スピールバーグ監督の映画『ミュンヘン』(2005年)を amazon prime video でひさびさに視聴した。日本公開は2006だから、17年ぶりということになる。
163分とはじつに長い。長いだけでなく、全編に張り詰めた緊張感と、主人公のメンタルダメージもあって、ものすごく消耗してしまう。自宅でPCで視聴していてもそうだ。
ミュンヘン・オリンピック大会の選手村で起こったイスラエル選手団虐殺事件。その報復は、「神の怒り作戦」として、パレスチナのゲリラ組織指導者11人暗殺として実行に移されることになる。
そのミッションのリーダーとしてまかされたのが、対外情報機関「モサド」に所属していた主人公であり、その暗殺ミッションの成功と苦悩を描いた作品だ。
暗殺が実行されるのは、ヨーロッパ域内のローマ、パリ、キプロス、それにベイルート、そしてアムステルダムである。
ターゲットを絞り込み、一般人が巻き添えになることは極力回避するのが基本方針である。暗殺の実行者メンバーは、みな「存在しないはずの人物」という扱いになっている。主人公もモサドから籍を抜いている。
だが、まったくカタルシスのない映画である。爆殺と乱射という暴力シーンが連続するからではない。
報復のための暗殺作戦ミッションの成功ストーリーに見えながら、じつはそうではないからだ。
数人の暗殺に成功したがゆえに生まれてくるジレンマと心理的コンフリクト。もうこれ以上は自分にはできない。そこまで追い詰められる主人公は、最後までコミットすることなく職務の継続を拒否する。
いろんな意味で、あまり後味のよい映画ではない。むしろ、問題をつきつけてくる映画である。
ひさびさに視聴してみると、さすがに17年もたっているためか、鮮烈に覚えているシーンとそうでないシーンがあることが確認される。
ゴルダ・メイア首相じきじきの依頼のシーンと、パリでの爆殺シーンなどは鮮明に記憶していたが、それ以外は忘れていた。記憶というものがじつにあいまいなものであるか実感する。
■1972年ミュンヘン・オリンピック大会
自分は1972年のミュンヘン・オリンピックは、リアルタイムで知っている世代だ。
男子バレーボール代表チームをアニメ化した『ミュンヘンへの道』を毎週見ていた。男子バレーボールは見事に優勝している。その年の2月には、札幌で冬期オリンピック大会があった。東京でも雪が降っていた。
もちろん、イスラエル人選手団の選手たちが虐殺された事件もリアルタイムで知っている。全員が選手村の宿舎で殺害されたと記憶していたが、それはまったく違っていた。2006年にこの映画を見ていたのに、1972年の記憶が修正されていない不思議さ。
イスラエル選手団虐殺事件は、「ミュンヘン・オリンピック事件」とよばれている。1972年9月5日のできごとだ。イスラエルのオリンピック選手11名が虐殺された事件は、それはもう衝撃的な事件であった。
犯行を実行したのは、パレスチナ武装組織「ブラック・セプテンバー」(黒い九月)である。
日本赤軍の岡本公三などが、イスラエルのテルアヴィヴの国際空港で26人の死者をだす乱射事件を起こしたのは、1972年5月30日のことであった。日本人テロリストがイスラエルでテロ事件を起こしていることを忘れてはいけない。
航空機をハイジャックする事件もひんぱんに起こっていた。1968年から1972年にかけては、日本を含めた先進国で極左テロの嵐が吹き荒れた時代である。そんなさなかで発生したのが、ミュンヘン・オリンピック事件だったのである。
■「第4次中東戦争」は「ミュンヘン・オリンピック事件」の翌年
ことし2023年10月7日の、パレスチナのテロ組織ハマスによるイスラエルへのサプライズ・アタックから3週間たった。
「ヨムキプール戦争」とよばれる「第4次中東戦争」は1973年10月6日が起こってから、ちょうど50年目のできごとであった。ただし、この戦争は映画には反映されていない。
2023年10月7日は「ヨムキプール」から始まるユダヤ教の祝祭日の最後にあたる「シムハット・トーラー」でシャバット(安息日)あった。イスラエルは、また隙をつかれたのである。
コンサート会場での一般人虐殺、キブツでの住民虐殺、人質を拉致するするなどのテロ行為を行ったハマスに対する攻撃が行われている。イスラエル側の死者は1400人にのぼっている。
ガザのパレスチナ人の一般民衆を巻き添えにした攻撃に国際的批判が起こっているが、それは当然だ。すでに5000人以上の一般人が空爆の巻き添えになっている。
イスラエルが公開したキブツでの虐殺現場の動画を見ていると、「ミュンヘン・オリンピック大会」での選手たちの虐殺シーンと重なりあうものがある。軍事衝突ではないのである。抵抗できない人質たちがマシンガンで虐殺されているからだ。
軍事衝突なら、軍人が戦場で解決すればいい。だが、一般人を対象にしたテロの場合は、そうはいかない。テロに対してテロで応酬せよという声が、かならず起こってくるからだ。
被害者遺族よりも、むしろ直接の当事者ではない一般国民の報復感情が燃え上がりやすいからだ。ホロコースト後のユダヤ人の場合は、なおさらであろう。
実際、モサドとシンベットが共同で「ニリ」という特殊部隊を創設している。要人暗殺作戦が何年にもわたって実行されるのであろう。「黒い9月」のケースにおいても、最後のターゲットが暗殺されたのは、事件から約7年後の1979年であった。
だが、テロに対する報復感情は、なにものも生み出さない。なぜなら、テロは行為そのものであるが、テロの背後には思想があるからだ。テロの指導者を抹殺したところで、その思想の継承者がまた生まれてくる。
そんなセリフを主人公に語らせているスピールバーグ監督は、ユダヤ系米国人であるが、イスラエル人ではない。この映画は、公開当時はイスラエルでは批判も多かったという。その意味を考える必要がある。
この映画が製作され公開された2005年は、米国で「9・11」テロが起こった2001年から4年後のことであった。
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・・連続して暴力シーンを見せられることになる観客は、いったい「ドイツ赤軍」(RAF:Rote Armee Fraktion)とは何だったのかと自問自答せざるを得ない。
■スピールバーグ監督映画
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