面白かった。裏方の視点から見た梅棹忠夫である。回想と幅広い視野と知識をもとに、著者なりの全体像を描いたものだ。
2010年に亡くなってから6年後の評伝。その評伝をさらに7年後に読む。『文明の生態史観』で著名な梅棹忠夫も、すでに過去の人になってひさしい。
だが、あらためて、その「予言」というか、未来を見通す目に注目したいものである。
現在は経済評論家を名乗っている東谷暁氏だが、いちばん最初の就職先は「民族学振興会千里事務局東京分室」だったという。そこに6年間在籍して「季刊民族学」の編集作業を行っていたのだとか。
「民族学振興会千里事務局東京室分室」は、分解すれば「民族学振興会」「千里事務局」「東京分室」となる。
その背後にあったのは、民族学あるいは民俗学をめぐって、東京と京都を中心とする関西とのあつれきを解消することだったという。梅棹忠夫は、いうまでもなく「京都中華主義者」であった。
■虚心坦懐に見ていれば、おのずから先が見えてしまう
自然科学者の視点で、虚心坦懐に観察し、あるがままにものを見るからこそ、ものごとの行く末が先が見えてしまうのである。老荘思想の無為自然というか、自然体というべきか。
もちろん、それがむずかしいからこそ、多くの人の目は曇ったままなのだが・・。
「行為者」であり、「実務家」であり、「明るいニヒリスト」であった梅棹忠夫。
「予言」というよりも「予見」といったほうが正確だと思うが、その「予言」を列挙してみれば、高度成長、ソ連崩壊、情報化社会、専業主婦の減少など数々ある。
「戦後日本社会」の変化を予言し、しかもその予言がことごとく的中したことは特筆すべきである。
帯に書かれた最後の「予言」とは「日本文明の終わり」というものだ。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。反発を感じる人もいるだろう。
だが、いずれにせよ、右肩上がりの上昇がないことは明らかだ。ふたたび登り調子になるのは、はるか先のことになるだろう。
19世紀前半の「文化文政時代」から始まった「日本文明」の興隆は、すでにピークアウトしたと考えるのが自然ではないか。
とはいえ、これはに日本が消えて亡くなってしまうことを意味しているわけではない。「日本文明」という「文明」が、その「ライフサイクル」の終わりに来ているということだ。わたしはそう解釈している。
文明というものは、すべて循環的なものである。ある文明が興亡し、つぎの文明が別の地域で興亡する。この繰り返しである。どんな文明も永続的ではない。「古代文明」だけでなく、「近代文明」もまたおなじ道をたどることになろう。
巨視的にみれば、そうなるだけの話だ。
■「ロシア解体」という「予言」
著者は「日本文明の終焉」を「最後の予言」とするが、それだけが「最後の予言」ではない。本書には指摘がないが重要な「最後の予言」について触れておこう。
それは鶴見俊輔と河合隼雄をまじえた鼎談の席での発言だが、「予言」というよりも「放言」というべきかもしれない。「思いつき」であるが、常人にはできない「思いつき」である。
それは『丁々発止』というタイトルの鼎談本だ。朝日新聞大阪支社から1998年にでた本である。朝日新聞の企画記事を単行本化したものだ。「20世紀末」であったからこその企画発想であろう。
わかいときから親しい梅棹忠夫と鶴見俊輔、世代的にはすこし下になる河合隼雄。なかなか面白い取り合わせだ。この3人はみな京都大学に籍を置き、京都の知的風土を熟知している戦後世代の論客たちである。
さてその「予言」だが、「ロシア解体」である。「ソ連解体」は最終段階ではなく、さらに「解体」」するであろうという「予言」だ。
梅棹 たとえば、ソ連邦という一種の巨大国家があったけれど、これもばらばらになってしまった。あれで、ソ連邦の第一次解体現象は進行したわけです。私は、まだ進行するとみているけどね。一見、EU(欧州連合)みたいな再編成というか、解体の反対の現象があるようにみえますが、同じことです。あれもまた、解体するやろな。
「関西独立論」の文脈で語っているが、その後のEUの動揺や、ウクライナ侵攻後に動揺するロシアの動向を見ていると大いにうなづくものがある。さすがやな、と。
しかも1998年の発言である。いまから25年前、四半世紀前の発言である。
まあそんな「放言」もふくめて、「予言者」としての梅棹忠夫の「発言」を検証してみるのも面白いことだろう。微視的にみることも大事だが、ときには大風呂敷で巨視的にみることも重要だ。
さて、はたして「ロシア解体」があるかどうか、その行く末もふくめて注視していきたいものである。欧米の見解の受け売りではない、日本発の自前の思想家の発言として。
目 次プロローグ 実現した予言と失われた時代第1章 「文明の生態史観」の衝撃第2章 モンゴルの生態学者第3章 奇説を語る少壮学者第4章 豊かな日本という未来第5章 情報社会論の先駆者第6章 イスラーム圏の動乱を予告する第7章 万博と民博のオーガナイザー第8章 文化行政の主導者へ第9章 ポスト「戦後」への視線第10章 行為と妄想エピローグ 梅棹忠夫を「裏切る」ためにあとがき
著者プロフィール東谷暁(ひがしたに・さとし)ジャーナリスト。1953年山形県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。大学在学中から国立民族学博嗣着化芋『季刊民族学』編集部で編集に従事。同博物館設立の中心人物で初代館長だった梅棹忠夫の知遇を得る。その後、『ザ・ビッグマン』編集長、『発言者』編集長などを歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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