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2025年6月12日木曜日

書評『ネットカルマ』(佐々木閑、角川新書、2018)ー 現代人が抱える「苦」は「生老病死インターネット」。悩みをクリアするためには「初期仏教」の教えに触れるべき

 


かつては「原始仏教」とよばれることもあったが、近年はすっかり「初期仏教」という呼び方が定着している。端的にいったらブッダその人の教えである。 

「初期仏教」に土地勘のある人ならわかると思うが、ブッダの言行録である『ダンマパダ』や『スッタニパータ』は、ドラマ性は希薄で淡泊としかいいようのない、シンプルな詩句のつらなりである。大乗仏教の経典の過剰さ、絢爛さからあまりにもかけ離れている。 

そんな「初期仏教」の教えこそ、逆説的だが現代人が抱える悩みにダイレクトに応えてくれるのだ。

購入したままほったらかしにしていた『ネットカルマ 邪悪なバーチャル世界からの脱出』(佐々木閑、角川新書、2018)をなんとなく読んでいたら、これは現代人の必読書ではないかと思った。  

ブッダは「人生は苦」であるという認識をベースに思考し、「苦から脱出」をテーマに実践活動をつづけた人だ。 

「苦」はかつては「生老病死」という四字熟語で表現されてきたが、科学にも造詣の深い仏教学者の佐々木氏は、「生老病死」に「インターネット」を加えるべきだという。すなわち「生老病死インターネット」である。 

「カルマ」は日本語では「業」(ごう)と表現されてきた。自分の過去の言動がすべてダイレクトに、あるいは時間差をおいて間接的に影響を及ぼしてくることをさしている。これは善悪には関係ない。

因果関係の「因果」とは仏教要語である。「原因と結果」の略である。結果にはすべて原因があるということだ。自分の言行が「原因」となって、知らず知らずのうちに 「結果」として現れてくるのだ。

ブッダの時代は、基本的に自分の言動が現在に及ぼす影響について語っていたが、ネット社会では自分の言動だけでなく、その賞賛や批判もふくめた他者の言動も、そしてあらゆる無意識の言動も「記録」されてしまう恐ろしさがある。それが著者のいう「ネットカルマ」の本質だ。 

人間どうしがつながったSNS の世界では、批判の対象となる人だけでなく、批判した人もまた批判にさらされ、自殺や殺人に追い込まれる悲劇が後を絶たない。

インターネットを介してつながっているのは、SNSでつながっている人間どうしだけでない。機械どうしも IoT によってつながっている。生成AI の時代はなおさら加速することであろう。誤った言動、悪意に満ちた言動も「学習」され、悪しき結果を生み出す原因となる。 

われわれはすでに「管理社会」を生きているのである。管理の網の目のなかに織り込まれているのである。それは、絶対的な善悪の判定者が不在の、著者がいう「邪悪なバーチャル世界」である。じつに息の詰まる状況ではないか。 

こんな状況だからこそ、「初期仏教」の教えが意味をもつのである。ヒントになるのである。もちろん、ブッダが生きた時代はいまから2500年も前であるが、基本はおなじだ。これを21世紀用にバージョンアップするのである。

基本は「自己」による意思と行動である。「自力」である。自分の心持ちがすべてを決める。 その方法論が、本書『ネットカルマ』には、わかりやすい口調で説かれている。まったくそのとおりだな、と思うブッダの言葉も精選されて収録されている。 

 ベストセラーでロングセラーの『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』(草薙龍瞬、KADOKAWA、2015)とあわせて読み、座右の書とすることを薦めたい。 

あるいはまた、『自省録』のマルクス・アウレリウスに代表されるストア派哲学もまた。


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目 次
はじめに ネットカルマとはなにか 
第1章 現代社会が生んだ新しい苦 
 仏教はストレスと闘うために生まれた
 仏教前夜――古代インドでは何が「苦」だったか 
 ブッダの考えた業と因果 
 ブッダは「生きることは苦しみだ」と気づいた 
 「ニュートラル」に生きるとは 
 善の仏教的二重構造 
 善のインスタント化 
 日本的業の世界 
 現代社会に現れた新しい「業」と「苦」 
 技術には良いも悪いもない 
 インターネットと業 
 あらゆる場面が刻々と記録されていく 
 業の世界に神はいない 
 より悪質な業 
 いびつな因果システム 
 すべての人間が「歴史上の人物」になる? 
 忘れてもらえない恐ろしさ 
 世代を超えてしまう業 
 くり返し降りかかる業の報い 
 ネットに縛られた苦しみの世界を抜け出すために 
第2章 ネットカルマに対抗するために 
 善と悪の基準は何か 
 ネットの中にある善悪の二重構造 
 ネットの価値観から離れるために 
 すべて建前で生きる 
 ネット上のサンガ 
 自分自身の価値観を築く 
第3章 ネットカルマが襲いかかってきたら 
 子どもたちに負の側面を教える 
 「ばれないだろう」はすでに古い考え 
 ネット業の報いを受けている人たちをどう受け止めるか 
 生老病死インターネット 
 ネットで苦しむ人たちへの言葉
  世界観の転換
  共感者がいるという確信
  同じ境遇の人との連携
  新たな世界を作っていこうという意志
 第4章 ブッダの言葉に学ぶ 
 時代を超えて普遍的な価値を持つ言葉 
 ブッダの言葉 
  ダンマパダ 160、103、50、252、158、165、379 
  スッタニパータ 第3-657、451、第1-148、第4-973
  サンユッタニカーヤ 第3篇第1章-8
  ダンマパダ 240、117-118、5、273
  スッタニパータ 第1-142
  ダンマパダ 316-317
  真の賢人の言葉 
あとがき

著者プロフィール
佐々木閑(ささき・しずか)
1956年、福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および、文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学大学院留学を経て、現職。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2025年6月11日水曜日

書評『お布施のからくり ー 「お気持ち」とはいくらなのか』(清水俊史、幻冬舎新書、2025)ー「お布施」という慣行から見えてくる日本仏教の根本的問題

 
 


タイトルや帯のコピーには販促目的の文言が並んでいるが、内容はきわめてラジカルな日本仏教批判である。 

「額がいくらなら適当か」といった実用的なテーマではなく、「お布施」という慣行の分析をつうじて、日本仏教の問題点があぶりだされる内容になっている。 

著者は、浄土宗の僧籍をもつ気鋭の仏教学者。専門分野は「初期仏教経典」の研究で、専門書はすでに3冊出している。 専門書の出版妨害という、きわけて陰湿で執拗なアカハラの被害者として、仏教者にはあるまじき加害を行ってきた東大教授を実名告発したことで有名になった。 

「あとがき」でアカハラ被害について告発したのが、一般書として出版された前著『ブッダという男 ー 初期仏典を読みとく』(ちくま新書、2023)である。本書にもその後の推移について触れられている。 




だが、本書の主たるテーマはそこにない。「お気持ち」とされる「お布施」について、多面的に考察を行い、日本仏教が抱える問題点が明らかにすることである。 

著者は、「初期仏教」における基本的な意味を押さえたうえで、「お布施」する側と「お布施」される側の双方にかかわる関係性について考察し、日本仏教の主要な宗派ごとにロジカルに検証を行っている。 

問題は、「お布施」する側ではなく、「お布施される側」にあることは言うまでもない。後者の「お布施される側」がそれに値するか否か、という問題だ。 

そもそも日本仏教の僧侶は、「お布施される条件」である「戒」を受けていないのである。そして「戒」を破る行為を律するための「律」もない。 

天台宗の宗祖である最澄が「出家戒」を否定して以来、「菩薩戒」しかない日本仏教。しかも、妻帯がなしくずしに行われるようになった明治維新以降は、「菩薩戒」すら有名無実化している。 

つまり、仏教僧侶としての国際基準を充たしていないのである。袈裟を着たコスプレの在家信徒でしかない、という著者による手厳しい批判もそのとおりである。(・・ただし、教理によって「戒律」を否定する浄土真宗は例外である)。 

僧侶たる国際基準を充たしていない日本仏教の僧侶に「お布施」するより、ペットにエサをやることや、「推し活」でアイドルを支援するほうがましではないかという著者の発言は、極端に聞こえなくもかいが、筋論としては間違ってはいないと言えよう。 

核家族化によって家族葬や直葬が普及し、人口減少によって檀家に依存してきた寺院経営の経済的基盤が崩壊しつつある現在、日本仏教はまさに存亡の危機にある。 

形骸化した日本仏教は、チベット仏教や上座仏教のように仏教本来の姿を取り戻すか、あるいは限りなく在家仏教的性格をもつ浄土真宗の指向性に習うか、新興仏教教団のように在家主義を貫くか。それとも、呪術に徹する道を選ぶか。岐路に立っているのではないか? 

もちろん、「お布施」をする側だけでなく、「お布施される側」も真剣に考え、取り組んでいかねばならない課題であることは言うまでもあるまい。


 (画像をクリック!

 

目 次
はじめに 
第1章 お布施の起源と役割 ー 初期仏典を中心に
第2章 少ないお布施で大きな功徳を得る方法 
第3章 在家化する日本仏教とお布施 
第4章 日本仏教におけるお布施と悟り 
終章 現代におけるお布施の意義を再定義する 
より深く検討するために 
参考文献
[資料]破戒者か受戒者かを見極める判定基準 
出家戒(具足戒)/菩薩戒(大乗戒) 
あとがき

著者プロフィール
清水俊史(しみず・としふみ
仏教学者。2013年、佛教大学文学部卒業後、2013年同大学大学院博士課程修了(博士(文学)。博士論文題目は『部派仏教における業の研究』。 その後、日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などをつとめる。 2018年、『阿毘達磨仏教における業論の研究: 説一切有部と上座部を中心に』により浄土宗学術賞受賞。ベストセラーとなった一般書『ブッダという男 ー 初期仏典を読み解く』(清水俊史、ちくま新書、2023)で出版妨害というアカハラの実態を実名告発。(Wikipediaの記述に加筆)



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2024年8月9日金曜日

『仏陀バンクの挑戦 ― バングラデシュ、貧困の村で立ち上がる日本人と仏教徒先住民たち』(伊勢祥延、上川泰憲監修、集広社、2020)で「バングラデシュ仏教」のいまと、海外現地での草の根の支援活動の困難を知る

 
 
国民の9割以上がムスリムで、イスラームが国教であるバングラデシュにも仏教徒がいることは、知る人ぞ知る話であろう。ただし、人口のわずか1%に過ぎない少数派だ。 

そのむかしNHKスペシャルで『ブッダ大いなる旅路』(1998年)というシリーズ番組があった。
 
その第1回の放送「輪廻する大地 仏教誕生」で、インドで仏教が「滅亡」したあとも、「初期仏教」の姿を現在にとどめる「ベンガル人仏教徒」たちがほそぼそと生きていることが取り上げられていた。

インドの大地で仏教は完全に滅亡したわけではなかったのだ。それはもう、自分としては大きな驚きであった。




それ以来、自分のなかでは「バングラデシュ仏教」についての関心がつづいているが、タイやミャンマー、そしてスリランカの上座仏教にかんする本が多数出版されているにもかかわらず、バングラデシュ仏教について取り上げた本は、現在にいたるまでほぼ皆無に近い。 

その唯一の例外ともいうべきなのが、『仏陀バンクの挑戦 ー バングラデシュ、貧困の村で立ち上がる日本人と仏教系先住民たち』(伊勢祥延、上川泰憲=監修、集広社、2020)という本であることを昨年知り、購入しておいた。  

その本をいま、バングラデシュ政変のまっただなかに読んだ。バングラデシュ仏教徒への関心はいうまでもないが、それだけではない。

政治的混乱のなか過激なイスラーム主義者たちにによる少数派のヒンドゥー教徒への暴行や襲撃事件が発生しているという報道を耳にするからだ。おそらく仏教徒もまたおなじ状況におかれているのではないか? 

イスラーム過激派からみれば、「偶像崇拝」を行うヒンドゥー教や仏教は許しがたい存在である。それは、アフガニスタンでタリバンが最初に政権を奪取した際、世界遺産であるバーミヤン大仏の首を破壊したことを想起すれば十分だろう。 



■「先住民ジュマ族の仏教徒」のいまと、海外現地での草の根の支援活動の困難

さて、『仏陀バンクの挑戦』だが、帯に記された文章を引用すれば、内容についてはほぼ言い尽くされる。  


イスラム教国家バングラデシュ
仏教徒の先住民がいることを知っているか? 
 襲撃と貧困で絶望にあえぐ村
ブッダの慈悲で立ち上がらせる 
マイクロクレジットの支援事業の記録に描かれた
日本人と先住民たちの苦闘の10年間 


本書は、「四方僧伽」(しほうさんが)という日本の仏教系の支援団体による、バングラデシュの先住民仏教徒への支援の記録である。  

ビザの関係から長期滞在が難しいので、著者は訪問ベースで支援をつづけてきた。 

ここで重要なことは、「仏陀バンク」の支援の対象が、バングラデシュ東部の「チッタゴン丘陵地帯」の先住民ジュマ族を中心にしていることだ。 

バングラデシュでは、仏教徒じたいが人口のわずか1%と少数派だが、その大半はベンガル人のバルワ族であり、(あまりにもおおざっぱな言い方だが)チッタゴン丘陵地帯の先住民であるミャンマー系の仏教徒たちとは、おなじ仏教徒であっても、かならずしも折り合いがよくないようだ。 

なぜ、ジュマ族などの先住民がバングラデシュ国内にいるかというと、これはロヒンギャ問題もそうであるが、「英国の植民地政策の負の遺産」以外の何者でもない。 いわゆる「分割して統治せよ」という基本政策である。 

英国の植民地時代、1937年にインド植民地からビルマが分離された際、かれら先住民の土地はインド側に残ることになった。先住民の意思とはまったく関係ない、英国の植民政策としてである。

1947年の「インド独立」に際しては、インドとパキスタンと分離独立となったため、現在のバングラデシュは「東パキスタン」となった。

仏教徒先住民たちは、その意思には関係なく「東パキスタン」に取り残さてしまい、 翌年の1948年にはビルマ(現在のミャンマー)が独立したことで、分断が固定化されてしまい、超少数派に転落してしまったのである。

その後、激しい戦争を経て、1971年に「東パキスタン」は「バングラデシュ」としてパキスタンから独立することになるが、独立後のバングラデシュは、過剰人口のはけ口として「チッタゴン丘陵地帯」への入植政策を推進する。


画像をクリックして地図を拡大!


少数派の仏教徒で、しかもベンガル人とは異なる異民族の先住民たちは、バングラデシュ政府の犠牲者としかいいようがないのである。 過激なイスラーム主義者による寺院襲撃と村の焼き討ちも発生している。悲惨としかいいようがない。仏教徒として悔しさも感じる。

苦難のなかで生きることを余儀なくされている、チッタゴン丘陵地帯に生きる先住民仏教徒たち。 

この地域は、ほぼ軍政といっていいような状態が続いており、外国人の入境は困難をきわめることが、この本を読んでいてよくわかった。

著者もまたビザの関係で長期滞在ができない、そんな困難な状況のなかでの支援活動をつづけてきた。欧米系のNGOは、ほぼ撤退したらしい。 




■「マイクロクレジット」としての「仏陀バンク」(BOB: Bank Of Buddha)

バングラデシュは、ユヌス博士によって「マイクロクレジット」が生まれた国である。 

「仏陀バンク」がバングラデシュで成功したのは、そもそもそういう素地があったことも大きいようだ。もちろん、 本書の著者による獅子奮迅のはたらきと先住民によき協力者を得たからである。

「マイクロクレジット」としての「仏陀バンク」は、日本で集められた浄財を原資にして、これを支援を必要としている現地の人たちに小額であるが貸与し、返済されたらそれをまた違う人たちに貸与していく仕組みである。

「信頼」のみを担保とした貸し付けであるが、大きな特徴は「利子」をとらないことにある。「無利子」なのである。これは特筆すべきだと強調しておこう。

仏教であるから、利子に相当する分を「お布施」として提供してもらい、それを原資に組み込んで支援対象者を増やしていくという仕組みだ。サステイナブルに拡大再生産が行われていく仕組みである。 

その最初の種まきの10年間の記録である本書は、現地での支援活動がいかに困難をきわめたものであるかを語ってやまない。

エリートが海外から、エアコンのきいたオフィスで指図するような、欧米のNGOとはまったく異なる、草の根の支援活動である。日本人ならではの取り組みである。青年海外協力隊やJAICAの支援など、みな草の根での支援活動である。このことは日本人として誇ってよいことだ。 

ひょんなことから責任者となってしまったカメラマンの著者の、先住民仏教徒を助けたいという使命感と情熱。それは、人生後半を賭けるにふさわしいものであったといえよう。 

バングラデシュ仏教徒のいまを知るだけでなく、営利と非営利を問わず、海外現地で事業活動を行うことの困難と、それを乗り越えて目的を達成する喜びを語った内容に、充実した読後感を感じている。

 「チッタゴン丘陵地帯」について知ることは、バングラデシュの国内問題だけでなく、隣接するインドやミャンマーについて知ることにもつながるのである。


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目 次 
インタビュー 絶望を希望に変える仏陀バンク(四方僧伽代表 上川泰憲)
主な登場人物/チッタゴン丘陵地帯
1 プロローグ
第1章 仏陀バンクを始める
 コラム チッタゴン丘陵地帯とは/セトラーによる襲撃
第2章 生みの苦しみ 
第3章 仏陀バンク、インドへ帰る
第4章 良くも悪くも多様性
 コラム バングラデシュという国(旅行者として) 
第5章 激動期 
第6章 衝撃 
第7章 仏陀バンクよ永遠に 
あとがき

著者プロフィール
伊勢祥延(いせ・よしのぶ)
写真家。1960年北海道伊達市生まれ。中学卒業後美容師として働く。1994年、写真スタジオを兼ねたサロン、Hair and Make Draw を札幌市に開業。以後写真家として世界62カ国を撮影して廻る。自然被災地や紛争後の撮影がきっかけで人道支援グループ四方増伽と巡り合い、共に活動を始める。現在は仏陀バンクのプロジェクトリーダーを兼ねる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

上川泰憲(かみかわ・たいけん)
法華宗孝勝寺副住職。1973年北海道夕張市生まれ。立正大学在学中に池上本門寺にて4年間随身生活。その時、「四方僧伽」設立者井本勝幸氏に出会う。自坊にて副住職の任を務めながら、四方僧伽に賛同し、東南アジアを中心に仏教徒ネットワークの確立を目指す平和運動を行なっている。2014年3代目の代表就任。バングラデシュの少数民族仏教徒への「仏陀バンク」をメインプロジェクトに活動を展開している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2023年12月17日日曜日

書評『ブッダという男 ― 初期仏典を読み解く』(清水俊史、ちくま新書、2023)― 「歴史的ブッダ」は2500年前の古代インドに出現した「精神の革命家」であった




12月にでたばかりのちくま新書の最新刊だが、SNS の X(旧 twitter)で話題になっていたので読むことにしたのだ。

話題になっているのは、「あとがき」に書かれている内容についてだ。

若手の仏教研究者である著者に対する執拗なアカハラ(=アカデミック・ハラスメント)と、専門書の出版に際して著者と出版社に対して行われた「出版妨害事件」の実態が、実名入りで書かれていることにかんしてである。

本書は、この精神的に苦難の状態から立ち直り、研究を再開したのちに書かれたものだという。

「仏教者」としてのあり方、「仏教研究者」としてのあり方を身を以て示した著者による、一般向けの初期仏教入門書である。



■歴史的存在としてのブッダは、2500年前のインドにおいて「精神の革命家」であった

本書の目的は、初期仏教経典を徹底的に読み込むことによって、2500年前の古代インドに実在した、歴史的存在としてのブッダを虚心坦懐に描き出すことにある。

仏教学者の願望や想像が反映したに過ぎない「神話的なブッダ像」ではなく、「ブッダという男」が、なにを考え、なにを説いていたかについて、その先駆者性、革新性について探求したものだ。

「見たいものを見たい、聞きたいことを聞きたい」というのは、人間に備わった性質だ。学者や研究者もまた、その例外ではない。もちろん、著者自身もよく自覚しているはずだ。

認知バイアスから逃れることは容易なことではないのである。口当たりのいいこと、耳さわりのいいことを述べれば、読者は喜ぶ。読者サービスが過ぎれば、実像から大きく離れていく。

著者のアプローチは、「人間ブッダ」を描くことにはない。描き出されたのは、あくまでも「思想家としてのブッダ」、「思想の実践者としてのブッダ」である。

生まれではなく、現世における行為(カルマ)の重要性を説いたブッダだが、そのブッダの思想こそ当時のインド世界でインパクトをもったのであり、感激して受け入れた人びとが存在したのだ。

経典から神話的要素を除けば歴史が見えてくるというものでもない。著者は、こういう近代以降の研究姿勢にも批判的である。宗教学研究の参照系として、キリスト教の原典研究への目配りもいい。その貪欲な姿勢は賞賛すべきである。

もちろん言うまでもなく、著者の立場は原理主義の真逆である。初期仏典に書かれていることじたい、それぞれ矛盾に満ちている。

著者の態度は、あくまでも研究者として、現代人のもつ認知バイアスをできるだけミニマムにすべく、2500年前の古代インドをリアルタイムで理解しようという知的なアプローチである。

現代人にとってのブッダではなく、その当時に生きていた人にとって、ブッダがどう写っていたかが重要なのだ。間違ってはいけないのだ。



■ジャイナ教との共通性と相違性から仏教の特性を明らかにする

インドの支配者の宗教で祭祀を重視していたバラモン教だが、そのバラモン教のあらたな展開である「ウパニシャッド」が誘発した、多彩な「自由思想」の流れのひとつとして仏教を見る視点も有益だ。

なかでも、おなじ「沙門」宗教としての仏教とジャイナ教の共通性と相違性が興味深い。

現在はインド独立後にアンベードガル博士の尽力によって復活しているが、インドではいったん消滅した仏教。これに対して、ほそぼそながらも現在までインドに生き残りつづけたジャイナ教。

仏教とはジャイナ教は、インドの宗教世界では当たり前の「輪廻転生」(サンサーラ)を前提にしている点が共通している。

ただし違いもある。輪廻転生からの脱出にかんする方法論の違いである。苦行を重視するジャイナ教に対して、煩悩の滅却を重視する仏教という違いも浮かび上がってくる。ブッダその人は苦行を否定している。

仏教では、つねに変化していく「無常」こそこの世の実体である以上、確固とした自己など存在しない。「無我」である。それゆえに、人間は、過去世から現世を経て来世へと、さまざまな形態をとりながら「輪廻転生」を繰り返していく。過去の業が現世に、現世で積んだ徳が来世で働く。

仏教の最終目的は、解脱(げだつ)、すなわち「輪廻からの脱出」にある。そのためにどうしたらいいか、そこにこそ、仏教の創始者であるブッダが考えたことの革新性があるというわけだ。

もちろん、出家者と在家者の違いはある。基本的にブッダの教えは出家者に対するものであり、求められものも出家者と在家者とでは大きく違う。とはいえ、戒律を守る出家者とて、解脱などほぼムリな話であろう。現代人から見れば、そう思わざるをえない。

いずれにせよ、仏教が目指すべき最終目的地は「輪廻からの脱出」にある。この点こそ仏教の「初期設定」であり、当時の古代インド社会では革命的な意味とインパクトがあったのである。



■「仏教研究者」としての立ち位置とその成果

「仏教者として」淡々と語る、著者の姿勢には大いに共感を感じるものがある。

特定の宗派の立場に立った護教論ではなく、学問上の師弟関係を絶対化するものでもなく、あくまでも独立した「仏教研究者」としての姿勢である*。

*ただし、著者は浄土宗僧侶であることを X(旧twitter)上では表明している。(2024年3月2日に追記)


学界のビッグネームもふくめて、先行研究に対しては是々非々の態度で臨み、先行研究を乗り越えることに研究者としての使命をおく。批判なくして発展なし。まさに王道である。

その結果あきらかにされたブッダの姿は、著者もいうように、現代人からみたら、正直なところ、なにがすごいのかピントこないものもある。だからいったいなんなのだ、と。

とはいえ、2500年前の古代インドにおいては革命的な意味をもっていたのである。そのことじたいに意味があるのだ。現代人にとっての意味とは別ものとして、脇に置いておかなくてはならない。

こういった「初期仏教」についての理解は、ある程度まで「上座仏教」(=テーラヴァーダ)について知っていれば、とくに奇異な感じは受けない

タイやミャンマーなど東南アジアやスリランカを中心に実践されている上座仏教は、初期仏教そのものではないが、大乗仏教しか知らない人には見えていないものがそこにある。

初期仏教は仏教のデフォルト、つまり「初期設定」である。その後の仏教の展開は二次創作的なバリエーションだから、この初期設定についてただしく理解しておくことが大前提になるのだ。18世紀前半の大坂が生み出した天才学者、富永仲基が打ち出した「加上説」を想起すべきであろう。

さらにいえば、大乗仏教である「日本仏教」においては、明治時代に入るまで仏陀釈尊、すなわちブッダその人は、かならずしも重視されてこなかった。親鸞なり日蓮なり、あくまでもその宗派の「祖師」が意味をもつ。その意味では、ブッダの真の姿が明らかになったとて、さほど影響はないのではないか。

そんな感想をもつわたしだが、現代人の願望の現れに過ぎない「平和主義者としてのブッダ」・「業(ごう)と輪廻を否定したブッダ」・「階級差別を否定したブッダ」・「男女平等を主張したブッダ」をたたみかけるように、バッサバッサとなで切りにしていく姿勢が小気味よい。しかも、きわめて説得力に富むやり方だから、後味はけっして悪くない。

おそらくこの本は、大いに読まれることになるだろう。アカハラ問題や出版妨害事件から関心をもった読者も、研究者としての正統的なアプローチによる本書を読んで、その内容には大いに納得することであろう。本文の背景説明も兼ねた、22ページにもおよぶ充実した「参考文献」も読みでがある。

まさに「天網恢々」(てんもうかいかい)である。「天網恢々疎にして漏らさず」である。いくら出版妨害をしようとも、アカハラを加えようとも、見ている者はちゃんと見ている。天はけっして見放さない。

現世で恵まれることがあろうがなかろうが、著者には今後も大いに研究を推進して徳を積んでいただきたい。研究者としての使命をまっとうしていただきたい。そう願っている。


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目 次 
はじめに
第1部 ブッダを知る方法
 第1章 ブッダとは何者だったのか
 第2章 初期仏典をどう読むか
第2部 ブッダを疑う
 第3章 ブッダは平和主義者だったのか
 第4章 ブッダは業と輪廻を否定したのか
 第5章 ブッダは階級差別を否定したのか 
 第6章 ブッダは男女平等を主張したのか
 第7章 ブッダという男をどう見るか
第3部 ブッダの先駆性
 第8章 仏教誕生の思想背景
 第9章 六師外道とブッダ
 第10章 ブッダの宇宙
 第11章 無我の発見
 第12章 縁起の発見
 終章 ブッダという男
参考文献 ─ より深く学ぶために
あとがき


著者プロフィール
清水俊史(しみず・としふみ)
2013年、佛教大学大学院博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などをつとめる。浄土宗僧侶。著書に『阿毘達磨仏教における業論の研究 ― 説一切有部と上座部を中心に』『上座部仏教における聖典論の研究』(ともに大蔵出版)がある。(出版社サイトより)


<関連サイト>

・・「(・・・前略・・・)2017年から始まる馬場先生の「研究不正の言いがかり」によって、私は筆舌に尽くしがたい屈辱を味わい、研究者として大成する未来を破壊されました。
私が『上座部仏教における聖典論の研究』の刊行に際し馬場先生に送ったメールへの返信で、馬場先生が「確かに三年前は日本学術振興会に訴えるつもりでしたが、その後、清水さんが公募に落ちて無職になったと耳にして、そんな気持ちは消え失せました」と自ら告白してしまった通り、そもそも「研究不正の正当な告発」を目的としていなかったことは明白です。
馬場先生におかれましては、仏教者らしく自らの過ちを懺悔滅罪され、当方の研究に文句があるのならば正々堂々と論文にて反論されますことを要請します。
本案件が多くの方に共有され、よりよい仏教学の発展につながることを祈念いたします。清水俊史」

(2024年3月1日 項目新設)


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・・18世紀前半の大坂が生み出した天才学者・富永仲基もその一人

・・輪廻転生には3種類ある。「1. 伝統社会で生まれた一族内での生まれ変わり/2. インドで生まれた輪廻転生(サンサーラ)の思想/3. 近代西欧で生まれたリーインカーネーションの思想」

(2024年1月15日 情報追加)


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