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2025年5月29日木曜日

「トランプ問題」は「国難」ではない。ほんとの「国難」は自公政権が中国共産党によって骨抜きにされていることだ ー『媚中』と『日中友好侵略史』を読んでその詳細を知るべき

 

国民的議論を行うことなく、ステルスで日本政府が推進している「移民政策」。おそらく、その背景には経済諸団体があるのだろう。 

もちろん、「労働力不足」が背景にあることは、リアルのビジネス現場を知っているわたしも重々承知している。とはいえ、短期的にはメリットがあるものの、中長期的には多大なデメリットが発生することは、火を見るよりも明らかだ。 

いや、すでに問題が多発している。これはX(旧 twitter)などのSNSを見ていれば「常識」といっていいだろう。 問題の具体的な現れについては、いちいちここには書かないが、多発しているのが、いわゆる「外免切換」、つまり外国で取得した自動車免許証を日本の免許証に書き換えることが、あまりにも安易に行われていることが原因となった交通事故である。 

先日も小学生の列にクルマが突っ込んで負傷者が出るという事故が発生したが、さすがにオールドメディアも無視することができなくなった。しかしながら、これは氷山の一角に過ぎない。 

埼玉県川口市を中心とした「クルド人(自称)難民」問題などもあるが、なんといっても量的に多いのが中国人が引き起こす「中国人問題」だ。 現状については、直接の見聞や X(旧 twitter)などの散乱する情報をみているとわかるが、その背景にはなにがあるのか。 




まずは、出版されたばかりの『媚中(びちゅう)ー その驚愕の「真実」』(門田隆将/山上信吾、WAC、2025)を読んでみた。今月初めのことだ。

作家でジャーナリストの門田氏と、元駐オーストラリア大使で現在は外交評論家の山上氏との対談という形をとっている。ともに現在は「反中」の立場に立つ人たちである。 

「元大使が政治家・官僚を実名告発」と帯にあるように、太字ゴチックで筋金入りの「媚中派」や「親中派」の実名が書かれている。 

山上氏が外務省の「中の人」であっただけに具体的であるが、圧倒的大多数が「外の人」人である読者は、一読したあとはあっという間に忘れてしまうことだろう。 だが、それでもいい。外務省が問題であることが明らかにされているからだ。遅きに失したとはいえ、まだ情勢を転換するチャンスはゼロではない。 

1980年代のことだったと記憶しているが、当時の最高実力者・鄧小平も欧州のとある政治家を恫喝して、以下のような内容の発言を行っているではないか。中国には余るほど人がいる。中国の言うことを聞かないと、大量に中国人を送り込むぞ!」、と。 

現在の習近平の中国共産党がやっているのは、この「人海戦術」そのものなのである。

「移民」として中国人を日本に送り込み、「帰化」させて日本国籍を取得させ、日本社会を内側から食いつぶすという中国共産党による「工作」。 この動きを阻止しないと、そう遠くない将来、日本は日本でなくなってしまう。

日本国民は、「いま、そこにある危機」であることを認識しなくてはならない。 


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目 次
はじめに 日本侵略を他人事と思っていませんか(門田隆将) 
第1章 致命傷になる中国人ビザ大緩和 
第2章 日本はいかに中国の術中に嵌まったか? 
第3章 中国にひれ伏す日本外務省「驚愕の実態」 
第4章 中国のハンドリングをどこで間違ったか 
第5章 牙をむく中国と倶に天を戴かず! 
第6章 日本の「隷属外交」をどう変えていくか 
おわりに 眠れる日本よ、覚醒せよ(山上信吾) 

著者プロフィール
門田隆将(かどた・りゅうしょう)
1958年、高知県生まれ。作家、ジャーナリスト。中央大学法学部卒業。『週刊新潮』元デスク。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、のちに角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。著書多数

山上信吾(やまがみ・しんご)
1961年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、1984年、外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、その後、同参事官。北米第二課長、条約課長を務めた後、2007年、茨城県警本部警務部長という異色の経歴を経て、2009年には在英国日本国大使館政務担当公使。国際法局審議官、総合外交政策局審議官(政策企画・国際安全保障担当大使)、日本国際問題研究所所長代行を歴任。その後、2017年、国際情報統括官、2018年、経済局長、2020年、駐オーストラリア日本国特命全権大使に就任、23年12月に退官し、外交評論活動を展開中。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■中国共産党による「対日工作」は、すでに70年前(!)から始まっていた

『媚中(びちゅう)』のなかでも門田氏が言及していたが、現在の惨状を招いた中国共産党による「対日工作」が始まったのは、最近のことではない。すでに70年前(!)から始まっていたのである。 

そのことをもっと知りたいと思い、門田隆将氏による『日中友好侵略史』(産経新聞出版、2022)を取り寄せ、つづけて読んでみた。 

自民党と公明党がいかに中国共産党によって骨抜きにされていったか、その70年にわたる「工作」の歴史が、徹底的な取材と具体的な証言によって掘り起こされている。現代史ノンフィクションとしてめっぽう面白いが、その内容にはため息をつかざるを得ない。 

帯の裏に書いているコピーを引用しておこう。ここにキーワードがすべて網羅されている。 

対日工作は70年前から始まっていた 
ランの花、有名女流作家、創価学会、日本の権力闘争、贖罪意識、巨大市場・・・あらゆるルート、あらゆる手法を用いた「友好」という名の「侵略」を明らかにする


とくに「日中国交正常化」(1972年)の前史が興味深い。それ以前にかんしては、わたし自身リアルタイムでは経験していないからだが、「日中友好」を積極的に推進したある民間人には、石原莞爾の「東亜連盟」というバックグラウンドがあったことを知る。 

中国共産党の周恩来と創価学会池田大作との橋渡しを行ったのが、著名な作家・有吉佐和子であったことも含め、「善意」の人たちが行った「行為」が、その人たちの「意図」に反する「結果」をもたらすことにつながっていったのである。なんたる皮肉であることか。 

「天安門事件」(1989年6月4日)で世界中から非難された中国共産党。そんな「天安門事件」後の中国共産党に救いの手をさしのべ、対中投資ラッシュの再開の口火を切ったのが日本政府と財界であった。 かれらが習近平体制の中国共産党をのさばらせる原因をつくったことは、日本国民は銘記しておくべきだろう。

安倍晋三氏が暗殺されて以後、自公政権が「売国的な媚中政権」になっていることは言うまでもない。

「トランプ問題」は「国難」ではない。ほんとうの「国難」とは、中国共産党に浸食され骨抜きにされている自公政権が政権を握っていることである。

目覚めよ、日本人! 


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目 次
はじめに 
プロローグ 
第1章 始まった「対日工作」 
第2章 自民党工作のスタート 
第3章 公明・創価学会への中国工作 
第4章 権力抗争はこうして始まった 
第5章 世界の流れが変わった 
第6章 もう一人のキーマン 
第7章 「中国」巡って政界大動乱 
第8章 日華断交は可能なのか 
第9章 「椎名特使」をめぐる攻防 
第10章 台北の怒りと混乱 
第11章 ”丸裸” だった日本 
第12章 始まった「日中友好絶対主義」 
第13章 世界を驚愕させた人権弾圧 
第14章 変貌する中国 
第15章 ハニートラップの凄まじさ 
第16章 「破壊者」登場の悲劇 
第17章 不可避だった ”米中激突” 
第18章 「友好」に躍った五十年 
エピローグ 
おわりに 
参考文献


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2022年3月27日日曜日

巨匠アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』(2007、ポーランド)をようやく視聴 ― 大国のはざまで翻弄されてきたポーランド現代史の悲劇


 
アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』(2007年、ポーランド)をようやく視聴。大国ドイツと大国ソ連のはざまに位置するポーランドが味わった現代史の悲劇を扱った作品だ。123分。 

 重くて深く、かつ暗いテーマを扱った作品だけに、なかなか気軽に見る気持ちにはならない映画だが、いま進行中の「ウクライナへ戦争」に際して、ふたたび最前線となったポーランドについて知る上では避けて通れない内容といえよう。


 

構想50年、製作17年となったのは、まさに「現代史」がテーマであるからだ。現代史は、立ち位置によって語られ方が大きく異なる性格をもつ。なぜなら、現存者が多数いるだけに扱いが難しいからだ。 

1939年9月1日に電撃戦によって、西部からポーランドに侵攻してきたのがドイツ軍であった。東部から侵略してきたのがソ連軍。同年8月に締結されていた「独ソ不可侵条約」にともなう「密約」によって、独立を回復していたポーランドはふたたび分割占領されることになる。

ポーランドは、最終的にソ連軍がドイツ軍を駆逐することによって「解放」されたわけだが、占領が始まった段階で、ポーランド軍の将校1万数千人(!)がソ連の捕虜となり、最終的に虐殺され、カティンの森に埋められるという事件が発生している。それがこの映画のテーマである「カティンの森」事件だ。


 

1943年にドイツ軍がソ連に侵攻した際、カティンの森でポーランド将校たちの虐殺死体を発見、ソ連軍によるものと非難した。1945年にはドイツ軍を追い払ったソ連が、虐殺はドイツ軍によるものであったと宣伝活動を行う。ピンポンのように揺れ動く状況で、ポーランドは翻弄されることになるが、大戦後にソ連圏に入ったポーランドでは事件の真相を語ることは不可能となる。 
 
そんな事情があったから、ソ連崩壊まで「カティンの森」の真相を究明したり、それについて語ることができなかったのだ。だが、犠牲者となったのはソ連軍の捕虜となって虐殺された将校たちだけではない。大学人や知識人たちは、ナチスドイツの犠牲になったことも映画では取り上げられている。




冷戦時代にソ連の支配下で生きることを余儀なくされたポーランド人たちの姿は、米軍占領時代を除いて他国による支配が繰り返されたことのない日本人には、想像を越えたものがあるというべきだろう。 




さすが巨匠アンジェイ・ワイダ監督の作品だけに、緊密な構成と映像美には圧倒される。映像は重厚だが美しい。

映画の舞台は基本的にポーランド南部の古都クラクフ。ワイダ監督の出身地でもある。大規模な蜂起が展開したワルシャワと違って、破壊されることとのなかったクラクフは美しい(・・わたしも一度訪れたことがある。アウシュヴィッツへのアクセス都市でもある)。 




ラストシーンは、ポーランド軍の将校がソ連軍によって処刑されていくシーンとなるが、将校たちが後ろ手に縛られ、至近距離から後頭部を拳銃で打ち抜かれるシーンの連続には、さすがに目を背けたくなる。視聴に際してR15の年齢制限があるのは当然だろう。 

だからこそ、精神状態が良好なときでないと、内容的に見るのがつらい映画であるが、日本と日本人にとって、「ロシアをはさんで隣国」となるポーランドとポーランド人について、より深く知るためには、かならず見なくてはいけない映画だと、あらためて強く感じるのである。





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2021年11月3日水曜日

現代史の資料として「交渉の内幕」を記録に残すことは関係者の責務-『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(五百旗頭真/伊藤元重/薬師寺克行、朝日文庫、2020)と『フテンマ戦記-基地返還が迷走し続ける本当の理由』(小川和久、文藝春秋、2020)

 
 
積ん読のままとなっている本を読む。昨年(2020年)に出版された政治的意志決定と実行にかんする本を2冊よんだ。いずれも、現代史の資料として「交渉の内幕」を記録に残すことは関係者の責務と認識していた「当事者」による記録だ。

*** 

まずは『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(五百旗頭真/伊藤元重/薬師寺克行、朝日文庫、2020)  元外交官で外交評論家であった岡本行夫氏への聞き取りの記録。

まことに残念ながら、昨年2020年4月24日に新型コロナ感染症でお亡くなりになったため(*なんと、わたしの父が亡くなった前日だ)、「追悼」の意味で文庫化された聞き取りは2005年から2008年にかけて行われ、2008年に単行本化されていたらしい。 


岡本氏は大学の大先輩にあたる人。直接本人を存じ上げていたわけではないが、直接知っている先輩の同級生という形で間接的には知っていた。

そんなこともあって、ずいぶん以前から勝手に親近感を感じてきた。マスコミに登場することも多かったので、その名前とキラキラした活躍ぶりについては記憶している人も少なくないはずだ。 

大学卒業後の1968年に外務省に入省し、日米関係を中心に担当したキャリア外交官だが、45歳で退官して独立した。その後も、橋本内閣や小泉内閣で「首相補佐官」を歴任した。

橋本内閣では「沖縄の米軍基地問題」、小泉内閣では「イラク戦争」を担当、その熱い奮闘ぶりが政治学者たちのインタビューによって、本人の証言として引き出されている。編者による綿密な注がつけられており、オーラルヒストリーとしての記録という位置づけがなされている。 

もちろん、事実関係が精査されているとはいえ、本人の「主観」による解釈であり、岡本氏の認識とは異なる解釈は当然ありえるだろう。 

外交問題は、内政問題という政治と密接にかかわっているわけであり、政治の世界の内幕にかんしては、なおさらだろう。 

文庫版には「特別寄稿 岡本行夫さんを悼む」として16名の追悼文が掲載されている。徹底的に「現場主義」を貫いた岡本氏の仕事のスタイルを知ることができる。 読みごたえのある内容の本だった。 


目 次  
文庫版まえがき 薬師寺克行
第1章 アメリカとの出会い
第2章 外交の世界を知る
第3章 冷戦時代の安全保障の現実
第4章 自立的外交への挑戦
第5章 屈辱の湾岸戦争
第6章 沖縄の苦しみとともに
第7章 アメリカの戦争
〔解題〕日本の国際的役割の追求--岡本行夫(五百旗頭真) 
文庫版あとがき--外務省の枠に収まらなかった外交官(薬師寺克行)
特別寄稿 資料 岡本行夫氏関連年表 




***

 岡本行夫氏のインタビューによる証言録を読んだあとに、『フテンマ戦記-基地返還が迷走し続ける本当の理由』(小川和久、文藝春秋、2020)をつづけて読む。  


小川和久氏は軍事アナリストで、『在日米軍-軍事占領40年目の戦慄』(小川和久、講談社、1985)は、出版された直後に読んで、大いに目を開かれる思いをしたものだ。 

『日米同盟のリアリズム』(文春新書、2017)もまた読みごたえのある内容だった。軍事知識のリアリズムを前提にして、政治経済まで視野に入れた分析は信頼に値するものであり、安全保障と危機管理の分野では、第一人者である。 

本来は、『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』とは別個の書籍として取り上げるべきだろと思うが、「沖縄の基地問題」の解決にあたって、岡本行夫氏との見解のズレが大きいので、その点の関心もあって読むことにした次第だ。 

同年生まれの岡本氏とは見解を異にするとはいえ、小川氏もまた、現代史の資料として交渉の内幕を記録に残すことは関係者の責務という認識をもっているようで、交渉の経緯が現存者も含めて実名入り(!)で詳細に書かれている。 

その岡本氏にかんしては、367ページの本書で12ページも割いて「首相補佐官 岡本行夫」として取り上げている。小川氏の見解は、以下のようなものだ。引用してみよう。 

実を言えば、岡本氏は安全保障問題については意外なほど知見に乏しい。しかし、外務省安全保障課長、北米第一課長という経歴と、自らも安全保障に詳しいような言動をする中、政財界とマスコミが「エキスパート」として祭り上げるようになった。ここに普天間問題の悲劇のひとつがある。岡本氏自身にとっても悲劇だったかもしれない。

リアルな軍事知識を欠いた官僚や、元官僚を信頼して頼り切った政治家たちの罪は大きいと、小川氏は見ているのである。

小川氏が岡本氏についてページを割いて取り上げている理由は以下のとおりだ。 

官僚だけではないが、きらりと光る部分を備えた人物を客観的にとらえるためには、負の部分をも直視して相対的な評価を下す必要があることは言うまでもない。

この発言には全面的に賛成だ。小川氏の見解に対して、岡本氏自身の反論やコメントが欲しかったところだが、小川氏の著者が出版された2020年3月の翌月4月に、岡本氏は亡くなってしまった。先にも触れたように、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死である。まことにもって残念としかいいようがない。 

『フテンマ戦記』を最初から最後まで読んでみると、軍事知識のリアリズムを欠いた政治家や官僚の問題は、日本だけの問題ではないことがわかる。交渉のカウンターパートである米国側も似たような状況なのだ。

「現場」のリアルを知らないのである。 日本側のシロウトが米国側のシロウトと交渉して、普天間基地移転問題の当事者である米海兵隊の基地運用の実際について知らず、また知ろうともせず、机上のプランで不毛な交渉が延々と続いているのである。 

無責任きわまりない鳩山由紀夫元首相だけが記憶に残るが、迷走の原因はそれだけではなかったのだ。 いつまでたっても、最重要課題である普天間基地移転がまったく進展しない状況には、沖縄県民ではなくても、ため息をつきたくなる。 

『フテンマ戦記』は、普天間基地移転問題の迷走の原因を時系列にそって記述された記録だが、大きなテーマもさることながら、ディテールが興味深い。 

岡本行夫氏は、先にも触れたように、わたしにとっては大学の大先輩にあたる人で、人物物評価にあたっては、ある種の「学縁バイアス」が働きがちだが、小川氏の場合も同志社大学神学部の後輩にあたる作家の佐藤優氏(当時は外務省主任分析官)には、似たようなバイアスが働いていたようだ。詳細は、直接読んで確かめてみるといい。 

現代史というものは、ある意味では現在進行形の歴史であるが、そうはいっても、普天間基地移転問題が始まった1996年は、すでに四半世紀も前のできごとだ。すでに歴史の闇のなかに消えかけている。 記憶を新たにするためにも、ぜひ読むことを薦めたい。

ただ残念なのは、「人名索引」がついていないことだ。『フテンマ戦記』も『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』も、その点は大いに問題である。日本の出版物全体にかかわる問題だ。 たしかに電子版なら検索はできるが、ある特定の人物がどの程度まで量的に取り上げられているか知るには、索引という形で整理されていることが望ましい。

それにしても、政治の内部腐食もまた現在進行形だ。はたしてこの危機を乗り越えることはできるのだろうか・・・。 


目 次
はじめに なぜ普天間返還は進まないのか?
序章 チャンスは4回あった
第1章 迷走への序曲-自民党本部1996
第2章 小渕官邸 1998~2000
第3章 小泉・安倍・福田・麻生官邸 2001~2009
第4章 鳩山官邸 2009~2010「トラスト・ミー」の陰で
第5章 沖縄クエスチョン 1999~2011
第6章 鳩山だけが普天間を迷走させたのか? 2010~2019 
あとがき 信頼を回復する道
普天間移設年表




 


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2020年3月10日火曜日

JBPressの連載コラム第73回は、「東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな-原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」」(2020年3月10日)


JBPressの連載コラム第73回は、東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな 原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」(2020年3月10日) 
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59594

自然災害か人災かにかかわらず、大事件を発生した月日の数字で表すことがある。

2001年の米国の同時多発テロ事件「9・11」や、2011年の東日本大震災と原発事故の「3・11」がその代表であろう。

まもなく、また「3・11」を迎えることになる。東日本大震災と福島原発事故からまもなく9年になるのである。月日がたつのは早いものだ。猛威を振るっている新型コロナウイルス関連の記事や番組があふれている現在どうしても隠れがちだが、福島の復興の状況が気になるところだ。

だが、本日3月10日にも大量に死者がでた大事件があったことにも注目してほしい。

ここでは「3・10」と名付けておくが、「3・11」だけでなく、「3・10」についても考えてほしいと思うのである。いや、この2つの出来事は一緒に考えるべきものかもしれない。日本の弱みや問題点が集約的にあらわれているからだ。

「3・10」とは、1945年(昭和20年)3月10日の「東京大空襲」のことだ。東京下町の住宅密集地帯を狙った焼夷弾攻撃によって、なんと2時間で10万人が無差別殺戮されたのである!しかも、日本全土で実行された空襲は、原爆よりも被害が大きかったのだ。

「空襲」=「空爆」について、日本人は知らねばならない。





<ブログ内関連記事>

東京大空襲から70年(2015年3月10日)-空爆は「無差別殺戮」である!

「現代史」を軽視してきた「歴史教育」のツケをどう克服するか?-歴史教育の現場で「逆回し」の実践を!

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる


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2019年1月4日金曜日

書評『裕次郎』(本村凌二、講談社、2017)-古代ローマ史の専門家が書いた「自分史」としての「戦後現代史」


年末にヒマができたので『裕次郎』(本村凌二、講談社、2017)を読んだ。ヘアカットの順番待ちしているあいだに一気読み。 


著者の本村凌二氏は東京大学名誉教授で専門は古代ローマ史。「裕次郎」とは、言うまでもなく石原裕次郎のこと。本村氏は、裕次郎の曲ならカラオケで100曲は歌えるという大ファンらしい。 


石原裕次郎は、すでに亡くなってから30年になるが、まさに戦後の「昭和30年代」そのものといってもよい存在であった。だからこの本は、古代ローマ史の専門家が書いた激動の「戦後現代史」の本といえる。といっても、古代ローマの話はいっさいでてこない。


著者の独断と偏見でセレクトした石原裕次郎主演の映画10本について、著者自身の「自分史」とかさねあわせた現代史エッセイともいうべき内容だ。 


石原裕次郎といえば、私の世代にとっては、すでに映画の人ではなくTVドラマの「太陽に吠えろ」や「西部警察」のボスであったが、うちの母親が熱烈なファンだったこともあって、私も裕次郎の曲ならいくつか空(そら)で歌えるまで覚えてしまった(笑) 読み終わったこの本は、母親にあげることにした。ちなみに母親は戦中派だ。 


だが、歌は知っていても、その歌が主題歌とされた映画の内容までは知らなかったので、同時代体験をしていない私にとっても興味深い内容だった。 


本村凌二氏は、大学の先輩にあたる人だ。裕次郎は慶応出身だが、兄の慎太郎もまた大学の大先輩。1947年生まれの団塊世代の著者の「自分史」としては中学時代が中心で、大学時代の回想がほとんどないのがちょっと残念ではある。 


敗戦後の日本が高度成長をとげるまでは、こんな時代だったのだということを知るには、こういうアプローチがあってもいい。著者も、「歴史はまず現代史から学ぶのがいい」と「あとがき」で書いている。







著者プロフィール 
本村凌二(もとむら・りょうじ) 
早稲田大学国際教養学部特任教授、東京大学名誉教授。博士(文学)。1947年、熊本県に生まれる。1973年、一橋大学社会学部卒業。1980年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、現職。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。近著に、『ローマ帝国人物列伝』、『愛欲のローマ史』、『競馬の世界史』、『教養としての「世界史」の読み方』、『英語で読む高校世界史』(翻訳監修)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


目 次 
はじめに 
第1章 兄弟が贈った日本版ヌーベルバーグ-『狂った果実』  
第2章 夜霧にむせぶ哀愁の叙情詩-『俺は待ってるぜ』  
第3章 すれ違う母と子の物語-『嵐を呼ぶ男』  
第4章 やってはならないこと-『赤い波止場』  
第5章 死によって打ち砕かれるもの-『世界を賭ける恋』  
第6章 「性の自由」なる風潮へのアンチテーゼ-『憎いあンちくしょう』  
第7章 必死に耐えながらも傷ついてゆく男の宿命-『太陽への脱出』  
第8章 恐ろしいほどの時代の感受性-『赤いハンカチ』  
第9章 ミステリアスな叙情詩の最高傑作-『帰らざる波止場』  
第10章 揺れ動く現実世界に巻き込まれた男と女の悲哀-『夜霧よ今夜も有難う』  
エピローグ


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