「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 異文化マーケティング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 異文化マーケティング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年12月24日金曜日

書評『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)― 日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに



 いまだに全人口の 1%を越えることのない日本のキリスト教人口、なぜそうなのかについての探求はこれまでにも多くなされてきた。

本書『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)の特徴は、これまであまり着目されることの少なかった「キリスト教土着」に大きな焦点をあてたことにある。

 私自身はキリスト教徒ではないが、キリスト教そのものは知的に理解する必要があるとは思ってきた。また、近年非常に増えている「キリスト教式結婚式」を持ち出すまでもなく、日本人はとくに若年層を中心に「キリスト教的なもの」に親近感を抱いているようだ。

 しかし、今後も日本では信者になろうとする者はきわめて少数だろう。人生の通過儀礼の一つである結婚式をキリスト教式にしたとしても、信者でもないのに、出生や葬儀をキリスト教式にする者が増えるとは、とうてい考えられない。

 明治維新以後のキリスト教布教は、もっぱら米国のプロテスタント系教会が中心となってきた、(・・P.20~26に日本で伝道を行ったキリスト教団のリストが掲載されているが、驚くべきほどの多さである!)。

 しかし、キリスト教徒となった日本人のなかには、外国人宣教師のミッションのやり方にはしっくりこない者や拒否反応を示した者がいた。

 旧士族の儒教的エートスの持ち主であった内村鑑三の無教会運動を筆頭に、独特の聖書解釈により日本人のためのキリスト教の展開をはじめた者が少なからず存在する。

 これらはみな、キリスト教を普及させたい側の論理ではなく、キリスト教を受容したい側の論理からの強い熱望がそうさせたのであった。

 内村鑑三にインスパイアされた人たち(・・すべて男性である!)は、日本の伝統である精神修養、自己修養の道としてのキリスト教を開拓している。しかし、これらの教団に従ったのは、主として知識人を中心にした、知的な中産階級に留まった。

 なおざりにされた一般大衆は、「キリスト教土着」という方向に進み始める。ペンテコステ的という、異言や癒しなどの心霊主義的、体験型の信仰なキリスト教の道へと進んだのである。

 しかし、この道の行き着く先は、そもそもの土着型新興宗教と同じ土俵に入っていくこととなり、敗戦後の社会変動に際して、一時的には信者は増えたものの、ついには日本に定着することなく今日に至っている。

 土着型もカリスマは創設者一代限り、カリスマは継承されないまま家が組織を引き継いでいるが、信者の高齢化だけでなく、少子化のなか、新たな信者も獲得できずに衰退していくのは致し方のないところであろう。


■ビジネスの観点から布教活動を考えてみる

 「魂の争奪戦」としての布教活動は、ビジネスでいえばマーケティングと同じ活動であるが、この活動において、キリスト教は日本市場では失敗したといってもいい過ぎではない。韓国と比べるとその差は歴然である。

 キリスト教が日本に定着しなかった理由には、日本人自身による「無意識の取捨選択」が働いているというべきだろう。

 著者もいうように、日本の民俗信仰にける「祖先と死者の霊をめぐる土着の信仰や慣習」はきわめて根強いものがあり、たびたびの社会変動を経ても根本的に変化することはなかったのである。  

 現在ではこれが、マスコミと連動したいわゆるスピリチュアル・ブームとなって、さらに顕在化され強化される方向にあるとすらいえる。現代的な衣装をまとっていても、日本人の民間信仰の本質は「祖先と死者の霊」を抜きにしては成り立たないのである。

 そしてまた、生きた人間と人間の関係が、自立した個人を基礎にした社会ではないことも、キリスト教の浸透を阻んでいる大きな理由の一つである。近代化された日本においても西洋的な意味での社会は存在せず、人間関係は依然として「世間」が中心である。
 キリスト教は「世間」からみれば他者以外の何者でもない。土着化したときには「世間」のなかに取り込まれており、すでにキリスト教ではなくなているというべきかもしれない。

 「免疫系」の比喩でいえば、キリスト教という「異物」に対する「免疫反応」は、拒絶するか、取り込んで自分のものとしてしまうかの二つしかない。その意味では、キリスト教はもはや日本では増えることはないだろうが、多くの日本人は無意識のうちに取捨選択してキリスト教の要素をすでに何らかの形で取り込んでしまっているといってもよいかもしれない。しかも自分に都合のいい、「いいとこ取り」という形で。これは冒頭で言及した「キリスト教式結婚式」に端的にあらわれている。


■浮かび上がってくるのは日本人が作り上げている「世間」

 本書は、さまざま観点から読むことのできる興味深い研究書である。

 キリスト教の土着運動を描くことによって浮かび上がってくるのは、日本というもの、日本人というもの、つまり「世間」についてであり、また新しい思想や教義を異なる文脈をもつ文化に移植することの困難さについてである。

 ビジネスマンとしての私が興味をもつのは、とくに後者の点である。布教の成功とは、その教えによってどれだけの数の魂を救うことができたかということで測ることができるが、どこまでオリジナルな本質を保ったまま、現地に土着化するかという課題として残る

 これはビジネス用語を使えば、カスタマイズによる「ローカリゼーション」であるが、宗教も思想の一つである以上、同様のメカニズムが働いているとみて問題ないであろう。

 万人向けの本ではないので、すべての人に薦めるつもりはないが、日本とは何かを考える人には、面白い視点を提供してくれる本であることは間違いない、といっておこう。



<初出情報>

■bk1書評「宣教(=キリスト教布教)をマーケティグの観点から考えるヒントに」投稿掲載(2010年12月23日)
■amazon書評「宣教(=キリスト教布教)をマーケティグの観点から考えるヒントに」投稿掲載(2010年12月23日)

* 1年前に執筆していながら未発表だった文章を、大幅に圧縮して「書評」として投稿。ブログでは、原型に戻したうえで字句の修正を行った。

*さらに読みやすくするため、行替えを行い、小見出しを挿入した。(2026年2月14日 記す)


画像をクリック!


目 次
まえがき
第1章 日本製キリスト教という問題
 1. 宗教伝播の問題
 2. 日本の場合
 3. 土着運動という盲点
第2章 さまざまなキリスト教
 1. ローマ・カトリック教会とプロテスタント・ミッション教会
 2. 超教派から教派へ
 3. 札幌バンドと熊本バンド
 4. 明治期のミッション教会
 5. 国家主義への適応
 6. 戦後の状況
 7. 多彩な土着運動
 8. 土着化の新たな類型論
第3章 カリスマと準教祖
 1. 日本人が拒否したもの
 2. 日本文化の多様性と聖書の多元性
 3. カリスマと準教祖
 4. 「霊の世界」のあらわれ方
第4章 無教会運動とは何か
 1. 日本製キリスト教の源泉
 2. 内村鑑三の精神遍歴
 3. 士族の儒教倫理
 4. 預言者としての内村鑑三
第5章 自己修養の道
 1. 松村介石と道会
 2. 川合信水と基督心宗教団
 3.    宗教体験と自己修養
第6章 第二波の土着運動
 1. 村井じゅんとイエス之御霊教会
 2. 大槻武二と聖イエス会
 3. 手島郁郎と原始福音運動
 4. 日本製使徒キリスト教の特徴
第7章 日本人キリスト教徒と死者の世界
 1. 祖先崇拝と霊魂信仰
 2. プロテスタント神学と祖先崇拝の衝突
 3. 民俗宗教への取り組み
 4. 日本人の目で聖書を読む
 5. イエス之御霊教会の身代わり洗礼
 6. 死霊の救済
 7. 世界の再呪術化
第8章 何がキリスト教移植を阻むのか
 1. 成長と衰退のパターン
 2. 土着化は万能薬か
 3. 日本におけるキリスト教のジレンマ
 4. 黙殺された次元
 5. 押し寄せる韓国キリスト教
 6. 韓国キリスト教のシャーマニズム化
 7. パウロ・チョー・ヨンギの日本宣教
 8. 日本グレースアカデミーにおける癒し
 9. 韓国ペンテコステ派と現世利益
第9章 日本製キリスト教のとらえ方
 1. 日本製キリスト教の「道」
 2. カリスマとその継承
 3. 現代日本人のキリスト教観
 4. 土着運動が示唆するもの
キリスト教土着運動教団別資料
訳者解説

著者プロフィール
マーク・マリンズ(Mark R. Mullins)
1954年アメリカ合衆国アラバマ州に生まれる。アラバマ大学卒業、リージェント大学(カナダ)を経てマックマスター大学(カナダ)で博士号取得。宗教社会学専攻。1985年から日本在住。四国学院大学、明治学院大学を経て、上智大学比較文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

高崎恵(たかさき・めぐみ)
1963年生まれ。国際基督教大学卒業、同大学大学院で博士号取得。文化人類学専攻。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所COE特別研究員、オックスフォード大学クィーンエリザベスハウス客員研究員を経て、国際基督教大学、東京女子大学、東洋大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 「第5章 自己修養の道」の「2. 川合信水と基督心宗教団」で、川合信水を描いて実弟の肥田春充(ひだ・はるみち)に触れていないのは大いなる不満である。

 なぜ、肥田春充が創始者の「強健術」がグンゼで普及したのか(・・川合信水は教育担当者として私企業のグンゼに招かれて労働者の指導にあたっていた)、そしてまた「肥田式強健術」の極意の型といわれるものに「聖十字架操練法」なんて技法があるのか、この本を読んではじめて、そのミッシングリンクが「川合信水と基督心宗教団」であることがわかった。

 肥田春充の「肥田式強健術」については、あらためてこのブログで紹介したいと考えている。

 「第6章 第二波の土着運動」の「3. 手島郁郎と原始福音運動」で、「幕屋(まくや)運動」について詳しく書かれているのはありがたい。「土着したキリスト教」において、創始者の息子ふたりが、原始キリスト教を突き抜けてユダヤ教の専門研究者になっているのは面白い。日本人の原点追求志向のなせるわざか。
 米国でもキリスト教原理主義者がユダヤ教に改宗して、イスラエルの入植者になっているケースが多々あることも知っておくべきことだろう。



追記(2011年2月18日)

 なお、この書評(初出)は投稿先の bk1 でも紹介していただいている。
 bk1 書評ポータルにて紹介 2010年12月30日 


追記(2011年9月17日)

 『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる! と題して肥田春充の「肥田式強健術」について紹介する記事を書いた。これで少し肩の荷が下りた




<ブログ内関連記事>

イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・「異文化マーケティング」の先駆者に学ぶものとは

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用される」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「日本におけるキリスト教の不振」について文化人類学者・泉 靖一が、ひろく「儒教文化圏」全体をみわたして、その原因について語っている

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「霊性」(スピリチュアリティ)について言及

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」について考える。同時に韓国についても考察。

本の紹介 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)
・・「芸能界」と「霊能界」の双方にまたがって生きる美輪明宏という存在について

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)
・・日本人が生きているのは「社会」ではなく「世間」

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ
   
書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー

(2016年2月1日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

書評『聖書の日本語 ― 翻訳の歴史』(鈴木範久、岩波書店、2006)― 新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか




新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本

 キリスト教聖書の日本語への翻訳の歴史を、キリシタン時代からさかのぼり、とくに明治時代から最新訳聖書に使用されている日本語を徹底的に分析した本。

 キリスト教の教義と思想そのものは、戦国時代末期のキリシタン時代にあっては当然のことながら、明治時代の日本人にとっても、まったく新しいものであった。

 明治時代に行われた、聖書の日本語訳で使用されたキリスト教用語が、中国で出版された漢訳聖書(=漢語訳聖書)のものを多く引き継いでおり、このため明治時代の日本人にとっても受容しやすかったという指摘が興味深い。

 これは、漢訳仏典をつうじて日本人が受容した大乗仏教と同様、キリスト教もまた漢訳聖書の影響を、最新訳の聖書に至るまで(!)大きく受けていることを意味しているわけだ。

 江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい。

 新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用されるわけである。

 これは、キリスト教の布教といった狭い側面に限らず、新しい考え方を普及させるためには必要なことなのかもしれない。

 原典であるヘブライ語とギリシア語から、旧約聖書と新訳聖書が翻訳がされるようになったのは口語訳聖書以降であって、現在の最新訳においても、漢訳聖書で使用されたコトバが生き残っていることが、著者の研究によって示されている。

 キリスト教で使う神、精霊、天国、洗礼、愛といった単語は言うまでもなく、「目からウロコが落ちる」、「笛吹けど踊らず」などの日本語表現が、実は聖書の日本語訳に由来することを多くの人は知らないようだ。それくらい無意識に使用されるこれらの単語や表現が、知らず識らずのうちに現代日本人の思考を支えているというわけなのだ。

 私は、明治時代の聖書翻訳者たちが漢訳聖書で使用されていた「天主」をそのまま受け入れなかったことを、たいへん残念に思っている。

 天主教とはカトリックのことだが、プロテスタントが中心になった日本語訳聖書翻訳者たちが「神」という訳語を選択したために、その後いかなる混乱をもたらし、それが現在まで続いていることか。日本の首相が内輪の集会でクチにした「日本は神の国」という文言が、いかなる反発を招いたか、その経緯を思い出してみるとよい。

 こういったことも含めて、近代日本語を豊かににしてきたとともに、問題のタネを撒いた「聖書の日本語」について知るための必読書である。


<初出情報>

■bk1書評「新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本」投稿掲載(2009年12月22日)
■amazon書評「新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか-「目からウロコが落ちる」本」投稿掲載(2009年12月22日)

*再録にあたって、大幅に書き換えた。


画像をクリック!


目 次

第1章 聖書の日本語訳事始め
第2章 聖書の中国語訳
第3章 中国のキリスト教書と日本語訳聖書
第4章 ヘボン訳と明治元訳の成立
第5章 改訳への痛み―「大正改訳」成立史
第6章 口語訳から共同訳へ
第7章 日本語と聖書語
むすび 中国経由のキリスト教という一面
付章 聖書と日本人


著者プロフィール

鈴木範久(すずき・のりひさ)

1935年生まれ。専攻、日本宗教史。立教大学名誉教授。内村鑑三の英文著作からの日本語訳者でもある
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを増補)



<書評への付記>

 「日本は神の国」という文言をクチにしたのは、自民党の森元首相。神道関係の集会での発言であり、この発言じたいには問題はない。ただし、立場の違いによっては、絶対に受け入れることのできない人がいることは理解できる。

 戦前のファナティックなまでの「神国」を想起させるからだ。

 なお、キリスト教でいう「神の国」とは、古代キリスト教の教父アウグスティヌスの著書のタイトルである。ラテン語の Civitas Dei は、英語訳では The City of God となっている。この点にかんしては、Civitas Dei を「神の国」と訳したキリスト教関係者にも大いに問題がある。

 英語では大文字で始まる God と 小文字で始まる god を区別しているというものの、あいまいであることは大きな問題である。大文字の God には単数形しかなく、小文字の god は複数形 gods がありうる。フランス語でもその他西欧語ではみな同じである。

 キリスト教聖書の翻訳が、その言語の近代化に与えた大きな影響については、ドイツ語におけるルター聖書や、英語における King James Version など枚挙にいとまがない。

 日本語においても、それは同じであった。

 少なくとも日本語においては、日本語訳聖書には功罪両面あると言わざるをえない。日本語表現を豊かにしたという「功」の面と、ここに書いた「罪」の面。


PS 読みやすくするために改行を増やした。 (2014年2月5日 記す)。



<ブログ内関連記事>

布教とローカリゼーション、文化変容

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・「異文化マーケティング」の先駆者に学ぶものとは

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観




「日本の近代社会とキリスト教」

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書


書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「幕末の復古神道のパイオニア・平田篤胤(ひらた・あつたね)自身が、ひそかに漢籍文献をつうじて知りえた、キリスト教のアダムとイヴの創世神話を、大胆にも換骨奪胎(かんこつだったい)して、自分の教説内容に取り入れてしまっている」

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)について間接的に言及

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫とキリスト教の接点について言及している

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・「日本は神の国」という文言が生まれてきた背景について「神々の明治維新」で考える


聖書の翻訳と現地語

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010) 
・・アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たした事実は、ルターによる聖書のドイツ語訳とのアナロジーを思わせるものがある

(2014年2月5日 情報追加と再編集)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2009年6月10日水曜日

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略 ― 異文化への「創造的適応」




 ビジネスマンとして日本で30年以上を過ごしたイタリア人ヴィットリオ・ヴォルピ(Vittorio Volpi)の、イタリア人向け著書2冊を続けて読了した。  
 
 『巡察師ヴァリニャーノと日本』(原田和夫訳、一藝社、2008) 『賢者の「営業力」-日本進出の成功例ヴァリニャーノの教え-』(大上順一訳、PHP研究所、2006)である。それぞれオリジナルのタイトルは、『IL VISITATORE』(2004)、『MARKETING MANAGEMENT: Come conquistare un mercato internazionale. Le straordinarie lezioni di Alessandro Valignano, gesuita italiano del Cinquecento』(2005)。  

 前者の『巡察師』は、巡察師ヴァリニャーノの生涯を、主に日本布教にかかわることに絞って、イタリア人読者に紹介した本。  

 後者の『賢者』は、ヴォルピ氏のビジネス経験をもとに、ヴァリニャーノの手法を異文化ビジネスの方法論として、いかにすぐれたものであるかを、イタリアの一般読者向けに書いた本。  
 
 前者の内容は、先に紹介した若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ』の叙述のほうが、ヴァリニャーノの存在を生き生きと紹介しているので、正直言ってあまり新鮮味がなかったが、もともとの執筆意図がイタリア人向けの日本紹介という性格の本であるので、その点は割り引いて読む必要があろう。  



著者のヴォルピ氏は日本通のイタリア人ビジネスマン

 日本通のヨーロッパ人ビジネスマンの日本知識の確かさは、かなりのものがある。友人にフォスコ・マライーニがいたことでも大きな力となったことだろう。むしろ翻訳者の日本史にかんする知識不足がやや散見されたが、ささいな間違いを訂正しない編集者にも責任がある。   

 Wikipedia でみると、ヴァリニャーノの記述は日本語版の方がイタリア語版より長いのは、イタリアでの認知度がやや低いことを意味しているのだろうか。  

 海外で活躍しながら日本では知られていない日本人がいるが、ヴァリニャーノはこの反対のケースのようだ。著者の問題意識は、この知られざるイタリア人をイタリアにあらためて紹介したいということにあった。  



ヴァリリャーノ布教方針はローカリゼーション(現地化)のさきがけ

 イエズス会本部から34歳にして全権委譲されたヴァリニャーノは、アフリカから日本に至るまでの地域を「巡察」する責任権限を与えられていた。

 もともとザビエルのことを知って日本で布教したいという熱烈な思いから出発したヴァリニャーノは、結局日本には3度にわたり滞在し、日本布教の黄金期から黄昏の予感を感じる時期までを日本にかかわったことになる。  

 ナポリ近郊に生まれたヴァリニャーノは、日本にくるまでにすでに、パドヴァ、ヴェネツィア、ローマ、スペイン、ポルトガル、モザンピーク、インド、マラッカ、マカオと異文化を豊富に体験していた。この経験の上にたったヴァリニャーノのアプローチが画期的だったことは、著者自身のコトバを借りれば以下のようになる。


原始キリスト教のモデルに倣い、布教しようとする土地の文化を尊重するという健全な教理に基づいたメソッドは、すぐさま予想もしなかった成功を得た。しかし同時に、イエズス会の内外の多くの人によって反対され、アジアでまたとない布教の機会を逃す原因となった。有効で正統(オーソドックス)なアプローチとして認められ、公式に承認を受けるために、この彼の教えは、20世紀の後半の第二バチカン公会議まで、実に400年近い歳月を待たねばならなかったのである」 (『巡察師』P.68~69)。


 ヨーロッパで発展したキリスト教であるが、ヨーロッパ的要素をそぎ落とした原始キリスト教の精神を、ユダヤキリスト教的な伝統がまったくない日本や中国といった高度文明の異文化に移植するには、キリスト教の原理原則を曲げることなく、その土地の文化を内在的に理解し、自らを適応させ、その上で教えを無理なく伝えるべきだ、とということでえある。

 いわば、「現場発の方法論」であるといえよう。ヴァリニャーノの意義は、現場で苦労してきた宣教師たちの実践に「理論づけ」をし、布教の「方法論として体系化」したことに意義がある、といえる。    

 ヴァリニャーノが体系化した方法論のエッセンスは、以下のとおりである。


現地語に習熟、現地の文化と風習を学んで適応することから始める
現地に大幅な権限委譲を行い、かつ現地人の担当者を育成する
●将来、現地の統轄をまかせることのできる現地人責任者を育成する教育を現地で行う


 海外現地進出にあたっての心得そのものではないか。そのままビジネスに応用できるメソッドである。これを400年前に実践から導き出したのは、すぐれた頭脳による知的財産であるといえよう。 

 中国では、ヴァリニャーノの弟子であるマッテーオ・リッチが、徹底的に中国語をマスターし、文人たちと幅広く交友することから始めたのは、メソッドの忠実な実行者であったことを示している。
 
 しかしながら、現在では「インカルチュレーション」(inculturation)として公認されているこのメソッド最終的にローマ教皇庁では否定され、中国布教も失敗に終わることとなった。    

 日本の布教が結局失敗に終わった原因の一つが、スペインのフランシスコ会士たちが、日本の現状を無視して、自分たちのやり方をダイレクトに押しつけようとしたこともあったようだ。
 
 若桑みどりの前掲書によれば、秀吉はフランシスコ会士のことを「蓑虫(みのむし)」といって軽蔑したらしいが、たしかに言い得て妙である。

 清貧も文化を異にすると、まったく理解されない、という好例である。もちろん信長・秀吉の時代は、いわば日本版バロックのような豪華絢爛な時代であったから、裸足できたない修道服をまとったフランシスカンがあの時代の日本にいたということ自体、なかなか想像しにくい。

 南蛮屏風に描かれたのはイエズス会士のみなので、フランシスコ会士の画像は見たことがない。 もしあれば面白いのだが。 



異文化でビジネスをするという実践(プラクティス)

 異文化でビジネスをするには、まずその現地の文化をよく理解して、できれば現地語も学んで、というのは現在の日本でも常識になっているはずだが、必ずしもそうでないことは、アメリカでもタイでも多数目撃してきた。  
 
 海外の現地企業では、日本人が日本人だけで固まり、日本語のできる人間に「おんぶにだっこ」の状態になる。
 
 日本にある外資系企業もまた、バナナと呼ばれる日本人が幅をきかしている。その心は、見た目は黄色いが、中身は白い、ということ。 英語はできても実務はうとい。これではいつまでたっても、本当の成果は上がらないわけである

 理論というものは、言うは易く行うは難し。実行するに当たっては、それなりのノウハウが必要になるが、これは教科書だけで学ぶことは不可能である。実践の場で鍛えられて初めて自分のもののなるという性格をもつもののなのだ。



PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しをあらたに加えた。「インカルチュレーション」(inculturation)にかんする加筆と<関連サイト>における説明を加えた。 (2014年2月5日)


<関連サイト>

「インカルチュレーション」(inculturation) wikipedia英語版(日本語版はない)
・・以下のように定義がされている。 "Inculturation is a term used in Christianity, especially in the Roman Catholic Church, referring to the adaptation of the way Church teachings are presented to non-Christian cultures, and to the influence of those cultures on the evolution of these teachings." (「インカルチュレーション」とはキリスト教、とくにカトリックで使用される用語で、教会の教えを非キリスト教文化に適応させキリスト教の教えの進化に非キリスト教文化の影響させる方法を指している)。 
マッテーオ・リッチの中国布教において「中国化」が問題であったとして、のちに「典礼問題」としてバチカンで大問題になったことが説明されている。なお、日本のカトリック作家・遠藤周作の生涯のテーマは「インカルチュレーション」であったといえるかもしれない



<ブログ内関連記事>

異文化マーケティングと布教

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)
・・日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)-新しい考え方を普及させるためには必要なことは何だろうか
・・「新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用される」

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010) 
・・アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たした事実は、ルターによる聖書のドイツ語訳とのアナロジーを思わせるものがある


■ローカリゼーション(現地化)

書評 『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか-世界で売れる商品の異文化対応力-』(安西洋之、中林鉄太郎、日経BP社、2011)-日本製品とサービスを海外市場で売るために必要な考え方とは?

なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ




イエズス会とカトリック

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・「クアトロ・ラガッツィ」とはイタリア語で「遣欧少年使節」の4人のこと。第一次グローバリゼーション時代の異文化との出会いと葛藤を描いた大作

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・イエズス会士のフロイスは日本布教の記録である『日本誌』を編纂

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者・聖イグナティウス・ロヨラの『霊操』(スピリチュアル・エクササイズ)についても触れている

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5) ・・フランシスコ会の始祖フランチェスコ

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

(2014年2月5日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end