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2022年12月16日金曜日

マンガ『戦争は女の顔をしていない 』(小梅けいと、KDOKAWA、2020~)― 女性兵士の目をとおして見た戦場のリアルとトラウマ・・

 

『戦争は女の顔をしていない 』(小梅けいと、KDOKAWA、2020~)を読んだ。現在のところ3巻まで出版されている。  

人類史上最悪といってもいいかもしれない「独ソ戦」に、みずから志願して参加したソ連の女性兵士たちがいた。

ソ連の女性兵士というと、どうしてもシベリア抑留者の回想にでてくる女性看守を想起してしまうが、欧州側の独ソ戦に参加した女性兵士たちとは大きく異なる存在であったのだ。

看護師や衛生兵や医師といった形だけではない。狙撃兵や高射砲兵、航空兵などにも志願していた女性たちがいた。パルチザンや、縁の下の力持ちである洗濯部隊もまたそうだ。

だが、そんなソ連でも「戦争は女の顔をしていない」とみなされていたのである。言い換えれば「戦争は男の世界」だという固定観念である。
  
激しい戦闘で死傷した女性兵士たち。生き残った女性兵士たちへの聞き取りをつうじて明らかになった事実。 読んでいてなんども目頭が熱くなった。自分たちが生まれ育った土地を守るためになにかしたい、そんな思いから無理をいって志願した女性たちであったのだが・・

戦場の現実は想像を絶するものであっただけではない、たとえ生き残ったとしても、復員後もつづくトラウマ。つくづく思う、ああ、ほんと戦争はいやだな、と。 

戦場になったのはベラルーシやウクライナが中心であった。志願した女性兵士たちもまたそうだった。いつ敵が攻めてくるかわからない、地続きの大陸ならではの感覚を理解するには、マンガという形はいいのかもしれない。 


『アフガン帰還兵の証言』(・・ことし2022年に増補版が『亜鉛の少年たち』というタイトルで新訳がでた)、『チェルノブイリの祈り』は読んだが、『戦争は女の顔をしていない』はまだ読んでいない。 

原作を読んでからマンガを読むことにしたいと思っていたが、そんなこといったらいつになってしまうかわからない。マンガはマンガとして読めばいい。原作とマンガ版との違いは、原作を読んでから考えたい。 




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2022年3月27日日曜日

巨匠アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』(2007、ポーランド)をようやく視聴 ― 大国のはざまで翻弄されてきたポーランド現代史の悲劇


 
アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』(2007年、ポーランド)をようやく視聴。大国ドイツと大国ソ連のはざまに位置するポーランドが味わった現代史の悲劇を扱った作品だ。123分。 

 重くて深く、かつ暗いテーマを扱った作品だけに、なかなか気軽に見る気持ちにはならない映画だが、いま進行中の「ウクライナへ戦争」に際して、ふたたび最前線となったポーランドについて知る上では避けて通れない内容といえよう。


 

構想50年、製作17年となったのは、まさに「現代史」がテーマであるからだ。現代史は、立ち位置によって語られ方が大きく異なる性格をもつ。なぜなら、現存者が多数いるだけに扱いが難しいからだ。 

1939年9月1日に電撃戦によって、西部からポーランドに侵攻してきたのがドイツ軍であった。東部から侵略してきたのがソ連軍。同年8月に締結されていた「独ソ不可侵条約」にともなう「密約」によって、独立を回復していたポーランドはふたたび分割占領されることになる。

ポーランドは、最終的にソ連軍がドイツ軍を駆逐することによって「解放」されたわけだが、占領が始まった段階で、ポーランド軍の将校1万数千人(!)がソ連の捕虜となり、最終的に虐殺され、カティンの森に埋められるという事件が発生している。それがこの映画のテーマである「カティンの森」事件だ。


 

1943年にドイツ軍がソ連に侵攻した際、カティンの森でポーランド将校たちの虐殺死体を発見、ソ連軍によるものと非難した。1945年にはドイツ軍を追い払ったソ連が、虐殺はドイツ軍によるものであったと宣伝活動を行う。ピンポンのように揺れ動く状況で、ポーランドは翻弄されることになるが、大戦後にソ連圏に入ったポーランドでは事件の真相を語ることは不可能となる。 
 
そんな事情があったから、ソ連崩壊まで「カティンの森」の真相を究明したり、それについて語ることができなかったのだ。だが、犠牲者となったのはソ連軍の捕虜となって虐殺された将校たちだけではない。大学人や知識人たちは、ナチスドイツの犠牲になったことも映画では取り上げられている。




冷戦時代にソ連の支配下で生きることを余儀なくされたポーランド人たちの姿は、米軍占領時代を除いて他国による支配が繰り返されたことのない日本人には、想像を越えたものがあるというべきだろう。 




さすが巨匠アンジェイ・ワイダ監督の作品だけに、緊密な構成と映像美には圧倒される。映像は重厚だが美しい。

映画の舞台は基本的にポーランド南部の古都クラクフ。ワイダ監督の出身地でもある。大規模な蜂起が展開したワルシャワと違って、破壊されることとのなかったクラクフは美しい(・・わたしも一度訪れたことがある。アウシュヴィッツへのアクセス都市でもある)。 




ラストシーンは、ポーランド軍の将校がソ連軍によって処刑されていくシーンとなるが、将校たちが後ろ手に縛られ、至近距離から後頭部を拳銃で打ち抜かれるシーンの連続には、さすがに目を背けたくなる。視聴に際してR15の年齢制限があるのは当然だろう。 

だからこそ、精神状態が良好なときでないと、内容的に見るのがつらい映画であるが、日本と日本人にとって、「ロシアをはさんで隣国」となるポーランドとポーランド人について、より深く知るためには、かならず見なくてはいけない映画だと、あらためて強く感じるのである。





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2022年3月26日土曜日

映画『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年、ロシア)ー「史上最大の市街戦」をロシア映画で見る

 
 史上最大の「市街戦」といえば、いうまでもなく「スターリングラード攻防戦」だろう。絶滅戦争となった「独ソ戦」の最大の山場の1つである。 

「スターリングラード攻防戦」は、ヴォルガ川下流域の都市スターリングラード(・・ロシア国内。ソ連崩壊後はヴォルゴグラードに改称)の奪い合いとなった「市街戦」だ。1942年8月から翌年2月にかけての激戦で、最終的にドイツ軍がソ連軍に包囲されて全滅した。 

その「世界最大の市街戦」を体感して追体験するために映画を見る。しかも、ドイツ側からではなく、ロシア側で製作された映画で。ハリウッド映画ではなく、ソ連崩壊後のロシア映画で。 それがこの『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年、ロシア)だ。  

この映画を見るのは初めてだが、いきなり日本語(!)の音声が流れてきたのに驚かされた。

一瞬、設定を間違えたか(?)と思ったがそうではなく、じきにロシア語に変わって日本語の字幕が登場。 プロローグは、なんと映画公開の2年前の「3・11」(2011年)の東北から始まるのだ。

津波で崩壊した街、瓦礫の下に生き埋めになったドイツ人の救助にあたるロシアから派遣されてきた救援隊員。この設定にも意味がある。「独ソ戦」では全面衝突した両国の国民だが、「恩讐を越えて」という人道的テーマの現れである。

地震と津波という自然災害と、戦争という人為的な災害には違いはあるが、一般市民が巻き込まれて犠牲になるという点では共通している。このプロローグが、この映画において重要な意味をもっており、エピローグでもふたたびそのシーンとなる。 日本、ドイツ、ソ連(ロシア)という因縁の関係。


映画は、そのロシア人の救援隊員の母がスターリングラード攻防戦で生き抜いた一人だという設定になって、紅一点の若き日の母と、最後まで戦い抜いて戦死していったソ連軍将兵たちが主人公たちとなる。

3D映像でCG使いすぎ、スローモーション多過ぎなので、ややマンガちっくだなという違和感があるものの、ロシア側(・・というよりも時代背景としてはソ連側)か描いたエンタテインメント作品として興味深い。 どうも現実のロシア人は、ロシア民謡に代表される、日本人が長年抱いていた固定観念とは違って、こういう派手なものが好きなようだ。

おそらく、ソ連軍にはロシア人だけでなく、ウクライナ人もモンゴル人も将兵として参加していただろうが(・・しかも映画でもセリフにでてくるが「ノモンハン」体験者も含まれる)、ロシア映画としてはロシア人を主人公にするのは不自然なことではない。 

また、敵のドイツ人も人間として公平に描いており、この映画の制作年である2013年が、西側との関係悪化が始まった「クリミア併合」(2014年)以前のものであったことを想起するする必要があろう。 



おそらく、ロシア人は「スターリングラード攻防戦」をロシアの国難として見なしているだろうし、「独ソ戦」の「戦勝記念日」(5月9日)を大々的に政治活用してきたプーチン政権もまたそれを強調してきた。 

だが、そういった歴史的背景や政治的位置づけは別にして、「世界最大の市街戦」がどのようなものであったかを想像するためには、この映画を見る価値はあるだろう。 

もちろん、ロシア映画史上最大のヒット作となったというこの映画は、あくまでもエンタテインメント作品として受け止めるべきだが。配給はソニーピクチャーズ。 




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2019年5月11日土曜日

「ノモンハン事件」勃発から80年(2019年5月11日)-末尾が「9」の年に起こったこと

ノモンハンの広大な平原を進軍日本陸軍第23師団の兵士 Wikipediaより


本日(2019年5月11日)は、「ノモンハン事件」の勃発からから80年にあたる。

「ノモンハン」事件とは、モンゴル人民共和国(現在当時)と満洲国(当時)のあいだで発生した国境紛争が武力衝突に発展した事件だ。 モンゴル人民共和国の背後にいたのはソ連(現在はロシア共和国)であり、満洲国の背後にいたのは大日本帝国(当時)だ。つまり、本質はソ連と日本と武力衝突であった。


モンゴル平原における関東軍(1939年) Wikipediaより


「ノモンハン事件」は、「ハルハ河戦争」ともいう。現地では「ハルハ河」というからだ。現地の正確な情報が、地図作成に反映していなかったことが原因だ。 「ノモンハン事件」は、3ヶ月間つづき、日ソの双方ともに大きな損害を出して終わった。日ソ間で停戦交渉が成立した結果、ソ連は兵力をヨーロッパ側に集中することが可能となり、その翌々年(1941年)の「独ソ戦」につながっていく。

「ノモンハン事件」が「第2次世界大戦」につながっていったのである。 80年前の1939年は、昭和14年であった。

 「令和」に改元されてからまだ11日。お祝いムードに水をさすつもりはないが、「昭和」はいつでもどこでも、ついてまわる。 「過去」を否定し去ることは、できないのである。






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