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2025年8月16日土曜日

書評『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)―「あの戦争」は日本近代史全体のなかに位置づけて考えることが必要

 

『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)という本を読んだ。面白い内容だった。この手の本は大量に出版されつづけているが、これは読むに値する本だ。  

「あの戦争」は何だったのかという問いは、現在に生きるわたしたちが「あの戦争」を全体としてどう位置づけたらいいのか、という問いである。 

「あの戦争」は、上皇陛下がつかわれたことで世の中に浸透している「先の大戦」と言い換えてもいい。近年の歴史学の世界でいう「アジア・太平洋戦争」のことである。アメリカ占領軍が強いてきた「太平洋戦争」は、「あの戦争」の一部しか表現していない。 

とはいえ、「アジア・太平洋戦争」では地理的な範囲がおぼろげながら示されるものの、時間軸という要素が示されないことが問題だ。「そもそもいつ始まったのか」という問いに応えていないからだ。 これが「第1章 あの戦争はいつ始まったのか」のテーマである。これは「あの戦争」の名称問題でもある。 

著者は結論として、「大東亜戦争」でいいだろう、としている。わたしも基本的に賛成だ。「大東亜戦争」ということによって、「あの戦争」の地理的空間も時間軸も明確になるからだ。イデオロギーとは関係のない名称としてつかうべきなのだ。 

歴史的事実としては、「あの戦争」は1937年の日中戦争に始まり、1941年12月8日の米英蘭への宣戦布告を経て、中国大陸から東南アジア、太平洋を主戦場とした。 1945年8月14日のポツダム宣言受諾に到り、日ソ戦争を経て9月2日に連合国に対する降伏文書に署名し、「あの戦争」が形式上は終結した。

「あの戦争」こと「大東亜戦争」は、中国大陸を主要な戦場として、1937年から8年間にわたってつづいた戦争なのである。いわゆる「太平洋戦争」は、英米アングロサクソンの経済領域である上海に、日本が手を突っ込んだことが導火線になったのである。 

上海を基盤としていたのが国民党の蒋介石であった。蒋介石の妻である宋美麗の米国における抗日プロパガンダを想起する必要がある。日本は満洲にとどめておけば、米英との戦争は回避できたかもしれない。だが、それはあくまでも「イフ」に過ぎないことは、十分に自覚しておかねばならない。



■現代人が現在視点で「あの戦争」を位置づけることが必要

本書は、現代という時代に生きる日本人が、現代的視点に立って、「あの戦争」を全体としてどう解釈し、どう位置づけるかという問いに対して答えようとした試みである。 

先にみた「いつ始まったか」の答えにもあるように、左右のイデオロギー対立とは関係のない、きわめて公平で健全な常識にもとづいたものだといえる。 

テーマ別の構成をとっている本書で、とくに読んでいて面白く、読むに値するのは「第2章 日本はどこで間違ったのか ――原因は「米英」か「護憲」か」である。ここでいう「護憲」の対象は「大日本帝国憲法」のことだ。お間違えなきよう。

「大日本帝国憲法」は、そもそも幕府的なものが発生しないよう、そのような意図をもってつくられた憲法であり、その結果、最終責任者が不明瞭という根本問題をうみだすことにつながってしまったのだ。首相には大臣の罷免権すらなかったのである! したがって、大臣職をいくつも兼任した東條英機首相も、独裁者とはほど遠い存在であった。 

著者は、さまざまな「イフ」を投げかけて、その時点での意思決定が絶対にただしかったわけでも、絶対に間違っていたわけでもないことを示している。凡庸な歴史家は「歴史にイフはない」とうそぶくが、歴史を題材にした思考訓練として「イフ」はきわめて有効だ。 

「大東亜共栄圏」というスローガンは、戦争が始まってから創られたものだが、戦時に強調された「八紘一宇」というフレーズに普遍的な「理念」があったのかどうかを検証している。「八紘一宇」とは、全世界を一つの家として統治するという理念を表現した、『日本書紀』に由来するフレーズである。 

第3章 日本に正義はなかったのか 」で理念を打ち出した日本側について検証し、「第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか」で、「理念」が適用された「大東亜」地域、すなわち他者である中国と東南アジア地域での「建国ミュージアム」のフィールドワーク記録を紹介している。 

「あの戦争」について、内向きの視点と外向きの視点でのギャップを感じることができたら、著者の試みは成功しているといっていいだろう。むしろ、「あの戦争」を経て建国するに到った、中国や東南アジア各国の「建国物語」への注目は、東アジアと東南アジアを考えるうえできわめて有益だ。戦争は相手あってこそ、戦争相手から見る必要があるだけでなく、 近代史は国際関係のなかで見る必要がある。

これは重要なことだが、著者が指摘するように、日本には国立の「戦争ミュージアム」がない。全国地に存在するさまざまな民間ミュージアムが補完的機能を果たしている。靖国神社の遊就館や、おなじく九段にある昭和館、空襲や原爆関連の施設、などである。

「第5章 あの戦争はいつ終わるのか」は、「戦後80年」を経てなお「終わっていない」、言い換えれば日本近代史において位置づけがいまだに確定していない「あの戦争」の評価にかかわる問いへの答えである。 ここでもさまざまな思考実験が行われている。



■イデオロギーに引きずられることなく公平にものを見る必要

在野の近代史研究者である著者の姿勢は、特定の思想や左右の極端なイデオロギーに引きずられることなく公平であり、きわめて健全であり、むしろ常識的すぎるといえるかもしれない。 

現代に生きる日本人が「昭和時代」、とくにその前半を象徴する「あの戦争」をどう解釈し、どう位置づけるか。本書はその問いを自分のものとして考えるための、よき手引きになっている。ぜひ読むことを薦めたい。 


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目 次
はじめに 
第1章 あの戦争はいつはじまったのか ― 幕末までさかのぼるべき? 
第2章 日本はどこで間違ったのか ― 原因は「米英」か「護憲」か 
第3章 日本に正義はなかったのか ― 八紘一宇を読み替える 
第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか ― 忘れられた「東条外交」をたどる 
第5章 あの戦争はいつ「終わる」のか ― 小さく否定し大きく肯定する 
おわりに 
主要参考文献

著者プロフィール
辻田真佐憲(つじた・まさのり) 
1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連記事>

【戦後80年なぜ日本は「あの戦争」をしたのか】辻田真佐憲「歴史は65点で語ってOK」/なぜ語りにくいのか/被害者か加害者か/「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か/「新しい戦前」に今できること(TBS CROSS DIG with Bloomberg)





<ブログ内関連記事>


・・大東亜戦争は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争が泥沼化したことから

・・大東亜戦争は1945年8月15日に終わったのではない


・・日本がタイに進駐していた3年半、この短い期間にあったことは?



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2023年8月13日日曜日

書評『硫黄島上陸 ― 友軍ハ地下ニ在リ』(酒井聡平、講談社、2023)― 死者たちの声に呼ばれた著者の執念が読者にも感染する

 

『硫黄島上陸 ー 友軍ハ地下ニ在リ』(酒井聡平、講談社、2023)を読んだ。 このノンフィクションはすごい。ひさびさに渾身の力作というべき本を読んだ思いだ。 

死者たちの声に呼ばれた著者の執念が、この本を読んでいる読者にも感染してくるのだ。 

「太平洋戦争」末期の沖縄戦の前に、激戦となったのが映画『硫黄島からの手紙』の舞台になった硫黄島だ。日米双方に多大な戦死者を出している。 

徹底抗戦した日本の守備隊2万人のうち、戦死者は1万9千を越え、95%が戦死している。ほぼ全滅といっていい。生き残った者は、圧倒的に少ないのだ。 ほとんどいないと言ってもいいくらいである。

だが、問題はそれだけではない。戦死者のうち半分の1万人が、いまだに行方不明のまま遺骨の収集も進んでいないということにある。 

著者の酒井氏は北海道の出身。祖父が小笠原の父島で戦死している。父島は硫黄島と本土との中継連絡地点だった。 祖父がかかわった硫黄島のことをもっと知りたくて、地方紙の北海道新聞の記者になる。

そんな酒井氏は、硫黄島からいまだ帰還していない戦死者たちの声によばれるかのように、事実解明を使命としてのめり込んでいく。 

その記録がこのノンフィクションとなって結実した。まさに渾身の一冊であり、この本を書くことは、著者にとっては運命であり、死者に対する義務であったのだろう。 

遺骨収集団の一員として参加した、著者の硫黄島体験記を読んでいると、正直いって精神的に疲れてきた。いや、死者たちの声なき声に憑かれたといってもいいかもしれない。それだけ重いテーマなのだ。 

「なぜ1万人がいまだ行方不明のままなのか?」。この謎を巡っての執拗な追跡が、最後の最後まで読ませるのである。 

一人でも多くの人がこの自称「旧聞記者」による「自分語りのノンフィクション」を読んで、知られざる「硫黄島の真実」について知るべきだ。 それは、敗戦後の日本について、その深層を知ることになる。


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目次
プロローグ 「硫黄島 連絡絶ゆ」
第1章 ルポ初上陸 ― 取材撮影不可の遺骨捜索を見た 
第2章 父島兵士の孫が硫黄島に渡るまで 
第3章 滑走路下遺骨残存説 ― 地下16メートルの真実 
第4章 情報公開で暴いた硫黄島戦後史 
第5章 硫黄島「核密約」と消えた兵士たち 
第6章 戦没者遺児との別れ、そして再上陸へ 
第7章 硫黄島の元陸軍伍長「令和の証言」 
第8章 硫黄島ノ皆サン サヨウナラ
エピローグ 「陛下、お尋ね申し上げます」
あとがき
主要参考文献


著者プロフィール
酒井聡平(さかい・そうへい)
北海道新聞記者。土曜・日曜は、戦争などの歴史を取材、発信する自称「旧聞記者」として活動する。1976年生まれ、北海道出身。2023年2月まで5年間、東京支社編集局報道センターに所属し、戦没者遺骨収集事業を所管する厚生労働省や東京五輪、皇室報道などを担当した。硫黄島には計4回渡り、このうち3回は政府派遣の硫黄島戦没者遺骨収集団のボランティアとして渡島した。取材成果は Twitter などでも発信している。北海道ノンフィクション集団会員。本書が初の著書となる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

・・弟子で養子の折口春洋(おりくち・はるみ)は、陸軍中尉として硫黄島で戦死している。Wikipediaの文章に加筆修正したものを下記に掲載しておこう。春洋の死は、戦後の折口による「他界観」の考察にも大きな影響を与えている。「民族史観における他界観念」(1952年)を参照。

***

昭和二十年 三月十九日、硫黄島方面で戦死の由、東京聯隊区司令官の名で報告があった。だが、詳細な死所およびその月日を知ることは出来ない
 
折口信夫は、米軍上陸の2月17日を折口春洋の命日と定め、「南島忌」と名づけた。 

折口信夫が建てた父子の墓は羽咋市にある骨は帰ってこなかったため、遺髪と軍刀が墓には収められている。折口信夫の撰した墓碑銘にはこうある。

もつとも苦しき
たゝかひに
最もくるしみ
死にたる
むかしの陸軍中尉
折口春洋
 ならびにその
父 信夫の墓


(折口信夫の父子の墓碑 羽咋観光協会のサイトより)






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2021年12月8日水曜日

「米國及英國ニ對スル宣戰」から80年!(2021年12月8日)―「太平洋戦争」は「大東亜戦争」の一部であり「中華民国の重慶政府への米英の支援」が原因だという認識の再確認が必要だ

 国立公文書館のサイトにアップされている写真版 筆者が赤で傍線)


「太平洋戦争」がはじまってから80年「日米開戦」から80年。「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と「トラ・トラ・トラ」で始まった真珠湾攻撃とその成功は、まさに米国との戦いであり、「太平洋戦争」であった。

だが、戦った相手は米国だけではない。英国とも戦ったのである日本人の認識のなかで、この重要な事項が欠落していることはきわめて大きな問題だ。

同時に開始されたのは「マレー上陸作戦」だ。時間的にいえば、こちらのほうが若干早い。マレー半島を植民地にし、シンガポールに巨大な要塞を築いていた大英帝国との戦いだ。その後、戦争の進展のなかオランダとの戦いになる。スマトラの原油を確保するため、インドネシアを植民地としていたオランダを排除することになる。
 
さらにいえば、中国大陸における中国国民党との戦いが4年にわたって続いていた。じつをいうと、この日中戦争こそ、米英との戦いの原因となったのである。


■「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」は虚心坦懐に読むべし

いわゆる「終戦の詔勅」は「玉音放送」として、昭和天皇自身の肉声による音源が残されており、現在でも再生可能である(・・録音したレコード盤の争奪が『日本のいちばん長い日』のテーマであることはよく知られているとおりだ)。

だが、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」のほうは、音声が録音されていないので、あまり知られていないのが実態だろう。

1941年12月8日の「宣戦布告文書」を虚心坦懐に読んでみよう。正式には「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」という公文書だ。そこには、「朕玆ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス」とある。「米国および英国に対して宣戦した」とある。日本は米国に対してのみ宣戦布告したのではない。米国と英国に対して宣戦布告したのである!


「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日」は、国立公文書館に写真版4枚がある。以下、その原文をそのまま掲載しておこう。(*読みにくいので引用者=さとう の判断で行替えと太字ゴチック化を行ってある)。


米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

天佑ヲ保有シ 萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ 昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス
朕玆ニ 米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ 全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司ハ 勵精職務ヲ奉行シ 朕カ眾庶ハ 各〻其ノ本分ヲ盡シ 億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑〻東亞ノ安定ヲ確保シ 以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ 丕顯ナル皇祖考 丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ 朕カ拳〻措カサル所 而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ 米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈朕カ志ナラムヤ
中華民國政府 曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス 濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ 遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ 玆ニ四年有餘ヲ經タリ 
幸ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ 重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ 兄弟尙未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ 平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス 剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增强シテ我ニ挑戰シ 更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ 遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ 帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ 隱忍久シキニ彌リタルモ 彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク 徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ 此ノ間却ツテ益〻經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ 以テ我ヲ屈從セシメムトス 
斯ノ如クニシテ推移セムカ 東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ 帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ 事旣ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲 蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ 
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ 朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ 速ニ禍根ヲ芟除シテ 東亞永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽
昭和十六年十二月八日
(以下略)


虚心坦懐に読めば、日本が米英アングロサクソンによって経済制裁され、経済的に追い詰めらたことが書かれている。この記述は、まさに歴史的事実であり、フランクリン・ローズヴェルト政権の妥協なき対日政策がいかに日本を追い詰めたかを示している。

つまり、米英との戦いは、アングロサクソンの中国利権を侵害したことから始まったといっても言い過ぎではない。


国立公文書館のサイトにアップされている写真版 筆者が赤で傍線)


日本が利権の範囲を満洲にとどめていたら、上海を中心とする英米アングロサクソンとの利権の「棲み分け」ができていたはずなのに、そうならなかった。その原因が日本にあったことは否定できない事実だ。

日本は上海から南京まで攻略したが、中国国民党をさらに長江上流域の重慶に撤退させ、徹底抗戦させることにしてしまった。その重慶政府を支援していたのが米英アングロサクソンなのだ。米国は「フライング・タイガー」などで航空支援・・・
 


■なぜ「大東亜戦争」と言うべきなのか

米英蘭と中国との戦いをあわせて「大東亜戦争」というのである。それが、開戦当時の認識であり、戦争当時の認識であった。敗戦時点でもその認識に変わりはない。

「太平洋戦争」なる呼称が拡がったのは、米国を中心とした連合軍による占領統治下の「洗脳工作」によるものであることは、現在では否定しようのない事実であることは明らかになっている。

もちろん、米国との戦いに限定すれば「太平洋戦争」でも間違っていない。戦争末期の主戦場となった米国の植民地フィリピン(当時)も太平洋にある。だが、繰り返しになるが、日本は米国とだけ戦ったのでないのだ。

近年の歴史学会では「アジア太平洋戦争」ということが多い。たしかに、地理的な範囲としてはそのとおりだ。説明的な表現である。だが、「大東亜戦争」という呼称があるのに、あえて「アジア太平洋戦争」と呼ぶのは不自然ではないか? 

そして大戦末期になってソ連との戦いも加わる。火事場泥棒としかいいようのないソ連の極悪非道ぶりについては、あえてここに書くまでもあるまい。いずれにぜよ、「終戦の詔勅」ではソ連を含めて「米英支蘇四國」となっているのである。

「終戦の詔勅」は、正確にいえば「大東亞戰爭終結ノ詔書」である。この事実もまた、「太平洋戦争」という呼称がただしくないことを示している。

「占領軍」とくに米国の工作で「太平洋戦争」という呼称が定着しているが、もういい加減に「洗脳」からみずからを解放するべきではないか?

「太平洋戦争」開始から80年となる本日(2021年12月8日)、あらためて主張したいのである。




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2019年8月13日火曜日

JBPressの連載コラム第58回は、「先の大戦の真の敗因とは?大人が見たい伝説のアニメ ― 司令官たちの意思決定を描いた『アニメンタリー 決断』」(2019年8月13日)


JBPressの連載コラム第58回は、先の大戦の真の敗因とは?大人が見たい伝説のアニメ-司令官たちの意思決定を描いた『アニメンタリー 決断』」(2019年8月13日)

⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57275

8月15日を「終戦記念日」というが、本当は「敗戦記念日」というべきではないかという議論がある。「終戦」という表現では、日本が「敗戦」したという事実が十分に意識されないからだ。 


このことを考えるには、「開戦」と「終戦」という劇的で瞬間的な出来事だけではなく、4年間にわたって続いた大戦のプロセス、言い換えれば個別の具体的な戦争そのものに即して考えてみることも必要だろう。 


(『アニメンタリー 決断』第1話 TatsunokoChannel) 

そこで今回は、いまから48年前の1971年にテレビ放送されながら、あまり知られることなく終わってしまった伝説のアニメ作品『アニメンタリー 決断』を取り上げてみたい。


1971年(昭和46年)のテレビ放送当時、小学校4年生だった私は、全26話からなるこのアニメをリアルタイムで視聴していた。クラスの男子生徒の多くが見ており、学校でその話題をいつもしていたものだ。 

つづきは本文で  ⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57275




(冒頭のナレーションのシーン YouTubeよりキャプチャ)
















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