性霊能者』とでもなろう。こちらのほうが、本書の内容をより詳しく説明している。日本語版に翻訳者の名前が記されていないのは、本人が希望しないためとのことだ。
フランス語のオラクル(oracle)とは神託、デルポイの神託のそれである。シビル(sybylle)とは古代ギリシアの巫女のこと。西洋文明の人間にとっては、古代ギリシアの連想が日本理解につながるのである。
(日本語版にも収録されている中井シゲノ 伏見稲荷大社にて36歳頃)
さて、 「シラタカ」とは、この本の主人公である中井シゲノ(1903~1991)という女性に降りてきた神のことだ。シラタカさまは、白狐(びゃっこ)である。白キツネである。稲荷信仰では神さまのつかいである。
本書は、そんな「オダイ」の人生を聞き書きという形でまとめたものだ。話す相手が異国人であり女性であること、しかも本人は両目ともに見えないが聴覚は発達しており、それこそ「心眼」で見抜く能力に富んでいたのであろう。だからこそ、「オダイ」も安心してなんでも話したのであろう。
内容は、話された内容そのままだというが、さすがに専門の研究者の手になるものだけに構成がうまい。ストーリーとしての読みでがある。
霊能者としての女性のライフストーリーをつうじて、農村から都市へと人口移動がおこった日本近現代史が重なりあわされる。稲荷信仰は、もともと「稲荷=稲成り」であるように、コメつくり農業と密接なかかわりをもっていた。都市の商業活動と結びつくのは、もっぱら近代以降のことなのだ。
中井シゲノが「オダイ」になったキッカケは、事故で両目を失明したことにある。22歳のときである。入院しても治らなかった傷害が、退院後に神さまのおかげで左目がぼんやりと見えるようになり、その後はさまざまな神が降りてきて語りかけてくるようになり、オダイとしての自覚をもつようになる。
この人の場合も、神に選ばれてしまった以上、覚悟をきめて厳しい修行の道に入る。もっぱら滝行が中心であるが、厳しい冬のさなかであっても欠かさないのである。それが「オダイ」であるためには必要条件なのだ。そうでないと神さまの声を聞くことはできないのである。
奈良県の農村に生まれ育った彼女は、夢のお告げに現れた玉姫様の社(やしろ)を求めて、目が見えないまま大都市の大阪にでて、偶然、いや神さまの導きで天王寺近辺で遭遇することになる。本書の記述はここから始まる。そして、その生涯を見ていったあと、最後は「オダイ」の後継者がどう決まっていくかで終わる。
(最近あいついで「復刊」された「オダイ」関連の聞き書き)
重要なことは、「オダイ」というのは、「神と人のはざま」にあって、自分の身体を媒体(メディア)にして、神さまを降ろして「お告げを聞く」という職能であるが、失明者がなる東北のイタコとは違って、死者の霊を降ろすことはしない。降ろすのは神さまだけである。
また、専門の職業霊能者である「オダイ」は、神を降ろすだけでなく、神に帰ってもらうこともできる点が根本的に異なるのである。
トランス状態に入って、そしてまたそこから戻ってくる能力、つまりスイッチを自由自在に切り替えることのできる能力である。これは日々の厳しい「行」(ぎょう)があってこそ、はじめて身につけることにできるなのである。
世の中には神さまが降りてくる、言い換えれば体質的にモノに憑かれる憑依(ひょうい)型の人は多い。だが、それだけではオダイにはなれないのである。「あっち側」にいってしまっても、いったきりではダメなのだ。自らの意思で「こちら側」に戻ってくることができないと、単に精神異常に過ぎない。
本書は、そんな具体的な傑出したオダイの人生を聞き書きでたどりながら、現在なお大都市に生きる霊能者たちの存在に、日本の民衆信仰の地下水脈ともいうべきものを見いだし、近代化にうまく適応しながら生き延びてきたことを明らかにする。
中井シゲという傑出した「オダイ」が特筆すべきなのは、彼女自身が宗教化への道をかたくなに拒否したことにある。
信者が増えてくると、その信者集団が宗教へと志向する道が開かれてくるが、同時代に生きた北村サヨのように「教祖」になることも拒否している。組織というヒエラルキーをともなう「男性原理」を拒否したといえるのかもしれない。
逆にいえば、天理教の中山みきや、大本教の出口なおのような存在は、日本では無数に存在してきたということなのだ。
霊能者たちへの需要がなくなることは、今後もないであろう。人間生きていれば、さまざまな問題がふりかかってくる以上、最終的に助けを求める先として霊能者は重要な位置づけをもつ。基本的に庶民信仰の世界であるが、インテリもまたその世界とは無縁ではない。
「オダイ」や職業的霊能者をめぐる状況は、今後も大きく変化していくであろうが、意外としたたかに、かつ柔軟に生き延びていくのかもしれない。いや、形を変えながら生き延びていくのだろう。
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目 次日本語版への序プロローグ 1983年、大阪、天王寺区1 玉姫の契り2 ままならぬ世3 村での神がかり4 火と水、地と空5 仲立ちの世界にて6 崩壊と繁栄の渦巻きのなかで7 神と人の交換手8 オダイはあと3年あとがきにかえてシゲノの後、果てしない歩み(日本語版のために)解説『シラタカのお告げ』の現代的意義(鈴木正崇)参考文献中井シゲノ年譜
著者プロフィールアンヌ・ブッシイ(Anne Bouchy)フランス国立極東学院教授。16年間日本に暮らして以来、今もフィールド・ワークと研究活動を日本で続け、日本の民俗宗教研究を専門としている。フランス国立極東学院のほか、トゥールーズ大学と社会高等研究院で宗教民俗学、日本民俗学と修験道の研究指導にあたっている。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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・・古代ギリシアにおいて「哲学」が生まれたのは、それまで支配的であった「神々」のパワーが弱体化していった時代であった
・・「「救い=癒し」の観点から、魂の病である精神疾患に「ニッチ分野」を発見したイエス教団(・・・中略・・・)最終的には地中海世界での病気治しの勝利者となる。」
・・稲荷信仰は、もともと「稲成り」から転じたように、稲作農業と密接なかかわりをもっていた
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