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2023年6月18日日曜日

「近代」に創建された「明治人」たちを祀った神社を訪ねる(2023年6月17日)ー 明治神宮から東郷神社、そして乃木神社まで歩いてみた

(明治神宮 「第一鳥居」。昨年2022年に立て替えたばかり)


明治神宮から東郷神社、そして乃木神社まで歩いた。「近代」になってから創建された「明治人」たちを祀った神社を訪ね歩いたことになる。

明治神宮の創建は、1920年(大正9年)11月。乃木神社の創建は、1923年(大正12年)、東郷神社の創建は、だいぶ後れて1940年(昭和15年)。それぞれ明治天皇ご夫妻、乃木大将ご夫妻、そして東郷神社は東郷元帥を祀っている。

日露戦争という国難を乗り切った明治大帝とその臣下たち。まさに「皇国の興廃」がかっていたのだ。


■明治神宮と乃木神社は創建100年。東郷神社は比較的あたらしい

明治神宮は、ことし2023年のの2月に参詣したばかりだ。はたして何度目かの参詣か記憶にさだかではない。さすがに100回ということはないが、どんなに低く見積もっても10回以上は行っているはずだ。

外国人観光客がじつに多い。はたしてそのうちのどれだけの人たちが、明治大帝の偉業を知っているのか?「人が神になる」という日本人の信仰を知っているのか?

そう思ったわたしは、賽銭箱の前に立って二礼し、柏手の音を高らかと響かせて一礼、これ見よがしに「日本人ここにあり」と示すのである。コトバではなくカタチで、つまり態度でもって、日本人は外国人観光客に手本を示さなくてはならない。

明治神宮を参詣した後は、ひさびさに太田記念美術館を訪れた。美術展を見るためである。

そのあと東郷神社へと向かう。細い路地をたどりながら、若者のあふれる原宿を通り抜ける。クレープ屋が立ち並ぶにぎやかさとは真逆の、静かで落ち着いた神域が印象的だ。


(東郷神社 裏門)

神社に奉納された多数の「必勝祈願」ののぼり旗が目に焼き付く。なんといっても「Z旗」のカラリングは目立つ。「皇国の興廃この一戦にあり」の「Z旗」。そう、日本海海戦を完勝に導いたのが東郷元帥なのだ。

東郷神社は、今回の参詣を含めて最低3回は行っている。そのうち1回は、かつての勤務先の部下の結婚式であった。東郷會舘である。正門の鳥居をくぐることなく、原宿方面の裏門から入ったのは、今回がはじめてのことだ。

(東郷神社の「勝守」)


東郷神社では「勝守」(かちまもり)を購入。「Z旗」が縫い込まれたお守りは、効験あらたかな感じがあるではないか!

なんといっても、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた東郷元帥である。これほど「必勝」にふさわしいものはなかなかない。「近代の八幡宮」というべきか。東郷元帥は「武神」となったのである。

社務所に展示されている額には、「トラファルガーの海戦」のネルソン提督と、日本海海戦の東郷元帥が並べて賞賛されている賞状があった。英国から贈られたものという。

トラファルガーの海戦は1805年、日本海海戦は1905年。奇しくも100年の時を挟んだ偉業である。「東洋のネルソン」(Nelson of The East)という異名もむべなるかな。

エジプト出身のブトロス・ガリ事務総長は、生前に日本を訪れた際には、かならず東郷神社に参詣したという。社務所にはガラスケースのなかにその展示品もあった。トルコだけでなくエジプトでも、強国ロシアを破った日本の英雄は、多くの人びとに勇気を与えたのである。


(明治神宮から東郷神社、乃木神社まで)


東郷神社から乃木神社までは、Google Map によれば、だいたい35分くらいのようだ。とはいえ、梅雨の中日の真夏日の炎天下を歩くのは、正直いって心地よいものではない。当日の東京都心は31℃まで上昇したという。だが、どんな夏日でも緑陰は気持ちよい。

Google Map が推奨する最短ルートは、途中で青山霊園を通り抜けることになる。青山霊園も近くには何度も行っているが、霊園のなかに入るのは久々だ。お墓が並ぶ向こう側に高層ビル群が見えるのも、なんだか不思議な風景である。


(青山霊園の「乃木将軍墓道」の石標)


青山霊園に乃木大将の墓地があることは今回はじめて知った。なるほど、乃木神社は青山からも近いわけだな。乃木将軍墓道の石標にしたがって歩く。


(乃木将軍墓所)

もちろん、乃木大将の墓を詣でる。墓は子息のものを含めた小墓地といったおもむきであった。


(正面からみた「旧乃木邸」)


霊園を通り抜けてしばらく歩くと、まずは通りに面して「旧乃木邸」があることを知る。訪問は今回がはじめて。google mapに従った結果たどりついたわけである。

旧乃木邸は内部には入れないが、外から見学することはできる。回廊づたいに歩いて行くと、それぞれ乃木大将と夫人が自刃した部屋の前を通ることになる。

旧乃木邸から下っていくと乃木神社に。またまた正門からではなく裏門から入ることになった。神社の境内は、思ったよりも狭い。比較的こじんまりとした神社だった。


(乃木神社の境内)


じつは乃木神社は今回はじめてであることに、訪れてみてから気がついた。行ったつもりでいたのだが、まったくの初めての参詣だったのだ。

この事実には、少なからぬ驚きを感じている。それほど、乃木大将の存在は、わたしにとって、いや日本人の多くにとって、その好悪や是非は別にして、現在にいたるまできわめて大きな存在なのだろう。だから、なんとなく行ったことがあるような、ニセの記憶が作られていたのだ。漱石の『こころ』の影響も大きいと思う。


(「乃木神社御鎮座百年」と記されたのぼり旗)


冒頭にも記したように、乃木神社は今年令和5年が創建100年なのだそうだ。明治神宮はすでに3年前に創建100年を迎えている。明治天皇の崩御に際して「殉死」した乃木大将夫妻。神社の創建の日が近いのはそのためでもあり、たとえ場所は離れていても、この主従関係はきっても切れない関係にあるのだろう。

宝物館を訪れ、乃木大将関連の遺品の数々を拝観。入場無料である。

創建から100年を迎えた乃木神社の境内は、すでに神さびた雰囲気さえ醸し出している。こうして神社というものは、あたかもはるか昔から存在していたかのように受け取られていくのだろう。


(乃木神社の隣は乃木坂駅)


これに対して、東郷神社の創建は、88歳の天寿を全うした東郷元帥の死後のことだから、歴史は思ったほど長くない。海軍ということもあって、東郷元帥は乃木大将よりも、より合理主義精神の持ち主のような印象を受ける。もちろん、敬神の念の強い人ではあった。

東郷神社と同様に乃木神社でも、結婚式場だけでなく「勝守」が販売されている。

だが、日本海海戦で完勝した東郷元帥とくらべると、最終的に戦略的要地である「203高地」を落としたとはいえ、多大な犠牲者をだした乃木大将が、たいへん失礼ながらやや見劣りすることは否定できない。本人も死ぬまで自責の念を持ち続けている。

だから、乃木神社の「勝守」はあえて購入はしなかった。


■「創建100年」といっても、日本の歴史においては古いようで新しい

その後、急坂を登って10分ほどにある「赤坂氷川神社」を参詣。氷川神社は大宮にある武蔵国一宮として有名。素戔嗚尊(スサノヲ)を祀る出雲系である。

赤坂の氷川神社の創建は江戸時代。江戸時代中期の将軍吉宗の時代にこの地に遷御されたとのこと。やはり近代以降に創建された神社とはテイストがずいぶん異なる。いやがおうでも、そう感じないかんじないわけにはいかない。

(赤坂氷川神社の「茅の輪くぐり」 さすが古社ならでは)


いまの季節は「茅(かや)の輪くぐり」。さすが古社の氷川神社ならではだ。明治時代に創建された「近代の神社」とは、そこが違うのである。近世日本の民俗に即した年中行事にもとづいているのである。

明治神宮と乃木神社の創建100年という月日は、日本の歴史においては長いようで短いのである。

とはいえ、これから100年、200年とたっていくと、「近代」に創建された神社はどういう受け取り方をされることになるのだろうか?


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<ブログ内関連記事>


・・明治大帝の聖徳を記念する絵画が展示されている美術館


・・東郷元帥の旗艦であった戦艦三笠が修復保存されている

・・「Z旗」



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2011年11月22日火曜日

書評『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)― 「近代日本」の裏面史がそこにある


■「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に■

 「近代日本の裏面史」である。日本史の教科書にでてくる有名人も数多く登場するが、お墓を媒介にして見えないところでつながっている人脈をたぐりよせると、日本史の教科書にはでてこない世界が浮かび上がってくる。

 幕末に「開国」を迫られ、欧米中心で弱肉強食の厳しい国際社会のまっただなかに放り込まれた小国・日本。「近代日本」とは、日本と日本人が生き残りをかけた生存競争の時代であった。その状況のもと、日本人の潜在能力が解き離たれ、さまざまな分野で爆発した時代でもあった。

 本書は、著者が東京に散在する霊園をたずねて、死者たちと交わした対話記録といってもいい本である。墓が墓を呼び、イモヅルをたぐりよせるようにして現れてきたのは「見えないネットワークでつながっている人脈」であった。

 その中心にあって、本書の通奏低音として流れているのは、福岡に源流を持つ政治結社「玄洋社」に連なる人びとである。そしてその背後にあった名も無き日本人たちだ。
 東京にいくよりも朝鮮半島のほうが近い、東京までの距離と上海までの距離はほぼ同じという地理的条件をもった国際都市・福岡。福岡出身の著者が、福岡の出版社から出したこの本は、福岡出身者でなければ書けない内容だといっていいかもしれない。関心のありかたが、福岡出身者以外とはやや違いがあることを感じさせるからだ。

 幕末から明治維新にかけての動乱期、当時の藩主・黒田長溥(くろだ・ながひろ)の致命的な情勢判断ミスによる意志決定のため、本来は倒幕派であったのにかかわらず、佐幕派とみなされて維新後の社会において苦杯を飲まされることになった福岡藩。明治維新の敗者となった「負け組」は、会津藩や越後長岡藩といった東北だけではなかったのである。

 その環境のなかからでてきたのが「玄洋社」であった。いまだに右翼団体というレッテルを貼られたままの玄洋社だが、最初の頃は自由民権運動の担い手の一つだったことに、少なからぬ読者は驚くのではないだろうか。この玄洋社が民権から国権に比重を移していったのもまた「近代日本」である。

 面白いことに本書には、ただの一枚も肖像写真は掲載されていない。出てくるのはひたすら墓、墓、墓...

 著者みずからが撮影した墓石と墓碑銘の写真ばかりである。東京はある意味では、近代日本のオモテだけでなく、ウラの歴史もあわせた巨大な霊園地帯なのかもしれないという気さえしてくる。

 霊園で死者たちの声を聴き取った著者は、さながら霊媒のような存在だといったら著者からは叱られるだろうか。むしろ、タイトルは『霊園で聴いた近代日本』とするべきだったかもしれない。

 すでに中途半端なままに終わってしまった「近代日本」とは何であったのか、本来どういう方向にむかう可能性があったのか。このことを考えることは意味のあることだろう。だから「近代日本の裏面史」である本書は、オルタナティブな可能性をもっていた「近代日本史」でもあるのだ。

 本書には珍しく「主要人名索引」が完備しているので、索引から人名をたぐりよせてみる読み方も面白いかもしれない。ぜひ一読を薦めたい。


(画像をクリック!)


<初出情報>

■bk1書評「「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に行ったこととは?」投稿掲載(2011年9月13日)
■amazon書評「「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に行ったこととは?」投稿掲載(2011年9月13日)


目 次

第1章 朝鮮半島をめぐる外交摩擦
 青山霊園のあたり
 外人墓地から
 日清戦争の背景
 金玉均の墓所にて
第2章 幕末から西南戦争まで
 黒田長溥の墓所から
 維新の策源地「延寿王院(えんじゅおういん)」
 戦国大名の争奪地「博多」
 西南戦争という価値転換
第3章 アジアとの関わり
 玄洋社の看板、頭山満
 自由民権団体の玄洋社
 ロシアの南下政策とヒンターランド構想
 宮崎滔天の「落花の歌」
第4章 近代化のはざまで
  日露開戦の予言
 新興宗教と病気なおし
 宮沢賢治という宗教と科学を極めた人
 エスペラント語と革命
第5章 日本近代化の総仕上げに向けて
  「五箇条の御誓文」という近代化
 ハルビン学院と杉原千畝
 大杉栄と後藤新平の関係
 犬養毅、後藤新平の産業立国主義
あとがき
参考文献
索引

著者プロフィール

渡辺 登(うらべ・のぼる)

1956年(昭和31年)福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌への投稿を行う。オンライン書店bk1では「書評の鉄人」の称号を得る。著書に『太宰府天満宮の定遠館』(弦書房)。



<書評への付記>

 ことし2011年は奇しくも「中国革命100年」の年にあたる。

 革命家・孫文につらなる縁で、本書にもその多くが登場している玄洋社につらなる人びとや、その周辺にいた日本人たちに脚光が浴びたのは、たいへん喜ばしい。

 東西冷戦が崩壊してすでに20年、左翼の崩壊にともない右翼もその意味を失った結果、右でも左でもない日本と日本人を見直すにはじつによい時代となった。 

 本書の出版は、「3-11」という、未曾有の大地震と大津波という自然災害と、それ原発事故という人災に苦しむ国難が発生する以前に書かれたものだ。「3-11」によって「戦後」も完全に終わったことは、ある意味では、さらに物事を虚心坦懐に見ることを可能としたといってもいいだろう。

 ところで、文化人類学者の山口昌男に『敗者の精神史』という大著がある。明治維新の敗者の側から描いた近代日本史もまた、オルタナティブな日本近現代史となっている。

 福岡生まれの著者が福岡の出版社から出版した本であると言うことは、東京のまなざしとはイコールではないということを意味している。

 本書は、やや玄人ごのみの内容だが、索引もしっかりつけてあるので、人物エピソードで読む近代日本裏面史として、あるいは東京の墓地めぐりガイドとしてもいいかもしれない。

 それぞれの墓地の案内図はつけていないが、これはみずから足を運んで、自分で墓探しをすべしというメッセージだろうと受け取った。

 維新後、1/10の規模に縮小させられた谷中墓地、あらたに造成された青山霊園。

 「人間、至る所に青山あり」という詩句があるが、青山(あおやま)と青山(せいざん)は同じ漢字を書く。青山(せいざん)とは墓のことであり、青山霊園というのは、なにかトートロジー(=同語反復)なものを感じてしまう。霊園とファッションは、なぜか親和性が高そうだ。

 本書には、お墓の写真以外、人物写真はいっさい収録されていない。写真資料が満載の『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』(読売新聞西武本社編、海鳥社、2001)とあわせて読むことを望みたい。



PS 2024年に「新装版」が発売された

福岡在住で、精力的に調査と執筆をつづけておられる地方史家の浦辺登さんから、7月にでたばかりの『霊園から見た近代日本』(弦書房)の「新装版」をいただいた。  




本書は、著者が東京在住時代に青山霊園をはじめとする各地の霊園をたずねて、たぐりよせた「近代日本の見えないネットワークでつながっている人脈」である。 

その中心にあって、本書の通奏低音として流れているのは、福岡に源流を持つ政治結社「玄洋社」に連なる人びとである。そしてその背後にあった名も無き日本人たちだ。 

つい最近、新宿中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と亡命インド人のラス・ビハリ・ボースの関係に言及したばかりなので、ちょっとしたシンクロには驚きを感じている。まったく意識してなかったので・・・ 

それにしても「新装版あとがき」の内容は考えさせられるものがある。 

現代中国人の「玄洋社」への関心の強さと、それに反して一般的な日本人の認識の低さ。日本人の認識が変化しつつあるとはいえ、いまだ道半ばである。 

それは、日本人自身の認識においても、「福岡を中心とした九州から見える東アジア」と、「東京から見える東アジア」との落差でもある。そう言い換えることも可能だろう。視点の違いは、認識の違いにつながっている。 

まあ、そんな話は別にしても、めずらしく「完備された人名索引」を頼りに「東京の霊園めぐりガイドブック」としても使う、そんな読み方もありなので、本書はぜひ手にとっていただきたいと思う。 

(2024年7月17日付けのFBへの投稿を改稿して、2024年7月25日に掲載)


<ブログ内関連記事>

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・玄洋社につらなる人たちの肖像写真は、この写真集でとくとご覧いただきたい






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