『トヨタ 中国の怪人 ー 豊田章男を社長にした男』(児玉博、文藝春秋、2024)が面白いので一気読み。ことし2月にでたばかりのビジネス・ノンフィクションだ。
「中国の怪人」こと遠藤悦雄、それが本書の主人公である。トヨタ中国事務所総代表として、ホンダや日産などのライバル企業に遅れに遅れた中国ビジネスを起死回生の秘策で軌道に乗せた男。
そして、その結果として、御曹司の豊田章男を社長に押し上げた最大の功績者だが、公式の記録からは見えない存在にされてしまった男。
そうか、そんな男がいたのか、そんなことが内部で進行していたのか・・・。リアルタイムの企業内部ものではないが、そんな驚きを歴史もののビジネス・ノンフィクションとして堪能できる。
だが、それだけではない。なんといっても、この遠藤氏の前半生があまりにもすさまじいのである。想像を絶しているといっていい。
満洲に赴任した技術者の父のもと、日本統治下の満洲で生まれた遠藤氏は、日本の敗戦後に父が中国共産党に「留用」されたため一家は中国に残留を余儀なくされ、中共統治下で凄絶なまでの人生を送っている。
日本に「帰国」できたのは、なんと27歳になってから、しかも1970年のことであった。大坂で万博が開催された年である。高度成長期の絶頂にあった日本は、同時期の中国とは雲泥の差があった。まさに別世界といってもよい状態であった。日中国交回復は1972年のことである。
中国で育ち、中国人とおなじ苦難の日々を送り、しかも日本人であるがゆえに、中国人以上の辛酸をなめている。中国と中国人を知り尽くしているといってもいいのである。
そんな遠藤氏が「中国人の本質」だとして著者に示したのが「好 死 不 如 懶 活」という漢字6文字の中国語。意味は、「きれいに死ぬよりも、惨めに生きたほうがまし」。
まさに遠藤氏の生き様そのものである。中共統治下の過酷な時代を生き抜いた日本人の口から発せられることばの重みが違う。 潔さに美学を見いだす日本人とはまったく違うのである。
そんな個性的クセの強い遠藤氏の能力を見抜き、使いこなした数少ない人物が、トヨタ中興の祖ともいうべきサラリーマン社長の奥田碩氏であり、世襲で経営者となった豊田章男氏であった。ともに遠藤氏のネイティブとしての中国語力と豊富な人脈をフルに使い切っている。
トヨタとは直接関係ないわたしだが、大学の後輩(ただし、学部も部活も違う)として、一部上場企業の世襲を阻止しようとする奥田氏には大いに共感を感じていたものだ。残念ながら、豊田ファミリーへの「大政奉還」が実現して現在に至る。その影にいたのが遠藤氏だったのか・・・。
著者の児玉博氏は、東芝の絶頂期と崩壊を招いたサラリーマン経営者を描いた『テヘランからきた男 ー 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館、2017)がたいへん面白かった。
今回の『トヨタ 中国の怪人』もまた、日本企業にとっては異質なバックグラウンドをもちながら、日本のビジネス社会で孤軍奮闘しながらも、最後は刀折れ矢尽きていった男の人生を描いている。
時代と運命に翻弄されただけでなく、晩年にいたっても、日本人でも中国人でもないようなアイデンティティの揺らぎを抱き続ける人生。
それほど数奇で濃厚な人生を送った、そんなひとりの「日本人」の聞き書きをもとにした作品である。 読ませるノンフィクションである。それだけでなく、事例としてさまざまな教訓を導きだすことも可能だろう。
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目 次序章 中国人の本質第1章 豊田章一郎の裏切り第2章 日本の子鬼第3章 毛沢東の狂気第4章 零下20度の掘っ建て小屋第5章 文化大革命の嵐第6章 悲願の帰国第7章 日米自動車摩擦の代償第8章 豊田英二の危惧第9章 はめられたトヨタ第10章 起死回生の秘策第11章 豊田章男の社長室主要参考文献・映像作品
著者プロフィール児玉博(こだま・ひろし)1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。月刊「文藝春秋」や「日経ビジネス」で企業のインサイドレポートを発表。著書に大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作を単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』など。(本データは2017年の『テヘランから来た男』が刊行された当時に掲載されていたもの)
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