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2026年7月17日金曜日

書評『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか ― 伝統文化の叡智に学ぶビジネスの未来』(高津尚志、日本経済新聞出版、2025)― 日本のハイカルチャーから「気づき」を得る世界のエグゼクティブ候補たち。そのかれらの「気づき」から、さらに日本人が学ぶべきことはなにか


 
「オーバーツーリズム」が度を越して、「インバウンド公害」とまで言いたくなるほど外国人が殺到する現在の日本。 

円安がその大きな理由の一つだが、それだけではない。基本的に、日本のポップカルチャー、とくにアニメやマンガが世界的に浸透しているという現実が根底にある。アニメの舞台になっている日本をこの目で見て、体験したいという動機である。 

「なぜ世界中の人たちが日本に憧れるのか?」こんな問いがなされるようになるとは、10年前、20年前には考えもしなかったことだ。だが、インバウンドの巨大潮流のなか、日本人もその意味にようやく気がつき始めているといっていいかもしれない。 

  
スイスのビジネススクールIMDの、いわゆる「エグゼクティブMBA」で学ぶ外国人経営幹部むけの日本での研修を企画し実行してきた著者が、研修の中身を紙上で再現し、書籍化したものだ。 

アニメやマンガといったポップカルチャーではなく、いわゆる「伝統文化」とされているハイカルチャーを実際に没入体験させ、チームワークを通じて参加者に「気づき」をもたらすことを意図したプログラムである。 




プログラムに登場するのは、禅、生け花、合気道、日本酒の4つである。もしかすると、日本人でも体験したことがないものばかりかもしれない。(・・残念ながら、日本酒もそうなりつつあるようだ。日本酒はポピュラーカルチャーからハイカルチャーに格上げか?)。

この本を読んでみることにしたのは、合気道が取り上げられているからだ。留学中のことだが、わたしは米国で英語で AIKIDO を指導した経験がある。合気道が米国人にどう受け取られているかについては熟知しているつもりだ。

外国人ならずとも、プログラムのそれぞれに「気づき」を得ることができるだろうが、個人単位ではなくチームで取り組んだなら、なおさら得るものは多いだろう。本書を読む日本人(・・おそらく、経営幹部を目指すなど上昇志向をもった「意識高い系」のビジネスパーソン)にとっても、外国人の「気づき」から、さらに自分自身の「気づき」が得られるはずだ。

ただし、禅や生け花、合気道などは、あくまでもハイカルチャーであって、現在の日本人の日常のライフスタイルからかけ離れた「伝統文化」となってしまっている。
(・・ただし、大正時代に成立した合気道が「伝統文化」であるかどうかは、異論もあろう。そもそも柔道であれ剣道であれ、明治時代以降に確立した「近代武道」であり、「伝統文化」であるかどうかは意見が分かれるところだ)。 

とはいうものの、日本人ならどれか一つでもいから、意識的に取り組んでみることに意味あるだろう。みずからの「内なる日本」に目覚めることが必要だからだ。ポップカルチャーに無意識的に体現されているものだけではない、「内なる日本」を意識し、自覚的になることが大事である。 

さらに重要なことは、「日本的価値観」をふくめた「日本文化」がポジティブな価値付けがなされてグローバルに定着しつつある状況と、現実の日本人が無意識的に「常識」としているものに大きなギャップが存在するようになっていることに自覚的になることだ。 

具体的にどういうことかというと、日本ではあまり知られていないようだが、小文字で始まる zen が「リラックスして雑音にわずらわされない精神状態」を意味する英語の形容詞として定着し、現代人のライフスタイルを支える重要な価値観として、日本人以外の人びとのあいだで内在化されるようになってきている。mindfullness と同様、zen もまた禅仏教とはもはや関係のない存在となっている。

これは、wabi-sabi (わびさび)や ikigai(生きがい)も同様で、これらをタイトルにした英語の本はベストセラーとなり、ロングセラー化している。WABI SABI: Japanese Wisdom for a Perfectly Imperfect Life(by  Beth Kempton) や IKIGAI: The Japanese Secret to a Long and Happy Life(by  Hector GARCIA & Fransec Miralles) がそれだ。

茶道に由来して一般化した日本語の ichigo-ichie(一期一会)もまたそうだ。IKIGAI の著者たちによる  The Book of Ichigo Ichie: The Art of Making the Most of Every Moment, the Japanese Way である。

日本的価値観が、現代社会を生きるうえで、きわめて重要だと世界的に受け取られるようになりつつあるのだ、

このような状況のなか、すでにグローバル化されてしまった世界で生きることを余儀なくされている現代日本人に必要なことは、以下のようにまとめることも可能ではないだろうか。

英語圏における zen や wabi-sabi などについて、その日本語本来の意味と現代日本における意味の変容、そして英語化されたコトバとの外形的な共通性だけでなく、両者のあいだに存在する意味のズレを意識し、敏感になること。これがコミュニケーションにおいて必要となる。英語圏以外の言語圏においても、基本的に英語圏の影響を大きくうけるからだ。日本以外のアジアも同様だ。

そのためには、高度なマインドセットと、脳内での複雑な知的操作が必要であろうが・・・


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目 次
プロローグ トップビジネススクールが、いま日本からなにを学ぼうとしているのか? 
第1講  禅に学ぶ自己のマネジメント 不安と対峙し、ゆるぎない自分を確立するには 
第2講 生け花に学ぶチームのマネジメント 真の協力を生み出し、イノベーションを出現させるには 
第3講 合気道に学ぶ自他共栄のマネジメント 競合やパートナーとともに、市場や社会に貢献するには 
第4講 日本酒に学ぶ社会・環境との持続的共生 質を求め、自然と向き合い、場を豊かにするには 
特別講義 日本文化の「きく力」をどう生かすか?(エバレット・ケネディ・ブラウン) 
リフレクション 移行期における「日本」への視線と自己認識のギャップ 
エピローグ 世界の経営幹部を感化する日本 
解説/あとがき/参考文献一覧/講師紹介


著者プロフィール
高津尚志(たかつ・なおし)
IMD北東アジア代表。早稲田大学、INSEAD(MBA)、桑沢デザイン研究所、IMDなどで学ぶ。日本興業銀行、ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。スイスIMDビジネススクールの日本における代表として、主に日本企業のグローバル経営幹部育成の支援に従事する。日本の競争力向上に向けた産官学の対話促進の活動にも取り組み、日本の伝統文化の世界のリーダー教育への活用や日欧間の芸術・文化交流にもかかわる。カナダとフランスに留学したほか、世界数十カ国を訪問する一方、「日本再発見塾」実行委員も務め、日本の地域文化にも親しむ。大学院大学至善館理事。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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PS 講道館柔道と合気道の融合から生まれた「望月流合気道」

合気道が取り上げられているので読んでみたわけだが、合気会に所属しているわたしは、講師が所属する「望月流合気道」というのは知らなかった。講道館の嘉納治五郎が植芝盛平のもとに送り込んだ弟子の系統にあるものだそうだ。なるほど「精力善用」というコンセプトは、講道館ならではだな、と。 


PS2 「いま、ここ」は英語では「here now」。そのズレを意識せよ!

本書の「生け花」の項で「いま、ここ」の重要性が説かれていて(p.108)、そのことにかんしては大いに賛同するものであるが、「いま、ここ」の英語表記が now & here になっていることには違和感を感じる。英語では here now とするのが一般的だからだ。

そのほうが英語の口調として自然であり、『Be Here Now』という1971年に米国で出版された有名なスピリチュアルものの古典もあるくらいだ。 日本語訳のタイトルも『ビ・ヒア・ナウ 心の扉をひらく本』となっている。スティーブ・ジョブズの愛読書でもあった。

もちろん、英語においては、自分がいる場を中心に外側へ拡がっていく「ズームアウト」の発想が基本であり、日本語においては、全体から部分に向かう「ズームインの発想」が基本である。これは姓名の表記や住所表記に端的に表れる。日本語と英語は真逆になる。

「いま、ここ」は、「いま」この瞬間が「ここ」という場になるという発想であり、「随所に主となる」という禅仏教の『臨済録』のフレーズを想起させる。どこにいようが、「いま」が「ここ」になるのである。「いま」という瞬間に、「ここ」という自分がいる場が定まるのである。

「いま、ここ」と「here now」の意味論的なズレについて考察を深める必要があろう。 これは「古き良き日々」と「good old days」にも当てはまることだ。これまた単なる口調の良さだけでんばく、後者の英語的発想においては、「good」(良き)は「old days」(古き日々)の全体を形容しているのである。

日本語の発想と英語の発想の違いに敏感になることが必要だ。そのことがわかっていたうえで、あえて意図的に「now & here」としたのであれば、それはそれで意味があるといっていいのだが・・・


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<ブログ内関連記事>

・・「「西洋人の目」とは、いわゆる「オリエンタリズム」のプリズムをいったん通過した日本であり、龍安寺の石庭や高野山といった、伝統的で、精神的な日本である。「タイ人の目」とは、著者と同世代以下のタイ人がものごころついてからドップリと浸かってきた日本のマンガでありアニメをつうじたものであり、また日本映画をつうじて同世代以下の一般のタイ人には親しい世界である。この両者が作家のなかで同居し、両立することで、あくまでも同時代人とて、等身大の日本をみる視点ができあがっているようなのだ。」  ポップカルチャーをベースにハイカルチャーまで進むことが、日本人にとっても重要であろう

・・明治時代以降に「西欧近代化」した表層の日本と、依然として生き続ける深層の古き日本。深層の日本には二面性がある。そのまま善なるものであるわけではない

・・正座が日本で一般的に普及するようになったのは明治時代以降のこと。室町時代以来の「日本文化」である茶の湯だが、それ以前は限られた人たちのあいだで行われていたに過ぎない

・・「伝統」は「創られる」もの。「伝統文化」を盲目的にありがたく受け取るのではなく、その意味を知的に考察することが重要

・・「動く禅」(moving Zen)は英語圏では AIKIDO愛好家のあいだではよく知られたフレーズ








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2020年1月4日土曜日

「都会のネズミと田舎のネズミ」(The Town Mouse and the Country Mouse)ー「身の丈」の意味について考えるイソップ寓話

(米国の挿絵作家ミロ・ウィンターによるもの Wikipediaより)


「都会のネズミと田舎のネズミ」(The Town Mouse and the Country Mouse)は、イソップ寓話にでてくる話だ。子どもの頃に絵本で読んだ記憶がある人も少なくないだろう。要約すれば、こんな内容だ。

田舎のネズミが都会のネズミから招待されて都会に行くことにする。都会にはご馳走が一杯で食べ放題だ、というのを聞いたからだ。

ところが、のんびりした田舎と違って都会はせわしない。人間が食べるご馳走はたっぷりあるのだが、落ち着いて食べるヒマなどありはしない。身の危険もいっぱいだ。実際、命からがら逃げのびた始末だ。

そして、田舎のネズミは悟る。もうこりごりだ、自分には都会は合わないのだ、と。田舎はご馳走は豊富ではなくても安心して暮らせるからね、と都会のネズミに告げて田舎に戻ることにした。おしまい。


(フランスのギュスターヴ・ドレによる挿絵)


この寓話のキモは、「身の丈」とはなにか、というところにある。

昨年2019年には、ときの文部科学大臣の発言で「身の丈」という日本語が一気に拡がったが、大学の英語入試試験にかんする改革の延期についてのものだったが、大臣はもっぱら経済的な意味において「身の丈」と語ったのであった。言い換えれば、経済的状況に応じて、という意味である。


(英国の挿絵作家アーサー・ラッカムによるもの Wikipediaより)


イソップ寓話では、「身の丈」は経済的状況というよりも、好き嫌い、得意不得意などの価値観を踏まえた人間存在全体にかかわる状態を指しているのだろう。趣味嗜好まで含めて、状況が自分にフィットしているかどうか、よく確認するために「身の丈」という概念が重要になる。

無理して背伸びしても続かないよ、背伸びしなければ成長しないけど、無理しすぎは禁物だ。「身の丈」を知ることは、生活、いや人生の知恵である。


(米国の挿絵作家ミロ・ウィンターによるもの Wikipediaより)


文部科学大臣の発言にあった「身の丈」は、経済的弱者への恫喝と受け取られたのだろう。カネのないヤツはないなりに努力せよ、と聞こえたのだろう。だから、激しいバッシングを招くことになったのだ。

発言内容はもっともなのだが、機会均等に反する内容であることは否定できない。こと教育にかんしては機会均等は絶対に必要だ。機会均等は、結果平等とはまったく異なる。機会均等であってこそ、勉強する努力の差が結果に表れる。これは自業自得であり、ある意味では仕方がないことだ。

イソップ寓話にでてくる田舎のネズミは、「身の丈」を考えて背伸びしないことにした。これはこれで、まっとうな結論であり、処世術である。生まれ育った環境によって「身の丈」は規定される。これも仕方ないことだ。

とはいえ、都会に出てくる田舎のネズミがいてもいいのではないか? そんな感想ももってみたりもする。

いや、すでに日本の都会には田舎のクマネズミが進出して電線など囓る被害が続出している。田舎のネズミのほうが強いのだ。

イソップ寓話は、はたして現代社会に適応可能かどうか、よくよく考えてみる必要がありそうだ。


(ミロ・ウィンターのイソップ寓話絵本 画像をクリック!)



<ブログ内関連記事>

ウサギとカメの寓話-卯年は跳躍の年だが油断大敵

sour grapes  負け惜しみ


・・これもイソップ寓話

「長靴をはいた猫」 は 「ナンバー2」なのだった!-シャルル・ペローの 「大人の童話」 の一つの読み方


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2015年6月9日火曜日

「よもぎ」は雑草か? ― 価値観が反映するものの見方について



よもぎ餅の「よもぎ」。植えたわけでもないのに、そこらへんにいくらでも生えている「よもぎ」。みなさんんも身の回りにも、かならず生えているはずですよ。日本に自生している植物です。

「よもぎ」は食用で薬用の植物でもありますが、有用性を感じない人にとっては、雑草以外のなにものでもないでしょう。きわめて繁殖力の強い、生命力の強い植物です。

雑草とそれ以外の違いって、はたしてあるのでしょうか?? 

「自然界には雑草なんて存在しない、人間が勝手に分類しているだけだ」。かつて昭和天皇がこのような趣旨のことを語られていた、どこかで読んだことがあります。

生物学者で、那須の御用邸周辺の植物についてのご著書もある昭和天皇らしい発言です。考えてみれば、当たり前と言えば当たり前の話ですね。とはいえ、なかなか一般の「常識人」からはでてこない発想です。

歴代の天皇には、つぎのような歌を詠まれた方もおられます。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ

『古今集』に集録された光孝天皇御製です。第58代で9世紀の人。じっさいに若菜を摘まれたのかどうか、レトリックに過ぎないのかもしれませんが、山菜採りの光景を歌に詠まれたものです。百人一首にも選択されています。

栽培現場をしらない現代の消費者は、とかく人間の手が入った栽培植物以外は「雑草」とみなしがちです。山菜もまた、自分で採取するよりも、流通経路を通ったものをおカネを出して買うことが大半でしょう。

有用な食用植物か、たんなる雑草か? おなじ植物であっても、それを見る人によって価値が変わってくる。しかしながら、植物自身は人間の考えなど関係なく存在し、生命をつないでいく。雑草かどうかは、あくまでも人間の価値判断の反映でしかありません。

そんなことを考えてみるのも、たまには必要かもしれません。





<関連サイト>

よもぎ研究所のウェブサイト
・・「よもぎ」にかんする情報が満載


<ブログ内関連記事>

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物


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2015年3月17日火曜日

書評『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)― 福澤諭吉の「脱亜論」から130年、いま東アジア情勢は「先祖返り」している



福澤諭吉の『脱亜論』(1885年=明治18年3月16日)が発表されてから130年になる。東アジアの国際環境が厳しさを増すなか『脱亜論』が甦ってきたというべきだろう。
   
すでに7年前の出版であるが、『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)という本が出版されているので、この機会にあらためて本書を紹介しておきたい。

著者の渡辺利夫氏は、『韓国 ― ヴェンチャー・キャピタリズム』(講談社現代新書、1986)や『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書、1994)などをつうじて、アジア経済にかかわるビジネスパーソンなら少なくとも名前くらいは知っているはずだし、開発経済学でこの人の名を知らなかったらモグリともいうべきパイオニア的存在の人だ。

厳しい言論統制を敷いていたシンガポールや、かつて戒厳令下にあった韓国や台湾などアジア諸国において、急速な経済発展をもたらした「開発独裁」というコンセプトを世に知らしめた功績は強調してもし過ぎることはない。

そんな渡辺利夫氏が拓殖大学学長に就任し、しかもこのような内容の本を書かれるとは思いもしなかったというのが、2008年に本書が出版されたときの感想である。

だがよくよく考えてみれば、拓殖大学は台湾統治を成功させた後藤新平以来の伝統をもつ大学だし、渡辺氏自身も福澤諭吉が設立した慶應義塾の出身であり、東南アジアも東アジアも経済を軸に熟知しているからこそ、『新 脱亜論』なるタイトルの本を発表するに至ったのだと深く納得した次第である。つよい危機感が背景にあるのだ。

たんに経済についてのみ語っていては済まない時代にわれわれは生きているのである。政治と経済は不可分の関係にある。「政治経済学」として捉えなくてはならないのだ。

内容は、福澤諭吉の時代からの日本近現代史を、著者なりに振り返って「再編集」したもの。書かれている歴史的事実そのものはべつに目新しいものではないが、『新 脱亜論』というタイトルによって「再編集」された、著者の一貫した史観にもとづく歴史叙述こそ読むべき内容となっているのである。

まずは目次をご覧になっていただきたい。日本は中国やロシアのような「大陸国家」ではなく、島国の「海洋国家」であるという地政学の認識が最重要であることが強調されている。そしてこれは、明治の先人たちのリアリズムに基づいた認識でもあったのだ。
      

第1章 先祖返りする極東アジア地政学
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か
おわりに 


著者の思いは以下の一文に集約されている。

    
近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに観察して行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。


日本の地政学上のポジションは「海洋国家」。中国のような「大陸国家」でも韓国・朝鮮のような「半島国家」でもない。「海洋国家」としていかに厳しい国際環境のなかを生き抜いていくか。そのために学ぶべき先人たちのリアリズムに立脚した認識と意志決定を若者向けに描き下ろした内容である。
    
なぜ、福澤諭吉は『脱亜論』を書かなければならなかったのかについては、この本のとくに「第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉」を読むと手に取るように理解できると思う。韓国併合による韓国近代化についての著者の筆致は、開発経済学者らしく冷静である。

厳しい国際情勢のなかでの「近代日本」の成功と手痛い失敗について本当のことを知りたい若者だけでなく、若者ではなくてもぜひ一読して、若者たちに薦めていただきたい本である。  


(画像をクリック!)



目 次 (詳細)

第1章 先祖返りする極東アジア地政学 
ポストモダニズムの落とし穴
 「先祖返り」する極東地政学
 生存リアリズムの欠如-北朝鮮
 反米、反日、親北の制度化-韓国
 「侮日政策」の在処(ありか)-中国
 「ペトロステート」-ロシア
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
 激怒する福澤諭吉
 華夷秩序への挑戦、日本の自衛
 尊皇攘夷と衛正斥邪
 清韓宗属関係の破壊を狙う陸奥
 天津条約-「李鴻章対日政策の一大錯誤」
 陸奥、開戦への決意
 帝国主義にめざめた清国の「東征論」
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉 
 「独立自尊」
 外国人からみた李氏朝鮮
 清韓宗属関係とは何か
 金玉均の登場
 朝鮮の独立自尊、福澤の政治的課題
 金玉均、福澤との邂逅
 壬午事変
 借款交渉進展せず
 国王高宗と金玉均
 甲申事変
 李朝近代化のラストチャンス
 日本滞在十年
 金玉均暗殺
 高まる反清感情
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望 
 ロシアに傾斜する朝鮮
 東学党の乱
 機先を制する日本
 日清戦争勝利
 三国干渉
 「他策なかりしを信ぜんと欲す」
 内閣弾劾上奏案
 閔妃暗殺
 ウィッテと李鴻章
 露清密約
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味 
 ロシアの対清圧力
 小村、露清協約の廃棄への努力
 義和団事変と日本
 在清公使館付武官 柴五郎
 第一次小村意見書
 日英同盟成立
 ロシア、満洲から撤兵せず
 第二次小村意見書
 小村の開戦外交
 開戦へ
 戦費調達
 ポーツマスへの道
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか 
 ポーツマス条約と韓国「自由処分」
 韓国の「保護国化」
 ハーグ密使事件
 韓国併合へ
 反日義兵闘争
 併合に対する韓国内の支持
 韓国併合と発展基盤の形成
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの 
 化外の地、化外の民
 牡丹社事件と台湾出兵
 洋務派官僚による台湾開発
 日清戦争と台湾割譲
 後藤新平
 米糖経済
 教育制度の拡充
 日本統治の終焉
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本 
 交流から凋落へ
 「黄禍」日本
 日本人移民排斥運動、ハリマンの満鉄買収計画
 ノックス満鉄中立化提議
 第一次世界大戦根の参戦
 対支二十一ヵ条は愚策だったか
 五・四運動と対中国世論強化
 ワシントン体制と日本の孤立化
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発  
 四分五裂
 シベリア出兵に意義はなかったか
 なおつづく四分五裂
 「対支政策綱領」
 済南事件
 満洲事変へ
 満洲国建国から国際連盟脱退へ
 通州事件
 南京事件
 暴支膺懲
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択 
 中国茫々
 佐藤鉄太郎の海洋国家思想
 日英同盟廃棄の慚愧
 「文明の生態史観」とアジア経済学
 文明の生態史観と現代
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ 
 東アジア経済統合の時代
 共同体とは何か
 東アジア共同体は可能か
 中国の地域覇権主義をどうみるか
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か 
 集団自衛権-保有するが行使できない?
 個別的自衛権-これこそが問題である
 触らぬ神に祟りなし-非核三原則
おわりに 


著者プロフィール
渡辺利夫(わたなべ・としお)

拓殖大学学長。1939年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て現職。おもな著書に『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)『開発経済学の時代』(大平正芳記念賞)『神経症の時代』(開高健賞・正賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




 <関連サイト>

中国、外国教材の実態調査に着手-「西洋的価値観」排除へ(ウォールストリートジャーナル日本版、2015年3月17日)
・・おろかな対応をとる中国共産党

新・脱亜論 「内なる中国」と闘え(平野聡・東京大学大学院教授、文藝春秋 SPECIAL 2015秋、2015年09月09)
・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡) 

(2015年9月9日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

■「海洋国家・日本」は大陸国家でも半島国家でもない

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)には以下の記述がある。
「アジア太平洋問題に関する首相の私的懇談会が設置され、私も委員の一人に指名された。第一回の懇談会のゲストスピーカーとして梅棹忠夫氏が出席した。「日本が大陸アジアと付き合ってろくなことはない、というのが私の今日の話の結論です」と話を切り出して、委員全員が呆気に取られるというシチュエーションを私は鮮明に記憶している」(P.272)
「ユーラシア問題に深入りするな!」というのは、海洋国家日本にとって国是とすべきなのである。これが、日本近代史から引き出すべき最大の教訓の一つである。

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ


書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている


■戦後日本を支配してきた悪しき思想風潮

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか


■東アジアの国際情勢

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論 

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


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