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2010年9月22日水曜日

庄内平野と出羽三山への旅 (8) 月山八号目の御田原参籠所に宿泊する





■なぜ、再び月山に登って、歩いて湯殿山まで縦走するのか?

 「山伏修行体験塾」に参加した二泊三日は無事終了、精進落としも済ませてすでに俗界の人間に戻っている。ビールも日本酒も飲んでほろ酔い加減というところだが、今回の旅のミッションはまだ完了したわけではない。

 翌日の早朝に、月山八合目から月山山頂まで登り、そこから湯殿山まで縦走しなくてはならないのだ。

 繰り返しになるが、今回の旅のテーマは以下のとおりである。

① 「山伏修行体験塾」(二泊三日)に参加すること
② 出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)をすべて歩くこと
③ 即身成仏による「ミイラ仏」を実際に見ること
④ 庄内地方が生んだ 大川周明、石原完爾ゆかりの地をまわること

 月山から湯殿山へ縦走することにしたのは、「山伏修行体験塾」に参加を決めたあとに、コースメニューをいくらみても湯殿山に行くとはまったく書いてなかったからだ。

 湯殿山にいかないで、なんで出羽三山にいったということになるのだ!!

 というわけで、あらかじめ月山八合目と湯殿山の宿泊所も予約しておいたのである。

 気になって、念のために事前に電話で問い合わせをした際に、やはり湯殿山には行かないことを確認した。電話口で思わず、「えっ、行かないんですかあ?」と思わずクチにしてしまった私であるが、電話したのは、湯殿山にいくのであれば、宿泊予約を取り消して旅を短縮化できるかもと思ったからなのであった。

 湯殿山にいかないで、なんで出羽三山にいったということになるのだ!!


 結局、月山八合目と湯殿山の予約は取り消さなくて良かったのだが、直前まで行くか行かないか迷っていたのは、ここのところ久しく山歩きをしてなかったので、ちょっと自信がなかったというのが実際のところなのである。

 高校時代ワンゲル(=ワンダーフォーゲル)に入っていた私は山歩きは好きなのだが、屋久島いって以来の山歩きとなった。
 結論としては、縦走して良かった(!)というものである。絶好の天気に恵まれ、8月のシーズンも終わっていたので人が少なく、山を独り占めしているような気分に浸ることができたからなのだ。

 湯殿山には、シーズン中は、鶴岡駅から庄内バスで直通が走っているので、湯殿山だけいくのならわざわざ月山から歩いて縦走することはない。
 このコースも検討はしたが、やはり出羽三山をすべて歩いてみたいという気持ちが勝ったのであった。芭蕉も『奥の細道』の旅では、羽黒山から月山を通って湯殿山まで歩いて巡礼しており、しかも同じコースを羽黒山まで戻っている。そうであるなら、私も芭蕉の歩いた道をたどってみたいと思ったのも当然なわけなのだ。ただし、湯殿山から月山経由で羽黒山に戻ることはせず、湯殿山からクルマで鶴岡に抜けることにした。


 先にも書いたが、実に久々の山行になるので、これまた久々に神保町の石井スポーツまでいってみた。ここで『鳥海山・月山(山と高原地図 ⑧』(昭文社、2010)という地図を買う。それほど難しくないルートであっても、事前に地図を入手して見ているのとそうでないのとでは雲泥の違いがある。事前に地図を見ることによって、いわば脳内シミュレーションを行うわけである。
 今回は「山伏修行体験塾」ですでに月山は登っているので、さらに気が楽であった。しかも、体験塾で昇った際は、風雨がひどく、メガネも曇って水滴がつくらいの天気であったので、事前の予行演習としては完璧である。

 ところで、今回は実に久々に高校時代と社会人になってから使っていたアタックザック(写真)をひさびさに背負って、旅に出ることにしたのである。「山伏修行体験塾」で使用する荷物をせのまま背負って、山行を続けるからである。デイパック程度では容量に問題があるのだ。
 ただし、パソコンや本などは蝸牛(かたつむり)のように持ち歩いていてはあまりにも重いので、「山伏修行体験塾」に出発する前に宿泊した、鶴岡駅前のビジネスホテルに預けてきた。鶴岡は出羽三山の山行のベースキャンプとしては最高の立地である。

 ちなみに、30年前(!)の高校一年のときにアタックザックを買ったのが、さきほど話題にした東京・神保町の石井スポーツである。山とスキーの店は現在も健在だ。いやむしろ、中高年の登山ブームだけでなく、最近はいわゆる「山ガール」のブームも加わって、近年にない活況を呈しているのかもしれない。

 流行というのは、まことにもってわからぬものだ。


■月山八合目まで、羽黒山山頂でバスを乗り継いで行く

 むかしは羽黒山から月山頂上まで歩くのが当たり前だったようだ。しかし現在は、自動車道が月山八合目まで開通しているので、バスで八合目まで行くことにする。

 8月のシーズンが終わると、9月は土・日しか八合目まで行かなくなる。10月になったらオフシーズンである。出羽三山の夏はきわめて短い。本日は、9月5日(日)である。

 「精進落とし」会場であった大進坊からほど近い庄内バスの停留所「桜小路」から、まずバスで羽黒山頂上まで。そのバスがそのまま月山八合目行きになるので、乗り継ぎといっても降車することなく同じバスで終点まで行く。合計1,600円也。


 バスの車窓に見えるのは、羽黒山からみた月山。なだらかな山容が美しい。


 月山は比較的なだらかな山なので、八合目まで歩いて登るのは時間がそうとうかかるだろう。クルマを利用するのはまあ許されることしておこう。


 だんだんと高度が上がって行くにつれて、植物層(フローラ)が変化していくのは面白い。




■本日は月山八合目、月山神社中の宮の御田原参籠所に宿泊

 15時前に月山八号目到着。本日の終バスである。

 
 下車して、500メートルほど少し登り道を歩き、月山神社の中の宮へ。


 ここに併設された御田原参籠所に本日は宿泊する。 事前に電話で予約しておいたわけだが、シーズンが終盤で、しかも翌日は平日の日曜日の午後だったためか、宿泊客は私一人だけだった。


 そのまま歩いて山頂までいって山頂小屋に泊まるという選択肢もあろうが、それではあまりにも早く湯殿山に着いてしまうので、早朝に八合目の参籠所を出発するスケジュールがもっとも適当だろう。


■月山八合目の弥陀ヶ原(=御田原)は、尾瀬と並んで世界的にも希少な湿原地帯。なんといっても国立公園なのである!

 この日は、お花畑をぶらぶらする。

 なんだか尾瀬の湿原に似ているなあと思っていたら、やはり月山八合目付近は、日本では希少な氷河時代の植生を残す地域らしい。弥陀ヶ原湿原という。
 いま書いていて気がついたが、もしかすると、「神仏分離と廃仏毀釈」のために、弥陀ヶ原から御田原という名前に変えたのだろうか? もともと月山山頂には阿弥陀仏があったらしいというし、発音はそのまま同じで漢字を変えたというわけか。よっぽどの仏教嫌いだったのだな、西川須賀雄は。(・・この件については (7) を参照)。

 池糖(ちとう)というのは、湿原にできた丸い池のこと。漢詩の「未覚池糖春草夢」(=いまだ覚めず池糖春草の夢」の池糖だな。「少年易老学難成」の三節目だ。


 お花の季節は7月と8月、ほぼすでに終わっていて、咲いていたのはミヤマリンドウくらいだったのが残念だが。
 でも、さすが磐梯朝日国立公園、ここのところ尾瀬にもいってなかったので、湿原散策も実に気持ちいい。


 本日はすごい快晴。下界は庄内平野、北の方向には鳥海山。絶景である。明日は少し曇りか?


 夕食は午後6時。参籠所のためか、完全な山菜精進料理。これにご飯と味噌汁がつく。ご飯は庄内米なのでうまいので、一杯だけお代わりをした。
 一人で食事というのもなんだが、ひさびさにテレビをみながら食事をする。
 


 昨日の「天狗相撲」の影響がやはりでてきたのだろうか。全身の節々がいたい。二階から一階に下りるのもつらいものがある。全身筋肉痛状態である。こんなことで明日は歩けるのか??

 参籠所といっても実際は山小屋である。二階の大部屋で雑魚寝するのだが。一人だと占有するというよりも、なんというか。昨日までの40人雑魚寝状態からの解放という意味では良かったのだが、なんだかほっとしたような寂しいような・・・



 消灯するとハエが顔にまとわりついてきてうっとおしいので、一階におりて殺虫剤を借りてほぼ完全に処分する。これで、安心して寝ることができた。


 次回 (9) は、月山八号目から月山山頂を経て湯殿山へ縦走する。



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「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)

「山伏修行体験塾 2011 東京勧進」 に参加-ヤマガタ・サンダンデロ(銀座)にて山形の食材をふんだんにつかった料理とお酒を存分に楽しんできた(2011年11月11日)

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

むかし富士山八号目の山小屋で働いていた 総目次
・・大学時代、アルバイトで富士山の山小屋ではたらいていた

(2014年9月1日 情報追加)




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2010年7月1日木曜日

むかし富士山八号目の山小屋で働いていた (1)  一生に一回くらい山小屋で働いてみたい!

(剣が峰からみたクレーター wikipedia英語版より)


               
 本日(7月1日)は、日本全国の多くの山で「山開き」だということを朝のニュースでやっていた。もちろん、富士山も本日が山開きである。

 もちろん、山開きの前に入山してはいけないという決まりはないのだが、山じたいがご神体である日本では、正式に神職がきてお祓いを済ませたあとで山に入るのが、本来は正しいのである。
 日本の山はもともと信仰対象であり、登山じたいがスポーツではなく、心身鍛練の修行としての性格が強かった名残である。

 富士山の場合は浅間神社と書いてせんげん・じんじゃと読む。祭神はコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫命)という女神である。


■28年前、私は富士山の八合目の山小屋で夏期アルバイトをしていた!

 私は大学2年のとき、富士山八号目御殿場口の山小屋で夏季アルバイトを経験した。いまから28年前のことになる。
 考えてみればずいぶん昔の話なのだが、このときの経験はあざやかに記憶のなかに機材見込まれている。やはり20歳前の経験は、その後の人生においても大きな意味をもつものなのだろう。

 「一生に一回くらい山小屋で働いてみたい」と思っていたのは、高校時代ワンゲルにいたからだ。ワンゲルとはワンダーフォーゲル(Wandervogel)の略、ドイツ語で渡り鳥を意味するワンダーフォゲルは、山登りの部活のことだ。ワンゲルにいたとき、大学生が山小屋でするバイトの話をさんざん聞いていたので、なんとなく憧れ(?)があったのだ。
 大学生協で100円で売っていた、今は亡き学生援護会(!)が発行していた「日刊アルバイトニュース」に載っていたのが、富士山御殿場口八合目の山小屋「赤岩八号館」であった。さっそく電話で申し込んだら即採用となり、大学の授業が終わった7月20からバイトを開始することにした。富士山では、ちょうどこの頃から、登山客が増えて繁忙期に入る。
 私はほぼまるまる1ヶ月間、下界には一回も下ることなく、富士山のなかに住んでいたことになる。
 
 関東の場合、登山客が一般的に利用する山梨県側の富士吉田口であるが、私が募集に応じたのは静岡県の御殿場口のほうである。
 御殿場口はまた最後に触れるが、「大砂走り」が有名で、砂地の上をスキーのように、飛ぶように高速歩行で一気に下ることできる名所である。つまり途中までの下りは快適だが、上りはいささかつらい。
 これは現地に入ってからはじめて知ったことだが、御殿場口の五合目は富士吉田口の五合目とは、実は標高差が違っているのだ。御殿場口の五合目は、富士吉田口の三号目くらいらしい。どうりで、勾配はややゆるやかがら距離が長いのだ。
 

■改造ブルドーザーで八合目まで上がる

 御殿場でまず一泊した。山小屋の持ち主(オーナー)である兼業農家のお宅に一泊した。いまこれを夏期ながら、しばらく入れないであろう、下界での最後の風呂に浸かったシーンを映像として思い出した。

 熟睡したあとはいよいよ出発だ。
 なんと、改造ブルドーザーで富士山を登っていくのだ!
 当時はまだ現役で活動していた富士山レーダーの職員向けに物資を運搬する手段として、改造ブルドーザーが使用されていた(・・いまでも使われているのだろうか?)。
 ブルドーザー導入前は、や馬に荷を積んでをつかって物資輸送を行っていたらしい。北アルプスや南アルプスとは異なり、富士山では強力(ごうりき)はあまり使われなかったようだ。
 富士山は単独峰であり、尾根伝いに歩くという類の山ではない。
 富士山に御殿場口から登山した経験をもつ人は知っていると思うが、ときどき登山道を横切って比較的幅広の道がある。それがブル道なのだ。

 山頂まで向かう「改造ブル」に作業員のオッチャンやオバチャンたちにまざって乗せてもらって、八合目で降ろしてもらった。しっとりと湿った朝霧のなかであった。そのときに激励してもらった作業員の皆さんは、「学生さん、ガンバリな!」と口々に激励してくれた。なんだか私が心細い感じに見えたのだろう。この場を借りて皆様には感謝してきおたい。
 バイト仲間は全部で3人。大学生の私と、高校生なのに潜り込んだ者、そして司法浪人のフリーターだった。


■山小屋の七号目半の分館に"配属"される

 配属されたのは八合目の本館ではなく、そこより麓のだいたい7合目半くらいの分館だった。本館は宿泊客も大勢で、バイト含めて数名で切り盛り、分館は偏屈者のじいさんと私一人だった。最初は、なんでこんな偏屈じじいと、朝から晩まで1ヶ月も過ごさねばならないのかと思ったものである。

 仕事内容は、これも実際に現地入りしてから気づいたことだが、基本的に宿泊サービス業であり、早朝から夜まできわめて忙しいのだ。
 朝昼晩の食事があるし、休めるのは午後のひととき、寝るまでのひとときだけ。
 夜早く寝て朝早く起きるという、実に健康的な毎日である。何冊か本をもっていったような記憶があるが、ほとんど読めなかった。

 山小屋の一日を紹介しておこう。

 とにかく朝は早い。雨戸を開けなくてはならない。朝食の用意もある。
 そして、万年雪のある氷河(?)から氷を切り出して、背負子(しょいこ)で担いでもってくるという仕事がある。その当時でも、すでに珍しかった木製の背負子(しょいこ)を背負って、万年雪から氷を切り出しに出るのである。
 余談になるが、背負子は軽量アルミ製がほとんどで、1992年にバックパックを背負って、欧州やメキシコを歩いたときは、私は大型のアルミフレームの背負子を使用した。
 この氷で缶ジュースを冷やすのだ。当時、下界の市中で買えば100円しなかった缶ジュースは、山上では1本250円で売っていた。それでもよく売れたのは、水を持参していても、やはりよく冷えたジュースを飲みたくなるからだろう。
 氷があまりにも重いので、滑落しそうになったことがある(冷汗)。
 その後、ガソリンエンジンの乗り物(?)が導入されたので、氷切り出し作業は非常にラクになった。この乗り物を運転するのが楽しくて仕方なくなったくらいだ。


■団体宿泊客の引率同伴と、個人客の宿泊誘導(客引き)
 
 重要な仕事に、五合目との頻繁な往復がある。目的は何かというと、団体宿泊客の引率同伴と、個人客の宿泊誘導である。五合目と八合目の間を往復するのだが、荷物はなく空身(からみ)なので、それほど苦痛ではない。

 団体客は主に中学校の集団登山で体験学習の一環だろうか、担任の先生複数と中学生ったいが大量に登山することになるのだが、八号目の本館で一泊することになっているのである。こういうときは、七号目半の分館に配属されている私もかり出されて、五合目まで集団を迎えに行き、一緒に歩きながら八号目の山小屋まで連れて行くのである。こういう団体が一夏で数校あったように思う。
 当時私は19歳だったが、不精ヒゲを伸ばしていたので、女子中学生たちからは「鹿児島の人みたいだ」といわれたのを思い出した。女子中学生なんていうものは、いつの時代も勝手なことをクチにするものだ。

 団体客が入らない日は、個人客の勧誘のために五合目までいかされることになる。それまで勧誘のバイトはしたことはなかったが、こういう具合に客引きをやっていた。
 「どちらまで行かれますか~? 八合目までですか~、じゃあご一緒しますよ~」といって、一緒に登ってゆくのである。基本的に風俗店のポンビキと同じようなものである。もちろん歩く距離は桁違いだが。
 日が暮れるでに八号目までは登りたいという個人客(数人程度)と世間話をしながら一緒に山道を歩き、途中の七号目あたりで脱落しないように激励しながら、なんとかがんばらせて八号目あるいは七号目半の山小屋まで連れて行くのが仕事である。
 個人客を山小屋まで連れて行くとコミッションがもらえる制度になっていた。いくらだったか覚えていないのだが・・・。
 意外なことに、一緒に歩いているうちに、お客さんとは友達のようになってゆくのがミソで、たとえ山小屋に勧誘して宿泊してもらい、おカネを落としてもらうのが最終目的であるとしても、お客さんからは八合目まで歩けたことにたいへん感謝されることになるのである。それによって、こちらもおカネ以上の満足感を得ることになる。
 コミッションを「いくら貰ったのか覚えていないというのは、金額では比較できないが、感謝されたという満足感の方が、金銭的なコミッションよりも大きかったためなのだろう。
 ここらへんの人間心理というものは、考えてみると実に面白い。ここに書いてみてはじめて気がついた。


■よく晴れて星が出る夜は、富士山はほんとうに美しい

 あるときはお婆さんも入った個人客を七号目半まで伴走(・・いや伴歩?)したら夜中になってしまったことがある。

 ちなみに、よく晴れて星が出る夜は、富士山はほんとうに美しい。遠く駿河湾で漁をする漁船に点滅する漁り火(いさりび)と、満点の星が一緒になって、ほんとうに素晴らしい、幻想的とも言っていいような星空を味わうことができるのだ。

 アルバイト終了後、社会人になってから何度も富士山に登ったが、いずれも夜間登山をしてきたのは、アルバイト時代に、あまりにも美しい夜空を知ったことが大きい。

 もし機会があれば、ぜひ最終のバスで五合目までいってから、夜中に歩いてみて欲しい。ただし、これは中級者以上限定である。
 足元が暗いので、滑落の危険があるからだ。空の星と海の漁り火が区別できないような幻想的な光景に心を奪われてしまうからでもある。


(2)につづく
http://e-satoken.blogspot.com/2010/07/2_02.html


むかし富士山八号目の山小屋で働いていた 総目次



<関連記事>

・・「■落ちてる髪の毛を拾いながら富士の麓まで歩いたらその髪で作った防寒具でそのまま富士山登頂できる説ある目標に向かって何かを拾い集めるあかつの新たな挑戦…道に落ちている髪の毛を羽毛の代わりにダウンに詰めて防寒具を作り富士山の登頂を目指す」

➡ 御殿場口から砂走を逆に登るのはめずらしい。7合五勺の山小屋「砂走館」でむかしバイトしてたので懐かしい。7合九勺の「赤岩八号館」がその母体。


(7合五勺の山小屋「砂走館」 TVerの画面をスクショ)

(7合九勺の「赤岩八号館」 同上)


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庄内平野と出羽三山への旅 (8) 月山八号目の御田原参籠所に宿泊する
・・ひさびさに山小屋に泊まったときの記録

(2014年9月1日 項目新設)


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