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2010年12月24日金曜日

書評『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)― 日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに



 いまだに全人口の 1%を越えることのない日本のキリスト教人口、なぜそうなのかについての探求はこれまでにも多くなされてきた。

本書『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)の特徴は、これまであまり着目されることの少なかった「キリスト教土着」に大きな焦点をあてたことにある。

 私自身はキリスト教徒ではないが、キリスト教そのものは知的に理解する必要があるとは思ってきた。また、近年非常に増えている「キリスト教式結婚式」を持ち出すまでもなく、日本人はとくに若年層を中心に「キリスト教的なもの」に親近感を抱いているようだ。

 しかし、今後も日本では信者になろうとする者はきわめて少数だろう。人生の通過儀礼の一つである結婚式をキリスト教式にしたとしても、信者でもないのに、出生や葬儀をキリスト教式にする者が増えるとは、とうてい考えられない。

 明治維新以後のキリスト教布教は、もっぱら米国のプロテスタント系教会が中心となってきた、(・・P.20~26に日本で伝道を行ったキリスト教団のリストが掲載されているが、驚くべきほどの多さである!)。

 しかし、キリスト教徒となった日本人のなかには、外国人宣教師のミッションのやり方にはしっくりこない者や拒否反応を示した者がいた。

 旧士族の儒教的エートスの持ち主であった内村鑑三の無教会運動を筆頭に、独特の聖書解釈により日本人のためのキリスト教の展開をはじめた者が少なからず存在する。

 これらはみな、キリスト教を普及させたい側の論理ではなく、キリスト教を受容したい側の論理からの強い熱望がそうさせたのであった。

 内村鑑三にインスパイアされた人たち(・・すべて男性である!)は、日本の伝統である精神修養、自己修養の道としてのキリスト教を開拓している。しかし、これらの教団に従ったのは、主として知識人を中心にした、知的な中産階級に留まった。

 なおざりにされた一般大衆は、「キリスト教土着」という方向に進み始める。ペンテコステ的という、異言や癒しなどの心霊主義的、体験型の信仰なキリスト教の道へと進んだのである。

 しかし、この道の行き着く先は、そもそもの土着型新興宗教と同じ土俵に入っていくこととなり、敗戦後の社会変動に際して、一時的には信者は増えたものの、ついには日本に定着することなく今日に至っている。

 土着型もカリスマは創設者一代限り、カリスマは継承されないまま家が組織を引き継いでいるが、信者の高齢化だけでなく、少子化のなか、新たな信者も獲得できずに衰退していくのは致し方のないところであろう。


■ビジネスの観点から布教活動を考えてみる

 「魂の争奪戦」としての布教活動は、ビジネスでいえばマーケティングと同じ活動であるが、この活動において、キリスト教は日本市場では失敗したといってもいい過ぎではない。韓国と比べるとその差は歴然である。

 キリスト教が日本に定着しなかった理由には、日本人自身による「無意識の取捨選択」が働いているというべきだろう。

 著者もいうように、日本の民俗信仰にける「祖先と死者の霊をめぐる土着の信仰や慣習」はきわめて根強いものがあり、たびたびの社会変動を経ても根本的に変化することはなかったのである。  

 現在ではこれが、マスコミと連動したいわゆるスピリチュアル・ブームとなって、さらに顕在化され強化される方向にあるとすらいえる。現代的な衣装をまとっていても、日本人の民間信仰の本質は「祖先と死者の霊」を抜きにしては成り立たないのである。

 そしてまた、生きた人間と人間の関係が、自立した個人を基礎にした社会ではないことも、キリスト教の浸透を阻んでいる大きな理由の一つである。近代化された日本においても西洋的な意味での社会は存在せず、人間関係は依然として「世間」が中心である。
 キリスト教は「世間」からみれば他者以外の何者でもない。土着化したときには「世間」のなかに取り込まれており、すでにキリスト教ではなくなているというべきかもしれない。

 「免疫系」の比喩でいえば、キリスト教という「異物」に対する「免疫反応」は、拒絶するか、取り込んで自分のものとしてしまうかの二つしかない。その意味では、キリスト教はもはや日本では増えることはないだろうが、多くの日本人は無意識のうちに取捨選択してキリスト教の要素をすでに何らかの形で取り込んでしまっているといってもよいかもしれない。しかも自分に都合のいい、「いいとこ取り」という形で。これは冒頭で言及した「キリスト教式結婚式」に端的にあらわれている。


■浮かび上がってくるのは日本人が作り上げている「世間」

 本書は、さまざま観点から読むことのできる興味深い研究書である。

 キリスト教の土着運動を描くことによって浮かび上がってくるのは、日本というもの、日本人というもの、つまり「世間」についてであり、また新しい思想や教義を異なる文脈をもつ文化に移植することの困難さについてである。

 ビジネスマンとしての私が興味をもつのは、とくに後者の点である。布教の成功とは、その教えによってどれだけの数の魂を救うことができたかということで測ることができるが、どこまでオリジナルな本質を保ったまま、現地に土着化するかという課題として残る

 これはビジネス用語を使えば、カスタマイズによる「ローカリゼーション」であるが、宗教も思想の一つである以上、同様のメカニズムが働いているとみて問題ないであろう。

 万人向けの本ではないので、すべての人に薦めるつもりはないが、日本とは何かを考える人には、面白い視点を提供してくれる本であることは間違いない、といっておこう。



<初出情報>

■bk1書評「宣教(=キリスト教布教)をマーケティグの観点から考えるヒントに」投稿掲載(2010年12月23日)
■amazon書評「宣教(=キリスト教布教)をマーケティグの観点から考えるヒントに」投稿掲載(2010年12月23日)

* 1年前に執筆していながら未発表だった文章を、大幅に圧縮して「書評」として投稿。ブログでは、原型に戻したうえで字句の修正を行った。

*さらに読みやすくするため、行替えを行い、小見出しを挿入した。(2026年2月14日 記す)


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目 次
まえがき
第1章 日本製キリスト教という問題
 1. 宗教伝播の問題
 2. 日本の場合
 3. 土着運動という盲点
第2章 さまざまなキリスト教
 1. ローマ・カトリック教会とプロテスタント・ミッション教会
 2. 超教派から教派へ
 3. 札幌バンドと熊本バンド
 4. 明治期のミッション教会
 5. 国家主義への適応
 6. 戦後の状況
 7. 多彩な土着運動
 8. 土着化の新たな類型論
第3章 カリスマと準教祖
 1. 日本人が拒否したもの
 2. 日本文化の多様性と聖書の多元性
 3. カリスマと準教祖
 4. 「霊の世界」のあらわれ方
第4章 無教会運動とは何か
 1. 日本製キリスト教の源泉
 2. 内村鑑三の精神遍歴
 3. 士族の儒教倫理
 4. 預言者としての内村鑑三
第5章 自己修養の道
 1. 松村介石と道会
 2. 川合信水と基督心宗教団
 3.    宗教体験と自己修養
第6章 第二波の土着運動
 1. 村井じゅんとイエス之御霊教会
 2. 大槻武二と聖イエス会
 3. 手島郁郎と原始福音運動
 4. 日本製使徒キリスト教の特徴
第7章 日本人キリスト教徒と死者の世界
 1. 祖先崇拝と霊魂信仰
 2. プロテスタント神学と祖先崇拝の衝突
 3. 民俗宗教への取り組み
 4. 日本人の目で聖書を読む
 5. イエス之御霊教会の身代わり洗礼
 6. 死霊の救済
 7. 世界の再呪術化
第8章 何がキリスト教移植を阻むのか
 1. 成長と衰退のパターン
 2. 土着化は万能薬か
 3. 日本におけるキリスト教のジレンマ
 4. 黙殺された次元
 5. 押し寄せる韓国キリスト教
 6. 韓国キリスト教のシャーマニズム化
 7. パウロ・チョー・ヨンギの日本宣教
 8. 日本グレースアカデミーにおける癒し
 9. 韓国ペンテコステ派と現世利益
第9章 日本製キリスト教のとらえ方
 1. 日本製キリスト教の「道」
 2. カリスマとその継承
 3. 現代日本人のキリスト教観
 4. 土着運動が示唆するもの
キリスト教土着運動教団別資料
訳者解説

著者プロフィール
マーク・マリンズ(Mark R. Mullins)
1954年アメリカ合衆国アラバマ州に生まれる。アラバマ大学卒業、リージェント大学(カナダ)を経てマックマスター大学(カナダ)で博士号取得。宗教社会学専攻。1985年から日本在住。四国学院大学、明治学院大学を経て、上智大学比較文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

高崎恵(たかさき・めぐみ)
1963年生まれ。国際基督教大学卒業、同大学大学院で博士号取得。文化人類学専攻。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所COE特別研究員、オックスフォード大学クィーンエリザベスハウス客員研究員を経て、国際基督教大学、東京女子大学、東洋大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 「第5章 自己修養の道」の「2. 川合信水と基督心宗教団」で、川合信水を描いて実弟の肥田春充(ひだ・はるみち)に触れていないのは大いなる不満である。

 なぜ、肥田春充が創始者の「強健術」がグンゼで普及したのか(・・川合信水は教育担当者として私企業のグンゼに招かれて労働者の指導にあたっていた)、そしてまた「肥田式強健術」の極意の型といわれるものに「聖十字架操練法」なんて技法があるのか、この本を読んではじめて、そのミッシングリンクが「川合信水と基督心宗教団」であることがわかった。

 肥田春充の「肥田式強健術」については、あらためてこのブログで紹介したいと考えている。

 「第6章 第二波の土着運動」の「3. 手島郁郎と原始福音運動」で、「幕屋(まくや)運動」について詳しく書かれているのはありがたい。「土着したキリスト教」において、創始者の息子ふたりが、原始キリスト教を突き抜けてユダヤ教の専門研究者になっているのは面白い。日本人の原点追求志向のなせるわざか。
 米国でもキリスト教原理主義者がユダヤ教に改宗して、イスラエルの入植者になっているケースが多々あることも知っておくべきことだろう。



追記(2011年2月18日)

 なお、この書評(初出)は投稿先の bk1 でも紹介していただいている。
 bk1 書評ポータルにて紹介 2010年12月30日 


追記(2011年9月17日)

 『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる! と題して肥田春充の「肥田式強健術」について紹介する記事を書いた。これで少し肩の荷が下りた




<ブログ内関連記事>

イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・「異文化マーケティング」の先駆者に学ぶものとは

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用される」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「日本におけるキリスト教の不振」について文化人類学者・泉 靖一が、ひろく「儒教文化圏」全体をみわたして、その原因について語っている

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「霊性」(スピリチュアリティ)について言及

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」について考える。同時に韓国についても考察。

本の紹介 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)
・・「芸能界」と「霊能界」の双方にまたがって生きる美輪明宏という存在について

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)
・・日本人が生きているのは「社会」ではなく「世間」

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ
   
書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー

(2016年2月1日 情報追加)


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書評『聖書の日本語 ― 翻訳の歴史』(鈴木範久、岩波書店、2006)― 新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか




新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本

 キリスト教聖書の日本語への翻訳の歴史を、キリシタン時代からさかのぼり、とくに明治時代から最新訳聖書に使用されている日本語を徹底的に分析した本。

 キリスト教の教義と思想そのものは、戦国時代末期のキリシタン時代にあっては当然のことながら、明治時代の日本人にとっても、まったく新しいものであった。

 明治時代に行われた、聖書の日本語訳で使用されたキリスト教用語が、中国で出版された漢訳聖書(=漢語訳聖書)のものを多く引き継いでおり、このため明治時代の日本人にとっても受容しやすかったという指摘が興味深い。

 これは、漢訳仏典をつうじて日本人が受容した大乗仏教と同様、キリスト教もまた漢訳聖書の影響を、最新訳の聖書に至るまで(!)大きく受けていることを意味しているわけだ。

 江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい。

 新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用されるわけである。

 これは、キリスト教の布教といった狭い側面に限らず、新しい考え方を普及させるためには必要なことなのかもしれない。

 原典であるヘブライ語とギリシア語から、旧約聖書と新訳聖書が翻訳がされるようになったのは口語訳聖書以降であって、現在の最新訳においても、漢訳聖書で使用されたコトバが生き残っていることが、著者の研究によって示されている。

 キリスト教で使う神、精霊、天国、洗礼、愛といった単語は言うまでもなく、「目からウロコが落ちる」、「笛吹けど踊らず」などの日本語表現が、実は聖書の日本語訳に由来することを多くの人は知らないようだ。それくらい無意識に使用されるこれらの単語や表現が、知らず識らずのうちに現代日本人の思考を支えているというわけなのだ。

 私は、明治時代の聖書翻訳者たちが漢訳聖書で使用されていた「天主」をそのまま受け入れなかったことを、たいへん残念に思っている。

 天主教とはカトリックのことだが、プロテスタントが中心になった日本語訳聖書翻訳者たちが「神」という訳語を選択したために、その後いかなる混乱をもたらし、それが現在まで続いていることか。日本の首相が内輪の集会でクチにした「日本は神の国」という文言が、いかなる反発を招いたか、その経緯を思い出してみるとよい。

 こういったことも含めて、近代日本語を豊かににしてきたとともに、問題のタネを撒いた「聖書の日本語」について知るための必読書である。


<初出情報>

■bk1書評「新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本」投稿掲載(2009年12月22日)
■amazon書評「新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本」投稿掲載(2009年12月22日)

*再録にあたって、大幅に書き換えた。


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目 次

第1章 聖書の日本語訳事始め
第2章 聖書の中国語訳
第3章 中国のキリスト教書と日本語訳聖書
第4章 ヘボン訳と明治元訳の成立
第5章 改訳への痛み―「大正改訳」成立史
第6章 口語訳から共同訳へ
第7章 日本語と聖書語
むすび 中国経由のキリスト教という一面
付章 聖書と日本人


著者プロフィール

鈴木範久(すずき・のりひさ)

1935年生まれ。専攻、日本宗教史。立教大学名誉教授。内村鑑三の英文著作からの日本語訳者でもある
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを増補)



<書評への付記>

 「日本は神の国」という文言をクチにしたのは、自民党の森元首相。神道関係の集会での発言であり、この発言じたいには問題はない。ただし、立場の違いによっては、絶対に受け入れることのできない人がいることは理解できる。

 戦前のファナティックなまでの「神国」を想起させるからだ。

 なお、キリスト教でいう「神の国」とは、古代キリスト教の教父アウグスティヌスの著書のタイトルである。ラテン語の Civitas Dei は、英語訳では The City of God となっている。この点にかんしては、Civitas Dei を「神の国」と訳したキリスト教関係者にも大いに問題がある。

 英語では大文字で始まる God と 小文字で始まる god を区別しているというものの、あいまいであることは大きな問題である。大文字の God には単数形しかなく、小文字の god は複数形 gods がありうる。フランス語でもその他西欧語ではみな同じである。

 キリスト教聖書の翻訳が、その言語の近代化に与えた大きな影響については、ドイツ語におけるルター聖書や、英語における King James Version など枚挙にいとまがない。

 日本語においても、それは同じであった。

 少なくとも日本語においては、日本語訳聖書には功罪両面あると言わざるをえない。日本語表現を豊かにしたという「功」の面と、ここに書いた「罪」の面。


PS 読みやすくするために改行を増やした。 (2014年2月5日 記す)。



<ブログ内関連記事>

布教とローカリゼーション、文化変容

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・「異文化マーケティング」の先駆者に学ぶものとは

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観




「日本の近代社会とキリスト教」

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書


書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「幕末の復古神道のパイオニア・平田篤胤(ひらた・あつたね)自身が、ひそかに漢籍文献をつうじて知りえた、キリスト教のアダムとイヴの創世神話を、大胆にも換骨奪胎(かんこつだったい)して、自分の教説内容に取り入れてしまっている」

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)について間接的に言及

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫とキリスト教の接点について言及している

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・「日本は神の国」という文言が生まれてきた背景について「神々の明治維新」で考える


聖書の翻訳と現地語

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010) 
・・アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たした事実は、ルターによる聖書のドイツ語訳とのアナロジーを思わせるものがある

(2014年2月5日 情報追加と再編集)


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2010年2月3日水曜日

「恵方巻き」なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!-「創られた伝統」についての考察-


                       
 「恵方巻き」(えほうまき)なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!

 ここ数年、何年前からか正確かわからないが、やたら「恵方巻き」というのが宣伝されるようになって、コンビニがこぞって販売促進している。

 関西の風習で、節分には太巻き寿司を、縁起のいい方角にむけてかぶりつく風習(?)とさかんにいっているが、両親がともに関西出身(・・大阪ではない)で私自身も関西生まれ(・・大阪ではない)のに、私が子供の頃は見たことも聞いたこともまったくなかった。

 節分といえば豆まき、これは子供時代からの私の「固定観念」となってきた。

 しかし、関西出身の30歳台以下の人たちに聞くと、「恵方巻き」はやっているという。う~んおかしいなー、ウチではやったことないなあ・・・なんでやねん?

 思い立ったら調べてみるに限る。おかげさまで、ここ数年の疑問がやっと溶けました。

 Wikipedia で「恵方巻き」を調べてみると、次のように書いてある。(*以下、引用文は2010年2月3日現在のもの。太字強調は引用者によるもの)

恵方巻き(えほうまき)は、節分に食べると縁起が良いとされる巻き寿司またはそれを食べる栃木県と近畿地方を中心とした風習である。「恵方寿司」とも呼ばれる。節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている]が、恵方巻きブームのきっかけは関係業界の販売促進である。

 なるほど。しかしよく読んでみると、近畿地方の前に栃木県がでてくるぞ。
 もう少し先を読んでみよう。

恵方巻の起源はいくつもの説があり定かではない。その一つに、栃木県都賀郡壬生町の磐裂根裂神社の節分祭が起源であるというものが有力で、同神社では、節分祭の参列者に振る舞われる「夢福巻き寿司」という太巻きがあり、宮司が神事を執り行った後、拝殿内で太さ約5cm、長さ約20cmの太巻きを配り、太鼓の合図とともに、全員が今年の恵方を向いてその太巻きずし丸かぶりする。太巻きを鬼の金棒に見立てて「邪気を祓う」という意味があり、さらに、切らずに長いまま太巻きを食べることで「縁を切らない」、「福を巻く」という意味も含まれ、祓鬼来福の祈念を行うものとされ、境内には「恵方巻き寿司発祥の地」の石碑がある。

 磐裂根裂神社と書いて「いわさくねさく・じんじゃ」と読むようだ。はあ。神社のウェブサイトがあるので覗いてみる。年中行事の項目をみると、「2月節分 節分厄除祈祷祭(恵方ずし)」という項目があって、写真とキャプションがアップされている。 しかし、「恵方巻き寿司発祥の地」の石碑の写真はないな。わざわざ栃木県まで調べに行くまでの情熱はないし・・・

 ではなぜ関西なのか? 引用を続ける。

恵方巻の習慣は、昭和初期の大阪の商人の間で行われていたようで、節分の「丸かぶりずし」の広告チラシも作成された。・・(中略)・・戦後に一旦廃れたが、1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められた。翌1974年には大阪市で海苔店経営者らがオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして節分のイベントで海苔巻きの早食い競争をはじめたこと、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事などが契機となって、復活することとなった。

 なるほど、1973年以降に復活、というより再創造された風習なわけなのだ。

 1962年生まれの私は、1965年には父親の仕事の関係で、家族まるごと東京に移住したのだが、ウチの実家に「恵方巻き」の風習がそもそも存在しないのは、1973年以降は関西にいなかったからなのだ。どーりで、「恵方巻き」の「風習」などなくても当然なわけなのだな。

 関西ですら、「Since 1973 の風習」、ということなら十分に納得できる。


「創られた伝統」



 その意味では、「恵方巻き」は、まさに「創られた伝統」である。「創られた伝統」(invented tradition)とは、英国のマルクス主義の近代史家エリック・ホブズボームの編著書のタイトルである。

 The Invention of Tradition, edited by Eric Hobsbawm and Terence Ranger, Cambridge University Press, 1983 は、創られた伝統(文化人類学叢書)』(エリック・ホブズボウム編、前川啓治/梶原景昭訳、紀伊國屋書店、1992)として日本語訳されている。(・・Hobsbawm の発音はホブズボームであり、ホブズボウムとはおかしな表記である。検索の観点からも、こういうことはやめてほしいものだ)。

 この本は、19世紀後半から20世紀にかけての英国史を題材に、歴史学者と人類学者が寄稿した論文集で、歴史学と人類学の融合領域にかかわる本である。

 "Invented tradition" については、日本語訳はみたことないので、自分がもっている英語版から原文をそのまま引用しておく。ホブズボームによるイントロダクションの冒頭から。

Nothing appears more ancient, and linked to an immemorial past, than the pageantry which surrounds British monarchy in its public ceremonial manifestations. Yet, as a chapter in this book establishes, in its modern form it is the product of the late nineteenth and twentieth centuries.
"Traditions" which appear or claim to be old are often quite recent in origin and sometimes invented.
(私訳)
公式儀礼において示される、英国の君主制を取り巻く壮観なものほど、古式ゆかしく、はるか大昔に連なっているように見えるものは他にはない。とはいえ、本書のある一章で立証されているように、その現代的な様式は、たかだか19世紀後半から20世紀にかけての産物に過ぎないのである。
古くからあるように見え、またはそうだといわれる「伝統」は、その起源においては最近のものであることがよくあることで、また時には創られたものでもある。

 まさに、資本主義時代の文化創造の一つなのである。


バレンタイン・デーのチョコレート」もまた

 「恵方巻き」もまた、商業的に新たに創造された伝統であるといえる。「恵方巻き」がその最近例なら、バレンタイン・デーのチョコレートなど、内容は変化しながらも現在に至るまで衰えることなく続く風習の、最たるものだろう。バレンタイン・デーの2月14日まではまだ日があるが、ついでなので書いておく。

 バレンタインのチョコレートは、東京のメリー・チョコレート・カムパニー が始めたものであるということは、かつてのオーナー社長が雑誌インタビューで答えていたのを読んだ記憶がある。以下に、最新のウェブサイトに掲載されている文章を引用させていただく。

HISTORY St.Valentine's Day
昭和33年、メリーのバレンタイン誕生

 昭和33年(1958年)、メリーのバレンタインは始まりました。前社長が大学卒業後の年、父の会社である メリーチョコレートでアルバイトをしていました。その1月に、パリ在住の先輩の商社マンから1枚の 絵葉書を受け取ります。そこには「こちらパリでは2月14日はバレンタインデーといって、男女が花や カード、チョコレートを贈りあう習慣がある」と書かれていました。バレンタインとチョコレートとい うロマンティックな組み合わせに、アルバイトの身ながらこれはお客様にメリーのチョコレートをお買 い求めいただく良いきっかけになると思い立ち、創業社長の父親に相談。東京の百貨店で「バレンタイ ンセール」と銘打って板チョコを販売したのです。しかし準備不足もあって、3日間で50円の板チョコ 3枚、20円のメッセージカード1枚、売上は170円という惨憺たる結果に終わりました。それでも懲り ずに次の年もバレンタインセールを企画しました。
 翌年からはチョコレートにも工夫を凝らしました。ハート型のチョコレートの上に、贈る人と相手の 名前を彫るサービスをメインに打ち出し、『年に一度、女性から男性に愛の告白を』というキャッチコ ピーを考えついたのです。時代を先取りしたこのコピーは、やがて発刊したばかりの女性週刊誌などの 目に留まり、バレンタインの特集記事が組まれるようになりました。バレンタインデーの習慣は徐々に 知られていき、やがて日本中に浸透し、現在のような大規模なイベントに成長したのです。


 だ、そうだ。この文章に書かれた内容が正しいのであれば、バレンタイン・デーに、女性が男性にチョコレートをあげる習慣は日本で、しかも一企業の販売促進戦略の一環として始まったのである。もっとも最近では、女性どうしや、自分用に買う女性も多いようだ。人にあげるのはもったいない、という気持ちはわかる。

 フランスのパリについては知らないが、少なくとも米国においては、女性が男性にチョコレートを贈る風習は存在しない。主に男性が女性に花を贈るだけである。


「創られた伝統」とマーケティング

 日本に限定してみても、近代天皇制(明治時代)、神前結婚式(大正時代以降)・・・など、多くの「風習」は実は近代になってから「作られた伝統」である。

 逆にいえば、伝統は創ることが可能だ、ということでもある。

 そのために必要なのは、過去にルーツをもつ「種子」(タネ)である。この種子のまわりに物語をまぶして、広告宣伝のキャンペーンでで弾みをつけて、あとはクチコミで話がどんどん膨らんでいくと・・・いつの間にか「伝統」として君臨することになっている、ということもあるわけなのだ。

 一般消費財にかかわるビジネス関係者なら、なんとしてでも「伝統」に創り上げたいと望むところだろう。「伝統」として年中行事に定着すれば、年度計画を立てるのがラクになるからねー。もちろん生産体制を準備する必要に迫られるが。

 とはいえ、個人的には、節分は豆まきだけで結構

 天の邪鬼(あまのじゃく)だからというより、年中行事として生活習慣化していないし、なんか違和感があるからなんですねえ。関西のスシはそもそもがハコ寿司か押し寿司だし、江戸前鮨もノリは巻物以外つかわないしね。

 そもそも、個人的には、おいなりさんや太巻き寿司はあまり好きじゃないから、食べる気にはならないんだなあ。しょう油と砂糖で甘辛く煮染めたかんぴょうや油揚げが好きじゃないのだ。

 まあそれはさておき、ではみんなで一緒に叫びましょう。

  「鬼は~そと、福は~うち」

 子供たちには歌ってもらいましょう。

  ♪鬼は外、福は内、
   パラッパラッパラッパラッ豆の音、
   鬼はこっそり逃げていく


 不景気鬼が一目散にいなくなってくれるといいんだけどねー
 
  「鬼は~そと、福は~うち」!!




PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。 (2014年1月25日)

PS いわゆる「日本の伝統」なすものの多くは明治維新後のものに過ぎない

いわゆる「日本の伝統」の多くが明治維新後のものであることを一冊のまとめた本が出版されている。タイトルは、『「日本の伝統」の正体』(藤井青銅、柏書房、2017)「恵方巻」についても触れられているとのことだ。こういう本がぞくぞくと出てきたことは、たいへん心強い。(2018年1月7日 記す)




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・・アイルランド系英国人の比較政治学者。ホブズボームと同じく左派

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(2014年1月25日、2014年2月3日、24日 追加)


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