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2011年8月26日金曜日

書評『歴史に消えた参謀 ― 吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(湯浅博、産経新聞出版、2011)― 吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

■吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

 知られざる英米派の陸軍参謀・辰巳栄一の生涯が、はじめて一冊の本として本書にまとめられた。『歴史に消えた参謀  ―  吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(湯浅博、産経新聞出版、2011)である。

 みずからを「敗軍の将」としてオモテに出ることを潔よしとせず、きわめて大きな役割を戦中戦後に果たしながらも、みずからの意思で歴史のなかへ姿を消していった陸軍情報将校。

 同じ英米派で先輩にあたる本間雅春中将がノンフィクション作家の角田房子によって取り上げられ、『いっさい夢にござ候』という名評伝が書かれているのは、フィリピンで戦犯として処刑されたという悲劇的な死を迎えただろう。これに対し、みずからの意思で歴史から姿を消し、最終的に天寿をまっとうした辰巳中将は、伝記が書かれたことはこれまでなかった。

 著者の表現を借りれば、「情報力の有無とそれを使いこなす政治指導者の重要性に着目していた」(P.9)辰巳中将は、もっと世に知られてしかるべき情報将校の一人だろう。最後まで読んでみて、強くそう思った。

 敗戦後の日本の保守政治のレールを引いたのはワンマン宰相とよばれた吉田茂である。吉田茂には二人の有力な「ロンドン人脈」があった。

 一人は、GHQによる日本占領下、主権と独立を回復するために、吉田茂の右腕となって活躍した白洲次郎。そしてもう一人は、吉田茂の軍事顧問として活躍した本書の主人公・辰巳栄一であった。

 通産省(現在の経産省)をつくり、電力自由化などの経済政策に大きく関与した白洲次郎が吉田茂のオモテの右腕であったとすれば、敗軍の将としてウラに徹した辰巳栄一は吉田茂の私的な軍事顧問であった。

 著者の表現を借りれば、白洲次郎は「経済の密使」で辰巳栄一は「影の参謀」の役目を演じきったといえよう。辰巳栄一は日本の再軍備においてきわめて大きな役割を果たすことになる影の功労者である。

 なんといっても、本書で読者の関心がいちばん深いのは、副題にもなっている「吉田茂の軍事顧問」としての後半生であろう。この時代の情報は、米国立公文書館の「タツミ・ファイル」によるものだという。

 米軍による占領下の日本でインテリジェンス活動を行っていた対敵諜報部隊(CIC)が収集した情報である。自衛隊の前身である警察予備隊創設も、辰巳栄一の存在なくしてあり得なかったことがよくわかる。その間に展開された種々の暗闘も。

 残念ながら本書は、新聞連載の文章をもとにしたためであろう、単行本においてもやたら「である」という現在形を多用する新聞文体のままであり、けっして読みやすくない。

 連載中の「産経新聞」の読者にとっては意味があるだろう各種の文言も、単行本の読者にとっては正直なところ冗長であり、大幅に再編集してから出版していただくべきであった。

 また、知られざる人物の本格的な紹介でありながら、資料としての年譜もたった1ページと不十分であるのは読者にとっては、はなはだ不親切である。

 とはいえ、本書は先駆的な仕事としては意味あるものといっていい。本書を踏み台にして、吉田茂のロンドン人脈、そして「情報」という観点によるすぐれた評伝やドラマが、これから書かれることになるのであれば、本書の存在意義があったということになろう。



<初出情報>

■bk1書評「吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯」投稿掲載(2011年8月21日)

*再録にあたって一部加筆した。


(画像をクリック!)



目 次

序章 首相には「影の参謀」がいた
第1章 葉隠精神と破天荒の時代
第2章 情報戦争の渦の中へ
第3章 吉田茂との運命的な出会い
第4章 英米派の孤独な戦い
第5章 風雲急を告げる日米“一触即発”
第6章 帝都防衛、学童疎開
第7章 敗戦―占領軍がやってきた
第8章 鉄のカーテンが降ろされた
第9章 吉田が目指した日本独立
第10章 「歴史に消えた参謀」
終章 吉田ドクトリンを超えて

辰巳栄一略歴
あとがき
参考文献


著者プロフィール

湯浅 博(ゆあさ・ひろし)


産経新聞特別記者・論説委員。1948年東京都生まれ。中央大学法学部卒、プリンストン大学 Mid-Career Program修了。産経新聞入社後に千葉支局、経済部を経てワシントン特派員、外信部次長、ワシントン支局長、シンガポール支局長を歴任。2002年7月から現職。産経新聞に「世界読解」「東京特派員」などのコラムを執筆中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 先日はじめて読んだ『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)に、総力戦研究所の設立に大きなチカラのあった辰巳栄一の名前がでていることに気が付いた。

 『大本営参謀の情報戦記』を書いた堀栄三もまた、その著書のなかで、敗戦後は辰巳栄一の引きによって情報担当として自衛隊に入ったと書いている。

 さまざまなところに、ちょっとだけがでてくるが、その全体像がわからなかった辰巳栄一。

 吉田茂を中心とした「ロンドン人脈」。元外交官の政治家と経済人そして元軍人の三人が、戦後日本の方向性を決定づけたといっても言い過ぎではないかもしれない。ちなみにこの三人の年齢は、吉田茂(1878~1967)を筆頭に、辰巳栄一(1895~1983)、白洲次郎(1902~1985)とつづく。それぞれ世代の異なる三人であった。

 著者は、序章で以下のように述べている。

 辰巳栄一元中将はこれらの文書で、合理的な組織がもつ情報の上に、洞察力と決断力のある政治指導者を得ていたか否かが、日英を分けていると記していた。とりわけ元中将は、情報力の有無とそれを使いこなす政治か指導者の重要性に着目していた。
 彼は、昭和40年(1965年)に、齢90でこの世を去ったチャーチルに敬意を抱きながら、痛嘆の思いを込めて語っている。
 「英国にとって、未曾有の危機であったあの大戦間、信念の強い、聡明達識の英雄チャーチルによって戦争を指導されたことは、英国民にとって幸せだったと思う」 (P.9)

 「合理的な組織がもつ情報の上に、洞察力と決断力のある政治指導者を得ていたか否か」、この文言は昭和20年(1945年)の敗戦から66年たった、今回の「第三の敗戦」においてもまた、あまりにも重く響く。

 辰巳栄一は本人の意思にかかわらず、三度のロンドン駐在という異例のキャリアの持ち主である。三度目のロンドンで体験したドイツによる爆撃、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」の経験が、日本帰国後には本土空襲防衛と学童疎開を推進する役割を演じることになる。

 副題から「影の参謀」にどうしても関心が集中してしまうだろうが、学童疎開を推進したことの異議はきわめて大きい。戦後の復興がスムーズにいった理由の一つに、若い人的資源が温存されたこともあげなくはなるまい。


PS 2013年7月に文庫化されて文春文庫から出版されることになった。これによって、辰巳栄一の名前はさらに広く知られることになるであろう。(2013年7月7日 記す)




<ブログ内関連記事>

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜
・・著者によう最新刊。これもまた産経新聞掲載

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・第二次大戦中に英国国民を鼓舞しつづけた国王の半生

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)・・必読書!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!

(2017年9月16日 情報追加)


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2011年8月23日火曜日

書評『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)―「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった


■「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった■

 松井石根と書いて、まつい・いわね、と読む。「B級戦犯」として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑を宣告され絞首刑となった 7人の一人だ。現在では知っているひとはそう多くはないのではかもしれない。

 本書は、心ならずも「南京事件」における「虐殺」の責任者とされた「悲劇の将軍」を正面きってとりあげた評伝である。そしてまた、「南京事件」を中心に、松井石根という一人の中国通の情報将校の目をとおして描いた日中関係史でもある。

 ではなぜ松井中将が「悲劇の将軍」となったのか? 松井将軍が心の底から中国を愛し、日中友好こそがアジア安定の要であるという固い信念をもっていたにもかかわらず、日中関係が悪化の一方をたどった時代に生きた職業軍人であったことが、その原因の一つである。松井将軍は、59歳で予備役から戻されて、上海攻略戦の総司令官となったのであった。

 しかも、1937年(昭和12年)の「南京事件」は、松井将軍の意に反して行われたものであった。「上海事変」で中国側の激しい抵抗にあった日本軍は、からくも勝利を収めたあと、一部の司令官がなしくずしで開始した南京攻略戦を追認せざるをえなくなる。軍隊にあっては絶対にあってはいけないはずの「指揮命令系統の混乱」が生じたのは、そもそも戦争目的があいまいであったこと、戦争の「出口戦略」が見失われたことも大きい。

 捕虜の虐待や民間人に被害を与えないよう、上海と南京の攻略戦をつうじて、松井将軍が何度も「戦時国際法」に基づいて軍紀を守るよう、くどいほど念を押していることが本書を読むと確認できる。

 とはいえ、軍紀に厳しい理想肌の松井将軍の下にいたのは、内心ではそんな松井将軍をせせら笑っていた下克上的風潮のつよい将校たちであった。

 南京事件は、「カリスマなき誠実な理想主義者」がリーダーとして現場でトップに立ったときに引き起こされた悲劇というべきかもしれない。そして、その後の松井将軍の生涯は、この南京攻略戦が原因となった東京裁判での死刑判決と絞首刑によって完結することになる。

 終生、親中国の姿勢を変えることのなかった松井将軍。みずから意図したものとは正反対の結果を生み出し、死後もなお誤解が解けることがない「悲劇」の人生。日本側がみて良かれと思ったことが、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らなかったイマジネーションの欠如、認識ギャップが存在したことが否定できないのもまた事実である。この点もまた、軍人としては優秀であっても、政治への洞察力に欠けるものがあったというべきだろうか。

 松井将軍にまつわる中国側の誤解が解ける日は、残念ながら半永久的に来ることはないだろう。だが、せめて日本側においての評価が「正常化」し、「名誉回復」がなされることを望みたい。そのためにも、本書には一読の価値がある。



<初出情報>

■bk1書評「「B戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)




目 次

序章
第1章 日中友好論者への道
第2章 大亜細亜協会の台頭
第3章 上海戦
第4章 南京戦
第5章 占領後の南京
第6章 興亜観音
第7章 東京裁判
最終章 歿後
あとがき
主要参考文献


著者プロフィール

早坂 隆(はやさか・たかし)


1973年、愛知県出身。ルポライター。『昭和十七年の夏 幻の甲子園-戦時下の球児たち-』(文藝春秋)で「第21回ミズノスポーツライター賞最優秀賞」及び「第2回サムライジャパン野球文学賞ベストナイン賞」を受賞。日本文藝家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 むかし『東京裁判』というドキュメンタリー映画を見たが、そのなかに陥落後の南京に入城する馬上の松井石根(まつい・いわね)将軍のシーンがでてくたような記憶がある。

 けっして偉丈夫というのではない、枯れた感じの風貌。かの「南京事件」の司令官にしては意外な感じがしたのが印象に残っている。このときの写真は、本書第5章の扉に掲載されている。

 松井石根がそもそも陸軍士官学校では、その当時の多数派であったドイツ語でもロシア語でもなく中国語で通した人であり、陸軍大学では成績優秀のため恩賜の軍刀を賜り、参謀本部第二部長として中国通の情報将校としての輝かしいキャリアをつんだ人であったことは記憶しておきたい。

 早坂隆氏は、昨年は樋口季一郎をとりあげている。書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)。 彼もまた、ドイツ語畑でロシア語を独習で完璧に身につけた情報将校であった。意図的に取り上げているのかどうかわからないが、どうも昭和期の陸軍軍人では、作戦参謀よりも情報参謀のほうが、緻密で冷静な印象を受ける。

 これは「情報」(インテリジェンス)というものがもつ性格からくるのだろうか。ここでいう「情報」には、「諜報」も「謀略」も含まれる。「戦術」重視の作戦参謀の問題は、すでにさんざん指摘されてきたことではあるが、さらに検討を加える必要があろう。日本の軍人は、「情報」を軽視した「作戦」(!)という、部外者からみたらナンセンスとしか思えないことを平気でやっていたのだ。

 孫文の「中国革命」成就までは、ほぼ完全に一致していた日中双方の中国感が、かくも乖離していったのはなぜか。日本近現代史の「不幸」は、まさに「日中関係悪化」が止められなかった歴史にあるといっても過言ではない。

 松井石根が推進した「大亜細亜協会」に端的にあらわれているのだが、日本側が良かれと思ったことは、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らないのは、イマジネーションの欠如と言わねばなるまい。やはり、ある種の固定観念や予断がつきまとっていることに無自覚であったということだろう。善意にもとづく日中友好論であっただけに、この認識ギャップが致命的な過ちを招いたのではないかと思われる。軍人としてのイマジネーションの限界だろうか。

 上海事変の戦死者が日本側でも一万人!以上に及んだこと。この戦いはいったい何であったのか。問い直すのであれば、南京事件だけでなく、上海事変も見直さねばならないだろう。

 とにかく国民党の蒋介石を排除すべしという、松井将軍の信念は、もしうかすると愛憎関係が逆転したものか。当時の近衛文麿首相の「蒋介石を相手にせず」と同じ認識をもっていた松井将軍の認識についても、正直なところ、あまりにも軍人的な発想であるように思うのだが・・・。

 まだまだ、簡単に評価を下しがたいのが松井石根という一軍人の生涯である。


<関連サイト>

東京裁判名場面(YouTube 映像)


<ブログ内関連記事>

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・同じ著者による帝国陸軍の情報将校の評伝

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・
・・「A級戦犯」で死刑宣告され絞首刑となった7人のリストを掲載してある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・大本営「情報」参謀が書いた「失敗から学ぶ」回想録。必読書!


<読書ガイド>

 本文で触れた、大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちの伝記を、絶版も含めて紹介する。現在もっとも入手しやすいエディションを掲載しておく。

『山下奉文-昭和の悲劇-』(福田和也、文春文庫、2008)
・・文芸評論家・福田和也による山下奉文大将

『責任-ラバウルの将軍 今村均-』(角田房子、ちくま文庫、2006)
『一死、大罪を謝す-陸軍大臣阿南惟幾-』(角田房子、PHP文庫、2004)
『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(角田房子、中公文庫、1975)
・・ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将の伝記

『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道-』(梯久美子、新潮文庫、2008)
・・梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、


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2011年8月10日水曜日

『大本営参謀の情報戦記 ― 情報なき国家の悲劇』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で、原爆投下「情報」について確認してみる


 2011年8月6日に放送された「NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」を見て、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事をこのブログに書いた。

 番組のなかで元大本営参謀であった堀栄三氏の証言がでてきたので、たしかこの人の書いた本をむかし読んだことがあると思いながら視聴していたのだが、番組のなかでは著書については、いっさい触れられることがなかった。

 番組を見終わったあと、情報検索してみたら『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇』(堀 栄三、文藝春秋社、1989)であることが確認された。

 その際、すでに文庫版もでていることを知ったが、書庫かダンボール箱のなかか、どこかに読んだはずの単行本があるはずだと思って探してみたら、一昨日(8月8日)本棚の奥からでてきた。

 さっそく、番組で言及されていた、米軍のB29による爆撃にかんする暗号解読? について、単行本の本文で確認してみた。

 以下に書く内容は、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事の補足と考えていただいて構わない。

 ただし、引用するのは1989年発行の単行本初版第一刷から。文庫版をふくめたその後のエディションで訂正事項があるかもしれないが、確認していないのでわからない。


 B29 による爆撃にかんする暗号解読については、Ⅴ 再び大本営情報部へ に書かれている。B29 の B とは、Boeing(ボーイング社)のこと。B52 による北爆がおこなわれたベトナム戦争の記憶も遠くなった現在、念のために確認しておく。

Ⅴ 再び大本営情報部へ
 1. 日本軍の暗号の非能率ぶり
 2. 戦略爆撃と米軍暗号の解読
 3. B-29 のコールサインを追う
 4. 謎のコールサイン機の出現
 5. 米軍の日本本土上陸地点は?
 6. 地下に潜った陸軍特情部

 この一章を精読しなおしてみると、NHKスペシャルの内容とは微妙に違いがあることがわかる。

 堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめたが、当時は米国との開戦後、米軍が変更したあたらしい暗号コード解読が完了せず、もっぱら通信傍受によって得た情報をもとに解析をおこなっていたという。すでにして、暗号戦では日本は負けていたのである。

 ちなみに大本営陸軍部は、第一部が作戦、第二部が情報、第三部が運輸・通信、そのほか特殊情報部、総務部)などがあった。昭和18年(1943年)当時の大本営第二部(情報)は、第4課が情勢判断・宣伝・謀略・防諜、第5課がソ連情報、第6課が米英情報、第7課が支那情報・測量・地図、であった。第6課の米英情報は、それまで欧米情報の一部にしかなかったということは驚くべきことだ。

 1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された「原爆」が「原爆」と判明したのはいつか、該当箇所を引用して確認しておこう。

 午前8時15分、広島市上空に一大閃光とともに原子爆弾が投下された。
 「ああ、万事休す」
 第六課の米国班の堀たちが追跡した正体不明機は、原爆投下という特殊な任務機であったことを、最後まで見抜けなかった。
 山下大将(引用者注:山下奉文大将。フィリピンで戦犯処刑)が、リンガエン全部にかけるような投網が欲しい、と言った投網は米軍の方が先に使ってしまった。
 硫黄島基地に「われら目標に向って前進中」の電話を傍受した時点で、特情部は防空部隊に警戒を促す情報を送っていたが、最後まで特殊任務が何であったかを見破れず、その上、無線封止と、従来の戦法の裏をかいた侵入方向で、日本軍の防空部隊までが欺かれて虚をつかれてしまった。
 あのときの「ニューメキシコ州で新しい実験が行われた」という外電情報が、原爆実験であったと結びついたのは、広島に原爆が投下されてから数時間たっての反省と悔悟の結果であり、確実に原爆と堀たちが確認したのは、8月7日早朝ワシントンでトルーマンが正式に発表した放送内容を特情部がキャッチしたときであった。われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ。正体不明、特殊任務の内容がはっきりしたときには、広島市民の生命はすでに失われてしまっていた。
 予備知識の程度でも、また原爆の「ゲ」の字のかけらでも、われわれの知識の片隅にあったら、また米国内の諜報網が健在していたら・・(中略)・・。
 「あそこまでは出来ていた」という言い逃れは、戦争の中での情報の世界では通用しない。判断の間違いは直接敗戦の導火線に点火してしまうからだ。
 原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗であり、広島、長崎市民犠牲に何ともお詫びの言葉もなく、さらにこれが日本始まって以来の敗戦の導火線に点火してしまったことを思うと、情報の戦争に対する責任も、作戦課と同罪であって、ただただ恐縮この上ない。
 いずれにしても情報の任に当る者は、「職人の勘」が働くだけの平素から広範な知識を、軍事だけでなく、思想、政治、宗教、哲学、経済、科学など各方面にわたって、自分の頭のコンピューターに入力しておかなければいけなかった。
 堀たちの頭に、原爆という語は、その当時かけらほどもなかったことを告白する。山下大将がバギオで、「投網が欲しい」と言ったとき、堀はまだ「面をつぶす兵器」と考えただけで、それ以上に深く考えなかったことが反省される。想い出しても、想い出しても残念であり、その罪の大なるを感じている。再び、「日本よ、将来とも情報を軽視してほならない」と言いたい。M-209暗号機(引用者注:スウェーデンを経て入手したと堀氏が書いている)の解読で、「ヌクレア(核の)」という文字が出たのは正確には8月11日のことであった。陸軍特情部も地団駄踏んで悔しがったがすでに遅かった。
(引用は、単行本 P.217~219 太字ゴチックは引用者=わたし)

 まさに It's too late. 遅すぎたのであった。「われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ」という告白のコトバは痛切なものがある。

 引用文中に「堀」とあるのは、著者の「堀」栄三氏本人のことである。一人称ではなく、三人称の固有名詞によって、あえて自分を突き放して、客観的姿勢を示そうとしたのであろうか。とはいえ、堀栄三氏自身は戦後の自衛隊時代もふくめて一貫して「情報畑」の人であり、どこまで正しいことを書いているのかはわからない。当然のことながら書いていない、書けないことが多々あるはずだ。

 ところで余談だが、わたしの祖父は、大正時代の "忘れられた戦争" である「シベリア出兵」に陸軍兵士として出征している。人を撃つのはイヤなので、志願して通信兵になったと聞いたことがある。敵として対面していたのは革命政権側のパルチザン部隊。敵の通信傍受がその基本任務であったようだ。そのために軍隊内の教育でロシア語を猛勉強したといっていたが、暗号解読についての話は聞きそびれたのでわからない。

 このように日本帝国陸軍にとって、仮想敵国は一貫してソ連であった。同じ大正年間の 1919年(大正8年)には、米国は「オレンジ作戦」の立案を開始している。「オレンジ作戦」とは、太平洋をはさんだ日本を仮想敵国の一つと想定した戦争計画であった。

 そしてほぼ一貫して陸軍は「親ドイツ」であった。とくに陸軍幼年学校出身者は、一般中学出身者とは異なり、英語を勉強していなかったのである。これらが英語による英米情報の組織的収集と分析が弱かった理由である。

 堀栄三氏の記述によれば、大東亜戦争がはじまってから泥縄式に英米情報の分析を始めたというが、あまりにも遅きに失したというべきだろう。

 一方、交戦国であった米国は、情報にかんしてはきわめて神経質であった。さきに引用した文章のあとに記述されているが、堀栄三氏たち第6課がたてた米軍の日本本土上陸作戦の予想があまりにも正確だったので、米軍サイドで情報漏洩がなかったかどうか、しつように取り調べられたという。1985年になってもまた同じ件で、別の米軍関係者から取材をうけたことが書かれている。

 それほど、米軍ないし米国は、インテリジェンスにかんして重きを置いているのである。これは、米系の外資系企業の情報管理の実態を知っていれば納得できることだ。

 本書の副題にあるように「情報なき国家」とは日本のことだ。「情報なき国家」の「悲劇」はいまにいたるまで、あまり変化がないようにさえ思われる。

 昭和20年(1945年)当時、最大の組織であった帝国陸軍は、「作戦」を重視しながらも、「情報」を「兵站」よりも軽視し、情報を収集しながらも情報を活かせなかった巨大組織が帝国陸軍であった。

 敗戦から66年、日本はふたたび敗戦した。しかも今度は米国に対する敗北というよりも、自壊であり、自滅である。

 「失敗から学ぶことを先送りし、失敗から何も学ばない日本型エリートの病理」について、出版当時には大いに話題になった本である。文庫版としてもロングセラーとして20年近く読み継がれてきたのも、その理由はあきらかだろう。
 
 著者は、まえがきでこう書いている。

 本文中では再々、戦略・戦術・戦場という昔の軍隊用語が出てくるが、もし企業の方が読まれる場合には、戦略は企業の経営方針、戦術は職場や営業の活動、戦場は市場(マーケット)、戦場の考察は市場調査(マーケッティング・リサーチ)とでも置き換えて読んでくだされば幸いである。

 戦略・戦術は、これが書かれた 1989年当時からすでに20年以上たったいまビジネス用語として完全に定着している。しかし、戦略と戦術の意味を正確に把握して、かつ情報との関係を明確に認識し、情勢判断と意志決定に活かしている人はいったいどれだけいるのだろうか?

 また、ビジネスの世界で「情報」というと、「情報システム」のことしか思い浮かばない固定観念のもちぬしが多い。たんなるデータや情報のままでなく、情報どうしをつき合わせて付加価値のついた情報に加工することが行われなければ意味がないのだが、いまだに「情報」の意味がわかっていないのではないかという印象がつよいのだ。

 ぜひ、文庫版で全文に目を通して、大いなる反省材料として、日々の業務に役立てたいものである。


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目 次

まえがき
Ⅰ 陸大の情報教育
Ⅱ 大本営情報部時代(一)
Ⅲ 大本営情報部時代(二)
Ⅳ 山下方面軍の情報参謀に
Ⅴ 再び大本営情報部へ
Ⅵ 戦後の自衛隊と情報
Ⅶ 情報こそ最高の“戦力”
あとがき


著者プロフィール

堀 栄三(ほり・えいぞう)

1913年(大正2年)~1995年(平成7年)は、日本の奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。情報参謀。昭和18年(1943年)10月1日から大本営陸軍部第2部参謀として、アメリカ軍戦法の研究に取り組み、その上陸作戦行動を科学的に分析して『敵軍戦法早わかり』を作成した。正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後は、海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている(wikipedia日本語版に記述による)。



<ブログ内関連記事>

■原爆関連

、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える 
・・この記事は今回の記事の補足としてぜひ目をとおしてほしいと思う


■インテリジェンス関連

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)

書評 『731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く-』(青木冨貴子、新潮文庫、2008 単行本初版 2005)
・・敗戦後日本における激しいインテリジェンス・ウォー

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010) 
・・ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった、ある情報将校の伝記


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2010年8月16日月曜日

書評『指揮官の決断 ― 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(早坂隆、文春新書、2010)― ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝


■「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝■

 本書が出版されるまで樋口季一郎中将の名前を知っていた人は、果たしてどれだけいたのだろか。

 これまでにも大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちについては多くの評伝が書かれてきた。

 戦史家による評伝は別にして、文芸評論家・福田和也による山下奉文大将、ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾(あなみ・これちか)大将、本間雅晴中将、そして梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、については、多くの一般読者の眼に触れて、記憶に残っているのだろう。
 
 樋口季一郎中将をノンフィクション作家が、戦史ファン向けではなく、一般読者向けの評伝として取り上げたのは、もしかすると本書『指揮官の決断 ー 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(早坂隆、文春新書、2010)が初めての試みであるかもしれない。

 著者は、この樋口将軍の生涯を誕生から戦後の逝去まで、事実関係にもとづいて徹底的に検証した。いわば人物プロファイリングといった趣で、淡々とした叙述に徹している。
 
 陸軍情報将校としてのインテリジェンス専門家のキャリア、同期の石原完爾を始めとする陸軍内の交友関係、陸軍内外の豊富な人脈。芸術を愛し、多趣味であったエリート軍事官僚、ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった情報将校、ポーランドのワルシャワ駐在武官時代は社交ダンスを得意としていた。

 国際的視野も広く、複眼的にものを見ることの出来る、石原完爾の影響で日蓮宗を信仰した、穏健で人間的で理知的なリーダーであった

 ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。
 
 著者はイスラエルまででかけて、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している。

 人道的な動機から、当時の同盟国ドイツの意に反してまでも、万難を排してユダヤ人を救うべく奔走したハルビン特務機関長は、その後のキャリアにおいてはアッツ島玉砕の司令官として、心ならずも多くの日本人将兵を死なせることになってしまうという運命の皮肉を味わう。

 まさに人生とは「禍福はあざなえる縄のごとし」。アッツ島玉砕と引き換えに、キスカ島からの撤退作戦を成功させたのではあったが・・・

 ロシア人とソ連という国家の本質を知り尽くしていた樋口中将は、8月15日の終戦の詔勅後も、8月18日午後4時の武装解除開始のデッドラインのギリギリまで、北方領土の占守島に違法に上陸したソ連軍の侵攻を徹底的に阻止する命令を出す。樋口将軍の決断のおかげで、北海道がソ連の領土となり、民族が分断される危機が回避されたといっても言い過ぎではないかもしれない。

 ハルビン特務機関長というインテリジェンス関係、占守島の戦いなどの罪状による、ソ連からの戦犯指名を回避できたのは、ジェネラル・ヒグチが救出したユダヤ人たちによる米国政府への強いロビー活動があったからだという。この事実には、著者はさらりと触れている。

 戦後の樋口将軍の人生は、ユダヤ人を救ったことよりも、アッツ島玉砕の責任者としての贖罪意識を持ち続けていたのではないかと著者はいう。本書を読んで、ラバウルの将軍・今村均大将の戦後にも比すべきものを感じたのは、私だけではないのではないかと思う。

 劇的な盛り上がりには欠ける人生かもしれないが、出処進退が鮮やかで、誠実に職務(ワーク)と人生(ライフ)を全うした樋口季一郎という一人の日本人の生涯。ぜひ一度は振り返っておきたいものである。



<初出情報>

■bk1書評「「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝」投稿掲載(2010年8月16日)
■amazon書評「「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝」投稿掲載(2010年8月16日)

*再録にあたって、一部の修正加筆を行った。
 

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目 次

第1章 オトポール事件の発生
第2章 出生~インテリジェンスの世界へ
第3章 ポーランド駐在~相沢事件
第4章 オトポール事件とその後
第5章 アッツ島玉砕
第6章 占守島の戦い
最終章 軍服を脱いで


著者プロフィール
早坂 隆(はやさか・たかし)
1973年生まれ、ルポライターでノンフィクション作家。日本文藝家協会会員。主な作品には、『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(中公文庫)、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)など多数。(Wikipedia記載の情報から作成)


<書評への付記>

 「禍福はあざなえる縄のごとし」とは、三省堂の『大辞林』によれば、こういう意味だ。災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。吉凶は糾える縄の如し。
 まさに、樋口季一郎将軍の人生そのままである。

 ジェネラル・ヒグチの話は、満洲やユダヤ関係に興味のある人なら、一度は耳にしたことがあるはずだ。シベリア鉄道でソ連経由で欧州を脱出したユダヤ人たいが、ソ満国境のオトポール駅にて立ち往生を続けていた事件。1938年3月8日のことである。
 この降着状況を知ったハルビン特務機関長の樋口中将は、局面打開のためにユダヤ人たちの満洲国への入国を認める決断を下し、関係者に働きかけを行って実現にこぎつけた、その当事者である。
 私は、1999年に逆ルートで、北京から、満洲里(マンジョウリ)駅で国境を越えて、シベリア鉄道でモスクワまで行ったが、現在はオトポールではなく、ザバイカリスクという名前の駅になっている。

 陸軍の安江大佐、海軍の犬塚大佐といったユダヤ専門家の名前とならんで、戦時中のユダヤ人救出にチカラのあった軍人として、一部の人たちのあいだでは記憶されてきた。

 本書における著者の功績は、イスラエルまでいって、「ゴールドブック」の実物を確認したことだろう(第4章)。本書の中に、ジェネラル樋口の名前は、安江大佐とアブラハム・カウフマンの名前とともに記載されていることが、写真によって示されている。ぜひ直接、本文で確認いただきたい。

 本書は、ユダヤ人救出がメインテーマではないので、この関係については樋口将軍の軌跡についてのみ記されているが、満鉄総裁であった松岡洋右だけでなく、その当時、関東軍参謀長であった東條英機の役割も無視できない。

 本書の書き方では、頑固な東條英機に直言したような書き方だが、少しニュアンスが違うのではないかと思う。カミソリ東條といわれた東條英機が、間接的な形でユダヤ人救出にゴーサインを出したことは、まだまだウラのある話ではないかとも思われる。
 いずれにせよ、関東軍のトップが、組織として了承したことの意味は重い。『河豚計画』の著者ラビ・トケイヤーは、『ユダヤ製国家日本-日本・ユダヤ封印の近現代史-』(加藤英明訳、徳間書房、2006)では、「ゴールデン・ブック」に記載はないものの、ユダヤ人救出劇における東條英機の役割を積極的に評価している。

 アッツ島玉砕の話は、小学生の頃から知っていたが、責任者が樋口中将だとは知らなかった。

 ここには煩瑣になるので書かないが、さまざな意味で樋口季一郎という人物には興味をそそられる。
 ロシアを熟知していたインテリジェンス専門家の情報将校として、まだまだ知られざる側面があるのではないかと思われるのである。


<読書ガイド>

 本文で触れた、大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちの伝記を、絶版も含めて紹介する。現在もっとも入手しやすいエディションを掲載しておく。

●『山下奉文-昭和の悲劇-』(福田和也、文春文庫、2008)
・・文芸評論家・福田和也による山下奉文大将


●『責任-ラバウルの将軍 今村均-』(角田房子、ちくま文庫、2006)

●『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(角田房子、中公文庫、1975)

・・ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将の伝記


●『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道-』(梯久美子、新潮文庫、2008)
・・梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将の伝記



P.S. 『ソ連軍上陸す-最果ての要衝・占守島攻防記-』(大野 芳、新潮文庫、2010 単行本初版 2008)の紹介

 書評のなかに以下のように書いた。

ロシア人とソ連という国家の本質を知り尽くしていた樋口中将は、8月15日の終戦の詔勅後も、8月18日午後4時の武装解除開始のデッドラインのギリギリまで、北方領土の占守島に違法に上陸したソ連軍の侵攻を徹底的に阻止する命令を出す。樋口将軍の決断のおかげで、北海道がソ連の領土となり、民族が分断される危機が回避されたといっても言い過ぎではないかもしれない。

 この事項について、より詳細な掘り起こしを行っている『ソ連軍上陸す ― 最果ての要衝・占守島攻防記』(大野芳、新潮文庫、2010 単行本初版 2008)が文庫化されている。


 

 「占守島攻防戦」は、ポツダム宣言受諾による無条件降伏後の8月17日のことであり、証言者の証言がまちまちで食い違いも多い。事実関係をあきらかにしたいという思いで書かれたこのノンフィクションは、このためけっして読みやすいものはないが、「占守島攻防戦」にかんする詳細な事実を知るためには、ぜひ存在だけでもアタマのなかにいれておいてほしい。
 
 とくに、イスラーム史研究者の山内昌之(東京大学大学院教授)による「解説-陸軍最後の戦闘、そのリーダーシップと教訓」は長文で心のこもったものであり、北海道出身者ならではのものであるといえる。ぜひこの文庫版の「解説」だけでも読んでほしいと思う。

 (2011年8月17日 「占守島攻防戦」開始日に記す)



<ブログ内関連記事>

64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「満洲とユダヤ人」というテーマについて

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・戦後ユダヤ教に改宗した聖書学者は、満洲でユダヤ難民に脱出に多大な協力をして樋口季一朗とともに「ゴールデンブック」にその名が記載されている

(2015年7月27日 情報追加)


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