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2014年8月2日土曜日

マイク・タイソンが語る「離脱体験」ー 最強で最凶の元ヘビー級世界チャンピオンは「地頭」のいい男である!

(2011年のマイク・タイソン wiipediaより)

最強で最凶とよばれた元ヘビー級ボクシングの世界王者マイク・タイソン。引退してからすでに20年以上、世界チャンピオンとしての全盛期はすでに遠い昔だが、いまだに「時の人」であるようだ。

というのも最近のことだが、マイク・タイソンの自伝が日本語訳されて出版されたらしい。『真相-マイク・タイソン自伝-』(マイク・タイソン、ジョー小泉監訳、棚橋志行訳、ダイヤモンド社、2014)がそれだ。英語版は、Undisputed Truth: My Autobiography (HarperSport, 2013)である。日本語訳のタイトルはほぼ原題とおなじだ。

「目次」を見る限り、まさに波瀾万丈で浮き沈みの激しいジェットコースター人生。断片的にマスコミ報道をつうじて知ってはいたが、それにしてもすさまじいまでの人生だ。

出版元のダイヤモンド社の「ダイヤモンドオンライン」の記事オンラインで一部が抜粋して紹介されているのではじめて知ったのだが(・・日本でも雑誌で内容のさわりを紹介するマーケティング手法が一般的になってきた)、その第2回目の記事を読んで、わたしは心底驚いた。

マイク・タイソンって、意外と知的じゃないか(!)、と。

その連載2回目の記事のタイトルは、まさにリアル「あしたのジョー」!タイソンとボクシングの運命的な出会い というものだ。少年院で出会ったボクシングと、少年院の教官から見込まれて紹介してもらった「伝説のボクシングトレーナー」との出会いについて語られている。

ブルックリン生まれのマイクはニューヨーク州の少年院に入れられていたわけだが、「伝説のボクシングトレーナー」はニューヨーク州のキャッツキルに邸宅を構えていたらしい。その名前はカス・ダマト(Constantine "Cus" D'Amato)。イタリア系移民である。

カスは、マイク・タイソンにとってはボクシングに開眼させてくれた恩師であり、心の師でもあった。その恩師がマイクに話してきかせた内容が『自伝』に記されている。ダイヤモンドオンラインの記事から引用させていただこう(以下の引用はすべておなじ)。

カスの話には何時間でも耳を傾けることができた。そんな相手には今まで出会ったことがない。カスが教えてくれたのは、本能のままリラックスして動くことの大切さだった。気持ちや感情に動きを邪魔されてはならない。カスはかつて、こんな話を文豪ノーマン・メイラーとしたことがあったという。
 「カス、君は知らないうちに禅(ぜん)を実践しているんだよ」とメイラーは言い、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』という本をカスにくれた。カスはよく、その本を読んでくれた。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

こんな話を少年時代のマイクは、恩師から直接聞かされているのである。

オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』は、戦前の東北大学で教鞭をとっていたドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel)が滞日中に修行した弓道と禅仏教から得た洞察をつづったものである。ドイツ語で1936年(昭和11年)に出版されたものだ。岩波文庫からは『日本の弓術』として1940年(昭和15年)にでている。




英語版の Zen in the Art of Archery(1953)は英語圏のロングセラーで、さまざまなエディションで出版されている。しかもこの英語版には滞米中の晩年の D.T. Suzuki(=鈴木大拙)が英語で序文(イントロダクション)を寄せている。


(左が書籍内容、右が鈴木大拙の「序文」の末尾の文章)


「西欧の合理的で論理的な思考」に慣れ親しんできたドイツ人哲学教授が、日本において「東洋の非合理的だが直観的な思考」に開眼し、それを言語化して比較的わかりやすい文章で記述したもの。日本語訳でもいいし、英語訳でもいいので、日本人ならかならず一度は読んでおきたい名著だ。




マイク・タイソンの『自伝』から引用をつづけよう。

カスは自分の初めての試合で、感情の超越という究極の状態を経験したそうだ。・・(中略)・・ 第2ラウンドに入ると、ふっと、心が体から切り離され、自分自身を離れたところから見ている自分がいた。相手のパンチが遠くから来るみたいに感じられた。いや、感じたというより、それに気がついたのだという。
 「偉大なボクサーになるには考えることをやめる必要がある」とカスは言った。俺を座らせて、「超越しろ。集中しろ。自分が自分を見ているのがわかるくらいリラックスしろ。その境地に達したら、俺に教えろ」と言った。
この教えは俺にとってはきわめて重要な意味があった。俺には感情をむきだしにするところがあるからだ。あとからわかったことだが、リング上では感情を切り離せないと撃沈の憂き目に遭う。強いパンチを当てても相手が倒れないと、恐怖心が忍び込んでくる
カスはこの離脱体験をさらに発展させた。心を体から切り離し、そのうえで未来を描き出す。「すべてが穏やかで、自分は外にいて自分自身を見つめている」彼は言った。「それは俺であって俺でない。心と体がつながっていないようでつながっている。心に絵が浮かぶ。今から起ころうとしていることが心の目に浮かぶ。その絵を実際に見ることができる。映画のスクリーンのように。

「自分を見ている自分」の存在。おお、まさに「幽体離脱」体験ではないか! おなじような体験は武道の達人であれば、かならずしている。たとえば合気道開祖の植芝盛平は、至近距離からピストルで撃たれたとき、その弾丸の球筋がハッキリと見えたので「ひょいひょいとよけた」と述懐している。

これは能の大成者・世阿弥(ぜあみ)の「離見の見」(りけんのけん)でもある。演ずる自分を同時に観客として自分が見ている状態をさした表現のことだ。かなり高度な視点だが、上級者というものはこの段階に達しているのである。

「超越、集中、リラックス」。「考えるな、感じろ」。こんな教えを早い段階で受けることができたのも、マイク・タイソン自身がたぐいまれなポテンシャルをもっていたからだけでなく、教えを受け入れる柔軟さとひたむきさがあったからだろう。

念の力で物事をコントロールできるとまで、カスは主張した。ロッキー・グラジアノのアマチュア時代、カスが彼を教えていた。ある試合でのことだ。カスがセコンドについたが、ロッキーは敗色濃厚だった。2度のダウンを食らい、コーナーに戻ってきて試合を投げたいと言ってきた。しかし、カスは無理やりロッキーを送り出し、彼の腕に念を込めた。するとパンチが当たって相手が倒れ、レフェリーが試合を止めたという。
こういうとんでもない男に俺は鍛えられていたんだ。

ここまでくれば、もうボクシングというよりも武道や気功の「気」に近い「気の流れ」をコントロールせよという教えにも近い。

伝説のチャンピオンであったモハメド・アリ(=カシアス・クレイ)もまた来日した際には、合気道をはじめとする武道家に教えを乞うていることを想起させる。

「こういうとんでもない男に俺は鍛えられていたんだ」とマイク・タイソンは語っているが、よき師とよき弟子の関係というものの理想型がそこにある。まさに両者の「気が合った」のであろう。師弟関係において、肩の力を抜いてリラックスするには、お互いをリスペクトしあうことが不可欠なのだ。

それにしてもマイク・タイソンという男は、じつに「地頭」(ぢあたま)のいい男だ。学校の勉強ではない、いわゆるストリート・スマート系だが、ただ単に力が強いだけでは世界チャンピオンになれるはずがないのである。そしてボクシングというスポーツもまた知的なスポーツであることも。

肉体と精神の関係について考えるうえでも、マイク・タイソンのこのエピソードはじつに興味深いモノがある。


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目 次

プロローグ
1 不良少年の覚醒
2 伝説的名トレーナー
3 最高のボクサーになるための教え
4 世界チャンピオンへの道
5 悪魔の仮面
6 仕組まれた陰謀
7 堕ちてゆく王者
8 レイプ事件の真実
9 刑務所内での破天荒な生活
10 再起から耳噛み事件へ
11 数々の裏切り
12 トラブルと享楽
13 3億ドルはどこへ消えた
14 快楽におぼれる日々
15 最悪の知らせ
16 再生への光
エピローグ
解説:ジョー小泉


著者プロフィール
マイク・タイソン(Mike Tyson)
1966年生まれ。アメリカ合衆国の元プロボクサー。1986年にWBCヘビー級王座を獲得、史上最年少のヘビー級チャンピオンとなる。その後WBA、IBFのタイトルを得てヘビー級3団体統一チャンピオンとして君臨。しかし2003年に暴行罪によって有罪判決を受けるなど数々のトラブルを巻き起こし、ボクシング界から引退。どん底状態から過去の自分を反省し、自己の人生を語るワンマンショーで成功を収め、新たな幸せと尊敬を得る。2011年、国際ボクシング殿堂入りを果たす。


<関連サイト>

Eugen Herrigel "Zen in the Art of Archery (Pdf)
・・英語版の全文が読める




<ブログ内関連記事>

書評 『面接法』(熊倉伸宏、新興医学出版社、2002)-臨床精神医学関係者以外も読んで得るものがきわめて大きい "思想のある実用書"
・・「匿名的観察者の視座」という視点のあり方がじつに興味深い。これはいわゆる世阿弥のいう「離見の見」に該当するもの。俗に言う「幽体離脱」にもつうじる視座である。

書評 『ターゲット-ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか?-』(ジェローム・シュシャン、高橋書店、2016)-日本との出会い、弓道からの学びをビジネスに活かしてきたフランス人社長が語る
・・このフランス人もまたオイゲン・ヘリゲルによって開眼させられた弓道家である

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

フイギュアスケート、バレエ、そして合気道-「軸」を中心した回転運動と呼吸法に着目し、日本人の身体という「制約」を逆手に取る

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『人種とスポーツ-黒人は本当に「速く」「強い」のか-』(川島浩平、中公新書、2012)-近代スポーツが誕生以来たどってきた歴史的・文化的なコンテクストを知ることの重要性

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
・・このリストに入っていないが、ジョブズもまたオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を愛読していたという

(2016年5月28日 情報追加)


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2010年12月17日金曜日

書評『ヒクソン・グレイシ ー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)ー「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる



「自分」を強く意識するということ

 ヒクソン・グレイシーといえば、格闘技の世界のなかでは知らぬ人のない超有名人である。明治時代に、日本人コンデ・コマ(=前田光世)がブラジルの地に伝えた日本の柔術から、独自に発展したのが「グレイシー柔術」、最強の使い手こそがヒクソンである。「400戦無敗の男」というキャッチフレーズがあまりにも有名だ。

 そんな彼がこういう発言していることをご存じだろうか。以下、『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ミゲール・リーヴァスクミー=構成、ダイヤモンド社、2010)から引用する。なお太字ゴチックは原文のまま。

 自分自身について、、特に、自分が日本からどんな影響を受けたのかを考えたとき、一つ気づいたことがある。私はどんな瞬間にも、自分を世界の中心に置いて生きてきた。
 自分を中心に置いて生きることは、生きることの基本だ。そう感じられない人は、間違った道を歩んでいるのだと思う。(P.83)

 自分にとって何が最も重要だと思うかと聞かれて、「自分自身だ」と答えた人以外はみんな間違っている。「人生でいちばん大事なのは息子と娘だ」。それは違う。自分が幸せでないなら、子どもたちにできるだけのことをしてやれない。二番目に大切なのが子ども、そして妻、次が車、その他まだまだ続くだろうが、一番は自分でなくてはいけない。自分が最高の状態でないなら、他のこともうまくいかないのだ。(P.86~87)


 では、以下に、ヒクソン自らが語った内容を編集して一冊に仕立て上げた本の書評に、まず目を通していただきたい。今年2010年に出版された本書は、すでに私の「座右の書」の一冊として加えられることとなった。


書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ミゲール・リーヴァスクミー=構成、ダイヤモンド社、2010)-「大事なことは「勝つ」ことではなく絶対に負けないこと」と説く「無敗の男」の人生論-


 グレイシー柔術の名を天下に轟かせたブラジル人、「400勝無敗の男」ヒクソン・グレイシーによる文字どおり骨太の人生論。ヒクソン自らの実践体験と人生体験からにじみ出た珠玉のコトバのひとつひとつを、自分の身に引きつけて味読、身読したい一冊だ。

 求道者のような生き方から生まれた、「鉄人ヒクソン」が自らの内に育て上げてきた「哲人ヒクソン」。借り物ではない、彼自身の思索の軌跡を、彼自身のコトバとして語ったものだ。

 むしろ辛口のコトバに充ち満ちている本書は、読み飛ばしてしまうと真意をつかみ損ねかねないし、ただ表面をなぞるだけの読み方ではこの本を読んだとはいえないだろう。
 まさにイマジネーションを存分に働かせながら、カラダとココロを全開にし、五感をつうじて「身読」すべき本である。
 
 私はこの書評を書くまで、自分のなかでじっくりとヒクソンのコトバを反芻しながらずっと考えていた。初めて手に取ってから1ヶ月以上たったいま、ようやくヒクソンのいうことが体感できるようになってきたと確信したので、はじめて発表することとした次第だ。もちろん、いまこの時点においても、ヒクソンの発言の真意がすべてわかったわけではないし、なかにはまだ賛成しかねるものも多々あることは正直に告白しておく。

 「20年間無敗」の雀鬼・桜井章一という日本人がいる。勝負師である桜井氏も「400勝無敗の男」ヒクソンと同様に、勝負人生から得た真実を箴言のような形で多く語っている。哲人ヒクソンによる本書と読み比べてみるのもいいかもしれない。あるいは日本が誇る剣の達人で同じく「生涯無敗の男」であった宮本武蔵を思い浮かべながら読むのもいいだろう。

 だが、宮本武蔵とは異なり、「何よりも自分を大事にする “現代版サムライ”」と自称するヒクソンである。ヒクソンは「自分にとって何が最も重要だと思うかと聞かれて、「自分自身だ」と答えた人以外はみんな間違っている」という。このコトバには違和感を感じる人も多いだろう。しかし、ヒクソンのいうことに耳を傾けてじっくりと考えてみるとよい。けっして利己主義からきた発言ではない。

 「大事なことは「勝つ」ことではなく絶対に負けないこと」と説くヒクソンだが、私自身もほとんど同じ意味のコトバを大学院時代の恩師からいただいて肝に銘じて生きてきた。
 宮本武蔵はいうまでもなく、また、長年月にわたるベトナム戦争で最終的に勝利したベトコンもまた、同様の考えをもって最後まで戦い抜いた

 勝つことにこだわるのではない。引き分けでもいい、とにかく負けないことが大事なのだ。個々の勝負に敗れることはあっても、精神的な敗北者にはならないことなのだ。

 格闘技にはあまり関心のない人も、精神鍛錬のための自己啓発書として読むことを奨めたい。「座右の書」となりうる、内容の濃い一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「「大事なことは「勝つ」ことではなく絶対に負けないこと」と説く「無敗の男」の人生論」投稿掲載(2010年12月10日)
■amazon書評「「大事なことは「勝つ」ことではなく絶対に負けないこと」と説く「無敗の男」の人生論」投稿掲載(2010年12月10日)


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目 次

はじめに
プロローグ 人生を考え直すとき
第1章 自分と相手を見つめる
第2章 正しい心のあり方を探す
第3章 すべて柔術が教えてくれる
第4章 成長し続けるために本気になる
第5章 今、私は何をするべきか
第6章 そして人生は続いていく
Rickson's Voice (ヒクソン語録)


著者プロフィール

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)

1959年11月21日生まれ。ブラジル最大の都市リオ・デ・ジャネイロ出身。柔術家。総合格闘技の歴史にその名を刻む「グレイシー柔術」最強の使い手として知られる。グレイシー柔術七段。初来日時に付けられた「400戦無敗」というキャッチフレーズはあまりにも有名。現役時代は並み居る強豪を次々と撃破し、総合格闘トーナメント「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン」では2年連続優勝という偉業を達成(1994年と1995年)。その後、高田延彦、船木誠勝といったプロレス界のスーパースターにも完勝し、その強さは日本の格闘ファンのみならず様々なメディアを通して広く一般にも知られることとなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを増補)。



「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

 ヒクソンの事例は、実戦という実践をつうじて、「自分」のアタマで考え抜き、「自分」で行動すれば、どんな人であっても「地頭」を鍛えることが可能だということを示しているのではないだろうか。

 これこそ、実戦と実践で鍛えられた「地頭」(ぢあたま)の良さというものだろう。

 つねに実践の世界に身を置き、実戦で鍛えられてきた人間は、かくも「地頭」が鍛えられるのである。
 ヒクソンが少年時代を過ごしたブラジル最大の都市リオ・デ・ジャネイロは、日本とは比較にならない危険な都市である。このジャングルのような環境のなかで生き抜いてきた男は、野生動物と同様の強さとしたたかさ、そしてやさしさを身につけることになったのだろう。

 このように書いて思い出すのは、以前このブログにも書いたユダヤ思想家レオ・ベックのことである。『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
 追い込まれ、追いつめられた人間は、いかなる意識と行動をもつかを語ったレオ・ベックのコトバをあらためて引用しておこう。

踏みひしがれた人や喧嘩に負けた犬は、自然自らを頼りとするに至る。さもなくば滅亡あるのみであろう。しかし、彼が世界の真中に立っている限り、自分自身をのみ知り、かつ眺めるために、閉込められた自己自身の観念にのみ生きるは不可能である。これができるのは権威の嗣子(しし)にのみ許された特権である。
 更にユダヤ人は常に少数者であった。少数者はとかく思索に耽りがちであるが、これが彼等の不運が与えた賜物(たまもの)である。彼等は闘争と思索とによってしばしば真理の認識を新にさせられた。

 ヒクソンがいう「自分」というのが、「地頭」について考えるうえで、実は重要な意味をもっていることは、以上の引用を読むとわかってくるのでないだろうか。
 ヒクソンはスコットランド系移民の末裔であり、ユダヤ人ではないが、これは人種や民族を超えて、「自分」というものを意識せざるをえない人間とはどういうものかについて、普遍的にあてはまるコトバだろう。

 「自分」を意識し、「自分」を中核においてこそ、「自分」を鍛えるという意識が芽生えてくる。それは、ほかの人もやっているからとかいう他律的なものではなく、自分の内側からでてくる要請、内面の声である。

 そして「自分」を知ることの重要性は、デルフォイの神託(oracle)で、「汝自身を知れ」という声を聞いたソクラテスに通じるものがある。ギリシア語では γνῶθι σεαυτόν (gnothi sauton)となる。
 「汝自身を知れ」の「汝」とは、お告げの主がソクラテスをさして言ったことだ。ソクラテスの立場からいえば、「自分自身を知れ」と同じである。

 お告げで聞いたという声は、実はソクラテス自信に、その声を聞く必然性があったということだ。だから、神託の声に呼応し、以後のソクラテスの生き方の指針となったのである。

 「自分」については、建築家の安藤忠雄も以下のように言っている。

建築家として生きてゆこうとするならば、まず自分というものがしっかり確立されていなければならない。デザイン感覚、知力もそれなりに必要ですが、それ以前の人間としての芯の強さ、即ちいかに生きるかというその生き方が、何より重要なのです。(P.189)(*太字ゴチックは引用者=私による)

 私が「自分」というものを強く意識したのは22歳のときだ。要領の良さを持ち合わせない私は、25年前のに就職活動(就活)がうまくいかなかっただけでなく、金融系コンサルティング会社に入社して1ヶ月、痛烈に感じたのだ。

 「頼れるものは自分しかない」
 「自分がしっかりしなければ人間がダメになってしまう」

 要領の悪さは、いまでもさほど変わらないが、であるからこそ「自分」を強く意識せざるをえない人生を送ってきた。要領よく振る舞うことで、自分にはウソをつきたくないからだ。

 もちろん「自分」について意識することは、利己主義を意味しない。「自分」という小さな存在が生きて行くには、自分一人のチカラだけでは不可能なことは当たり前である。
 だからこそ、ほんとうの意味で他者をリスペクトし、「信頼」関係を結ぶ姿勢が生まれてくるわけなのだ。何も考えない「安心」状態とはまったく異なる態度である。

 日本も20年以上前のような「予定調和的な世界」はすでに崩壊して久しい。

 「崩壊後の世界」のなかで生きてゆくには、「自分」をある程度まで殺して、ぶら下がり型の「安心」に逃げ込みたくなる気持ちもわからなくはないが、実は「安心」ほど脆いものはないことに気がつかねばならない。
 「安心」など一瞬にして崩壊してしまうのだ。その脆さは「希望」と同じである。

 何があっても生き残るという強い意志をもって生きるには、「自分」を正確に知って、「自分」を軸にして、「信頼」関係をベースに他者と共存していくしかない。そしてもつべきは「勇気」である。

 「自分」を意識し、自分を知るのは早ければ早いほどいいのだ。

 だが、すべての人が苦境に追い込まれるわけではないし、そのような形で「自分」を意識するわけではないだろう。

 では、「自分」をよく知るにはどうすればよいか。そのための方法論については、引き続き考えてみたい。


<関連サイト>

経営は「自分をしっかり持って取り組む」 日本の伝統精神を心においた経営を (江口克彦 :故・松下幸之助側近、東洋経済オンライン、2015年01月22日)

See the Intense Training Regimens of Brazilian Jiujitsu Academies. (BloombergBusinessWeek, July 19, 2016)
・・日本では「グレーシー柔術」というが、世界的に「ブラジリアン柔術」(略称BJJ)で通っている

(2015年1月23日 項目新設)
(2016年7月20日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「負けない」ということ

Winning is NOT everything, but losing is NOTHING ! (勝てばいいいというものではない、だけど負けたらおしまいだ)・・大学院時代の恩師のコトバ

書評 『修羅場が人を磨く』(桜井章一、宝島社新書、2011)-修羅場を切り抜けるには、五感を研ぎ澄ませ!
・・20年間無敗の男

ディエン・ビエン・フー要塞陥落(1954年5月7日)から60年-ヴォー・グエンザップ将軍のゲリラ戦に学ぶ
・・ベトコンを指導した無敗のヴォー・グエンザップ将軍

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「踏みひしがれた人や喧嘩に負けた犬は、自然自らを頼りとするに至る。さもなくば滅亡あるのみであろう」

書評 『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)・・国家存亡をかけた闘いに敗れたら、即滅亡を意味するイスラエルに根付いた日本の武道精神とは

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋・・「護身術」とされる合気道は、実はあくまでも「武術」であることを忘れてはならない


「自分」を中心に置くということ

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

どんな話であれ「自分」を全面的に出したほうが、人はその話に耳を傾けるものだ

「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー

「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ

自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは


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2010年12月16日木曜日

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない




ほんとうの「地頭の良さ」とは? プラクティショナー(practitioner:実践家)としてのアタマの良さのこと

 具体的な実例でいえば、ビジネス界では、なんといってもパナソニック(=旧 松下電器)松下幸之助やホンダの本田宗一郎の名前があがることだろう。松下幸之助の学歴は小学校卒業で終わり。本田宗一郎は工業専門学校中退。

 小学校が最終学歴の松下幸之助は、いとこか知り合いか忘れたが、「なんや、中学でとんか?」とバカにしたというエピソードがある。

 政治家でいえば田中角栄か。「コンピュータ付きブルドーザー」とよばれた今太閤も学歴は小学校卒。

 このほか、芸能界や実力がモノをいう世界では、学歴や資格などほとんど関係ないことがわかる。

 いずれもモーレツなまでなハードワーカー、しかも効率がいいので、フツーの人の2倍、3倍の仕事をする。
 松下幸之助の場合は自分はカラダが弱いことを自覚していたので、その分、モーレツにアタマを使った人だ。

 もちろん、こういった超有名人だけが「地頭の良い」人ではない。

 私が「地頭がいい」という表現を知って真っ先に思い浮かべたのは、事例としていいかわるいかは別にして、水商売の女性たちのことだ。

 高校卒業あるいは高校中退でも、アタマの回転が速くて、よく気がつく人間でないと、水商売では生きてゆけない。だが、要領の良さというのともまた違うようだ。場の空気を読むチカラだけでもない。
 こういった女性たちと、一流大学はでているが、役所や企業の窓際でしがなく過ごすオッサンたちと比べて、どっちが「地頭」がいいかといったら、それはいうまでもなく一目瞭然だろう。

 「地頭の良い」人たちのイメージとは、おそらく以上のようなものではないだろうか。

 もちろん、大学に進学するのが意味がないと言うつもりはまったくない。ただ、大学に進学して生半可な勉強をしたために、ほんらいもっていたアタマの切れが曇ってしまったのでは意味がない。
 大学に限らず、高校でも中学校でも、ほんとうに意味があるのは学校の勉強よりも、課外活動のほうが意味がある場合が多い。高校生のアルバイトも、その意味では無駄な体験とはいえない。

 私は、ノラネコなどの(半)野生動物を観察していると、「地頭の良い」動物のみが生存競争に生き残っているのだと強く感じるのである。

 ノラネコにとっての「生きるチカラ」とは端的にいって「生き残るチカラ」のこと以外の何者でもない。
 これができるノラネコは、まさに「地頭のいい」ノラネコだ。そうでないノラネコは、子ネコ時代にまず「自然淘汰」されることになる。
 生き残った子ネコは、ひたすら母ネコの行動を観察し、真似る。真似こそが、ノラネコにとっての「学習」である。まさに「真似ぶとは学ぶなり」なのだ。

 ノラネコの猫生は、まさに意志決定の連続である。一日の2/3くらい寝ているネコは、安全な寝場所がどこか、腹が減ったらどこで食べるか、こういった情報や知識が死活問題である。
 ノラネコはコトバをもたないので思考は浅いが、意志決定に際しては瞬時に判断することが求められる。向かうか、逃げるか、先客に譲るか立ち去るか、などなど。生きるか死ぬかがかかっていることも少なくないからだ。
 これは遺伝に基づく本能だけによるものではない。後天的な学習の成果でもある。

 これは強い者だけが生き残るという「適者生存」という意味ではなく、生まれ落ちた環境で最適な生き方を見つけということであり、ある意味では競争を回避しながらも、生き残る生活空間と生き残る術(すべ)を身につけていることがカギなのだと悟らされるのである。

 これが「地頭」のなせる技である。ノラネコだけでなく、人間にもあてはまる。


ほんとうの「地頭の良さ」は机上の勉強では身につかない

 だからこそ、こういった「地頭」は、机上の勉強で習得するのは難しい。

 人間の場合は、仕事という実践の場で鍛えられ、五感をフルに全開にした観察力で盗みとった技、そして自分が生き残るためにもっとも適した空間(=場)の発見と維持確保が最低条件になる。

 とくに二進(にっち)も三進(さっち)もいなないような窮地に追い込まれたときに、どれだけアタマをフル回転させて局面破壊をできるかで鍛えられることが多いのではないか?

 追いつめられたときにどうやって脱出口を見つけるか、突破口を開くか、こういう実践的なアタマの使い方によって鍛えられるのが本来の「地頭」だろう。

 問題解決には何よりも正しい問題設定が前提になる。正しい問題設定は、問題発見から導き出されるものだ。

 仕事と人生と趣味の全領域で得てきた成功体験と失敗体験を、自分のフィルターをとおして徹底的に分析し、次のアクションに活かしていく。こういう学習行動を生活習慣にしてゆくことで、自ずから身についていくのだろう。

 ビジネスの世界で使う PDCA(=Plan - Do - Check - Action)などという表現はあえて使うことがなくても、アクション(=行動)とリフレクション(=省察)の往復運動を無意識のうちに実行しているわけだ。

 一言でいってしまえば、アタマの回転の速さと思考の深さであって、こういうものは机に向かって勉強したら身につくものではない。

 むしろ、スポーツや遊びの世界で身につくものだろう。

 こういう人には結果として、豊富な「引き出し」ができあがる。体験からその意味を抽出しているからこそ、無意識世界のなかでパターン認識ができるようになっているし、具体的な経験がコトバとして蓄積されているからだ。

 机上の勉強ではないのだ
 何よりも「体験」、「体験」、「体験」なのである。

 昔の職人や商売人の家では、「職人には学問はいらない」、「商売人には学問はいらない」といって、向学心のある子どもが勉強させてもらえなかったのは、その意味においては正しいのであった。職人技も商売のコツも、見よう見まねで観察して盗み、自ら実践してみることで初めて身につくものであるからだ。

 だが、現代はもちろんまったくの無学では生きていくのは困難だ。あまりにも世の中が複雑になりすぎている。
 だからこそ、ただしい本の読み方が必要なのである。

 「体験」の意味を「読書」によって深め、「観察」した結果をまた「読書」によって確かめる。この成果を実践の場で試して、再現してみることで、さらに知識は肉体化していく。

 「体験」と「読書」の往復運動がいかに重要であるか。たんなる「体験」やたんなる「読書」だけでは十分ではないのである。この両者の相互作用が重要なのである。

  このような本の読み方ができれば、勉強によって「地頭の良さ」がダメになってしまうことはないはずだ。


<ブログ内関連記事>

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・「底辺ともいうべき実社会の環境の中でさまざまな職業を体験し、さまざまな人たちと関わり、読書と労働をつうじた観察の往復運動のなか、独自の思索を続けたのがホッファー」(ブログに書いた私の文章)。

書評 『独学の精神』(前田英樹、ちくま新書、2009)
・・自分の身ひとつを通じて、自らの意思によって、自分の身ひとつに身につけたものこそ、本当に生きるために必要なもの

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

書評 『語学力ゼロで8カ国語翻訳できるナゾ-どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく-』(水野麻子、講談社+α新書、2010)
・・「学歴」も「資格」もとくに突出しているわけではない「地頭の良い」主婦が書いた本。「地頭の良い」人の実例

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

書評 『修羅場が人を磨く』(桜井章一、宝島社新書、2011)-修羅場を切り抜けるには、五感を研ぎ澄ませ!

書評 『人材は「不良社員」からさがせ-奇跡を生む「燃える集団」の秘密-』(天外伺朗、講談社+α文庫、2011、初版 1988)


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「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?





「地頭」と書いて「ぢあたま」と読む

 「泣く子と地頭には勝てない」、これは鎌倉時代からいわれてきた有名な格言だが、ここでいう地頭は「ぢとう」と読む。鎌倉幕府とその後の室町幕府が、封建制度のもと、荘園管理のために設置した職のことである。日本法制史をひもとけば、かならずでてくる格言である。

 ここ10数年のことだろうか、ビジネス界では「地頭がいい」という表現が使われるようになってきた。ここでいう地頭とは「ぢあたま」のことである。「ぢとう」とは何の関係もない。

 とくに採用関係で使われるコトバである。「学歴」や「資格」などの見た目や聞こえのいい飾り物や、履歴書のお化粧ではなく、ほんとうのアタマの良さを表現したものだ。

 とくに「学歴」があまり意味をもたなくなる中途採用の現場において使われ出した表現だが、最近では新卒採用の現場でも使われるようになっているようだ。

 新卒採用では「学歴」は意味をもっていても「資格」はそれほど大きく評価されていたわけではない。
 もともと、潜在能力しかわからない新卒採用においては、先物買いの要素が大きいわけであり、「地頭」的要素が要求されるのも当然といえば当然だ。

 だが、「地頭」(ぢあたま)がいう表現が普及する前は、「素頭」(すあたま)という表現がそれなりに使われていたように思う。

 「素顔」、「素肌」、「素足」、また「素の自分」などで使われる「素」である。「素面」と書いて「しらふ」と読ませる用例もある。

 「地頭」も同様に、「地道」など、「地面」を意味する「地」に足のついた状態をさす表現や、「地肌」のように、髪の毛の生えていない部分の肌を指しているサラの状態、「地力」のように、その人がもっている本来の力や実力をさす表現もある。「地頭」は「地力」に近い用法のようだ。本来もっているアタマの良さという意味で使い始めたのだろう。

 また、会話文に対する「地の文」という表現がある。カギカッコがつかない文章のことである。

 おそらく、「素頭」も「地頭」もともに、カギカッコや装飾のつかない、ほんとうのアタマの良さについて知りたい、という強い要求から作られたコトバであろう。ニュアンスの違いがあるのかどうかよくわからないが、意味するところは同じである。

 「素頭」も「地頭」も、「学歴」や「資格」といった履歴書に書かれた項目とは関係ないアタマの良さのことだ。

 もし「地頭」というコトバが外資系コンサルの世界に限定されてしまうのであれば、以下の文章で使う「地頭」はすべて「素頭」と読み替えてもらってかまわない。

 ちょっと本題からそれるが、私は「ぢとう」、「ぢあたま」というひらかなを使用したのは、「じとう」、「じあたま」という表記では意味を正確に反映していないからだ。地震も正確には「ぢしん」と表記すべきだと考えている。あくまでも地面がゆれるから「ち」に点々とあるべきではないか?


ビジネス界でいう「地頭がいい」とはどういうことか

 さて、「地頭」(ぢあたま)については、ある経営コンサルタントが、以下のように整理している。

地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、「単純に」考える抽象化思考力だ。・・(中略)・・「好奇心」「論理的思考力」「直観力」・・(『地頭力を鍛える-問題解決に活かす「フェルミ推定」-』(細谷 功、東洋経済新報社 2007)の書籍紹介文から)

 私が経営コンサルティングファームに入った25年前にはこんなコトバはまだなかったが、近年では外資系コンサルファームの採用試験では「フェルミ検定」なるものが課されるそうだ。コンサルファーム以外でも、マイクロソフトなどでは採用試験で使用されるらしい。

 「フェルミ検定」とは、wikipedia の定義を引けば、「実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること」とある。例として「アメリカのシカゴにはのピアノの調律師が何人いるか?」を推定するものがあげられている。

 たしかに整理すれば「地頭の良さ」というエッセンスは、上記に引用した経営コンサルタントの要約によれば、「好奇心」「論理的思考力」「直観力」、このようになるのだろう。

 だがこのように整理すれば、「地頭の良さ」は「フェルミ検定」とは、必ずしも直接的には結びつけられるものではないし、いわゆる「勉強大好きな人間」とは関係のない話のように私には思われる。


「地頭が良い」ということは、学校の勉強とは関係ない。実際的なアタマの働きのことだ

 あえて「地頭」という日本語表現を使うのであれば、それは「勉強」によって曇らされることのない、動物的な勘や直観、あえて付け加えれば、いわゆる第六感を持ち合わせた頭脳のことをいうのではないだろうか。
 これは、「学歴」や「資格」とは関係ない話である。

 「ストリート・スマート」(street smart)という表現があるが、これが該当するだろう。勉強は得意ではないが、実際的なアタマの働き方はバツグンの人間のことをさしていう。これで勉強もできたら、まさに「鬼に金棒」だろう。

 これとまったく反対の概念が「ラーニッド・フール」(learned fool)である。勉強をたくさん成績もいいのだが、アタマの働き方が実際的でない人間のことをさしていう。

 私もこれまでの人生のなかで、「試験の成績はいいのにアタマの悪い人間」には腐るほど遭遇してきた。こういうタイプの人間は、同僚としてもつのは仕方がないとしても、上司にもっても部下にもっても最悪である。

 日本の最高学府出身者でも、いわゆる「困ったちゃん」は数知れない。

 だから、採用面接の際に志願者から提出される成績表は、私は一瞥(いちべつ)するだけで、ほとんど考慮に入れたことはない。

 どんなに長くても30分、たいていは最初の3分から5分で「地頭の善し悪し」などわかってしまうものである。これは心理学の研究成果と同じである。

 少なくとも、「地頭の良さ」は、出身大学のレベルも、大学を出ているかどうかもあまり関係ない。

 大学にいったことで幅広い分野を勉強し、視野が広くなった人間と、大学にいって専門分野ばかり深く勉強したために、逆に視野が狭くなってしまう人間がいる。

 「地頭の良い」人間の場合、大学にいって幅広く勉強した前提のもとに、専門分野を深く勉強するので、大学卒業生でも「使える」人材になりうる。外資系コンサル会社が求めている人材とはこのカテゴリーに分類される人間の、さらに上澄みをさしているのだろう。
 
 だが実際のところ、上記のカテゴリーに分類される人間はきわめて少ない。
 「地頭がよい」人間の大半は、学校の成績が必ずしもよくないと思われる。現在の大学入試制度のもとでは、最高学府にはまんべんなく成績の良い人間でないと入学できないからだ。

 学校の成績は必ずしもよくないが、「地頭の良さ」を潜在的にもっている人間には、具体的にはどのようなタイプがいるのかについて考えてみたいと思う。



⇒ 「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない につづく
  (こちらでわたしの考えをさらにくわしく述べていますのでぜひ参照していただきたく)




<関連サイト>

「いまや一流企業の採用基準は「学歴より地頭」が重視されるというけど「地頭がいいヤツ」の研究 第1部 ガリ勉して頭がいい人はダメ(『現代ビジネス』 2013年02月20日)
・・わたしの書いたブログ記事と同じ趣旨。アタマの良さとは反射力である、と。ストリートスマートと言い換えてもいいだろう(2013年2月20日 追加)



<ブログ内関連記事>

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

書評 『語学力ゼロで8カ国語翻訳できるナゾ-どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく-』(水野麻子、講談社+α新書、2010)
・・「学歴」も「資格」もとくに突出しているわけではない「地頭の良い」主婦が書いた本。「地頭の良い」人の実例


「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
    
「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ
    
書評 『修羅場が人を磨く』(桜井章一、宝島社新書、2011)-修羅場を切り抜けるには、五感を研ぎ澄ませ!

書評 『人材は「不良社員」からさがせ-奇跡を生む「燃える集団」の秘密-』(天外伺朗、講談社+α文庫、2011、初版 1988)

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)






(2012年7月3日発売の拙著です)







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