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2023年8月29日火曜日

書評『韓国文学の中心にあるもの』(斎藤真理子、イーストプレス、2022)― 文学作品をつうじて「逆回し」で「現在」から「過去」にさかのぼって考える韓国現代社会史

 

韓国文学に熱い視線が向けられているという話は、よく目にするようになった。

『82年生まれ、キム・ジヨン』という本が日本でベストセラーとなり、女性読者のあいだでで大きな話題になっていることも知っている。最近は早くも文庫化された。

また、「Z世代」とよばれる若年層のあいだでは韓国文化への関心が高いようだ。韓国の若年層もまた日本文化への関心が高いようだ。「Z世代」(Gen Z)とは、1990年代後半から2010年生まれの世代をさしている。

若い世代どうしで相互理解が進むのはたいへんよいことだ。好き嫌いは別にして、まずは知ることが大事だからだ。

かれら自身は意識することもないだろうが、中高年層の男性を中心とした「嫌韓」とは一線を画している。というより、過去をよく知らないから偏見なく接することができるのかもしれない。

そんな熱視線を浴びている「韓国文学」について解説された本があるということをネットで知った。『韓国文学の中心にあるもの』(斎藤真理子、イーストプレス、2022)がそれだ。著者は、『82年生まれ、キム・ジヨン』の翻訳者である。


■「逆回し」で「過ぎ去らない過去」を意識させる構成

なぜ韓国文学がいま熱いのか、その理由を知りたくてこの本を読んでみることにした。

桜色というか、薄いピンク色のカバーの表紙のこの本は、女性読者を意識したものなのだろう。書店でも海外文学か女性エッセイのコーナーに置かれていた。

読み始めたら、ぐいぐいと引き込まれていくのを感じた。どんどん先を読みたくなってくるのだ。たんなる解説書を超えた、深い洞察に満ちた本である。この本じたいがひとつの作品として捉えるべきだ。

思ったよりも中身の濃い、重厚な内容であった。韓国文学がもつ倫理性、韓国哲学研究者の小倉紀蔵氏のことばを借りたら「道徳志向性」にそうさせるものがあるのだろうが、著者の文体にもあるのだろう。「ですます調」はいっさいつかわない、ある種の硬質な文体である。

きわめて知的で、深い考察をつづる文体。語彙の選択の適切さ。対象が対象であるだけに、内省的で、慎重にならざるをえないという面もあるだろう。つまりこのテーマを扱うには、知的にならざるをえないのである。




現代から始めて、過去にさかのぼっていくという構成がいい。

まずは話題になった『82年生まれ、キム・ジヨン』から話が始まる。著者のチョ・ナムジュ自身が1982年生まれ、小説が発表されたのは2016年、日本語訳がでたのが2019年である。韓国での映画化2019年でその翌年には日本公開されている。導入としては最適だろう。




この本が読ませるのは、「現在」から始まって、どんどん「過去」にさかのぼっていく構成となっていることだ。

「現在」は「過去」の集積のうえに存在するからだけではない。韓国の現在には、「過ぎ去らない過去」が見え隠れしているからだ。「過去」が「過去」になっていないのが韓国社会なのである。重層的な構造になっているのである。

現在から過去にさかのぼっていく構成は、本書でも取り上げられている『ペパーミント・キャンディー』(2000年)とおなじだ。

「IMFショック」(1997年)で壊滅的打撃を受けた韓国で猛威を振るった「新自由主義」のなか、起業するが夢破れ、人生に挫折していくある青年の物語である。




「20年間の韓国現代史を背景に、ひとりの男が絶望の淵から人生の最も美しい時期までをさかのぼっていくという手法」と、DVDの解説にある。男性としては、どうしても感情移入してしまう内容なのだ。

現代女性の生きづらさを描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』に匹敵するといっていいかもしれない。

わたしはこの映画はDVDで何度も繰り返しみているが、原作は読んでいないので正確なことは言えない。おそらく原作もその構成をとっているのだろうとしておく。

わたしは、それを「逆回し」と称して、現在から過去にさかのぼる形式の歴史書を執筆している。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)がそれだ。リーマンショックから始まり、アメリカ独立と同年に出版されたアダム・スミスの『国富論』までさかのぼった試みだ。

じつはこの構成は、『ペパーミント・キャンディ』をヒントにしていることを、ここに告白しておこう。


■あまりにも過酷な韓国現代史と、そこから生み出されてきた韓国文学

『韓国文学の中心にあるもの』も、「逆回し」の手法で現在から、「セウォル号事件」と「キャンドル革命」、「IMF危機」、「光州事件」、「朴正熙(パク・チョンヒ)時代」、「朝鮮戦争」、「植民地支配からの解放時代」へとさかのぼっていく

近過去が現在に大きな影響を及ぼしているのは当然だが、すでに70年以上前の過去も過去になっていないのが韓国社会である。

韓国現代史は、近過去もその前の過去も、あまりにも過酷で、さかのぼれば、さかのぼるほど過酷になっていく。

韓国へのコミットの度合いは大きく異なるものの、わたしは1960年生まれの著者とはほぼ同世代なので、ある種の共通経験と共通感覚をもっている。

「朴正熙時代」の末期から韓国を意識しだしたわたしは、「光州事件」もまたリアルタイムで知っている。しかも、それらは他人事としてではない。当事者の体験として韓国人自身から軍隊時代の体験として聞いていた。だが、それ以前の歴史はあくまでも映画その他をつうじて知っているに過ぎない。

イデオロギー戦争であった朝鮮戦争がもたらした不幸、その前史となる日本からの解放時代がすでに分断状況が激化していたことなど、「過ぎ去らない過去」を意識することが日本の読者には必要なのだ。韓国を知ることは、日本について知ることにもつながるのである。

いわゆる「恨」(はん)など手垢のついた概念をつかわずに、現代日本に生きる読者を念頭に考えるという姿勢がいい。あくまでも日本語訳をつうじて接する読者にとっての意味を考えるためだ。

ここで取り上げられた小説は、映画化された映画は別にして、はるか昔の金素雲によって書かれた日本語の著作以外はほとんど読んでいない。だが、作品ごとに適切な解説がなされているので、たとえ読んでいなくても、その作品とその背景にある世界観を手に取るように理解できる気分になってくる。

読んでいてひじょうに印象に残ったのが、チョ・セヒによる『こびとが打ち上げた小さなボール』という小説だ。

「維新時代」すなわち朴正熙時代に戒厳令が敷かれていた時代に書かれた奇跡のような連作は、韓国では現在も読み継がれていて「ステディ・セラー」なのだという。日本語でいうロングセラーよりもアクチュアリティの高い表現である。

この小説も著者である斎藤氏によって日本語訳され、しかもつい最近になって文庫化されたようだ。ぜひ読んでみたいと思う。*





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目 次 
まえがき
第1章 キム・ジヨンが私たちにくれたもの
第2章 セウォル号以後文学とキャンドル革命
第3章 IMF危機という未曾有の体験
第4章 光州事件は生きている
第5章 維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』 
第6章 「分断文学」の代表『広場』 
第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である 
第8章 「解放空間」を生きた文学者たち 
終章 ある日本の小説を読み直しながら 
あとがき
本書関連年表
本書で取り上げた文学作品
主要参考文献


著者プロフィール
斎藤真理子(さいとう・まりこ)
翻訳者、ライター。1960年新潟市生まれ。明治大学考古学科卒業。1980年から大学のサークルで韓国語を勉強、91年からソウル延世大学語学堂に留学。92年から96年まで沖縄で暮らす。訳書に『カステラ』(パク・ミンギュ著、ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン)、『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著、河出書房新社)、『ピンポン』(パク・ミンギュ著、白水社)など。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞受賞。2020年、『ヒョンナムオッパへ』(チョ・ナムジュ他、白水社)で韓国文学翻訳大賞(韓国文学翻訳院主催)受賞。(斎藤真理子 かみのたね(フィルムアート社 ウェブマガジン)に掲載されているもの)

 


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・・こちらもまた読ませる文章。日本語の文章力の高さが、名翻訳を生む力になっているのだろう



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2022年7月13日水曜日

書評『戦争はいかに終結したか ― 二度の大戦からベトナム、イラクまで』(千々石泰明、中公新書、2021)― 戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい

 

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が2022年2月24日始まってから、すでに4ヶ月を経過している。

やはり、短期間での終結は難しかったのだ。戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい。 

「1日も早く戦争が終わってほしい」という思いは、当事者も含めて正直な気持ちだろう。

戦争が長引くのは、侵略側にとっては誤算だし、侵略された側にとっても、いつまで抗戦を持続できるか不透明だからだ。 

昨年、米軍がアフガニスタンから撤退したが、撤退のドタバタのさなかの7月に『戦争はいかに終結したかー二度の大戦からベトナム、イラクまで』(千々石泰明、中公新書、2021)という本が出版された。これはまさに時宜を得た出版だなと思って購入しておいたが、なかなか読むヒマがなかった。 

そうこうしているうちに、「ウクライナ戦争」が勃発し、現在進行中の戦争をいかに終結させるかが、まさに喫緊の課題となったのである。先月終わりにようやく読み終えたが、戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しいと、あらためて強く痛感している次第だ。 

戦争の勃発について書かれた本は、それこそ無数にあるが、戦争がどう終結したかについての本は意外と少ない。 

おそらく今回のウクライナ戦争も、始まりは衝撃的だったが、時間の経過につれて見ている方にとっても慣れが生じて、関心の度合いがだんだんと減少していくのだろう。ソ連による「アフガン侵攻」も衝撃的なニュースであったが、それがどのように終わったのか、あまり語られることはない。 

防衛省防衛研究所の主任研究官による本書は、20世紀になってからの大きな戦争について、もっぱらその終結に至るプロセスをケーススタディとして記述した歴史書である。 

第1次大戦以降に始まり、第2次世界大戦(欧州/アジア)、朝鮮戦争とベトナム戦争、米国の主導による2つの湾岸戦争(湾岸戦争とイラク戦争)とアフガン戦争を扱っている。


「戦争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のどちらを重視するか

読んでいて思うのは、戦争の終わらせ方は、そう簡単なものではないということだ。妥協を重視して停戦を急いだ結果、将来に禍根を残して戦争がふたたび勃発することは多い。 

将来の禍根を断つため、(勝者の立場からだが)徹底的に完膚なきまでまでたたきのめす場合は、交戦国の双方に多大な損害と犠牲を発生させる。 

著者は、「序章 戦争終結への視角」と題して、戦争終結にかんする理論的フレームワークを設定している。それは、「戦争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のどちらを重視するかという視点である。 

実際の戦争は、このトレードオフの関係にある両極端のあいだでグラデーションを描いているわけだが、このようなフレームワークで整理すると、本質がよく見えてくる。ただし、いずれも勝者の側からみたものだ。 

具体的に事例をあてはめれば、「戦争原因の根本的解決」を重視したのが、第2次世界大戦(欧州)とイラク戦争(=第2次湾岸戦争)であり、勝者の側も犠牲に耐えきれず「妥協的和平」を重視したのが、朝鮮戦争とベトナム戦争である。 

「戦争原因の根本的解決」を徹底できなかったのが、第1次世界大戦と第2次世界大戦(アジア)である。

この見方によれば、第1次世界大戦では徹底的に問題解決されなかったために、結局は20年後に第2次世界大戦という惨事を招いたことがよく理解できるし、なぜアジアで緊張状態が続いてきたかも理解できるのである。


■問題の根っこを絶ったとしても、未来永劫に保証されるわけではない

読んでいて思ったのは、たとえ将来に禍根を残さないように問題の根っこを絶ったとしても、未来永劫にわたって問題が発生しないわけではないということだ。 

問題の根っこを絶つという、そのタイムフレームはあくまでも主観的なものだ。四半世紀かもしれないし、半世紀を想定しているのかもしれない。いずれにしせよ、勝者の側に主観に過ぎない。

戦争原因となっている問題そのものを当事者がどう解釈するか、その解釈の仕方はさまざまなファクターによって左右されるのであり、決まり切った解などないのである。 

第2次世界大戦によって実現された米国主導の戦後体制だが、戦争終結から70年もたてばほころびが見えてくる。時間の経過とともに戦争当事国をめぐる環境が変化してくるのは、ある意味では当然のことだ。つまり、「時間軸の議論」が重要なのだが、残念なことに本書ではそういった観点が欠けている。 

とはいえ、戦争の終結のあり方について考えるために、重要な視点を与えてくれる本である。戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい以上、本書で展開された議論をアタマのなかに入れて世界情勢を見る必要がある。


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目 次
はしがき 
序章 戦争終結への視角ー「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ
第1章 第一次世界大戦ー「勝利なき平和」か、懲罰的和平か
第2章 第二次世界大戦 “ヨーロッパ” ー無条件降伏政策の貫徹
第3章 第二次世界大戦 “アジア太平洋” ー「幻想の外交」の悲劇
第4章 朝鮮戦争-「勝利にかわるもの」を求めて
第5章 ベトナム戦争ー終幕をひかえた離脱
第6章 湾岸戦争・アフガニスタン戦争・イラク戦争ー共存から打倒へ
終章 教訓と出口戦略-日本の安全保障への示唆
あとがき
主要参考文献
 

著者プロフィール
千々和泰明(ちじわ・やすあき)
1978年生まれ。福岡県出身。2001年、広島大学法学部卒業。2007年、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。博士(国際公共政策)。ジョージ・ワシントン大学アジア研究センター留学、京都大学大学院法学研究科COE研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、防衛省防衛研究所教官、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)付主査などを経て、2013年より防衛省防衛研究所主任研究官。この間、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。国際安全保障学会最優秀新人論文賞受賞。国際安全保障学会理事。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2017年11月22日水曜日

久々に JSA というコトバをニュースで聞いて、韓国映画 『JSA』(日本公開2000年)のことを思い出した(2017年11月)


つい最近(2017年11月13日)のことだが、朝鮮半島の「DMZ」(=南北非武装地帯)の「JSA」(=共同警備区域)で北朝鮮軍の兵士が亡命、北朝鮮軍によって銃撃され40発も銃弾を撃ち込まれたが瀕死の重傷を負いながらも、九死に一生を得たという事件が発生した。 JSAからの亡命は10年ぶりのことだという。

久々に「JSA」というコトバを聞いたなと思ったが、その際に韓国映画に『JSA』という作品があったことを思い出した。 おなじく南北問題をテーマにしたアクション娯楽大作『シュリ』に次いで日本でも公開された作品だ。1999年製作で日本公開は2000年だから、いまからもう17年も前の映画である。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

映画『JSA』は、南北間での銃撃戦とその真相の解明がテーマであったが、当時の感想としては『シュリ』ほど面白くなかったのがは正直なところだ。日本では『シュリ』メガヒットにはならなかったと記憶している。韓国内の反応と日本での反応が異なるのは当然というべきだろう。



映画が日本公開されたのは「韓流ブーム」以前のことで、しかもその「反動」(?)としての「嫌韓派」などというコトバも実体もなかった頃の作品だ。1997年の「IMFショック」で瀕死状態にあった韓国経済だが、韓国映画には勢いがあった。キム・デジュン(金大中)大統領のもと、「太陽政策」という北朝鮮政策を含めて大きな転換があった。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

「JSA」(=Joint Security Area)は南北境界線の板門店(パンムンジョム)の周囲に設定されている。韓国軍を中心とする国連軍と北朝鮮軍が向き合っている。1999年か2000年だったと思うが、わたしも板門店には行ってみた

「JSA」には「中立国監視委員会」が設置されており、現在でも中立国のスイスとスウェーデンから将校が派遣されている。 映画では、イ・ヨンエ演じる朝鮮系スイス人のスイス軍の女性将校が真相解明にあたるという内容であった。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

まあ、韓国に対しては、わたし自身は好きでもキライでもなく、あくまでも「中立」の立場に立ちたいと思っている。曇りなき目で見るために。









(付録)韓国映画 『JSA』日本公開時の感想


ニフティで開設していた「ホームページ」(・・なつかしい響きだ)に投稿した「つれづれなるままに」(2001年5月27日)の記事を以下に再録しておこう。

韓国映画『JSA』と異文化マーケティング というタイトルで投稿した記事だ。

ニフティのホームページは現在は削除されたため閲覧ができなくなってしまった。ホームページ(正確にはウェブサイト)を故人で開設することがブームになった頃の話である。

原文には一切手を加えていない。記事作成時点と現在では考えに変化があるとしても、記事の歴史性を重視するためである。

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つれづれなるままに(2001年5月27日)

韓国映画『JSA』と異文化マーケティング

JSAとは、Joint Security Area の略である。つい昨日封切られたばかりの韓国映画のタイトルでもある。韓国と北朝鮮を隔てる非武装地帯の板門店(パンムンジョム)に設けられた国連統治下の共同警備区域のことで、南北会談の会議場としてつかわれる部屋は、日本のTVでもおなじみである。

韓国で大ヒットを飛ばし、日本で公開されてもヒットしたハリウッド張りの娯楽大作『シュリ』を超える大作、とのプロモーションが連日行われているのでご存知の方も多いと思う。私もさっそく封切り初日にロードショーを見に行ってきた。

映画の内容は見てのお楽しみ、としておきたいが、乱暴に要約すれば、日々対峙する立場にある、国境最前線の南北の兵士たちの間に芽生えた「奇妙な友情」とその「劇的な破綻」、およびその「悲劇的な幕切れ」、とでもいっておこうか。もちろん、南北の兵士の間の友情というのは、あくまでも虚構であって実際にはありえない設定である。しかし、こういう虚構を設定することによって見えてくるものがあり、これが折からの南北和解ムードのなかで、特に若い韓国人を中心に大いに受け入れられた結果大ヒットになったのであろう。

しかし、日本では『JSA』は『シュリ』を超えることはないだろう。『シュリ』も同じく南北対立という現実に、北の女性工作員と南の男性警察官との恋愛という虚構(しかしこの虚構はありえなくはない設定だが)をからませた作品だが、基本的に「北が敵であるという大前提」は崩していないので、そう感じている多くの日本人にとっては、ある意味では安心してみることのできる娯楽映画であったといえる。だから日本でも大ヒットした。

それに対して『JSA』は、実はかなり重い映画だ。むしろ従来型の韓国映画の枠組みのなかにあるといっていいかもしれない。字幕という制約もあるが、日本人の観客からもれる笑い声も少なく、最後まで緊張感を強いられた。

先に触れた虚構を軸にしているとはいえ(その虚構じたい、韓国人の濃密な人間関係の意味をしらないと理解しにくい)、テーマそのものはきわめて重い。韓国が置かれている現状、とくに南北問題の軍事的な意味と経緯、徴兵制がとくに若い韓国人男女にとってもつ意味、挿入主題歌が韓国人の若者にとってもつ意味・・・といったいわば韓国人にとっての「常識」、いいかえれば韓国に特有の文脈を理解することなく、大作映画の一つとして日本で流通させることは難しいのではないだろうか。

『JSA』には激しい戦闘シーンがあるが、通常の戦争映画につきもののある種の快感を感じることがまったくなかった。「奇妙な友情の劇的な破綻」をきっかけに勃発した、南北の国境警備隊の間でマシンガンの激しい応酬が数分間つづくが、なぜ自分はこのシーンをみていて快感を感じることがないのか、映画を見終わったあとしばらく考えていた。おそらく、北が敵なのか、南が敵なのか、そのどっちも敵なのか、あるいは敵でないのか、見ている人間にわからなくなってしまうためだろう。何のための戦闘なのかわからなくなってしまうのである。そういう意味では監督の力量はきわめて高いといわざるをえない。韓国で大ヒットした理由はこのあたりにあるのではないか。南北対立など民族にとってはまったく無意味なのだと、大上段にふりかぶって説教することなく生理的に訴えているから。

とすると、おそらく大半の日本人にとって、この映画の意味は、頭ではある程度まで理解できても、体感することはきわめて難しいだろう。韓国特有の文脈を超えた、普遍的な要素があるとはいえ、これがそのままこの国で大衆的なヒットになるとは考えにくい。

異文化のソフトをコンテクストの異なる他国の市場で流通させることは、ハードの製品の海外展開よりはるかに難しい。とはいえ、『JSA』は、2002年のワールドカップをひかえ、韓国人をより深いレベルで理解する必要のある日本の若い世代にはぜひ見てもらいたい。そしてこの映画をきっかけにいろいろ韓国と韓国人について勉強してもらいたいものだ。 (5月27日)。

(以上)


(NHKの国際情報番組よりキャプチャ 2017年11月19日)



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「斬首作戦」は韓国軍の特殊部隊が実行すべき作戦-未遂に終わった1971年のキム・イルソン暗殺作戦をテーマにした韓国映画『シルミド』(2003年)を見るべし!

書評 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)-朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題なのである!この近未来シミュレーション小説はファクトベースの「思考実験」

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

韓国映画 『八月のクリスマス』(1998年)公開から15年





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