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2018年12月24日月曜日

クリスマスに「贈り物」を! ― 『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクリスト」』(ニーチェ、適菜収、講談社α新書、2005)



本日は、クリスマス・イブ。イエス・キリストの誕生日の前日。だから、そんな日に最適な「贈り物」はいかがかな? それは、『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクリスト」』(ニーチェ、適菜収、講談社α新書、2005)。 

「エセ保守」を徹底的にたたき続ける評論家の出発点がこの「超訳」。10年ぶりにざっと再読してみたが、中高生でも読める、じつにわかりやすい翻訳だと確認。 

 原書は1895年の出版だが、執筆されたのは1888年。ニーチェが精神錯乱する前の最後の年に、絞り出すように書かれたものだという。つまりニーチェはバーンアウト(=燃え尽き)してしまったということだ。それくらい、生命をかけて書かれた本なのだ。倒れてから11年後にニーチェが死んだ。享年55歳。 

内容は、キリスト教への「告発状」。結論、すなわち「最終判決」は、「被告・キリスト教は有罪です」。 末尾の文章を引用しておこう。 


キリスト教は、消え去ることのない人類最大の汚点です。 しかも暦は、こういう悲惨なことが始まった縁起の悪い日をもとにして、数えられています。どうして、キリスト教の最後の日をもとにして時を数えないのでしょうか。 今日をもとにして。すべての価値を転換せよ!

なぜ「キリスト教」と「キリスト教の神」が諸悪の根源だとニーチェが言うのか、それはこの本を直接読んで頂くのが手っ取り早い。中高生でも読んで理解できると思うので、この機会にいかが? 一気読みできますよ。でもそれでは、もったいないかも。 

英語の gift は「贈り物」という意味だが、大文字で始まるドイツ語の名詞 Gift には「毒」という意味がある。つまり、「贈り物」は「毒」だということだ。 

「毒」に充ち満ちたニーチェのこの本は、人類への「毒入りの贈り物」ということになるのかな? あえてクリスマスイブにぶつけてみました。 


PS 私はキリスト教信者を誹謗中傷するつもりはありません。あくまでもニーチェがそう言っているのだという紹介ですよ。


(画像をクリック!)



目 次   
訳者から-本来の神の姿をゆがめたキリスト教 
はじめに  
第1章 「神様」ってそういうことだったのか  
第2章 キリスト教が世界をダメにする  
第3章 キリスト教はイエスの教えにあらず  
第4章 戦争を生み出す『新約聖書』  
第5章 敵はキリスト教なり 





<ブログ内関連記事>

書評 『日本をダメにしたB層の研究』(適菜収、講談社+α文庫、2015)-徹底した「近代」批判の書は俯瞰的に左右両極を叩く

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想


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2010年1月24日日曜日

書評『対話の哲学 ― ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)― 生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」



 古代ギリシアに始まる、西洋哲学の常識を否定するところにユダヤ人哲学者たちが発見した「対話の哲学」。

 私という「自我」が出発点となる、ひとり語りのモノローグではなく、「あなた」の存在によって成り立つ対話であるダイアローグ。「対話の哲学」は、哲学専門用語ではなく、日常語による哲学で、普通の人のための、常識に基づいた哲学である。

 18世紀の啓蒙の時代に「解放」され、19世紀には西洋社会に「同化」したはずだと思っていたドイツのユダヤ人、しかし彼らは根強く社会に存在する「反ユダヤ主義」のなか、「同化」によるアイデンティティ喪失の道ではなく、自らの内なるユダヤ性探求の方向に向かい出す。新カント派の哲学者ヘルマン・コーヘンもまたその道の探求を始めた一人である。

 そしてその弟子にあたる思想家フランツ・ローゼンツヴァイクが、ドイツ軍の下士官として、第一次世界大戦のバルカン戦線の塹壕のなかで書き始め、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という不治の病に苦しみながらも作りあげていったのが「対話の哲学」であった。

 死ぬ存在である人間である「私」と、同じく死ぬ存在である「あなた」とのあいだに成り立ちうる「対話」。「あなた」あっての「私」、「私」あっての「あなた」。「呼びかけ」と「応答」によって成り立つ関係、「話す」よりも「聞く」ことの重要性。

 対話は、絶対他者としての「あなた」あってこそ成り立つ。「あなた」が他者でなければ、それは単に自我を投影しているにすぎないからだ。そこには「他者」から切り離された「自我」ではなく、「他者」とのかかわりのなかではじめて意味を持つ関係が生じている。対話は、つねに偶然性をはらんでいる。

 本書『対話の哲学  ―  ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)は研究書の体裁はとっているが、知識を得るための本ではない。

 読むことによって、一気に視界が開けてくる思いをする本。あらたな地平が開けるような思い、目が覚めゆくような思いがする本だ。

 哲学書を読んでいるというよりも、人間が生きていることの意味を、そのまま語っているのを聞くような思いをしながら読み進めている自分を見いだした。もちろんそれは著者との対話なのだが、著者ではなく特定の「あなた」との対話を続けているような気もしていた。

 それは著者の意図とは違うのかも知れないが、生きているということをこれほど、声高でなく、普通の声で肯定する哲学はないのではないか。

 著者は、これらドイツ系ユダヤ人哲学者が開拓していった「対話の哲学」を、ユダヤ教の文脈を離れても成り立つ、より普遍性のある哲学として、われわれ日本人にも示してみせてくれた。

 著者は「反哲学」を説く、哲学者・木田元の弟子である。
 
 ふだんは哲学書や思想書など読まない人も、ぜひ手にとってみてほしい。意義深い読書経験になると思う。


(画像をクリック!)



目 次 
序章 現代の思想状況と20世紀転換期のドイツ・ユダヤ人 
第1章 ドイツ・ユダヤ人と啓蒙主義
第2章 関係は関係なきもののあいだになりたつ ー ヘルマン・コーヘン
第3章 西洋哲学はモノローグの思考である ー フランツ・ローゼンツヴァイク
第4章 モノローグの言語から対話の言語へ ー プラトン、オースティン、フンボルト
第5章 対話の一般的構造 

著者プロフィール
村岡晋一(むらおか・しんいち)
1952年生まれ。中央大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士後期課程中退。現在、中央大学理工学部教授。専門はドイツ観念論、ドイツ・ユダヤ思想。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<初出情報>

■bk1書評「ユダヤ教の文脈を離れて成り立つ、普通の人のための、生きることの意味を明らかにする、常識に基づいた「対話の哲学」」投稿掲載(2010年1月10日)
*再録にあたって、一部字句の修正を行った。


<書評への付記>

 「耳を傾ける」ということについて、私はコーチング理論でいう、アクティブ・リスニング(Active Listening)を想起したが、しかしそれとも若干ニュアンスが違うようだ。

 日本語の「傾聴」は、かしこまって聞くというニュアンスが強すぎる。聴くだけでは「対話」にはらない。

 それが「対話」につながるためには、双方向のコミュニケーションである必要がある。「呼びかけ」の声に耳を傾け、そしてそれに対する「応答」を行う。この無限の可能性をもった有限の連鎖が「対話」である。

 一言でいってしまえば、「呼びかけ」と「応答」の連鎖が対話なのである。

 本書について若干の補足をしておく。

 「対話の哲学」は著者によれば、ドイツ系ユダヤ人の思想家たちが、あらたに再発見した自らのユダヤ性とユダヤ教を出発点に、18世紀の言語学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言語論を媒介にして展開した哲学である。ちなみに、探検家アレグザンダー・フォン・フンボルトはヴィルヘルムの弟である。

 ユダヤ教の文脈においては、もちろん超越的な存在である神が「あなた」であり、「私」はその呼びかけに応答し、また「私」の呼びかけに神である「あなた」が応答する、そういう関係にある。この枠組みを人間と人間のあいだの関係として読み替えたものである。

 フンボルトの言語論で、とくに「双数について」で展開された対話的言語論が、「対話の哲学」成立に大きな役割を果たしたらしい。

 孫引きになるが、フンボルトはこう述べているという。「言語の根源的本質のうちには、ある変更不能の二元論がひそんでおり、言語活動の可能性そのものが呼びかけと応答によって条件づけられている」(P.135)と。

 フランツ・ローゼンツヴァイク(1886~1929)については、Wikipedia の項目を参照。以下、『対話の哲学』の記述と、『二十世紀のユダヤ思想家』(サイモン・ノベック編、鵜沼秀夫訳、ミルトス、1996)の第6章を参考に補足し、簡単にまとめておく。

 ユダヤ人コミュニティに属してはいたが、安息日の夕べすら知らないという世俗的な人生を送っていたローゼンツヴァイク(・・日本語に直訳すれば、"バラの小枝")は、キリスト教に改宗してドイツ社会への「同化」の道を選択するか否か、最終的な決断を下す前に訪れたユダヤ教会(シナゴーグ)で参加したコル・ニドレイ(贖罪の日)の礼拝で、ユダヤ教が生きた信仰であることを確信し、ユダヤ教に回帰するという劇的な「宗教的自己発見」をした。そして終生「ユダヤ人として生き続けること」を決意する。

 その後、第一次大戦においては、自ら志願してドイツ軍の下士官として出征、バルカン戦線の塹壕のなかで突然、「新しい哲学」の霊感を受けた。これが後に「対話の哲学」へと結晶していく。

 復員後はアカデミックな道は選ばず、ユダヤ教の研究生活を続けながら、ユダヤ人教育のための機関として「自由ユダヤ学舎」を組織し、7年間にわたって実践活動に専念していたが、まさにその絶頂期に、筋萎縮側索硬化症(ALS)という不治の病に突然冒され、10年以上にわたって闘病生活を続けるという不幸に見舞われる。

 筋萎縮側索硬化症によって全身の筋肉が徐々に萎縮していき、ついには書くことも話すこともできなくなる。しかし、病気で自分を暗くすることなく、家族の助けをえながら、特別に改良されたタイプライターも使いながら、最後の最後まで創造的な仕事をし続けた。

 ローゼンツヴァイクの感動的な人生は、伝説の一つとなって語り伝えられている。

 塹壕のなかで哲学にかんする思索を続けていたという点においては、同じく第一次大戦においてハンガリー=オーストリア帝国軍の兵士として出征していた、論理哲学者ヴィトゲンシュタイン(1889~1951)も想起される。彼はウィーン出身のユダヤ系であったが、父親の代にカトリックに改宗している。後に英国に渡って、ケンブリッジで教鞭をとった。

 ユダヤ系哲学者で「対話」とくれば、のちにイスラエルに移住した、同じくウィーン出身の哲学者マルティン・ブーバー(1878~1965)による『我と汝』を想起する。ローゼンツヴァイクはブーバーと共同して、ヘブライ語旧約聖書のドイツ語訳作業を行っている。

 ただし、ブーバーによる『我と汝』は、著者によれば「対話の哲学」ではない、ということになるらしい。『我と汝』においては、あくまでも中心にあるのは「我」であり、「汝(あなた)」あっての「私」ではないということのようだ。

 また、本書を読んで、「弁証法」こそ「対話的原理」だと思い込んできた私の固定観念が覆された。

 弁証法(dialectique)とは、ヘーゲルに代表される思考法だが、基本的に 「正⇒反⇒合」のループを繰り返しながら歴史が前進するという思考である。

 「正」に対するアンチとしての「反」、この正⇔反のあいだにある対立を乗り越えて「合」になる。この「合」が「生」となり、またアンチである「反」が現れ、それを乗り越えて「合」になり、それが・・・・。 「正⇔反」の対立を乗り越えることをヘーゲルは、アウフヘーベン(aufheben)といった。日本ではかつて、止揚(しよう)なんて意味不明なコトバが哲学用語として使用されていたのだが、一般ピープルにとっては、まったくもって「はあ?」って感じだろう・・・。

 しかし、何が「正」であるのか一義的に前提されることは無理がある。高校時代からそういう疑問は感じてきたが、本書を読むことによって、太陽を覆っていた黒い雲が去った、というような感想も抱いている。対話的原理としての弁証法は、そもそもがプラトンの対話編にもさかのぼるものであり、ギリシア哲学そのものなわけなのだ。

 ヘーゲル哲学を学んだカール・マルクス(1818~1883)は、いわゆる「唯物弁証法」で、さまざまな社会現象を考察しようとした。

 唯物弁証法についての評価はさておき、マルクス自身は19世紀ドイツの改宗ユダヤ人である。弁護士だった父親がドイツ社会への「同化」を選択し、キリスト教に改宗した。マルクス自身は、そもそもデモクリトスの唯物論哲学の研究から出発した人である。プラトンの観念論の対極としてのデモクリトスである。

 したがって、マルクス自身もギリシア哲学の流れのなかにいる人だ、ということになる。

 「反哲学」とはギリシア以来の正統派哲学に反旗を翻したニーチェ以降の哲学的立場であるが、日本人の立場から見れば、まったくもって同感を覚えるものである。ローゼンツヴァイクの哲学もまた、ドイツ観念論哲学に対する反旗であった。

 だから、著者もいうように、「対話の哲学」は日本人にも貴重な示唆を含んでいる。ただし、「対話」は「対決」ではない。「対決」はモノローグのぶつけあいに過ぎないからだ。「対話」はあくまでも「双方向性のダイアローグ」であり、「あなた」と「私」の相互作用である。

 「反哲学」については、また別の機会にふれることもあろう。


 長々と書いてしまったが、「対話の哲学」は、もともとの出発点であるユダヤ教の文脈を離れても、発展可能性の大きな哲学であることが、著者によって示されたといえる。

 おそらく時間がたてばこの本に書かれている細かい内容はは忘れてしまうだろうが、それでも何か一気に視界が開けていくような記がしたという記憶は残るだろう。そんな印象をもった本である。

 たとえ困難であっても、「対話」そのものの窓は開いておかねばならないし、「対話」への努力は放棄してはならない、と反省をこめて思うのである。



P.S. 改行を増やし読みやすくした。ただし、内容にはいっさい手を入れていない(2013年4月27日 記す)。 多少の文言の修正を行い、リンクも増やした(2016年1月20日 記す)。

PS2 画像の位置を変更し、あらたに「目次」と「著者プロフィール」を付け加えた。(2023年12月2日 記す)



<ブログ内関連記事>

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある
・・プラトンの対話篇に登場するソクラテスの方法は、対話相手自身に自分を気づかせる「産婆術」と呼ばれていた

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「ユダヤ哲学」あるいは「ユダヤ思想」は、ユダヤ人哲学者やユダヤ人思想家の哲学や思想というよりも、ユダヤ教の文脈における哲学や思想を指した表現である

書評『ユダヤ人とユダヤ教』(市川裕、岩波新書、2019)-「ユダヤ教」が規定してきた「ユダヤ人」を4つの側面からコンパクトに解説した本書は「世界」を理解するための「必読書」だ!

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ
・・ツヴァイク(=小枝)という名字のオーストリア系ユダヤ人の伝記作家は「同化ユダヤ人」であったが、結局はナチスの迫害を逃れてブラジルに亡命することになり、その地で自殺した

書評 『毒ガス開発の父ハーバー-愛国心を裏切られた科学者-』(宮田親平、朝日選書、2007)-平時には「窒素空中固定法」で、戦時には「毒ガス」開発で「祖国」ドイツに貢献したユダヤ系科学者の栄光と悲劇
・・ノーベル化学賞のフリッツ・ハーバーもまた「同化ユダヤ人」であった

書評 『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社文庫、2010)-脳梗塞に倒れた免疫学者による 「人間の尊厳」回復の記録

書評 『トラオ-徳田虎雄 不随の病院王-』 (青木 理、小学館文庫、2013)-毀誉褒貶相半ばする「清濁併せのむ "怪物"」 を描いたノンフィクション
・・ローゼンツヴァイクと同じく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という不治の病に苦しむ「病院王」

(2014年2月20日、7月14日、2016年1月20日、2023年12月2日 情報追加)


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