「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2025 禁無断転載!



ラベル バレエ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル バレエ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年3月8日月曜日

映画『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』(2016年、ロシア)-ソ連崩壊後の現代ロシア社会におけるバレエの位置について知る

 
『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』(2016年、ロシア)を amazon prime video で視聴。たまには、こんな映画もいい。原題は Большой(ボリショイ)。131分。  

ソ連ではなく、ソ連崩壊後のロシアで製作されたバレエ映画。製作は2016年だから最近のものだ。ソ連崩壊を乗り越えて、現在に続くのがロシア・バレエだ。 

ストーリーは、ボリショイ・バレエのプリマの座をめぐっての2人の女性の青春ライバル物語。

生まれも育ちも真逆の2人。金持ちと貧乏人。大都市モスクワと地方都市。

こういう二項対立のストーリーが、つくる側にとっても、みる側にとっても、わかりやすくていいいのだろう。ただし、子ども時代と現在が行き来し交錯するので、多少のわかりにくさがあることは否定できない。 

私自身は、バレエに対して特別に思い入れがあるわけではないので、現代ロシア社会でバレエがどう位置づけられているのかを知るという意味で興味深く視聴した。 

もちろん、ホンモノのボリショイ劇場で、ホンモノのバレエ・ダンサーが出演している。そして「白鳥の湖」」と「くるみ割り人形」。いずれも19世紀ロシアのチャイコフスキーの作曲になるバレエ作品だ。

かなり前になるが、一度だけボリショイ劇場でバレエ公演を見たことがあるので、そんなことを思い出しながら視聴した。そのときの公演は、たしかソ連時代に生きた作曲家プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」だったと思う。





<ブログ内関連記事>






 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
(2012年7月3日発売の拙著です)

 





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2019年3月24日日曜日

ニジンスキーと「ロシア・バレエ団」(バレエ・リュス)-一度は見たかったニジンスキー。100年前に思いを叶わぬ夢をはせる


「春分の日」で祝日だから、たまには美術展にでもというわけで上野にいったら、東京文化会館の前にパネル展示があった(2019年3月21日。 

おお、伝説のバレエダンサーのニジンスキーと「ロシアバレエ団」(バレエ・リュス)ではないか! まさに『春の祭典』ストラヴィンスキー、ニジンスキー、ディアギレフといった名前が想起されてくる。

第1次世界大戦前のパリでセンセーションを巻き起こしたロシアバレエ団。 伝説のニジンスキーを一度は見てみたかったと思う。もちろん、100年以上前の話なので不可能な夢想ではあるのだが・・・



1913年のパリ、そしてその翌年に始まった第1次世界大戦。4年半にわたって続いた「世界大戦」で、ヨーロッパのみならず世界が激変する。天才舞踊家ニジンスキーもまた、世界大戦から変調をきたす。神経衰弱になり、その後の30年を精神病院で過ごすことになる。




100年たつと、100年前をあらたな視点で見直す機運が高まってくるものだ。世界大戦前後について、もう一回捉え直してみることが必要だろう。








<ブログ内関連記事>

フイギュアスケート、バレエ、そして合気道-「軸」を中心した回転運動と呼吸法に着目し、日本人の身体という「制約」を逆手に取る

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』




(2017年5月18日発売の拙著です)


   

(2012年7月3日発売の拙著です)








Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2014年8月8日金曜日

書評『からくり人形の夢 ー 人間・機械・近代ヨーロッパ』(竹下節子、岩波書店、2001)-「西洋からくり人形」にさぐるバロック時代の精神世界


「からくり人形」というと、まず想起するのは江戸時代の「茶運び人形」などだが、同時代のヨーロッパにも「からくり人形」が存在した。「西洋からくり人形」である。

日本の「からくり人形」は、17世紀から19世紀半ばにかけてつくられたものだ。もっぱら見て楽しませるための娯楽用として製作されたものだが、「第一次グローバリゼーション」の16世紀に西洋から伝来した機械時計に使用されていた「歯車」(ギア)を応用したものだ。歯車はきわめて重要な機構部品である。

「西洋からくり人形」もまた17世紀から19世紀半ばまでが全盛期であったが、本書の表現を借りれば、「奇跡と遊びとパッションが一体をなしていたバロック時代」の産物である。おなじく工学的発想にもとづく「からくり人形」であるが、日本の「からくり人形」とは背景となる思想が異なっていた。

「西洋からくり人形」は、正確にはオートマタ(automata)という。単数形はオートマトン(automaton)直訳すれば自動機械である。機構そのものにプログラムを内蔵させたオートマトンは、機械言語によって動くコンピュータとロボットの前身である。

本書は、「西洋からくり人形」の背景を見ていくことによって、「近代科学」成立以前のバロック時代の科学観と人間観を明らかににしながら、「近代科学」成立によって切り捨てられていった初期近代の精神世界についてエッセー風に考察したものである。

日本ではいまだに「科学技術」と4文字熟語で一緒くたにされているが、「科学」と「技術」(=工学)はイコールではない。近代科学を生み出した西欧と生み出せなかった日本。その違いについて考えるためにも、「西洋からくり人形」というオートマトンについて振り返ってみる意味がある。

以下、わたし自身の関心にしたがって、わたしのコトバで解釈しながら読んでみる。著者はオートマタととしているが、19世紀以降の「近代科学」のもとにおける発展を視野に入れた場合、オートマトンと表記したほうが適切であろう。、


オートマトンは機械式時計の技術と連動

「西洋からくり人形」のオートマトンは、本書によれば、精密機器である機械時計技術と連動して発展したらしい。からくり時計もその一つであるが、時計職人のブランドイメージのため製作されたもので、いわば技術のショーケースといった性格をもっていたようだ。

機械式時計の製作は、フランス・アルプスの北側グルノーブルからスイスのフランス語圏へと波及していった。だからオートマトンはフランスを中心に発達したようだ。レオナルド・ダヴィンチを生んだイタリアで発達せず、フランスで発達した理由も興味深い。

本書カバーの写真は、自らオルガンを弾く貴婦人の「西洋からくり人形」だが、もともと「自動楽器」のほうがオートマトンに先行していたようだ。

自動楽器は、音楽の保存方法として、楽譜による記譜法と並列して重要な役割をもっていたらしい。記録媒体としてのレコードと蓄音機が19世紀にエジソンによって発明される以前は、自動楽器が貴重な音源となっていた。18世紀から19世紀にかけて活躍したベートヴェンもまた、自動楽器向けの曲を作曲しているらしい。

自動楽器は、現代でもオルゴールとして生き残っているが、ピックという楔(くさび)のついたシリンダーを回転させ、楔を鍵盤をひっかけて音を再生する仕組みである。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置であるといっていいだろう。

音楽の再生にあたって動力源は人力だが、オペレーターが手動で駆動しながら同時に制御するか、ゼンマイに蓄えたエネルギーを利用して自動再生するかの二種類があったが、機構そのものはおなじである。

この自動楽器の技術がオートマトンに活かされることになる。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置である点は同じである。人間がプログラムを作成し、人間が動力源であり、オペレーターでもある。


オートマトンと「人間機械論」

オートマトンの製作は、初期近代のバロック時代の科学観が背景にある。いわゆる「近代科学」成立以前の科学観である。

そもそも機械式時計は、神が造った被造物の一つである天体の動きを、歯車のかみあわせでムーブメントとしてメカニカルに再現したものである。大宇宙であるマクロコスモスと小宇宙であるミクロコスモスがコレスポンデンス(=照応)しているという近代以前の神学的科学観が背景にある。

人工美を表現した幾何学的なフランス庭園もそうであるが、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望がストレートに表現されたものといえるだろう。「目に見えるもの」をいじっているうちに「目に見えないもの」を感じ始める日本人とは、真逆の発想なのかもしれない。

オートマトンにおいては、神が造った被造物である人間を一個の機械として理解した「人間機械論」が思想的背景にある。「人間機械論」は、「心身二元論」で有名な哲学者デカルトが打ち出したものだが、当事の西欧世界に与えたインパクトはきわめて大きかったようだ。フランスがオートマトン製作の中心であった理由の一つがデカルト哲学の影響である。

初期近代は、数学と解剖学の時代であり、解剖学の知見がメカニズムの解明と再現へ、そして数学で世界を表現する思考が浸透していった。

だが著者によれば、「人間機械論」は、現代人のわれわれが理解している「心身二元論」とはニュアンスが異なるようだ。デカルトはあくまでも人間は神の被造物であるという前提に立っていたのである。身体のメカニズムの究明をつうじて、精神の秘密を探ろうとしていた。「目に見える身体」のメカニズムをつうじて「目に見えない精神」を、探ろうという方法論である。

オートマトンもまた、目に見える機構というメカニズムをつうじて魂の問題を探求するという姿勢があったことを著者は強調している。人形に魂が宿るという発想は、日本人的な発想と似ていなくもないが、「人間機械論」においては、探求心が向かう方向と方法論が日本人とは異なるようだ。

「近代科学」を生み出した西欧人の発想をオートマトンに見ることができるのである。


ロボットの原型としてのオートマトン

人形には魂が宿る。こういう感覚は日本人なら子ども時代に誰もが観じたことがあるのではないだろうか。ロボット工学者の森政弘博士による「不気味の谷」仮説がその一つの説明であろう。人間型ロボットは人間に近づくと親近感を増すが、ある閾値を超えると「不気味の谷」に入り込むという仮説である。

日本人に限らず、西欧人も人形には魂が宿るという感覚があったようだ。西欧人の深層意識に痕跡を残している古代的な感性といえようか。

自動人形のオートマトンであれ、マリオネットなどの操り人形であれ、人形自体には魂は存在しない。したがって誰かが動かしてやらなくてはならない。操り人形の場合は、人形師に憑依するという形で神の意志が反映されるというのは、ある意味では古代的な感性といえるだろう。

オートマトンは、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望の表現であるが、オートマトンの延長線上にロボットがあると考えると、ロボットの原型となるイメージについて振り返ってみる意味もある。

著者は、オートマトンには以下の3つの類型があるとしている。わたしなりに補足して整理すると以下のようになる。

アダム型: 神自身が造った神の似姿(←旧約聖書 『創世記』)
ゴーレム型: ドッペルゲンガー型の分身。人格統合されるべき人間の「影」(←中欧ユダヤ伝承)
イヴ型: 自分の理想や夢の投影。ギリシア神話のピュグマリオン。ピノッキオ

アダム=ゴーレム型の代表としてドイツ文学の『ゴーレム』(グスタフ・マイリンク)イブ型の代表としてフランス文学の『未来のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン)をとりあげて、内容を紹介しながらにくわしく解説している。

著者が使用していない精神分析的な解釈を加えれば、西欧人の深層意識を知るうえで有効な分析材料となるだろう。ロボットの原型としてのオートマトンについて考えることは、つまるところ人間の欲望について考えることなのである。

ロボットがますます身近な存在となりつつある現在、初期近代のバロック時代、「近代科学」以前の西欧を視野にいれることの重要性をあらためて感じるのである。


 (画像をクリック!


 

目 次

はじめに
序章 オートマタのフランス
第1章 パリのバロック夢追い人たち
第2章 歴史の中の自動楽器
第3章 歴史の中のオートマタ
第4章 オートマタのファンタジー
終章 夢見るオートマタ
おわりに
参考文献について


著者プロフィール
竹下節子(たけした・せつこ)
1976年、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を学んだ。パリでアーティスト支援の文化協会を主宰し、室内楽アンサンブルのメンバーとしても活動中。著書に『パリのマリア』『ジャンヌ・ダルク』『ローマ法王』『バロックの聖女』『さよならノストラダムス』など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<参考>

『機械式時計【解体新書】-歴史をひもとき機構を識る-』(本間誠二=監修、大泉書店、2002)
・・この本は時計職人が書いた機械式時計のメカニズムと歴史がつまった本。出版以来のロングセラー。




<ブログ内関連記事>

機械文明の原型

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である
・・銃器という機械もまた、西欧近代を推進した軍事テクノロジーである

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
・・自動人形もエネルギー源に電気を使用しない機械である

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか
・・なぜスイスが機械式時計の一大生産地帯となったのか

『西洋事物起原 全4巻』(ヨハン・ベックマン、特許庁技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000)は、暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれる本
・・近代が生み出したさまざまな機械についても、その起源を調べている


解剖学とバロック精神

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界


ロボットと魂

書評 『ロボット新世紀』(シリル・フィエヴェ、本多力訳、文庫クセジュ、2003)-ロボット大国ではないフランスのジャーナリストが簡潔にまとめたロボット開発の見取り図

書評 『ロボットとは何か-人の心を写す鏡-』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」という哲学的な問いを考える手引き ・・ロボットに魂をもちうるのか?

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない
・・デカルトの「動物機械論」の波紋とその攻防の西欧近代思想史

(2014年8月9日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2014年2月22日土曜日

フイギュアスケート、バレエ、そして合気道 ー「軸」を中心した回転運動と呼吸法に着目し、日本人の身体という「制約」を逆手に取る


2014年ソチ冬季オリンピック開催(2014年2月1日~23日)と重なってしまったため、すでに記憶から消えてしまっているかもしれませんが、ローザンヌ国際バレエコンクール最終選考で日本人が一位と二位を独占したというニュースが話題となったことを思い起こしてほしいと思います。

ローザンヌで優勝した17歳の男子高校生の二山治雄さんは、オリンピックの男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した19歳の羽生結弦選手と重なり合わせてみてもいいかもしれません。

フィギュアスケートが氷上のバレエといわれることも多いことから、それはけっして突飛な連想でもないでしょう。この二人の男子は年齢が近いだけでなく、意外なことに、いずれもそれほど長身ではありません。

よく伸びた手足に小顔なので長身に見えますが、羽生結弦選手は身長171cm、二山治雄さんは公表数字はありませんが、「世界に挑む 若き日本人ダンサーたち~第42回ローザンヌ国際バレエコンクール~」(NHK 2014年2月16日放送)というテレビ番組でバレエ関係者がしていたコメントでは、170cm前半とありました。西洋人にくらべると体格面で劣っているのは否定できませんね。

ローザンヌのバレエ・コンクールにかんして、面白いコメントが目にとまったので紹介しておきたいと思います。新聞社のサーバーから記事が削除される可能性もありますので、全文を引用しておきましょう。

【ローザンヌバレエ席巻】体形と意欲、日本人向き こつこつと技術習得  (MSN産経ニュース、2014年2月2日)

ローザンヌ国際バレエコンクールは、2年前の2012年にも当時17歳の菅井円加(すがい・まどか)さんが優勝するなど日本人バレエダンサーの躍進が目立つ。
背景には、跳躍など一つ一つの技を高いレベルでこなす技術力が指摘されている。 舞踊評論家の佐々木涼子さん(69)は「基本からしっかりと積み上げた技術力が極めて高い水準に達している」と分析。「一般的にバレエは優美なイメージが強いが、実は技術の優劣がはっきりと出る踊り。こつこつと技を磨く日本人の性格に向いている」と話す。 40年以上バレエ指導に携わる法村(ほうむら)友井バレエ団(大阪)の法村牧緒団長(68)は、「日本人は欧米人に比べて小柄で手足も短い分、重心をコントロールしやすく、難しい技を身につけやすい」とし、日本人の体形が、技術向上に一役買っていると指摘する。
日本人ダンサーは練習意欲も際立っているといい、法村さんは「国内でもコンクールが盛んで、勝つために技を磨く意識が非常に高い」。二山治雄さんが日本人男性として1989年の熊川哲也さんと並び優勝を果たしたことで、「男性のバレエも勢いが増していくと思う」と期待を込めた。(* 太字ゴチックは引用者=さとう)

「日本人は欧米人に比べて小柄で手足も短い分、重心をコントロールしやすく、難しい技を身につけやすい」、という指摘が興味深いですね。

とくに「重心をコントロールしやすく」という指摘は、基本的に日本の武道と同じです。


「軸を中心にした回転運動」

個人的な話になりますが、いまから20年以上前、アメリカの大学院に留学中にボランティアでアメリカ人大学生たちに合気道(Aikido)を指導していたことがあります。

その経験をつうじてわかったのは、白人も黒人も一般的に下半身の股下が長く、重心をコントロールしにくいということ。

重心(center of gravity)は、武道では「臍下丹田」といってへそ下三寸にあるとされていますが、脚が短いほうが重心が低くなるのでコントロールしやすいことは否定できません。これは大相撲の外人力士、とくに欧州出身の力士を観察していれば理解できることだと思います。すり足で動く相撲では、重心が高いと安定感を欠くのです。

フィギュアスケート、バレエ、そしてと合気道をはじめとする日本武道。西洋のパフォーミングアートであるバレエ、東洋の武道。華やかな前者と地味な後者。いっけんまったくかけ離れていますが、身体運動でかつ回転運動を基盤に置いているという点にかんしては共通性があります。

そもそもスポーツはすべて軸を中心とした回転運動が基本にありますが、フィギュアスケートやバレエ、そして武道ほど、実際に自分がやっていないとしても、目に見える形で現れますので、観察して実感することができるといってよいでしょう。

バレエとの対比においては、東洋の伝統舞踊にも言及しておく必要があります。

カンボジア王国のシハモニ国王は、シハヌーク前国王から皇太子に指名されるまで、フランスのパリで20年以上にわたってバレエ教師の職についていたことは東南アジア通なら常識でしょう。カンボジアに帰国後には、クメール舞踊協会の代表をつとめていました。クメールとはカンボジアのことです。

カンボジアがフランスの植民地であったこと、シハモニ国王の母親がフランス系カンボジア人であることは多少は関係があるかもしれません。シハモニ王子が、なぜバレエの道に進んだのか詳しいことは知りませんが、当時は社会主義圏にあったチェコのプラハでバレエを学んだようです。

優美なクメール舞踊はインド舞踊やタイダンスと同様、じっさいにやってみればわかると思いますが、手の返しがひじょうにむずかしい。伝統舞踊は子どものときに必修として教育されているようですが、そうでなければ大人になってからは習得は困難でしょう。

タイの国技ムエタイは白兵戦で戦うために開発された武術ですが、ムエタイの試合前には優美な舞踊が披露されます。蹴りを中心にしたムエタイは、バレエなみのカラダの柔軟性が基本にあります。

むかし、合気道の師匠である有川定輝先生からお聞きしたことですが、日本の武道の源流はインドにあるのだ、と。インドから中国を経由して日本に入ってきた点は、武道は仏教と共通しています。


バレエと合気道

話を日本の武道に戻しましょう。武道のなかでバレエともっとも近いという印象をもつのが合気道でですね。


バレエと合気道の関係については、バレエの世界から合気道の世界を経て、独自の「呼吸法」を開発して普及につとめている西野皓三氏の存在を想起すべきでしょう。そして西野氏の弟子でバレエ時代からずっと従ってきた弟子の由美かおるの存在も(写真上下)。


合気道だけではありません。柔道も、空手もみな軸を中心にした回転運動が根底にあります。柔道の投げ技、空手の回し蹴りを想起してみればいいでしょう。ともに軸足を支点にした回転運動です。

合気道開祖の植芝盛平翁のもとには、日本舞踊関係者などが多く入門して、その秘訣を学ぼうとしていたそうです。合気道も日本舞踊もすり足を基本にしています。すくなくともこの事実から、武道と舞踊の密接な関係については理解できると思います。

武道というコトバができる以前は「武芸」といわれていたことも、本質において「芸」としての共通性があることが示唆されています。能や歌舞伎などと同じく、「芸」としての共通性ですね。

合気道においては、「呼吸法」がきわめて重要な意味をもちます。さきに武道と仏教はインドから発して中国経由で日本に伝来した点に共通性があると言いましたが、「呼吸法」にかんしても、ヨーガの呼吸法が禅仏教をつうじて中国から日本に伝わったことの意味も大きいものがあります。禅の呼吸法は、言霊(ことだま)学をつうじて合気道に多大な影響を与えている、古神道(こしんとう)の呼吸法にも影響を与えているのでしょう。

わたし自身はバレエをやった経験はないので、バレエの観点からの話はできませんが、バレエと合気道の関係について、西野皓三氏と由美かおる氏の対話を手掛かりに考えてみたいと思います。


西野皓三氏と由美かおるの対話から

『西野式呼吸法 バイオスパーク』(由美かおる、講談社、1985)という本があります。由美かおるが、その師である西野皓三氏の「西野式呼吸法」を解説した内容の本です。

いまから30年近く前に出版された本で、すでに絶版で入手できませんが、たまたま蔵書整理していた際に「再発見」しました。パラパラとめくって読んでいたら、ひじょうに興味深いことが書いてあることに気がつきました。

第3章「西野式呼吸法はこうして生まれた」は、由美かおるがその師匠である西野皓三に話をうかがうという形で、「西野式呼吸法」誕生に至る経緯が西野皓三氏のライフヒストリーに沿って説明されています。

人体の構造について熟知している医学生だった西野氏が、バレエから初めて合気道を経て、中国拳法を習得し、独自の「呼吸法」に到達した経路が、下図においてよく表現されています。この3つに共通するものが「呼吸法」なのです。

(西野式呼吸法は西野皓三氏のライフヒストリーそのもの P.46より)


西野氏はわたしも教えを受けた合気会で師範もされていたこともあり、壮年時代の西野氏が合気会で段位をとっていた由美かおるの受けをとる演武は、ずいぶん昔のことですが武道館で見たことがあります。

西野皓三と由美かおるの対話から重要な点をいくつか抜書きしておきたいと思います。太字ゴチックの個所は、いずれも引用者(=さとう)によるものです。

由美 先生は日本人だから、当然のこととして、西欧のバレエから日本の舞や武道に戻ってきたわけですね。
西野 戻ってきたというよりは、広がってきたという感じだろう。バレエの動きが内から外へぐんぐん広がっていくのとは対照的に、日本の動きは内に秘められた微妙さが重要になるのだが、武道に、そうした日本の動きのもつ原点がいくつも含まれている。・・(中略)・・ そんなわけで、日本の動きをぼくは合気道で学ぼうと思った。合気道を始めてよかったと思う。

その後、西野氏は中国拳法も習得しています。

西野 合気道で、日本古来の武術の技の粋と心を学び、争わざる心を培われ、そして、中国拳法では澤井(健一)先生によって、中国古来の内攻の力(体の奥底から出る力)を使った武術の強さを教えられた。太極拳の高弟たちの強さは群を抜いている。

体の柔らかさと呼吸の関係についてはこう述べています。

西野 双葉山も柔らかくて、美しい力士だった。柔らかいということは当然呼吸と深い関係がある。それに美しいということ、これは何をやるにも大事なことで、特に体を使う表現で美しくないものはまずダメだ。

「ねじる」ということに論が及ぶ。ここから先が本題です。バレエ、合気道、中国拳法の比較論が展開されています。長くなりますが、じっくり読んでいただきたいと思います。かならず「発見」があるはずです。

由美 そういえば、バレエのねじりはすごいですね。
西野 バレエは、空間を制覇した芸術だといわれている。近代バレエが本格的に完成したのはアン・ドールという決定的なねじりができ上がってからだ。アン・ドールは両足を180度開くポジションのことだが、これが完成するまでに200年かかっている。
由美 そんなにかかっているんですか。バレエのねじりには他に、アン・ド・ダンというのもありますね。

(西洋のバレエと日本の武道の中間に中国武術がある P.60より))

西野 アン・ドールが外側(遠心的)に開くのに対して、内側(求心的)にねじることがアン・ド・ダンだ。この二通りのねじり方は太極拳でも合気道でも、一応完成された動きには必ずある。使い方や動きの意味はそれぞれ違うが、体を外側、内側にねじるといった動きの根本は同じだ。・・(中略)・・ 合気道では外にねじる動きは転換(てんかん)で代表され、内にねじる動きは入身(いりみ)に代表されるといっていいだろう。
由美 私も何となく、太極拳と合気道の流れるような動きが似ていると思っていました。
西野 ただ、同じねじりといっても、それぞれに特徴がある。バレエは背筋をスッと伸ばし、腕や脚を大きく開いて外に外に広がる遠心的なもので、日本の舞いや武道の動きは、肘や膝を内へ内へと向ける求心的なものだと思う。もちろん、バレエにも求心的な動きがあり、日本の舞いや武道にも遠心的に動くものがあるが、根本的には西欧は外、日本は内という感じだ。そして、中国拳法(太極拳や形意拳など)の動きは、ちょうどその中間のような気がする。
由美 地理的にも真ん中にありますものね。

(バレエと中国武術の近似性 P.62より)


洋の東西によって身体運動の基本的方向性が異なるものの、基本は共通していることが確認されたと思います。

バレエと合気道の中間に中国拳法(=中国武術)を置いてみると、共通性がくっきりと浮かび上がってきますね。上に掲載した図を、じっくりと眺めてみるといいでしょう。

わたしが大学時代に合気道を教わった有川定輝先生は、中国武術は日本武道よりもはるかにカラダの柔軟性が要求されると語っていました。インド武術は中国武術よりもさらに柔軟性が要求されるのだ、と。インドを中心においてみえると、身体運動の観点からみれば、バレエと中国武術が対応しているといえるかもしれません。

このように考えてくると、いっけん関係ないと見えるバレエと合気道の関係も見えてくるでしょう。まずは基本的な「型」(パターン、ポジション)の習得からはじまり応用に進むという共通性をもちながらも、相違点は主たる運動の方向性と柔軟性の度合いにあることがわかりますね。


日本人の身体という「制約」を逆手に取る

日本人のフィギュアスケーターも、バレエだけでなく合気道にも目を向けてみたらいいのではないでしょうか。日本人のバレエダンサーも、合気道などに目を向けるべきではないでしょうか。

野球の世界では、王貞治氏や広岡達朗氏が合気道の修業をつうじて「野球道」を探求していたことは知られています。桑田真澄氏も、古武術の甲野善紀氏の教えをフォーム改造に応用しています。アメリカのベースボールが、日本の野球として定着するプロセスにおいて、このような取り組みがあったことを想起することも必要でしょう。

メジャーリーグで現役をつづけているイチローもまた、低い重心の中心軸をつくるため、相撲の四股(しこ)のようなスタイルで下半身を強化しいます。テレビでヤンキーズの試合を見るときにはぜひ注目してほしいと思います。

日本人は、日本人の身体という「制約」から完全に脱することが不可能である以上、むしろそれを逆手に取って日本人であることを徹底的に深掘りしてみることが大事ではないでしょうか。徹底的にフィギュアスケートやバレエのテクニックを身に付けたうえで、さらに日本伝来の身体運動に目を向けてみる。壁にぶちあたったときには、かならず試みてほしいのがこういった取り組みです。

日本人がスポーツという西洋文明の粋のなかで活動するためには、意識して取り組むべき課題ではないでしょうか。教育学者の斎藤孝氏は、「腰・ハラ文化の再生」が必要だと、『身体感覚を取り戻す-腰・ハラ文化の再生-』(NHKブックス、2000)において主張されています(*注)。耳を傾けるべき主張だと思います。

もちろん、これはスポーツに限らず、現代文明を生きる日本人すべてにとっての課題であるというべきでしょう。「足元を掘れ、そこに泉あり」、というではありませんか! 自らのうちなる日本を意識することがあたらしい時代を開くカギなのです。





(*注) 本文の最後で触れた 『身体感覚を取り戻す-腰・ハラ文化の再生-』(NHKブックス、2000) については、いまから13年前の2001年に ネット書店の bk1(・・現在は honto)にわたしが書評を書いていますので、ここに再録しておきます。

 この本は、斎藤孝氏が脚光を浴びるキッカケになった本で、原点とでもいうべき内容の濃い一冊といってよいでしょう。


本書はまさに警世の書である!「失われた10年」よりもっと深刻な事態が進行しているのだ (投稿者:サトケン)
 
日本人が椅子の生活を始めてから、たかだか30年しかたっていない。それまでずっと続いていた、畳に座り、胡座(あぐら)をかき、正座する生活においては、腰・ハラは自然と鍛えられていた。「失われた10年」というフレーズがあるが、それよりもっと深刻な事態が進行しているのだ。高度成長によって日本人の生活が激変したことと、従来からあった身体感覚の喪失はパラレルに観察される現象だ。

本書はまさに警世の書である。日本の腰・ハラの身体文化の衰退とともに、「練る」「磨く・研く」「締める」「絞る」「背負う」といった日本語の基本動詞が失われつつあることに、著者は大きな注意を喚起している。日本人の精神性を規定してきたこれらのコトバが失われることは、日本人のアイデンティティが崩壊することを意味してもいる。現在の日本人は国際的に自己を確立しなければならないというのに、日本人としての軸を欠いたまま漂っていくのみでは、国際社会で尊敬されるハズがないのも当然だ。

欧州を旅行してとにかく目立つのが日本人の姿勢の悪さである。欧米人は老人と子ども以外、男も女も関係なくみなピシっと背中を伸ばして歩いている。これは彼らが日本国内で歩いているときも同じである。一度かれらの歩く姿をじっくりと観察していただきたい。日本人の姿勢の悪さは、精神のたるみに対応しているといわざるをえない。生活が洋風化したから姿勢が悪くなったのではないのだ。昔の日本人の姿勢がよかったことは、本書に収められた幕末や明治初期の写真からもうかがわれる。

ぜひ本書を読んで問題の深刻さに気づき、自らの姿勢を(もちろん物理的に!)正すことから、まず意識改革の第一歩を踏み出して欲しい。著者は1960年生まれの教育学者で、本書は年寄りの繰言ではない。  (投稿: 2001年3月28日)


<関連サイト>

西野式呼吸法 (公式サイト)

バレエダンサーとしての西野皓三(27歳)
・・写真でみる若き日の西野皓三氏



<ブログ内関連記事>

「ブレない軸」 (きょうのコトバ)

「軸」がしっかりしていないと「ゆがみ」が生じる-Tarzan No.587 「特集 軸を整えて、ゆがみを正す」(2011年9月8日号)

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・「中心軸」の重要性を語って止まなかった肥田春充(ひだ・はるみち)

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである

書評 『正座と日本人』(丁 宗鐵、講談社、2009)-「正座」もまた日本近代の「創られた伝統」である!
・・「正座」はやらないほうがいい

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

コトダマ(きょうのコトバ)-言霊には良い面もあれば悪い面もある
・・山岸涼子のバレエマンガ『言霊』を取り上げている

【セミナー告知】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

【セミナー終了報告】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

書評 『人種とスポーツ-黒人は本当に「速く」「強い」のか-』(川島浩平、中公新書、2012)-近代スポーツが誕生以来たどってきた歴史的・文化的なコンテクストを知ることの重要性


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2012年12月1日土曜日

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない


日本舞台芸術振興会(NBS)の会員だったので、『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)は、「著者謹呈」としていただいていた。

著者の佐々木忠次氏は、30歳のときに引き受けた東京バレエ団を世界水準のバレエ・カンパニー(=バレエ団)に育て上げ、出演機会を増やすために積極的に海外公演を企画し実行してきた辣腕プロデューサーであり、国際文化交流としてオペラの引っ越し公演を日本で成功させてきたインプレッサリオでもある。

「日本のディアギレフ」と呼ばれてきたのはそのためだ。ディアギレフとは常設バレエ団であるバレエ・リュス(=ロシア・バレエ団)の創設者であり、フランスを中心にロシアバレエの一大旋風を巻き起こした立役者である。1920年代の代表的人物である。

先日のことだが、プロのバレエ・ダンサーとのジョイントセミナーを行うにあたってバレエ関連本を読んでいたのだが、同じ著者による『闘うバレエ』を読んだことをきっかけに、そういえば 『起承転々 怒っている人、集まれ!』をもっていたことを思い出して読んでみることにした。頂いてからすでに4年もたっていたが、これがじつに面白い。

しかし、面白いといっても、それは楽しいということと同じ意味ではない。「面白うてやがて哀しき・・」というよりも、著者の怒りがそのままストレートに伝わってくる内容の一冊なのだ。

本書は、日本舞台芸術振興会(NBS)が主催するオペラやバレエ作品の案内を兼ねたニューズレターに著者が執筆してきた文章を、約20年分まとめて一冊にしたものである。

1989年から2008年にわたる20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は、プロデューサーとしてあくまでも「民間人」の立場からで文化事業を支えてきた苦労と自負がなせる発言の数々であり、バブルとその崩壊を挟んだこの20年間が、文化芸術の観点からみたらどういう時代だったのかが手に取るようにわかる貴重なドキュメントでもある。

バブル期に広告代理店などによって引っかき回され混乱したバレエやオペラの世界、理念なき国家主導と民業圧迫(・・まさに経済学でいうクラウディングアウトだ)、官尊民卑、官と癒着するマスコミ・マスメディア、振付家の舞踊著作権管理、ハードにばかりカネをかけてソフトを軽視するハコ物行政への怒りと苦言、などなど。これが、文化国家を標榜する日本の現実である。

フランスをはじめとする西欧諸国のような「国家としての文化戦略」が欠如しているのである。明治維新によって近代化=西洋化を選択した日本も、学校教育においては音楽教育を全面的に西洋化したにもかかわらず、制度の背景は完全に取り入れることはしなかったためである。

国家財政による助成が基本のフランス、民間からの寄付が中心の米国、そのどちらでもない中途半端な日本。舞台芸術のマネジメントから、日本の近代化のいびつさも見えてくる。

著者は、このような批判や怒りをほぼ毎回にわたって書き続けている「闘うプロデューサー」なのだが、みずからおカネを払って観賞してくれる観客のため、という軸がブレることなく一貫しているからこその感想であるわけなのだ。

「すぐれた舞台を提供することはもとより、入場料を少しでも下げ、観客によりしたしまれるようにつとめ、より多くの人々に劇場に足を運んでもらうこと」(P.334)

これが著者の使命である。そのためには家もクルマも所有せず、有言実行と率先垂範を貫いて走り続けてきたと書く男の後半生の記録である。

文化芸術にかんしてのこの国のいびつさを知る上でも、読んで損はないというよりも、ぜひ読んでほしい本である。


<補足説明>舞台芸術を支える基盤について

オペラやバレエなどの舞台芸術が、その他の音楽ジャンルやスポーツとは根本的に異なるのは、舞台の客席数に制約される面も大きい。数万人の集客が可能なロックコンサートやスポーツイベントは、まさに広告代理店的な興業が可能だが、2,000席前後の舞台ではパトロン抜きでは、もともと成立可能ではなかったのだ。王侯貴族によるパトロンが消えたのちは、国家がそれを代替するよになったというのがフランスを中心とする欧州の状況である。西洋文明の枠組みにありながら後進国であった米国は、国家助成よりも民間による寄付を中心に文化芸術を支える財政問題を解決してきた。近代化とともに西洋文明を受け入れた日本は、音楽学校はつくったものの職業としての音楽家を成立させる制度的な枠組みをつくらなかったことが現在に至るまで尾を引いている。







目 次

*一部を抜粋すると以下のような感じになる

プロデュース手腕三十四年間への酬い
入場料は高い!?
引越し公演とは!?
オペラハウスは誰のもの!?
鉢巻きコンサート!?
ブーイング狩り
怪文書
ベスト5を裏からみれば…
企業の文化活動支援

詳細な目次は、出版元である新書館のサイトを参照
http://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-23111-7/

著者プロフィール  

佐々木忠次(ささき・ただつぐ)
1933年東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒業。1964年に東京バレエ団を創立、主宰。国内はもとより23次689回にわたる海外公演を行い、世界でもその実力が認められるインターナショナルなバレエ団に育て上げた。また、1981年には日本舞台芸術振興会(NBS)を設立。ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座バレエ、ロイヤル・バレエなど、世界の一流オペラ、バレエを次々と招聘し、公演を成功させてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。2016年4月30日没。享年83


PS 『孤独な祝祭-佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人-』(追分日出子、文藝春秋、2016)が刊行


(出版社による作品紹介より)

「諦めるな、逃げるな、媚びるな」──こんな日本人がいた──極東の島国から「本丸」バレエの殿堂、パリ・オペラ座に討ち入り。偏見と嘲笑は一夜にして喝采へと変わった。誰もが不可能と信じていたことを、執念の交渉で次々現実にしてきたタフネゴシエーターは、2016年4月30日、一人ひっそりとこの世を去った。
(・・中略・・)
劇場に生きた男の孤独な闘い。その誰も知ることのなかった舞台裏が、徹底取材により、今、明らかになる。」



(2016年10月26日 記す)



<ブログ内関連記事>

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

【セミナー終了報告】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)





(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end

2012年11月30日金曜日

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

バレエというと、どうしても敷居が高いのか、あるいは女の子のお稽古事という位置づけのためか、なかなか日本では一般的な大人の楽しみとはなっていないようです。

そのように言うわたし自身も、ナマの舞台を観賞したのは5回くらいでバレエのファンではありません。舞台をみた回はコンサートやオペラのほうが多いでしょう。バレエを稽古したことは、いあまでまったくありません。

たまたま知り合ったプロのバレエダンサーでバレエ教師の河合かや野さんとのジョイントセミナーを開催するため、・・・・

いままで買ったまま読んでいなかったバレエ関係の文庫本をこの機会に一気に読んでみました。みなさんにとってのバレエ入門になるかもしれませんので、紹介してみたいと思います。


まずは、『バレエ漬け』(草刈民代、幻冬舎文庫、2010 単行本初版 2006)から。


バレエダンサーというよりも、いまではすかり女優として有名な草刈さんですが、ぞのむかし雑誌のインタビュー記事で「バレエに専念したいので高校中退した」という発言を読んで、「へえ~すごいなあ」と思った記憶があります。

そんな彼女が現役のバレエダンサーで「バレエ漬け」だった頃に書かれた半生記。彼女もまた幻冬舎社長の見城徹氏に口説き落とされたようですが、表現者というものは自らのカラダを使う場合も、文筆による場合も基本的に同じなのだなという印象をもちます。


つぎに、『ユカリューシャ-不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ-』(斎藤友佳理、文春文庫、2010)


バレーダンサーには怪我はつきものですが、舞台での大怪我から奇跡的に復活したのが斎藤友佳理さん。ロシア人のバレエダンサーと結婚し、ロシア風にユカリーシャという愛称をもつバレエダンサーの半生記。

バレエの怪我の治療にかんしては、日本よりもロシア(その当時はまだソ連)のほうがはるかに上であるという点が、つよく印象に残ります。

オリジナルの単行本の副題は「奇跡の復活を果たしたバレリーナ」世界文化社、2002)となってましたが、その後について一章を書き足したものが文庫版となっています。

大怪我を乗り越えて復活し、『オネーギン』を踊るという夢を実現できたことによって「不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ-」となったわけです。わたしは、ロシアの文豪プーシキンの代表作が原作のバレー 『オネーギン』は、ウィーン国立歌劇場で見ましたがすばらしい作品でした。


そして、『闘うバレエ-素顔のスターとカンパニーの物語-』(佐々木忠次、文春文庫、2009 単行本初版2001)


斎藤友佳理さんも所属していた東京バレエ団を率いて、日本のバレエを世界レベルにまで引き上げた功労者であるプロデューサーの佐々木忠次氏の回顧録です。

「日本のディアギレフ」と自他ともに認められている佐々木忠次氏が、若干30歳で東京バレエ団の再建を引き受け、日本の因襲的な状況と闘い続けた記録です。

華やかな舞台の舞台裏では何が行われているのかについて知ることができるだけでなく、あくまでもおカネを払って観賞してくださる観客のためにという確固とした視点から一貫して活動を続けてきたことに敬意を表したくなります。

バレエの熱心なファンでなければ、あまり興味のない場面もなくはないですが、バレエの本場であるフランスやロシアのような国家レベルの取り組みとは異なり、舞台芸術をつうじて敗戦後の日本の文化レベル向上に貢献したのは、じつは佐々木氏のような民間人であったことを知ることは大事なことだと思います。


このほか、バレエの入門書やバレエの歴史について書かれた本はたくさんありますが、ここでは割愛させていただきましょう。最近はインターネットでもいろいろ見ることができます。諸外国のバレエ事情については、『パリ・オペラ座のすべて』や、『バレエ・カンパニー』などが参考になるかもしれません。

むかしはバレエをテーマにした映画やマンガからバレエの道に入ったという人も少なくなかったようなのですが、最近はどうやらそうでもないようです。ほんとうはナマの舞台を見るにしくものはないといっていいでしょう。

とりあえず映像資料以外で簡単に入手できるバレエ関連本を文庫本で3冊紹介いたしました。文字から入ることが好きな人には、いずれもおすすめの内容の本です。







<ブログ内関連記事>

【セミナー終了報告】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

【セミナー告知】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)
・・『パリ・オペラ座のすべて』の試写会に参加したことについて書いてある




(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end