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2023年8月28日月曜日

書評『「蛮社の獄」のすべて』(田中弘之、吉川弘文館、2011)ー 渡辺崋山は 19世紀前半の「国策捜査」の犠牲者、この事件は蘭学弾圧が主目的だったわけではない

 

ちょっと前のことになるが、『「蛮社の獄」のすべて』(田中弘之、吉川弘文館、2011)という本を読んだ。

「蛮社の獄」とは、1839年(天保10年)に起こった事件のことだ。江戸時代後期の事件である。「獄」と名前がついているように、蘭学サークルの中心にいた渡辺崋山と高野長英など著名な人たちが逮捕され投獄された事件のことだ。

渡辺崋山についてもっと知りたいと思って、もはや古典ともいうべき書誌学者の森銑三ドナルド・キーンや比較文学の芳賀徹によるものなど、さまざまな本を読んでこの事件について調べているなか、正面から扱った本が意外とすくないことを知った。本書の著者の田中氏もまたそのようなことを書いている。

著者の田中氏は、無人島を意味する「ボニン・アイランズ」、つまり「幕末の小笠原」を調べていて、その関連でこの事件に取り組むことにしたらしい。


■「国策捜査」であった「蛮社の獄」

この本を読んでいて思ったのは、これは19世紀前半の「国策捜査」というべきだな、ということだ。

事件の指揮をとったのは、老中・水野忠邦の右腕として辣腕をふるった鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)。甲斐守であったこともあって、耀蔵の「よう」と甲斐守の「かみ」をあわせて、「妖怪」と陰では呼ばれていたらしい。幕末の歴史にくわしい人なら、悪役(ヒール)として記憶にあることだろう。


(渡辺崋山の肖像画 弟子の椿椿山によるもの Wikipediaより)


被害者だった渡辺崋山は画家として有名だが、田原藩家老をつとめた武士。国宝になっている鷹見泉石の肖像画や、重文の佐藤一斎の肖像画で有名だ。

幕末の内憂外患状態のなか、本人はオランダ語は習得できなかったが、「蘭学の施主」として蘭方医の高野長英や小関三英などに翻訳の仕事をさせていた。

「国策捜査」とは、検察当局が捜査方針を決める際、ときの政権の意図や、世論の動向を踏まえて、かならずしも有力な根拠を欠いたまま、「まず訴追ありき」という方針で捜査を進めることをいう。

この表現は、現在は作家の佐藤優氏が外務省時代に逮捕され投獄されたのち、第一作となる『国家の罠 ー 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社、2005)で使用されたものだ。佐藤優氏の発明ではなく、捜査担当の検事がそう言ったのだという。わたしもこの本を読んで「国策捜査」なることばを知った。

その後発生したホリエモンこと実業家の堀江貴文氏が「ライブドア事件」で逮捕投獄された事件でもつかわれ、一般に定着することになった。

本書は基本的に研究書であり、しかも研究者である著書は、間違っても「国策捜査」なる表現をつかたりはしないが、虚心坦懐に本書を読んでいくと、「蛮社の獄」はまさに「国策捜査」以外の何者でもなかったことがわかる。

なぜなら、「蛮社の獄」は「つくられた事件」であり、一罰百戒を狙った見せしめ的なものであったからだ。つまり冤罪事件でもある。

事件の核心に据えられたのは「無人島渡航計画」なる実態のあやふやな計画である。渡辺崋山も高野長英らも、「鎖国」という国法を犯しての計画であるとし、この計画に関与しているとされ逮捕投獄されたのだ。

危機感を抱いていた渡辺崋山は「開国策」を主張していたが、それが幕藩体制の「祖法」である「鎖国」という、国策の根本に触れることへの認識が不足していたのである。脇が甘かったというべきかもしれない。

ただし、かなりの程度のフレームワーク(でっち上げ)が存在したことは否定できないが、これまた意外なことに、「吟味」においては事実関係の調査がかなり公正に行われており、かならずしも一方的な弾圧とまでは言い切れないものがある。

たしかに、渡辺崋山が田原藩の重臣ではあったが幕臣ではなく交友関係もひろくて目立っていたのでターゲットにされ、ずっと内偵が行われていたのである。自白主義の捜査は江戸時代も同様で、崋山は心ならずも罪を認めて獄中生活を送ることになった。

獄中生活で身体を壊してしまったが、最終的に死罪一等は免ぜられ、蟄居扱いとなっている。師であった佐藤一斎の指摘どおり、渡辺崋山は武士であったからだ。医者の高野長英が看守を買収して脱獄し、顔をつぶして各地に潜伏生活を送ったことは、比較的知られているかもしれない。


(高野長英 Wikipediaより)


だが、同時に逮捕された町人たちと僧侶は獄中死している。獄中における過酷な拷問のためとされている。

身分制度のもと、権威主義体制の体制維持のための「国策捜査」で犠牲になったのは、渡辺崋山や高野長英だけではなく、無人島渡航計画を雑談レベルで話していた無名の民間人たちであた。


■捜査を指揮した鳥居耀蔵という「悪役」の真相

捜査を指揮した鳥居耀蔵は、大学頭の林術斎の息子として生まれ、名門旗本の鳥居家に養子として入った男であった。べらぼうに頭が切れ、林家の出身だけに儒学を中心とした教養も深く、しかも堅い信念の持ち主であった。

言い悪いは別にしたら、使命感のきわめてつよい人物であり、しかも、強靱な精神力の持ち主であった。現在でも東大出身の高級官僚や、そういったエリート官僚出身の政治家に見られるタイプである。

幕藩体制という「権威主義体制」を身体を張ってでも守らなくてはならないという使命感の持ち主だったのである。現在の中国共産党をはじめとする権威主義体制を支えている政治家や高級官僚たちとなんら変わりがない。

鳥居耀蔵は、水野忠邦が失脚後の不義理な振る舞いにより、水野が一時的に復権された際には、今度は本人が失脚することになった。丸亀藩預かりとなって20年以上にたって軟禁状態になっていたが、その間にも心が折れることなく幕府の崩壊と明治維新後まで生き抜いている。

『鳥居耀蔵 ー 天保の改革の弾圧者』(松岡英夫、中公新書、1991)によれば、だから俺の言うとおり「開国」などしなければよかったのだ、という意味の発言をしているという。

最期は介錯なしの切腹で果てた渡辺崋山、逮捕され処刑された高野長英は、ともに「開国」後の日本を知ることができなかった。その他の獄中死した町人たちもあわせて考えれば、人間の運命というものにある種の感慨を抱かずにはいられない。

「蛮社の獄」は「国策捜査」だったわけだが、わたしはこの事件を現代日本に引きつけすぎて読んだのかもしれない。だが、本書『「蛮社の獄」のすべて』によって、この事件の複雑な性格を知ることができたのは幸いだった。

複雑な事件の真相を多面的に、絡め手で迫り、複合的に解明した好著といえよう。関心のある人に、ぜひ一読を薦めたい。




目 次 
はじめに

研究史の回顧と問題の所在
蛮社の獄の背景
林家と蛮社の獄
鳥居耀蔵
渡辺崋山
田原藩の助郷と海防
渡辺崋山と江川英竜
高野長英
小関三英
モリソン号事件
江戸湾巡視
尚歯会と蛮社
『戊戌夢物語』と『慎機論』
無人島
鳥居耀蔵の告発
一斉捕縛と取調べ
判決とその周辺
蛮社の獄をめぐって

あとがき


著者プロフィール
田中弘之(たなか・ひろゆき)
1937年東京に生まれる。1964年駒澤大学文学部歴史学科卒業。元駒澤大学図書館副館長。著書には『幕末の小笠原』(中公新書)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


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・・「証人が、その事態について、感情の上で同意か不同意かを、日本語は見事に表現してしまう。そうしないためには、日本語ならざる日本語、つまり官庁式答弁をするほかはない。他方、現実のその事態がどんなものかについては、ややいい加減で済む。だから、われわれは伝統的に自白を重視する。これは言語の特性だから、しかたがない。日本語は、使用者の心理状態と、ことばとの間の関節が固いのである」  告発者の「自白」と心理的動機の関係について考察するヒントになる


・・国宝の鷹見泉石像を描いたのは渡辺崋山

・・重文の佐藤一斎像を描いたのは渡辺崋山

・・渡辺崋山はまだ平穏無事だった頃に旅した鎌ケ谷の風景

・・高野長英はシーボルトの弟子であった


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2012年12月20日木曜日

書評『修羅場の経営責任-今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実-』 (国広 正、文春新書、2011)ー 山一と長銀、このふたつの「事件」が明らかにする「法的責任」と「経営責任」の違い


1997年の山一証券破綻、翌年1998年の長銀破綻からすでに15年。

その間に「3-11」という巨大な災害を体験したわたしたちは、すでに4年前の「リーマンショック」ですら、遠い過去のように感じてしまう。

山一証券破綻や日本長期信用銀行(=長銀)破綻という「事件」は、すでに20世紀日本金融史のヒトコマとなってしまっているかもしれないが、本書によって、その最後まで見届ける必要がある。それは、わたしが元長銀関係者というからだけではない。

2012年に発覚したオリンパスの「飛ばし」による粉飾決算などを見ていると、山一の事件は既視感にとらわれる思いがする。「飛ばし」もまた需要サイドがいるからこそ供給されるという経済法則を考えると、一方的に証券会社の責任に帰すことができないのではないか。本書が、そのように再考するキッカケになることを望みたい。

長銀事件は、厚労省事件における「検察不信」も、「国策捜査」なるコトバが世に知れ渡る以前の「事件」であった。「国策調査」とは、元外交官の佐藤優氏の著作によって世の中にしられるようになったコトバである。

裁判というものは、裁判官と検察と弁護士(・・これにくわえて立場は分かれるが法律学者も)という法律のプロどうしの戦いであるだけではない。裁判所と検察という官僚機構の背後にある国家、そしてそれを下支えする大手マスコミと、民間企業の経営者という民間人との「正義をめぐる戦い」でもある。

2012年現在から振り返れば、無罪を立証するまでのプロセスがいかに困難を極めたかは想像に難くない。長銀の経営者たちが最高裁で無罪が確定したことは、「法治国家」としての最低ラインは死守できたというべきであろうか。

本書で逆説的に明らかになるのは、「法的責任」とは性格をまったく異にする「経営責任」を明らかにすることの重要性についてである。失敗原因の追及と法的責任の追及は峻別しなくてはならないのだ。

山一にかんしては、若き日の著者は弁護士として「社内調査委員会」にかかわることとなった。現在の「第三者委員会」の原型である。山一にひきつづいて長銀に関与することになった著者は、刑事事件の被告とされた破綻当時の経営陣の一人の弁護団長として最高裁の無罪判決まで伴走することとなった。

本書に描かれた世界を過去の話と一蹴してしまう前に、その後の法改正や一般国民の裁判やマスコミ観に変化を与える端緒ともなった事件として、貴重な教訓を読み取りたいものである。


(注)amazonレビューとして 2012年4月4日に投稿した文章に加筆修正を行った。





目 次

まえがき
第1章 山一證券破綻と社内調査委員会
第2章 長銀破綻と国策捜査との闘い
第3章 「企業の社会的責任」を果たす「前向きの責任論」
あとがき-「経営責任」とは、どういうことか

著者プロフィール  

国広 正(くにひろ・ただし)
1955年大分県生まれ。東京大学法学部卒業。弁護士(国広総合法律事務所)。専門分野は、企業の危機管理(プレス対応を含むクライシスマネジメントの立案・実行、重大案件の社内調査)、リスク管理体制構築(コンプライアンス、内部統制、コーポレートガバナンス)、会社法・金融商品取引法分野の訴訟(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)・・「■スイスの銀行家の「したたかさ」について」という項目で、1998年にUBSとアライアンス(提携)を結んだ「末期の長銀」について回顧した文章を書いている。なお、「長銀破綻」関連書籍については、上記のブログ記事を参照されたい。





(2012年7月3日発売の拙著です)





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