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2021年9月18日土曜日

書評『妖怪少年の日々-アラマタ自伝』(荒俣宏、角川書店、2021)-「知の怪人」の人生の軌跡もまた圧倒的なボリューム感


 
仕事の関係の本ばかり読むことを余儀なくされていると欲求不満がたまってくる。必要だから読むのだが、かならずしも「楽しみのための読書」ではないからだ。 

大きな仕事から解放されたので、読みたかった本をやっと読むことができるようになった。 『妖怪少年の日々-アラマタ自伝』(荒俣宏、角川書店、2021)

ことしの1月の新刊本。二段組みで467ページのボリュームだが、あっという間に(・・といっても物理的制約から一気読みはできないが)読んでしまった。 

といっても、興味のない人には、まったく面白くともなんともないだろう。1980年代から荒俣氏の作品(著作や図鑑・・)に触れてきたわたしにとっては、ぜひ読みたい1冊だった。TVの怪奇番組などのコメンテーターとして出演していたので、知っている人も少なくないと思うのだが。 

帯には、「知の巨人・荒俣宏はいかにして形づくられたか? 人生の軌跡を網羅した初の自伝」とある。 たしかに荒俣宏氏は巨体なので「知の巨人」という表現は間違ってないが、「知の怪人」といったほうがピッタリくるのではないかな。博覧強記の作家で博物学者の荒俣宏氏は、現代の南方熊楠というべき怪人だ。 

ことし74歳になるアラマタ氏も「自伝」を書くような年齢になったのか、という感慨がある。これもまた「終活」の一つなのだろう。寂しいといえば、寂しい話ではあるが。 

狂気にまで近い収集癖と蔵書量と、そこから生み出される膨大な作品で読者を圧倒してきた人だが、そんなアラマタ氏も蔵書はほぼすべて整理して、人生最後のプロジェクトである「妖怪と生命のミュージアム」(所沢市)に集中しているそうだ。 

「自伝」と銘打たれているが、人生の軌跡を語りながらも、脱線につぐ脱線で、それじたいが面白い。とはいえ、長年の読者としては知りたいことが大幅に漏れているという感想もなくはない。これとは別にインタビュー形式での「自伝」も必要だろう。 




帯のウラには、「数多くの「師匠」たちとの出会いから、知の巨人の脳内を紐解く」とある。そこにあげられているのは、平井呈一、紀田順一郎、平田弘史、石ノ森章太郎、エドガー・アラン・ポー、渋澤龍彦、そして水木しげるーー。」 

「妖怪」つながりの水木しげるとの関係は比較的知られているかもしれないが、著者にとってもっとも重要な師匠は平井呈一氏であり、紀田順一郎氏であることが、この自伝のはしばしから浮かび上がってくる。10代の少年時代から多大な影響を受けてきた人たちだからだ。 

平井呈一はラフカディオ・ハーン全集の個人訳を完成した人で、英語の怪奇小説・幻想小説翻訳の第一人者で日本語の達人。荒俣氏が中学生のときに弟子入りし、その縁で紀田順一郎氏を紹介されている。 

紀田順一郎氏は、1980年代から「知的生産」の実践家で多くの仕事をした人だが、荒俣宏氏にとっては兄弟子にあたるような人だ。60年近い交友の記録は読んでいて気持ちいい。 

紀田順一郎氏も名だたる蔵書家であったが、現役を退き「終活」のため泣く泣く蔵書を手放している。その経緯は『蔵書一代-なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社、2017)に書かれている。

わたしは高校時代から紀田順一郎氏の本を読んできたが、おそらく最後の本であろうこの本は、何度も繰り返し読んでしまう哀切きわまる文章が冒頭に収められている。 

そんな紀田順一郎氏について、荒俣氏はこう語っている。出会って最初の頃の回想だ。 

紀田先生を知って、もっとも刺激を受けたのは、その幅広い関心分野だった。紀田先生の口癖は、「読書するなら古典と同時に尖端・前衛をあわせて読みなさい。どっちが欠けてもダメですね」であった(P.236)。 

まさに至言というべきだろう。

紀田、荒俣の両巨人には及ぶべくもないが、わたしもこの方針で本を読んできた。若き日の荒俣氏は、紀田氏のすすめで『利根川図誌』や『北越雪譜』を読むことになったそうだが、平田篤胤だけではないのである。紀田氏とは関係なく高校時代からこれらの本に親しんできたわたしも、おおいに共感を感じるのである。 

内容が盛りだくさんの本で、面白いのでどんどん先を読みたくなってくる。だから、大きなプロジェクトを抱えているときは、手出しはしないほうがいい。そんな本であった。 


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2021年3月12日金曜日

書評『本で床は抜けるのか』(西牟田靖、中公文庫、2018)ー 本で床は抜ける、のだ!

 
『本で床は抜けるのか』(西牟田靖、中公文庫、2018)を読むと、実際に「本で床は抜ける」ことが実際にあったようだ。この本にその実例が紹介されている。  

2011年の「3・11」の東日本大震災で「本で床は抜ける」かもしれないと危惧を抱いたノンフィクション作家は、そのテーマで取材を開始することになる。企画が通って連載が決まったからだ。 

あまり巧い作家だとは思わないが、テーマには興味があるので最後まで読んでみた。蔵書に埋もれて亡くなった評論家の草森紳一氏の蔵書の行方も取材されている。私設図書館を創ってしまった人たちの話もでてくる。大震災後に書庫を建ててしまった大学教授の話もでてくる。 

探検家でノンフィクション作家の角幡唯介氏は、この文庫版の解説でこう書いている。「本で床が抜けるのかを検証するためにはじめた取材は、最終的に床どころか、彼の人生の底が抜けてしまって終焉を迎えたのである」。じつに切ない話ではないか。 

著者ほどではないが、本が多すぎて似たような切ない(?)体験をもつ自分も、同病相憐れむというか、いまだことばにしにくい感情を抱いたまま現在に至っている。 

本は増殖する。知らないうちに増殖している。1冊1冊はたいしたことなくても、気がついたときには増殖しているのが蔵書。蔵書をを整理するのは思った以上に大変だ。本を買う際に、維持コストについて考えないことがその原因だ。 

「3・11」から10年になった。震災対策という観点から、蔵書整理の必要をひしひしと感じている。2011年3月11日に大規模に本が崩れて以来、本格的な整理を行っていない。やらなくちゃ、ね。 






著者プロフィール
西牟田靖(にしむた・やすし)
1970年、大阪府生まれ。ノンフィクション作家。アジア・太平洋諸島の元日本領土、北方領土や竹島といった国境の島々をテーマにした作品で知られる。著書に『〈日本國〉から来た日本人』『ニッポンの国境』『ニッポンの穴紀行』『わが子に会えない』など。


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2021年3月10日水曜日

書評『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(紀田順一郎、松籟社、2017)― まさに「蔵書一代」を体現した著者の人生の完結編


 
高校時代、たまたま入手した『現代人の読書-本のある生活』(三一新書、1964)という本を繰り返し、繰り返し読んでいた。その内容は現在でも隅々まで記憶に残っている。 

評論家で読書法や本の整理法など、多方面にわたって多くの著作を出してきた紀田順一郎氏の29歳のときものだ。その老成した内容に、迂闊なことながら高校時代の自分は、まさか29歳の人間が書いた本だとは思いもしなかった。 

その『現代人の読書』に出てきた「蔵書一代」というフレーズが自分のなかに刻み込まれていたこともあり、ふと思い出して最近のことだがネット検索してみたら、その紀田順一郎氏が『蔵書一代-なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社、2017)という本を出していることを知った。著者82歳の著作である。  

ブログの紹介記事などを読んで、すぐにでもこの本を読みたくなったので、さっそく amazon で取り寄せてみた。 

本の帯には、「やむを得ない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ・・」とある。

帯の背とカバーの裏には、「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」と記されている。なかなか含蓄深い。 




冒頭に置かれた「序章<永訣の朝>」が、まさに「自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分」を描いた小編だ。

諦念のにじみでた読ませる文章は、切ないというか、痛恨の思いというか、ことばで表現するのは難しい。一部だけ抜粋して引用しておこう。

いよいよその日がきた。ーーー半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である。 
(・・中略・・) 
本を見送る気はなかったが、つい十二段ほどの外階段を降り、トラックに乗り込む店主に挨拶した。
いまにも降りそうな空のもと、古い分譲地の一本道をトラックが遠ざかっていく。私は、傍らに立っていた妻が、胸元で小さく手を振っているのに気がついた。
その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に倒れ込んでいた。(・・後略・・)


蔵書家あるいは愛書家、そうでなくてもなんらかのコレクターなら、ぜひ全文を読んでほしい。引用した文章に続く文章がまた、ボディーブローのように効いてくるのだ。「蔵書一代」という「悟り」に至るプロセスが記された、忘れがたい小編となっている。




この本を読んでいて『随筆 本が崩れる』の著者で、文字通り本の山に埋もれて死んだ評論家の草森紳一氏が、著者の大学時代のサークルの後輩であることを知った。なるほど、そうだったのか、と。  

整理など無縁であった草森紳一氏の蔵書3万冊超はすべて保管され、生まれ故郷の北海道の地にある短大に移管された。実家には3万冊超収納の書庫がすでに別個に設置されていたそうだ。だから合計7万冊近い蔵書が散逸を免れた。  

システマティックに整理された紀田順一郎氏の蔵書3万冊超は、上記のとおり、手元に残した600冊以外はすべて古本屋に処分され、散逸した。 

紀田氏は後輩の草森氏の蔵書の行方については語っていないが、いろいろ思うところはあろう。そしてまた、私自身もいろいろ思うところがある。


紀田順一郎氏の著作活動は、ほぼ処女作といっていい『現代人の読書』から始まり、最後の著作となるであろう『蔵書一代』でもって「円環として完結」したことになる(・・本書に掲載された「著者年譜」を参照)。それは「蔵書一代」を体現したような人生の表現でもあった。

さて、私の「蔵書」といえば、紀田氏のいう「蔵書」ではなく、稀覯書があるわけでもなく、ただ単に「マイ・コレクション」としての雑書の山に過ぎないというべきであろう。もちろん愛着はあるが「蔵書一代」はもとより覚悟している。

「わが亡きあとは売りてよね(米)買え」と蔵書印に彫ったのは江戸時代の蔵書家であった。このことも含めて、人生の早いうちから、その「覚悟」を著作をつうじて教え諭して頂いた先達としての紀田順一郎氏には、心の底から感謝していると、この場を借りてお伝えしたい。


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目 次
序章  〈永訣の朝〉 
第Ⅰ章  文化的変容と個人蔵書の受難 
第Ⅱ章  日本人の蔵書志向 
第Ⅲ章  蔵書を守った人々 
第Ⅳ章  蔵書維持の困難性 
参考文献 
あとがき 
著者年譜


著者プロフィール
紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう)
評論家・作家。1935年横浜市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業。書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がける。主な著書に『紀田順一郎著作集』全八巻(三一書房)、『日記の虚実』(筑摩書房)、『東京の下層社会』(同)、『生涯を賭けた一冊』(新潮社)、『知の職人たち』(同)、『古本屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)、『日本語大博物館』シリーズ(ジャストシステム)、『昭和シネマ館』(小学館)、『横浜少年物語』(文藝春秋)、『幻島はるかなり』(松籟社)など。『幻想と怪奇の時代』(松籟社)により、2008年度日本推理作家協会賞および神奈川文化賞(文学)を受賞。訳書に『M・R・ジェイムズ怪談全集』(東京創元社)など。荒俣宏とともに雑誌「幻想と怪奇」(三崎書房/歳月社)を創刊したほか、叢書「世界幻想文学大系」(国書刊行会)を編纂。(出版社サイトより)



PS 紀田順一郎氏が死去、享年90歳

紀田順一郎氏が亡くなったそうだ。「評論家の紀田順一郎さん死去、90歳」(読売新聞 2025年9月4日)から引用しておこう。

書物論、情報論、近代史など多彩なテーマで活躍した評論家の紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう、本名・佐藤俊=さとう・たかし)さんが2025年7月15日、致死性不整脈のため死去した。90歳だった。告別式は既に済ませた。
 
横浜市生まれ。商社勤務の後、28歳で文筆家の道に入り、「日記の虚実」「東京の下層社会」「日本語大博物館」「私の神保町」など多くの著書を発表。1975年からは「世界幻想文学大系」45巻を弟子の荒俣宏さんと10年がかりで編集した。
 
古書集めをライフワークに博覧強記の本の虫として知られ、本とデジタル技術の可能性にも早くから着目。「第三閲覧室」など古書ミステリー小説も発表した。2008年、「幻想と怪奇の時代」で日本推理作家協会賞(評論部門)。2006年から2012年まで、神奈川近代文学館長を務めた。

 

書籍をつうじて、いろいろお世話になりました。「蔵書一代」を貫かれた人生。ご冥福をお祈りします。合掌  (2025年9月6日 記す)




<関連サイト>






研究者の死後、蔵書はどう処分されるのか(保坂修司、Newsweek日本版、2019年7月10日)

(2022年8月3日 情報追加)


<ブログ内関連記事>








・・『日本語大博物館-悪魔の文字と闘った人々』(紀田順一郎、ジャストシステム、1994)を取り上げている


(2021年7月23日、2024年2月11日 情報追加)


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2014年9月7日日曜日

「武相荘」(ぶあいそう)にはじめていってきた(2014年9月6日)ー 東京にいまでも残る茅葺き屋根の古民家



「旧白州邸 武相荘」(ぶあいそう)にはじめていってきた。ちょうど「武相荘-秋 2014年9月3日(水)~11月30日(日)」がはじまったばかりである。まだ夏の余韻を残している土曜日のお昼前であった。

「武相荘」(ぶあいそう)は、東京都町田市にある白洲次郎・正子夫妻の旧宅である。茅葺き屋根の農家を改造した古民家である。多摩丘陵の自然のなかにある、落ち着いた静かな佇まいの「隠れ里」のような存在だ。

『鶴川日記』(白洲正子、PHP文芸文庫、2012)によれば、農家の老夫婦から買い取った時点で、すでに築百年以上であったという。第二次世界大戦がはじまる直前のことだったので、現在ではすでにそれから75年近くたっている。現時点で200年近い古民家なのである。

「武相荘」のことをはじめて知ったのは、もうずいぶん前のことだ。白洲正子の著作、おそらく『自伝』で読んだのがはじめてだったと思う。文庫化される前のことである。現在では白洲次郎も有名人となったが、人気が先行したのは白洲正子のほうである。


(武相荘を玄関口から奥に向かって見る 筆者撮影)

「武相荘」とネーミングされた古民家に移り住んだのは、ともに外国暮らしが長く英語に堪能であったがゆえに、純和風のライフスタイルを選択したということもあろう。日本が戦争に負けるのは必至なので、食糧確保と空襲を避けるために都心を出ることを考えていた白洲次郎と、田舎暮らしに憧れを抱いていた白洲正子の意志が一致したのであろう。

『白洲正子自伝』には、白洲次郎は英国風の「カントリー・ジェントルマン」として田舎に隠棲し、時の政局に対してときおりグランブル(grumble)するが、「いざ鎌倉」となったときにはいつでも動ける体勢にしておくことが重要だといっていたといようなことが書かれていたと記憶している。grumble という英語はそこではじめて知ったが、ブツブツいうという意味らしい。

白洲正子ブームがあってはじめて白洲次郎ブームも生まれたわけだが、白洲次郎の「復権」によって、さらに「武相荘」の名前を知る人は多くなったのではないかと思う。

「武相荘」の「武」は武州(ぶしゅう)の「武」、「相」は相模(さがみ)の「相」からとったというのは公式説明だが、その読み方である「ぶあいそう」は「無愛想」ということではなかろうか。どうも白洲次郎のダジャレであると思うのだが・・・。

(武相荘の全景 右端が玄関口 筆者撮影)


武相荘(ぶあいそう)は駅から歩いて向かうべし

ウェブサイトの案内には、アクセスは徒歩なら、小田急線の鶴川駅から歩いて15分とある。15分くらいなら歩くべきだろう。

だが、じっさいに歩いてみると、けっこう上り下りがあるので20分くらいは見ておいたほうがいいかもしれない。鶴川村は多摩丘陵にあり、武相荘(ぶあいそう)は縄文人が好んだという高台にある。

武相荘(ぶあいそう)を訪れたのは今回が初めてだが、さすがに対応は「無愛想」なんてことはない。ただし邸内は「飲食厳禁」となっているのは残念。なんだか白洲次郎の「葬式無用・戒名無用」という遺言を思い出してしまう。

屋敷のなかには靴を脱いであがる。残念ながら、内部は撮影不可である。

随所に白洲正子好みの骨董をインテリアとして飾っており、家具や調度品とじつに調和がとれていて、渋くていい味を出している。白洲正子の「美」に対する思いが伝わってくる。骨董の価値そのものは門外漢のわたしにはよくわからないが、骨董趣味などもったら身の破滅だろう。

柳宗悦(やなぎ・むねよし)の日本民藝館とは印象が異なるのは、武相荘(ぶあいそう)が白洲夫妻の「終の棲家」として60年以上も住居として使われていたためだろう。そこに住んで暮らしていた人たちの息吹を感じることができるのである。

(武相荘の図面 パンフレットより)

さらに単なる古民家と違うのは、基本的に和室であり木のぬくもりが心地よいが、土間は白のタイル張りで絨毯が敷かれソファが置かれている。そこだけが居間兼応接間として、いわゆる「モダン」な空間になっているのだが、周囲の部屋と違和感がまったくないまでに溶け込んでいる。やはり趣味の良さが醸し出されているのだ。

骨董もさておき、なんといっても白洲正子の書斎は一見に値する「ああ、こういう本は白洲正子の蔵書にあって当然だな」という本ばかりなのだ。個人で蔵書をもつことは文筆家にとっては必須であったわけだが、数々の著作が実体験と民俗学をはじめとする蔵書から生まれたものだなとすぐにわかるのである。写真撮影できないのがじつに残念だ。

(白洲次郎の「愛車」の一つが「マークⅡ」 筆者撮影)

屋敷の外には、白洲次郎の愛車であったアメリカ車の PAIGE(ペイジ) だけでなく、耕耘機の MARKⅡもそのままの状態で置かれているので必見!

(白洲次郎の工作室 筆者撮影)

わたしが訪れたのは土曜日のお昼前。幸いなことに天気に恵まれたが、なぜか訪れている人も少なく、落ち着いた時間を楽しむことができたのは幸いだった。機会があれば四季折々に訪れたい「大人の隠れ場所」のような武相荘(ぶあいそう)である。

ぜひ一度は足を運びたい、おすすめの場所である






<関連サイト>

武相荘 公式サイト
・・現地にいくことができなくても、ウェブサイトでバーチャルツアーは可能

東京郊外の田舎暮らしを楽しんだ次郎と正子のカントリーハウス (日経ビジネスオンライン、2015年6月23日)
・・「武相荘」室内の写真も掲載されている

(2015年6月24日 情報追加)


<アクセス>

小田急線鶴川駅下車15分(東京都町田市能ケ谷)
http://www.buaiso.com/access_guide/access.html
10時~17時 入園料: 1,050円(夏季と冬季に休園期間あり)


<参考>

『鶴川日記』(白洲正子、PHP文芸文庫、2012)の第一部は「鶴川日記」。「鶴川の家」「農村の生活」「村の訪問客」「鶴川の周辺」の4篇が収録されている。



<ブログ内関連記事>

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・大東亜戦争に勝ち目はないとして、さっさと引退して関東郊外に土地を購入し、「武相荘」(=無愛想)なる和風の屋敷をつくって引きこもり、農作業に専念した男である。

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・「駒場の日本民藝館もまた、二階建てのつくりで古い日本家屋である。現在ではかえってぜいたくなライフスタイルとなっているかもしれないが、かつての日本人のフツーの生活を想像するにはふさわしい空間である」

書評 『惜櫟荘だより』(佐伯泰英、岩波書店、2012)-現在と過去、熱海とスペインと、時空を飛び交い思い起こされる回想の数々
・・岩波書店の創業者・岩波茂雄の熱海の別荘「惜櫟荘」(せきらくそう)を修復して移り住んだ著者の随想録

「今和次郎 採集講義展」(パナソニック電工 汐留ミュージアム)にいってきた-「路上観察」の原型としての「考現学」誕生プロセスを知る
・・「考現学」の発想の前は、古民家の調査を行っていた今和次郎には『日本の民家』(今和次郎、岩波文庫、1989)という著書もある

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙
・・幻影城(げんえいじょう)という「ネーミング

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
・・都内の麻布町(・・現在の港区六本木一丁目)にたてた洋館を、偏屈で奇人が住む館(やかた)という意味で「偏奇館」(へんきかん)と名付けるネーミング感覚は、白洲次郎が疎開先の日本屋敷を「武相荘」(=無愛想)と名付けたセンスに共通するものがある。

「ポルシェのトラクター」 を見たことがありますか?
・・白洲次郎の「愛車」の耕耘機はMARKⅡでポルシェではなかった


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