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2024年8月15日木曜日

「アジアは一つ」(Asia Is One)という名言はインドで生まれた! ― 『岡倉天心とインド 「アジアは一つ」が生まれるまで』(外川昌彦、慶應義塾大学出版会、2023)を読む



岡倉天心といえば『茶の本』が有名だが、この本は "The Book Of Tea" というタイトルで1906年に英語で出版された本だ。だから原文は英語である。 

岡倉天心がつくったフレーズでもっとも有名なものは「アジアは一つ」(Asia is One)であろう。 このフレーズも、最初から英語で発表されたものであり、日本語訳は本人によるものではない。

これほど誤解を生み出し、毀誉褒貶(きよほうへん)に満ちた表現はほかにはないかもしれない。だが、もともとこのフレーズは「美術史」の文脈のなかで生まれたものだ。  

「アジアは一つ」というフレーズが生まれたのは、岡倉天心がインドに9ヶ月滞在していた1902年(明治35年)のことであった。 

このテーマを全面的に取り上げたのが、『岡倉天心とインド ー 「アジアは一つ」が生まれるまで』(外川昌彦、慶應義塾大学出版会、2023)である。学術書だが一般書として読むこともできる。




著者の外川氏は、ベンガル地方での長年にわたるフィールドワークの記録を、『聖者たちの国へ ー ベンガルの宗教文化誌』(NHKブックス、2008)として一般書にまとめている人だ。

現在ではイスラームのバングラデシュと、ヒンドゥー教のインドの西ベンガル州に分断されているが、ベンガル地方はもともとベンガル語という共通語をもつ地域であった。

天心が向かったのは、当時は植民地支配者の英国が本拠地としていたベンガル地方であった。


■インド体験は岡倉天心にとっての人生のターニングポイント

1902年の9ヶ月にわたるインド滞在は、明治政府の美術行政からキャリアを開始した岡倉天心にとって「人生の転換点」となった。そのとき、天心は39歳であった。 

公私にわたるごたごたを払拭するかのようにインドに渡った天心。当時のインドは、英国による植民地時代であった。天心が滞在したのは、首都がデリーに移転する前のベンガル地方であった。 

インド渡航の目的であったのが、ベンガル生まれのヴィヴェーカーナンダ(Vivekananda)を日本に招くため、本人と直接と会うことであった。


(1903年シカゴでのヴィヴェーカーナンダ Wikipediaより)


ヴィヴェーカーナンダは、聖者ラーマクリシュナの弟子で、ヒンドゥー教の復興運動を主導した知識人でもある。宗教と精神性を核にして、インド人としての自覚を促し、まずは精神的独立を目指す運動を移動した人物であった。

同世代であるだけでなく、1863年生まれの同年齢であった天心とヴィヴェーカーナンダその出会いと、インド美術をめぐる旅をつうじて深めた意気投合し、深い対話をつうじて生まれてきたのが、「アジアは一つ」というコンセプトだったのだ。 

だが、ヴィヴェーカーナンダとの出会いは、その年にヴィヴェーカーナンダが死去したことで終わる。享年39歳。あまりにも早い死であった。

残りのインド滞在中、天心はヴィヴェーカーナンダの系譜にある詩人タゴールとともに過ごしている。天心のインド体験は、ヴィヴェーカーナンダとの出会いに始まり、タゴールとの交流で深まっていったのである。

ナショナリストであり、かつインターナショナリストでもある。この両面性を兼ね備えていたのが、岡倉天心であり、ヴィヴェーカーナンダであり、タゴールであった。



「アジアは一つ」とは、「多様性のなかの統一」そのもの

「アジアは一つ」とは、「多様性のなかの統一」そのものである、多言語で多宗教という、多様性に充ち満ちたインドに身を置いていたからこそ生まれてきたといっていいだろう。

19世紀当時の欧米の学者の偏見に満ちた美術史ではなく、アジア人の視点から美術史を書き直す運動、そのなかから生まれ出てきたのである。 

もちろん、中国とインドだけでも大きく違っているのに、ましてや「アジアが一つ」なわけがないだろう、そう主張する人も少なからずいるはずだ。だが、地球全体のなかでみれば、やはり「アジア性」というものが存在するといわざるを得ないのではないか。 

天心の趣旨は、インドで生まれた文明が中国に伝播し、そのインド文明と中国文明の精華が融合したのが極東の日本だというものである。

わたしは、アメリカ留学中にアジアからの留学生たちと親しく接するなか、天心のこの「アジアは一つ」というフレーズを思い出し、大きくうなづくものを感じたのである。

多種多様なバックグラウンドをもったアジア人だが、明らかに欧米人とは違うアジア人。そう、アジア人はアジア人以外のなにものでもない。自分もまた「アジア人としての自覚」をつよく抱いたのであった。 



■英語圏の読者にむかって英語で発信しつづけた岡倉覚三

もともと、内村鑑三や新渡戸稲造などと同様、天心は「英語名人世代」の人であり、漢文を習う前に横浜で英語を習得していた人である。

その天心は、インド体験の1902年以降は英語圏の読者に向けて英語で書くことになる。だが号である天心名義ではなく、本名の Kakuzo Okakura(=岡倉覚三)名義である。

生前の天心は、英語著作の日本語訳はけっして許さなかったという。最初から英語で、インドを含めた英語圏の読者に向けて書いた本は、日本語読者を意識したものではなかったのだ。 日本語による著作とは読者層も目的も異なっていたのである。


わたしは、天心ゆかりのボストン美術館を訪れた際に、ミュージアムショップで "The Book Of Tea" のペーパーバックを購入した。天心は、 英語圏では Kakuzo Okakura として、現在に至るまで読まれ続けている。


(かつて名古屋にあったボストン美術館の日本館は2018年に閉鎖)


そしてわたしは、アメリカから帰国してから3年後、はじめてインドを訪れた。1995年のことである。

そして本日(2024年8月15日)は、「インド独立」から77年にあたる。だが、残念なことに、それはインドとパキスタンの「分離」をともなったものであった。

ベンガル地方もまた、東パキスタン(現在のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州に分離してしまったのである。


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目 次
地図/年表/凡例 
序章 
第1章 岡倉天心のインド体験 
第2章 越境するアジア知識人 
第3章 岡倉天心の「転向」 
第4章 ヴィヴェーカーナンダと日本 
第5章 インド社会像の探求 
第6章 反響するインド美術史観 
終章 切り開かれた地平 ― 多様な「アジア」へ 
初出一覧 
あとがき 
参照文献/注/事項索引/人名索引 


著者プロフィール 
外川昌彦(とがわ・まさひこ) 
1964年生まれ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。1992~1997年にインドに留学し、ベンガルの農村社会で住み込み調査を行う。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士号(社会学)。専門は、文化人類学、宗教学、ベンガル文化論。



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2024年8月7日水曜日

ベンガル出身で日本国籍のバングラデシュ人が書いた本を読んで、近代以降のベンガルと日本の深い絆を再確認する(2024年8月7日)ー すべては詩聖タゴールと岡倉天心の出会いと深い交流から始まった


 
バングラデシュ情勢が流動化している。 学生が主体のデモが数百人の犠牲を生んだすえに暴動に発展し、一昨日(2024年8月5日)にはついにハシナ首相が退陣して国外脱出という事態になった。

ハシナ元首相にかんしては、10年以上前のことになるが、東京で開催された海外直接投資のセミナーで見たことがある。小柄だがエネルギッシュな女性であった。フィリピンのアロヨ元大統領もそんな感じだったな。

そんな元首相も、長年にわたって統治をつづけるうちに権威主義低傾向が強まり、軍隊をつかって反対派の声を封じる挙にでて、その結果かえって大きな抵抗運動を生み出すにいたったのであろう。

今後のバングラデシュ情勢は要注視である。現在は首相退陣に大きな役割をはたした国軍が治安維持を行っているが、平和裏に総選挙が実施されることを願うばかりだ。

すでにヒンドゥー寺院襲撃など少数派への暴力行為が発生していると報道されている。民主主義の枠組みのなか、選挙をつうじて過激なイスラーム主義者に乗っ取られないことを望みたい。

バングラデシュといえば、発展途上国のソーシャルビジネスを支える「マイクロクレジット」の生みの親で、グラミン銀行の創設者で元総裁のユヌス博士のことは知っている人も少なくないと思う。2006年にノーベル平和賞を受賞している。  

ユヌス博士は、崩壊した前政権と対立して総裁退陣を余儀なくされていた。学生の熱い支持のもと、再浮上してきたのがムハマド・ユヌス氏だ。ユヌス氏は「(1971年のパキスタンからの独立につぐ)第二の解放だ!」という第一声を発している。84歳のユヌス氏は、暫定政権の首相になることが期待されている。





■在日バングラデシュ人という視点

 さて、こんなときだからこそ積ん読となっていたバングラデシュ関連書を読む絶好の機会である。 

まずは、『パンツを脱いだその日から ー 日本という国で生きる』(マホムッド・ジャケル、ごま書房新社、2022)という本から。副題には「日本社会の一員となったバングラデシュ人の物語」とある。  

大学に入るため日本にはじめて来て銭湯に入った際、番台のオバチャンから言われたのが、「パンツを脱ぎなさい!」という一言。 この一言が、人前ではハダカにならない文化に育った著者のプライドを崩壊させ、そして同時に日本人に生まれ変わった瞬間であった、と著者は回想している。 

貧困国のバングラデシュに生まれ育ち、不法滞在していた兄の影響もあって「憧れの国」日本にやってきた若き著者の苦労の物語

転々と職を変え、日本社会で生きる苦しさを味わいながらも、残り物には福があるというべきか、最終的に著者は日本企業ハクキンカイロの正社員となり、バングラデシュ人と結婚しながらも日本国籍を取得することに成功する。

ムスリムでありながら酒が好き、バングラデシュ人の妻と結婚する前のことであるが、惚れやすい体質など、なかなか人間くさい人物のようだ。


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目 次
まえがき 
第1章 バングラデシュに生まれて 
第2章 日本への旅立ち前夜 
第3章 日本という国で生きる 
第4章 日本の人たちと関わって 
第5章 日本人のひとりとなって 
第6章 日本とバングラデシュの架け橋へ

著者プロフィール
マホムッド・ジャケル(Mahmud Jaker)
1972年、バングラデシュ独立戦争中に生まれる。フェニ県ダゴンブィヤンプロショバゴニプル村出身。アジアの最貧困と言われたバングラデシュで青春期を過ごし、1994年4月に来日。出稼ぎも兼ねた外国人留学生として日本語を学び、城西国際大学人文学部(千葉県東金市)に入学。在学中にバングラデシュの現状を訴えたスピーチで、「留学生日本語弁論大会」NHK大阪社長賞を受賞。また翌年には「留学生スピーチコンテスト」で毎日新聞社賞を受賞。卒業後は外国人労働者として、仕事を転々としながら入国管理局や大阪府警察本部などで民間通訳人(日本語ーベンガル語)も担当する。2003年にはハクキンカイロ株式会社に入社し、現在に至る。仕事の傍ら、バングラデシュ人留学生に日本生活情報支援を行い、2019年にはNPO法人関西バングラディシュソサイエティ(KBS)を設立。日本とバングラデシュの架け橋になるため、在日バングラデシュ人には日本の文化を、日本人にはバングラデシュの文化を伝えている。また、現在は日本国籍を取得している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■インドの詩聖タゴールはバングラデシュでも絶対的存在 

それにしても印象的なのが、全編にわたって「タゴールの詩句」が何度も引用されることだ。数えてみたら13箇所もあった。 

ラビンドラナート・タゴール(1861~1941)は、英国の植民地時代のインドが生んだ、インドを代表する詩人で万能のアーチストである。 「詩聖」として讃えられている。

アジア人ではじめてノーベル賞(文学賞)を受賞した人だ。日本でいえば大正時代のことであり、日本でもタゴールのブームが巻き起こったらしい。 日本にもなんども来日している。

母語であるベンガル語で書いた詩集『ギーターンジャリ』(=歌の捧げ物)をみずから英語にした詩集が受賞対象となった。 

ベンガル語は、インド北東部のベンガル地方でつかわれていることばだが、ベンガルはインド独立後にイスラームとヒンドゥー教が「宗教分断線」となって、ムスリムが多数派のバングラデシュとヒンドゥー教徒が中心のベンガル州に分離されてしまったのである。

タゴールというとインドという連想があるのだが、じつはベンガル語地帯のバングラデシュでも、きわめて大きな存在であることが、この本を読んでよくわかった。バングラデシュの国歌もタゴールの詩に曲をつけたものだという。インドの国歌については言うまでもない。

というわけで、森本達雄訳註の『ギタンジャリ』(第三文明社レグルス文庫、1994)も引っ張り出してきて一緒に読む。

岩波文庫その他にもベンガル語からの訳と英語版からの訳が収録されているが、レグルス文庫版では英語原文も収録されているのがいい。  





■近代以降のベンガルと日本の深い絆を再確認する

そんなバングラデシュも含めたベンガル地方と日本の関係は、近代に入ってからだが、じつに深くて熱いものがあることは、日本人全体の常識にしておきたいものだ。 





在日30年で、日本語に堪能な日本国籍のバングラデシュ知識人が書いた本だ。 

このテーマは自分としては、昔から比較的よく知っている。「悲惨なインパール作戦、インドからはどう見えるのか 「形を変えて」インド独立につながっていた」 という記事も書いたことがある。

だが、本書を通読してみて思ったのは、じつによく調べ、じつによくまとまった良書であると感じた。日本人こそ読むべきだと大いに薦めたい。 

なによりも、バングラデシュ人である著者が、ベンガル人として書いた本であることが重要だ。カバーの肖像写真はタゴールである。 

岡倉天心とタゴールの出会いと深い友情から始まった日本とベンガルの歴史は、「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボース、そしてインド独立を軍事面から推進したチャンドラ・ボースを経て、法律専門家として中立的立場から東京裁判でA級戦犯の無罪を主張したパル判事などにつながっていく。 

もちろん、タゴールとの出会いの前には、ラーマクリシュナの高弟であったヴィヴェーカーナンダと天心との出会いがあったことは記しておかないといけない。残念ながら体調を崩していた彼を日本に招致することは叶わなかった。

また、詩聖タゴールは5回も来日しており、日印協会の会頭を務めていた渋沢栄一との交流も特記しておくべきだろう。1924年(大正13年)には、「タゴール歓迎有志会総代」としてタゴールをもてなしている。タゴールは日本女子大創設者の成瀬仁蔵からの紹介であった。


(東京王子の「渋沢資料館」の展示 筆者撮影)


著者は言及していないが、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティヤ・セン博士もこの系譜に加えるべきであろう。セン博士は英国のケンブリッジ大学教授だが、タゴールが創設した学校で学び、日本との関係も深い方だ。 

日本とベンガルとの関係は、このようにじつに深くて熱いのである。だからこそ、バングラデシュでは日本への憧れがあり、『パンツを脱いだ日』の著者も来日して日本国籍を取得するに至っているのである。 




バングラデシュの国旗は、緑地に赤丸であり日の丸と酷似(・・ただし、バングラデシュの赤丸は太陽ではなく、1971年の独立戦争で流された血を象徴しているという)しているのも、その現れであろう。

とはいえ、さまざまな人間関係があることは承知の上であることは言うまでもない。父親がバングラデシュ人の女性タレントがいることは、意外と知られていないかもしれない。

その一方、2016年の「ダッカテロ事件」で日本人援助関係者7人が虐殺されたことも、また「イスラーム国」に身を投じた過激なイスラーム主義者のテロリストが日本留学組から生まれていることから、目をそらすべきではない。

それでもなお、ベンガル人と日本人の絆を確認しておきたいのである。 



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目 次
はじめに 
第1章 日本とベンガルの交流のはじまり 
第2章 タゴールと岡倉天心 
第3章 ラス・ビハリ・ボースと日本 
第4章 受け継がれる「独立」への意志 
第5章 チャンドラ・ボースとインド国民軍 
第6章 「パル判決書」の歴史的意義 
第7章 バングラデシュ小史 
特別対談 ペマ・ギャルポ × シャーカー 
おわりに 
主要参考引用文献

著者プロフィール
プロビール・ビカシュ・シャーカー(Probir Bikash Sarker)
1959年、バングラデシュ・コミラ県生まれ。チッタゴン国立大学歴史学部卒業。大学在学中、中曽根首相時代の「留学生10万人計画」により1984年来日。日本の印刷技術と出版業を学び、1991~2002年、日本で初めてのベンガル語情報誌『月刊マンチットロ』出版。2007~2014年、ベンガル語子ども新聞『月刊キショルチットロ』編集長。タゴール研究家、出版者、編集者、作家、日本語法廷通訳。現在、アジア自由民主連帯協議会理事、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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・・ベンガル系の家族に生まれたヨーガ指導者

・・「在日バングラデシュ人の起業家ユヌス・ラハマンも 『おカネを取るヒト 取られるヒト』(H&I、2005)という本で、カネの重要性と人間の生き方について書いている。」



・・ユヌス博士が登壇

2010年7月23日金曜日 


・・チャンドラ・ボースと「インド国民軍」は、日本軍とともにインパール作戦に参加した


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2024年1月30日火曜日

書評『蓮の暗号 ー<法華>から眺める日本文化』(東晋平、アート・ダイバー、2022)ー 日本文化の底流を流れる「法華」の思想を多面的に考察

 


著者は文筆家で編集者。高橋伸城氏と志をおなじくする人である。

厳密な論証が求められるアカデミズムに属していないことを逆手にとって、比較的自由に想像力の翼を拡げて、「日本文化における法華」というテーマを追ったものだ。

多岐にわたるトピックを扱っているが、わたしにとって興味深く思われたのは、「天文法華の乱」(1536年)という「愚行」によって壊滅的打撃をうけた京都町衆の法華衆が、大いなる反省のもとに和平路線を貫いたことを考察した文章である。(第2章~第5章)。
 
この和平路線は、武に対する文の優位という形で、戦国時代末期から江戸時代初期という激動期を生きた本阿弥光悦以下の法華衆の系譜に表現されたと考察している。なるほどと思う。

日蓮が出現する以前に『法華経』が日本文化においてはたしてきた大きな意味合いについて、さらに深く考えていく必要を感じた。『源氏物語』にもあらわれているように、平安朝の女性たちがなぜ『法華経』につよく惹かれたのか。その理由は「女人成仏」という思想にあるのだ、と。

また、「能と法華経の関係」についても重要な指摘が、京都の西陣生まれの歴史学者の上原専禄について考えるヒントを与えてくれた。わたしは上原専禄の孫弟子にあたるのだが、上原専禄は西洋中世史を専攻した歴史学者であるが、深い日蓮信仰の持ち主でもあった。

日露戦争における父親の戦死後、養父となった叔父のもとで、少年時代から「能」と『法華経』を暗唱するまでみっちり仕込まれたとことの意味についてである。ようたくストンと理解することができた




「法華の系譜」のなかにいないわたしとしては、本書で展開される著者の思想に全面的に賛同するわけではない。違和感がまったくないわけではない。

現代美術の宮島達男氏は、著者によれば、法華経の生命観を創作の哲学的基礎にしているという。宮島氏が自身の創作の「3つのコンセプト」は、「変化しつづけること」「あらゆるものと関係を結ぶ」「永遠に続く」に集約されるそうだ。

最初の2つはわたしにもまったく違和感なく受け入れられる。そもそも「無常」とは、万物が時々刻々と変化する相のもとにあることであり、万物はすべてつながっているというのが、仏教の発想であるからだ。

だが、最後の「永遠に続く」は、なんとなくピンとこないものがある。

わたしも基本的にブディストであるが、永遠についてはほとんど考えることはない。むしろ、形あるものはすべて滅びるという思想を「無常」に見いだしている

もちろん、形をもたないものは永遠の生命をもつという言い方も可能だろう。形あるもので、永遠に続くものを創造できるのであれば、クリエイター冥利に尽きるというべきであろう。
 
この「永遠に続く」という観念は、『法華経』ならではの発想なのだろうか? 無知ゆえにわたしにはわかりかねるので保留にしておこう。

とはいえ、「わびさび」でもない、「アニミズム」でもない、「武士道」でもない、「法華」の系譜に日本文化の底流を流れるもうひとつの流れについての認識を深めることができたことは、本書の大きな収穫であった。

『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021) とあわせて読むべき本である。きわめて重要だが、よく見えていなかった「もうひとつの日本」を知ることができる。


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目 次
メトロポリタンの燕子花 ―プロローグ 
第1章 「琳派」という系譜―私たちが思う「和風」の誕生 
第2章 茶の湯の成立―室町時代のゴージャス
第3章 利休と法華―茶の湯と法華の意外なつながり 
第4章 桃山文化の原動力―なぜ動乱の世に美が開花したか 
第5章 光悦の実像をさがして―時代を動かしたプロデューサー 
第6章 タゴールが見た「蓮」―インド・ルネサンスと日本 
第7章 目覚めた人―思慮ある人は、奮い立ち、努めはげめ 
第8章 敦煌莫高窟―アジアの記憶の古層をたどって 
第9章 道成寺伝説―最古のエンターテインメント 
第10章 「風神雷神図」異聞―屏風絵のなかに隠されたもの 
第11章  北斎「Big Wave」―一瞬のなかにひろがる永遠 
第12章 ガジェットの仏陀―受け継がれる〝法華芸術〟 
千年紀への曙光―エピローグ
あとがき 


著者プロフィール
東晋平(ひがし・しんぺい)
文筆家・編集者。1963年神戸生まれ。現代美術家・宮島達男の著書『芸術論』(アートダイバー)、編著書『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)などを編集。


<関連サイト>



「・・美術史において、すべてを宗教という観点から考察することはむろん間違っている。しかし、それをまったく無視して、芸術家の天賦の才や血のにじむような努力、あるいは社会環境に因縁を求めることも正しい方法とはいえないであろう。なぜなら、宗教はそれらを創り出す最も重要な要素だからである。」


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2011年12月5日月曜日

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた

(左上から時計回りで、渋沢栄一、J.N.タタ、タゴール、岡倉天心。wikipedia掲載の写真から筆者が作成)


 国際文化会館主催の「日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」にいってきました。二回シリーズのシンポジウムの一回目です。

日時: 2011年12月5日(月) 3:00~6:00 pm
会場: 国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
会費: 無料(要予約)
用語: 日本語・英語(同時通訳あり)
主催: 国際文化会館、国際交流基金

[パネリスト]

梶 正彦(タタ コンサルタンシー サービシズ ジャパン代表取締役社長)
ブリジ・タンカ (デリー大学東アジア学部教授、龍谷大学客員教授)
ジョーティルマヤ・シャルマー(ハイデラバード大学教授)
渋沢雅英(渋沢栄一記念財団)

[モデレーター]
ウルワシ・ブタリア(Zubaan Books代表)
竹中千春(立教大学教授)

[コメンテーター]
ヴィシャカ・デサイ(アジア・ソサエティ理事長)
アシシュ・ナンディ(発展途上社会研究センター研究員)
グレン・フクシマ(エアバスジャパン取締役会長)
堀本 武功(尚美学園大学教授)


 まずは、主催者によるシンポジウムの紹介文をそのまま引用しておきましょう。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、日本とインドの間では、アジアを舞台に、現在では想像もつかないような壮大な交流が行われていました。「グローバリゼーション」という言葉が生まれる100年以上も前に、タゴールや岡倉天心は、アジアが「グローバル」な存在であることを大前提に交流を深め、タタ・グループの初代会長であるJ.N.タタや渋沢栄一は、欧州勢が独占する海上貿易にアジアから風穴をあけるべく、手を携えました。こうした先人たちの偉大な夢とビジョンを振り返りながら、日本とインドが軸となって、いかにグローバリゼーションの中心の一つであるアジアを創造していくかを考えます。

取り上げられた4人について

 「日本資本主義の父」である渋沢栄一の名前を知らない人は、すくなくともビジネスパーソンにはいないと思いますが(・・わたしの母校のOB会である「如水会」の命名者でもあります)、逆に岡倉天心のことは知らないという人はビジネスパーソンには少なくないかもしれません。

 渋沢栄一(1840~1931年)、J.N.タタ(1839~1904年)、岡倉天心(1863~1913年)、タゴール(1861~1941年)。こうならべてみると、渋沢栄一とJ.N.タタが 1歳違いの同世代岡倉天心とタゴールは 2歳違いの同世代であることがわかります。

 J.N.タタとタゴールという二人のインド人の名前は、インドに関心がなければまったく知らないかもしれませんが、それぞれインド最大のタタ財閥の総帥と、アジア人初のノーベル文学賞受賞者といえば少しはピンとくる人がいるかもしれません。

 渋沢栄一とJ.N.タタ、岡倉天心とタゴールは、それぞれビジネスパーソンとして日本とインドそれぞれの資本主義の父としての組み合わせ、芸術家と芸術プロモーターという組み合わせになります。それぞれが同時代人です。

 タゴールはインドのベンガル地方の出身ですが、岡倉天心はとくにベンガルとの関係が深い存在です。このことは比較的知られていることですが、渋沢栄一とインドとの関係は、恥ずかしながら今回のシンポジウムまで全然知りませんでした。


タタ財閥はパルシー(=ゾロアスター教徒)に起源をもつ、厳しい倫理観にもとづく理念経営

 会場でいただいた資料「経営理念の継承-経営人類学者の視点 2011年1・2月号 TCS(タタ・コンサルタンシー)ジャパン」と「経営理念の継承-経営人類学者の視点 2011年5・6月号 TCS(タタ・コンサルタンシー・サービシズ)-ITを現代インドの産業革命に」(PHP Business Review 抜き刷り、ともに天理大学国際学部教授 住原則也)を読むと、タタ財閥と渋沢栄一は同時代人であっただけでなく、それぞれ資本主義をつじて国作りに多大な貢献をした経営者でありプロモーターであったことがわかります。

 ジャムシェトジ・タタの要請で、ボンベイと横浜のあいだが日本郵船の航路として正式に開設されることになりましたが、この構想の実現のためジャムシェトジ・タタと渋沢栄一は日本で直接会っています。

 渋沢栄一がいわゆる「論語と算盤」というフレーズに象徴される儒教倫理でビジネスを律した人であったならば、タタ財閥の創始者で総帥であったジャムシェトジ・タタは父祖の宗教であるゾロアスター教の「良き考え、良きコトバ、良き行い」を文字どおり実践していたようです。

 そうなんですね、タタ・ファミリーはインドではマイノリティであるゾロアスター教徒なのです。ゾロアスター教は日本では拝火教ともいうように聖火を守る善悪二元論にたつ宗教です。ペルシアがイスラーム化されたことによりインド西部に逃れたゾロアスター教徒たちはボンベイ(・・現在のムンバイ)周辺に定住し、パルシーと呼ばれるようになります。そのななかからジャムシェトジ・タタもでてきたわけです。

 インドのパルシーからは、指揮者のズービン・メータ英国のロックバンド・クイーンのヴォーカリストであったフレディ・マーキュリーなどが著名人として輩出されています。

 わたしにとっては何よりも興味深く思われたのは、パネラーによるプレゼンといただいた資料にあった、タタ財閥の歴史と厳しい倫理観に基づく理念経営でした。こちらについては、かなりマネジメントよりの話になりますので、エッセンスは別途、姉妹編ブログ「ケン・マネジメント公式ブログ 中堅中小企業の組織変革とマネジメント国際化」に書いてみたいと思います。 


シンポジウムを聴講しての感想

 ついついタタ財閥とパルシー(=ゾロアスター教徒)の話が長くなってしまいました。

 岡倉天心とタゴールについては、比較的よく知られた話でありますし、このシンポジウムでは取り上げられませんでしたが、ベンガルをめぐる日印関係はチャンドラ・ボースと大東亜共栄圏の話を経て、現代ではさらにノーベル経済学賞受賞のアマルティヤ・セン博士にまで至るものでもあります。これについては別途とりあげたほうがいいでしょう。

 このようなシンポジウムで痛感されるのが、ビジネス界と知識人との対話が日本では成り立ちにくいという点です。ビジネス界と知識人の世界が互いに別世界で、その双方につうじた人は残念ながらなかなか存在しないということでしょう。

 もっとも現役の経営者にとっては、自社の経営の立場を離れて、自社も含めて突き放して客観的にモノを見るのはむずかしい課題ではあるようです。あまりにもそれをやってしまうと、現実から遊離した「評論家」というレッテルを張られる恐れもありますから。

 今回のシンポジウムはパネリストは日本人2人にインド人2人、モデレーターは日本人女性とインド人女性、コメンテーターは日本人に日系米人、インド人に在米インド人と、日本人とインド人という単純な括りでは語れない複雑性そのものが興味ひかれるものがありました。

 岡倉天心の「アジアは一つ」(Asia is One)というフレーズは、あくまでも日本美術史がインド美術と中国美術が極東の地において融合したことを示したに過ぎないのですが、どうしても一人歩きしがちであることは否定できません。

 わたしなら、「一にして多、多にして一」というネオ・プラトニズムのプロティノス的表現においてなら、「アジアは一つにして多、多にして一つ」と言い切っても構わないと思うのですが..

 アジアとしての共通性をもちながら、相違点も多い日本とインド。西欧近代による激動の世界史のなか、かろうじて植民地にならずに済んだ日本と、英国の植民地として苦難を味わったインド。実利性を重視しながらも精神性も重視するインドと、仏教をつうじて深い精神性をもつに至った日本。

 モダンが終わってすでにポストモダン(=後近代)の日本ですが、いまだ「戦前」の日本の再評価が緒に就き始めたばかりの状況では、日印関係も過去の歴史を踏まえたうえで真の未来志向を構築するには、まだまだその基盤が脆弱ではないのだろうかと思わざるをえないものがあります。

 そんなことをパネルディスカッションを聞きながら考えてました。明日のシンポジウム(2)は未来志向の話ですが、出席しないのでどういう議論がなされるのかは知りませんが。


 
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<参考文献>

『ゾロアスター教史-古代アーリア・中世ペルシア・現代インド-(刀水歴史全書)』(青木 健、刀水書房、2008)
 とくに第4章「第二次暗黒時代 第2節 インド西海岸への脱出」、第5章「インドの大財閥としての発展(16世紀~現代)」がインドに関係がある。なお、この本では表記はターターとなっている。

PS 新版が2019年に発売された


(2023年9月19日 情報追加)





<関連サイト>

「日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」(国際文化会館ウェブサイト)


(2021年6月19日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

■渋沢栄一関連

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝

書評 『渋沢栄一-社会企業家の先駆者-』(島田昌和、岩波新書、2011)-事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る


岡倉天心関連

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・"Asia is One"(アジアは一つ)と "being in the world" (世界内存在)いうコトバについて


日本とインド

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた


インド全般

書評 『インド 宗教の坩堝(るつぼ)』(武藤友治、勉誠出版、2005)-戦後インドについての「生き字引的」存在が宗教を軸に描く「分断と統一のインド」
・・ぞ第1章は「第1章 拝火教徒はなぜ混合を嫌うのか」、つまりインドのパルシーすなわちゾロアスター教徒の話

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)


大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

(2014年9月5日、12月8日、2016年7月28日 情報追加)


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