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2023年6月7日水曜日

書評『国道16号線 ー 日本を創った道』(柳瀬博一、新潮文庫、2023)ー たいへん面白いが、残念な本でもある・・・

 
『国道16号線ー日本を創った道』(柳瀬博一、新潮文庫、2023)という本を読んだ。話題の本で、文庫化されたのを機会に一読。

面白い本だった。国道16号線という環状道路沿線の秘密を解き明かしてくれた本である。「流域論」の岸由二教授のもとで学んだ人らしく、「流域」の視点が冴える。人類は生活条件の整った「小流域」の近くに住みたがること、また「流域」を「沿線」に読み替えた視点など秀逸だ。

縄文遺跡の分布、源頼朝の右回りの関東制覇の話は興味深い。そして、東京中心を作り出した徳川家康の功罪。本来の国道16号線沿線が周辺に追いやられたのは、徳川家康による歴史捏造である、と。

だが、同時に残念な本であった。というのは、書かれている内容は、ほとんどが国道16号線の西半分の話であって、東半分の千葉の話は付けたし程度でしかないからだ。

結局のところ、「国道16号線」も「西高東低」か。まあ、わたし自身は西日本生まれだから、西高東低は理の当然だとは思うものの、少年時代以来、断続的とはいえ、長きにわたる千葉県北西部の住民としては、いかがなものかといいたくなる。


(国道16号線 本書に掲載された路線図)


たしかに、国道16号線の東半分は千葉県北西部と房総半島の内房を通るのだが、後者には「チバニアン」があるものの、東京湾に面しているが山が迫るばかり。前者はかつての江戸時代の「牧」であって、人よりも馬のほうがプレゼンスが大きかった地域である。

ところが、『国道16号線ー日本を創った道』には、馬と地方豪族の話がでてきながら、平将門も千葉氏の話もでてこないのである。まったくもって、ひどい話ではないか! せめて国道16号線東側を代表する政治家ハマコーさんくらい登場させるべきではないか。いや、それでは逆効果かな(笑)

『国道16号線ー日本を創った道』というタイトルに惹かれて読んだものの、不完全燃焼感といだいて残念に思う千葉県住民は、『「馬」が動かした日本史』(蒲池明弘、文春新書、2020)をあわせて読むべきだろう。

国道16号線の西半分は、横浜と八王子の「シルクロード」の話がメインなので、むしろここだけ切り離したほうがすっきりするだろう。

八王子から見たら、東京都心に行くのも、横浜に行くのもほぼ等距離である。新たな風が吹き込んできたのは、「開国」以降つねに横浜からなのであった。これは否定もしようのない厳然たる事実である。

「国道16号線」として最終的に確立したのは1963年だそうだ。わたしは1962年生まれ、著者は1964年生まれ。いずれも同世代である。

ただし、光化学スモッグ体験ではじゃっかんの違いがあるようだ。わたしが小学校低学年で在学していた東京都三鷹市の状況は、それはもう酷いものだったのだ。


 


目 次
はじめに 
第1章 なにしろ日本最強の郊外道路 
第2章 16号線は地形である 
第3章 戦後日本音楽のゆりかご 
第4章 消された16号線 ― 日本史の教科書と家康の「罠」 
第5章 カイコとモスラと皇后と16号線 
第6章 未来の子供とポケモンが育つ道 
あとがき
16号線をもっと知るためのリスト 

著者プロフィール
柳瀬博一(やなせ・ひろいち) 
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。
1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し『日経ビジネス』記者を経て単行本の編集に従事。「日経ビジネスオンライン」立ち上げに参画、のちに同企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI、渋谷のラジオでパーソナリティとしても活動。2018年3月、日経BP社を退社、同4月より現職に。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連記事>

・・この対談の後編では「ゲコノミクス」との関連で、自動車での移動が当たり前となっている16号線について、東半分の千葉県柏市の新興都市「柏たなか駅」周辺についての言及がある

(2023年12月17日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

・・クルマ社会とあえて酒を飲まない下戸ならぬ「ゲコノミスト」の増加


(2023年12月17日 情報追加)




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2023年4月10日月曜日

「民主主義国家」を守るため投票にいく(2023年4月9日)ー 「権威主義国家」が世界を支配するのを阻止しなくてはならない


世界はいま「民主主義国家」と「権威主義国家」の2つに分断されつつある。 

わが母国の日本は「民主主義国家」である。それは言うまでもないことだ。 とはいえ、現在の「選挙制度」に問題があることは重々承知している。 

とくに人口弱者となっている若年層にとって、大いに不利な制度になっていることは、『22世紀の民主主義』における成田悠輔氏の指摘を待つまでもない。 

だからわたしは、若い人たちに有利になるような政策を掲げた、若い候補者に投票することにしている。それは中高年の義務というべきであろう。ささやかながら「利他行為」だと思っている。 

誰に投票したかは言わないが、とにかく投票はしてきた。 本日のように「風薫る5月」のような陽気だといいが、雨降りだと足は重くなる。いい加減にネット投票を実現していただきたい。 

そんな政策を掲げて、情熱をもって実行しようという候補者はおらんのか?


PS 翌日、選挙結果で投票した候補が当選したことを知った。めでたし、めでたし。


<ブログ内関連記事>




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2011年6月4日土曜日

「特別企画展 放浪の天才画家・山下清展」(千葉県立美術館)にいってきた(2011年6月4日)


 「特別企画展 放浪の天才画家・山下清展」(千葉県立美術館)にいってきた。千葉港めぐり観光船に乗りにいったついでである。

 せっかく行くなら、ついでに2~3箇所は同時にまわって交通費を有効活用したい。交通費は固定費だから節約になるいう、よくいえば合理性、はっきりいってしまえば貧乏性から、何かついでに立ち寄るところはないかと探したところ、アクセス地図には千葉県立美術館がすぐ近くにあることがわかった。

 さっそく検索でウェブサイトをみると、なんと「特別企画展 放浪の天才画家・山下清展」(2011年5月28日~7月10日)ではないか! 

 天才・山下清画伯! 千葉県市川市にある知的障害児の施設にいた山下清は、千葉県にはきわめてゆかりの深い人物である。ゆえに、千葉県立美術館で特別展が開催される。きわめてわかりやすいロジックである。

 中学校時代に、美術好きで自ら絵筆も握っていた祖父から、山下清の貼り絵が表紙になったスケッチブックをもらって以来の山下清ファンである。たしか、東海道線の小田原トンネルを描いたものだったが、残念ながら今回の展示にはなかった。

 もちろん、芦屋雁之助主演の「裸の大将」を知らない人は、日本人には少ないだろう。

 「ぼ、ぼくは・・」、「兵隊の位(くらい)でいうとどうなるのかな?」がクチグセの、ランニングシャツ一枚に短パン、それに麦わら帽子の「裸の大将」。




 ところが、じっさいは戦前の放浪時代は、浴衣(ゆかた)に帯を締めて、リュックサックを背負った姿の写真しかない。会場には、戦後「ライフ誌」が主導した捜索によって、鹿児島で発見(!)されたときの写真もあったが同様である。丸刈りなので、ややちいさな西郷さんみたいな感じである。どうやら、ランニングシャツ姿はテレビがつくった虚像のようだ。上の写真は、大阪の戎橋で撮影されたものらしい。

 しかも、旅先でスケッチなどはいっさいせず、アタマのなかに焼き付けた画像そのものと、それを貼り絵でどう再現するか、この2種類の画像を記憶しており、放浪の旅から施設に戻ると、貼り絵というきわめて根気のいる作業に没頭したという。そして飽きるとまたふらりと放浪に出てしまう。

 虚像と実像のギャップは山下清の場合は、本人が生きているあいだに、商業主義によって意識的に創り出されたものであっただけに、本人も大いに悩んでいたらしい。痛ましい話だ。

 いわゆる特異な画像記憶の持ち主であった山下清は、サヴァン症候群であったという説もあるようだが、こういった話は精神分析専門家にまかせておけばよい。さいきんの画家では、ジミー大西のようなものか。鮮やかな色彩感覚は両者に共通している。

 こういった余計な知識はワキにおいて、虚心坦懐に作品を見る。展覧会に足を運ぶのはそのためである。自分の目でちょくせつ作品をみて何を感じるか、そのほうがはるかに重要だ。

 じっさいに自分の目で貼り絵を見て、その技量レベルの高さには正直いって驚いた。しかも、説明書きによれば、自ら開発した技量をフルに使用しているらしい。紙を手でちぎって貼っていく貼り絵。立体感をだすために紙でこよりをつくって貼り付けていく手法は、教えられたものではないのだと。拡大写真をみて驚かされる。

 貼り絵の立体感は、油絵の立体感に似ている。戦後、油絵も手がけているが、その量感は貼り絵そのものである。

 山下清の貼り絵の立体感と量感は、写真ではとても再現できるものではない。じっさいに自分の目で見て実感するのでなければ意味はない。

 モチーフを楽しむのであれば写真でも問題はないだろう。だが、なぜ貼り絵なのか? を感じるためには、作品をちょくせつ見るしかないだろう。だから、今回は図録の購入はやめることにした。どうしても、貼り絵の質感が写真では再現されていないからだ。

 山下清(1922~1971年)は、戦前戦中から戦後の高度成長時代の日本を生きた人だ。まさに昭和時代そのもののような人生であった。会場には中高年が多かったのはそのためでもあろう。

 モチーフだけみれば、「週刊新潮」の表紙を描いている谷口六郎を髣髴(ほうふつ)させるものがあるからだろうか。こういった郷愁をさそう画題が日本人の琴線に触れるということはよくわかる。

 だが、天才が天才といわれたゆえんは別のところにある。やはり、絵画作品にかぎらず、なにごとであれ、自分の目でホンモノをみることの重要性をあらためて感じた。

 じつは、山下清の作品をこれだけまとまった形で見たのは、今回がはじめてなのであった。わたしもまた虚像によって、あやまった固定観念をもっていたことを恥じるばかりだ。

 



<関連サイト>

特別展 放浪の天才画家・山下清展(千葉県立美術館)
 
“放浪の天才画家”素顔に迫る 千葉県立美術館で「山下清展」開催(産経新聞 地方版 2011年5月30日)



<ブログ内関連記事>

美術展 「田中一村 新たなる全貌」(千葉市美術館)にいってきた

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)
・・2009年の「ゴーギャン展」など。ただし、田中一村を「日本のゴーギャン」とよぶのはミスリーディングである。山下清を「日本のゴッホ」というのも同様


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2010年10月3日日曜日

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)




 (式典 筆者撮影)


 海上自衛隊・下総(しもふさ)航空基地開設51周年記念行事(一般公開)にいってきた。場所は、千葉県柏市。記念行事と基地一般公開の概要は以下のとおりである。


下総航空基地開設51周年記念行事(一般公開)開催のお知らせ

海上自衛隊下総航空基地では、10月に基地一般公開を実施します。
皆様お誘い合わせの上、どうぞご来場ください。

● 開催日:平成22年10月3日(日)
● 公開時間:午前9時から午後4時まで
● 公開イベントの内容:飛行展示、体験搭乗、各種イベントなど。
●シャトルバス(無料)
   新鎌ヶ谷駅(東武野田線、新京成線、北総線)~下総航空基地間



内陸部の航空基地とはいえ、海上自衛隊の基地である。式典の本日の制服はみな白一色に統一されている

 今朝は早めに入ることにして、9時過ぎには基地内に入った。シャトルバスがピストン輸送しているので、バスのままゲートをくぐって基地内に入ることになる。
 下総航空基地に近い、陸上自衛隊の習志野駐屯地のすぐそばで少年時代を過ごしたので、習志野駐屯地のほうは何度もなかに入ったことがあるが、下総航空基地に入るのは、実は今回が初めてである。

 なんといっても違うのは、みな白い制服でビシっと決めていることだ。将校以上は、白い制服に制帽。下士官以下の兵は、水兵である。セーラーなのである!

 内陸部にある航空基地だが、海上自衛隊の基地である。このことはアタマでわかっていても、近年は迷彩服に身を固めているのが当たり前の陸上自衛隊とは大きく違うことに新鮮な驚きを覚える。白い制服は帝国海軍以来のもの、実にスマートな印象である。


開設51周年の式典は10時から

 まず、P3C による祝賀飛行。3機で連隊を組んだ P3C哨戒機 が祝賀会場のうえを轟音をあげて、来賓とわれわれの上空を飛行する。あっという間の出来事である。


(セーラー服姿の水兵たち 筆者撮影)

日本国旗と自衛隊旗を捧げ持ったセーラー服の儀仗兵たちが、着剣したライフル銃を右肩にかけ、軍楽隊のマーチにあわせて行進するのを見るのは、実に気持ちがよい。自衛隊旗は、かつての旭日旗である! ライジング・サンである。そして国歌・君が代斉唱。

 基地所属に海上自衛官将兵に訓辞する司令官の状況認識を聞いていると、極東情勢に対する危機感の強さに、日本国民としては、ある意味では安心を覚える。
 ここ数週間、尖閣諸島において、海上保安庁の巡視艇に中国漁船が体当たりしてきた事件をめぐって、一気に緊張が高まっているが、国土防衛のため、尖閣諸島で有事発生ともなれば当然のことながら、動員展開されることになるのかもしれない。自衛官は、このような高い意識で、日々国土防衛に当たっているのである。

 せっかく精鋭の部隊が日々訓練に励んでいても、シビリアンコントロールの意味をはき違えた政治家、あやまった目的のために「政治主導」を行う政治家が政権の中枢にいる限り、宝の持ち腐れになってしまう。
 戦後日本の不幸とは、シビリアンコントロールの主体であるべき政治家の勉強不足、責任回避であることをあらためて感じる。国民の生命財産を守るのが政治の役割ではなかったのか。

 しかし、自衛隊のみなさんは、政治家に振り回されることなく、日々の訓練に精を出していただきたい。一国民としては、そう思うのみだ。

 来賓の司令官、柏市長などの話を聞いていて思うのは、地域住民の理解あってこそ、自衛隊は成り立ちうるということだ。
 千葉県船橋市に住んでいる私にとって、正直いって、低空で離発着訓練を行う哨戒機や大型輸送機の爆音は、騒音であることは否定しない。ときおり、超低空飛行を行っている機体に書かれた文字が、はっきり目視できることすらある。
 正直いって騒音である。もちろん一日中ではないので問題はないが、うるさいと思わないといったらウソになる。
 しかし、カラダを張って国民を守る仕事に従事している海上自衛隊(!)のみなさんには何のうらみもないどいころか、いつもお疲れ様という気持ちでいっぱいだ。沖縄も米軍基地ではなく、自衛隊の基地であれば、基地に対する意識も変わってくるのではないだろうか。

 このためにも、毎年一回は基地を一般公開して、地域住民を中心に、ひろく国民との交流の機会をもつということは、広報戦略上きわめて重要なことだといえるのである。戦前の皇軍、すなわち「天皇の軍隊」ではない、戦後は「国民の軍隊」である。タックスペイヤーであるわれわれ日本国民のための軍隊。国民とともにある軍隊である。
 この点は、一党独裁国家の共産党の軍隊である人民解放軍とは、根本的に異なる点だ。このことは強調しておかねばなるまい。


催し物各種:「展示飛行」(≒航空ショー)、「落下傘降下」(陸上自衛隊第一空挺団)など



 さて、祝賀行事のあとは、さまざまな催しとなる。

 今回の目玉は、YS-11T機の最後のお披露目であろう。YS-11T はいうまでもなく唯一の国産旅客機 YS-11 が、民間の使命を終えた後に、内部を改造して海上自衛隊の訓練機として使用されてきたもの。今年限りで退役することになているので公開されたのであろう。


 この機体の内部を見学し、抽選で選ばれた人は体験試乗もできる。コックピットに入ることもできるが、列があまりにも長いので私は断念。後ろから覗いただけ。


 機内は改造しているが、軍用機なのであまり居住環境はよくなさそうだ。
 私は、内部を見学しただけだったが、久々に YS-11 の内部に入ることができてうれしかった。鹿児島から屋久島にいく便で乗って以来である。


 哨戒機P3CやYS11Tの「展示飛行」(・・航空ショーみたいなもの)が、最大の見物。入間基地の航空ショーは有名だが、下総航空基地の「展示飛行」がマスコミに取り上げられることはあまりないだろう。写真は「展示飛行」を終えて着陸した P3C哨戒機。

 二機や三機、四機で編隊飛行を行う哨戒機というのは、大型機であるだけに迫力があるだけでなく、自衛官の練度の高さを目の当たりに見えることができる。
 高速で飛行する哨戒機から、ピンポイントで物資を投下したり、爆弾を投下する(・・この日は実弾ではない)のは、技量の高さがとりわけ要求されるものだ。


 午前の部の最後は、陸上自衛隊第一空挺団(習志野駐屯地)によるパラシュート降下。第一空挺団のパラシュート降下訓練は、海上自衛隊下総航空基地の大型輸送機を使用して行われるため、密接な協力関係にある。
 今回は自衛隊の大型輸送ヘリコプター二機を使用してのパラシュート降下であった。小学生のころ、毎日のように教室の窓の外で落下するパラシュート降下訓練を見ていたので、私にとっては、見慣れた光景である。 陸上自衛隊のエリート部隊である空挺団ならではのものであるが、あの高度からの重装備で降下するのは、並大抵のことではない。降下する一人一人の隊員の氏名と出身地が読み上げられていた。軍隊では例外的な扱いであろう。それだけ名誉なことなのである。

 有事の際、敵国による侵略、とくに離島に対して行われた際は、このような形で作戦展開が行われるのかもしれない。

 一通りみているうちに、はや12時に近い。
 出店もあるが混んでいるので基地内では食事せず、ふたたびシャトルバスで駅まで戻ることとした。


内陸部にある海上自衛隊航空基地

 千葉県の柏市にある下総(しもふさ)航空基地、あまり認識している人は多くないと思うが、この航空基地は航空自衛隊の基地ではなく、内陸部にあるが、海上自衛隊の航空基地である。しかも、帝国海軍の海軍航空基地ではなく、自衛隊になってから戦後にできた、新しい基地なのだ。

 Wikipedia の記述によって、基地開設までの沿革をたどっておこう。なお、私の判断で「終戦」の文字は「敗戦」と置き換えておいた。太字ゴチックは引用者=私によるもの。

1932年(昭和7年):武蔵野カントリークラブ「藤ヶ谷コース」として開発される(・・当時東洋一の規模のゴルフ場であった)
1945年(昭和20年):陸軍省が接収し、旧日本陸軍藤ヶ谷飛行場となる。敗戦後、米空軍白井基地(Shiroi Air Base)としてGHQに接収される。
1959年(昭和34年):日米共用飛行場になる。海上自衛隊白井術科教育隊が編成される。同年末、米空軍(第5空軍)が撤退、海上自衛隊専用の基地として出発

 もともと東洋一(!)のゴルフ場だったということだ。都市近郊でこれだけまとまった土地を確保できたのはこのためなのだ。

 戦前の帝国海軍時代は、山本五十六長官のような航空兵力の重要性に認識していた幹部も存在したが、マジョリティは艦隊決戦主義で、海軍の航空兵力は航空母艦に艦載の戦闘機にほぼ限定されていた。もちろん、米国はすでに、ボーイング社の B-29 などの大型爆撃機を量産する体制ができあがっていたが、いかんせん日本にその能力が欠けていたのである。

 もちろん、現在の日本は専守防衛を国是としているわけであり、侵略は否定し防衛のための軍隊を有している。戦後は、航空母艦(空母)をもたない日本も、世界第6位という長い海岸線をもつ国土を防衛するための哨戒機の導入など、航続距離の長い大型輸送機などの導入によって大きく変化している。

 下総航空基地は、こういった戦後の航空兵力の大きな変化に対応した、もじどおり海上「自衛隊」の「戦後型の航空基地」といえるのだろう。配備されているのは、P3Cなどの哨戒機、国産旅客機YS11を改造した訓練機などである。

 ところで、祝賀式典で司令官が述べていたが、最大時には100機あった P3C哨戒機が、防衛予算削減により、現在では65機しか日本全国に配備されていない(!)という。効率的に運用することで対応しなくてはならないと訓辞していたが、これで国土防衛はほんとうに大丈夫なのかしらんと少し不安になった。 
 現在、ソマリア沖に派遣されている P3C哨戒機は二機である。

 「いまそこにある危機」は、いつ「有事」になってもおかしくない状況として急浮上している。いや、すでに実質上、「有事」にあるといっても言い過ぎではないだろう。隣国は、領有の意図を明確に示しているのである。
 
 「マニフェスト」で約束した、経済効果の不確かな諸政策に予算つけるくらいなら、防衛費をしかるべく増強すべきではないか? 
 少なくとも、国内製造業にとって経済効果のあがるような、防衛予算増加はあるはずだ。税金の使い道は、国民自身が決めるべきことである。



<関連サイト>

海上自衛隊下総教育航空群

中国海軍を震撼させる、日本の秘密兵器まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能(JB Press 2010年11月12日)
・・2011年から配備が開始される、「P3C」後継の国産機「P1」開発をめぐる、元海将による詳細なレポート。日本の技術の粋を集めた国産機開発


<ブログ内関連記事>

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた
・・2009年8月

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003) 

シビリアン・コントロールということ-オバマ大統領が政権批判したアフガン駐留の現地司令官を解任




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