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2025年2月17日月曜日

鈴木大拙はエマソンの愛読者であった ― 日本の仏教者たちは霊性(スピリチュアリティ)の立場に立つエマソンの『自己信頼』にインスパイアされてきた

(若き日に米国で暮らしていた大拙はエマソンの墓の前で座禅している) 


鈴木大拙というと「禅の大家」というイメージが流布している。これが一般人の認識であろう。

さらに、世界に禅仏教を広めた功績を知っている人も少なくないかもしれない。英語圏を中心に D.T. Suzuki 名義で出版された本は、現在なお新刊書として簡単に入手可能だ。

D.T. Suzuki の D が大拙であることは容易に推測できるだろう。では英語風のミドルネームの T はなにか? それは、本名の貞太郎(ていたろう)の略であり、言うまでもなくクリスチャンネームではない。現在でも華人が英語圏で「イングリッシュ・ネーム」をつかいたがるのと同様だ。

そんな大拙は、若き日にエマソンの「論文集」(エッセイズ)を読んで感激したと回想している。かの有名な『自己信頼』は「エッセイズ」に収録されている。

大拙自身の文章を引用しておこう。出典は「明治の精神と自由」(1947年)。『新編 東洋的な見方』(上田閑照編、岩波文庫、1997)に収録されている(読みやすくするために漢字は適宜かなに直し行替えを行った。本文にない注釈は(=●●)として示してある)


語学の勉強からどんな新鮮なものを取り得たかといま考えて見ると、「自由」ということであったらしい。(・・中略・・)
そのようなところから、セルフ・ヘルプの精神が強く、自由へのあこがれが深くなって行ったのは自然であろう。(・・中略・・)
その後、エマスンの論文集を何かの機会で読んだ。これがまた自分をして新たな思想に赴かしめた。そのなかに次のような言葉があったように今うろ覚えに覚えている。
「自分の心に動くことを表現するに躊躇するな。大人物だといわれている人でも、自分の心の中に在るもの以上に、何ものをも持っているのではない。今ここに一条の光明が射し込んで来て、自分の頭の上に落ちたとせよ。いかに微ほのかでも、この光の証人は自分だけのほかに誰もないのだ。これを天下に宣言するに誰を憚ることもいらぬ」と、このようなことがあったように覚えている。
自分はこれを読んだ時、深く感動した。これがセルフ・レライアンス(=自己信頼)だ、これが本当の自由だ、これが本当の独立不羈なるものだ。小さいといって自ら卑しめるに及ばぬ。小さいは小さいながらに、その持っているすべてを表現すればよいのだ、これがシンセリティ(=誠実)だと、こういう風に自分は感激したのだ。(・・中略・・)
エマスンの時代は、米国でも思想転換をやる時代であった。四囲の事情はもとより日本とは違っていた。が、新しいものをあこがれる気風は米国にもあった。ヨーロッパを通って入ってきた東洋思想すなわちインド思想は、ニュー・イングランドの思想家を動かした。そのスポークスマンになった一人はエマスンであった。日本の青年が彼を読んで、なんとなく共鳴せざるをえないのは、そのなかに東洋的なものがあるからではなかろうか。すなわち東洋的なものが、米国のはつらつとして若々しい人々の頭を濾過して来ると、その表現形式がまた清新の気がしてくるのである。(・・後略・・)


若き日に米国で暮らしていた大拙は、1900年頃のものだが、東海岸のコンコードにあるエマソンの墓の前で座禅している(上掲の写真)。この写真は『思い出の小箱からー鈴木大拙のこと』(岡村美穂子/上田閑照、燈影社、1997)に口絵として挿入されている。

大拙は、英文著書でもエマソンやその弟子のソローを引き合いに出して論じている。アメリカと東洋思想の接点がエマソンいあるからだ。

禅仏教の大家である大拙にとって、エマソンの『自己信頼』が根底にあって支えつづけたことが見て取れる。「自力」イメージの強い禅仏教だからだろう、そんな感想をもつかもしれない。

というのも、禅仏教とは異なるが、おなじく大乗仏教で絶対肯定を説く『法華経』の信者にも、エマソンは大きな影響をあたえているからだ。

たとえば、創価学会を大規模組織に育て上げた池田大作は、『新編 若き日の読書』(第三文明社、2023)に収録された「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」で、戦後になってからであるが、エマソンの『自己信頼』が支えになったことを回想的に記している。池田氏は、「エマソンは、しっかり読みなさい」と恩師の戸田城聖から勧められたと書いている。



「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」の小見出しを抜き出してみよう。池田氏がエマソンになにを感じていたかがわかることだろう。


「変動する時代」の空気を吸って
「実践とはただの形式ではない」
ハーバード大学での講演の波紋
人間主義を宣した「自己信頼」の哲学


この文章の末尾は、「民衆に生きる人は強い。民衆に愛される人は永遠である。ダイヤモンドのごときエマソンの生涯は、私たちに限りない勇気をあたえてくれる」と結んでいる。

このように見ていくと、戦前の明治時代前半の鈴木大拙や、戦後になってからの池田大作がそうであったように、「自力」の禅仏教や、「絶対肯定」を説く『法華経』信者が、「自己信頼」(セルフ・リライアンス)を説くエマソンと親和性が高いことがわかることだろう。



■鈴木大拙は浄土真宗への目線も有していた

ところが、鈴木大拙は禅仏教に限らず、浄土真宗への目線も有していた世界的仏教学者というのが真相に近い。この事実を押さえておくと、「他力」を説く浄土真宗であっても、エマソンの世界はけっして無縁ではないと言えるのではないだろうか。

大拙は、米国で11年間過ごしたのち、日本に帰国後は学習院で英語を教えていたが、その後に大谷大学に招聘され教鞭をとっていた。

大谷大学は、浄土真宗の東本願寺系統の教育機関である。大拙は、その環境で浄土真宗にも親しく接していたわけだ。戦後になってから、90歳になってからの最晩年の大仕事として、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人による『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の英語訳を完成している。

もともと、大拙の母親が浄土真宗の「秘事法門」の信者で、大拙自身も少年時代にそれに触れさせられていたことも、無意識レベルで影響をあたえているのかもしれない。




大拙の主著でもっとも知られており、実際に読まれているのは『日本的霊性』であろう。鎌倉時代に生まれた新仏教こそ、日本的霊性(Japanese spirituality)を生み出したのでありう、その重要な要素が禅仏教と浄土真宗である、というのがその骨子である。


(大拙の英文著書から。禅画の仙厓と浄土真宗の光明思想)


大拙は、浄土真宗を教義の側面ではなく、南無阿弥陀仏の名号を唱えることで浄土真宗を生きた妙好人(みょうこうにん)を取り上げて論じている。これは、学習院時代の生徒であった民藝運動の柳宗悦と共通する。柳宗悦には『南無阿弥陀仏』という著書もある。前近代の工芸職人に浄土真宗の信者が多いことに注意を向けている。

「自力」と「他力」と対比されがちな禅と浄土教だが、大乗仏教であることは共通している。自力と他力が融合してこそ、日本的霊性は完成するのであり、大乗仏教も完成すると考えるべきなのであろう。

禅仏教における座禅という自発的に行う瞑想も、大いなる存在の覚醒を求めるものであり、浄土教における念仏という行為もまた、生活習慣化されるまでは自発性をともなうものだ。


■宗教から霊性(スピリチュアリティ)の時代こそエマソンが読まれるべき

キリスト教の牧師から講演家へと転身したのがエマソンである。形式主義に堕した宗教ではなく、霊性(スピリチュアリティ)の観点から、イエスを親しい存在と感じていたエマソンである。

そんなエマソンが、明治時代前半において中村敬宇や内村鑑三といったキリスト者、トルストイと同様に洗礼を受けたものの決別した徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟だけでなく、禅仏教の鈴木大拙、そして戦後には池田大作など、キリスト教以外の仏教者にも影響をあたえていることは、けっして不思議ではないのである。

米国の思想史家ヴァン・ミーター エイムズ(Van Meter Ames)は、『禅とアメリカ思想』(中田祐二訳、欧史社、1995)という著書で、エマソンを「アメリカの菩薩」としていることも紹介しておこう。

エマソンと仏教、このテーマはさらに深掘りして考えるべきである。



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<ブログ内関連記事>





・・ジャーナリストの杉村楚人冠の旧宅である記念館の書庫にあった旧蔵書に鈴木大拙の著作が英文のものも含めて多数架蔵されている。我孫子と柳宗悦、学習院で生徒だった柳宗悦と英語教師の鈴木大拙との師弟関係。鈴木大拙は学習院で英語教師として柳宗悦の先生であったことを想起すべきだろう。白樺派の面々はみな学習院出身者であった。さまざまな縁で、つながれた人たちが集まっていたわけだ。 


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2022年2月20日日曜日

書評『精神世界のゆくえ ― 宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』(島薗進、秋山書店、2007)― 1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」とは

 


昨年のことだが、たまたまブックオフの店頭で見つけて購入した本。これはじつに良い本を発掘したものだと、読んでみてわかった。 

もともとこのテーマには強い関心があるから購入したわけだが、1948年生まれの宗教学者・島薗進氏の著作を読むのはこれが初めてとなる。1996年刊の初版の改訂版とのことだ。 

この本は、研究書でありながら一般書としても読める内容で、幅広い視点による目配りの効いた、よく整理された内容には、読んでいて大いに頷くものを感じる。 


■1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」 

とくに膝を打ちたくなったのが、「第3部 精神世界と知の構造の変化」である。「第3部」を構成する3章のなかでも「第8章 教養から精神世界へー高学歴層の自己形成の変容」である。 

この流れが顕在化し始めたのが1979年前後であり、1980年代以降は主流になっていたことが跡づけられている。 

なるほど、1981年に大学に入学したわたしの世代の人間は、多かれ少なかれ、ほぼ完全にこの流れにどっぷり浸かってきたのだと、現在から振り返ってみて大いに納得させられたのだ。 

この点は、わたしより1つ年上のエッセイスト・岸本葉子氏も、『生と死をめぐる断想』(中公文庫、2020)で述べており、共感するものがある。  

1973年のオイルショックで高度成長が終焉し、ノストラダムスの大予言やコックリさんなど、小学生時代に体験している世代である。近代合理主義の破綻が顕在化してきた時代を生きてきたわけだ。 

だからこそ、「精神世界」への親和性が高いのは当然であり、「教養主義」など見向きもしなかったのも当然なわけだな、と。わたしの場合は、合気道とヨーロッパ中世史がそれを増幅したような気もする。 

もちろん、1995年の事件を招いたオウムに流れたのは、そのごく一部であるが、既存の宗教からの離脱が進み、スピリチュアルの方向に向っていたのは、時代の流れといっていい。 


■米国発のニューエイジとニューサイエンス、そして日本
 
著者は、米国のカウンターカルチャー(対抗文化)から生まれてきた「ニューエイジ」や「ニューサイエンス」を踏まえたうえで日本への影響を論じて、それぞれグローバルな状況のなかに位置づける。 

著者は、この流れを「新霊性運動」ないし「新霊性文化」と命名し、その内容と意味について幅広く、かつ深く考察している。 「集団レベルの救い」から「個人レベルの癒やし」へのシフトは、先進国では共通に見られる現象なのである。ただし、もともと既存の宗教が弱い日本の特殊事情についての指摘は重要だ。 

現代社会を理解するうえで、「精神世界」の動向に注意を向ける必要があるのは、この流れが経済やビジネスとも密接な関係をもっているからだ。島薗進氏のその他の著作を読んでみたいと思う。 


(画像をクリック!)



目 次
はじめに 
第1部 グローバルな現象としての精神世界
 第1章 精神世界とは何か
 第2章 ニューエイジ運動とその周辺
 第3章 新霊性運動
第2部 新霊性運動の体験と生の形
 第4章 ニューエイジ運動の多中心性ーチャネリング流行の意味
 第5章 ニューエイジャーの癒やしと救いーS・マクレーンの「自己自身への旅」
 第6章 自己変容体験とその参与観察ーセミナーの倫理と愛
 第7章 ニューサイエンス理論のなかの心ー心=意識は何をなしとげうるか
第3部 精神世界と知の構造の変容
 第8章 教養から精神世界へ-高学歴層の自己形成の変容
 第9章 精神世界の主流文化への浸透ー霊性的知識人の台頭
 第10章 新霊性運動と代替知運動ーある農業運動の事例から
第4部 現代世界のなかの新霊性運動
 第11章 セラピー文化のゆくえ
 第12章 宗教を超えて?ー新霊性運動と「宗教」観の変容
 第13章 救済とルサンチマンを超えて?ー現代宗教における「悪」について
 第14章 救済宗教と新霊性運動ー軸の時代からポストモダンへ
あとがき
索引


著者プロフィール
島薗進(しまぞの・すすむ)
1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授、上智大学神学部特任教授・同大学院実践宗教学研究科教授、同グリーフケア研究所所長(2021年度まで)、大正大学客員教授。専門は宗教学、近代日本宗教史、死生学。著書多数。


PS 『精神世界のゆくえー宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』は、宝蔵館から2022年11月に『精神世界のゆくえ: 宗教からスピリチュアリティへ』と改題されて文庫化された。

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■「自分史」と精神世界-合気道とヨーロッパ中世史




断食修行

山伏修行

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2013年10月5日土曜日

書評『現代オカルトの根源 ― 霊性進化論の光と闇』(大田俊寛、ちくま新書、2013)― 宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」



現代オカルトの根源である「霊性進化論」は、宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」である。

その系譜が「進化」(?)した果てには、なんと「爬虫類人の陰謀」(!?)が登場するのである(笑)
 
「はあ?」な話でしょ(笑)。

そうはいっても、世の中には「マヤ暦によれば2012年に世界が終わる」など、オカルト的なお話を臆面もなく語る方々が多い。当然のことながら世界の終わりは来なかった(笑) 

その手の話題を耳にしたり書き込みを読んだ際は、けっしてあいづちも打たず反論もせず、「ああ、あれね・・」と、あくまでもココロのなかだけで思ってクチには出さず、ポーカーフェイスでやり過ごすのが大人の態度というものであろう。

とはいえ、組織内でこのような話題をクチにする場合、たんなる話題としての発言だけなら問題はないが、限りなく疑似科学的な話であることを知らないと問題は大きい。科学と疑似科学を見分けるのは簡単ではない。とくに「科学信仰が根強く残る日本のような風土では。

そのためにも本書に整理された「妄想の系譜」は、オカルトに対する「知的武装」として、あるいは「免疫」として、ひととおり目をとおしてアタマの片隅に入れておくことをすすめたい。

だが、これらの妄想系の知識そのものは、知っていたところでなんの役にたつのかよくわからないのが痛いところなのだ。おそらく著者もまた、執筆しながらそう思っているのではないかとひそかに推測する。

では、本書のテーマである「霊性進化論」という「妄想の系譜」を簡単に要約しておこう。


■「妄想の系譜」はロシアに始まりオウム真理教に至る

19世紀後半、ロシア出身の霊媒ブラヴァツキー夫人が創始した「神智学」というオカルト思想から系譜がはじまる。

この流れはルドルフ・シュタイナーの「人智学」などゲルマン世界での隆盛を経て、ついには「反ユダヤ主義」にも至るのであるが、第二次大戦後は戦勝国のアメリカを中心としたアングロサクソン世界で花開き、そのアメリカから現代日本にも流れ込んでいる。

すべてはブラヴァツキー夫人に発しているわけだが、その主著である 『シークレット・ドクトリン』 において、ダーウィンの「生物学的進化論」に対抗して、「根幹人種論」という特異な進化論を提唱しているそうだ。この「進化」という概念がじつはキーワードなのである。宗教と科学とのあいだの亀裂を埋める試みとはそういうことだ。

ブラヴァツキー夫人の「根幹人種論」の主張は、生物種としての肉体的な進化をするだけでなく、霊性もまた進化するのだということらしい。

さらに人類には「神人」と「動物化する人間」の二種類があるという。霊性に目覚めた人間のなかには「進化」して「神人」になるものがある一方、霊性に背を向けた人間は「退化」して動物にも悪魔にもなるのだという。つまり「二元論」であるわけだ。

神のような人も、悪魔のような人も存在するのがこの世の中だから、受け入れる人が少なくないというのはわからなくはない。ただ、比喩としてはさておき、わたしはこの「二元論」を事実として受ける気にはならない。

著者は、「進化」という概念を媒介することによって、従来の二元論がより具体化され先鋭化されたところに現代オカルティズムの特色があるとしている。

その「妄想の系譜」の果てにあるのが、日本で無差別テロをおこしたオウム真理教だ。その妄想的世界観において「霊性進化論的な二元論」が根幹にあることが指摘されている。

ではなぜ日本のオウム真理教にまで「霊性進化論」が流れ込んでいるかというと、それがアメリカや英国などアングロサクソン世界で流通している思想だからなのだ。戦後アメリカの圧倒的影響を受けてきた日本には当然のように英語を介して入り込んできている。

プロテスタントが主流のアメリカにおいては、進化論をどう宗教に取り込むかがつねに課題となってきた。進化論の授業を禁止している学校もあることは日本でも知られているが、進化論はアメリカにおいては、科学的事実というよりもイデオロギーとして思想信条の領域にかかわる大問題なのだ。 

「第2章 米英のポップ・オカルティズム」に項目として挙げられている、「輪廻転生と超古代史」(エドガー・ケイシー)、「UFOと宇宙の哲学」(ジョージ・アダムスキー)、「マヤ暦が示す2012年の終末」(ホゼ・アグエイアス)、「爬虫類人陰謀論」(デーヴィッド・アイク)をみれば、アメリカや英国において「進化論」がどう取り込まれてきたかが事例として理解できる。

戦後の日本は、英語を介してアングロサクソン圏の思想の影響を圧倒的に受けてきたわけだが、それらをポピュラーサイエンスに現れた科学的思考というオモテの影響とするなら、米英ポップ・オカルティズムという疑似科学としてのウラの影響を受けてきたことになるわけだ。

そもそもスピリチュアルな傾向のつよい日本は、そうした米英ポップ・オカルティズムの影響を受け入れやすい素地がある。1973年のオイルショックによる高度成長の終焉もまたそれに拍車をかけたといえよう。戦前と戦後は断絶したように見えながら、じつは連続しているのである。


■なぜ「妄想」は消えることがないのか

だが、著者が強調しているのは、なぜトンデモとして思えないような妄言や妄説に納得している人が多々いるのかということを考えなくてはならないということだ。

著者によれば、個々の人間の死に対して社会がどう向き合うのかというけっして避けて通ることができない問題にキチンとした答えてこなかったのが近代以降の世界であり、宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた恣意的な霊魂観のひとつが「霊的進化論」なのだ、と。

つまり、世界解釈のひとつの方法なのである。真であるか偽であるかはさておいて。

そう捉えれば、「霊的進化論」もあながち「妄言」と片付けてしまえないわけだ。既存の宗教が個々の人間の死に対してキチンとした答えを与えることができなくなってしまった以上、答えをもとめる人たちの欲求に応じようとする思想がでてくるのは当然といえば当然だ。

その意味では、よくできたストーリー(=物語)として受け容れる人が少なくないことは、アタマで理解できないではない。ストーリーによる説明の重要性は、いまやビジネスの場でも語られるくらいだから。人はみな安心したいのである。あまり突き詰めて考えたくないのだ。思考の経済学という観点から、所与のストーリーとして受け取りたいのだ。

だから、そういうストーリーが存在し、必要とされるという事実そのものは否定はできない。わたし自身は受け入れれることはないが・・・。

近代以降の状況については、著者による前著 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』』(大田俊寛、春秋社、2011)本書とあわせて読むことをすすめたい。ロマン主義・全体主義・原理主義という近代精神の鬼子がオウム真理教を生み出したことが理解できる好著である。

自分たちの予言を成就させるためにテロを起こした日本のカルト集団が世界を震撼させたことを忘れるべきではない。これを予言の自己成就という。 

それにしても、何の役に立つかわからないようでありながら、しかし誰かがやっておかねばならない仕事をやっていただいた宗教学者の著者には敬意を表したいと思う次第だ。

ぜひ読んでほしい一冊である。


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目 次 

はじめに
第1章 神智学の展開
 1. 神智学の秘密教義-ブラヴァツキー夫人
 2. 大師のハイアラーキー-チャールズ・リードビーター
 3. キリストとアーリマンの相克-ルドルフ・シュタイナー
 4. 神人としてのアーリア人種-アリオゾフィ
第2章 米英のポップ・オカルティズム
 1. 輪廻転生と超古代史-エドガー・ケイシー
 2. UFOと宇宙の哲学-ジョージ・アダムスキー
 3. マヤ暦が示す2012年の終末-ホゼ・アグエイアス
 4. 爬虫類人陰謀論-デーヴィッド・アイク
第3章 日本の新宗教
 1. 日本シャンバラ化計画-オウム真理教
 2. 九次元霊エル・カンターレの降臨-幸福の科学
おわりに
主要参考文献

著者プロフィール  

大田俊寛(おおた・としひろ)
1974年生。専攻は宗教学。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く (東洋経済オンライン 2013年8月23日)
・・本書ではあまり触れられていないマンガやアニメなどのサブカルチャーへの影響についても語られている

オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった(大田俊寛、SYNODOS、2014年5月15日)
・・「私は昨年公刊した『現代オカルトの根源』において、霊性進化論の思想的系譜について具体的な考察を行ったのですが、それが原因でいくつかの宗教団体から抗議を受け、団体の広報担当者と長時間にわたって議論を交わすことになりました。(・・中略・・)オウムは、七〇年代以降に生じた「宗教ブーム」という大きな流れのなかから現れた存在であり、そうしたブームを同じくした他の教団が、完全に思想的責任を免れうるということにはならないはずです。(・・中略・・)
 麻原彰晃はオカルト雑誌『ムー』の愛読者であり、一時期はそのライターとしても活動していました。彼の思想は『ムー』によって育まれ、また初期のオウムの活動は、『ムー』によって広く認知されていった。
 2012年にオウム最後の逃亡犯として逮捕された高橋克也被告の所持品のなかには、中沢新一氏の『三万年の死の教え-チベット『死者の書』の世界』(角川書店)という書物が含まれていました。この書物は、NHKが一九九三年に放映した、「チベット死者の書」というスペシャル番組をもとに作られています。 番組の内容は、一言で言えば、チベットの寒村における素朴な葬式の様子を描いたものにすぎないのですが、派手なCGや音響を随所に用いることにより、「死後の世界」をリアルに実感させるような演出が施されている。 この番組は当時、オウムが布教の手段の一つとして使用していたことが知られています。地下鉄サリン事件以前は、こうした番組が公共放送でも流されていたのです。今でもDVDが販売されていますので、一度視聴してみれば、オウムが日本社会で受容され、成長していった当時の雰囲気を実感できるかもしれません。」

と学会公式HP
・・いわゆる「トンデモ本」というラベリング(=レッテル貼り)を果敢に行い、世の中を啓蒙してくれた20年間の功績(笑)をおおいにたたえるべし!

(2017年8月31日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・この本は同じ著者による『現代オカルトの根源』とぜひ一緒に読んでほしい


■オカルト的世界観

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
・・1960年代から70年代にかけてのカリフォルニアという風土

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

書評 『稲盛和夫流・意識改革 心は変えられる-自分、人、会社-全員で成し遂げた「JAL再生」40のフィロソフィー』(原 英次郎、ダイヤモンド社、2013)-メンバーの一人ひとりが「当事者意識」を持つことができれば組織は変わる
・・限りなくオカルト的な世界観

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!


■アングロサクソン特有の特異な思想

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる
・・英米系アングロサクソン特有の特異な思想

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・英米系アングロサクソン特有の特異な思想


■宗教と科学-両者の葛藤と類似性

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・アメリカ人の精神「三重構造」の一番底にある、いわば「超自然意識」とでもいえる合理的、科学的でない神秘、超自然、夢、予感の世界に注目


■キリスト教と進化論

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・古生物学者で北京原人の発見者の一人でもあったイエズス会司祭は、キリスト教と進化論を融合させた思想ゆえにバチカンから破門された


■「トンデモ系」な人たち

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖

書評 『ブリキ男』(秋山祐徳太子、晶文社、2007)
・・『泡沫桀人列伝-知られざる超前衛-』(二玄社、2002)という「トンデモ」なアーチストたちが笑える知られざる名編

おもしろ本の紹介 『偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件』(斉藤光政、新人物文庫、2009)

(2015年8月2日、2017年8月31日 情報追加)


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2010年1月29日金曜日

書評『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)ー キーワードで読み込む、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>のあらたな全体像




■「プネウマ」、「西方浄土」、「霊性」といったキーワードで読み込む、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>のあらたな全体像■

 ここ数年、折口信夫(1887-1953)にかんする本が次から次へと出版されており、再び大きく脚光を浴び始めている。そんななかでも本書は出色のものといってよい。  

 本書は体裁は新書本だが、折口信夫の入門者だけでなく、私もその一人であるが、長く読み続けてきた読者の双方を満足させる内容となっている。前者にとっては、非常の中身の濃い充実した内容であり、後者にとっては自分の「読み」をひとつひとつ点検することが可能な内容となっているためだ。  

 作家・富岡多恵子、文芸評論家・安藤英二が切り開いてきた、折口信夫の学問形成期における謎の解明は、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>像を大きく塗り替えようとしている。本書もまたこういった新しい知見を踏まえた最新の成果である。

 目次を紹介しておこう。  

  序 章 折口信夫像の揺れ  
  第1章 折口信夫の「発生」  
  第2章 折口学とは何か  
  第3章 プネウマとともに-息と声の詩学  
  第4章 浄土への欲望と京極派和歌  
  第5章 霊性の思索者

 「プネウマ」、「西方浄土」、「霊性」・・こういったキーワードは決して奇をてらったものではない。私自身が感じていた、ある種の感じをうまくコトバとして表現してくれた、という思いがしている。  

 著者自身、かつては「霊性」(スピリチュアリティ)には懐疑的であったというが、この視点で折口信夫を読み込むことの重要性を認識するにいたったことを述懐している。折口信夫の全体像を表すのに、これほど適切な表現はないのではないだろうか。  

 あとがきに記された、哲学者・坂口恵が著者にもらしたという、「ああ、あのひとはどうも日本人じゃないみたいですね」。このコトバには、折口信夫(=釋迢空)という日本人が、たんなる国文学者や民俗学者、そして歌人の域を超えた思索者として、日本語世界においては屹立した存在であり続けていることを示しているように思われた。  

 折口信夫は、さまざまな「読み」が可能な、まだまだその全体像が読み込まれているとはいえない膨大なテクストである。日本とは何か、日本人とは何かを考える人は、必ず読み込まなければならない、日本語で遺された、きわめて貴重な財産なのである。  

 新書本にはもったいないような思索が、集約されて詰め込まれている。読み捨てにはできない内容豊かな一冊である。


<初出情報>

■bk1投稿「「プネウマ」、「西方浄土」、「霊性」といったキーワードで読み込む、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>のあらたな全体像」投稿掲載(2010年1月7日)





<書評への付記>

 折口信夫(おりくち・しのぶ)の略歴を簡単に記しておこう。Wikipedia では以下のように説明される。

折口信夫 明治20年(1887年)2月11日 - 昭和28年(1953年)9月3日)は、日本の民俗学、国文学、国学の研究者。釋迢空(しゃく・ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。

 折口信夫は、一般には、民俗学者・国文学者とされているが、本人の意識としては「最後の国学者」であったようだ。釋契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤などに連なる系統である。もちろん日本人の宗教についての考察も中心テーマの一つであった。

 折口信夫は、日本語の言語研究から始まった国学を、国文学資料と民俗伝承を付き合わせて「古代」を探求した人である。「国学者」としての認識から、和歌をつくることを何よりも重視していた。学者としての折口信夫と、歌人としての釋迢空は、不可分の一体といって良い。

 学者としては國學院大學教授と慶應義塾大学教授を兼任、慶應の文学部では「芸能史」という講座を立ち上げた。主著は『古代研究 全三巻』、有名な小説『死者の書』。歌人の釋迢空としては『海やまのあひだ』など。アララギ派の斎藤茂吉は終生ライバルであった。


 私は大学時代から、中公文庫版で『折口信夫全集』を読み始めた。日本についてちっとも知らないのではないかという反省から、高校3年生の夏から読み始めた柳田國男とは肌合いのまったく異なる、この国学者はきわめて謎めいた、不思議な魅力に充ち満ちた存在であり続けてきた。文庫版全集はすべてもっているし、関連する本はダンボール一箱分くらい集めて読んできた。


 宗教学者の中沢新一は、NHK・ETVで放送したテキストをもとにした『古代から来た未来人』(ちくまプリマーブックス、2008)で、「折口信夫のような奇跡的な学問をなんとかして自分でもつくってみたい。それが私をこれまで突き動かしてきた夢だったような気がします」と序文に書き記している。

 南方熊楠について書かれた大著に比べ、折口信夫について書かれたこの本は非常にコンパクトでうすいものだが、中沢新一がやろうとした学問の方向を簡潔に要約したものともなっている。とくに「第6章 心の未来の設計図」には、折口信夫の神道観が中沢新一流に、「魂-生命-物質」の三位一体として構造化し、図解しているのは興味深い。この説明の当否は留保しておくが。

 中沢新一流のややクセのある折口信夫の紹介ではあるが、「折口信夫入門」として本書とあわせて読むことをすすめたい。          







<ブログ内関連記事>

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」(P.263 注23)。 日本の神は敗れたもうた、という深い反省をともなう認識を抱いていた折口信夫の予言が、まさに的中していることは、あえていうまでもない」

書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・逆説的であるが、折口信夫のコトバのチカラそのものは激しい

「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)                       

(2013年12月19日 追加)


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