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2021年3月20日土曜日

書評『統一教会と私 ― 挫折、幻滅、そして希望。』(仲正昌樹、論創社、2020)― 同世代の人物の「自分史」が興味深い

 

『統一教会と私-挫折、幻滅、そして希望。』(仲正昌樹、論創社、2020)を読んだ。ドイツ思想を中心にした思想史研究者の自分史ともいうべき回想録。昨年12月にでた新刊だ。  

18歳の大学入学とほぼ同時に統一教会に入会し、20歳台に11年半に及ぶ入信生活を送ったのち脱会して研究者の道に進む。その間の体験と苦労、その後の人生にもつきまとう偏見と差別につい冷静に分析した記録

ただし、自分ですべてを書き下ろしたのではないという。担当編集者に著者の専門を踏まえた質問をしてもらい、その問いに答える形で語ったものを編集して再構成してもらったものだ。 

自分で自分を語るとどうしても主観的な性格が強くなりすぎるので、自己弁護や自己韜晦、あるいは逆に自己否定になるのを防ぐためにそうしたようだが、他者の視点が入っていることはポジティブに働いているといっていいだろう。 

とはいえ、担当編集者が引き出した著者の「自分史」は、「中の人」であった著者ならではのリアルな描写が読ませるのだ。


■なぜ私はこの本を読んだのか-異質なキャンパスライフを送った同世代への関心

この本を読んだ理由はいくつかある。まず、新興宗教の体験手記はさまざまあるが、統一教会の信者だった人の記録があまりないこと。先日のことだが、著者による思想家としてのドラッカーについて書いた本を興味深く読んだことがある。

しかも、1963年2月生まれの著者と私とは同学年(*私は1962年12月生まれ)であることも大きい。著者の「自分史」を読むことは、私にとっては「同時代体験」を一部でも追体験することになるからだ。 

著者の仲正氏は広島県呉市出身で、1981年に地元の県立高校から現役で東大理科一類に合格後、しばらくしてキャンパスで「原理研」に勧誘されて、そのまま統一教会の入信生活に入っている。 

いまはもまったくそんな状況ではないだろうが、1981年当時、キャンパスでは「原理研」の存在は大きかった。ましてや「原理」といえば、「統一教会」という恐ろしい新興宗教で、悪の代名詞のように語られていたものだった。霊感商法や、桜田淳子で有名になった集団結婚がメディアをつうじて一般化する前でも、すでにそうだったのだ。 

私が入学した一橋大学の前期課程は、東京都小平市にある小平キャンパスであったが、そのすぐ近くにも原理研の学生が共同生活を行う「ホーム」があった。 

というのは、私の知り合いにも原理研に入ったいた者がいて、なんとか脱会させようと説得したこともあったから、そのからみで知っていたのだ。(*だが、この本を読んでから、それはまったく無意味なことであるだけでなく、本人にとってはまったくもって余計なお世話だったのだな、と感じるようになった)。 

地方出身の著者は、東大の駒場寮が「左翼の巣窟」であることを知らずに入寮してしまい、そこから脱出するために、原理研の誘いに応じてついていってしまったようだ。著者の場合は大学には合格したものの、優秀な同級生の存在に自信を喪失し、自分の居場所を求めていたことが動機だったようだ。 日本の最高峰である東大の場合、よくある話なのだろう。

私も前期課程の2年間は寮生活を体験しているが、幸いなことに一橋の場合は、東大とは違って、キャンパスも学生寮も、左翼や新左翼に牛耳られてはいなかった。早稲田や法政のような(京大もそうだったようだ)立て看だらけのキャンパスでもなかった。 

当時は「五月病」というものがよくいわれており、受験を終えて大学に入学して開放感を味わったものの、方向性を見失って無気力に陥ってしまう学生が少なくなかった。 

たしかに、こういう状態に陥ってしまうと、なかなかそんな無気力状態から抜けられなくなるものだ。だから、多くの学生は「居場所」を求めて、なんらかの部活やサークルなどに所属するようになる。あるいは弁護士や会計士などの資格試験を目指して勉強会に入り、禁欲的な生活を送る者もいる。いずれにせよ「居場所」を見つけることで精神的な「安心感」を得ることになる。

東大生の著者の場合は、原理研に入って「居場所」を見つけたようであり、それはそれで良かったのではないかという印象を受けた。

著者自身も、自分自身の体験をことさら否定したりはしない。過去は過去として変えようがないだけでなく、その組織のなかで本人なりの自己成長を遂げているからである。ただし、最終的に脱会しており、その後は無縁となっている。 

私の場合は、そもそもが文化系サークル嫌いでカネもないので、学生寮に住みながら体育会合気道部に入部し、ほとんど寮と道場の往復で過ごしていた。キャンパス内からまったく出ない日がほとんどであった。朝昼晩の三食はすべて寮で食べていた。寮は当時は4人部屋であった。 

一橋大学の場合は、「クラチャン」(*クラスチャンピオンシップの略)というボートレースがあって新入生が全員参加することになっている。これを機会に体育会に入部する学生が少なくない。財界がうるさく言う前は、クラブ活動が学生生活の中核にあった。

同時期に大学に入学しても、じつに「特異な大学生活」を送っていた者がいたことを知るのは興味深い世の中の出来事は共通していても、誰にとっても自分の身の回りの生活は大きく異なるのである。


■「世代論」には意味がある

それでも、著者と私は、同時代、同世代の人間なのだなと感じるものがある「世代論」には意味があるわけだ。

思想や宗教、そして「1980年代という時代」について考えてみたい人には、興味深い内容の本になっている。1980年代後半はいわゆる「バブル時代」であったが、そんな時代にあっても、著者のような生き方をしていた人もいたわけなのだ。とはいえ、冷戦構造の崩壊が著者自身の人生にも転換を迫ることになった。 

文章も平易でわかりやすい。著者に対しては好き嫌いがあるだろうが、そんな人もいるのだと思って読めばよいのではないだろうか。万人向けの本でないが、関心のある人には一読を薦めたいと思う。
 

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目 次
序章 消せない記憶 
第1章 広島県呉市 
第2章 統一教会との出会い
第3章 原理研究会と左翼
第4章 信仰の日々
第5章 疑念のはじまり
第6章 脱会
第7章 宗教を考える
終章 体験としての統一教会
あとがき


著者プロフィール
仲正昌樹(なかまさ・まさき)
1963年広島生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は、『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。著書に『集中講義! 日本の現代思想』、『集中講義! アメリカ現代思想』(以上、NHKブックス)、『今こそアーレントを読み直す』、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』(以上、講談社現代新書)、『〈戦後思想〉入門講義』、『マルクス入門講義』(以上、作品社)ほか多数。


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2018年8月9日木曜日

23年間「積ん読状態」だった藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』(現代教養文庫、1995)を読んで自問自答する「日本人にとっての満蒙とは何か?」という問い


「満蒙」とは満洲と内蒙古を合わせた表現のことだ。日本から近い順に朝鮮半島があり、満洲、そしてさらにその奥地が内蒙古。 

先日のことだが、内蒙古(=南モンゴル)出身の楊海英氏による『チベットに舞う日本刀-モンゴル騎兵の現代史-』 と『日本陸軍とモンゴル-興安軍官学校の知られざる戦い-』 を読んでいた際に、ところどころで言及されていたのが、本書すなわち藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』という本だった。 

藤原作弥氏は、金融ジャーナリストで、その後、日銀副総裁に抜擢された人だが、そういえば、この本は買ってもっていたなと思い出して、探してみたら出てきた。 本棚ではなく箱のなかから出てきた。

1995年の新刊の現代教養文庫で、書店で購入したようだ。昔から満洲には大きな関心があるので購入したのは間違いない。まだ読んでいなかったので、これを機会に読んでみることにしたが、購入してからなんと23年目にして初めて読んだことになる。それにしても超長期の積ん読だったことになる。 

内容は、父親の仕事でつれられて少年時代を過ごした内蒙古の大草原の思い出と、その翌年の日本の敗戦によって命からがら脱出し、日本に帰国できるまで1年半にわたって難民として滞在を余儀なくされた満洲の安東(現在の丹東)の体験記。後者は鴨緑江をはさんで現在の北朝鮮の対岸にある地方都市だ。分量的には圧倒的に後者が多い。 

そして、この本にはいわゆる「葛根廟事件」の記述がある。満洲から脱出した民間人が、ソ連軍の戦車隊によって虐殺された事件のことだ。「葛根廟」にかんする文章は、現代教文庫版以降にしか掲載されていない。

「千二百名中千名以上の民間人婦女子が、暴民の襲撃ではなく一国の軍隊の攻撃で、無差別に大量虐殺されたジェノサイド(計画的集団殺戮)という点では、終戦時に旧満洲の日本人難民が遭遇した事件の中でも、最大の悲劇といってよかろう」(P.323)と著者は記す。 

満洲ものは無数といってよいほどあるのだが、満洲には直接には縁のない、ノスタルジーを感じるはずのない私にとっても、なぜか非常に惹かれるものを感じるのはなぜか、と考えてみることもある。もちろん、子供の頃から満洲のことは、学校の教師や親など、さまざまなルートで聞き知っていた。 ただし、両親も祖父母も満洲とは縁はない。

戦前に大陸に渡った日本人たちが、いわゆる「日本人離れ」した言動をしていることに魅力を感じるのだろうか。たとえ最終的には難民となって命からがら逃げることになったとはいえ、島国である「内地」とは異なる世界がそこにあるからだろうか。複数の異民族と日常的に接触することで、日本人自身も変化するのか。 

戦後の日本は、戦前に満洲で実験したものを再現したに過ぎないといった言説は昔から耳にしてきたが、それはその通りだと思う。たとえば、満鉄の特急あじあ号がなければ、戦後の新幹線がなかっただろうとは、子供の時に聞いた話である。 

「満洲もの」は、今後もまだまだ読んでいきたい、きわめて関心の深いテーマなのだ。多くの人がそう思っているからこそ、つきることなく出版され、またドラマ化、映画化され続けているのだ。







<ブログ内関連記事>

書評 『チベットに舞う日本刀-モンゴル騎兵の現代史-』(楊海英、文藝春秋、2014)-モンゴルは現在に至るまで「分断民族」となっているという事実を直視せよ!

書評 『カルピスをつくった男 三島海雲』(山川徹、小学館、2018)-カルピスの背後にはモンゴルと仏教思想がある

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相

書評 『有法子(ユーファーズ)-十河信二自伝-』(十河信二、ウェッジ文庫、2010 単行本初版 1959)-「新幹線の父」と呼ばれる前の満洲時代を中心とした貴重な証言

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる





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2015年6月3日水曜日

書評『ぼくは猟師になった』(千松信也、リトルモア、2008)ー「自給自足」を目指す「猟師」という生き方は究極のアウトドアライフ


若い友人の一人が、「いまの仕事をやめて猟師になりたい!」と語るのを聞いて、そういえばこんな本をすでに買って積ん読になっていたなと思い出した。
   
『ぼくは猟師になった』(千松信也、リトルモア、2008)というのがその本。さっそく書棚から引っ張り出して、移動中の電車のなかで読んでみた。
   
読み始めていきなり意外感を受けたのは、出版当時は33歳で狩猟歴8年であった著者は、猟銃をつかっての狩猟ではなく、ワイヤでつくった手作りの伝統的なワナ(!)でシカやイノシシを捕獲しているということだった。著者は狩猟免許はもっていても、猟銃の登録をしていない。

意外感を受けた理由は、「♪ それを猟師が鉄砲で撃ってさ~」という一節が日本人に刷り込まれているからかもしれない。「♪ あんたがたどこさ~」ではじまる童謡の一節だ。
    
猟銃による狩りではないので、ワナにかかった獲物は棍棒で殴ってとどめをさす。ここらへんもまたショッキングな内容だが、その是非はさておき、気性が荒く猪突猛進(!)するイノシシは、さすがに簡単ではないようだ。狩猟とは、さまざまな意味で動物との知恵比べである。
   
著者のポリシーは「獲って、さばいて、食べる」というもの。「自分で食べる肉は自分で責任をもって調達するという生活の一部のごく自然な営み」。もちろん、それを徹底するのは半端ではない。猟師生活8年目の著者による「中間報告と」いうのが本書の内容である。  

本書で語られている内容は、サバイバルというよりも「自給自足」というものに近い。いわゆる「自然との共生」を目指しているということになるが、けっして文明の利器を捨ててしまうわけではない。可能な範囲内で、徐々に昔ながらの生活に戻していこうとしているわけだ。

著者の狩猟のフィールドは京都京都は周囲を山々に囲まれた盆地。だから、ちょっといけばすぐ山になる。山には獲物となる動物が多数いる。多いのはシカ、そして著者がもっとも狙っているのはイノシシ。ふだんは運送会社で働きながら、猟期には仕事のかたわら、ワナを仕掛けて獲物を獲って、さばいて、食べる日々。
  
こんな生き方もあるのか(!)という感想を抱きながら最後まで読んでしまう本。カラー写真も多数、獲物のさばきかたも具体的に書かれている。著者の生き方は、究極のアウトドアライフというべきかもしれない。


 
*2012年に新潮文庫で文庫化されている


目 次

まえがき
第1章 ぼくはこうして猟師になった
第2章 猟期の日々
第3章 休猟期の日々
あとがき

著者プロフィール

千松信也(せんまつ・しんや)
1974年兵庫県生れ。京都大学文学部在籍中に狩猟免棋を取得し、先輩猟師から伝統のワナ猟(ククリワナ猟)、網猟(無双網猟)を学ぶ。現在も運送会社で働きながら猟を続ける、現役猟師である(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

急増する狩猟女子、国産ジビエの意外な潜在力 「野生復帰計画」(京都府美山町) (水津陽子、日経ビジネスオンライン、2015年12月10日)

(2015年12月10日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

花札の「いのしかちょう」-なるほど日本の山野には古来よりイノシシとシカが多いわけだ


猟師と鉄砲

書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!
・・駆除した動物や鳥は農民たちによって貴重なタンパク源として食べられていた

花札の「いのしかちょう」-なるほど日本の山野には古来よりイノシシとシカが多いわけだ


動物を殺して肉を食べるということ

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-世界中の食肉解体現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション

書評 『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)-「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ You're what you eat !

(2015年7月26日、12月10日 情報追加)



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2014年9月28日日曜日

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)

(火渡り修行をする成田修法師)

京成線沿線やその関連路線の沿線に住んでいると目に入ってくるのが、成田山参詣を促すポスターである。成田山新勝寺は、年始の正月だけでなく、「五月詣」と「九月詣」が重視されている。

「正五九」(しょうごく)といって、節目の季節に参詣すると、 御利益を授かることが大きいとされているのである。これは江戸時代以来らしい。ポスターの絵柄はいつも浮世絵である。

9月28日は、その「九月詣」(くがつもうで)の月で、かつ28日のお不動様の縁日でもある。ことし2014年(平成26年)の9月28日は、しかも日曜日である。この日には山伏姿の修法師(しゅうほうし)による「火渡り修行」が行われることを知った。修法師は、成田修験ともいう。密教と修験道が習合しているのが成田山の面白いところだ。

大本山成田山の公式ウェブサイトに掲載されている内容紹介は以下のとおりである。

成田山の「柴灯大護摩供 火渡り修行」
http://www.naritasan.or.jp/gyoji_sp/hiwatari.html
   
開催日:平成26年9月28日(日)
時 間:午前11時30分
道 場:成田山大本堂西側広場
    
(説明)
柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)は野外で修する御護摩祈願です。成田山では毎年5月と9月、12月に行い、5月と9月はご信徒の開運厄除と所願成就の護摩木祈願として厳修しています。また、被災地岩手県陸前高田市の高田松原の松材をお焚き上げして、大震災物故者の供養と被災地の復興を祈願しております。ご信徒の皆さまには、お詣りいただいて被災地の復興を共にお祈りください。  

山伏の火渡りはテレビなどでは見たことがあっても、実際の火渡りをリアルで見て体験したことがなかった。火渡りはぜひ一度は体験してみたいと思っていたので、この機会を利用して参加することにした。

本日(2014年9月18日)は秋晴れの青天、絶好の参詣日和となった。成田山新勝寺に参詣するのは、断食修行以来のことなので約4年ぶりということになる。


「柴灯大護摩供」(さいとうおおごまく)に参加する

「火渡り修行」は、正式には「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく) 火渡り修行」という。柴灯大護摩供は、野外で行う護摩法要のことだ。柴(しば)を使って護摩壇を設け、燃え上がる紅蓮の炎に祈願を行う護摩のことだ。

燃えさかる炎のなかに護摩木を投げ込みながら、不動明王の真言と般若心経が読経される。熱さに耐え、煙に耐え、約1時間にわたっておこなわれる護摩である。この護摩が屋外で行われるのである。

「柴灯大護摩供」は午前11時半から開始されるが、わたしは念のため 10時から会場に待機して場所取りすることにした。かぶりつきで見物し祈願したかったからだ。不動尊の不動心を身につけたいという切なる願いをもっていたからだ。そのため、そうとう煙を吸い込んだし、熱さでめまいがしそうになったのだが・・・

野外に設けられた護摩壇には、山野に生えている灌木をかぶせている。なんだか 2005年の中部万博のマスコットのモリゾーとキッコロみたいだ。というより、キッコロが緑の護摩壇に似ているというべきか、緑の護摩壇が森の精霊に似ているというべきか。

稲穂の束を身にまとった存在なら、秋田県のなまはげや沖縄の民俗芸能にもあるが、それは稲作が日本に伝来した弥生時代以降の信仰から生まれたものだろう。

説明にあったわけではないが、でつくられた緑の護摩壇は、もしかすると稲作以前の縄文時代の古層につらなる信仰とかかわりがあるのかもしれないと考えてみたりもする。修験道は日本独自の山岳信仰である。

(燃やされることになる護摩壇は森の精霊か?)

この緑の護摩壇に火が付けられて燃やされるまえに、種々の儀式が行われるわけだが、護摩壇のまわりにはしめ縄が張られている。山伏姿の修法師たちが入場してくる。

 (山伏姿の成田修法師の入場)

当日は儀式の内容にかんする説明が行われていたのだが、内容にかんする正式名称など正確に記憶していないので、一般用語をつかって説明しておきたいと思う。

まずは先達(せんだつ)が護摩壇の前で鉞(まさかり)を振り下ろす所作が何度も行われる。

 (護摩壇に点火する前の儀式 まさかりを振り下ろす)

そのあと、別の先達が鏑矢(かぶらや)を地面に向けて射る。この所作を東西南北の4カ所で行い、結界(けっかい)をつくる。これで聖なる空間ができあがることになる。

  (護摩壇に点火する前の儀式 鏑矢で結界をつくる)

四方に鏑矢を射たあと、最後に護摩壇に向けて鏑矢が射られる。矢を射られる対象であるということは、やはり燃やされる前の護摩壇は、森の精霊という魔物なのであろうか。

 (護摩壇に点火する前の儀式 鏑矢を護摩壇に向けて放つ)

このあと、別の先達が、利剣でもって居合いを行い、最後には護摩壇に向けて剣を突き刺す所作を行う。

 (護摩壇に点火する前の儀式 利剣を護摩壇に向けて突き刺す所作)

このあと僧侶が行う護摩の儀式がある。以上で一連の儀式が終わり、いよいよ護摩壇に火を付けることになる。

祭壇からもらい火した青竹の松明(たいまつ)を二人の修法師が抱え持ち、儀式を行ったのち、護摩壇に二カ所から点火する。

 (青竹の松明で護摩壇に点火する)

護摩壇のなかから上がってきた炎をあおるため、二人の修法師がモップのような梵天(ぼんてん)であおいで風を起こす。炎とともに、もうもうたる煙が立ち上がる。このあと、参詣者の頭上で神道のお祓いのように梵天が振られる。わたしもそのお祓いに与ることができた。

(梵天をつかって火の巡りをよくする)

ときどき、成田山の銘の入った柄のついた枡(ます)で水をかける。延焼をふせぐためであろう。

 (延焼しないように水をかけながら)

護摩壇が燃やされているあいだ、「不動明王の真言」と「般若心経」がひたすら唱えられる。参詣者も唱えることがもとめられ、熱さと煙に耐えながら、わたしもクチのなかでブルブツ唱えながら合掌する。

不動明王の真言は以下の通り。

のーまく さんまんだー
ばーざらだん せんだー
まーかろしゃーだー
そわたや うんたらたー
かんまん

火はすべてを浄化する。祭壇に飾られていた将棋の駒のような成田山の「勝守り」を、護摩壇の炎で先達が浄める。この間、信者がもってきた古いお札や護摩木をつぎつぎと炎のなかにくべていく。

(燃えさかる護摩壇の炎でお守りを浄める)

一連の浄めの儀式が終わったあとは、参詣者のバッグや財布などの持ち物を浄めていただくセッションに入る。わたしも背負っていたデイバッグを浄めてもらった。

(燃えさかる護摩壇の炎でバッグなど信者の持ち物を浄める)

護摩壇が燃え尽きると、いよいよ火渡り修行の準備に入る。

(仁王立ちする修法師 火渡り準備中)

護摩壇が燃え尽きて炭と灰になったら、道具をつかって地面をならして整地する。修法師たちは白足袋を脱いで裸足となる。足袋を履いていては、残り火が燃え移る可能性があるのでかえって危険なのだ。

整地がおわると前方と後方に枝葉のついた青竹を二本づつ立て、しめ縄をはる。先頭にたつ先達が利剣でしめ縄を断ち切り、火渡りの先陣を切る

(火渡り場所の二本の竹にかけたしめ縄を利剣で断ち切る)

炎は消えても、熾火(おきび)が残っているのでまだまだかなり熱そうだ。なかには飛び跳ねて走る修法師もいてたしなめられていた。

 (まだまだ熱いなか裸足で火渡り修行する修法師たち)

 飛び上がって走るとかえって熱いらしい。足の裏をしっかりとつけて、下を見ずにまっすぐ前を見て歩ききるのがよいのだという。

  (まだまだ熱いなか裸足で火渡り修行する修法師たち)

万難を排して「火渡り修行」を体験する

修法師たちによる火渡り修行が終わると、だいたい12時半を過ぎたくらいの時間になっている。

これから先は「一般火渡り修行者」の番となる。参加希望者はすでに長い列をつくって後方に並んでおり、わたしの目の前でつぎつぎと渡し始めていた。まだそうとう熱いのだろうに、気合いが入っているなあ。

「火渡り修行」をじっさいに見たいという気持ちと、今後の人生を乗り切るためにお不動様の加持力を得たいという気持ちの両方で参加したが、この日はなぜか風邪気味でカラダの節々に筋肉痛が残っていた。

熱さと煙のためだろうか、ずっと立ちつづけていたこともあるが、見学中に目の前に集まってきたる山伏たちが突然真っ黄色に変わっていくのを感じた。「なんだこれは・・」と思っているうちに、くらくらしてきたぶっ倒れるのではないかという気がこみあげてきた。

これは危ないと思って、倒れる前にしゃがみ込んだことで、なんとかやり過ごすことができたのだが、いったいこれは何だったのだろうか・・・。知覚異常という脳内現象かそれとも・・・。

一瞬の出来事だったと思うが、火渡りは断念してそのまま帰ろうとかとさえ思ってしまった。だが、せっかくの機会であるし、ここで火渡りを行わなければ絶対に後悔するだろうと思い直し、意を決して列に並ぶことにしたのである。

すでに列はながく続いており、火渡りできるまで40分以上待つこととなったが、そのくらい待てばもう熱くないだろうと思ってみたりもする。

 (せっかくの機会なのでわたしも火渡り修行に参加)

自分が火渡りするシーンは写真に撮れないのが残念だが、そんな雑念はもたないのが賢明というべきだろう。裸足になってズボンの裾をめくる。火が燃え移るのを防ぐためだ。

じっさいに火渡りしてみると、だいぶ時間がたっていたにかかわらず、まだ熱かった最初に踏み出した右足にかなりの熱さを感じたが、なんとか渡り終えた。最後に大先達の前にひざまづき、密教法具の独鈷(とっこ)をアタマにあてていただいて祝福を受けることができた。

火渡りが終了したら水で足を洗い、靴下をはいて靴を履く。 終わってみればあっという間の一瞬の出来事であったが、火渡りを体験できたのはよかった。聞くと見るのは大違い、見るのとやるのはさらに違う。何事も体験してみないと、ほんとうの実感というものはわかないものである。

火渡り修行に参加してほんとうによかった。こういう機会を逃すと、つぎはいつ参加できるかまったく未知数だからだ。

 (大本堂の西隣で火渡り修行が行われる)

わたしが火渡りを終えたあとも、まだまだ一般火渡り修行者の列は続いていた。大本堂の西隣で火渡り修行が行わるので、見学するだけなら大本堂の渡り廊下から眺めるのもよいかもしれない。

成田山に来るのは4年ぶりになるので、ひさびさに断食参籠道場に立ち寄ってみた。といっても中に入ったわけではない。修行中でないと中には入れない。

参籠道場の二階は成田山修法師の修行道場となっている。一般参詣者がこの参籠道場までくることはめったにないと思うが、成田修験とも呼ばれる山伏姿の修法師たちが成田山と密接な関係をもっていることは、アタマの片隅にでも置いておくべきだろう。


 「柴灯大護摩供 火渡り修行」もまた日本なのである。修験道は日本独自の山岳信仰である。こんな日本を日本人自身が知るべきであり、そして外国人観光客にも知ってもらうべきではないかと思うのである。

毎年五月と九月の二回行われているので、ぜひ一度は 「柴灯大護摩供 火渡り修行」に参加してみるとよいと思う。



<関連サイト>

大本山成田山 (公式サイト)


(成田山の九月詣でを促すポスター)



愛・地球博公式マスコットキャラクター 「モリゾーとキッコロ」
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N2/N2.1/N2.1.26/



<ブログ内関連記事>

庄内平野と出羽三山への旅 (9) 月山八号目から月山山頂を経て湯殿山へ縦走する
・・このご神体は、熱い温泉が湧きだしている、こんもりした山のような巨岩である。・・(中略)・・ご神体の拝礼は、なんとご神体そのものを、ご神体の左脇から裸足で登って、また下りることが求められる。ご神体の上を歩いていいなんて! ご神体からわき出るお湯は実に熱く、裸足ではとても耐えられないくらい熱い。あまりにも熱いのでやけどしそうだ。立ち止まることは不可能、登り続けるしかない。 ご神体は、目で見て驚くだけでなく、足の裏で感じ取り、匂いを嗅ぎ、森の発する音を耳で聴きながら、五感すべてをつうじて感じ取るものなのである。 だからこそ、直接体験するにしくはないのだ」 成田山とも関係の深い湯殿山信仰


■修験道関連

「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)

とくに 庄内平野と出羽三山への旅 (11) 湯殿山で感じる「出羽三山の奥の院」の意味 の 「成田山新勝寺の成田修験と湯殿山との関係」という小項目を参照。
⇒ 湯殿山信仰と成田山信仰圏の重なり  

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・日本独自の山岳信仰である修験道が「神々の明治維新」でいかなる大打撃を受けたかについて

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ


成田と成田山新勝寺関連

不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!

節分の豆まきといえば成田山、その成田山新勝寺の「勝守り」の御利益に期待

「企画展 成田へ-江戸の旅・近代の旅-(鉄道歴史展示室 東京・汐留 )にいってみた

書評 『京成電鉄-昭和の記憶-』(三好好三、彩流社、2012)-かつて京成には行商専用列車があった!

月島で生まれて初めて「もんじゃ焼き」を食べてみた-もんじゃ焼きの味は食べてみないとわからない!
・・東京都江東区の門前仲町駅前には成田山別院がある


「複数の日本」を知る

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること

「かなまら祭」にいってきた(2010年4月4日)-これまた JAPANs(複数形の日本)の一つである
・・外国人観光客にもよく知られた奇祭

(2015年7月28日 情報追加)


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2010年12月20日月曜日

『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ』(さかはら あつし、講談社、2010)-「自分史」で自分を発見するということ



「自分史」を書くことによって「自分」を発見し、これからの人生の道筋をつけるということ

 「自分史」なんて、語っている「自分」以外の「他者」にとっては、面白くもなんともないだろう、とは単純に思う必要はない。

 「自分」の体験をキチンと言語化し、「他者」と共有可能なコトバで語ったとき、それがまったく「他者」とは縁のない「自分」固有の経験であっても、不思議なことに共通性を見出した「他者」によって発見され、ある種の共感をもって読まれることがある。

 また、無名の人を対象にしたインタビュー記事や番組での語りに非常に惹きつけられることがあるが、これはなぜなのだろうか。
 それはおそらく、その人でしか語り得ないことを語っているからであろう。「自分」自身のフィルターを通した経験が、「自分」のコトバとして語られているからであろう。
 もちろん、腕のいいインタビュアーが、その無名人からうまく話を引き出しているということはある。

 まっくの無名人の「自分史」が、自費出版ではなく、商業出版されてことがある。読めば、得意な体験の持ち主とわかるが、ありふれた一人の男性の「自分史」であることには変わりない。
 もちろん、商業出版である以上、編集者がうまく著者の話を引き出して読むに耐えるものに編集している可能性はある。とはいえ、著者の体験そのものは、見せ方は別として原石としての存在感があることは否定できない。

 そういう不思議な内容の一冊があるので、ここで紹介しておきたい。


『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ-』(さかはら あつし、講談社、2010)


なぜか最後まで読み進めてしまう、不思議な印象に充ち満ちた「自分史」物語

 まず最初に、ある二人の人物の経歴を並べてみよう。

 ●1966年京都府生まれ、京都大学経済学部卒業、電通を経てカリフォルニア大学バークレー校でM.B.A.取得・・・
 ●1962年京都府生まれ、一橋大学社会学部卒業、長銀総研を経てレンセラー工科大学でM.B.A.取得・・・

 前者は、この本の著者さかはらあつし氏の経歴。
 後者は、恥ずかしながら、不肖(ふしょう)私の経歴である。実は私も、カリフォルニア大学バークレー校にはM.B.A.取得前に夏期講習(サマー・エクステンション)参加のため滞在していたので、短期間ながら在学経験がある。

 この二人の経歴は、それぞれ本人の努力のたまものではあるが、経歴だけでものを見る人にとっての意味と、当事者である本人たちの認識とは大きく異なるものである。これは私の自意識においても同じである。見えないところで苦労をしている点は人後に落ちないはず。

 「履歴書」には現れてこない、人知れぬ苦労や失敗があるのだということ、これに気がつかねばならないのではないかということを、この本は教えてくれる。
 もちろん私の苦労は、さかはらあつし氏のものには、遠く及ばないのであるが。

 著者のさかはら氏が、なぜこの本を執筆したのか、いかにして出版に至ったのか、「まえがき」には何も記されておらず、「あとがき」も存在しないので、著者を直接知る人以外はまったく知ることができない。もしかすると、誰も聞かされていないのかもしれない。

 著者は、ある種の学習障害のため集中力と理解力を欠き、高校の成績はビリ。京大には4浪してやっと合格。さらに「サリン事件」際、サリンがまかれた車輌に乗り合わせたことで、さらなる後遺症に現在に至るまで苦しむことになる。

 本書の帯にはこう記されている。「起きていることに、「なぜ?」はない。それはただ起こったんだ。」
 そう、起こっていること、起こったことは、ありのままの事実として受け止めて、受け入れなくてはならないのだ。

 著者が、自殺した友人と交わした3つの約束のうち、京大とMBAは実現した。4浪して京大に入学しただけでなく、米国でM.B.A.という約束も実現。最後に残ったのが、映画でアカデミー賞を受賞するという約束である。 

 この本の執筆は脚本家(シナリオ・ライター)修業の一環なのだろうか。自らの半生を「自分史」としてさらけ出すことは、もちろん取捨選択というプロセスを経ているので語られていないこともあろうが、勇気のあることだ。

 シンクロニシティ。二度の交通事故に遭遇しても死ななかった経験。サリン事件の車輌に乗り合わせた経験。そしてなんと、知らずにオウムの加害者側にいた女性に引き寄せられて結婚し離婚したという経験。人生は「たまたま」なのか、それとも「引き寄せ」という宇宙の法則(?)が働いているのか・・・

 「叩き続ければ、扉は一瞬だけ開く」という人生の教えを実行していった、一人の男性の44歳の人生が、最後まで読ませてしまうのはなぜか?

 実に不思議な本だった。この人の人生を知ったからといって、何になるのかわからないのだが・・・。それだけ、無意識のうちに人を惹きつけるチカラをもった人なのだろうと思う。

 もうひとつの隠れたテーマは、ユダヤ人と映画産業である。これも何かの「導き」なのだろうか? 著者が学生時代に観光ガイドとして出会ったユダヤ教のラビとの交友から始まった見えない糸である。

 タイトルの「サリン」についてはいうまでもないが、「おはぎ」とは、著者の友人が製作した短編映画のことだ。

 本書には、著者の人生を導いた魅力的なコトバがいくつも引用されている。

 -入学後のガイダンスでの経済学部長の話(P.57)
 -「天才論」の授業での教授の話(P.68)
 -千葉敦子の『ニューヨークの24時間』(P.125)

 『ニューヨークの24時間』(千葉敦子、文春文庫、1990)は、私の愛読書でもあって、米国留学には持参したくらいだ。『ニューヨークでがんと生きる』の著者は、すでに1987年に亡くなってから23年もたっているから忘却されてしまっているのか、現在は、絶版であるのが残念。


 本書に引用されたコトバは、著者自身の感受性のフィルターを濾過したものばかりだが、ほぼ同世代の私もつよく共感するものばかりである。

 私の世代以外の人にとっても響くコトバであるといいと思う。




目 次 

第1章 やりたかったらやってみるしかない
 - 共通一次 150点からの京大受験
第2章 いま起きていることを見逃すな
 - 就活、電通入社からサリン事件遭遇
第3章 夢に向かって前進できる仕掛けを作れ
 - 人の夢のアシストをする 生き延びるための熾烈な戦い
第4章 「なぜ?」はない。それはただ起こったんだ
 - どこまでもつきまとうオウム真理教の影


著者プロフィール

さかはら あつし

1966年、京都府生まれ。4浪して京都大学経済学部に入学。1993年に卒業後、電通に入社。1995年3月20日、通勤途上で地下鉄サリン事件に遭遇。サリンが撒かれた車両に乗車したが、奇跡的に重篤な被害を免れた。事件後、電通を退社。1996年渡米しMBA取得。帰国後、2002年、かつてオウム真理教側にいた女性とめぐり会い結婚する。2003年、離婚。2009年、アカデミー賞の招待客としてレッドカーペットの上を歩くという経験をする。現在、アカデミー賞獲得を目指し、サリンの後遺症と闘いながら人生を歩み続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<ブログ内関連記事>

■「地頭の良さ」は「自分」を知って深掘りすることから始まる(シリーズ)

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ

「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ

思考と行動の主体はあくまでも「自分」である。そして「自分」はつねに変化の相のもとにある






(2012年7月3日発売の拙著です)






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