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2017年12月30日土曜日

書評『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)ー きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある



『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)というタイトルの本が5年前の2012年に出版されている。

いまからちょうど500年前の話であるから、2017年に出版したら、もっと売れただろうにと思いながら、こういう本は2017年内に読んでおきたいものだと思っていた。いやむしろ、2017年になるまで、5年間読むのを待っていたというのが正直なところだ。読むのを楽しみにしていた。

内容は、一言で要約してしまえば、「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」といっていいだろうか。

これではあまりにも抽象的すぎるので、もうすこし具体的に書籍内容について触れると、「きわめて大きな変化」とは、15世紀以降に西洋文明において一大潮流として発展し、ついには19世紀から20世紀にかけて猛威を振るった「唯物論」のことであり、「きわめて小さな偶然の出来事」とは、「唯物論」的な思考の萌芽が記された古代ローマの哲学書が「再発見」されたことを指している。

(15世紀ボッティチェッリの「春」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

「再発見」ということは、15世紀まで約千年にわたって誰一人として知る人もなく埋もれていたということ。イタリア人の人文学者で古書マニアの男が、とある修道院の書庫のなかにその写本を見つけなければ、その後も知られることもなく埋もれ続けた可能性があった。つまり、千年にわたる「断絶」があり、歴史は「連続」していないということなのだ。

「再発見」したイタリアの人文学者の名は、ポッジョ・ブラッチョリーニ。といっても無名に近い存在だが、彼はローマ教皇ヨハンネス23世の下で、秘書官・書記として仕えていた。15世紀当時、文字が読めて筆記できるものは、きわめて少なかったことに注意しておきたい。

「再発見」した場所は、南ドイツの修道院の書庫(アーカイブ)だ。失職後のポッジョが自分の趣味の古写本探索のために数多くの修道院を訪問したが、なぜかその南ドイツの修道院にはキリスト教関係以外の羊皮紙写本も残されていたのだ。

(15世紀ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

書庫のなかから探り出したのが、紀元前50年頃に書かれた詩人ルクレティウスによる『物の本質について』(De rerum natura)であった。ラテン語で記されたものだけに、「再発見」も可能だったのであろう。当時の西欧世界はラテン語が文字言語であった。

『物の本質について』は、ヘレニズム期のギリシア人哲学者エピクロスの原子論をベースにしたものだ。先にもみたように、19世紀の「唯物論」の先駆である。キリスト教の神中心ではなく、あくまでも人間中心の世界観を描いたもの。岩波文庫版の日本語散文訳で300ページ以上もある長編だ。

一人の古書マニアが「再発見」した本は、さらに写本が作成されて広まっていく。グーテンベルクによる印刷術発明以前のことであることにも注意しておきたい。その写本がさらに筆者されて多くの人びとを魅了し、ルネサンスへ、さらには近代科学へと影響を拡大していくことになる。

もしこの「再発見」がなかったなら、近代科学の発生はなかったかもしれない。じっさい、15世紀当時には高度文明であったイスラーム世界から近代科学は生まれなかったし、ユダヤ教からも生まれてこなかった。もちろんキリスト教からも生まれてこなかったであろう。仏教その他の宗教からも同様だ。


原著タイトルは、 The Swerve: How the World Became Modern, 2011 直訳すれば、『逸脱-いかにして世界は近代になったか-』となる。では、「逸脱」とは、何からの「逸脱」か?

それは西欧中世を支配してきたキリスト教からの「逸脱」であった。キリスト教から排除された原子論という唯物論、である。

古代ギリシアやローマの遺産は、地中海地域の南側を征服したイスラーム勢力によって、アラビア語に翻訳され貪欲に吸収されていった。アリストテレス哲学が、アラビア語からラテン語に再翻訳され西欧キリスト教思想に多大な影響を与えたことは教科書的知識として知られている。聖トマス・アクィナスの『神学大全』は、アヴィセンナ(=イブン・シーナー)やアヴェロエス(=イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈がなければ成り立ち得ないものであった。

だが、おそらく後世の唯物論につながる原子論は、イスラーム側で選択的に排除されたのであろう。アラビア語に翻訳されることがなかったのである。だからこそ、埋もれたまま知られることなかったのだ。シェイクスピア研究が本職の著者は、この点についてはなんら言及していないが、西洋人ではない日本人読者にとっては重要なことだ。

本書でよくわからないのは、ルネサンス期に主流となったネオプラトニズムとの関係だが、思想史の本ではないので、そこまで求めるのは酷と言うべきかもしれない。また、「唯物論」の歴史については、別の本をひもといてみなければならないだろう

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」ということは、あらためて強調しておいたほうがいいだろう。古代ローマの長編詩を写本のなかから「再発見」し、それを広めようとした本人も、まさか原子論が唯物論を生み出し、20世紀の世界史を激動のなかに投げ込もうとは予想だにしなかったであろうからだ。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史は変わっていたであろう」と書いたのは、17世紀フランスの科学者で哲学者のパスカルだが、その仮定が妥当であるかは別にして、そんなことはクレオパトラ自身のまったくあずかり知らぬことであったのは間違いない。

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」とは、カオス理論でよく引き合いに出される「バタフライ効果」のようなものだが、後世にいかなる大変化がもたらされるかなど、現在に生きる人間にはまったくわからない。あくまでも後世から振り返ると、それが出発点であったとわかるだけだ。事後的な確認事項である。

だが、大変化を引き起こすことになった偶然の出来事について書かれた物語を読むのは面白い。著者のストーリーテリング能力もすばらしい。最初はやや退屈な感があったが、読み進めるに従って面白くなっていく。そんな本である。





目 次


第1章 ブックハンター
第2章 発見の瞬間
第3章 ルクレティウスを探して
第4章 時の試練
第5章 誕生と復活
第6章 嘘の工房にて
第7章 キツネを捕らえる落とし穴
第8章 物事のありよう
第9章 帰還
第10章 逸脱
第11章 死後の世界
訳者あとがき
解説 池上俊一

参考文献
索引





著者プロフィール

スティーヴン・グリーンブラット(Steven Greenblatt)
1943年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学教授。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリッツァー賞、全米図書賞受賞。著書にはこのほかに日本語訳されているものとして、『シェイクスピアの驚異の成功物語』、『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』など多数ある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


日本語訳者プロフィール

河野純治(こうの・じゅんじ)

1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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2013年5月5日日曜日

書評『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)― この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう



2013年度のNHK大河ドラマ 『八重の桜』の主人公は、会津藩の砲術指南役の家に生まれた新島八重(=山本八重)が主人公である。

女だてらに鉄砲を打ちたいと熱望し、不屈の努力で技術をモノにした八重。戊辰戦争における会津戦争の際には、なぎなたではなく鉄砲をかついで実戦に参加、会津落城後はのちの同志社創立者の新島襄と再婚して近代女性として時代を先導した。

だが、わたしはその兄であった山本覚馬こそほんとうの主人公なのだと考えている。そう思いながらこのドラマをみるとより面白くなるのではないかと思う。なぜなら、あたらしい女性であった新島八重であるが、その人生をたどってみると12歳と年齢の離れた兄から多大な感化を受けつづけた人生であったことがわかるからだ。

女性を軽視しているのではない。それほど山本覚馬という人があまりにも傑出した「人物」であったのである。すぐれた人物をごく身近にもてば、その人をロールモデルとして模倣し、自分の人生をつくりあげるのは不思議でもなんでもない。だから、そのような兄をもったことは、新島八重にとっては幸せ以外のなにものでもなかったといって差し支えない。

山本覚馬を主人公にした小説仕立ての伝記もあるが、まずは『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2012)を推奨しておきたい。この本は、昭和3年に同志社が発行したものである。その復刻版が京都ライトハウスから1976年に出版されているが、そのまた最新の復刻版である。

盲人の福祉を目的とした京都ライトハウスから『山本覚馬伝』が再刊されたのは、山本覚馬が成人になってからだが全盲になった人であり、かつ維新後の京都復興に貢献した人であるからだろう。

山本覚馬(1828~1892)について一言で要約すれば、「この人がいなければ維新後の京都復興はなかった」、ということに尽きる。

その意味については、おいおい語ることとしたいが、幕末には政治の中心舞台となった京都であったが、遷都後は急速にさびれてしまった京都に、全盲となった会津人・山本覚馬が京都にいたということがなければ、京都復興はならなかったかもしれないといっても過言ではない。


西欧近代文明の粋を極めつくした山本覚馬

砲術師範の家に生まれ、砲術を一生の職業とするべく運命づけられ、その道を極めたということは、武士でありながら技術に明るく、しかも高度な技能の習得はきわめて職人に近い精神構造が養われていたことを意味している。
   
彼が生きていた幕末は戦争の時代であり、同時代で戦争のつづくヨーロッパや国を二分する激しい内乱状態にあったアメリカでは銃器のイノベーションが飛躍的に進展していた。とくに南北戦争終了後のアメリカからは最新式のライフルが大量に輸入されている。めまぐるしいまでの技術革新の渦のなかにいたわけだ。
   
彼の生涯は、西欧近代文明の粋を家職である砲術から始め、佐久間象山のもとで学んだ蘭学をつうじて西欧の社会制度全般、そして最後は新島襄をつうじてキリスト教まで至ったものであるということもできよう。工学から自然科学、社会科学、そして精神科学という道筋ということもできるだろう。
   
砲術家だけに数理的能力が高く、経済にも明るかった理詰めの人。余談になるが、江戸時代の日本では数学がブームだったという背景を知っておくことが必要だろう。カネがかからないひまつぶしとして、数学の難問を解くことが一般庶民レベルまで流行っていたらしい。
     
蘭学においては佐久間象山の弟子であり、横井小楠、勝海舟といった傑出した人物との交友、また親友が明治初期の啓蒙主義者であった西周(にし・あまね)であったことからも、知の側面での人物像は了解されよう。積極的に外国人とも交友していた。

山本覚馬は、文武両道を絵にかいたような人物であったことが本書でわかる。アタマが切れるだけでなく深く思考することのできる人で、しかも負けん気のつよく、強く腕っぷしもつよい大柄な男であったようだ。全盲になってからは心眼も研ぎ澄まされたことがエピソードによって知ることができる。

そしてなによりも、つねに国全体のことを考えていた人であった。

そんな人物が新首都・東京ではなく、京都に定住したということ、それが大きな意味をもったのである。


山本覚馬が京都復興に果たした役割

青山霞村による『山本覚馬伝』が不思議なのは、山本覚馬の伝記的事実よりも、京都府顧問として京都の復興と近代化にいかなる分野で貢献したかを詳細に、具体的にたどっている点にある。

その意味では異色の伝記であるが、山本覚馬と京都とのかかわり新島襄がなぜ同志社を京都に建学することになったのかなど、「京都復興」事業のなかに位置づけることが可能となる。山本覚馬は、同志社の発起人でかつ命名者でもあった。

そのためには、編者の住谷悦治氏が、まずは目次を丹念にたどるべきことを推奨している。そのアドバイスにしたがって目次を見ておこう。小項目はあまりにも多いので省略した。

目 次

緒論

少年時代 壮年時代
京都勤務
幽囚
京都府顧問

日本最初の小学校
中学校創立 英学校
ドイツ学校とフランス語学校
女紅場、府立第一高等女学校、遊廓の女紅場
府立療病院と付属医学校(今の府立医科大学)創立及び精神病院 駆黴院
集書院
京都最初の活版印刷 新聞発行
物産引立所
勧業場 集産場 授産場
舎密局 アポテキ
織殿 染殿
製革と製靴 化芥所
博覧会 博物館
都踊り
伏見製作所
梅津製紙場 一名パピールファブリック
写真用レンズの模造
牧畜場 農学校 養蚕場 栽培試験所
童仙房の開拓
電信線架設と私設鉄道敷設発企
霊山招魂場
小野組転籍事件、槇村大参事の拘禁とその釈放運動
フランスへ留学生派遣
新施設の廃絶、失敗、犠牲

同志社創立その他

京都府会議長

先生の経済思想
家庭と講帷 晩年
山本覺馬先生の逸事

山本覺馬年譜

すでに都ではなくなっていた京都という「地方都市」の復興に大きな功績のあった山本覚馬であるが、もし東京で仕官していれば歴史から忘れ去られることもなかったろう。

だが、それは運命のめぐりあわせというものだ。いや、あえて意思のチカラで京都に残ったのか。

幕末と明治維新という大激動期に会津藩に生まれ、主君が京都守護職についたため京都に駐在し、京都で全盲となり、鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の捕虜となり、口述筆記による社会改造計画の「管見」(意見書)を薩摩藩主に提出、新政府のもとで京都に残り、そのプランをもとに京都復興に大いなる貢献をしたという生涯。

キリスト教徒として一生を終えた山本覚馬は、思想家としてよりも実践家として人生をまっとうした人である。この人が新島襄と出会わなければキリスト教徒になることもなく、妹の八重が京都にきて新島襄と結婚することもなく、また同志社が京都に建学されることもなかったのである。

偶然を必然に変えた人生といってもいいかもしれない。おなじ時代に生きている人たちのために貢献した人生である。そしてその結果、一時は忘却されたが、いまふたたび見出されつつある。

山本覚馬という人こそ、ドラマのほんとうの主人公であるというのは、そのことなのだ。


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<関連サイト>

日本ライトハウス80年のあゆみ(公式サイト)

NHK大河ドラマ 『八重の桜』(公式サイト)

国立歴史民俗博物館 「歴史のなかの鉄炮伝来」(2006年度企画展示)




<ブログ内関連記事>

・・山本覚馬が取り上げられている

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山本覚馬と新島八重についても「敗者」となった会津藩関係者として取り上げれている

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道活動によって綾部で洗礼を受けたキリスト教徒

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録
・・「7歳で完全失明、15歳で突然視力を回復、自殺未遂、人生40年と見定めての10年間の放浪生活と思索の日々」を送った "沖仲仕の哲学者" ホッファー

コロンビア大学ビジネススクールの心理学者シーナ・アイエンガー教授の「白熱教室」(NHK・Eテレ)が始まりました
・・高校時代に病気によって視力を失った心理学者による授業。この授業を TV で見る限り、授業内容がこまかい事実や数字まで含めてすべて教授のアタマのなかに入っており驚かされる

書評 『まっくらな中での対話』(茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク、講談社文庫、2011)
・・人為的に視覚が効かない世界で、聴覚と触覚をフルに使用する世界を体験

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

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2011年10月18日火曜日

三宅一生に特注したスティーブ・ジョブズのタートルネックはイタリアでは 「甘い生活」(dolce vita)?!


 Facebook や Twitter などの SNS でいろんな人たちとやりとりをしていると、ときどき面白い発見をすることがあります。

 誰かのあるひとつのつぶやき(tweet:さえずり)を偶然みて、そのなかに書かれていた内容がタグとなって、自分のアタマのなかの「引き出し」を刺激し、連鎖反応的にイモヅル式にさまざまな知識や情報を引き出してくることがあるのですね。「ユーレカ!」体験というのか、「ピン!」体験というのでしょうか?


タートルネックはイタリアでは 「甘い生活」(dolce vita)?

 今回はそんな話の一つとして、先週 56歳で亡くなったスティーブ・ジョブズから始まる話です。

 イタリアの首都ローマ在住の平島幹さん(@Harishuma)のツイートに目がとまりました。実名公開されているツイートですので、そのまま引用させていただきましょう。なお太字ゴチック部分はわたしによるものです。

タートルネックのことをイタリアではdolcevita、ドルチェヴィータっていうんですけど、ジョブスがdolcevitaを三宅一生に注文、というようなタイトルで一瞬何が何だか分かりませんでした。世界的に巡ったんですね。このニュース。ちなみにやっぱりフェリーニからの命名ですって。

 このツイートをみてすぐにピンときたわたしは、このつぶやきをすぐにリツイートして、平島さんにはこう返事を書いて送信しました。

『甘い生活』ですね。ローマの!

 この返事にいただいた返事はこういうものです。

そうです、そうです。マルチェッロが映画で着ていたタートルネックが人気を博し、「ドルチェヴィータ」と呼ばれるようになったんだそうです。

 というわけで、スティーブ・ジョブズ ⇒ ジョブズといえば黒のタートルネックにジーパンがトレードマーク ⇒ ジョブズが三宅一生に500着を特注 ⇒ イタリア語ではタートルネックのことを docevita という ⇒ フェリーニの dolcevita ⇒ 日本語では『甘い生活』として公開 ⇒ 主人公のマルチェッロ・マストロヤンニ ⇒ かの有名なトレヴィの泉のシーン.... と連想が拡がっていくわけです。

 まさか、スティーブ・ジョブズからフェデリーコ・フェリーニの傑作『甘い生活』に連想がいくとは、思いもつかないことでしょう。

 これは、たまたまわたしが Twitter やっていて、たまたまタイムラインにあるツイートに反応し、ジョブズの映像をなんども見てその印象が焼き付いており、しかもむかし『甘い生活』という映画を見たことがあり、イタリア語も多少はわかる、といったさまざまな前提条件がその一点においてスパークしたということなわけです。

 三宅一生の件は正確にいうと、すでに生産停止された商品であったにもかかわらず、ジョブズが気に入っていた一着をサンプリングさせてまで「特注」したということのようです。500着あれば一生分困らないだろうということで。



 手持ちのイタリア語の辞書を引いてみました。『小学館 伊和中辞典』(小学館、1983)の項目 dolce には、dolce vita として以下のように説明されています。

dolce vita 甘い生活。(◆本能のまま自由に遊び暮らす生活を指す。Fellini 監督の映画 "La Dolce Vita"(1959)から一般化)。

 説明はこれだけで、タートルネックの説明は書いてありません。ファッション用語辞典で見たらいいかと思いましたが、前回の引っ越しの歳に古本屋に売り払ってしまったことを思い出して残念。

 試みに doce vita と turtleneck でキーワード検索すると、じっさいにファッション関係のサイトがたくさんでてきます。Dolce-Vita Turtlenck でひとつづきの表現のようです。たとえば男性ファッション誌 GQ のサイトには Top ten Italian style on screen と題した記事があって、In Italian a turtleneck jumper is called a "Dolce Vita" jumper after the looks sported by Marcello Mastroianni in this film. と書かれています。

 そもそもタートルネックは英語の turtle neck で、日本語に直訳したら「カメの首」。そのものずばりで面白い表現ですが、イタリア語の dolce vita のほうがシャレてますよね。

 マルチェッロ・マストロヤンニが『甘い生活』のなかで着ていたというタートルネック、どんなものか見てみたくてひさびさに DVD で視聴してみました。

 ほとんど20年ぶりくらいに見る『甘い生活』は有名なトレヴィの泉のシーン(・・上掲のDVD画像)以外はほとんど何も覚えていないことに驚かされましたが、もしかしたら偽りの記憶として、見たつもりになっていたのかもしれません。

 それは冗談として、今回じっくりと見てみて、これはまったくもって傑作だと再認識した次第です。

 舞台設定は 1960年のローマのセレブの世界と上流社会ですが、戦争から15年たったローマでは古代ローマさながらの『虚栄の市』(Vanity Fair)ともいうべきか、乱痴気騒ぎと終わったあとの虚しさの繰り返し。フェリーニはもともと『バビロン紀元二千年』というタイトルを考えていたというのも頷ける話でです。

 セレブたちに群がるパパラッツィ。そうか、主人公の友人でカメラマンのパパラッツォが転じてパパラッツィ(paparazzi)というコトバが生まれたのだったか。流行語を生み出したのは、タートルネックだけではなかったわけですね。

 現代人の倦怠と孤独を描いたこの映画をいま見て楽しめるのはは、わたし自身の年齢によるのかもしれません。「バブル時代」を経験してるものの、20年近くたったいまなら客観的に突き放して見ることもできるわけです。

 ところでマストロヤンニ自身はその『マストロヤンニ自伝-わが映画人生を語る-』(押場靖志訳、小学館、2002)のなかで、『甘い生活』を機会に米国人からつけられた「ラテン・ラヴァー」(Mr. Latin Lover)というニックネームにずっとつきまとわれていたのには、心底ウンザリしていたことを述懐しています。

 『自伝』には、タートルネックについてのマストロヤンニ自身による言及はありませんが。


三宅一生に特注したスティーブ・ジョブズの黒のタートルネック

 若い頃に ZEN に傾倒し、カリフォルニアで日本人の禅僧から親しく教えを受けていたスティーブ・ジョブズの黒いタートルネック姿には、なんだか枯れた禅僧のような雰囲気を感じるのですが、そのジョブズと「甘い生活」が結びつくとは、さすがにイタリア人でもどう思うのだろうかと考えてしまいます。

 あるいは、dolce vita は、たんなる普通名詞として、何も考えないでクチにしているのかもしれません。日本語でも、元の意味はとうの昔にわからなくなったまま使われているコトバはいっぱいありますからね。

 偶然ツイートを見ることから始まった「アタマの引き出し」の旅これこそセレンディピティというべきかもしれません。

 セレンディップというスリランカの王子に由来するセレンディピティ(serendipity)とは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力のことを意味しています。

 偶然のキッカケから別の価値あるものを見つけるためには、アタマのなかに「引き出し」が不可欠という事例になっているかもしれませんね。

 わたしにとっては、じつに面白く楽しい旅でした。



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・・教授は学生に『Zen and the Motorcycle Maintenance』という哲学書を読めと強くすすめていたことを思い出した。

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(2014年9月1日 情報追加)


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