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2019年6月30日日曜日

書評『何が私をこうさせたか ― 獄中手記 ―』(金子文子、岩波文庫、2017)― これほどインパクトのある本はなかなかないのではないか?



 『何が私をこうさせたか  ―  獄中手記  ―』(金子文子、岩波文庫、2017)を読みながら思ったのは、これほどインパクトがあって迫力のある本はなかなかないのではないか、ということだ。 

原著の出版は1931年(昭和6年)、しかも出版されたときには、著者はすでに亡き人だった。その5年前に獄中で縊死していたからだ。享年23歳。あまりにも若い死である。 

岩波書店のウェブサイトから書籍解説を引用しておこう。 


関東大震災後、朝鮮人朴烈と共に検束、大逆罪で死刑宣告された金子文子(1903~26)。その獄中手記には、無籍者としての生い立ち、身勝手な両親や、植民地朝鮮で祖母らに受けた虐待が率直に綴られる一方、どんなに虐げられても、「私自身を生きる」ことをあきらめなかった一人の女性の姿がある。天皇の名による恩赦を受けず、獄中で縊死。23歳。 


アナーキストとして獄中での転向はいっさい拒否、いったんは死刑宣告を受けたが、無期懲役に減刑されていた。 

「何が私をこうさせたか」とは、あまりにも英文直訳調のバタ臭いタイトルだが(・・このタイトルを初めて知ったのは高校時代のことで、『和文英訳の修行』という参考書に書かれていた)、インパクトのある内容は文体ともあいまって、読んでいると、ぐいぐい引き込まれてしまう。具体的につづられる理不尽な虐待の数々。だが、踏まれても踏まれても立ち上げる生命力。そいて「自分」が「自分」でありたいという魂の叫び。 

判事から「過去の経歴について何か書いて見せろ」と言われて書き上げた「獄中手記」である。自伝である。おそらく教育水準の進んだ現在でも、ここまで自分について骨太に書くことの出来る人は男女を問わず、なかなかいないのではないか? 

実際は、「何が私をこうさせたか」については書かれていない。それを書いたら裁判で不利になるためだろう。手記に書かれているのは、生涯の同志となり、一緒に検挙された朴烈との出会いまでの半生である。

書かれているのは事実についてだが、へたな小説など及びもしない文学作品といっていいのではないか、そんな風に思うのである。 

男とか女とか関係なく、政治思想にかんする立ち位置が右とか左とか関係なく、文学として読む価値がある。こんな時代だからこそ、読む価値がある。


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<関連記事>

第4回 上野の二人――金子文子と金素雲(斎藤真理子 かみのたね)
・・金子文子が働いていた新聞店で、金素雲も働いていたらしい。17歳の少女だった文子は1920年、半島からやってきた13歳の少年だった金素雲は1921年


(2023年8月26日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?

書評 『朝鮮開国と日清戦争-アメリカはなぜ日本を支持し、朝鮮を見限ったか-』(渡辺惣樹、草思社文庫、2016)-19世紀後半まで中国の属国であった朝鮮は自力で近代化できなかった

韓国映画 『八月のクリスマス』(1998年)公開から15年(2013年8月)


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2015年8月28日金曜日

書評『私は魔境に生きた ― 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)ー 日本人のサバイバル本能が発揮された記録



かの有名な『ロビンソン・クルーソー』を筆頭とする漂流ものなど、サバイバルものに読ませる力があるのは、他者の体験を追体験してみたいという欲求が読者にあるからかもしれない。

日本人によるサバイバルものにも数々の名作があるが、『私は魔境に生きた』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)という本もまた、読ませるものがある。文庫本で560ページをこす大著で、最初のうちはそうでもないが、サバイバル生活を開始してからの記述はじつに面白い

副題の「終戦も知らず東ニューギニアの山奥で原始生活十年」というのが刺さるのである。日本が敗戦したことも知らずに10年間、太平洋戦争で激戦地となった、当時はオランダ領であったニューギニア東部の山中で10年間のサバイバルした元日本兵たちがいたのである。そんな存在は、小野田さんや横井さんだけではなかったのだ。

「魔境」とはニューギニアの山奥のことである。本文を読むとわかるが、現地住民すら、そこに足を踏み入れるのを躊躇するという「魔境」だからこそ、10年もサバイバル生活を送ることができたのである。しかも、熱帯雨林という環境のなかでである。

しかしそれにしても10年というのは気が遠くなるような長さだ。日本がすでに敗戦していることも知らず、山中で自給自足の生活を送りながら友軍が迎えに来るのをひたすら待つという人生。当事者である彼らも、まさか10年も「原始生活」を送ることになるとは想像だにしなかったようだ。

サバイバルは、肉体の問題ではあるが、精神の問題でもあるのだ。耐える、ということだ。単身ではなく、最終的には4人のチームだったからこそ、最後まで生き抜くことができたのであろう。小野田さんのような、陸軍中野学校で特殊な教育を受けた強靭な精神の持ち主ではない、ごくふつうの日本人兵士たちにとっては。

そしてまた知恵の問題でもある。知識も知恵なくしては生かし切れない。そもそも知識そのものも、自分たちにとって既知のものが中心となる。

なければないで済ますという態度。ないものは、あるものを使って加工する創意工夫。まったくの原始人ではなく文明人であったからこそ、文明世界ですでに体験していた文明の利器を、ありあわせの道具と材料で再現しようと試みた。これもまた、サバイバルの重要な要件であった。

サバイバル生活では狩猟と農耕が行われる。缶詰類が尽きたあとは、狩猟で動物性たんぱく質を摂取し、農耕で主食を確保することになる。自給自足生活である。サバイバル生活の終盤近くで原住民との接触が始まってからは、物々交換という交易活動も始まる。経済の原初形態である。

いわば「サバイバル型エコライフ(?)」とでもいっていいような生活を10年送ったわけだが、読んでいて思ったのは、はたして現在の日本人に可能だろうか、ということである。原始生活を送ったのは70年前の日本人である。

知識はすでに脳内にあるもの、つまり「アタマの引き出し」を中心に、サバイバル生活で試行錯誤して身に着けた知識と体験しか頼るものはないのだ。ちょっとネット検索して、なんて安直なことは期待できないのである。本すらない環境なのだ。そんな個人の集まりの集団生活では、個人の知恵と知識を持ち寄ったリアルな「集合知」が生きてくる。

著者は「あとがき」のなかで、「原文に忠実なまま」で出版を希望したと記しているが、あまりにも文章がなめらかで読みやすいので、じっさいには編集の手が入っているのではないかと思う。シークエンシャルに配列しなおすには、なかなか大変だったのではないかと思われる。 

とはいえ、内容そのものを創作するのは困難だろう。描写があまりにも具体的だからだ。おそらく手記として執筆した原稿に編集が行われているのであろう。内容にかんしては、だれかニューギニアに詳しい人類学者などが、検証をしてくれるといいいのだが・・・。

サバイバルものが好きな人は、読んでみる価値は間違いなくある。大東亜戦争の戦記ものが中心の光人社NF文庫からの出版だが、戦記にかんする記述は全体の1割以下。その他の文庫からでていてもおかしくない内容だ。

関心のある人は、読んでみるといいだろう。


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目 次  
はじめに
流転(昭和17年12月~19年6月)
籠城(昭和19年6月~20年8月)
原始生活(昭和20年8月~23年1月)
石器時代(昭和23年2月~24年10月)
鉄器時代(昭和25年1月~26年12月)
隠棲発覚(昭和27年1月~28年2月)
原住民の風習・知恵(昭和28年2月~28年12月)
現地官憲に漏れて(昭和29年1月~29年9月)
生きて祖国へ(昭和29年9月~30年3月)
あとがき



著者プロフィール

島田覚夫(しまだ・かくお)
大正10年(1921年)5月、岡山県に生まれる。昭和10年(1925年)、尋常高等小学校卒業、所沢陸軍飛行学校に入校。昭和30年(1955年)3月、復員。郷里で桐箱製造会社に勤務、平成6年(1994年)工場長で退職。平成7年(1995年)1月歿 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

Where there's a Will, there's a Way. 意思あるところ道あり


日本人のサバイバルもの

書評 『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)-日本人がほんらいもっていた、驚くべきサバイバル能力に大興奮!!
・・「無人島・鳥島(とりしま)に漂着して20年間生き抜いた男たち・・(中略)・・鳥島はかつてアホウドリの宝庫であった。漂流民たちはアホウドリを捕獲して、食いつないで生き抜いたのだ。渡り鳥アホウドリの肉は干し肉にして保存し、雨水で渇きを癒し、アホウドリの羽衣を身にまとって・・・」


電気に頼らない文明

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと

「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「アタマの引き出し」がすぐにつかえる状況にあれば、電気をつかう情報機器がなくてもサバイバル可能!

動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ


ニューギニア戦線

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・ニューギニア・ラバウル線線で視線をさまよった経験をもつマンガ家の水木しげる。爆撃で左腕を失った水木氏は、原住民と深いレベルでの交流をもった人でもある


オランダと東インド植民地

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督 
・・日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台

書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・文化人類学者の山口昌男は、アフリカのつぎにインドネシアの島々で本格的なフィールドワークを行っている

(2015年9月3日、6日 情報追加)


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2011年12月30日金曜日

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ ―「坂の上の雲」についての所感 (4)




三年間にわたって放送されたNHKスペシャルド 『坂の上の雲』 が先日ついに完結した。

あらためて日本と日本人の底力を感じた人も少なくないと思う。今年2011年に放送した第三部は意図したわけではないだろうが、「3-11」後に生きる日本人にあらためて自らの内なる勇気を再確認させたことになったのではないか。

ただ、日露戦争をささえたのは、主人公である秋山兄弟や東郷平八郎、そして乃木希典や児玉源太郎といった表舞台にたった軍人たちだけではない

政治家は言うまでもないが、経済人もまた戦争遂行に死活的な意味をもつ軍費調達において多大な役割を果たしたことは 高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) で書いたとおりだ。

しかしこういった指導者たちだけが戦ったのではない。『あゝ野麦峠』(山本茂実、1968)で克明に描かれたように、名もない女工さんたちが身を粉にして働いた絹織物が輸出されて貴重な外貨を稼ぎ、そのカネで海外から軍艦を買ったという事実も思い出さなくてはならないだろう。

司馬遼太郎が言う「まことに小さな国」だっただけではなく、「まことに貧しい国」であったわけだ。同時代の英国植民地のインドよりも、国際水準でみた労働コストは低かったのだ。その当時の日本は、まったくもって発展途上国だったのだ。

それを考えれば、自衛のための死にものぐるいの戦争だったとはいえ、身の丈を遙かに超えた無謀な戦争だったのである。

歴史というものは政治史や軍事史だけではない、こういった裏面史、あるいはオルタナティブな歴史をとりあげなくては、ほんとうの意味で全体像をつかんだことにはならない

日露戦争の「成功者」であったはずの秋山真之は、司馬遼太郎は語らないが、日本海海戦のあと宗教に向かってしまったことは知る人ぞ知ることである。国家の命運が彼一人の頭脳にかかっているという重圧のもと、責任を果たしたあと虚脱状態になってしまったのであろうか。現代風にいえばバーンアウト(=燃え尽き)たということだろうか。

日露戦争においてはきわめて多数の死傷者がでただけではない、じつに多くの人たちが巻き込まれ、人生を翻弄されているのである。

この時代を知るためには、「失敗者」として生きることを余儀なくされた日本人についても知るべきだろう。



日本人なら石光真清という明治人を知っておかねばならない





ここで取り上げる「失敗者」とは、石光真清(いしみつ・まきよ 1867~1942)のことである。

その長男である石光真人氏がまとめたのが『石光真清の手記 四部作』が 中公文庫から出版されている。 『城下の人』、『曠野の花』、『望郷の歌』、『誰のために』。

石光真清とは何をした人か? 一言で言えば、民間人にやつしてスパイ活動をおこなったインテリジェンス・オフィサーである。

わたしはこの四部作をいまから25年前に読んだが、じつに深い読後感を抱いたのであった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだのはその後だが、司馬遼太郎は人生の明るい面しかみようとしない人だったのだなとつくづく思うのは、『石光真清の手記 四部作』をすでに読んでいたためでもあろう。

『城下の人』の文庫版のカバー裏に書かれた編者・石光真人氏の文章をそのまま引用しておこう。

私の父は明治元年に熊本城下に生まれ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがては大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報活動にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。 石光真人

まさに明治時代を生きぬいた日本人による手記なのである。

もともとは発表するためにつづったものではなく、死期にあたって著者みずからが焼却を図ったという。しかし幸いなことに、こうして整理編集されて、後の世に生きるわれわれも読むことができるのは、まことにもって幸いである。

内容は目次を一覧するのがいちばんだろう。

『城下の人』
夜明けの頃
神風連(しんぷうれん)
鎮台の旋風
熊本城炎上
戦場の少年たち
焦土にきた平和
父の死
自分の足で歩む道
東京
若い人々
天皇と皇后
出征の記
コレラと青竜刀
周花蓮
夢と現実
『曠野の花』
ウラジオストックの偽(にせ)法師
アムールの流血
異境の同胞たち
血の雨と黄金の雨
私のお願いとお君の願い
散りゆく人々
曠野の花
まごころの果て
哈爾浜(ハルビン)の洗濯夫
お花の懺悔録
めぐり逢いの記
お米の失踪
秘密計画
逃亡日記
お花の恩返し
人の運命と国の運命
志士と文士と密林の女
この日のために
『望郷の歌』
泥濘(ぬかるみ)の道
親友の死
老大尉の自殺
黄塵の下に
文豪と軍神
失意の道
海賊稼業創立記
二つの遺骨と女の意地
海賊稼業見習記
望郷の歌
家族
『誰のために』
大地の夢
弔鐘
長い市民の列
粉雪と銃声
日本義勇軍
生きるもの・生きざるもの
闇の中の群衆
三月九日の朝
亡命
野ばらの道
再起の歌
渡河
分裂
誰のために
残された道
解説-森銑三

明治維新の激動期から、日清日露の大戦を経て、シベリア出兵へと、ひたすら大陸での戦争、戦争とつづいていた時代の生活史でもある手記。日露戦争の前後や、ロシア革命後のシベリア出兵当時の満洲、極東ロシアの記述はじつに興味深い。

日本人、ロシア人、中国人、朝鮮人と、多くの民族が入り乱れていたのが大陸である。

軍人ではないが、軍の指揮下に入った民間人の軍事探偵として日露戦争の戦場にいた人物に中村天風もいた。だが、石光真清の人生は中村天風のような最終的な「成功者」とはあまりにも異なる。

日露戦争後も生きた石光真清の手記を読むことで、司馬遼太郎が描かなかった、描けなかった日本近代史を知る必要があると思うのだ。

明るい面だけみて暗い面を避けて通るのではなく、暗い面を見て知っていながらも明るく振る舞うことこそが、人間の生き様としては正しいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

なお、編者の石光真人氏は、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)も編集している。

賊軍とされて明治維新の敗者となった会津藩士たちとその家族は人生の辛酸をなめることになるが、柴五郎(1860~1945)は、新政府において最終的に陸軍中将まで出世している。石光真清とは友人関係があり、晩年もお互い行き来していたという。

だが、二人のあいだでは、日露戦争のことなど一度も話題になったことがないのだとか。明治の男というものは、そういうものだったのか。

『石光真清の手記 四部作』は一度、仲村トオル主演で連続ドラマ化されている。NHKの「BSドラマスペシャル・石光真清の生涯」(1998年)である。

わたしはこのドラマは見ていないのだが、ぜひ再放送してほしいものだと思う。『坂の上の雲』だけでは、複眼的なものの見方はできないからだ。


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<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) 

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!
・・「石光真清の手記 四部作」の編者である石光真人氏によるもう一冊の日本人必読書!

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった

(2014年1月15日、3月28日 情報追加&再編集)


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2010年12月5日日曜日

書評『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)-「現場」に徹底的にこだわった、地に足の着いた現地支援のあり方とは?




「現場」に徹底的にこだわった、地に足の着いた現地支援のあり方とは?

 1992年のカンボジアPKOに参加した陸上自衛官が、「人生の目的」を発見してしまったのは45歳のときであった。

 それから10年間、温め続けた夢を実現するため55歳で定年退職後、自衛隊関係者がつくった地雷処理の NPO の一員としてカンボジアに渡り、カンボジア語はおろか英語さえままならないまま、徒手空拳で事務所を立ち上げることから「第二の人生」の第一歩が始まった・・・

 この本は、あくまでも「現場」に徹底的にこだわりつづける著者が、地雷処理・不発弾処理のスペシャリストとしての専門性をフルに活かした海外現地支援活動を、地を這う虫の眼で記した記録である。

 著者が活動拠点に定めたのは、もともとポルポト派(=クメール・ルージュ)の支配地域だった村である。

 現地在住のただ一人の日本人である著者は、「現地」に仕事をつくるという目的から、住民から地雷処理の専門家を募集し、専門家としての訓練を行いながら地雷処理を行っている。
 現地の事情から、機械に頼れない手作業による地雷処理であり、しかも住民参加型である。この危険なミッションの遂行をプレイング・マネージャーとして指揮する著者は、地雷処理の専門能力と部下を統率するリーダーシップ経験をフルに活かして貢献している。

 どうしても援助というと、井戸を掘るなどの施設建設というハードに偏りがちであるが、そのハードを住民が自分たちでメンテナンスしていくためのソフトを教え込むことなしには、真の自立からはほど遠い
 そのためには、住民の意識改革をつうじた人づくり活動が必要であり、これがひいては現場主義の復興活動、平和構築活動となる

 「支援される側」が自分たちの問題として主体的に取り組まない限り、活動は一過性のものとして終わってしまい、けっして継続的なものにならない「支援する側」と「支援される側」、その双方に責任があり、その両者がともに働くのが「現場」である。あくまでも「現場」に徹することによって、その成功例がモデルケースとなり、拡がっていくという好循環が期待される。

 経営コンサルティングに従事している私にとっても、あらためて教えられることの多い本だった。
 
 中年になってから「人生の目的」を発見した著者の「第二の人生」は、しかしながらけっして平坦なものだったわけではないようだ。家族を説得してカンボジアに渡るまでの苦労、現地であたらしい事業を立ち上げる苦労と喜び、なかなか地雷処理の仕事ができなかったために経験したバーンアウトという精神疾患。こういったことを包み隠さず語る著者の姿勢には、多くの人が共感することだろう。

 海外における地域支援のあり方についての本としても、カンボジア関連の本としても、あるいはまた定年退職後の人生論としても、いろんな読み方の可能な本である。ぜひ一読をすすめたい。 


<初出情報>

■bk1書評「地に足の着いた、「現場」に徹底的にこだわった現地支援のあり方とは?」投稿掲載(2010年6月28日)
■amazon書評「地に足の着いた、「現場」に徹底的にこだわった現地支援のあり方とは?」投稿掲載(2010年6月28日)

*再録にあたって字句の一部を修正した。




目 次

カンボジアへ
活動の立上げ
不発弾処理に取り組む
バーンアウト
再びカンボジアへ
タサエン
デマイナー
村の自立を目指した地域復興
村の生活
事故
これまで・これから
未来へ・タサエン村から


著者プロフィール

高山良二(たかやま・りょうじ)

1947年生まれ、愛媛県出身。地雷処理専門家。1966年陸上自衛隊に入隊。1992年カンボジア PKO に参加。以来、カンボジアに特別な思いを抱く。2002年陸上自衛隊を定年退官と同時に、認定 NPO 法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)に参加。1年の大半をカンボジアの地雷原の村で過ごし村人と共に地雷処理をする傍ら、村の自立を目指した地域復興にも奔走している。また東大寺で僧侶「補 権律師」の地位を得る。受賞歴として南海放送賞、国際ソロプチミスト日本財団国際奉仕賞、テレビ愛媛賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

 カンボジアの地雷については、なんといっても、戦場カメラマン市ノ瀬瀬泰三の 『地雷を踏んだらサヨウナラ』(講談社文庫、1985)を思い出す。ベトナム戦争従軍記である。
 市ノ瀬泰三の最期は、戦場カメラマン馬淵直城による 『わたしが見たポル・ポト-キリングフィールズを駆けぬけた青春-』(集英社、2006)に描かれている。
 カンボジアのみならず、東南アジア、とくにインドシナ半島現代史について知りたい人には、ともに強く薦めたい本である。

 地雷(mine)という兵器は「ばね」の耐荷重性を利用したきわめて単純で安価な兵器だが、とくに殺傷力の高い対人地雷はきわめて非人道的と言わざるをえない。
 対戦車地雷は戦車並の荷重がかからないと起爆しないが、対人地雷は子どもの体重でも起爆する、非戦闘員であるシビリアンも犠牲者になる、きわめて非人道的な殺傷兵器である。
 とくにカンボジアでは雨期の洪水で、対人地雷が居住地域に流れてくることがあるので危険である。
 対人地雷の被害者と、対人地雷廃絶に向けて先導して努力した故ダイアナ妃と日本の故小渕首相には、この場を借りて哀悼の意を表したい。



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シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

カンボジアのかぼちゃ
・・カンボジアについての個人的随筆

本年度アカデミー賞6部門受賞作 『ハート・ロッカー』をみてきた-「現場の下士官と兵の視線」からみたイラク戦争
・・都市部における手作業による不発弾処理については、ハリウッド映画の『ハート・ロッカー』(2010年度アカデミー賞受賞作)で知ることができる。カンボジアの地雷処理は、イラクとは都市と農村の違いはあるが、基本的に軍のスペシャリストでなければできない、危険きわまりない仕事である。
    
(2014年11月2日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)







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